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ECサイトのお勧め商品カタログ|映画好きのBS/CSガイド

C.Q. C.Q.

From 2005-01-06(木)
To 2005-02-05(土)

C.Q. C.Q......C.Q. C.Q.......
だれかいますか、だれかいますか、だれかいますか、どこかに
だれかいますか、生きていますか、聞こえていますか

中島みゆき「C.Q.」
[アルバム『歌でしか言えない』(1991年作品収録)]

酉年生まれ

酉年生まれ943万人人口比

この数値、怖い。
バーチャル政治、バーチャル経済、バーチャル行政、やってていいの?

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リメンバー・ミー

キム・ジョングォンリメンバー・ミー』(2000年作品)


父母が僕らの歳、デモがあった。

アマチュア無線による時空を超えたラブ・ストーリー。恋が愛に変わり、人を思いやる仁に変わる。自分の出生秘話を知る事となる。

日本だと恩着せがましくなるんだろうなぁこんな話。日本のリメイク作『時の香り リメンバー・ミー』もあるらしいけど。1970年代後半の日本ってぬるま湯まっただ中、無理あるしょ。(笑)

企業論理優先で何もかも壊しまくった日本が見失ったものを観る思いで韓流を見ているのですが、どうも映画批評サイトでは団塊の世代とおぼしき人が「民族意識も上だし、活きた英語教育も浸透していて」と韓国コンプレックス表明したりして、屈折批評も多い。

国事に殉じた者の霊と空襲、原爆で殉じた者の霊と強制連行されて殉じた者の霊と、死んでなお分けて考えたがるお国だから仕方ないのかな。

ヒロシマですら被爆差別があった国だしね。

この国の呪縛はいつなくなるのだろう?

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少年地図

柴崎昭雄句集 少年地図


よく行くサウナに今日、背中一面にタトゥーの兄ちゃんたち。店員に見つかり、ぶつくさ言いながら、帰り支度。

夕方、テレビのニュースで明日1月7日から札幌で日教組大会とか。これの嫌がらせに闇社会の闇のボスに頼まれて来てるのね。

蛍点滅父も少年われも少年

ダブルクリックされて振り向いている僕

錠剤を飲み込む喉のサンバかよ

月下にて泣けぬ男の阿波踊り

くしゃみまで父に似てくる影もろともに

青森県に住む友人で、サイト「木馬館」を主催されている柴崎昭雄さんが最近出版された『句集 少年地図』より、好きなものを。

俺は力のかぎりに
親父に刃向かいつづけ
彼の弱さ醜さを
死んだ後も許せずに
ある日鏡の向こうに
親父と似た俺を見た
やっとこの歳になって
彼を愛し始めたか

ジェームス・ディーンにはなれなかったけれど
生き続けることができてよかった

岡林信康「ジェームス・ディーンにはなれなかったけれど」より
(USENの音楽ダウンロードサービス『OnGen』試聴購入可能)

男のこだわりってやつは皆一緒なのかなと。

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ボウリング・フォー・コロンバイン

マイケル・ムーアボウリング・フォー・コロンバイン』(2002年作品)


銃社会であるアメリカ合衆国は世界一の殺人社会でもある。だから、「銃が必要」という堂々巡り。

映画はアメリカの歴史、他国との比較を並べ立て、1999年にコロンバイン高校で起きた銃乱射事件を考察していく。

1938年、オーソン・ウェルズのH・G・ウェルズ原作『宇宙戦争』のラジオ・ドラマで全米が大パニックになり、本当に火星人が襲ってくると脅えるほど、合衆国国民は脅えの歴史を抱えている。それを煽り、発展していった経済界。

有色人種弾圧のKKK(Ku Klux Klan/クー・クラックス・クラン)とNRA(National Rifle Association of America/全米ライフル協会)の設立が奇しくもほぼ同時期である話。銃保持では合衆国と負けず劣らずのカナダが殺人社会にならない点として、貧困対策に力を入れている描写。

