1,村・町議会議員 |
戦前まで登栄床地区からは、村会議員は出ていなかった。
戦後の民主憲法により、男女同権となって婦人も選挙権を得て、戦後始めての選挙が昭和22年4月30日に行われ、登栄床地区より始めて佐藤富治、高須実の両名が立候補し見事当選した。
この時の議会議員は、26名であった。
以後登栄床地区からは、中番屋と三里より1名ずつ当選している。
平成5年現在
○ 佐藤 富治
16期 昭和22・4・30〜
17期 〃26・4・30〜
18期 〃30・4・30〜
19期 〃34・4・30〜
20期 〃38・4・30〜副議長
21期 〃42・4・30〜 〃
22期 〃46・4・30〜議 長
23期 〃50・4・30〜 〃
54・4 退任
昭和54年10月8日逝去69才
10月10日町葬執行(体育館)
○ 高須 実
16期 昭和22・4・30〜
17期 〃26・4・30〜
18期 〃30・4・30〜
19期 〃34・4・30〜
20期 〃38・4・30〜
21期 〃42・4・30〜
22期 〃46・4・30〜
23期 〃50・4・30〜
54・4 退任
昭和58年1月31日逝去76才
2月4日議会、漁協合同葬執行(生活改善センター)
○ 蛯沢 義雄
23期 昭和50・4・30〜
24期 〃54・4・30〜
25期 〃58・4・30〜
26期 〃62・4・30〜
27期 平成3・4・30〜現職
○ 斉藤 勇
24期 〃54・4・30〜
25期 〃58・4・30〜
26期 〃62・4・30〜
27期 平成3・4・30〜現職
|
2,民生児童委員 |
民生児童委員制度は、戦後生まれた制度で、それ以前は、方面委員制度により、生活困窮者や災害を受けたものの救済借置や捨て子保護、職業の紹介、不良行為防止など広範な任務であったが、名誉職のため報酬もなくて家業をなげうって任務を行うという報われない仕事であった。
しかしながらその傾向は現在も続いており、民生児童委員の手当は年間数万円という有様でこの為後任者の人選に苦労する状態が各地で起きている。そして福祉の時代で仕事も増え、役割も重要になってきている。
氏 名 |
期 間 |
摘 要 |
工藤 常治 |
昭和17・1月〜昭和20・12月 |
この期間は方面委員の名称であった |
山口民之助 |
昭和21・1月〜昭和28・11月 |
|
山口 章吾 |
昭和28・12月〜昭和33・6月 |
|
高須 実 |
昭和33・7月〜昭和34・11月 |
|
田部 武 |
昭和34・12月〜
〃38・12月〜
〃40・12月〜
〃42・12月〜
〃44・12月〜昭和46・11月 |
|
館岡 文治 |
昭和46・12月〜
〃48・12月〜
〃50・12月〜昭和52・11月 |
|
後藤 義男 |
昭和52・12月〜
〃54・12月〜
〃56・12月〜
〃58・12月〜
〃60・12月〜
〃62・12月〜
平成元・12月〜
〃2・12月〜
〃4・12月〜現職 |
|
|
3,湧別漁業協同組合役員 |
無限責任湧別漁業協同組合時代(昭和8年〜19年3月)
氏 名 |
職 名 |
任 期 |
山口 民之助 |
監 事 |
14・6・1〜16・5・31 |
佐藤 富 治 |
〃 |
16・6・1〜19・3・31 |
岡島 水主蔵 |
理 事 |
16・12・18〜19・3・31 |
湧別漁業会時代(昭和19年4月8日〜24年5月)
氏 名 |
職 名 |
任 期 |
岡島 水主蔵 |
理 事 |
19・4・8〜21・2・25 |
佐藤 富 治 |
〃 |
21・2・26〜24・5・19 |
湧別漁業協同組合時代(昭和24年5月20日)
氏 名 |
職 名 |
任 期 |
高須 実 |
理 事
〃
組合長 |
24・5・20〜27・3・11
