日記帳 6

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プログ


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2007.12.31
○ 大時化に大潮がかさなり、港の車道は海水が揚がった船の「バギ」にまで押し寄せています。
今年最後の一日、新しい年を迎える準備が、第8昇進丸への飾り付けと、注連飾り、お供え、御神酒、昆布、米、塩を飾ります。
船首のタチに御神酒、昆布、塩、米を・・・
船尾のタチ2本に   〃
船首の楊網機に    〃
機関部のツツミに   〃
船艫のレールに    〃
 そして、祭神である事主大神、大国主命、お伊勢さまへ・・・・二礼二拍手一礼・・・

 今年は中殺界
来年は小殺界です。

 神棚を片付け、PC付近の清掃・・・
アルバムが、共進水産の忘年会での写真に始まり、興福丸の温根湯での忘年会、興福丸での八戸、宮古、釜石、小名浜、銚子、焼津、土佐清水、宇和島の船の仲間と土地の写真、稚内波間漁業のやまさん丸の間宮海峡付近の、操業写真と仲間の面々
共進水産社長が自分にくれた家と父母の白黒の写真、それに稚内、釧路、函館、紋別、岩内、石巻、銚子等々・・・・当時の漁師の羽振りの良さに比例した、傍若無人な行動に迷惑をかけた、ヒト・・・・
 3冊あったはずと、捜してみても1冊しか残っていないとは・・・・

この場所で、お世話になった方々に、心底から感謝しつつ新しい年に、一歩を踏み出します。

ありがとうございました。

今年の漢字は「偽」でした。
来年の漢字は「信」「誠」「真」になって欲しいと思います。
 直向きに頑張っている人に、スポットが当たる年になるように願いながら。


2007/11/24
○ 今日も波が高く、漁に出られませんが、紋別方向の沖に灯りが沢山見えているところから、紋別の底建網は出漁しているのでしょう。
06:00 湧別の底建網漁も漁船が出港して行きます。 海岸で出漁の様子を眺めていると、港沖の離岸堤付近から沖は結構波が高く見えます。
 沖へ向かう漁船がひっきりなしに、上下しながら沖へと向かう様子に、ホッキ漁は無理と判断・・・
家で天気予報を見ていると、電話で息子に底建網の荷揚げの選別を、同級生から頼まれたようで、トラックで向かうように指示し、再度港へ向かいます。
 寒気が一段落したようで、港の周辺の温度は意外にも高く、天候の回復が近い事を知らせてくれているように感じます。
紋別の兄の底建網の漁模様はどうなんだろうか、気に留めながらの海岸の見回りでした。


2007/11/23
○ この頃、本屋さんに行っても、図書館に出向いても、手に取る本の種類といえば、哲学的なものや宗教本の類が多い。
最近は、「福沢諭吉」翁の本を見る事は少なくなっているが、それども要所々々では必ず探し出して読む。
 もともとネットに興味を持つ前は、自分の気持ちの中で整理しているつもりでも、整理しきれるわけもなく、悶々とする事幾たび・・・
自分の心の有り様から始まり、隣人や回りの人の有り様に気が触れるたび、これで良いのだろうか何て、誰か偉い学者なり評論家なりが、警笛をならすなり警告を発するという現状を待っていたのですが、如何せん・・・・
 社会の規範を憂う前に、「個」というものの有り様が、どうあるべきなのだろうか。この国の国民として、北海道の道産子として、湧別の田舎者として、個人は生きる姿と生き様を、確かな論理を以て指し示す必要が生じてきたのではないだろうか、何て、高尚な事を言ってみても所詮ずぶの素人です。
 学識の無さを恥じるばかりですが、そうは言っていられないから、自分に出来る範囲で行動に表す以外、方法はないと思えるし、地味でも一歩一歩から始めましょうか・・・・
 昔、母に聞いた事があります。
「何故自分を産んだの?」・・・自分は愛された記憶もないし、自身の存在が父母や家族に安らぎを与えて居るどころか、何時もヒステリックに怒鳴り続ける母を見るにつけ、何のために子供を作ったのか何時か聞いてみよう・・・と。
 風邪をひいたり、ひつけを起こしたり、嵐が家を揺らした時など、一度として母に抱かれた記憶もあやされた記憶もなく、兄や姉に聞いても記憶にないと言う。
 そのような母を見るにつけ、家族の置かれている状況も、母の置かれている現状も理解しながら、なお、疑問が消えないので聞いてみた。
母は、何も自分の質問には答える事はなく、ただ黙々とストーブに薪を投げ入れているだけだった。
 朝は4時になると母の姿は家の中にはなく、家族を養うために加工場へ朝ご飯を卓袱台に出して出かけ、夕方5時過ぎになって仕事から帰ってくる。それから洗濯、炊事、掃除、あくせくあくせく止まることなく動き回って、自分たち子供は母に言葉をかける切っ掛けを作る事さえ、非常に難しい位だったから、自分が母に向けて放った言葉が、母がどの様に受け取るか何て考えもなく、答えがない事が無視をされていると思い込む、悪循環の毎日を過ごしていた。
 従って、自分の家族への思いとは、何々をしたとか、何かが起きたというものではなく、家族一人一人の内面を見つめていたように思う。
今でも、その感覚は変わらずに、相手の内面を重要視する事は、物心ついた頃からの自分の習性なのでしょうか・・・


2007/11/22
○ 登栄床郷土史完成。
次は、どの地区と行かなければいけないのですが、今月は体育協会のスポーツフェスタ2007と50周年記念事業記念誌発行編集・社会教育・青少年健全育成町民会議・企画委員会ビックウエーブ等の会議や出席が詰まっているので、一段落をしてから次の部落へ取りかかることにします。
 依って編集は体協の、30周年記念誌をコンピュウターへの取り込みが待ち受けています。
 毎年のことで、この時期になると決まって、会議の連続です。これに組合の会議も組み込まれてきますから、何がなんだか分からなくなります。
毎日時間の多少に関係なく、コンピュターに向かいキーボードに動きの悪い指で、文字を叩き込みます。もう丸6年になりますか。
 湧別中学校のパソコン初心者講習で、全くの初心者として受講した折り、時の中学校長山下先生から、学校のパソコンと同じもので良かったら、自分のパソコンを使ってくれませんか?
 何て、断るわけありません。
自分が物を買う時に決めていることがある。製品が市場に出てから、数年経ってからでないと買うことをしない。
 遅れること数年になるけれど、新発売の時の数段価格が下がっているし、製品も小さくなり、機能も充実しているから、その方が得だと思うから・・・
そんな事で手に入れた、コンピューターです。 NEC PCー9801US 内包ソフト 一太郎5 ロータスでした。
 その時は、まだインターネットには興味がなく、ひたすらキー練習の毎日でしたが、飽きて来ちゃいますね・・・

 それから始めたインターネットです。 掲示板を作り、メールのサイトに登録したりと、随分頑張ったけれど、翌月のインターネットの通話料金とプロバイダからの請求書に唖然。
プロバイダ登録では、通信料込みでの料金の設定でしたが、まさか、それが真っ赤な嘘だったとは、あきれ果てました。
 NTT東日本  今でも好きになれない会社です。
でもねっ
随分お友達が出来たんです。
ネットの威力というやつです。
 現実社会でのマナーとエチケット。
これさえ守れるなら、ネットサーフィンは楽しいものですし、視界をきっと大きく開く事が出来るでしょう。


2007/11/06
○ 登栄床地区の部落史が順調に進んでいます。何故か、手が動くんですよね。
是は、湧別町の部落で、漁業に関係する部落と言えば三里・中番屋・前浜ですが、三里・中番屋は、登栄床地区と言い、前浜は港町で、市街地の中に組み込まれている関係から、前浜の漁業史は未だに手つかずの状態です。
 前浜の部落史が、湧別町・上湧別町・遠軽町(生田原町・丸瀬布町・白滝村)の歴史の前提となるだけに、そこのところに気が付くことなく、また、意識さえしないところに、勿体なさを感じます。
 それ故に、漁業の歴史を綴っている、登栄床地区の部落史が新鮮に映るため、キーを叩く手が動くのだと思います。
毎日、ホッキ漁とカレイ刺し網漁に、出漁しているのだが、強い西風に悩まされています。
 毎日決まって、08時頃に風が強くなり、海上に風紋が走り始めると、次第に風波となりうねりを伴ってきます。
その頃に、ホッキ漁でのエゾバカ貝の日産量が、取り終えるかどうかの境目となるため、常にイライラを覚えながらの操業となり、冷静に冷静にと自らを戒めながら、時の過ぎるのと漁獲が終えるのを願っているのです。
 今日は、07時30分頃から、西風が強くなりました。
エゾバカ貝を漁獲し、ホッキ貝を求めて場所を移動し、上から湧別漁港を過ぎ、下手大謀網の上側で操業するはずでしたが、風波が波浪となりうねりが高くなったので、急遽操業を断念し、漁港へと帰還しました。
 午後1時より、漁協指導部長が来訪し、営漁計画の修正を説明し、12月の最終調整に控え、今後の漁獲の方向と意欲を喚起されましたが、そんな事は20数年前から、言ってきている事なので別に今更なんて、心の中で叫んでいました。
 自戒を込めながら・・・・

風邪気味なので、買い薬と栄養剤を併用して、大事を取るようにして居るが、なにが大事なのか分からなく為りつつある。
 養殖施設の越冬作業を控え、体力を温存して置かなければならないから・・・

