From 2004-04-21(水)
TO 2004-05-23(日)
みんなひとりぼっち 海の中にいるみたい
だからだれか どうぞ上手な嘘をついて
いつも僕がそばにいるよ 夢のように囁いて
それで私 たぶん少しだけ眠れる
なんかこの国の民は孤独がお好きなようで。言い争う時は孤独にならない場所を確保するものなのに、なんと自虐的。どっちがではなく、どっちも。
「家計からみる日本経済」(橘木俊詔 著作)、読んでいて、日本の福祉は企業の福利厚生と家族が柱であって、1973年始めて国レベルの福祉が出てきたとか。
企業の福利厚生、核家族化、個人化とともに人のライフラインを支える基盤が崩壊している今、その事を認識していないから先進諸国内最低福祉で甘んじているらしい。
アメリカタイプの自己責任、低負担、低福祉か、
北欧タイプの高負担、高福祉か。
福祉発展途中のイギリス、フランス、ドイツともにカテゴリー分けされた年金、保険、介護、あるいは公務員、会社、自営をすべて一本化し、税負担での運営をすべきと筆者は書いてます。
そこでネックになるのが「高福祉、低負担」を望む国民であり、福祉の認識が生活保護という限定されたイメージしかないからなかなかライフラインとしての福祉の成熟がうまくいかないのではないか。
はっきり言って時代遅れの世間知らず。
この国民意識を直さなければ、日本に将来はないような。
何もなくし、アメリカタイプにして自己責任負わすのが運営側としては楽といえば楽だけれど、「我が祖国」切り売りして銭儲けに励まにゃならんのだろうなぁ。
隠して心の中 うずめて心の中 もう二度と悲しむのはこりごりよ 暗闇の中へ
消えないわ心の中 消せないわ心の中 手探りで歩き出して もう一度愛をはじめから
昨今の政府関係者の醜態振りにあきれつつ、G・ガルシア=マルケス『百年の孤独』を、何度も中断しながらも、さっぱり頭に入らぬまま、読み終え、自然と人の業に相挟まれ、近代化がそれを過剰に刺激する。人は自然と人の業を受け入れる「愛」が必要。そんなメッセージなんじゃないのかなと思っています。
人命救助の方々に「自己責任」を口にしつつも、20年未払いを経産相が「うっかりミス」、総理がそれをかばい「ミスは誰でもある」。短期間の未払いならばまだしも、この方々の頭の中には私利私欲しかないとしか思えない。
投資貨幣が確保できなくなるからの行革でしょうし、消費貨幣の利便性をこの国のトップたる方々は信じていない。「働かざる者食うべからず」であり、「金は天下の回りもの」「風が吹けば桶屋が儲かる」理論を理解していない。
経団連が介護保険の被保険者拡大に反対の意見書を提出したらしいですが、政界の財界からの自立が今求められると思う。福祉名目で財テクなんかやめて、お金が行き渡る福祉システム作って欲しいもの。ドイツで廃案になった介護保険を持ってきて、私腹肥やそうなんて浅ましいまねはやめて欲しい。
と文句たれながら、日本のお宿なるアフィリエイト・サイトをちょこちょこ作っています。狭いながらもそれぞれの土地柄に思い馳せながら。
僕が子供だった頃、乗り合いバス、雑貨屋、駄菓子屋、たばこ屋などで小金を持ち、共生する当たり前の経済学。こんな当てにならぬお偉いさんに依存せずに生きる生き方がインターネットという舞台で、多くの見知らぬ人を信じて、ネットショップ、ネットオークションをやる方々と復活できれば、そんな思いのこの頃。
僕のシナリオの指導をして頂き、今も年賀状で気にかけて下さっている恩師・守分寿男さんの演出
知識人であるがためにゲシュタポに狙われ、知識人である証明として、シェイクスピアの『マクベス』を演じる。死を覚悟した巨匠の生き様、機会ありましたら、ご覧下さい。
#地元札幌公演がないのが残念。
G・ガルシア=マルケス『百年の孤独』に続き、ラテンアメリカ文学諸氏の短篇集『美しい水死人』を読み始めました。
ラテンアメリカ文学の発想の豊かさはやはり面白い。
最初の話アルフォンソ・レイエス「アランダ司令官の手」
戦闘で失った手を剥製にし、飾るけれども時が経つうち、邪険にし、司令官も文鎮代わりに手を使ったり、卑猥な道具として利用するようになる。そして、その手が生き返り、部屋中動き回るという奇想天外もの。
そこに「手」に関する考察が書かれてあり、
「手が二本とも利き手だったら人間は巧妙な策略や器用さに溺れてすでに滅びていたかも知れない。」
確かに。(笑)
夜な夜な離ればなれになった左手を慕い、ベットに潜り込む右手が愛おしい。
二作目オクタビオ・パス「波と暮らして」は波と同棲し、手におえなく別れる話。自然を飼い慣らすのは無理という事ですね。
ラテンアメリカって根本からひねくれているから好きです。(笑)
ガルシア=マルケスのお勧めは『ママ・グランデの葬儀』収録
恩給給付を心待ちにしている大佐をよそに政府は恩給給付を日延べする。
泥棒として殺された息子の墓参りに行く母。泥棒に追いやった社会の責任を問わずに息子の非を責める神父と町の人々。すべてを敵に回しても母は息子をかばい通す。
ラテンアメリカ文学に浸ってみませんか?