29・3・23〜42・3・11
42・3・12〜51・2・22 |
佐藤 富 治 |
理 事
組合長
理 事 |
24・5・20〜29・3・27
29・3・28〜39・2・18
42・2・19〜54・2・22 |
沖崎 善三郎 |
理 事 |
24・5・20〜26・4・2 |
相場 留 吉 |
監 事
理 事
監 事
理 事 |
24・5・20〜27・3・11
26・3・18〜27・3・11
29・3・12〜31・3・11
33・3・11〜37・3・11 市街へ転居 |
山口 章 吾 |
監 事
〃 |
25・3・12〜27・3・11
29・3・12〜32・10・17 逝去 |
檜山 竹一郎 |
理 事 |
27・3・12〜31・3・11 |
斉藤 力 蔵 |
理 事
〃 |
27・3・12〜29・3・11
33・3・12〜35・3・11 |
山田 与三郎 |
〃 |
27・3・12〜19・3・11 |
岡島 水主蔵 |
〃
〃 |
27・3・12〜29・3・11
35・3・12〜39・3・11 |
蹴揚 義 美 |
〃
〃
〃
監 事 |
27・3・12〜29・3・11
31・3・12〜33・3・11
39・2・19〜45・2・18
45・2・23〜48・2・22 |
吉家 二三夫 |
〃 |
31・2・28〜33・9・9 逝去 |
滝谷 幸三郎 |
〃 |
33・3・12〜45・2・18 |
山田 実 |
理 事
〃 |
35・3・12〜42・2・18
45・2・23〜54・2・22 |
兼田 庄 吉 |
〃 |
35・3・12〜37・3・11 |
蛯沢 義 雄 |
〃
監 事
理 事 |
37・3・12〜39・3・11
48・2・22〜51・2・22
51・2・23〜63・2・26 |
工藤 石五郎 |
〃 |
39・2・19〜45・2・18 |
斉藤 石 蔵 |
〃 |
39・2・19〜51・2・22 |
館岡 文 治 |
〃 |
42・2・19〜48・2・22 |
敦賀 長 吉 |
〃 |
45・2・23〜51・2・22 |
兼田 定 雄 |
〃 |
45・2・23〜48・2・22 |
工藤 忠 之 |
〃
〃 |
48・2・23〜54・2・22
57・2・27〜平6・2・26 |
後藤 義 雄 |
監 事
理 事 |
48・2・23〜54・2・22
54・2・27〜現職 |
斉藤 勇 |
〃 |
51・2・23〜 〃 |
関野 力 雄 |
〃 |
51・2・23〜平6・2・26 |
佐藤 章 |
〃 |
54・2・27〜現職 |
斉藤 清 隆 |
監 事 |
54・2・27〜60・6・26 |
岡島 龍 主 |
〃 |
54・2・27〜現職 |
館岡 徹 |
〃
理 事 |
60・2・27〜平6・2・26
平6・2・27〜現職 |
平山 国 夫 |
〃 |
63・2・27〜 〃 |
町元 直 春 |
〃 |
平6・2・27〜 〃 |
今泉 克 臣 |
監 事 |
平6・2・27〜 〃 |
|
6,自治会役員(部長・区長・駐在員・部落会長) |
明治から昭和4年までの行政区画は、部制で昭和3年まで登栄床は、浜市街と同じ第1部に含まれていた。したがってその間部長ではなく登栄床部落の代表の形でなかったかと思われる。
昭和3年に浜市街より分離して第2部となり独立したが翌4年に部制を廃止して区長制度となりトエトコ区となった。
そして行政区画は変わらずに今日に至っている。
呼び名は町の改正により区長、部落会長、自治会長と変わっている。
部長・区長
または部落会長 |
摘 要 |
岡島 水主蔵 |
推定大正〜昭和初期 副 工藤 常治 (沿革史の記述) |
工藤 常 治 |
昭和6年より 〃 |
山口 民之助 |
確かな年次不明 〃 |
高須 実 |
