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優しい野蛮人

From 2003-11-28(金)
To 2004-01-02(金)

インド/ジャグジード・シン「心は石や煉瓦ではない」

春先に優しい野蛮人・カエターノ・ヴェローゾの事を調べ、まとめようと思っているうちにいつの間にか年末。(笑)

といいつつ、インド/ジャグジート・シン-「心は石や煉瓦ではない」の話。

「コンプレックス」って自身の中にある願望から来る抗い。その願望をそしるように外的圧力がからまさる。

人一人いなくとも社会は成り立ちます。けれども社会はそれでいいのだろうか?

人があらがい苦しむのは社会に存在価値を認めて欲しいから。
心は見えない。
映画の台本では感情表現は厳禁。
「何故、泣くの」
それを理解するのは本人ではなく社会のはず。
答えようのない感情の高ぶりに本人は襲われているのですから。

人の世は共食い社会。
お金に満腹感なく、食べるのに夢中にならず、食べられる立場にも立ちたいもの。
獲物得たライオンとて、満腹になれば、食べ残し、ハイエナに食い扶持渡します。

世界は冷戦の反省から組織化された社会の価値を取り去る思索を始めたところ。

そして、「障碍者、高齢者」も社会の一員としなければ社会が成り立たないという日本提案の新・国際標準「ISO/IECガイド71」が発行(JIS Z8071)、共食い社会のおいしい食べ方、食べられ方だと思うのですが。提案国は如何お考えなのかな?

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愛するマンゲイラ

カルトーラ


昨日は僕の誕生日。誕生日に必ず聴くCD。
それはブラジルの好々爺カルトーラ。明日11月30日が命日。

ブラジルの被差別部落とも言うべき場所で生まれ育ち、マンゲイラというチームに所属し、活動続けていたけれども、内紛に嫌気をさし、一時期、マンゲイラからも足を洗った人。その後、マンゲイラに戻り、マンゲイラのために活動を続け、マンゲイラの地で眠りについた。

カルトーラの詩の背景にはそんなものがあるのです。

「人生は風車」

よくお聞き。
気をつけるんだよ。人生は風車。
君の夢を細かく、細かくすり潰す。
幻想を粉々にしてしまう。
よくお聞き。
死んだ者が遺すのは、シニズムだけ。

君がいるのは、深い淵のへり。
君自身の足が掘る、淵のへり。

「沈黙のバラ」

僕はバラに語りかける。
だがもちろん、バラは黙ったまま。
バラはただ、君から盗んだ香りをまき散らすだけ。

僕の瞳に映る悲しみを、
君に見せたかった。
僕の夢を、君もまた見てくれるだろうか。

「愛するマンゲイラ」

緑は青空と同じで希望を
白は水のしずくに似て出逢いの喜び
頬が染まった赤色は私の好きな色

そして黒は悲しみの色
カーニヴァルの終わりのあの悲しみ
そう、黒はこの世の人生全ての悲しみの色

「日は昇る」

微笑んで生きていたい。
涙にくれて、青春を失ってしまったから。

嵐が終われば、日はまた昇る。
この想い出が消えたら、誰かまた、愛する人を見つけよう。

陳腐だから、愛。

生きてるうちに優しさを。なぁ、御同輩。

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当たれ!宝くじ

憂歌団じゃないけれど、「当たれ!宝くじ」とばかりにわざわざ銀行に口座を作りATMでナンバーズ、ロトを購入。当たれば自動振り込みなので、手間いらず。

何億なんか狙っちゃいない。ごくごく普通なサラリーマンが一生かかって稼ぐ金が2億円。僕の歳から余命を計算すると1億もいらないでしょう。

「パチンコ、パチンコで半年ゃ暮らす。後の半年ゃ、寝て暮らす。」
(パチンコ人生 三木鶏郎 1951年作品)

この国はエコノミックアニマルを温存している国。
『私はサラリーマンだけど、人間です』と言えるように。

夢で逢いましょう。(笑)

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自由の幻想

ルイス・ブニュエル自由の幻想』(1974年作品)