11月


2007.10.08
○ 不漁が続いています。気候変調の影響なのか、一昨年前の大時化が海底の様子を変えたのが原因なのか、降雨量の不足による河川からの栄養分の少なさから来るものなのか?
 何故か、秋漁が不安定になって7〜8年位経ちます。大小定置網漁業は、孵化事業の安定的な取り組みに支えられて、高収入が続いている漁業です。
楽あれば苦あり・・・
 漁業も根本から考え直さなければいけない時期にさしかかっているようです。
漁船漁業に安定的な収入を得られるような仕組み作りを考えなければなりません。
 農業に於ける、企業参入の道を開かせたような事を、漁業に当てはめる事は困難でしょう。
一部の漁業に、企業の参入を許す事に依る弊害が、多くの漁民に降りかかる。
 漁業法
 水産基本法
 漁船法
 水産資源保護法
これら法律(自分の知っている範囲)は、漁業者を守るものであるには違いがないけれども、肝心なのは、食糧の安定供給を図る事と、水産資源の安定的な有効利用は謳われているが、漁業従事環境における不確定要素を保護・保障する制度がない事。
保険・共済はあるけれど、自主的財源を要する事が困難である事。

こんな未曾有の災害があった時、直接に経営状況が困難になり、克服するには好漁が2〜3年続かなければ、自ら回復できない・・・・

10月

 

2007/09/25
○ 1ヵ月以上空けてしまいました。プログにばかり目が行ってしまうのは、更新作業が単純なのと、画像の掲載が簡単なのが良いですね。
それと、プログには、掲示板との共通面があって(自分は興味がないけれど)訪問者履歴も心を動かされる。

 時化網を作ってしまい、1日目は魚だけを外して市場へ出荷。その後、ごみ取りを午後3時過ぎまでかかる。
その次の日、圭一は特別採補の網揚げにかり出され、残った者で網をたく。2日がかりで終わらせたのもつかの間、昼頃から暴風模様になってきた。


2007/09/24
○ 心に傷を持つものは、決して悲しみの表情は表さない。優しすぎるから、苦しみの表情をも表すこともない。
悲しい時、空を見上げると頬から流れる滴を落とさないように
苦しい時、口元に笑みを浮かべながら、歯茎をギリギリと咬んで、悟られないように
弱い自身を殊更弱く見せる
なんて、生き方をし過ぎると、自身の本質をも忘れてしまう
人は優しい生き物だから、余計に強がりを見せる
男って、不自由な生き物です。
苦しい胸の内を、誰にも悟られまいとする術を、知らず知らずに身に纏っている
損な人生なのだろうか?

9月


2007/08/10
○ 昨日と今日、2日続けて油圧関係の故障で、帰港を余儀なくされた。
昨日は、高圧水ポンプを駆動する油圧モーターが、破断し漁港へ帰り敷島鉄工に、油圧モーターの予備が有ったのを思い出し、修理を依頼。
 所長自ら出向き、即修理に取り掛かったが、機器を取り外しカップリングを外すのに手間取り、操業を断念する。
今日は、カレイ網を刺し、揚げ終わって荷揚げを終え、ホッキ漁に出たのが08:30・・・
 ホッキ操業に入り、マンガンを投入し水ポンプを駆動した瞬間、機関室に煙が充満。
機関室内油圧配管の、ゴムホースが切れ油圧作動油が、機関室内に溢れているので、全てのスイッチを切り、ワイヤーを伸ばし、マンガンのホースに浮き玉を取り付け海面に投げる。そしてマンガンの前繰りに浮き玉を取り付け、これも投げ捨てて漁港に帰りながら携帯電話で小湊鉄工へ連絡、油圧ホースの作製を依頼する。
 破れた油圧ホースを取り外し、製作に取りかかっている間機関室内の清掃を行う。
油圧ホースの取替が終わり、漁港を出たのが10:10・・・市場受入終了時刻まで4時間弱です。
 今日のホッキ漁の漁獲量は234sでした。
偉い・・・

何かしら虚しさが襲ってくるのが頻繁に有るようになりました。
何を遣っていても、考えていても、先が見えすぎるというか、目標が、道筋が失いつつあるのかも・・・

8月


2007/07/26
○ 想いが感じられなくなってきています。自分自身の心の置きようが不安定になっているからなのかも知れませんね。
自分自身の想いは、引出の中の入れ物の数で決まってくるものなのですが、その引出もうっすらと霞の中に隠れているようで、どの引出が開いているのか、余裕があるのか全く判らなくなってきているように感じられます。
 この様な気分の侭で、7月が終えようとしている時、何かしら苛立ちが気分の底の方から湧き上がってくるんです。
こんな事をやってて良いのか?なんて、誠太郎にも怒られる始末・・・・実に情けないですよね。
忙しくなれば成る程、プレッシャーが掛かれば掛かる程、動きがスムーズになっているのが判る位に、楽しくなってきていた筈が、最近では、間をおくようになってきている自分がいる。

 日記帳の書き込みにしても、プログの方にばかり神経が行ってしまい、疎かになっている事が、今の不安定要素なのかも知れない。
画像の添付が、プログの方が非常に簡単で、その為にそちらの方へ向くのは構わないけれど、バランスという部分では、拙い事なのでしょう。
空気が変わって、季節が移行し始めたのが感じられますが、この空気の変わりようも、ほんの少しの感覚の研ぎ澄ましで感じられるものだから、今のように何も手につかない状態で、感じられると言う事は逆に言えば、変な自分の性格が出はじめて来ているのかも知れませんね。
 頭の中では、仕事の序列と役柄の割り振りが、きちんと出来ているのにも関われず、行動が伴わないって事は、実が無い事の証でもあり、これが自分を追いつめるのかも?????

7月


2007/05/26
 ○ 人の一生のあゆみの一歩一歩に、想いが込められている人にとって、現状も回想にも様々な色遣いの絵画が描かれているように思える。
暗い現実と思っているその時でも、脳裡には暗褐色の筆遣いで描かれるばかりとは限らない。
想いと想いの狭間に、数人の人生が交差する時、受け取る絵画を画一的に見てしまうのは、成長過程からとばかり見るべきではない事も、知る事が出来た。
 人のあゆみが人生というなら、人と人とのあゆみは営みというのだろうか。
 人と人とのあゆみが営みというなら、人々のあゆみは流れと言うべきだろうか?
 人々のあゆみを流れというのなら、世の中のあゆみは歴史とも言えばいいのだろう。
自身の歴史とは、自身の流れとは、自身の営みとは、自身の人生とは、何だと思えばよいのか?

普通でなくなった時に、普通である事の大切さを知る。
では、最初から普通でない人にとっては、本人が普通であると思っても、普通とは言えない空間に身を置いている事を知る時、普通の大切な事はさして大きなものではない事も言えよう。
 今更、普通というものが自らにとって、得るものの無い虚妄の世界であると思って歩いた者には、普通の大切さが逆に足枷となっている事も、また、知っているものなのだという事を、誰に憚ることなく思っているもの・・・

 人は、歩みを進めると同時に、身に様々なものを身に纏う。
それらが自らが手にした守るものとなって、背に負う事で自身の器もまた、大きくなっていると錯誤をする。
人が手にし得るものは、あの世で使う僅かばかりの小銭と、忘れ去られる思い出と肖像だけだと、知るものは常に少ない。
営みは、常のものにあらず・・・・
 窓の外で風と雨に打たれて、揺れている木々や葉を眺めて、ふと若い頃の母と父を思い出している。
家族という絆であるべきものが、若い二人にとって毎日が試練の連続であったと思える。
その様な家族形態の中でしか、生きる術を持たなかった夫婦にとって、子ども13人を養う事は想像を絶する事であったに違いなく、その様な親を持ってこの世に生を受けて、子どもが世の中も他の家族との違いも、我が身の宿命と考えるのは、自らに糧を得る手段を持たない、選択の道であったのかと考えたとしても、そこには時代の流れの急激な変化と無縁とは言えないだろう。

 自分は、その様な両親と共に、毎日が闘いと苦悩を「友」に歩んできたとも言える。
自分の、人にする応対は両親の姿そのものと、被っていると思う事が良くある。
それが、卑屈と思う若い自分の姿がある。
今に思えば、卑屈な姿勢ではなかった。
人として、在るべき姿と、あるがままの姿を見せているだけに、何故自分は思い知る事がなかったのか?
人としての、許容範囲が受容範囲が如何に無かったのかを、裏付ける事と今に知る事になるとは・・・

禅問答に
 道を尋ねる人に向かって、あなたが向かった方向に歩むのみ・・・と応える。
先の事を思い煩う事よりも、あるがままの現実を受入れ、為すがままに歩みを進めなさい。と言っているように感じます。

一休禅師か良寛さんかは、忘れましたが、正月に、
 正月は 冥土の旅の 一里塚 目出度くもあり 目出度くも無し
と言っています。
 同じような事なのでしょう。

 自分は、まだまだ雑物に過ぎませんが、一つ一つ、ゴミのような気持ちを脱ぎながら、このような心境に近づいて行きたいと考えるものです。


2007/05/20
 ○ 中止3日目。中止を決める幹部の苦渋に満ちた顔が浮かんできます。
仕方がない事です。自然と共に生かされている以上、あがらう事は自らの生命線を脅かす事に繋がりかねないから、なんともしようがありません。
 雨が、霙に変わり、横殴りになっても、身体を横たえるしか、手立てがない状態です。
遠軽に買い物に行った序でに、本を購入しました。「菜根譚」(さいこんたん)タチバナ教養文庫です。
 もう一冊、「葉隠れ」も欲しかったのですが、自分の欲しがる癖は直りそうもないので、自らが我慢をしなければ、きりがありませんから。