合衆国の力の論理が経済の論理にマッチし、貧富を保持するための銃社会が浮かび上がってくる。

コロンバイン高校の事件を起こした生徒は事件前、ボウリングをしていた。ボウリングのピンを倒すように銃乱射事件を起こした。

脅える街で、NRAは銃の必要性を説く大会を開く。

脅えは金になる。貧困を増し、脅えを助長させれば、合衆国は富み栄える。

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ヴェロー

楽園の災害


仮設住宅への入居を我慢する人も出てきました。
仮設住宅に入ると自宅の解体、撤去などの費用が支給されない場合があるからです。

災害関連のメーリングリストで知った新潟県中越地震の実情。とある参議院議員サイトにも書かれてありました。

アメリカのマスコミ風にいえば、「日本政府、新潟県はケチで甲斐性なし」とでもなりますか。

そして、それを騒ぐべき役目のマスコミは中越地震からスマトラ島沖地震、津波被害へ重きを変え、募金集めを声高らかに流しているからなおたちが悪い。

スマトラ島沖地震に関しては一庶民の募金が現地の個々人を支援出来るはずもなく、被災地で活動する支援団体への募金なのに、と思い、これらの行動に辟易してもいます。

うちのサイトでもクリック募金へのリンクを一部張ったけど、日銭に悩む僕としては企業に募金を託したい気持ちから張ったもの。

インド洋諸国は侵略により、良くも悪くも異文化コミュニケーションが発達した文化先進地でもあり、地球環境で人間が生息出来る源を生み出す土地。

インドネシアの世界最古のポップス、クロンチョン始め、マレイシアのイナン、ザビン。スリランカのバイラ。インド東海岸ゴヤのコンカニ。セイシャルのカムトル。誰もが手軽に楽しめる音楽で、これだけの芳醇なものがあり、ポルトガル、フランスに影響された音色を楽しめる。

ユニセフ赤十字はおそらくは判っているだろうけど、資本先進国のリゾート目当てでの自然破壊に進まなければいいのだけれどと思っています。

地上の楽園をコンクリート・ジャングルにしてしまったら、我々の吸っている空気の汚染は加速するでしょう。

肩書き依存の「老害」進む資本先進国はインド洋諸国、中南米諸国等の文化先進国の「先人」への畏敬、「後人」への援護を判らないから、混沌となり、殺伐となる。

男どもが その腐った権力を行使している間に
飢えや怒りや乾きのせいで 死んだり殺したりすることが
どれほど自然な行為であることか

カエターノ・ヴェローゾ
「ポードゥリス・ポデーリス(腐った権力)」より
ヴェロー』(1984年作品)収録

クリック募金サイト:

阪神大震災10年目の日の追記 : 現地では「金だけではなく人が欲しい」「金で人は救えない。人手が人を救う」との声。

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フィッシャー・キング

テリー・ギリアムフィッシャー・キング』(1991年作品)


強がりのDJが吐いた一言から巻き起こった殺人事件。その巻き添えに妻を殺された男は精神錯乱を起こし、地位も名誉も失い、ホームレスになっていた。DJは事件後、酒におぼれ、職を投げ出してしまう。

そんな二人が出会ったのはホームレス狩りの現場。酔いつぶれたDJがあわや殺されかけるところを男は救う。奇妙な関係の二人のおとぎ話はこうして始まる。

ゲスト出演のトム・ウェイツが車いすのものもらい役で出てきてつぶやく話。

毎朝、恵んでくれるあいつは朝から晩まで8時間、拘束されて、上司の言いなりになっていて、いったい俺の人生はなんなのか疑問を感じている。ある日、上司がケツを出し、「俺の尻をなめろ」と命令する。彼は殴り倒したい気持ちを持つが、その時、思い浮かべるのは俺の事。俺は赤信号みたいなものさ。

愛を奪われた者は愛を得そうになった時、奪われる恐怖に脅える。マンハッタンのど真ん中の公園で素っ裸になって、夜空を見上げる事は不自然なようでもっとも自然な行為。人間らしさを見失ったところに我々は暮らしている。

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12人の優しい日本人

中原俊12人の優しい日本人』(1991年作品)


昨今話題になった陪審員制度導入。『12人の優しい日本人』は「もしも日本に陪審員制度があったら」と仮定した物語。

無関心、投げやり、思いこみ、集まった12人は「人ごとの犯罪」の評決を早く済ます事ばかり考え、一旦は全員無罪一致の評決を下すけれども、それに納得出来ないひとりが「有罪」にひるがえる事で、話し合いは始まる。

話し合いが苦手で力の論理に頼りたがる日本人が「司法参加」し、「合理的判断」が可能なのか。二転三転していくうちに公私混同している人だったり、「長いものに巻かれろ」式の人だったり。