ルイス・ブニュエル曰く、
「腐敗した支配者から与えられた自由なんかクソクラエだ。
自由とは自分で選んだものでなければならない。」

ゴヤの名画「モンチオアの銃殺」から始まるこの映画はナポレオン軍の兵士達に銃殺されるスペイン人の「自由なんかくたばれ!」から始まり、【見せかけの自由】に満足してしまっている現代のモラルを徹底的にこき下ろす。

観光写真を卑猥といい、いやらしい思い出に浸る夫婦。
フラメンコを奏でるカップルをうるさがり、SMに興じるカップル。
トイレと食堂が逆転した晩餐会。
目の前にいる娘の捜索願を警察に依頼する夫婦。
無差別テロの犯人に死刑求刑する事で目的達し、釈放する裁判所。

モラル的に物を考えるのではなく、シュールに物を捉えてこそ、「自由」なんじゃないかなぁと思っていたりします。

モラルはあくまでもイデオロギーのような気がしますし。

「パチンコ人生」の三木鶏郎のすごさって、実はここにあるのだと思いますし。

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イン・ロンドン

グラウベル・ローシャ


グラウベル・ローシャ。ブラジル・シネマ・ノーヴァの奇才。

飢餓だろうが、天災だろうが、搾取し続ける支配者から救いを求め、逃れようとする民衆に、カンガセイロという山賊が救いの手を差し出すが、カンガセイロを狙う殺し屋もいる。逃げまどうのはいつも民衆。

黒い神と白い悪魔』(1964年作品)は話こそ単純ながら、支配者、カンガセイロ、殺し屋と次々立ちはだかる救いだか、妨害だか判らぬ世界をさまよう民衆を描く。

その殺し屋の後日談として描かれたような『アントニオ・ダス・モルテス』(1969年作品)。カンガセイロ殺しを続けた殺し屋は民衆の中の聖女から「カンガセイロを殺せば、民衆は死ぬ」と責められ、支配者と立ち向かう。

救いを求めるには狂信的にならざる得ず、歌と踊りに身を興じる民衆達。
ブラジル東北部の歌をバックに、最後は西部劇。
カルト映画『エル・トポ』(アレハンドロ・ホドロフスキー監督1969年作品)にも影響を与え、ボリビアのウカマウ集団にも派生した南米のニューシネマ。

ブラジルの第2の国歌といわれ、カエターノもロンドンに亡命中に録音したルイス・ゴンザーガ「白い翼(ASA BRANCA)」が思い返されます。

燃える大地を見て サン・ジョアンのたき火を見て
おらは神様に尋ねただ なんでこんなにも苦しまなきゃならねえんで?
あの白い翼までもが このセルタォンには背を向けて 行っちまっただ
だから おら 言っただよ さよならだ
ホジーニャ おらのこと 忘れないでくれろ
おまえの目の緑が 作物の上に広がったなら
きっとだ 泣かないでくれろ な?
おら 戻ってくるから な?

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ISO/IECガイド71徹底活用法

ISO/IECガイド71


「ISO/IECガイド71」徹底活用法 -高齢者・障害者配慮の国際標準-、読み始めました。

「ISO/IECガイド71」(JIS Z8071)は7つのマトリックスを示し、情報・表示、包装・容器、素材(材質)、取り付け、ユーザーインターフェース(操作性)、整備・保管・廃棄、構築環境それぞれに対し、感覚能力、身体能力、認知能力、アレルギーがどのように影響受けるかをまとめ、その解説の中に「加齢の影響」という項目も設け、「高齢社会」を念頭に置くべく作られています。

「ISO/IECガイド71」徹底活用法では「デファクト」から「デジュール」へという話もあり、日本は得てして、独自性を重んじ、国際規格に付加価値をつける事で成長してきた国であるとされており、これからは国際規格の中でどれだけ理解力を示し、活用できる応用を生み出すかが問われているとされています。

それには「高齢」「障碍」の知識が必要となり、それを活用できる社会システムも必要とされてくる訳で、結果、資産分配が成り立ち、経済活性化、福祉依存脱却にも繋がるとされています。

「ISO/IECガイド71」が欧米が政府機関以外のNGO NPO主導の福祉政策なのに対し、日本は政府自らが福祉政策を行っている観点から、ガイド作りの進行役になったいきさつや経済産業省、厚生労働省などが1994年に「高齢化が始まる」とされる人口比率14%を越え、「高齢化」ではなく「高齢社会」に入ってしまった危機感から提案されたともあります。

