日記帳 2

つれづれなるままに、想いのままに・・・・
日々の、ゆらぎをかなえる歩み
古のことばを聞き
大気の流れを感じながら
ただの、歩みの

なぐり書きの、一時に・・・・


昭和の小漁師top

日記帳1
日記帳3
日記帳4
日記帳5
日記帳6


○ 後一日で、新年を迎えます。朝からの雪模様に雪掻きをして、ネコの「なな」の水が凍っているのを取り替えて、祭壇の整理と飾り、第八昇進丸と船外機の昇進丸の船の注連飾りで一日が終わろうとしています。一年の体への疲労の蓄積が取れないままに新年を迎えると思うと、何か気が重く感じられます。 心の平穏を取り戻すことを前提に始まった一年でしたが、かえって、又増えてしまったような気がしています。 色々な事が心への圧力となり、ストレスというものではなく、コンプレックスと言った方がいいのかもしれません。実力が伴わないままに役職がつき、それに精力を傾けると又遣らなければならないことが増えてくるというように、整理ができない事も要因としてあげられ。 自分の限界を知りつつ期待に応えることは、一種の罪なのでしょうか? 後一日です。 来期に何かを誓いを立てて迎えるのには、不誠実だと思うのですが。

 自分の中に、依然として母の温もりを求めているのだろうか? 母は何年もベットの上に横たわり、兄の名前も家族の存在も忘れ、夫である父の死も知らずにいる母の温もりを求めたとしても、抱きしめてくれることもなく、暖かな眼差しを向けてくれることもなく、ただ毎日食事と睡眠を繰り返すのみとなった母に、自分は何を求めようというのか。 母の後ろに観音様を思いえがいているのかもしれないですね。 母から暖かい言葉を受けた記憶がありません。母から抱きしめてもらった意識がありません。 母から受けた感謝の心もありません。あるのは追憶だけ・・・・

 自分は一人で生きてきたわけではありません。

 自分は一人で生きてゆくわけではありません。

 人に迷惑をかけずに、人を傷つけることなく、人から後ろ指を指される事を嫌い、人から慕われるような人になろうと、懸命に走ってきたような気がしています。 当たり前のことを当たり前のように行動し、人に温かく接するように心がけ、笑顔を絶やさないように振る舞い、自分より少しでも秀でた人を尊敬し、自分をこよなく愛するように努める。自分がある時期から自身が生きてゆくために、心に誓った決めごとです。 当然のことに、未だにその一つ一つができているわけもなく、できるだけの器もなく、できるだけの知識もないまま過ごしてきた年月を、無駄とは思わないけれども、反省の念が起こることは否めない。

 自身の心が綺麗ではないから、綺麗になろうとする。

 その事が、もう少しで今年が終わろうとしている今、自身の苛々に繋がっているのかもしれません。 自分の心に社会教育の理念が必要なのかもしれません。

 今年も、本当に多くの人が亡くなりました。 台風災害、地震被害、事件に巻き込まれた人たちです。数日前にも自身からの津波発生から数万、十数万人の人が・・・・!!悔しさを残し、悲しさを残し、無念を残して旅立った人々です。思うほどに涙がこみ上げてきます。 事件も多かったと思います。それも、例年になく低年齢化が進んでいることも、悲しい現実でしょうか?何かが崩壊していっているように思われてなりません。昔に戻れば解決するようなものではないこともまた現実として受け止めるべきでしょう。

 大晦日は、今年亡くなった人を想う一日だそうです。新しい年をその方々の想いを汲みながら、迎えるものと伺ったことがあります。 人が人の命を大切にするだけではなしに、生きとし生けるものとこの地球上で一緒におもいを新たに、迎えましょう。そしてまた一年、一日一日を大切に、感謝する心を日々忘れずゆきたいと想っています。

上を向いて歩くことばかりではなく、下を向いて一寸の虫の命を無駄に縮めないように、願いながら・・・感謝・・・感謝!!