ゴールデンウィーク真っ直中、寒暖の差に負けて、風邪気味。
悪い後輩が教えてくれたのだけれどもCashfiesta(キャッシュフィエスタ)なるデスクトップ広告があるそうで、養生がてら?使っていないサブマシンにインストールしてみました。
残念ながら、Windowsのみのようですが、以下、付け焼き刃ながら説明。各自の判断にお任せしますし、試してみてくずならばその旨、また書き込みます。
課金レートが基本1時間0.6ドル(変動します)(1,000ポイント=1ドル、600 ポイント=1時間)と、それなりに高額で、ポイントはバーでリアルタイムに分かるので眺めているだけでも楽しい。
報酬は小切手などで支払われるらしく、ボーナス追加や知人、友人への紹介、広告の追加選択によるボーナス加算などいろんなオプションも用意されているけど、ただ単に自分のパソコンに表示させるだけでもそれなりの収入が見込め、美味しそうです。
ただ、ひとつルールがあり、広告バーに生息するマスコットが座り込んでいると課金されなく、カーソルで突くなりしてやると動きだし、課金されるという仕組み。
利用者はこの作業を自動化すべく頭を働かせ、AutoMouseやUWSCなどのカーソルコントローラーの活用なんていうのもあるそうで、うちではUWSCのスクリプトを組んで実行しています。
ただし、Cashfiesta側も対策を立てているようで、課金モードになる条件をいろいろ増やしてもいるようで、まさに知恵比べ、パソコン制した者の勝ちですね。(笑)
ここまで読んで、興味を持たれた方に登録方法も簡単に記しておきます。ネットの翻訳サービスexcite翻訳、@nifty翻訳などの活用もいいかとは思いますが。
記入ミスがあれば登録フォームに戻ります。大抵は、ログインIDが既に登録されていますというエラーです。ログインIDの横にエラーが出ています。ログインIDを別の登録されていないものにすれば、OKです。
登録確認のメールが届き、専用プログラムのダウンロードページURLが書かれていますからそのページを開き、プログラムをインストールしてみて下さい。
このメールには紹介用のURLも記されていますから、大切に保管しておいた方がいいでしょうね。
支払決定はその時々の換金レートで判断したり、小切手の換金としてはシティーバンクやリンクセンスなどがネットではお勧めとして挙げられていますから効率よい換金方法を見つけるのも技かも知れませんね。
入っていて損はありませんが、退会の方法はcancel@cashfiesta.com宛に登録したメールアドレスで I am "MemberID: 貴方のユーザーID".Sorry I wish to Unsubscribe.Thank you.の一文を送ればOKです。詳しくはメンバーページをお調べ下さい。プログラムのアンインストールはプログラムを終了し、Cashfiesta用に作ったフォルダを丸ごと消去すればいいだけです。
関心お有りの方、小銭儲けしてみませんか?