 毎日のように、新聞や報道で「憲法」改正が論じられていて、改正手続き上の国民投票法案が可決した事に、護憲派からも改憲派からも、論評が載っています。
 そもそも、変えてはいけない憲法ってあるのでしょうか?
自分は改憲論者の立場ですが、改憲論を唱える者たちとは、一線を隔てる立場を取ります。
 改憲論の主なものとして
  ・戦後に押しつけられたものだから、それ以前に戻らなければならない。この事は、東京裁判の否定をも含めて論じています。
  ・今の時代に合わなくなっている憲法を、時代に即したものに変える事は何ら不都合を生じない。
  ・戦後、冷戦構造が崩壊し、日本国としても国際社会の一員として、経済大国に恥じない貢献をしなければならない。
  ・平和憲法の中に、日本国の歴史や文化を明記していない、国の表現が多すぎる事を改訂し、国と政府の区別をしなければならない。
  ・等々・・・
 護憲派の主なものとして
  ・平和憲法として、国際社会に誇るものであり、世界の国々が日本国の平和憲法を持つようになれば、紛争や戦争は是正される方向へ向かうだろう。
  ・民主主義の根幹をなす憲法として、一言一句とも変える事は、戦前の軍事化に向かう危険性がある。
  ・今まで日本国が、平和を維持出来たのは平和憲法を奉じているからであり、憲法がこの国を守ってきたのであるから、変える事があってはならない。

 憲法を国民が論じ合う時に、得てして神学論に陥るのはどうしてなのだろうか?自分は不思議でならなかった。
現行憲法の最大にして守らなければならないものとは、主権在民のみであればいいと自分は思っている一人です。
 平和を守るのも、育むのも国民の意識一つで変わって行くという事でしょう。
国民に平和の尊さを、大切さを、維持する困難さを教えていない現況の中で、憲法論者が何を語ろうとも、平和憲法ではないという事に繋がる。
憲法を奉じなければ、平和を維持出来ないとするならば、それは平和国家とは言えないのではないか。惰眠国家と言った方が良いのかも知れませんね。
 明治期以来、諸外国の脅威に曝され、植民地となる事を恐れ、最短の方策で国を富ませるためには、致し方が無かったのかも知れません。それ故に、学力を重視し、学閥を作り偏狂的に一部の官僚・軍人・知識人が国を誤らせた事は、決して否定しませんし、自分もその事は暴き続けなければならないと思っているものです。
 しかし、戦前総てが侵略で語られる事には、真っ向から反対を唱えて止みません。時の情勢が安穏を許さなかったと言った方が、真理をついているように思えてなら無いからです。
 個々に、事例を取り上げる事はしませんが、一部の軍閥が先走ってしまった事が、未だになおも、諸外国に陳謝させている現実を見る時、情けなくなって来るのは自分だけでしょうか?
 明治憲法下でも、戦争はさける努力を重ねに重ねた事実がある。明治憲法下でも、平和を探求し続けた事実がある。
悲しいかな、歴史とはボタンの掛け違いで済む話ではなく、其処には、悲惨な状況が生まれ続けられる。
繰り返してはならないからこそ、何故そうなったかを検証してみなければならない。
 その上で、国民が過ちであったのか、避ける事が出来なかったのかを、自ら一億の民が検証する事をして、憲法論議に移行するのでなければ、改正をしたとしても、何も変わらないだろう・・・・
 国民の平和に対する願望と、憧れと熱意が憲法を論じる前に、醸成されるものでなければ、絵に描いた餅でしかない。
憲法とは、時代時代に国民と共に歩むものである以上、改正反対は、国民を程度の低いものとして扱っているのと何ら変わるところがない。
 痛みも、苦しみも、美しさも併せ持つものでなければ、憲法といえるものに値しない。
自衛隊が、防衛庁から防衛省に昇格された時、何故、マスメディアの関係者は、その事ばかりを取り上げ、肝心の事に言及しないのか、自分は不思議な感がしたものです。
 暴走を防ぎ、暴挙を遮り、最後に壁となるものを何故造らなかったのか。
歴史を顧みるとはそういう事を指すものだと思うのだが。
現行憲法に謳っていない条項に、戦争の永遠の放棄と、武力の放棄と、軍隊の放棄は謳っているけれど、もし、万が一、クーデターやテロが起こった時に誰が、どういう体制を以て駆逐するのか、隣国に核を持った幾つかの国があって、未だに戦時と言っている国がある時、平和憲法が守ってくれるのか、疑問に感じます。
 国民を守るのが政府の最大の勤めである以上、その方策は立てておかなければならないし、国民も議論をする事が本当に必要になってきた。 


2007/05/19
○ 養殖が中止になって2日目、登栄床漁港へ第8昇進丸の繋留の確認と、船外機船の昇進丸の位置確認を兼ねて、雨の降りしきる中を、軽自動車を走らせる。
 船に寄り添うように車を止めて、「振りボンブ」を隣の船、勇盛丸に装置されているのを確認し、自分の船に取り付ける時の状態をシュミュレーションしていた時、後ろの船、昇陽丸船主、清宮隆雄さんが、自身の荷揚げ時使用する4dユニック車の位置確認と、タイヤロックの石材を2個、据えつけ終わって自分の車へ乗り込んでくる。 暫く談笑し養殖の話、外海の操業の話、組合内部の話など語らいながら、フロントガラスに落ちる水滴の流れ落ちる様を眺めながら、数十分・・・・
 話をしながら、思っていました。養殖にしても、漁業にしても、漁業者と組合上層部との意識の低さに思いを馳せながら、何故、この様に、無様な流れに陥ったのか、色々と考えながら、相槌を打ち、話しに応える自身を誠に変な感覚の生き物だと・・・・
 養殖にしても、操業にしても、細部に至るまで取り決め、それを守らせるというのは、一応は従っているように振る舞うものであり、その実、裏では決まりをかいくぐる様に、自己中心的なやり方を貫かれる訳で、「やった者勝ち」の論理が跋扈している現状の要因である。
あくまでも、社会人として、又、漁業者として扱い、取り決めはマナーやルールに則るのみ、の方が、意識に変革を起こせる訳で、互いに黙認し合うことなく積極的に模範者を作り、それに規範を同調させる事も必要になってくると同時に、罰則の強化と厳罰を以て違反者に向かう姿勢こそが、理不尽な経営者や漁業者を駆逐する手段としては、手早い方策となろう。
 何にしても、当組合は制度的に全国に類を見ない、優秀な組勘制度や、点数制度を導入している組合である以上、塵芥のような思考の者を蔓延らせる事は、得策とは言えないのではないだろうか。
 養殖放流も、年々意識も上がってきてはいるが、併し、4年後の外海ホタテ生産配当によって、多くの組合員が経営が成り立っている以上、生産部会に民間の経営感覚の導入は避けられない。
 また、他方では、漁業者自身が個々に経営者であり、労働者側ではない事から、経営の長期的な計画は必要不可欠な事であり、自由に無秩序な経営を野放しにする事は、組合の姿勢としては甚だ疑問となってくる。
 それを防ぐために、組合員の設備や資材の購入には、組合の積極的な関与が必要であると同時に、均一な器材や資材及び機器の使用が求められる。個々に、同じ目的に使用する機器や機材及び資材は、均一なもので良く、それを使用する者がものに合わせると云った姿勢を、組合が積極的に求めるならば、ある程度の価格抑制に繋がるはずで、一経営体個々に、皆違う考えを持っていては経営の合理化には結びつく事は困難になると思う。