2006年には人口の5分の1が高齢者。
20年後は人口の4分の1を占めるらしい。
今までのような政策、産業構造で果たしてこの先、この国が生き残れるか、危惧してのガイドラインなんですね。

「ISO/IECガイド71」でも感覚能力、身体能力、認知能力、アレルギー、人はこれらの問題を重複して抱えており、配慮し尽くせない場合もあり得るとされており、「木を見て、森を見ず」にならぬよう、配慮すべきとされています。

幅広い意見を採り入れ、今の障碍者が参加しづらく、「エコノミックアニマル」「通勤電車は奴隷船」とまで言われているビジネス業界の構造改革、意識改善、望みたいところ。

「判りやすさ」「使いやすさ」を多面的に考え、それぞれの配慮の限界を知り、より多くの人が「判りやすさ」「使いやすさ」を情報交換する。人と人のコミニケーションの切っ掛けが「アクセシビリティ」なんじゃないかなと思っています。

それとも4人で1人の高齢者、障碍者を養い続けますか?仮に我が身が40代なら、高齢になった時、3人で1人、我が子が高齢になった時、2人で1人となるのですけれど。

ISOでは点字版ガイドが作られたのに、JISは作らないのもおかしいなぁと思っていますが。(あるなら御免なさい)

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12月8日

今朝の新聞に
「太平洋戦争は真珠湾から始まった」
「三重県ですか?」
今の若者の中にはこう聞き返す人がいるらしい。

笑ってしまったけど、困ったものだ。。。

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晩春

小津安二郎監督晩春』(1949年作品)


今日12月12日は玄関先の雪かきしに出て、ポックリ亡くなった養父の命日。
何もしなかったけど、心の中で合掌。

そして、小津安二郎生誕100年の日、『晩春』を見ました。

戦前、社会派的な映画を撮りながら、戦争から帰還後、世間に背を向けたが如く、いわゆる「小津美学」に邁進していった人。

『晩春』は父一人、娘一人の家庭の近親相愛ゆえ嘘をつかなければならない話。
その背後にある母親が何で死んだのかも、娘が何の病気から回復したのかも描かれず、ただ、日常のささやかな日々を描き、積み重ねていく。他愛ないやり取りをユーモアたっぷりに延々描き、肝心な絵になる場面を描かない。

言わぬが花。

父を気遣う娘を騙し、嫁に出す父の説教。
「結婚して幸せになるのではない。5年、10年かけて、幸せは築いていくものだ」

この世の中で隣にいる人が一番大切と気付かせてくれる映画を撮り続けた人。

主演の原節子は監督を慕い、監督亡き後、映画界から退き、監督が愛した鎌倉の地で一人暮らしているという。

小津さんの描く日本は小津さんの夢見た理想郷。
それゆえ、世界中の人々が崇拝するのでしょうね。

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ウポポ サンケ

安東ウメ子『UPOPO SANKE』(2003年作品)


アイヌの安東ウメ子さんの新譜『UPOPO SANKE』、購入し、聴き始めています。

前作『HUNKE』より、カラフルな音色になったかなという感じ。

アイデンティティ持った人のアルバムってやっぱり心地いいなぁと思っています。

少数派のニーズを満たしてくれる制作会社に感謝。


テレビでプロデュースの加納オキさん曰く、「アイヌの音楽なんか研究材料としか見られていなかった。」

そうだよね。民俗音楽とポピュラー音楽の違いってここにあるよね。

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ベスト・オヴ・ハリス・アレクシーウ

ハリス・アレクシーウヨールゴス・ダラーラス


昨日届いたギリシャのトップスターお二方、ハリス・アレクシーウとヨールゴス・ダラーラスのそれぞれの新譜、無茶苦茶民族色が濃厚になっています。

「多民族から見た社会学」は自国アイデンティティの再構築で確実にビジネスシーンに食い込み、生き残りをかけているような気が。

井の中の蛙は労働人口急降下の予兆、資本主義の崩壊序曲の現在、未だエコノミックアニマルで経済弱者への配分をつまみ食い続けるつもりなのだろうか?
某大国が守ってくれるから、平和なんだと豪語する某国首脳は本当に愛国論者なのだろうか?
某国のアイデンティティ、知りたいところ。
「もろびと転びて」にならぬよう。。。