○ 港に船が6隻残る。15トンホタテ桁曳船3隻・・・B海区の沖5マイルから6マイルまでの間に資源増大として設置したコンクリート製の魚礁が、操業に支障を来たしていたところから撤去に動き出した。今日の29日までの操業で年明け11日から流氷の確認時期までの間に撤去されるように。あとは、ニシンが見えているので、それを狙っての越年となる。港に年明けにもかかわらず何隻かの漁船が係留している光景は、何十年ぶりになるだろうか?
 一時期はどこの港でも越年係留は当たり前の風景として、自分の記憶に残っていた。漁業としての経営が成り立たなくなり、出稼ぎが増えそのうち忘れ去られた光景であった。

今日29日は、水難救済会の出初め式に備えて、道具の点検整備と、所員の発射訓練、その後慰労会へと進むが、自分は今回で定年退任となるので最後の奉公となる。長男の圭一が自分の後継として、救済会のもやい銃班に新規加入となった初めての訓練でもある。 前浜青年部の来年度の部長としても、張り切っていることに不安と安堵と、感謝の念が湧いてくるのを覚えてもいる。
 毎朝、朝陽をみるために海岸へと向かう。何回観ても感動が湧いてくるのはどうしてなのだろうか? 暗い中から徐々に徐々に色が湧いてくる。雲の状態や気温の状態、天候の状態で一度として同じものはないと自分は思っている。それも、敢えて同じ場所を選ぶ。
 忙しい中にも、必ず新聞やテレビの報道には目を通す。 なるべくなら平穏な記事が多いと良いのだが、なかなかにそれを望むことはムリのようである。地震から来る津波での犠牲者の報道の側に、毎日の殺人報道がある。哀しいことに弱者が必ず犠牲となって・・・・。今年も災害の多い年で終わりそうだ。事件も・・・・
 驚愕させられたこともある。 五鹿山スキー場がオープンしたのを新聞の折り込みチラシで知った。 除排雪の雪を盛り付けないとオープンがかなわないスキー場だから、早くても新年の10〜13日位だろうと思っていたのに。自分の感覚でみるならばこちらの方が大事件である。 第3公社運営となっているこのスキー場は、夏期はゴルフ場も運営しているので、収益の上がらないスキー場の早期開設には非常に消極的になっていたので、利用者の方が諦めていたものであり、近隣のスキー場のオープンに憧れさえ抱くこともなかったというのに・・・・。
 風邪を拗らせたらしい。 熱はないのだが動きが鈍い・・・・
いつか直るでしょう・・・


○ 今回は、湧別神社の建て替えの件で一言。 神社からの説明の欄に宗教法人となっていたので自分は首を捻った。何故かというと、自分の神社に対する感覚というのは、宗教としての神社参りでもなく、宗教としての神参りではないと思っていたからです。神社が街の鎮守としての機能を持っているのは、同じとしても宗教としては捉えてはならないと、自分は思うから・・・八百万の神に代表されるように、自分たちの神に対する感覚というのは、宗教としてではなく、自分の血であり肉体であるこの体に流れている、歴史だと思うから。 こう言う人もいます。自分はキリスト教だから、自分は創価学会だからと・・・・だから、寄付は払わなくても良いと。 自分が思うに、自分たちの周りにある森羅万象総てが、神なのだと。 神社はそれらの総体としてのものだとおもうのです。 宗教は心の道徳として必要なものです。神は肉体に営々と流れる歴史として無くてはならないものです。 朽ち果てた社殿を我が子に残す事は良いことだとは思いません。 ある時期が来たら、村民、町民、市民、道民、国民挙って建て替え、敬うことが必要ですし、その姿を我が子や後継者に見せることが寛容ではないかと思うから。 宗教が言葉や文字を通して道徳や心理を伝えるものであるならば、我が国の神は、形のあるもの無いものを問わず周りのもの総てに、命が宿っている事を教える心の道しるべだと思うから。


○ 山は眠りにつき、森は休み、川は動きを止め、海だけが猛りくるうオホーツク海。 湧別原野に冬が来た。
幾世代にわたり、営々と続く時間の流れに身をおきながら、ふと思う。
 湧別原野の幾星霜は空とともに歩んできたのか、山とともに暮らしてきたのか、川の流れとともに浮き沈みを繰り返してきたのか。 時間だけが見続けてきた・・・・
 自分の中に、新たな想いが浮かびつつあります。集落が忘れてきたもも。街が置き去りにしてきたもの。国が等閑にしてきたものが、今まさに、動き始めている。 
 この周りの美しい自然、この周りの美しい心。この国が根底から見直さなければならないものとは、人が創った有りとあらゆるものの、総てに共通し共有するもの、この国の生きとし生けるものに授かった、幾千年の年月を経て培った遺伝子。
 ””徳””仁””義””礼””智””忠””信””孝””悌””
心の奥底にある、コンプレックス。自分の行動の総ての原動力となっているであろう、この思いは、まだまだ消えそうもない。 人を妬む心があるから人の悲しみを知り、人を恨む心があるから人の喜びを知り、人を憎む心があるから人を尊敬する事を知る。自らの技量の狭さを知るから人の器の大きさが見える。清水のような心の持ち主を知るから、自らの醜さを知ることになる。
 そのような心の持ち主だから、この国の美しさも、四季の移ろいの美しさも、人の営みにみえる恥じらいも見えてくる。
今日は、体も気持ちも沈むような一日。 外は大荒れ・・・