 会議が、毎日のように続いた養殖放流前には、時間的余裕もなく、会議中にも養殖の支度が気にかかり、会議に集中できないことが多くあった。
町総合計画策定では、全体会議の3回を通して、文言の指摘や第4次の整合性を第5次の会議に問う事は、必要な事とは自分も認めるものの一人ではあるが、時間的に制約され、回数的に拘束された中で、財政の逼迫する行政の5ヶ年に亘る総合計画の策定には、何らの得策になるとは思えず、悪戯に会議の掌握に費やす委員の姿勢を感じる時、無性に腹が立ってきた事も正直少なからずあった。
 行政の運営には、町民として、憲法の権利の行使の一部分である、投票による選択権を行使して、その選択された議員に委ねる事が肝要となり、財政執行の健全な運用には、町監査委員が能っている以上、町民が行う行政に対しての抑制には、各種委員会なり協議会があり、これらに必要な人材を供給する事が、行財政の適正な執行を監視するという、町民による自治がなされていない事が第1番の原因なのであり、行政側を攻撃する姿勢は、町民を攻撃する事と何ら変わるところがない。
 まして、その委員が元町議となれば、話が全く変わって来るというものだろう。
その人が、任期中に、全方位的に情報の開示を計り、支持者のみではなく全町民に対して、行政の現況を知らしめるとともに、意識の高揚を計ってたのならば、自分の今の論評は避けよう。
 が、しかし、そうではなく、あくまでも自身の知り得た知識や情報を元に、総合計画策定に向かう姿勢をとり続けるならば、自分は、真っ向から対決をする姿勢を表す事になろう。
 ある年齢を超え、役職を辞した今のその人の、町に対する姿勢に絶対に無ければならない事とは、人材の育成であり、町民の意識の啓発であり、現有する団体組織の適切な運用と、広域なる連携を計る事が残された役目となると思うのだが。
 自分が思う、町民としての姿勢としては、一つの部分で言えば、段階的に意識の差違があって当然だと思っている。
まず、必要となる事柄が起こった場合に於いて、第1段階として、自ら出来る事を積極的に取り組む姿勢。第2段階として、自らに限界を感じた時、周りや仲間に協力を依頼し共に取り組む姿勢。第3段階として、それすら困難になった時、民間にある組織や団体の協力を仰ぐ姿勢。第4段階として、それにも困難が予想されるのではなく、立ちはだかった時に行政に対して情報の提供や協力を依頼する姿勢。第5段階として、総てにおいての取り組みが困難になった時、行政に委ねる姿勢。もっとも、この第5段階に立ちいたった事を恥じる姿勢が最も必要な事なのであり、その恥を知る姿勢があって初めて、行政に対峙する姿勢が生まれると言っても過言では無い気がするのだが、
 根本的に、自身の根底にそのような公的なものと私的なものとの住み分けや、私的・公的についての自身の姿勢こそが問われるものだと自分は感じている一人である。よって、この様な感覚で、元町議や現職委員長の発言を見る時、なんと行政が不必要な人材の育成をしてきたのかという虚脱感が自分を襲ってくるのである。
 大先達に向かっての、罵詈雑言は決してしてはいけない事であることは、自分も十二分に承知をしているものなのだが、総合計画に自分達が求められているものは、民間として計画にどのような夢や方策を打ち出す事が求められているのであり、行政の批判や職員の叱咤には、自分は決して関わりたくもない。
 町側から出された原案に対して、協議会側が出す結論とは、原案どおり諮問を返す事なのか、全く対極の案を提示するのか、原案に対して文言の整理ではなく、原案に見いだせない部分の、町民が受ける街づくりの方向性と夢なのか、この3つの道しか存在する術は自分は知らない。
 会議の中で、自分はしばしば言を大きくしたり、威圧的な態度をしたり、およそ自分とはかけ離れた自身を演じなければ、会議が進む気配がない。


5月


2007/05/09
 ○ 深く苦しい心の内に、何故か虚しい風が吹きすさみます。虚ろになっている身体の中に、気怠さとともに季節のない風が、身体の上の方から吹き下ろしているように思えます。
 人と違う感じ方に、自分の中に虚無というものが住み着いてから、もう数十年の時が流れ、その間に、自分自身の自立も孤立に変わり、社会への疎外感を抱きながら、歩き回った北海道内の旅は、競争心しか自分にもたらさなかったように感じ、北海道を離れ北から南方向へと、一駅ずつ、各駅停車のぶらりぶらりの、あてもない変遷を続けたあの頃・・・・
 


2007/04/05
 ○ 歩む
人は、何万年も前から歩き続けている。大地に根の生える大木のように、人類の進化の羅列が続いて今に至る。
自分の原点は、何処から始まったのだろうか?3代前は、北海道恵山から、豊吉翁が砂原村に移り住み、其処から北海道の旅が始まる。
豊吉・豊太郎・正直・政春・と続く血統であるが、豊太郎から直系は政雄(五男)が継ぎ、直系の正直はというと、義洋(四男)が継いでいるように、全くバラバラになっている現状。
 自分は、親を離れても自立一つ出来ずにいる。
僅かな期間に、旅から旅を渡り歩いた時、その期間に自分の人生が決まったと言っていいだろう。
 どの様な土地に足を踏み入れようと、思い出すのは流氷が見渡す限り続く大流氷原でした。
何故、流氷が懐かしく思い出されるのか、何時ども試行を繰り返したとて、辿り着くのは母の背中だった。
 港町を離れ、一関・善光寺・日光・那智・倉敷・津和野・・・・人の少ない時間帯を見計らい、歩みを早めて地図さえ持たずに、懸命に歩みをつづけると、必ず着くところがあります。
 庫裡・・・・

その頃から、自分には何かが附いていると確信をし、名刹巡り(と言っても、当てもなく彷徨っているうちに、その所に着いている)を重ねた期間。
 
    


2007/04/03
 ○ 人は何時か死を迎える。
この世に生と受け、人生を歩き始めた其の瞬間より、死に向かって誰もが歩みを進めなければならない。
 誰一人として、この事から逃れる術を知ることはない。
宗教では、死と生について多くの事柄を述べているが、この事は、よくよく考えてみなければならない。
 日本の仏教と諸外国の宗教の、違いを考えた事があるだろうか?
最近、テロという言葉が、普通に使われるようになった程、毎日地球の上で起こっている事ですが、これも、宗教の教義から出ている事だから、なおさら始末に負えない。
 キリスト教・ヒンズー教・イスラム教・ユダヤ教など多くの宗教では、個人と神との間に契約が交わされる。
ユダヤ教を信奉する人々は、神はユダヤ教で言うところの、神であり、一神教はユダヤの神に於いて他にない。
キリスト教を信奉する人々は、イエスは神の申し子であり、神と一体となるから一神教には違いはない。
イスラム教を信奉する人々は、神の声を聞いたのは預言者マホメットである。ユダヤの神も、キリストの神も、ともに信ずるに値しない。

 などと言って、人々と神との契約を促す。
神と契約したものは、人を殺してはならないとの教えを授かる。これが曲者なのです。
人を殺す無かれ・・・これは、よくよく考えなければなりません。
 同じ宗教の人は間違っても殺してはいけないのです。でもっ・・・・他の宗教の人は、家畜以下の存在なのです。救うという事はあり得ないのです。
ですから、テロという事柄は、同じ宗教の中でも起こる問題です。我が国でも、多くの宗教、宗派で、殺戮が起きていました。
イラクでも、同じ国の人達の間にもテロが起こっています。これは、宗派間の争いから来ています。
 おかしな事です。でも、過去の歴史をみれば良く理解が出来ます。
魔女狩り、十字軍の遠征、アンデスにおける人種の根絶。
こんなものではないでしょう・・・・

神が人を殺す事を歓迎するわけはありません。
まして、人間をや・・・・

 自分が、死を感じる瞬間とは、海中に光り注ぐ陽光の帯が、一点に向かって輝きを見せる時。


2007/04/02

○ 沈黙・・・・
黙って祈る。
 般若心経を唱えてみても、落ち着かない。
   どうしても、落ち着きを取り戻さないと、外に向かって歩き出す事は困難になる。
     やはり、旅は必要なのだと思います。
自分にとっての旅とは、故郷への帰巣本能であるからかな?
 何も思い浮かばない。 どうしたのでしょうか?
   

                     4月


2007/02/25
○ 身体を休める。
2階のの本棚の整理。
懐かしい漫画本が出てきました。 「超弩級空母大和」1〜5、「不沈戦艦紀伊」1〜2、「撃墜王」、「氷山空母を撃沈せよ」、「軍靴の響き」「旭日旗、征く」「大和出撃せよ」「秘録、太平洋戦史」「戦国史」「神風」


2007/02/24
○ 朝陽が見えなく、流氷も消え去り、波打ち際に取り残された残骸が、黒い姿を留めているに過ぎなくなり、鉛色に薄赤の山並みに明かりが、うっすらと、やがて垂れ下がった雲の一部が、雪を振り下ろし薄紅色の水平線と地平線との境界に位置する海岸線を、たおやかに、しなやかに明るくなってゆきます。

 一昨日に、雪降ろしをした昇進丸が、暖気によって完全に雪の残りが消え、昨日の寒気に伴った雪にうっすらと覆われているものを、はしごを登り雪降ろしをします。
甲板上の一面を覆い尽くしている7a位の雪を取り除き、船の上から海上を眺め、港の中に張り詰めている氷と、海上の海面との対比を見つめながら思います。
 この土地に来て、この作業を何回繰り返した事か、船の雪を降っては取り除き、降っては・・・・
毎日、毎日、春の作業を進めながらの繰り返しです。
その間、10〜15日、3月に入ってから、スキーは終了し、完全に春のモードに突入します。
 そうなると、春の足音も、木々の芽生えも、草花の息吹も、心を休める余裕を持たなければ、ただの働き人・・・
人は、生活のために働くものではありません。
糧を得るために、努力するものではありません。
生かされている命を維持するために、働くものだと思うのです。
生かされている命を繋げるために、営みを続けるものだと思うのです。
 だから、命の息吹も、季節の流れも、感じなければならないのだと思うのです。
生かされているから。

 崇太郎君、小学3年生です。非常に頑張り屋さん・・・・
スキー少年団の団員でもあります。
とってもスキーの上手な子供の一人で、いま、大人の級を受ける努力を続けてもいます。
自分が崇太郎君を気にかけるのは、諦めない一途さを秘めているからなのかも知れません。
自分にないものを、多く持っているからなのかも知れません。
笑顔がとっても素敵な、大好きな子供の一人です。
 6年生まで続けてくれたら良いと思います。
もう何年も少年団に関わってきましたが、小学生の最後まで続けた子供は、数少ないものです。
スキー授業で、中学生になった子達を見ると、何故か変わっています。
偏見でものを見る事を避けてきた、自分ですから良く分かるのですが、最後まで成し遂げる事の出来ないというか、保護者の問題でもありますけれど、続けた子供とそうでない子供との差は、成人式を毎年のように出席をしていると、本当に分かるものなのです。
 しっかりと挨拶の出来る人。
 姿勢に現れる力量など、やはり、保育所時代、小学校時代は大切な時期なのだと思います。
だから、崇太郎君の成人式姿を見てみたいものです。

