From 2003-06-17(火)
To 2003-06-26(木)
この杯を受けてくれ
どうぞなみなみ注がしておくれ
花に嵐のたとえもあるぞ
さよならだけが人生だ
井伏鱒二の訳詩で有名な唐(618-907)の于武陵[うぶりょう](810-?) が作った「勧酒」と題する五言絶句
勧君金屈卮
満酌不須辞
花発多風雨
人生足別離
政府税制調査会の中期答申の場当たり主義にあきれ果て、同じく話題の医薬品の小売店販売の副作用の怖さは税調の方が深刻と物申したくもなる。
さよならだけが人生だ
金色夜叉のお歴々に手向けてみたとて糠に釘なんだろうなぁ。
「さよならだけが人生だ」を座右の銘にした映画監督・川島雄三。右手、右脚が不自由で、小児麻痺と言われていたけれど、今村昌平の調査の結果、近親婚の積み重ねから来たある種の劣勢遺伝的進行性筋萎縮症だったとか。
川島雄三さんは作られた映画の中に必ず厠、便所、トイレを映しだした人。どんなに気取ったところで人間にとって厠、便所、トイレは必需品ですからね。
「背伸びして ミューズの蹠(あしうら)を くすぐらん」
「贅沢は素敵だ」
こんな言葉を好んでいたとか。
作風はダンディで、シャイで、孤独で、狷介不覊(頑固者とでもいいましょうか)。
同棲した女性が妊娠した時、断固として産む事を許さなかった逸話もあるそうです。
これが川島雄三さんの代表作かなと思います。
川島雄三さんのお弟子が今村昌平で、その弟子が原一男。脈々とその人間描写は引き継がれているようですが、僕は川島雄三さんの描き方が一番好きかなと思っています。
門下生には藤本義一もおり、『生きいそぎの記』(『川島雄三、サヨナラだけが人生だ』収録)は川島雄三さんを描いたもの。今村昌平編の『サヨナラだけが人生だ・映画監督川島雄三の一生』の扉の文字には「人間……生きて行くと云う事は悲しいことです。恥ずかしいことです」と記されてます。他に著作『花に嵐の映画もあるぞ』もあるとか。
1963年6月11日朝、心臓衰弱にて45歳で急死。
読み進み、江戸末期から明治、大正とたどり着きましたが、春兆さんはやはり文学系を得意としてらっしゃいますね。そして、昭和になると身近な話題とした筆に変わっても来る。
大正俳壇の富田木歩と新井声風の話は泣けます。
木歩最後の日、大正12年9月1日。関東地方が未曾有の大地震に襲われ、東京の下町一帯が火の海となった日も、二人は最後の最後まで行動を共にすることになる。地震発生直後、実家の安全を確認した声風は、友の身を案じて直ちに浅草から向島へ駈けた。妹たちの手で辛うじて家の近くの空き地まで運び出されたものの、そこで途方に暮れていた木歩を探し当て、兵児帯(へこおび)で背中に括り付けて、ともかく火の来ない方へと逃げ始めた。だが、行く先々に新しい火の手が上がり、浅草方面に渡る橋も焼け落ちているらしい。大の男の声風にしても疲れてくるのは当然だった。妹たちを先に行かせて暫く、声風は川の土手の上に木歩を降ろした。木歩に食い込んでいた兵児帯は容易に離れなかった。一服する間もなく、危険はそこにも迫っていた。土手に逃げた人々の荷物が火の粉を浴び、煙を上げ始めたのだ。凄まじい熱気と人々の悲鳴。いよいよの時が迫っていた。"もういい、十分だ。俺を置いて逃げろ、逃げてくれ"木歩の瞳が必死に訴えていた。万感の思いで握手を交わして、声風は川へ身をおどらせた。ようやく泳ぎ着いた声風が振り返った土手には巨大な火の帯が走り、一瞬の後死の世界と化した土手に動くものは何一つ無かった……。
先日(2003年6月19日)「国家公務員官舎」についての特集を放送していました。「国家公務員官舎」に何故みなし所得は加算適用されないのか。
土地勘なくよく判らないけど、番組では千鳥ヶ淵で相場賃貸料12万円と安く見積もり、「国家公務員官舎」賃貸料6万円はみなし所得査定しなくていいとなっているとかいうもので、これって、「脱税」だろうと言うのが番組内容。
そのからくりを聞いていて障碍年金等の国民年金や生活保護の給付基準金額って、意図的に低く算定された「賃貸料」を基準としているのかなとゲスの勘ぐりしたくもなりましたが、実のところ、給付基準金額は何を基準にしているのでしょうか?