〃 昭和19年連合部落会長の記述あり 〃 |
山田 与三郎 |
〃 三里部落会長の記述あり 〃 |
昭和22年6月より駐在員制度となる
岡島 水主蔵 |
昭22・ 6・ 1〜23・ 4・12 |
相場 留 吉 |
23・ 4・12〜24・11・22 |
山口 章 吾 |
34・11・22〜28・ 3・31 |
相場 留 吉 |
28・ 4・ 1〜32・ 4・ 1 |
昭和33年より町条例制定により区長制度となる
岡島 水主蔵 |
昭32・12・15〜37・ 3・31 |
田部 武 |
37・ 4・ 1〜41・ 3・31 |
村上 家 治 |
41・ 4・ 1〜51・ 3・31
副 蛯沢義雄 会計 斉藤清隆 |
高橋 藤次郎 |
51・ 4・ 1〜61・ 3・31
副 播摩信司 会計 岡島龍主 |
昭和62年より自治会制度となる
岡島 龍 主 |
昭61・ 4・ 1〜現職 副 関野力雄 会計 町元直春 |
|
5,登栄床小学校PTA役員 |
戦後の教育改革でPTA(父母と教師の会)が生まれたが、その以前にも父兄会とか保護者会といった団体はあったようであるが記録がないので分からない。
年 度 |
会 長 |
副 会 長 |
監 事 |
昭22〜25 |
相場 留 吉 |
村上 家 治 |
|
26 |
〃 |
山口 章 吾 |
|
兼田 庄 吉 |
|
27〜28 |
山口 章 吾 |
相場 留 吉 |
|
29〜30 |
檜山 武一郎 |
高須 実 |
|
31〜32 |
〃 |
岡島 水主蔵 |
高須 実 兼田 庄 吉 |
33〜34 |
岡島 水主蔵 |
兼田 定 雄 |
山本 武 雄 蛯沢 義 雄 |
35〜38 |
〃 |
〃 |
田部 武 〃 |
39〜40 |
村上 家 治 |
〃 |
〃 〃 |
41〜42 |
後藤 義 男 |
播摩 信 司 |
〃 〃 |
41〜48 |
兼田 定 雄 |
後藤 義 男 |
〃 〃 |
昭和48年3月統合により廃校となり解散
|
6,統合後の湧別小学校PTAの登栄床地区役員 |
各部の登栄床地区役員 ◎は部長 ○は副部長
年 度 |
総務部 |
広報部 |
教養部 |
生活部 |
体育部 |
昭55 |
町元 直春 |
加藤 久雄 |
高橋 正男 |
蹴揚 寛 |
本間 吉弘 |
56 |
本間 吉弘 |
平形 俊一 |
兼田 幸雄 |
原田 帝 |
加藤 久雄 |
57 |
〃 |
〃 |
○ 〃 |
〃 |
〃 |
58 |
加藤 久雄 |
〃 |
○ 〃 |
兼田 正美 |
工藤 清美 |
59 |
○兼田 幸雄 |
小形 秀和 |
斉藤 孝吉 |
〃 |
岡崎 昭一 |
60 |
◎ 〃 |
〃 |
〃 |
〃 |
〃 |
61 |
〃 |
斉藤 孝作 |
兼田 正美 |
柿崎 光吉 |
〃 |
62 |
兼田 正美 |
吉田 徳司 |
阿部 俊彦 |
〃 |
〃 |
63 |
柿崎 光吉 |
○ 〃 |
〃 |
敦賀 幸喜 |
○ 〃 |
平元 |
〃 |
○ 〃 |
〃 |
〃 |
播摩 平和 |
2 |
〃 |
◎ 〃 |
〃 |
工藤 正美 |
桜庭 守 |
3 |
桜庭 守 |
◎ 〃 |
〃 |
後藤 英昭 |
服部 義和 |
4 |
〃 |
山口 勇 |
佐藤あけみ |
〃 |
〃 |
5 |
〃 |
服部 義和 |
〃 |
〃 |
沖崎 直樹 |
|
7,統合後の湧別中学校PTAの登栄床地区役員 |
年 度 |
支部長 |
副支部長 |
本部役員 |
昭40 |
不明 |
不明 |
|
41 |
〃 |
〃 |
|
42 |
〃 |
〃 |
|
43 |
〃 |
〃 |
|
44 |
〃 |
〃 |
|
45 |
〃 |
〃 |
副会長 斉藤 石蔵 |
46 |
〃 |
〃 |
〃 〃 |
47 |