 そんなこんなで、五鹿山は寒かった〜〜〜〜


2007/02/23
○ 温かい、暖かい、あたたかい、なんて(と)いう気候なのでしょうか。
根雪が泥濘に変わり、家から道路までの路は車での走行が困難になっています。
スコップで投げようと、雪に射し込めば、その重さたるやゆうに10s以上はあるでしょう。
車でつくった「わだち」が、そのタイヤの重さと、回転によって巻き上げられて、わだちの両側に出来た水ともいえる雪を、投げようとして奮闘しました。
家から道路までの距離、60b余り、その二倍と家の周りを、腰をかばいながらの奮戦、なんという事でしょう。
特に今年のように雪の多い年に・・・

 流氷は遙に離れて、五鹿山スキー場から眺めるに、遙か水平線の彼方に望めるのみと、岸から流れたと見られる点々と点在する、流れ氷が海水の色と対照に白く浮かんでいるのが、儚くももの悲しさを感じさせますが、これも、興味のない人から見るとただの景色であり、春が来る知らせとばかりに喜んでいる事なのでしょうが、自分にとっては悲しい知らせであり、この湿った水のような雪さえ、愛おしく思えるのですが・・・・

27日頃に、町民会議の優良青少年の表彰を持っての、遠校、湧校、湧小、芭小、湧中、湖中訪問が始まり、来期の推薦のお願いと、雑駁の意見交換が行われます。
その場でのやりとりが、各校の雰囲気となり自分に映るのです。
言葉のやりとりが、空気の色に見え、教室や廊下に漂う雰囲気が景色となって映って見えます。
暖かい色が見えるのか、翳りのあるものが感じられるのか・・・・
楽しみな数時間です。

 夜になって冷え込みがきつくなり、猫の湯たんぽを入れ替える時の、雪の感触はもう氷といっても良いくらい。
風も強くなりました。


2007/02/21
○ 暫く日記帳を更新していなかったです。
何故、熱意が感じられなくなっているのか、仕事上の問題なのか、社会的背景がのし掛かっているのか、役職の重みが重圧となっているのか・・・
でも、どれをとっても当たらずとも遠からずといったところでしょうか?
 スキー授業の先が見えてきた所為もあるのかも知れません。
船の仕事に、先走って考えすぎているのかも知れません。

 一番の理由は、身体的な衰え??
悲しいことに、自分を評価しすぎている方々が、余りにも多いことがプレッシャーとなって、襲いかかってきていることも事実としてあります。

自分は、我が身を良く存じているつもり。
毎日のように、器を秤にかけて自己診断を行っていることも、時間のロスとなって襲い来るもの。
 誰かが言っていました。
苦しかったら言いなさい。
きっと助けてあげるから・・・・
もう、遠い昔の思い出ですが、自分はその言葉に故郷の懐かしい香りを感じました。
林のざわめきの間から流れてくる、ほのかな暖かさを含んだ香り。
 その香りとともに、三陸沿岸の風景が流れて行きます。

以前にも、というより、ふんだんにと言った方があたっている、自分の弱みが頭を持ち上げる。
胸の処から、少しずつ登ってくるこの感じ。
所々で現れるこの感覚は、その所々での風景や匂いとなって、思い出の小箱にひっそりと収められている。
取っ手を持ち引き出そうとしても、暗がりと数の多さによって諦めているのだが、ふと、この感覚が蘇る時、香りとともに光景が流れるように描かれる。
根室、落石、白糠、広尾、函館、岩内、小樽、稚内、枝幸、紋別、網走、八戸、大船渡、陸前高田、宮子、釜石、石巻、小名浜、銚子、東京、焼津、清水、宇和島、博多
自分が立ち寄った港町。
これがなかなか思い出せないけれど、今回のように立ち止まった時に、ふと、鮮明に蘇るから不思議なものです。

 今年の船の支度には、久々に自らの手で仕上げなければなりません。
鉄工場に見積もりをお願いしていたところ、自分の想定範囲外の数字が浮かび出たので、今年度中の支払いには確信が持てないので、ホッキ漁支度のお願いを断念し、最低の金額で仕上がるように、自らの経験をフル動員をして仕上げたいと思います。
その為に、3日前から除雪にかかりきりで、体中の毛穴から塩分が飛び出てしまうのではないかと、思うくらいに汗まみれになり、家の周り、スーパーハウスの屋根、家の屋根、倉庫前、乾し場と厚く締まった雪を除雪機や手作業でこなします。
 何時もの年の雪と異なり、温暖化の影響なのか分かりかねますが、兎に角重い。
除雪を終えて、トラックが入るように道幅を拡げ、倉庫の前の雪を取り除きシャッターを開けます。
 ホッキ漁の油圧モーターを取り出し、高圧水ポンプと一緒に鉄工所まで運び、今日の仕事は終わり。
くたくたです。
 キーを叩く指に力が入りません。
明日は、社会教育で上湧別町と湧別町の委員が結集し、研修を行います。
少なからず、遠からずに合併は避けられませんが、それとは別に、隣り合った町が手を取り合わないなんて、何か変だと思いませんか?
この国は、優しすぎる国であるばかりに、支離滅裂に、無分別に、理屈や屁理屈がまかり通っていますが、一つの例として、合併の事があげられます。
 国民が平等の権利を保持するとともに、受ける権利も有することから、社会福祉の名目で交付税というものがありますが、これは、都会からのお情けである事から、都会でないところでは自らの社会は、自らの力と協力と知恵で維持するべきであり、行政におもねっている事は許される事ではありません。
何故なら、地域興しを例に見るまでもなく、我が街しか胸中にないからです。
 まず、今ある地域社会の有り様は、都会や企業の血税から導き出されているものである限りに於いて、都会でない所に住むものにとって、寸分も感謝の念を忘るべからずなのであり、それを、一点において考える価値はあるもので、感謝の念からしか我が田舎が、光り輝く術も見つけられるものではありません。

 ひとはみな あるくものかは はるのかぜ ほほにふれるる おもいびとかは          駄句


 わすれぐさ わすれなきみに わすれゆき かたにおくてを ゆきがふれまう          駄句


 かみとして ほとけとしても ありきみは うすげしょうにも うすほほそめし           駄句


涙は、とうに忘れました。
流す涙は、想いの中にそっと置きます。
人の心の厚化粧にも疲れました。
 泣く涙は、自らに流します。
啄木の胸中が蘇ります。
ふるさとの なまりなつかし ていしゃばに ひとごみのなかに そをききゆく
たはむれに ははを
せおひて そのあまり かろきになきて さんぽあゆまず
こころよく われにはたらく しごとあれ それを
しとげて しなむとおもふ
なみだなみだ ふしぎなるかな それをもて
 あらへばこころ おどけたくなれり

中学時に、図書館に通い詰めて読み耽った、「一握の砂」「悲しき玩具」の、一握り・・・


2007/02/08
○ 本日の少年団が終わりました。
来週の月曜日は、連休にはいるため、少年団はお休みになるようです。
中日に休みを取るなんて、実に心憎い配慮であり、保護者の都合なのかはどうでも良いことで、久し振りの休みに入り、ニシン網をつくる時間が出来そうです。
 2月中に、ホッキ漁の支度が待っているので、網作りをノンビリ構えている余裕はないはずで、少しずつ少しずつ春漁に近づいている。

 自分は、テレビが他の誰よりも離れることが出来ない質のようです。
中学2年の時に、家にテレビという代物がやってきてから、自分の世界が全く変わったといえよう。
 それまでは、母の友達の家にお邪魔をして、プロレスや相撲、「夢で逢いましょう」「てなもんや三度笠」「のど自慢」なんて枚挙に暇がないほど、のめり込んだものでした。
その頃まで、よその家と自分の家との、暮らしや雰囲気などには、全く興味がない日常を過ごしており、貧乏が当たり前で、自分にとって三度三度の白米が、何よりも嬉しかったし、大きな器に盛られた山盛りのおかずや、四季折々の魚貝類に舌鼓を打っている、小生意気な小せがれといったところでしょう。
 自分の好きな番組の傾向は、ドラマやお笑いものでもなく、唄の番組でもなかったのです。
ノンフィクションものや、「世界の旅」などの、未知な映像に目を輝かせている、一人の見窄らしい子供であったと思います。

 高校に入り、アルバイトに精を出し、家の漁にも手伝いをしながら、その当時、映画が無声映画から、白黒の音声がはいり、白馬童子や嘉納治五郎の柔道ものに、爛々と目を輝かせながら、見入っていた頃から、高校生になりオリンピックがカラーで放送されると聞くに及んで、東芝のカラーテレビを購入し家に運んだ時には、得意満面の趣で悦に入っていた当時が、恥ずかしく、その自分を見ていた父の胸中を現在鑑みるに、いたたまれなかったものと推測出来るようになったのは、この歳になってからで、何とも情けないけれど「孝行したい時には親は無し」「無くなって知る親の恩」。
恥ずかしい限りです。
 テレビも買った。
電話も入れた。
そんな自分を、父や母はどう思っていたのでしょうか?
 しばれた朝に、流氷を確認するために、踏みしめる雪が「キュッキュッ」と、鳴り続く音を聞く度、胸に痛いくらい冷たい風が吹き荒れる時、その度に悪いことをしたものだと、つくづく反省がわき起こります。