まさか「脱税」と「弱い物いじめ」ワンセットじゃないですよね?
観てきましたよ。
みんなが無理せず、一緒に生きる。
本来の生活、仕事ってこうなんだろうなぁって思いました。こんなライフスタイルで生活維持さえ出来れば最高ですね。
そんな「ぴぐれっと」も組織が大きくなる悩みを抱えているらしい。
参加者達が親がいなくても生きていける環境作りを「ぴぐれっと」を作られた伊勢さんの姉(姪が奈緒ちゃん)世代から伊勢さんの甥記一くん(姉が奈緒ちゃん)世代へ引き継ぐ事により少しづつ、切り開こうとする。
そして、「ぴぐれっと」は「えんとこ」のように誰もが参加者達から元気を貰える場。
生活維持のためのお金の苦労をしなくて良い社会があればもっとみんなが幸せになれるのになぁ。そんな事をふと思ってしまいました。
贅沢に暮らしたい人、金儲けをしたい人は競争社会で働けばいい事だし。
(ゆとりから生まれる文化活動も含んで)
それでは困るのは誰なのでしょうね?
藤山直美主演の阪神大震災の時の尼崎の事件を題材にした映画。
母が死に、自閉気味の姉が妹を殺し、逃走続ける。何度も死のうとするがその度に周りの誰かが死に、警察に捕まりたくない一心でまた逃げる。
ラブホテルの店長、やくざ、リストラされ会社を強請るサラリーマン
この映画、気にはなっていたけれど、ばたくさい印象あり、ちょっと避けていた。
「許してもらわんくてもいい」
藤山直美演じる女性は例えば今村昌平監督の「にっぽん昆虫記」(1963年作品)の左幸子、同監督の「赤い殺意」(1964年作品)の春川ますみ、勅使河原宏監督の「砂の女」(1964年作品)の岸田今日子、そして、柳町光男監督の「十九歳の地図」(1979年作品)の沖山秀子
バイタリティ溢れる日本の女達を思い起こすけれども、男たちが高度成長やバブルに翻弄されていた時代に比べ、疲れ切った男たちの女神になってしまっている。
日本って、中流化社会と言われ、「幸せボケ」と言われているけれども一皮むけば精神的飢餓状態、中流化社会から落ちこぼれないように必死で生きているんじゃないかと思えても来る。
だから、映画の中でやくざの豊川悦司が
「あんた見てると劣等感丸出しで腹立って来るんだよ」
このようなセリフも飛び出してくる。
所得倍増のおとぎ話の結末は落ちこぼれないよう生きている。自分たちが中流化社会にいる幻想を棄てた方がいいのではないだろうか?
今の日本は中流化社会ではなく、文化面に力を入れず、福祉施策も場当たり的な、物だけ溢れた貧しい社会なのだと。
テレビのローカルワイドショウで「少子化対策法案」について異議申し立てやってました。
子供を産み育てられる社会を考えずに「子を産め」とはなんぞや。
ここでふと思い出したのが小松左京『日本沈没』。森谷司郎監督の映画版なんてのもありましたっけ。
日本が沈没してなくなる時、国の首脳達は我先に海外移住の場を探し求める。
もしかして、この国の首脳達は国民の多数は財界諸氏であり、サラリーマンは少数だと考えているのではないだろうか?それならば「産めよ、増やせよ」を財界諸氏に言って貰いたいものだ。
財界諸氏に「人を産み、育てる」発想はないだろうけど。(笑)
高き屋にのぼりて見れば煙(けぶり)立つ民のかまどもにぎはひにけり
食て寝て起きてまた食べて 同じ事して死んでいく
人の命の常命は 鯨尺でもメートルでも
測る長さに変わりはないが
通り相場で八十年 よしや百まで生きたとて
中風で手足が自由にならぬ
入れ歯でこうこ(つけもの)を噛むようじゃ
恋も未練もなんのその
落ち着く先は三途の川のステーション
乗り換えなしの特急で片道限りで
往復切符が間に合わぬ
長い浮世に短い命 始末始末で金貯めて
財産税に取られるよりも
年に一度か二度三度 桜川唯丸でも呼んできて
江州音頭でも聴く方が これがこの世の極楽じゃ
命短し 恋せよ 乙女(笑)