○ 空気の重さが変わってきているのを感じました。体の動きの鈍さを疲れの所為と自ら決めつけている自分がいます。 錦の衣が山肌を日一日と追うごとに下り降りてもいます。朝の晄の色さえも変わって行く時間の中で、船縁にふと、水平線の彼方の遙か向こうに何かを求めるように、何かを探すように、老眼の目をこすりこすりしながら、万象と生活との時間の流れの変遷を探し当てでもするように・・・
 ふれあい文集の作文が、4校のうち、1校がまだ到着していません。 発行を12月中旬に控えるとすると、逆算しても心が焦ってきます。 到着後、パソコン編集入力、校正、製本らしきもの、役員への配布、1週間〜2週間後役員会にて第2次選考、役員会終了後校正、青少年だより編集、印刷依頼、最優秀賞、優秀賞表彰状製作、文具券購入、記念品発注、参加賞発注、青少年だより完成後、仕分け分類等々・・・・
 自治会負担金が、まだ、完納されていませんから、配布資料の送付時に未納自治会に対し再度の協力依頼文書同封・・・
社会教育委員としてか、生涯学習部会としてかは結論づけができてはいませんが、郷土資料館のリニューアルに基づき、利用の方法等を検討を図らなければならないと思う。 何年も社会教育の分野では議論されてはいるが、ある議員の質疑による部分と、湧別原野においてナウマン象の化石(歯の一部分)が発見寄贈されたのをきっかけに、ハードの部分では、新築せずに改修という方法で、資料の展示物が入りきれない程倉庫に眠っている現実を直視し未使用物の利用をどう図るかという結論は社会教育委員会でも提案をしていたところではありますが、手狭を不服とせずに、知恵と工夫でクリアーされたので後は、ソフトの部分にどう光を当てるかという難問に取りかからなければならない時期だとも思う。
 町民に周知しボランティアを募ることも必要になるし、学校においては4校総てに展示内容についての郷土史の学習と体験を周知させる必要がある。また、教育行政や機関に携わる人についても同様に、郷土史および自然についての周知を義務づけする必要があろう。生きがい大学の高齢者を利用する手だても必要。
 特に、湧別原野の開拓に能っては、アイヌ無くして湧別はあり得ないことも周知すべき・・・・如何にして、アイヌの人からこの原野を取り上げたのか、その取り上げた土地だけに止まらず、使役の事柄に於いても虐待以上人種根絶に値する歴史を、この湧別原野は含んでいることも知るべきである。そのうえでの合併協議会や住民投票を企画している人方も発言をして行かなければならないと思うが・・・・
自立・合併共に選ばなければならないことは時代の流れではなく、政府の圧力でもなく、住民自らが招いた結果の産物ということも憶えておかなければならないと自分は思う。順序としては、道州制があり、支庁統合があり、市町村合併があり、農業協同組合、漁業協同組合、各市町村共同利用組合の合併があるが、今回は何故?逆に動いているのかも思案をしてみては如何・・・・
 逆に流れが推移している状況を考えるとき、見えてくるものがありませんか?自分は4点の見地から、方角から見てみると行政や議員や住民が血眼になればなる程、見えなくなって、方法を見失っているように思えるのですが・・・・
 
 空高く晴れ渡り、光の道の輝きをみる
 山紅くさえ渡り、季節の流れをみる
 川清く澄み渡り、密漁の汚れをみる
 浜低く浪あわく、ハマユウの色を見る
 如何なるかな、人のうごきよ
 如何なるかな、人の哀れよ
 心静かに頭を垂れ、いにしえの遺跡に立つ
 糧得る歴史と、糧奪う歴史と、糧忘るる今日の涙に
 万象に値するか・・・
 万物に値するか・・・
 自らを問う・・・


○ 人の営みと平行に季節も時も流れて行くものです。 猛暑の中に、ホタテ稚貝の時期が来ました。 ホタテが好む水温があります、15〜18度cです。
今の表面水温は21〜23度、水面下4bで21度前後、22度が斃死率を左右する温度とすれば、23度は限界水温といえます。 このような時こそ慎重な作業と決断が必要になります。  4年後のホタテの水揚げと生活を考えるとすればの話・・・・・・