 昨年も、お遍路に行くことが出来ませんでした。
故郷の墓参りにも行くことが出来ません。
白い世界に木々が連なり、漂漠とした峯峰を仰ぎ見る。
 木々が鳴り、木々が唸り、木々が泣く。
ダイヤモンドダストに輝きを見せる光景にも、何の感動もなく黙々と歩みを進めながら、一歩一歩頭が俯きを加えるのは、適えることの出来得なかった親への悔い。
 幾らしてもし尽くされることのない、親への恩・・・

 幾年月を重ねようとも、未だに幼き事の大かりきと・・・


2007/02/06
○ 朝からの粉雪に気温が高く、それに風が相まって何とも異様な一日の始まり。
恒例となった、スキー授業は湧別小学校3年生のクラスでした。
気温が高く湿った雪のために、スキーが滑ってくれません。
A班B班C班と区別されたクラス分けの中、今日の自分の受持はC班12名。
スキル的には随分と開きがあるなか、全く滑ることの苦手な児童が2名でしたが、滑れる児童的には軟弱となる授業ですが、ある程度は滑ることの苦手な児童に合わせた授業に、ブーイングの出そうにな雰囲気になる可能性が高く、ここは何とか無い知恵をひねり出す工夫が必要。
 その様な時には、一番滑れる児童数名に指導の手伝いをしたくなるように、仕向ける小ずるい知恵も必要かなと、一人ほくそ笑みながら、ワザと鼻歌なんか加えながら・・・・
それでも、降りしきる雪の中での授業になっているために、一息一息ごとに「寒くないか?」「手は冷たくなっていないか?」「痛くなったところはないか?」なんて。
その度ごとに、一名また一名と、ロッジに向かう児童が現れます。
 服や手袋に付いた雪が解け、身体が冷えてくるのは避けられませんから、常に児童の顔や動きに気を配り続けなければなりません。
 2時間のスキー授業の何と長かったことか・・・

 スキー授業が終わり、ロッジから出て児童が乗るバスを見送り、一路家路に向かいます。

お通夜の手伝いは1時からとなっていますが、両湧別町社会教育委員の会議合同研修の打合せがあるために、文化センターに向かう。
 今年度の当番は湧別町が行うことになっているので、日程・内容などを話し合います。簡単に終わると思われた打合せも、過ぎてしまえば4時になろうとしていました。
真剣に話し合いとなれば、時間は経つものです。

 お通夜
今日は本町で、加藤という姓の弔いが2件。
どちらも漁師関係です。
この町では、必ず関係する葬事が3件続きます。2件目・・・
 通夜が終わり、親族の飲み物、食べ物の用意をして、お手伝いの人が三々五々に家路につきます。
トラックのエンジンをかけ、走り出す前方に暗くなった道路や家並み。
ライトに照らし出される、路面には吹きさらしの風に舞い踊らされている雪が、踊り子の舞のように、蛇から繰り出される舌のように、目の前を洋々なる様を見せながら過ぎ去って行きます。
冬の光景と片付けてしまう、この一瞬なる局面にも、葬儀を終えての帰り道では、趣が変わって見えてくるものかも知れません。
 それとも、自分の気の重さから来るものなのかも。

人の一日、人の一時には、様々な出来事が重なり合って、見え隠れしながら繰り返されて行くものなのでしょう。
一足も止めることなく、歴史の塵芥となって・・・
 自分の住むこの土地には、今色のない世界が佇んでいるようにも見えるが、その世界にも、やはり色は存在するもので、白いと思い込んでいるものでも、微妙に光や気温の変化が白が純白ではないことだと、自分に知らせてくれるものなのです。
まだまだ、知らない事柄が多すぎる。


2007/02/5
○ この時期に暖気とは?
日中の最高気温が+を示した後には、必ずといって良いほど大荒れが起きるものです。
4日の選挙投票日にかけて、暴風雪がこの地域に襲いかかり、投票場所への道路の状態は、一寸先は闇とは言わず視界ゼロ、朝から車を出すために除雪を繰り返し、何とか向かいました。

 上湧別スキー協会主催による、スキー級別テスト、ジュニア級別テストが行われる予定であったが、猛烈な風と雪によって中止になったようです。
中止になれば、次週に持ち越しとなるのが本来ですが、遠軽地方スキー連盟事務局の手違いで、湧別スキー協会級別テスト開催日が2月11日になっており、上湧別スキー協会から11日の湧別スキー協会主催検定を、譲ってくれないかとの連絡から、湧別スキー協会のスキー級別テストが、本来2月18日であったものが、2月の11日に検定と北海道スキー連盟に提出している関係で、上湧別と湧別とがぶつかるので何とか、上湧別スキー協会にとの、自分に対する湧別スキー協会事務局からの連絡があった。
自分も出席していた、遠軽地方スキー連盟の総会で、当時の湧別スキー協会事務局からの提案で、2月18日と決定していたことは記憶しているため、そのように湧別スキー協会事務局長に口頭で伝える。
 自分は今、一般の会員として活動しているため、協会内部や連盟の事などは、思案の外にあるべきなのだが・・・・

お互いに譲れるものは譲って、相互に関係協力を築いて行くことが望ましいことで、会員のために、両町の愛好家のために・・・
大人としての良識と見識を発揮して、関係強化を図ることが望ましいと思う。

 生田原町へ、徳丸さんの奥様の1周忌に、徳丸さんの娘さん家族が苫小牧から、高速を使って午後に来ることから、昨日に湧鮮館より買い置きしていた、ホタテとカキを持ち向かう。
仏前に額ずき、供物を横に祈りを捧げ、生田原を後にする。

 3日に、同業者である加藤さんの御母堂死去により、6日通夜、7日告別式と決定通知が入る。
70代はまだ若すぎるが、これも詮無いこと。
 圭一の同級生であり、9年間同じクラスで育った、伊藤幸宏君がくも膜下で緊急入院となった。
病院は北見市で、脳神経外科は4件あり、北見中央病院、小林病院、北見日赤病院、北星脳神経外科病院があるが、さて、見舞に行くとして何処?
圭一の言葉からは、何がどうなっているのか、皆目見当がつかない。

 スキー少年団では、1班がどんどん2班に上がって行く段階にきており、上がるかどうかは指導員の充実にかかっております。
特に、この時期、1班には付きっきりで指導することが必要になって来ることから、指導員若しくは協力者の出現が待たれるところですが・・・


2007/02/03
○ 物凄い冷え込みの中を、何時も通りに港へ向かいます。
車のフロントガラスが凍り付き、前の一部分だけをスクレッパ(氷落とし)を使って、心は明け方の空に向かいながら、急ぎ向かう。
もうもうとした朝の冷え込みから、解き放たれた海霧・・・
流石にもうこの頃になると、車の数が増えているようです。
好きなんだなぁ〜〜なんて思いながら、車を他の邪魔にならないように止め、波打ち際へと進みますが、これがなんと寒いことか・・・
朝焼けがオレンジ色を見せてくれています。
もうもうとした煙・・・これは、うち上がる波の飛沫が、外気に触れ湯気のように漂う現象です。

大好きな場面・・・


1月  ntopへ


2007/01/30
○ 綺麗な色の朝焼けが見られるようになりました。
いよいよ、流氷が到来したのだと思います。
テレビの画面に映し出される、流氷情報には網走・紋別地方のみがぽっかりと海水面が出ているのを示しており、見つめる眼差しに失望の色と期待の輝き?が交差している。

海岸へ続く路を走っていると、何時もは除雪していない道が綺麗になっているではありませんか。
なるほど、これも選挙戦の影響が垣間見える一幕なのでしょうか?誰かが行政にではなく、候補者に願いをしたのかもしれません。
選挙戦にはよくある事柄で、行政側が普段の姿勢をがらりと変え、直ぐやる課に豹変する時期。
それを見越しての、住民側のしたたかな側面を考えさせられる道を、ニコリと笑顔で通り過ぎ、カメラを片手に波打ち際へ下りて行きます。

足早に去って行く月日の流れに、ただ身を任せているわけでもないと思うけれど、それでも、流れは自分の周りにも、見えない空気からも感じられて、足の遅さに苛つきながら歩いています。
毎日の新聞、テレビ・・・幸せな時代なのか、はてまた・・・情報に満ちあふれている社会が幸せな社会なのか?
今日の朝刊
地域のニュース・・・少子化に歯止めかからず。地域医療に危機的状況・・・
何か、今回の選挙戦のようです。
地域の過疎というのは、もときた道を辿っているだけの話であり、田舎に居を構えた以上避けて通れない現象ですが、食い止める手立てがないわけではないと思います。
(過疎化)・・・全国の田舎といえる市町村では着実に進んでいる現象であり、過疎が何時から始まったかと言うことになれば、団塊の世代が社会に出始めた頃から顕著になり、産業の形態が1次産業から2次産業に代わり、3次産業が確立した事で決定的に消費社会へと移行した段階で、拍車がかかることになった。と自分は覚えているのですが・・・
(少子化)・・・これは女性に対する社会の認識不足と、認知誤解から来るものだといえます。
女性とは、現在メディアでお騒がせの、柳沢厚生労働大臣発言が・・・女性は産む機械・・・で国会を止める勢いですが・・・よくよく考えてみると、当たらずとも遠からず。
女性の国会議員や女性の地位向上を訴えている団体などは、よく考えて下さい。
これに憤慨すると言うこと自体に、違和感が発生するということを。
古今東西、女性は総ての中心であり続け、歴史上女性の名前が少ないことが即、女性蔑視の歴史だと言われているけれど、男性と女性の性質から

