病
月刊誌「シナリオ」誌1981年第6回ショートシナリオコンクール入選作品
吃音治療院 教室
- 扇風機が回っている。
- 外からは強い日差し。
- −−夏
- 教壇では講師が「話す心得」を話している。
- 講師の話を熱心に聞く治療生達。
- 老いた者から学生にいたるまで様々である。
- その最前列の中に、治(15)、座っている。
- 講師の話が終わる。
- それまで平静を保っていた治、急に落ち付かなくなる。
- 講師
- 「それじゃ、前の列から出て来て、自己紹介して」
- その声に、最前列の治療生達、壇上に上がっていく。
- 治、遅れて立ち上がり、左端に立つ。
- 講師
- 「(治に)君からやって」
- 治、急な名指しに、緊張度が強くなる。
- 講師
- 「(そんな治に)早く出なさい」
- 治、頷く。
- 教壇に立つ。
- 足が震える。
- 熱心に聞こうとする治療生達。
- その静寂。
- 治、緊張度がますます強まる。
- 講師
- 「(優しく)吃ってもいいから、自己紹介して」
- 治、頷く。
- 講師、言葉とは裏腹にじれったくなる。
- 治
- 「……ボ……ボクハ……」
- 講師
- 「ゆっくりとね」
- 言葉はあくまでも優しい。
- 治
- 「……ホ…ッカイドドウカラ……キタ……」
- 講師、しきりに時間を気にしだす。
- 治、さらに吃る。
- それはもう言葉ではない。
- 吃りは体を激しく動かせている。
- 熱心に聞いていた治療生達も、そんな治の姿に目を背ける。
同 廊下
- 治療生達のロッカーが並んでいる。
- 治、出てくる。
- 通いの治療生は帰り仕度を、寮の治療生も外出の仕度をしている。
- 治、帰り仕度を始める。
- 高校生、出て来る。
- 高校生
- 「(治に)大分よくなったな」
- 治、振り返る。
- 高校生
- 「(仕度をしながら)帰るのか?」
- 治、頷く。
- 高校生
- 「新宿行かないか?」
- 治、キョトンとしている。
- 高校生
- 「練習」
- 治、その言葉に嬉しげな顔。
- 高校生
- 「おじさん家、遅くなってもいいんだろ?」
- 治、頷く。
- 高校生
- 「じゃ、練習行こ」
- 二人、出ていく。
新宿駅前
- 二人、出てくる。
- 帰りを急ぐサラリーマン達、歩いている。
- 高校生、サラリーマンを呼び止める。
- 治、少し離れて見ている。
- 高校生
- 「……ジジジ」
- サラリーマン、不審気に高校生を見、歩き去る。
- 高校生の目頭に、悔し涙が溢れるが、涙を拭き、次の話し相手を捜す。
- 治、自分もやろうと、周りを見回すが人の波に押され、何も出来ず、立ちつくす。
- 高校生、OL風の女性に声を掛ける。
- OL、立ち止まる。
- 高校生
- 「ジジングウ……ガガガイエンハ……」
- OL、蔑視の目で高校生を見、歩き去る。
- 高校生、うつむく。
- −−泣いている。
- 治、近付く。
- 高校生
- 「(治に)お前とならしゃべれるのにな」
- 治、泣く高校生に、声を掛けられない。
- 高校生、涙を拭く。
- 治
- 「(ポツリと)帰ろ」
- 高校生、悔しげに、頷く。
- 二人、駅に戻っていく。
新宿駅
- 切符売場前
- 駅員が立っている。
- 高校生、治の背を突っつく。
- それまで平静を保っていた治、緊張する。
- 高校生
- 「(小声で)行け」
- 治、頷く。
- 駅員の前に行く。
- 治
- 「(小声で)ス……ミマセン」
- 駅員、振り向く。
- 治
- 「キ、キップハ……」
- 駅員
- 「(ろくに聞かず)販売機で買って」
- 治、頭を下げる。
- 戻ってくる。
- 高校生
- 「どうだった?」
- 治
- 「(嬉しげに)言えた」
- 高校生
- 「よかったな」
- 治、頷く。
- 高校生、どこか寂しげである。
- 治
- 「(それに気付かず)じゃ、買ってくる」
- 高校生、作り笑いで頷く。
- 治、販売機で切符を買う。
- 治
- 「(独り言)成城一枚」
- 嬉しげな顔。
- 治、切符を手に、戻ってくる。
- 高校生がいない。
- 治、高校生を探す。
- 通りがかりの女学生に声を掛ける。
- 女学生
- 「?」
- 治
- 「ココデ、ガガクセイフフウノオオ……トコノヒト、ミミミマセンデシタカ?」
- 女学生、熱心に治の言葉を聞く。
- 治、言い終える。
- 女学生
- 「山手線の改札口の方へ行ったわよ」
- 治
- 「ドウモ」
- 頭を下げる。
- 女学生、にこやかに、頭を下げる。
- 治、走っていく。
- 女学生、連れの仲間と顔を見合わせ、笑う。