その後、追跡調査の結果、ほとんど詐欺に近いと判明。念入りに調べた方が良さそうですし、ネット競馬の方が無難でしょうね。(笑)
夕方のテレビニュースで「人質帰国費用「善意」、日本大使館断る」として、ボストン市内に住む言語学者のライル・ジェンキンスさんが人質の家族が頭を下げて国民に謝罪しているニュースを読み、「費用の一部に」と、高遠さん宛に送った小切手を託された日本大使館が、勝手にこの男性に送り返していたという内容のものを放送していました。
日本ってつくづく集団のために個人がある国なんだなぁと思いました。ジェンキンスさんは拘置所経験あると言ってましたが、日本は特攻隊、死んで帰って一人前ですからね。
自爆テロ、特攻隊を祭るお社に詣でていて、自爆テロの意味を解せない自己矛盾を感じないのが集団国家の凄いところ。
日本で個人を活かした集団組織なんて出来る日があるのかなぁと思ってしまいます。
谷川俊太郎さんの影響受けた中島みゆき、エンヤトットの岡林信康、やはりマイノリティで個の結びつきを深めるしかないんだろうなぁと思っています。
日本と世界の違いは「多民族」と「多数単民族」じゃないかな。
民族、性別などの相対的価値では見誤る互いのモラルに干渉しない絶対的価値も「多民族」だから生まれた発想であり、「多数単民族」では生まれ得ない発想ですよね。
昼日中に残虐の意味を理解しないで「虐待映像」をお茶の間に繰り返し流すこの国のマスコミ意識は「多数単民族」的と感じてます。「虐待映像」が問題なのではなく、その行為が問題と言う事をマスコミは理解しているのでしょうか?
黒人の裸はボカシなしが通例だった「多数単民族」意識の延長のような気もします。「年金問題」「利子汚染」も国際的「多民族」社会での生き残りを考えなければならないのに「多数単民族」だから危機意識が生まれないのでは?
「井の中の蛙」からの脱皮が求められます。
パダン、パダン、パダン。
それはわたしを追いかけてくる。
パダン、パダン、パダン。
≪覚えているか≫とこづかれる。
パダン、パダン、パダン。
それはわたしを指差す。
エディット・ピアフ「パダン、パダン」より『エディット・ピアフ大全集(1946〜1963)』
このところ、「アフィリエイトでいきましょう」のアクセスが日に400前後と好調でさすがW3Cの規格に沿えば検索に引っかかるのだなぁと実感。こちらの更新を怠ってました。。。
「お勧めソフト 2004年5月」にすでに書いたのだけど、このところ、カエターノ・ヴェローゾの新譜『異国の香り アメリカン・ソングス(A Foreign Sound)』を繰り返し聴いてます。
この新譜お披露目のニューヨーク、カーネギー・ホールライブはビンラディン賞賛発言をしたカエターノに対する米国政府の嫌がらせで「滞在期間はライブ期間のみ」というおまけもあったとか。そんな了見だから、人権軽視を行うんですよねぇ。
エイプリルフール(カエターノ曰く「マスコミの日」)に本国ブラジルで記者会見をしたこの新譜はそんなアメリカの古き良きポップソング集。
最近の米国政府もそうだけれども、年金問題をうやむやにすべく、北朝鮮問題にやっと本腰入れた日本政府関係機関にも古き良き時代を思い返して貰いたいもの。まぁ、古き事だから、よく思えるというのもあるのだけど、公衆トイレで「若い奴に仕事任せろよ」と人に当たる事も出来ずうめく人や、温泉浴場で溺れ沈む年配者に誰も気付かない状況を目の当たりにし、今の世の中、少しづつ壊れていってる気がしてます。
先に紹介したラテンアメリカ文学諸氏の短篇集『美しい水死人』の中の一編、アウグスト・モンテローソ作「ミスター・テイラー」「首狩り族の干し首を売る事を思いついた男が、実績上げ、政治と結びついて、干し首の原料集めに奔走する。些細な風邪でも死刑に処し、隣国に戦争をふっかける。ビジネスに溺れた末路は自ら干し首となる事。」
人あっての「金」であり、始めに投資ありきの今の年金議論はなんか変だなぁと思うのだけど。「人間ピラミッド」同様、年金問題と北朝鮮問題を天秤ばかりにかけるお方達はまさに孤独の肖像でしょうね。
カエターノの甘い歌声が「生きる意味」を教えてくれる。
ラテンアメリカ文学諸氏の短篇集『美しい水死人』のあとがきを読み終え、
「肉体に意味はなく、魂に意味がある。しかし、その魂も死と共に失せるものであり、超自然は生き霊のなせる技」
なるほどね。
障碍の極意ですな。