映画の中で「話し合いませんか」という言葉が何度も出てきますが、今の日本人に欠けているものは「話し合いませんか」なのかも知れない。「盗人にも三分の理」的な論法が西洋の民主主義と互角で、人権意識なのかは僕には判りませんが、選挙が終わればなし崩しに事を進めようとする御上意識よりは「話し合いませんか」の方が遙かに民主主義であるわけで、徒党組む事が民主主義と誤解しているよりは、「袖振り合うも多生の縁」の方が優しい日本人であるようにも思う。

裁判員制度ってものが理解できない人、日本人に希望を持ちたいあなたにお勧めの一本です。

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八紘一宇

お偉い方々の無知開き直りはますますひどくなるようで、信じるものは救われると思いこんでいるマインドコントロールされた方々の発言がファシスト化しているような。

敵は強国である/七つの海を支配し/世界の富を独占し/
人類最高の文化を誇っている国々だ/
地球は彼等のために存在すると確信している国々だ/
有色人種は人間と動物との中間にあると信じている国々だ/
而うして/実を申せば/残念ながら/
彼等の己惚れにも道理があったのだ/だだっ広い東洋は/
太古から深いねむりが未ださめず/
無智蒙昧の生活を続けて来たのだ/
東洋の先覚者、日本と雖も/
眼がさめてから百年にしかならない/
そして、その百年の文明も/まだ欧米模倣の域を脱せず/
況んやその他の国々は/大家に飼われている犬の如く/
アングロサクソンの情けにすがり/その文明の残飯を貰って/
彼等を世界の主人とあがめ/自分の土地の公園に/
「犬と支那人入るべからず」と立札されても/
侮辱されたとも思わなかったのだ

正木ひろし「戦争はまだ始まったばかりだ」
1941(昭和16)年12月9日付より

世界戦争となった/もう理屈を言う者はない/
勝てば世界の指導国となり/
負ければ英米の奴隷国となる/
最高の道徳は勝つことであり/
最大の罪悪は負けることである/
敵を欺き、敵を苦しめ、敵を殱滅すること/
それが最善の善である

新しい統一の原理となろう/
八紘一宇は未だ標語の域を出ない/
全人類が共鳴追従する大思想大文化が必要だ/
日本人よ/小さく固まるな/
天照大神の/博大、仁慈、向上の大御心を知れ/
それが日本の伝統であり/日本国体の精華である/
日本人よ/先づ何よりも島国根性を捨てよ/
島国根性は八紘を化して陋屋(ろうや)となす/
そこには日本人すら快く住めない/
日本人よ/日本文化をして/
名実共に世界最高の指導文化たららしめよ

正木ひろし「世界を統一するもの」
1941(昭和16)年12月15日付より

素晴らしい理念も卑しき島国根性の三国人思想で醜いおこないをまかり通させ、更にはつじつま合わせの60年だったような。

モンゴリアンのプライドを捨て去り、脱亜入欧目指すも、従軍慰安婦のみならず、からゆきさんも語られなくなり、「自己責任」やらで人権すら忘れ去れている。

今の20代が親父、小母さんになる頃は半減して、1億人を切るとも言われている日本人。太陽族の無責任さを引き継いで、恨まれるのが落ちと判らないのだろうか?

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カランジル

ヘクトール・バベンコカランジル』(2003年作品)


先進国とは違い、人種差別、部落差別が少ない南米にアメリカ植民地政策による軍事政権が次々と生まれたのは1960年代。貧しい国情にお金の豊かさを押し与え、貧富を生み出していった。

スラム街に住むストリート・チルドレンたちの30年にわたる抗争を描いた『シティ・オブ・ゴッド』(フェルナンド・メイレレス監督2002年作品)ではまだ幼い10歳にも満たない子供らが悪さをするとストリート・ギャングになった10代の少年が子供らの手足に銃を撃ち、かたわにさせ、敵を未然に潰す社会の掟が描かれ、出し抜く事が生きる事である現実を描き出していたけれど、『蜘蛛女のキス』(原作:マヌエル プイグ)の監督、ヘクトール・バベンコの新作は定員4,000人の刑務所に倍近くの7,500人あまりを収容していた南米最大の刑務所、カランジル刑務所で1992年に111人が射殺された暴動を描いている。

1985年、民主化されたブラジルの根元的問題は貧富の差における犯罪であり、受刑者の生活の場の問題が取り組まれ続け、この原作の作者もカランジル刑務所で蔓延し始めたエイズ治療や衛生面での指導にあたった医師。

