From 2003-05-17(土)
To 2003-06-07(土)
このところ評判のイラン映画を何本かビデオで観ました。
映像は美しく、アフガンの人のすさみ具合もよく判る。けれども、物語の核となる姉がカンダハールにいる妹を救いに行く話は語られず。
これならばアフガンの名誉に欠けて自転車をこぎつづれる『サイクリスト』(1989年作品)の方がまだ映画になっている。
予算の都合上、どこで切り上げるか語られたそうだけれど、主人公が実際にジャーナリストであるだけあって問題意識が先行してしまっている気もする。
松葉杖の群衆がうごめくシーンは圧巻だけれども、義足を偽って赤十字から貰い、商売しようとする民の心理にこそ映画の主題は向けられるべきだったかも。
彼の地に必要なものは「教育」ではない。
先進国の浅知恵を彼の地の民は身に付けたが故に「騙し合い」「裏切り」「略奪」は横行する。
映画でも語られるように抽象的すぎるけれども彼の地に必要なものは今の日本に必要なもの。
「希望」「自信」のような気がする。
「宿題」に関するドキュメントで当の子供、親にインタビューするもの。
「フセインを殺せ」という学校集会が映し出されるイラン・イラク戦争当時。
ほとんど文盲の親たち、「宿題」を背負わされる子供達。教育制度が二転三転し、教えられぬ兄姉。
日本と同じ詰め込み教育なんだなぁと思いもしましたが、多国生活経験ある親が欧米の「宿題」に追われるのではなく、創造性を養う教育を見習うべきとの意見も、日本の教育制度が厳しいしつけ教育だというくだりに来るとイランの人の他国の教育への価値観なのだと思い、そうではなく、イランと同じ詰め込みなんですよと言いたくもなる。
映画は「魚を釣って与えるのではなく、釣り方を教えるべき」の言葉に象徴されるように「教育」ではなく「自信」「希望」を与えるべきと締めくくっているように感じます。
ラスト、カメラを怖がる子供が歌う宗教歌は「子供は神の恵みである」と歌われ、締めくくられます。
同じアッバス・キアロスタミ監督『桜桃の味』(1997年作品)で「身近な人を傷つけるより、自殺した方がいい」とまで言う自殺願望の男に「桜桃の味を忘れたか」と問いかける人の優しさ、今の社会に求められているのかも知れません。
同時期に観た大好きなギリシャの監督テオ・アンゲロプロス『永遠と一日』(1998年作品)に描かれるイデオロギー闘争が消滅し、イデオロギーに虐げられていた民族闘争が激化する中、価値観見失いさすらう現代のような雰囲気が世界を覆っているのですから。
「明日の時間の長さは?」
「永遠と一日」
ブラジル社会中流化によるストリートチルドレン虐殺の世相の中歌われた曲だとか。[アルバム『トロピカリア 2』(1993年作品)収録]
悲しみは気高い女王
サンバがサンバであったときから
黒い肌に流れる澄んだ涙
そこには雨が降っている夜がある
孤独に驚かされる
すべてのことがあんなにダメなまま
けれど何かが起こる
私の中で
私は悲しみが消えてしまうようにと歌う
サンバは今でも生まれている
サンバはまだ終わっていない
サンバは死にはしない
ごらん、日はまだ昇っていない
サンバは喜びの父
サンバは痛みの息子
何かを変える偉大な力