〃 |
〃 |
〃 岡島 龍主 |
48 |
〃 |
〃 |
〃 〃 |
49 |
〃 |
〃 |
|
50 |
〃 |
〃 |
|
51 |
〃 |
〃 |
副会長 斉藤 勇 |
52 |
〃 |
〃 |
〃 〃 |
53 |
入江 和之 |
船橋 文哉 |
|
54 |
〃 |
〃 |
|
55 |
船橋 文哉 |
米原 一二 |
監 査 平山 国夫 |
56 |
〃 |
〃 |
〃 〃 |
57 |
〃 |
高橋 正男 |
副会長 〃 |
58 |
〃 |
〃 |
〃 〃 |
59 |
〃 |
本間 吉弘 |
〃 町元 直春 |
60 |
本間 吉弘 |
蹴揚 文男 |
〃 〃 |
61 |
服部 修 |
平形 功 |
〃 〃 |
62 |
佐藤 修 |
〃 |
〃 〃 |
63 |
平形 功 |
加藤 久雄 |
|
平元 |
〃 |
小形 秀和 |
|
2 |
〃 |
〃 |
|
3 |
兼田 幸雄 |
蛯沢 清 |
副会長 橋本 孝 監査 佐藤 修 |
4 |
〃 |
吉田 徳司 |
〃 〃 |
5 |
山口 勇 |
阿部 俊彦 |
会 長 橋本 孝 |
各部の登栄床地区役員 ◎は部長 ○は副部長
年度 |
総務委員 |
研修委員 |
生活委員 |
保体委員 |
1学年委員 |
2学年委員 |
3学年委員 |
昭55 |
米原一二 |
兼田 博 |
加茂谷満
辻村繁男 |
兼田順逸 |
|
佐藤富子 |
|
56 |
〃 |
◎ 〃 |
○加茂谷満
高橋正夫 |
◎ 〃 |
佐藤富子 |
|
|
57 |
高橋正夫 |
○相場泰勝 |
大崎順一
蹴揚文男 |
〃 |
|
|
|
58 |
〃 |
〃 |
〃 |
〃 |
|
|
|
59 |
本間吉弘 |
関野 茂 |
蹴揚 寛 |
工藤 勉 |
|
兼田久子 |
|
60 |
蹴揚文男 |
◎ 〃 |
〃 |
金沢p子 |
|
|
相場 典子 |
61 |
平形 功 |
◎ 〃 |
〃 |
斉藤孝吉 |
|
|
|
62 |
〃 |
館岡 徹 |
〃 |
平形俊一 |
|
|
|
63 |
○加藤久雄 |
〃 |
〃 |
工藤清美 |
|
|
|
平元 |
小形秀和 |
〃 |
◎加藤久雄 |
岡崎昭一 |
|
|
兼田三枝子 |
2 |
○ 〃 |
◎兼田幸雄 |
加藤久雄 |
〃 |
|
|
橋本香代子 |
3 |
蛯沢 清 |
橋本香代子 |
〃 |
〃 |
|
町元正子 |
若崎 芳子 |
4 |
吉田徳司 |
加茂谷幸子 |
◎ 〃 |
敦賀幸喜 |
橋本香代子 |
|
兼田三枝子 |
5 |
阿部俊彦 |
〃 |
関野恵三 |
〃 |
播摩 恵子 |
館岡真弓 |
|
|
8,青年団体 |
昭和5年1月22日創立、豊常青年団と称した
年度 |
会 長 |
副会長 |
役 員 |
昭 5 |
工藤 常治 |
|
蹴揚富太郎 佐藤 富治 米原 清一
町元三次郎 会員20名 |
6 |
〃 |
|
〃 会員23名 |
7 |
工藤 常治 |
米原 清一 |
佐藤 富治 吉岡寅三郎 蹴揚 義美
町元与三郎 高橋松太郎 千葉 作松
会員27名 |
8 |
佐藤 富治 |
米原 清一 |
兼田 庄吉 町元与三郎 千葉 作松
中川宇一郎 吉岡寅三郎 会員28名 |
9 |
舟生慶之進 |
兼田 庄吉
米原 清一 |
町元与三郎 千葉 作松 中川宇一郎
蹴揚 義美 吉岡寅三郎 米原 清一
旗手=高橋松太郎 桧山武五郎
伝令=播摩 信司 町元五三郎
訓練指導員=斉藤酉之助 |
不 明
33 |
滝谷 幸秀(三里青年会) |
斉藤 清隆(中番屋中栄青年会) |
34 |
斉藤 勇 〃 |
兼田 博 〃 |
35 |
〃 〃 |
〃 〃 |
昭和36年1月28日に湧別漁業青年連絡協議会発足
年度 |
会 長 |