些細な痴話げんかで人を殺した者、金品強奪で受刑した者、刑務所内で知り合い、同性結婚を挙げる者。面会に来た二人の女性の板挟みになる者。受刑者たちの自主性を重んじ、ひとつの街にも似た社会がそこにはあった。

そんなある日、些細な諍いからの暴動。軍隊の介入を拒む刑務所所長の言葉に受刑者たちは隠し持っていた武器を投げ捨て、白旗を振る。

その後、惨殺は行われ、生き残った者は全裸でグラウンドに一昼夜座らされた。廊下を流れる血の川は階段で滝となる。

「犯罪者を狭い空間に押し込めれば、自衛本能からコミュニケーションは生まれる」

仮説を覆された権力は暴力を行使する。

「一つの殺人は悪漢を生み、100万の殺人は英雄を生む」

チャールズ・チャップリン殺人狂時代』(1947年作品)

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フェラ・クティ 戦うアフロ・ビートの伝説

フェラ・クティの伝説


「この世の地獄を忘れるな」

アウシュビッツ60周年追悼の辞とか。
アウシュビッツ以前から現在に至っても、「アウシュビッツ」である事柄はあるでしょう。スマトラ沖地震の大規模な募金キャンペーンで忘れ去られたアフリカ飢餓。今の異常気象のルーツともいうべき、植民地政策で名産品ばかり作らされ、枯れ果てた大地。

生涯絶対自由主義を貫き、ネオ植民地主義者から弾圧され続け、屈しなかった男フェラ・クティ。最近、エイズ救済関連でスポットあたり、60枚近くのLP音源がCD復刻されたのを機に、その伝説を綴った本『フェラ・クティ 戦うアフロ・ビートの伝説』を読み始めています。

V.I.P.、この言葉は、特別な権力を持っているとか、
あるいは当人が特別な人間であるとか、そんな意味じゃない。

荷車人夫は自分自身に対して権力を持っている、
どこにおいても。
バスの運転手は自分のバスに対して権力を持っている、
どこにおいても。
ピジネスマンは従業員に対して権力を持っている、
どこにおいても。
カラクタの大統領はカラクタに対して権力を持っている、
どこにおいても。
国家元首は自分の国に対して権力を持っている、
どこにおいても。

お偉方は権力を握っているからって、
人々を欺いていいのかい?
わからない。
お偉方は権力を持っているからって、
ナンセンスなことを喋っていいのかい?
権力の座についている人間は、
金を盗んでもいいって言うのかい?
なぜだ?わからない、
じゃあ、おまえは何もわかってないんだな。

試してみるがいい。
権力者は腹をへらした者のことなど知りはしない。
権力者には失業者の姿など見えはしない。
権力者は人々の苦しみなど気にはしない。
奴らはきれいな自動車に乗って、
いいものをたらふく食べて、豪邸に住んでいるんだ。
奴らが外出するときは、道路が封鎖され、
人も車も路上から追いだされる。
権力を握ったならず者たち。
奴らは権力の座に着いたならず者たちだ。

「V.I.P.(Vagabonds in Power)」
(アルバム 『V.I.P.』(1979年作品)より)

パン・アフリカンの実現を訴え、ネオ植民地主義の政府をやじり、大統領選にも出馬、共鳴者とカラクタ共和国なる共同体を築くけれども、巨大化していくカラクタ共和国への国軍による襲撃、暴行、母親の虐待による死、弾劾裁判と執拗にフェラは弾圧され続ける。

時は飢餓問題で世界から注目集めたビアフラ戦争後のナイジェリア。

前進、殺せ!
前進、死ね!
ケツを広げろ!敬礼!整列!解散!