○ 本当に久し振りの更新になります。  護衛艦の事務も終了し、みなとまつりも順調に推移して終わり、ホタテ稚貝の浮上作業も終了し、体調を整えて8月に向かおうとしたその時に、自分史を作り替えなければならない事が起こりました。
 実父が他界・・・・
少ない記憶を辿りながら走馬燈を走らせる自分が居ます。
7月30日午後3時55分                89才 
茅部郡砂原村字彦澗大字掛澗
   荒木豊太郎 イネ 5男2女 長男 として、砂原村尋常小学校卒業  家業の半農半漁を継承  七飯村吉田リセと結婚、のち砂原村村議を務める。
                ゆくとしも くるとしもなお かげをおう
                とどかぬとしる ハマユウの花・・・・・・・         駄句


○  連休も一日を残すところとなり、全道に降雨がもたらした行楽への影響は、計り知れないものがあるのでしょう。
やませの風が昨夜から非常に強く、港への見回りに危険を伴う状態が続いている中での、家族連れの車が何台も港の突堤に連なるのを見るにつけ、この人たちの感覚というものを疑わざるを得ない。 港には常に危険が潜んでいる事を感じるのならば、車を最低限港から遠ざけて波からの危険だけでも回避するという心がけが必要となるというのに・・・・悲しいかな。







○  議長が亡くなりました。 富永隆さん、町民会議の生みの親でもあり、数々の団体の事務局を取り仕切るなど、公私にわたり多忙をきわめた個人です。
なくなる2日前に、事務局の引継ぎを済ませ、おおいにこれからの教育行政を自分に語っていた人なのですが、おしいかな・・・・・
 


○  港に波がウネリが押し寄せています。 秋の台風の接近になると、テレビ等で放映される港の災害防止の風景で船から対岸までの距離をロープで固定をしてビーンと油圧ドラムで無理矢理巻き取り、船を岸壁から離します。
そうしないと、船がウネリによって岩壁に当たったり、ぶつかったり、船が前後に動き回り係船ロープが切れたり、「タチ」(船の前後、前に一本、後ろに二本ロープを巻き接岸に使用したり、繋留したりするための木製や鉄製及びステンレス製の円筒形のもの)が破損したりするから。
 この、湧別漁港新港や新新港は全国でも例をみない、欠陥港であると自分は確信(?)をしている。 港の本来の目的や用途とは、船を外海(海・湖・川)からの風浪から守るもので、この港というのは完全に設計のミスからくるもので、水深は浅く(新しく造る港というのは、出入港をする船舶の喫水から算出をするのが基本中の基本)、船舶を係船する岸壁がそのまま海に面した岸壁ということはあり得ない状態で、これは内水面(湖・川)漁港としてなら良港といえるが、外海の港としてみるなら最低の港と誇らしげに言えるでしょう。
行政も、漁業協同組合の担当者も、こういう状態の時に見るべきであるはずなのに・・・・・
 漁業者も、あくまで人任せ・・・・!! 自ら変えることができないわけはないものを、実情を変えようともしない。 社会に蔓延するボケ状態をいうのだろうか?  生活も、命さえも乗せる自身の船だというのに・・・誰かの船が壊れてからでは遅いというのに・・・・

 智也の、ソフトテニスがそろそろインドアからアウトドアへと練習場が変わる季節になったけれど、雪解けが遅々として進まない。 昨年も部の練習の時間を割いて、全員で雪掻きをしたことがある。 毎年のことだそうで、そういえば野球のグランドも農家の除雪材を散布して雪解けを促した事を思い出して、部員の皆が早く練習が出来るように、除雪機をトラックに乗せて球場の脇にある、テニス場に行き200bくらいの距離を除雪機をフル回転させて、3時間位でテニスコートのフエンスまで固くしまった雪を排除した。
 鍵がかかっていたので、コートの扉を開けることは出来なかったけれど、身体の痛みが少しでも治まったなら、船の状態を見ながら除雪をしてやろうかなと?