スキー授業がありますから・・・・このあとは
つづく


2007/01/27
○ 流氷がまだ自分の前に姿を現してくれません。海岸への通路も例年ならば除雪している筈なのに、これも財政のひっ迫から来るものなのでしょうか?
港に勇壮と佇む湧鮮館の展望台も、心ない人が鍵をかけて外部を隔てるガラスドアをこじ開けてテラスを使用した事と、その後、ドアを元通りに戻さなかった結果、暴風雨が直撃しドアの破損に繋がり、常時開閉不可となった。
流氷の季節になり、展望台の需要が増したこの時期になっても、写真すら撮れなく何のための展望台?
これも、モラルの低下からくるもの・・・・

 未就学のスキー教室。
2回目となります。
今年度の子ども達はレベルが高く、満足に滑ることの出来ない子供は1人だけ、でも、満足に滑ることの出来ない子ども達を想定しているのが、この未就学児の親子スキー教室です。
講師の先生は、自分と平形新会長、伊藤事務局長です。
リフトに乗ることの出来るレベルが2人、後が、自分たちの出番となるのですが、子ども達はレベルの高い子供に引っ張られる事に。
その結果、自分は子ども達がある程度疲れが出てくるのを、講習しながら待つことにします。
でも、だめですね。
持って生まれた性質なんてものは、そうそう自分の意のままにならないというか、思っていても身体が違う方向に動いてしまう。
講習が終わって残ったものは、汗だくの身体と疲れ・・・・この後、我流で滑ったら風邪を引いてしまうのは、歴然とした事実と判断出来るようになっただけ、まだましということかも?

 シュタイナー教育
大村祐子講師を迎え、午後6時30分より開催されました。
写真を撮りながら、講演の話を少しだけメモることが出来ました。
子供が産まれる時に持ってくる12の願い?という講演内容だったと思います。
話口調が素晴らしく感じられました。
語りの中に、自らに言い聞かせるような、内容を確認しながら、聞き手に語りかけるような口調
・・・見習わなくてはいけません。
プロとしての実践と専門家としての経験と知識が、全く出ないというか出さない。
高僧をも思わせる、話のテンポと空間に本物(失礼)と感じました。
・・・智学・・・
我が国に古来から伝わる教えと共有する部分が多くあると感じ、我が国では精神を高める方向として、自らの内面へと向かうことに対して、シュタイナーの唱える智学とは、自らが高まる事は勿論ですが、高まる精神を共有する事に向かう。
自分一人が高まったとしても、それは自身だけの結果であり、自らが孤独をもって精神世界を形作るという方向へと向かうのが我が国の精神世界の姿。
それを、自らは他と共有する世界に生きる以上、他とともに高め合わなければならない(一時の講演を聞いての感想ですから)。
 その講演で購入した本さえ、まだ見ていないで述べるのは、笑止千万と笑われてしまいますね。

命、生命、人生、生、死、老、病、苦
般若心経、観音経、これらの精神のあるべき姿として、神仏が我が国にはある。
八百万の神、森羅万象を司るとされ、総てのものに宿ると謂われる、神。
精神の向かうところ、すなわち仏。
大乗仏教・・・小乗仏教・・・禅・密教・・・
修業として内面に向かう作法、生きることを教えとする説法、授かりを形で表す功徳、教えとは、功徳なり・・・
トイレで次の人のために、水を流すのは功徳とは言わない、それは自らのなす修業としての姿であって、功徳ではない。
功徳とは、次に使う人のために綺麗に使おうとする姿勢をも謂わない。
トイレが何故必要なのか、何故綺麗に使用しなければいけないのか、流れる年月をそのものとともに、在るべき姿を他とともに共有する事が功徳に繋がる。
功徳とは、人に施しを授けたり、他に気心を配る事ではない。

なんか、説教みたいになってしまいました。
愚痴とも言えます。


2007/01/26
○ 忙しくしています。
慌ただしいと言ってもいいくらいに、忙しいのでしょうねっ。
流氷が見えました。五鹿山スキー場のリフトからも、頂からも木々の間からも・・・
2月の町長選が、対立候補が出現して選挙となったことは、湧別町の未来を展望する時、良いことだと思います。

 子ども達の前で、大きな声を出して自分を奮い立たせています。
決して子ども達の将来のために良かれと思ってしていることとは思いません。
自分の総ての行動には、自らの精神的な脆さとの闘いが潰えないように、敢えて課しているとも思えるのです。
「口数が多くて言葉が足りない。」
自分の戒めでもあります。
亡き父が自分に対して言いたかった言葉。
「笑顔に隠した欺瞞」
亡き母が痴呆になる前に、交わした言葉の中に含まれたと思われる一言。

言い得て妙
自分も一人の親ですが、一昔前の親の大きさには敵いません。
でも、やはり、世代的に自分には流れているものが見えます。

この心の虚ろは何処から来るものなのでしょう。
どのように忙しくしていても、何かしら埋めきれない空洞があります。
どのような人にも、或るものだと思うのですが、自分の空洞はブラックホールのように、周りのもの総てを呑み込むような、光さえ呑み込むような暗黒の物質が心の片隅に潜んでいるような感覚が、幾十年もの間自分を形作って来たのでしょう。
母はそれを感じていたのかも知れません。

自分には金銭欲というものが全くありません。
物質欲も・・・・
名誉欲も・・・・
生きられているだけでいい
生かされているだけでいい


2007/01/22
○ スキー授業で今日は湧中で生徒120数名。講師派遣では、湧校から2名、湧別町教育委員会から鈴木先生、スキー協会から伊藤、関野、石垣と3名の講師陣に、湧中教師(教頭先生含む)7人での2時間の授業となった。
 自分の班は7人。
楽しむことを重点的に確認しながらの授業風景。
五鹿山の頂からサロマ湖、オホーツク海、上湧別市街から湧別市街が見渡せます。
外海のオホーツクは青々として、流氷の帯でさえ見ることは出来ません。
サロマ湖の結氷は少しずつ進んで、海面が一日一日狭まってきているのが確認できます。
 授業が終わり、帰宅し、智也への荷物の発送に湧鮮館へと、トラックで向かいます。
少年団がもう少しで始まる。


2007/01/21
○ 雪の結晶が綺麗に見える昨日からの降雪でしたが、軽油のタンクを覆っていた除雪した雪を、トラックにて港へ排雪し汗ばんだ身体を、一休みとともに煙草に火を付けて一服の至極の一時を感じる。
コンピューターが風邪をひいたのか疾病なのか、不具合が幾度となく押し寄せている。
ウィルスソフトが組み込まれているため、大きな障害は起きてはいないけれど、ビルダーの書き込み、一太郎の編集、映像ソフトのバラツキなど、パソコンでの打ち込みに不具合とでも言えないが、旨く機能しない時が時々起こりますから、この部分でパソコンの修理となるのか、このままにXPの修復を実行しながら我慢をするかが、パソコンの入力作業及び写真映像の取り込みまで影響しなければ続くことになるでしょう。
 
 夢に出てくる光景
港の桟橋を歩いている。暗い中を桟橋の袂にあるレストランの灯りが、蝋燭のキャンドルに照らし出される客の顔を、ローカルの脳裏に微かにオレンジ色に浮かび上がらせて、ゆっくりとその建物を通り過ぎようとしている自分に、カーキ色に錯覚させるように計画されているような感じをさせる。
店を横切り、長く続く桟橋を照明が点々とスポットのように、暗がりと明るさのコントラストを際だたせ、歩んでいる自分の歩のリズムを変えさせるように、明るさの中に釣りをしていると思える人の点在が、桟橋から見える定期船の電飾とともに、リズムの変化を与えてくれる。
左側に港の照明と船の灯り、前方には暗がりに微かに見える低い山なのか丘なのか、判断が出来ないがその様な林を含んだ小高くなった丘陵が見え、右手に視線を移すと海へと続く海面が、微風の風を孕んで水面が照明に照らし出されて、自分に向かって押し寄せてくる様は、大船渡でみた光景を彷彿させてくれる。
 桟橋の突端に立つ。
来た路を眺めて見ると、街の灯りが漆黒の空を明るく照らし、桟橋の照明がその灯りに向かって長い距離に見事なコントラストを描いているように自分には映るのでした。
セピア色の世界