副 会 長 |
昭36 |
斉藤 勇 |
兼田 博 関野 力男 |
37 |
〃 |
〃 〃 |
湧別漁業協同組合青年部に改称
昭38 |
初代部長 兼田 博〜43年まで |
44 |
部長 平山 国夫〜47年まで |
48 |
〃 加藤 章憲〜49年まで |
50 |
〃 館岡 徹〜51年まで |
52 |
〃 加藤 久雄〜55年まで |
56 |
〃 工藤 正美〜59年まで |
60 |
〃 山口 勇〜63年まで |
平元 |
〃 山本 光明〜2年まで |
3 |
〃 湊谷 敏治〜4年まで |
5 |
〃 吉岡 法生〜現職 |
|
9,婦人団体 |
明治、大正、昭和初期にかけて国の音頭で、各地に愛国婦人会が出来、次いで昭和11年に湧別町でも軍の提唱で国防婦人会が出来た。登栄床地区でも国防婦人会が、中番屋と三里に出来たようであるが、詳しいことは分からない。
戦後中番屋に新栄婦人会が結成された。初代会長は、佐藤静江であった。
昭和33年に漁協婦人部が結成され、湧別町六地区の婦人が参加した。
登栄床地区の役員の氏名は次の通り
昭33〜34 |
岡島トクヨ(副) 佐藤 静江 播摩 忠子 平形しげ江
滝谷 ナツ 今泉かほる 山本 光子 |
35〜36 |
今泉かほる(副) 佐藤 静江 播摩 忠子 平形しげ江
滝谷 ナツ 岡島トクヨ 山本 光子 |
37〜38 |
佐藤 静江(長) 今泉かほる(副) 岡島トクヨ 滝谷 ナツ
山本 光子 兼田 ちよ 蹴揚 チセ 村上 マサ |
39〜40 |
佐藤 静江(長) 今泉かほる(副) 兼田 ちよ 蹴揚 チセ
工藤 とも 沖崎 良子 村上 マサ 山本 光子 |
41〜42 |
佐藤 静江(副) 今泉かほる(副) 播摩 忠子 蛯沢ナミエ
岡島トクヨ 工藤 トモ 滝谷 ナツ |
43〜44 |
播摩 忠子(副) 今泉かほる(副) 蛯沢ナミエ 沖崎 良子
工藤 トモ 工藤 ナツ |
45〜46 |
播摩 忠子(副) 後藤 末子(副) 蛯沢ナミエ 沖崎 良子
工藤 トモ 工藤 節子 |
47〜48 |
播摩 忠子(副) 村上 初子 蛯沢ナミエ 沖崎 良子 幾島 フミ 岡島 豊子 |
49〜50 |
播摩 忠子(副) 館岡 レツ 佐藤 静江 幾島 フミ
後藤 末子 村上 初子 岡島 豊子 |
51〜52 |
岡島 豊子(副) 館岡 レツ 後藤 末子 関野スミ子
湊谷 フジ 幾島 フミ 大崎 トミ |
53〜54 |
幾島 フミ(長) 後藤 末子(副) 斉藤 節子 佐藤 ハギ 本間美枝子 今泉かほる |
55〜56 |
後藤 末子(副) 今泉かほる 村上 初子 蛯沢ナミエ 湊谷 フジ 山口 セツ |
57〜58 |
今泉かほる(副) 関野スミ子 蹴揚千代子 幾島 フミ 村上 初子 沖崎 良子 |
59〜60 |
今泉かほる(副) 関野 洋子 斉藤 節子 幾島 フミ 村上 初子 沖崎 良子 |
61〜62 |
今泉かほる(副) 相場 典子 佐藤 ハギ 後藤 末子 沖崎 良子 |
63〜平元 |
後藤 末子(副) 佐藤 ハギ 相場 典子 米原 一子
本間トミ子 岡島 昌子 金沢 p子 蹴揚千代子 |
平2〜3 |
後藤 末子(副) 蹴揚千代子 船橋美枝子 兼田三枝子
米原 一子 岡島 昌子 金沢 p子 幾島 フミ |
4〜5 |
幾島 フミ(副) 船橋 洋子 辻村まち子 兼田 久子
加茂谷孝子 大崎 トミ 加藤 豊子 加茂谷広子 |
|
10,消防団 |
消防組織の最初は、明治38年5月に湧別市街に出来た「湧別村私設消防組」であるという。公設の消防組織は、明治43年3月「下湧別消防組」として発足した。その組織は、船頭、部長、小頭、消防夫の順になっていた。