○  青少年健全育成町民会議の事務局長はとうとう決まりませんでした。 副会長の浜本さん、多田さんと教育委員会と相談をして自分が兼任をすることにしました。 護衛艦「ゆうべつ」後援会の事務局長も受けることになり、益々ハードになることでしょうが・・・・考えようによっては、自分を試しているのかも知れません? 自分自身で・・・・!!これから引継ぎなどが待っていますが、とんでもない量の仕事量でしょうねっ

 スキー少年団の父母と協会との来年度に向けての協議事項の確認をしました。14日のことです・・・・ これを受けてではないけれど、協会の役員会で協会としてのスキー授業の謝礼をどう取り扱うかという事項と、少年団の要望事項の協議をしました。 謝礼については、それは活動した人が受けたものだからその人達で分けるべきだ・・・との意見や、教育部で派遣をしているわけだから、そこには遠慮が介在するから、謝礼は総ての金額を活動をした人に与えるべきだとの意見が多く、役員の多くがその意見に同調をする気配なので、自分としては会長としての意見としてではなく一会員としての感覚と話して、スキー少年団の父母からの謝礼としてのジュース一缶との整合性を考えないと、協会としての仲間意識が薄れることの方が心配なのだと・・・・・確かに、日中に仕事がないわけではない人達が時間を割いて、活動をして行くのは何かしら義務感というものではなく、責任感とも違い達成感と言った方が旨く説明が付く感覚で活動をしているわけで、家族も巻き込んでゆくことも承知で活動をしているからこそ、そこに金銭が絡んではいけないのではないのでしょうかと・・・・?
 スキー少年団の父母会からの要望は、出席の役員で協議をして要望事項は受け入れる方向で総会に持ってゆくことに決議をしましたが、後日・・・・・とんでもないことに発展をしていることを知らされ、事務局長からの報告で何事が起きたのかと・・・・・!! 会議の役員が、別の少年団の活動の時に居合わせた父母に役員会の様子を尋ねられて、役員会の総意と言うように答えないで、一指導者として役員会の様子を話したようで、協会の協議事項やスキー少年団の協議事項をごちゃ混ぜにした回答をしたようで、父母会としても慌てて父母会役員と協議して協会の事務局と会長は私たちの話を歪曲したようで、父母会としての要望などが、伝わっていないようだと・・・・・・!! 後日、別に協会役員を召集して話をしたところ、別におかしいところはなく、誤解から発生をしたようで、協会事務局が槍玉に挙げられたことに、自分としては少々の不満がのこる結果となりました。
 話し合いを多くもつことで、お互いの真意が伝わることが実に多いと自分は経験上思います。 今回のことも、何気ない会話のやりとりが発端なのでしょうが・・・・お互いを信頼しあうと云うことが如何に大切なことなのだと云うことも、伝わってはいないと思う。
無駄な時間と思うでしょうが・・・・
無駄なお金と思うでしょうが・・・・
無駄な労力と思うでしょうが・・・・
 そこには子供達にという共通点があります。  無駄なことなど何一つもないのだと・・・・
無駄なものや事柄が多ければ多いほど、そこから共通点や仲間が生まれると自分は信じています。
 今回の事で、叱咤や攻撃をするのではなく、自らの失敗談や挫折なども交えて話をして(本当のことです)そのものを引き留めておくことも、重要なこと・・・
欠点があってこその人生と・・・・・

 大荒れの天気が続いています。
港で船を見守っていると、「ゴメ」が飛び交っています。 餌を求めて飛んでいるのか?仲間と戯れているのか?
荒れ狂う波間に、低く低く飛んでいるものや、波間に漂いながらも、見えない部分で懸命に脚を動かしその場を確保しているものや、テトラポットに立ち続け強風に頭を向けているものなど、波ばかりではなく、飛び交っている鳥に、立ちすくんでいる鳥たちにふと思うことがあります。
 鳥は必ず風に向かっていることを・・・
そのようにしか生きられないのではなく、そのように進化をしてきた結果なのではあるけれど、そうとらまえるのでもなく自分と重ね合わせて見てみると・・・・
人は風に向かってばかりはいないと・・・・もっ
見えないところで懸命に動かしてもいないと・・・・もっ
 見ようによっては、なにがしら、この世界も面白いものだと・・・・