2007/01/20
○ 薄明かりの外の景色で、シンシンと粒の大きな雪が音もなく落ちています。
積もるんだろうなぁ〜〜〜、外に出てみると長靴の甲の部分が埋まってしまいそうなほど積もっています。
降り終わるまでは、雪掻きが出来ません。
薄明るくなってくる海岸へと車を走らせる。
 フロントガラスに降り積もった雪が、走る車の風により、リアガラスの彼方へと飛行機雲のように飛び去って行きます。
何時もの海岸へと着いてみると、やはり、除雪をしていないから徒歩で行くしか在りません。
サクサクと音が聞こえるところをみると、波が無い事が分かります。
空一面の曇り・・・・高いところから朝が始まるように、雲の切れ間から薄ぼんやりと、太陽の輪郭が見えるのを確認して帰路につくが、展望台のところでふと除雪がしてあるのに気が付きました。
 綺麗に雪を取り除いた駐車場に車を止め、展望台へと足を運びます。
最上階には、湧別の全景が薄明かりの仲に浮かび上がって、所々に朝の団欒を知らせる白煙が垂直に、天に向かって昇って行くのが見えます。
流氷の姿はなく、一面の静寂の世界にあるオホーツク海の冬のオホーツクブルーが拡がっています。
 09:00 児童館(保育所・児童館・子育て支援センター)での、餅つきのお手伝いに向かいます。
子ども達が数人、遊んでいます。
餅つきの支度には、色々と在りますが、もう何年この様な風物詩が見られなくなったのでしょうか?
家庭の行事の節目節目・地域行事の折々など、特に暮れが押し迫った27日〜30日にかけて、近所で盛んに聞こえていた餅つきの音や、付き手と相取りの掛け合いの声が、正月支度と相まって日常的に垣間見えたものでありました。
 そんな事を思い出しながら、支度は淡々と進みます。
 10:30 子ども達26人?が揃い、餅つきの開始です。
支援課の山田課長が、蒸し上がった餅米を臼に入れ杵でこねり出し、その後を自分が仕上げ、いよいよ始まりです。
自分は相取り、子ども達に昔ながらの餅つきを見せます。
相取りのかけ声で、杵が上下に踊ります。
打々発止のまつり風景を、日本古来の信仰に由来するまつりの原点。
 感謝と願いを込めた餅つきとは、声で踊り身体で具現する。
子ども達には、巫山戯ているとしか映らないように、職員の数人にも掛け声の意味・タイミングの意味・餅を叩く手の響きの意味、それらの事ごとくに意味がある事も知らないでしょう。
 それでいいのです。
意味を知らなくても、その様な行為が行われていたという事。
その伝承が大切なのだと・・・

餅が付き上がり、二つ目の餅は子ども達や職員の経験として執り行います。
そして、子ども達の最大の楽しみ、お雑煮の食事です。

 12:30 雪が収まり、スキー場には時間があったので、雪掻きです。
1時間かけて、終わる頃には汗びっしょり・・・・
身体が鈍っているから、汗が絞り出すように出てくるのだと思います。

 14:00 親子スキー教室の始まり。
最近では珍しく、スキー場が込み入っています。
未就学の子ども達にスキーの指導を行うという事は、取りも直さず、スキーの普及と遊びの延長であるスポーツの振興、それと親子で行う事で若い親への子育てのワンポイントアドバイスなんて、家庭教育の一助と、生涯スポーツの一助なんて、自分が楽しいだけなんですけれど・・・・
 日本スキー連盟の指導教本には乗っていない指導
形からのスポーツの導入ではなく、遊びからのスポーツの導入という自分のコンセプトから、指導のマニュアルから逸脱したように見える、自分のスキー指導理論(偉そう)・・・見ることから入るスポーツ・・・・
なんて

 今日は疲れたー

 ひとみから いただくあかり 初心へと


2007/01/16
○ 丑年会の案内ハガキを、印刷する時期が来ました。会場の予約、ハガキ購入、18年度丑年会資料整理、二次会手配、会費設定、19年度資料作り、飲食設定、余興準備等々が続きます。

小中校の始業式が始まりました。
街頭指導の再開です。
メディアでの子ども達への事件、事例は報告されていませんが、二月に一度のペースで近隣市町村での、被害報告が手元に届きますから、街頭での活動に停滞する事は許されません。
何かが起こってからでは間に合いませんから。

この街では、選挙の慌ただしさが空気の流れのように伝わってきます。
この様な時には、得てして活動の盛り上がりに欠けるきらいがありますから、手を抜かないように気を付けます。

毎年、少年団に入団してくる団員を、今年も見る事が出来ました。
昨年の4班、5班の子ども達は退団していましたが、変わらずに見る事の出来る顔と顔は、相変わらず可愛ゆくて堪りません。
スポーツは競技性が持て囃される現況にありますが、生涯スポーツの見地からみると、楽しく遊びの要素を多く取り入れたスポーツを勧めて欲しいものです。
夏には夏のスポーツ、冬には冬のスポーツというように、地域の特性を鑑みてみると、季節に応じたスポーツの振興にこそ、子どもの発達を飛躍させるものが多いと思うのですが。
指導者自ら、スポーツに勤しみ楽しく活動する姿こそ、子供へ向ける指導者や大人の姿であれば、伸びやかに健やかに成長を量れるものだと思います。

朝の気温の低さは、降り落ちる雪の結晶を見ると、よく理解できるでしょう。
流氷が近づき、海面の色や陽光の反射に、接岸が近いと教えてくれます。


2007/01/13
○ 胸の痛みを覚えています。
中学1年生の時、祖父の危篤を知らされた時と同じ痛みを感じるようになっています。
 教室から校庭を抜け、下り坂を掛け下るように走り、上り坂を300b校庭から見える家の屋根が目の前に、やっとの思いで着いた我が家。
そこからの記憶が自分にはありません。
その頃に自分には、一種の何かしら特技というべきものがあったような気がします。
感情のコントロールと言うのでしょうか、空想の世界に自由に出入りが許されているような気がしていたものです。
心に負と感じるような出来事には、意識を剥離させることが簡単に出来る、今で云うところの精神異常とでも言うのでしょうか?
 その時分から、神仏に異常に関心を持つような子供だったことをも思い出します。
寒気が厳しさを増す中で、流氷が近づきつつあるなかで、研ぎ澄まされた感情が剥き出しになっている事も、胸の痛みに関係をしているのでしょうか。

 現実には、世間の慌ただしさが周りから自分へと、確実に近づいている事への拒絶感も相まって、小さい頭の中ではめまぐるしい葛藤が蠢いてもいますが、最近になって真理が見え始めているように思え、その分、深く深くコントロールされた感情が潜行して行く事を感じ、言葉の足り無さを悔いている自分もいるなんて・・・・

 子供が育つごとに、親としての姿の変化をも感じられます。
幼い頃には、優しさと慈しみを与え、長じては後ろ姿で人の道を教え、青さには言葉で物事の真理を伝え、老いては心で見守る。
親とは、伝承の連続。
神仏から人だけに許された知能。
驕ることなく、誇ることなく、感謝することもなく
人はただ、生かされている事を知るのみ・・・・

 どのように社会や世界が変化しようとも、真理・真実はただ一つ

なんて
降る雪に感情があるように、流れる風に香りがあるように
人だけが住む世界ではないということ

 この町の事、漁業の事、子ども達の事が何故か心配になります。
この儘、ただむやみに時を過ごして良いのだろうか?
本質を見誤った儘で動いている、組織や社会が心配です。


2007/01/06

○ 新年明けましておめでとうございます。
このホームページも6年目を迎え、気持ちを新たに更新作業を送りたいと願っています。
 今年のページ更新目標は、漁業の事に重点的に取り組みたいと考えています
漁業の歴史
漁業の分類
漁業の現況
漁業の方向性
漁法の色々
漁業の進む途

漁業用語
漁業と釣り
漁業と消費者
漁業と生産者
                          
                          これらの一つ一つが、最も大切なものであり、総ての業種に通じる事柄であり、それらの中に自身の考えが中心的な方向性を持つものであることは、自身最も心に留めて作成にかかるつもりです。
 この漁業という分野には、膨大なページ数を要することと思いますが、あくまでも客観的に要点を集約して、のせることになります。

掲示板を設けてとの、声がずいぶん手元に届きますが、この場所は、自分が日々感じたままの気分的なことを書き連ねる場所としていますので、書き込む時間的余裕のある時には、掲示板の再登場となりますが、現在は未だにその域には達していないと考えますので、辛抱をお願い致します。

 あきていま いてつくだいち ひがさして      駄句


 今日は、水難救済会の出初め式です。
救命索発射訓練が、執りおこなわれます。
湧別救難所湧別支所救命銃班、湧別救難所三里支所救命銃班、湧別救難所中番屋救命銃班
 これらの3班が、バズーカ式救命索発射訓練(中番屋)、ライフル式救命索発射訓練(湧別、三里)
世代交代が、どんどん進んでいるのか、自分が所属していた頃と現在の救命銃班では、年齢構成がかなり進みました。
 救難所は、ボランティア組織です。
数年前に、やっと出動に際して保険が適用になりつつあります。

昭和14年12月12日 インディギルカ号が、浜鬼志別沖合で座礁
 ロシア船籍の貨物船が、オホーツク海猿払村の海岸で難破し、漁民が船員の救助にあたった事故の教訓から創設されたもので、現在も事故現場に慰霊碑が鎮座しています。
昭和31年12月12日 ソ連船「インディギルカ号」遭難者慰霊祭が挙行される。

明治23年(1890年)9月16日 紀伊大島
オスマン・トルコのエルトゥールル号、乗組員587人が死亡し、生存者わずかに69人。
海難史上まれにみる惨事だった。四国地方を台風が北上し、大島は東風が吹き荒れていた。横浜港を出発して、二日目のエルトゥールル号はマストが折れ、カジがきかなくなり、大島の樫野水域に突入した。いかりを下ろそうとした瞬間、岩礁に激突、船底から海水が流れ込み、蒸気機関が爆発した。
どうにか岸に流れ着いた生存者が助けを求めてきたわずか60世帯の島民がその69人の体を温め、浴衣を着せ、自分たちの非常食を与え、介抱し尽くした。
世界中の国々中で一番の親日国ともいわれる、トルコ共和国の親日の謂われ
 

このように、国境を越えて真摯な心の交流は、国家レベルでもなく官僚サイドから発生したものではない。
 鬼志別では当時ロシアは想定敵国であり、大島は国家間の条約を結んでいる国でもなく、軍艦であることから民間には手を付ける術のない事故であるにもかかわらず、人間として原点ともいうべき和の精神から発生した行動であったと、自分は思う。