昭和14年4月日中戦争の激化とともに国内の治安強化の目的で、消防組織は、警防団に改められ、職務の内容も大幅に拡大され、指揮権も警察に移り、防空の仕事や警察への協力などとなり、この事が、昭和17年の機雷爆発における多数の警防団員の死者となったのである。
登栄床におけるこの頃の加入者は、消防組の頃が、蹴揚由太郎と兼田金之助の二人。
警防団の頃が、吉岡又吉、吉家保、蹴揚義美、工藤清二、蛯沢義雄、後藤義男、兼田金次郎の七人。
いずれも加入、脱退の年月はわからない。
自治体消防の誕生
昭和22年7月戦時中の行政組織改革として警防団を廃止して、自治体消防が生まれた。
翌年10月町の条例の設定によって組織も整い、現在の消防組織の基礎が生まれた。
登栄床地区における私設、機器の整備状況は次の通り。(消防署支署調べ)
施設機器名 |
中 番 屋 |
三 里 番 屋 |
建 物 |
昭和38年7月機械格納庫新設
木造亜鉛葺き 平屋建て 8,1u |
昭和44年8月車庫新設 木造亜鉛
葺き 平屋建て 24、3u
格納庫は不明 |
ポンプ |
@昭和38年7月芝浦18馬力1基
A昭和51年10月芝浦35馬力 |
@昭和39年8月芝浦18馬力配置
A昭和45年9月ラビット45馬力を
配備
B平成元年2月小型ポンプ積載車
1台芝浦55馬力配備 |
車 両 |
リヤカーに小型ポンプを積んで
現在に至っている |
@リヤカーを利用していた
A昭和44年9月小型ポンプ積載車
日産ダットサン配置
B平成元年小型ポンプ積載車トヨタ
ダイナ配置 |
望 楼と
サイレン |
@火の見櫓に半鐘
A昭和44〜45年にサイレンと塔
設置
B平成2年庁舎新築とともにリモ
コンでサイレン吹鳴 |
@火の見櫓に半鐘
A昭和44〜45年にサイレンと塔
設置
B平成2年庁舎新築とともにリモコン
でサイレン吹鳴 |
防火設備 |
両地区とも地域で防火井戸を何カ所か掘り、又海水を消火水として利用していた。
だが昭和46年に湖岸改修により海水の利用が困難となったため、防火水槽の
設置を進め、40d水槽9基を平成元年までに設置した。 |
消防団員
氏 名 |
入団年月日 |
退団年月日 |
氏 名 |
入団年月日 |
退団年月日 |
蹴揚 義美 |
昭18・8・1 |
昭44・8・20 |
播摩 平和 |
昭49・2・1 |
昭61・4・10 |
工藤 清二 |
〃21・ 1・8 |
〃45・12・30 |
辻村 猛 |
〃56・9・1 |
〃59・3・31 |
蛯沢 義雄 |
〃 |
〃47・ 2・24 |
町元 直春 |
〃44・3・1 |
現職 |
後藤 義男 |
〃 |
〃54・5・25 |
高橋 富雄 |
〃 |
〃 |
兼田金次郎 |
〃22・ 8・25 |
〃44・6・10 |
服部 義和 |
〃54・7・10 |
〃 |
米原 一二 |
〃37・12・20 |
〃54・12・31 |
山口 勇 |
〃55・1・15 |
〃 |
山根 功 |
〃38・ 1・ 2 |
〃41・1・25 |
沖崎 直樹 |
〃59・4・2 |
〃 |
山根 一男 |
〃41・ 1・26 |
〃56・5・25 |
佐藤 努 |
〃61・4・1 |
〃 |
蹴揚 文男 |
〃44・ 9・21 |
〃61・3・15 |
湊谷 敏春 |
〃61・4・10 |
〃 |
山口 信幸 |
〃46・ 2・ 1 |
〃53・2・2 |
兼田 隆幸 |
〃63・2・25 |
〃 |
兼田 順逸 |
〃46・ 6・21 |
〃63・1・18 |
兼田 忍 |
平3・10・15 |
〃 |
蛯沢 和幸 |
〃47・ 2・27 |
〃51・1・18 |
平山 訓 |
〃4・4・6 |
〃 |
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11,老人クラブ |