本を買いました。
アインシュタインの特殊相対性理論、一般相対性理論という本。
面白いですよ。  科学の絶対的な理論の本ではあるけれど、自分は科学とはみていないで、人間に社会に世界に置き換えてみてみると、これが面白い。
 一件なんの脈絡もかかわりもないところに物事の本質があることも、見えることもあるようです。
特殊相対性理論・・・・有るものから有るものを推し量る時に説明を論拠としているもの
一般相対性理論・・・・有るものから有るもの同士の状態を説明する基本としているもの
 今の社会現況も、社会状勢も、総て特殊相対性理論といえるでしょう。 でも、物事も考え方も時間の隔たりさえも、空間の森羅万象も千差万別なのではないでしょうか? 一事が万事ではなく、万象が一事に現れていると考えたら、そこには天秤のようにどちらが多いか重いかという判断基準ではなく、現れている現象が総てでは無いはずで見えないものも影響していると考えてみると、自身の判断基準というものの杓子が当てはめてみることも難しくなるわけで、バランスの量的基準を自身がどう培ってきたかという事が、最重要となるということでそれらには、一般相対性理論の科学的根拠というものではなく、字面から伝わってくる感覚的根拠という面からみてたら面白いのではないかな〜〜〜〜って
 それこそ、誰にも伝わらない自分だけの思い込み・・・・


○  毎日、腰に負担を感じながら、流氷の写真を撮り続けています。 傍には写真家の人があちらこちらに・・・・超望遠カメラや、大口径レンズを三脚に備え付けての撮影をしています。 自分はと言えば、デジタルカメラを防寒着の中でカメラが冷えないように、身体が冷えないようにと気を遣いながら(実はカメラが冷えると、レンズが曇ったり、シャッターが作動しなくなる」)場所を転々と(写真家の皆さんの撮影ポイントをお邪魔しないように)替えての移動になり、これが砂浜や流氷の岸辺を移動するのは、じつに腰に負担がかかる行為なのですが・・・・・・
 家に帰って、これからの仕事にかかるために仕事場を暖めるためストーブのスイッチを入れて、コンピューターを起動しカメラにUSBコードを繋ぎ、取り込みます。 多くの画像の中から、失敗作を削除し、ホームページ用に何枚かの画像を編集圧縮して更新をして終了となります。

 今日はホタテ漁業の操業船の下架作業(船降ろし)です。 昨日から各船に大漁旗を飾り付け、明日船を下ろしますよなんて、漁業者に知らせるためと、安全を祈願しての漁師の季節の風物詩なのです。 これから、12日の漁業協同組合の総会の早朝6時から毛ガニ籠船の下架、15日の小型船(タコ箱漁業)の下架と続きます。 昨日のホタテ代議員会で、昨年の価格暴落を少しでも防ぐために、漁場掃除での水揚げ不足を解消するためと、仲買人の要望での水揚げを少しでも多く設定するため、権利者総員の義務出役が行われます。 義務となれば無償の行為となるため、年齢無制限となるため、紛糾前まで難航しての会議でしたが、これも、水揚げに繋がるならばとの、切ない漁民の想いから賛成せざるを得ない状態です。
 外部からの要因が多くを占めるホタテ漁業に展開を求めるとするならば、設備の抑制と人件費の抑制、外部販売の活路、自家加工場の進捗状況や新築改良の展望、漁民の男女雇用か従事・・・消費者の動向や販売の活路、市場の動向や開拓、堅実で正確な情報の取得など、どれか一つで良いわけではなく、これらの要因や現実の状況を加味しての、将来と今との企業としての趣味が求められている中での会議となります。
 果たして?


○  各地からの春の便りや、まつり、行事が連日のように流れて行きます。 伊豆で日本一早咲きの桜が咲き始めると、面白い事に流氷も動き始めるのです。 こんなところにも自然の関係がうかがえるのですね。 目に見えるものばかりが社会や自然の現象として自分達はとらえがちなのですが、見えないものや見えないところにこそ、本質があるという事を度事に教えさせられます。
 子供が家庭の歴史や文化の凝縮として、言葉からも行動からも表情からも観る事ができるのは、こんな感じ方があるという事を踏まえてみてみると、何となく解るような気がしてくるからこれも、面白いものだという風に感じます。
 日に日に髪が、抜けているのが解るようになりました。 髪は長い友達と古いコマーシャルでありましたが、含み笑いをしながら思い出しているところ・・・・
木々の樹氷も融け始めて、近くでよく観察してみると芽が出ているのが見えます。 人の営みとは関係ないところで時が流れて、ふと、自らに何か想うところがあるような時に、心優しく、心温かく自然は目の前にたたずんでいるのでしょうねっ・・・・
 渡り鳥の、コハクチョウ、や、オオハクチョウが疲れを癒すかのように、水辺に餌を求めて群れています。


 