- 山手線の改札口に、高校生、いる。
- 駅員に何か尋ねている。
- 駅員、じれる。
- 治、走ってくる。
- 高校生、治に気付く。
- 治、追いつく。
- 高校生、慌てて、改札口を通る。
- 治
- 「何で?」
- 高校生
- 「じゃな」
- ホームに走っていく。
走る電車
- その中に、治、座っている。
- 治
- 「(独り言)何で?」
イメージ
- 駅員に吃る高校生。
- Wって、
- 女学生に吃る治。
- Wって、
- 治、顔がほころぶ。
伯父のマンション
- 治、帰ってくる。
- 階段を昇り、伯父の家のチャイム、押す。
- 伯母、出てくる。
- 治
- 「(明るく)ただいま」
- 伯母
- 「お帰り」
- 何か浮かぬ顔。
- 治
- 「ダ、大分、ド、吃らなくなったよ」
- 伯母、テーブルに座り込む。
- 治
- 「どうかしたの?」
- 伯母、治に何か言いかけるが、急に込み上げ、走り出し、トイレに入る。
- 治
- 「−−−」
- 号泣する伯母の声。
- 「治」
- 治、振り返る。
- 伯父が畳の上に座っている。
- 治
- 「あれ?会社は?」
- 伯父、言葉を探している。
- 治
- 「休み?」
- 伯父
- 「母さん、駄目だったらしいわ」
- 治
- 「?!」
- 伯父
- 「さっき父さんから電話で」
- 治、急に涙が流れてくる。
- 伯父
- 「北海道に帰るか?」
- 治、ひたすら泣く。
- 風鈴がリーンと鳴る。
- (F.O)
走る電車(翌日)
- 治と伯父が乗っている。
- 向かいには、母と同じ40代の女性が座っている。
- 二人の足元にはボストンバックが置かれている。
- 治、先ほどから、向かいの女性を見ている。
- 女性の横に、白い杖が置かれている。
- 伯父
- 「通夜には間に合うな」
- 治、頷く。
- 伯父
- 「生きてるうちに逢いたかったろ?」
- 治、首を振る。
- 伯父
- 「何で?」
- 治
- 「吃ってるも」
- 伯父
- 「?」
- 治
- 「約束したんだ、吃り、治すって」
- 伯父
- 「けど、大分よくなったろ」
- 治
- 「吃ってるも」
- 伯父
- 「強情なとこ、母さんにそっくりだな」
- 治
- 「母さん、死んでよかった」
- 伯父
- 「何で?」
- 向かいの女性、寝ている。
- 治
- 「吃ってる姿、見られたくないも」
- 女性の横にあった杖、電車の振動と共に、床に倒れ、転がっていく。
- 治、杖を拾う。
- 女性、杖を捜す。
- −−盲目である。
- 治、杖を手渡す。
- 女
- 「(頭を下げ)すみません」
- 治、微笑む。
- 電車が止まる。
- 女
- 「ここ、どこですか?」
- 治
- 「(吃って言葉にならない) 」
- 伯父「下北沢ですよ」
- 女
- 「ありがとうございました」
- 女性、杖を手に、急いで降りる。
- 治、女性を目で追う。
- 電車、動き出す。
- 治、寂しさに襲われ、床にへたりこむ。
- 伯父、慌てて、治を抱き起こす。
- 治、急に泣き出す。吃る事が悔しい。
新宿駅
- 治と伯父、ボストンバッグを持って歩いていく。
- 後ろから誰かが走ってくる。
- 治
- 「学院に知らせたの?」
- 伯父
- 「今朝電話した」
- 治
- 「どうも」
- 頭を下げる。
- 伯父
- 「何やってる。水くさい」
- 治の肩が叩かれる。
- 治、振り返る。
- 高校生、立っている。
- 治、立ち止まる。
- 伯父
- 「誰?」
- 治
- 「学院の」
- 高校生
- 「カァサン、亡くなったって?」
- 治
- 「(頷く)」
- 涙が溢れてくる。
- 高校生
- 「昨日、ご免な」
- 治、また泣き出す。
- 高校生
- 「お前がよくなっていくから憎らしくて」
- 治、泣きながら頷く。
- 高校生
- 「ご免な」
- 治
- 「コ、コ、コウギハ」
- 高校生
- 「許可貰ってきた」
- 笑う。
- 治も笑おうとする。
- 高校生
- 「練習しれよ、なぁ」
- 治、頷く。
- 高校生
- 「じゃな」
- 落ちたボストンバッグ、拾う。
- 治、受け取る。
- 高校生
- 「元気でな」
- 治、頷く。
- 伯父
- 「行くぞ」
- 治、伯父の後を追っていく。
- 高校生、いつまでも立っている。
- 振り返り、手を振る治。
- 高校生、笑いかける。
- 治と伯父の姿が見えなくなる。
- 高校生、通行人に話しかける。
- 通行人、立ち止まる。
- 高校生、吃りながら、何か聞いている。
- その姿も人ごみに溶け込み−−−
- おわり