「Zombie」
(アルバム 『ゾンビー』(1976年作品)より)

ネオ植民地主義者たちの言いなりに盲目的に動き回る思考停止しただらしない兵士たちをヴゥードゥ教の死んでもなお襲いかかるゾンビーにたとえ、こき下ろす。

その昔、奴らがアフリカ人を奴隷にする前のこと、
アフリカ人は糞を運んだりしなかった。
それは奴らの文化であり、奴らが俺たちに押しつけたんだ

「I.T.T.(International Thief Thief)」
(アルバム 『I.T.T.』(1979年作品)より)

1997年8月2日、アフリカ起源と因縁つけられたエイズで死亡。直接の死因は数え切れない拷問の後遺症などとの合併症に苦しんだ末の心臓麻痺。享年58歳。

文化先進地の悲劇を同情として捉え続けているとそのツケが人類存亡にまで波及すると思うのだけど。有り余る資本を投資する先は資本社会の恩恵から除外された世界であり、それが人類延命に繋がるのにね。

フェラ・クティお勧めは代表盤『ゾンビー』(1976年作品)。ベスト仕様の『ザ・トゥー・サイズ・オブ・フェラ』。ベスト2枚とドキュメントDVDカップリングの『ザ・ベスト・オブ・フェラ・クティ』といったところ。

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世間のウソ

緑の防波堤


ベストセラーとなった『バカの壁』(養老孟司氏 著作)を超えるのじゃないかと言われているらしい『世間のウソ』(日垣隆氏 著作)。

先日、新聞コラムに書かれていた日垣氏の文章を読み、興味惹かれるところで、例えば「インド洋岸諸国では地震学者すら津波を知らない」なる日本の東大地震研究所はじめとする有識者の発言はインド洋岸諸国に対する偏見、優越感から出た「ウソ」で、それをまともに取り上げるマスコミの偏見助長は一時の優越感を満たすのみで、将来的に日本にとってプラスになるのだろうかと考えさせられました。

新聞コラムで言っていけば、リゾート化されておらず、自然を乱開発していない地区での津波被害は少なく、珊瑚や海底森林などが「緑の防波堤」の役割を果たしていたという世界自然保護基金(WWF)の報告記事もあり、こちらをマスコミ各位は大きく取り上げて欲しいもの。

報道の自由が有識者にこびる事としてしまうならば、本来大切なものを見失う事。一時の報酬目当てを「報道の自由」と言う事は自身の「緑の防波堤」を破壊する事であり、情報を糧とする民衆をも心中に導くもの。

日垣隆氏のサイトで曰く、
世論 - 新聞社だけが「ある」と思っているステレオタイプな集計のこと。

マスメディアが見栄えにこだわり、情報の信憑性を軽視する事が日本を駄目にしていっているように思うのですが。

「マネー・ゲーム」の最低のルール、「緑の防波堤」を守り抜く。

国民の質の高さこそが、その国を偉大で重要なものとするのだ。ほんの少しの人々が偉大であっても、残りの国民がそうでないなら、十分とは言えない。私はこうしてここに座って、あっちではあのアフリカ人がこんな素晴らしい事をした。こっちでは違うアフリカ人が偉大な仕事を成し遂げた。という知らせを耳にしたいんだ。それが私の望みなんだ。

フェラ・クティフェラ・クティ 戦うアフロ・ビートの伝説』より

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呪縛

フェラ・クティフェラ・クティ 戦うアフロ・ビートの伝説』を読み終え、西洋文明と闘う心のよりどころをアフリカ呪術に盲目的に求めたフェラ・クティの晩年は痛々しい気がしました。

長い間、俺は新曲を作っていない。
多くの人がどうしてかと尋ねる。
でも、もうあんた方を喜ばせたくないとか、
あんた方の思考を導く歌を歌いたくないとか、
そんな事ではないんだ。

ただ、眺めていたい、それだけだ。
こうして座って、大笑いしている。
その方がいいんだ。

いま我々の目の前で起きている事。
それを眺めて笑っていた方がマシさ。

「Look and Laugh」
(アルバム 『Teacher Don't Teach Me Nonsense』(1986年作品)より)

西洋文明とともにアフリカ文明の過ちをも考察出来れば、もっと別な結論が見いだせたのかもと思っています。

晩年、自らエイズという事を知らずに、「新鮮な肉を食べているのだから、エイズになるはずがない」と固く信じ、未発表ながら「コンドームを使うな」という歌まで作ったというフェラ・クティ。

彼をそこまで追いつめたのは巧みに仕組まれた西洋文明の呪縛であり、因習と西洋文明のタックルなのでしょう。

現代、臨床医学でも漢方と西洋医学のよい点を合わせる試みがあるように学問も西洋文明一辺倒ではなく、因習から学ぶべき点を見いだすべきなのではないでしょうか。あるいは因習と西洋文明の類似点を洗い出し、排斥するような考察が必要なのだろうなぁと思っています。

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徒然なるままに : 過去記事 2005-01-06 掲載 2005-02-05加筆
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