○  青少年健全育成町民会議の事務局が決まりません・・・・!! 困っています。
現事務局長が、町議会議長になり、3町合併協議会の委員に指定されるようになって、町民会議の事務局はもちろん努めて頂くような甘えは許されるはずがないことは重々に承知なのですが、では、議長が指名するとされている規約から照らして、町民の中にはいないはずはないことも承知しているのですが、帯に短し襷に長し・・・・
 行政に或る程度精通し、学識経験も兼ね、年齢から来る調整力も満たし・・・・時間に余裕も多少はあるような人物となると、これは、????
町民会議が発足する経過では、幾人もの有り余る候補者がいたのはいたのですが、では、今はとなると?
 民間で組織し、民間で運営し、民間で維持をするというのは、大抵のことではありません。
今更ながら、現事務局長に・・・・低頭・・・

 護衛艦「ゆうべつ後援会」の事務局長が、引退をし、現事務局の自分に白羽の矢が立ちました。
今以上に役職を引き受けるのは、自分に対してではなく、役職に対して失礼なことだし、会員に対しても失礼なことです。
現会長を補佐し、発足以来の会員の想いを汲み取り、北海道の海上自衛隊の後援会との連携を今以上にたかめ、連合組織に発展させ、地元の会員の拡大をもはかって行くとなると、自分には荷が重すぎると・・・

 腰の痛みが治りません
直るわけがないことも承知、毎日の午前中のスキー授業、午後からは週3回のスキー授業、週2回のスキー少年団、週1回の未就学児のスキー教室では、痛みが治まる時間がない。

 自分の失敗で、迷惑をおかけしたことがあります。
子細はこの場所ではいうことは叶いませんが、その失敗を償うために、毎日伺っているところがあります。
金銭で解消することは、本意ではないのですが、相手があることですから、どうなるのか・・・・?
自分としての誠意を、どのように伝えつづけられるか・・・・

 湧別川水系にNPO法人を立ち上げる動きがあるようです。
自分の所にも、その動きが伝わってきました。
山と海、林と川、土と水、環境を考えるうえで欠かせないことがあります。

今の時代、産業構造が獲り、育て、守るというように、方向が、流れがこのようにしか動いていないのが現状ではないかと思います。
しかし、本来の人と自然との調和の中で生きて伝えて行かなければならないとしたなら、
この感覚を、守り、育て、獲る・・・産み、育て、創る・・・というようにならなければ、子々孫々にこの大自然と営みを伝えることは出来ないでしょう。

 それにしても、身体と、時間がもっと欲しい
残されている時間と、年月には限りがあるというのに・・・


○  湧別高校2学年、餅つき会をお手伝い。 見本となるように生徒の前でお手本を・・・・65sを、郷土館より借りた臼と杵が6ヶ所体育館の広い場所でも、生徒が集まれば狭いと感じるから不思議です。
 今時の高校生と言っても様々です。 決めつけるのは止めましょう・・・・
彼らも、彼らなりに一生懸命に生きています。 その事にさえ気がついていない子も多いけれどね。


○  今日は丑年会になります。昨年の会では自分が指名され、丑年会の幹事をするようにと言われていましたが、案じていたとおりに何も連絡がないままに丑年会の開催の連絡ハガキが自分の所まで送付されてきたのは、先月の初め直ぐに会長から自分に連絡が入り、運営を電話でも良いから承諾をしてくれるだけで良いとの相談?自分は、それでは昨年の提案が生かされないから、一度だけでも数名が集まって協議をしたという事実が必要ではないかと・・・
それも無視をされて、事務と会計が承諾をしているから自分にも快諾をしてくれないかとの問いでしたが、自分はそれでは今までと同じに不満が蓄積されるばかりではないのかと、では、君はどうすればいいと思うのかと聞かれ、ことここに至ったからにはもう後には戻れないでしょうから、会場と二次会の場所だけは決めてもよいと・・・
 何が会員からの不満なのか理解をしていない様子に、これでは、まったくどうしようもないのではないか・・・・!!会を運営して行く以上必要不可欠のことがあります。 それは、事務と会計を透明にすること。この基本さえ守っていれば誰が運営をしていようが関係はないことでしょう。


