2003-06-12(木)
少し筋肉痛。。。
通い始めたジムに知的障碍の方がお母さんらしき人と来館されていた。トレーニングもしっかりやってました。先生の方も時折ちょっかい出す。
これでいいんだよね。
相米さんは子供が好きなんですね。
都会のあばら屋に住む老人に興味を示す3人の現代っ子。まとわりつくうちに老人(三国連太郎)に好かれ、そのあばら屋の家の手入れを手伝ったりする。お爺さんに「奥さんは?」と尋ねたところ、「別れた」と言う。
戦争中、フィリピンで女を殺した。殺さなければ密告され、殺される。殺した女はお腹が大きく、その腹の中で子供が蹴り上げるのが判った。
子供らはその奥さんの行方を捜す。
その人は学校の担任の先生のお婆さん(淡島千景)だった。
お婆さんは夫の帰りを待ち続けたけれども、夫の実家に長居も出来ず、ひとり、夫との子を産み育て、その子が大きくなり、私を産みました。私の母です。母は交通事故で父とともに亡くなり、お婆さんはその頃からボケがひどくなりました。
先生はお爺さんに赤茶けた写真を見せます。
この人は私ではない。
そういっていたお爺さんが「遠くから拝むくらいは許してくれるだろう」。お婆さんに会いに行き、帰宅後、急死します。
火葬場にて、お婆さんはお爺さんの顔をみ、「お帰りなさい」とひざまずく。
子供らはお爺さんの家に別れを告げる。
また、荒れ果てたあばら屋は綺麗に整地され、綺麗なマンションが建つのでしょう。
忘れてはならない『夏の庭』
映画は連合赤軍半当事者としての映画監督が映画を撮り始めるけれども、アジテーション的投稿により監督自らの古傷がさらされ、失踪し、若い世代が代理監督として映画を取り上げるというもの。
作る側、演じる側も連合赤軍が何だったのか判らないまま終わります。
最近語られ始めるようになった連合赤軍。
当時僕は中学生。
これらの関係もおぼろにしか知らない。
ただ、思うに日本人の愚かさ、浅はかさのシンボルと思っている。
これらの事件の裏表として労働者のサラリーマン化があったとも思う。
どちらもリーダーに絶対服従の日本人。
同時期の札幌オリンピックで海外の人々から「日本人は大声出して声援しない」というコメントが僕の中にやけに記憶に残っている。
今、僕より若い世代の方々が連合赤軍を、安保闘争を、敗戦焼け跡をどのように感じられているかも知りたいところです。
1000ページ弱の長編、読み終えました。
それまでの中上文学のスタイルの破壊と再構築ゆえ、何度も中断し、結局は完成みなかった作品。
物語は路地出の胸に青あざ持つ男とその兄貴分が東京に出てきて、大物右翼の後ろ盾ある空手道場で在日韓国人、アイヌのともに胸に青あざ持つ男たちと出逢い、大物右翼にそのあざは満州国の地図と言い含められていくところから、在日韓国人の北朝鮮寄りの恋人殺害、路地出の兄貴分の自死を経て、大物右翼の指示による青あざ男達の沖縄、台湾、フィリピンへの移動。
異なる同族達が「天皇」の幻想が何であったのか知る物語。
大物右翼は日本人か、中国人か、中上健次は様々なからくりを用意し、戦後日本がいったい何であったのか、暴き出す。
「八紘一宇」の「大東亜共栄圏」
登場する異族達がこの幻想にしがみつき、高度成長してきた日本を描き出し、「天皇」の幻想も海を越えればまやかしと断罪する。
アジアに対する日本の態度。
それは「八紘一宇」の「大東亜共栄圏」なのかも知れない。
世界の商人、ユダヤ人と華僑がこの話に加われば、空恐ろしい物語になったのでは。欲望渦巻くところ、ワルと同じ数だけ不幸にあえいでいる者がいた。
妻に死なれ、幸少ないのは都会の養護学校に通う盲目の息子のせい。そう思い込む男は再婚の話が出た際、母の反対を押し切り、息子を養護学校が休みになった時、大工の見習いに預ける。しかし、母の死により、再婚の話が立ち消えとなり、男は息子へ殺意を抱く。
一貫して描かれるのは貧しい家に生まれた子供の不幸なのだけれども、その背景にある社会がいまいち見えてこない気が。
良く言えば、『二十四の瞳』 (1954年作品)等の木下恵介といったところだろうけど、悪く言えば、高畑勲『火垂るの墓』(1988年作品)。自助努力を求められているような気がするんですよね。
北野武は優しいね。
自分の愛する者がなぶられたら、とことんなぶり返す。殺しもするし、盗みもする。
愛する者に対し、かばう通す勇気のない者はささやかながら社会に悪態つくしかないでしょう。
[アルバム『ポートレイト』(1993年作品)収録]
ルイジアナの夜をうろつく貧しいアメリカ人
コパカバーナで略奪に遭う可哀想なイギリス人
幼いチンピラたちは
今でも彼らがアメリカ人だったと思っている
フラメンコで 誤って逮捕されるスペイン人観光客
裕福なアメリカ人は もうハバナで散歩などしないゲイのアメリカ人が りオのカルナヴァルに
エイズ・ウィルスをもってやって来る
サンフランシスコの組織化されたゲイ軍団は
この病気の蔓延を阻むことができる
考えられるのは 集団大虐殺の可能性
彼らが着るのは 聖職者の法衣か
背広にネクタイか 白衣か
知らない振りをしようが構わない
これまで格好の餌食とされてきたゲイたちが
実は HIVの伝播を食い止める運動の
先頭に立っているのだとアメリカ人は 非常に統計的だ
明確なジェスチャーで
白いきれいな歯を見せて笑う
見るものすべての奥底まで届くかのような
その輝く歯
だが 自分自身の奥底には向かない視線
アメリカ人は
この世に存在する楽しみの大半を代表している
アメリカ人にとっては 白は白で 黒は黒だ
(混血女に関しては よく分からない)
ゲイはゲイで マッチョはマッチョ
女は女で 金は金だこのようにして 諸権利は獲得され
取引され 失われ 譲渡され 奪い取られる
一方(赤道の下の)この土地では
不明確さこそが制度
僕らは踊る
喜びと幻滅との間で
怪物的なものと至高のものとの間で
不思議な愛敬を振りまきながらアメリカ人はアメリカ人ではない
ただの年老いた人間なのだ
彼らはやって来る
道を歩き 横切るその姿は
典型的なアメリカ人だアメリカ人は 何かが失われたと感じている
何かが壊れてしまった
今も壊れ続けているのだ