登栄床老人クラブが出来たのは比較的遅く、昭和52年4月1日である。初代会長は、辻村仁三郎で昭和58年3月まで務め、同年4月からは播摩信司が就任して現在に至っている。
発足当時は、毎月1日、10日、20日に集まりお茶飲み会のように座談に興じていた。
その後次第に花札や外に出て草取りをしていた。
昭和55年頃よりカラオケが流行りだし、歌の好きな会員が機械を持ってきて大いに盛り上がった。そして56年に町の補助を貰ってカラオケの機械一式を購入した。
またこの頃より奉仕活動として空き缶拾いを始めた。
現在の活動状況は、
温泉旅行 春と秋の2回
奉仕活動 道路側溝の空き缶拾いや道路の草刈り
ゲートボール、パークゴルフ
料理教室と造花教室の開催 月2回
湧別老人連合会の行事に参加
その他にダンス教室や演芸会を機会があれば行っている。平成4年10月現在会員数は70名である。
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12,登栄床船舶相互組合 |
戦後の混乱期に戦地から復員してきた青年たちには、浜は荒廃してみえた。働き手を戦争に取られ、浜に残っているのは、年寄りと女、子供だけであった。これからは俺たちでと意気に燃えた若者たちが作ったのが、「登栄床船舶乗員組合」であった。船に乗って沖に行く者を会員としたのである。中心となって呼びかけたのが、斉藤石蔵、工藤清二などの大正15年組であった。
歴代役員 結成は昭和29年で初代会長は村上家治であった。
年代 |
組合長 |
副組合長 |
会計 |
摘要 |
昭29 |
村上 家治 |
斉藤 石蔵 蹴揚 義美 |
山本 光男 |
|
37 |
斉藤 石蔵 |
兼田 博 工藤 清二 |
山本 光男 |
|
44 |
工藤 清二 |
岡島 龍主 工藤 勉
中番屋の参加が当初より得られず三里のみの構成となる |
|
49 |
岡島 龍主 |
斉藤 勇 |
工藤 勉 |
|
55 |
平山 国夫 |
服部 修 町元 直春
水難救済会の設立により相互組合の救難活動が必要なくなり、また中番屋
も含めた組織にするため会の名称を「登栄床船舶相互組合」に改める |
60 |
服部 修 |
町元 直春 |
加藤 久雄 |
|
平6 |
加藤 久雄 |
工藤 清美 |
柿崎 光吉 |
|
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13,登栄床子ども会育成会 |
登栄床子ども会育成会は、昭和46年に結成された。
湧別町では昭和44年5月に出来ているから2年ほど遅れて出来たわけである。
歴代の役員は次の通りである。
年度 |
会長 |
町協議会の評議員 |
昭46 |
斉藤 勇 |
|
|
47 |
〃 |
|
|
48 |
〃 |
|
|
49 |
〃 |
斉藤 勇 |
兼田 博 |
50 |
〃 |
〃 |
岡島 龍主 |
51 |
兼田 博 |
岡島 龍主 |
兼田 博 |
52 |
〃 |
入江 定之 |
斉藤 清隆 |
53 |
平山 国夫 |
蹴揚 文男 |
大崎 順一 |
54 |
〃 |
〃 |
〃 |
55 |
〃 |
〃 |
町元 直春 |
56 |
〃 |
〃 |
〃 |
57 |
〃 |
〃 |
〃 |
58 |
〃 |
〃 |
〃 |
59 |
町元 直春 |
〃 |
加藤 久雄 |
60 |
〃 |
〃 |
〃 |
61 |
〃 |
兼田 正美 |
〃 |
62 |
〃 |
〃 |
〃 |
63 |
兼田 正美 |
〃 |
〃 |
平元 |
〃 |
〃 |
〃 |
2 |
〃 |
小形 秀和 |
敦賀 幸喜 |
3 |
〃 |
〃 |
播摩 平和 |
4 |
小形 秀和 |
山口 勇 |
〃 |
5 |
〃 |
〃 |
〃 |
|