どこにも残らぬ島なら、名前はいらない

中島みゆき「吹雪」より[アルバム『グッバイガール』(1988年作品)収録]

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マイス・カエターノ

カエターノ・ヴェローゾ「禁じることを禁止する」


クリスマスに何をしているんだろう。(笑)お約束を果たせねば。。。

軍事政権下の1960年代末、政権に歩調あわせるエレキギター排斥運動が起こる世論に対し、「禁止することを禁止する」と歌い始めた「トロピカリズモ」の旗手カエターノ・ヴェローゾ。

「自分たちも守りに徹している場合ではない。たんなるプロテストソングのイデオロギー・スローガンや、エレガントなだけのコード展開や狭量なナショナリズムを超えた、ブラジル音楽を真に革新するムーブメントを旗揚げするには、同士を募り、積極的な討論の機会を設けるべきだ」

同胞ジルベルト・ジルのこの言葉に対し、カエターノは、ブラジル音楽を自身の思想の表現法とする可能性を前に「自分は少しグラウベルに、少しジョアン・ジルベルトになれるかもしれない」と考え、大いに興奮したという。そして、この「少しグラウベル、少しジョアン・ジルベルト」という稚拙な表現が、実は「自分が自分自身になる」という意味を持っていたのだと悟るまでに、それほど時間はかからなかった。

軍事政権下の逮捕、投獄による抑圧、南米他国の虐殺を知る身にはその後のイギリス亡命時、PTDS(心的外傷後ストレス障害)に悩まされ、どこへも出掛けようともせず、家にこもりきり、逮捕時の早朝、玄関のチャイムの音が家の呼び鈴に怯えるといった形で残っていたそうだが、それを救ったのは恩師ジョアン・ジルベルトの尽力での帰国だった。

イギリス亡命時、ローリング・ストーンズ、ミック・ジャガーのステージパフォーマンスから観衆と渾然一体となる術を学んだり、「犬の言語」にしか聞こえなかった英語をマスターしたりし、帰国後、英語文化の侵略に対して「英語の爆撃に対してプロテスト」として「まともでない英語」を突き返してやる戦略から、アフリカ・ナイジェリアの音楽との出逢いを経て、内なるアフリカ、内なるブラジルの掘り起こしへと論理を深めていく。

「名前のない国」アメリカ文化を「食べて」
「国のない名前」ブラジル文化を肥えさせよう

「優しい野蛮人」カエターノ・ヴェローゾ、その妹マリア・ベターニァジルベルト・ジルガル・コスタのバイーア四人組は反発していたブラジル民衆の気持ちをそうして捉えていった。

「私たちブラジル人にとってカエターノは知能。ミルトンは心臓。シコは内蔵。ジルは…。」そのまま彼女はにやりと笑って自分の股間を指差した。

国際的視点に立った自国アイデンティティに対する誇り。「世界のゴミ捨て場」と言われる地はその貧しさゆえ、世界で最も豊かな土地なのかも知れない。

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オレは謝らない

カエターノ・ヴェローゾ「爆弾男」


結局このコーナーも年越し。年頭の挨拶で締めくくり。

昨年末、徹子の部屋でのアフリカのユニセフ報告の中で、投票出来ないように手首を切り落とされ、障碍者にさせられた若者の映像を見、障碍者である意味を自覚もしました。

カエターノ・ヴェローゾに「爆弾男」というのがあります。[アルバム『カエターノ・ヴェローゾ&ジョルジ・マウチネル オレは謝らない』(2002年作品)収録]
「爆弾男」はマルーシャ(マーチ)で歌っていますが、テロリストではなく、民権運動を、救済ではなく、共用を願いたい年にしたいもの。
ストレンジ・フルーツではなく、同じ人間なのだから。

爆弾男がやってくる
何もおそれぬ男が
なぜなら まもなくやつは
エグンとなるのだ。

だが、それまでには一人殺し二人殺し
千万以上もの人を殺す
何も後には残さない
だが俺は この苦悩のイデオロギーには反対なのだ
俺は投資に賛成だ
貧窮を撲滅するためには
学習と調和のとれた労働に賛成だ
愛とクリスト・ヘデントール(救世主)に
民主主義に咲く詩情の花に

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