○  午前中に可愛い小学生の顔を見て、午後は湧校生と一緒になりましたが湖陵中学生との今年最後のスキー授業でした。この後湖陵中ではスキー遠足がありますが、他のスキー授業と重なるのでついて行きたいなぁ〜〜〜と思いましたが断念・・・・。
 夕方になり、企画委員会の「大橋純子」ステージも、保育所園児との親子スキー教室も、今晩の汽車のことを考えて断念しましたが、その分ず〜〜〜〜っと腰を揉み続けて・・・・
 最近、風景の中に季節を感じる心の余裕というものが自分から失われていることが解ります。 林を眺望する時に感じる、風の音、風の方向、風の温度、風の香り、山を遠望する時に感じる、雪の柔らかさ、雪の硬さ、雪の漂い、雪の煌めき、雪の肌艶、雪の触感、雪の暖かさと山のきらめき。
 人、子供と接する時に自身が忘れてはならないものとして心にとどめているもの。
札幌での会議は、何も得るものがなかった時間の浪費でした。 行政と教職員から青少年行政に携わっている方々の、現場とのずれを痛切に感じた時でした。 デジメでの相変わらずの美辞麗句に飾られた玉虫色の青少年への施策のオンパレード。 午後からの分科会(自分は第二分科会の「青少年育成運動にかかわる諸団体の協働をどうすすめるか」〜地域住民運動の活性化をめざす地域関係団体の連携を求めて〜)は、我が町自慢が相次いで、提言者が一時間半程度の分科会の持ち時間を三分の一を占め、質疑に移るとその時間さえも頂戴するという浅ましい光景が自分の目の前に映し出された。 その街では、なり手がないのかなりたいからなるのか、町内会では自治会長をつとめ街では議員とつとめ青少年関係団体の長も努めるとは、人材がいないのか取り仕切っているのか、兎に角、年配者が実に多い(歳に関係のない人も勿論いますけれど)このような人が、先生に質問〜先生にお答えします〜なんなんだこの人たちは・・・・。 現実に青少年活動を真剣に取り組もうとするならば、その中に入らなければ何も見えてはこないはずで、青少年からかけ離れたところで幾ら議論をしていても、「絵に描いた餅」状態になると思うのは自分だけでしょうか? 自分たち年配者がデスカッションしなければならないのは、後継者を早くの段階で育成し、団体個人間の連携に動き回り、責任の所在を一身に負うと言うことと、常に青少年と共に生活の一部を接していることが重要なはずで、それらの感覚と、自身への謙虚さを持った方々との大きな大きな連携を図るという、壮大なスケールを持っての協議が少しでも見られたならば、痛い腰を涙を流しながら会場へと足を運んだ具足への労りにはなったと思うのだが・・・・

我が町は 我が街だけと 叫ぶ愚ら
景色輝く まつりにあわじ・・・              駄句  


○  湧別小学校のスキー授業は、強風の中を敢行したけれど、子供達の身体は萎縮し先が見えなくなるような地嵐の中を、自分たちの班は風の弱いオホーツクコースを練習場にして、身体を使い暖めながらの練習でした。 腰をおさえおさえながらの情けない講習を子供達にしてしまったと反省・・・。
 昼からは湖陵中学校の最後の五鹿山スキー場での授業になります。 今度は中学生相手ですから、身体が痛いとは言っていられません。 オホーツクコースからの、クローチングでの、直滑降を1本、身体を倒しての片手で雪をつかみながらのカービングターン2本、ゴールデンコースでの、小回りの練習を滑りのパターンを変えて、抱え込み、伸ばし回し、ストップ、ジャンピングという具合に5本、結構きつい腰のローテーションでありました。
 家に帰ってから五鹿山スキー場から電話・・・・今リフトが止まっていますので、今晩のスキー少年団の講習は風のために中止するか、決行するか会長に打診をしているところです。って・・・・協会の事務局長へその旨連絡、スキー少年団父母の会会長への連絡、結果中止となりました。 これで、今季3回目の中止です。
 少年団がないとなると、企画委員会ビックウエーブの「大橋純子」の行事がありますが。 今晩の夜行に乗り明日の札幌での会議に万全を期すため、目をつぶり休むことに・・・めんご!!   これで「村治佳織」をふくめ断念とは、飲み会もあるのに・・・悔しい
 遠峰慎吾さんとの、漁組の営漁計画書作成のため、補償者の印鑑のやりとりを・・・・
漁業の話をあれやこれやと、こ一時間ほど・・・・
 お客との会話の中でテレビにダウン症患者の話が出ていました。 見ながら話しながら頬から水がしたたり落ちているのを見ながら、お互いに年を取ったんだねと・・・・涙腺が弱くなったら・・・年なんだよと!!!  少し納得、少し反発


○  五鹿山スキー場の低い山頂から眺望?してみたら、長い旅を終えての流氷の帯とサロマ湖の結氷の様子が雪を冠する木々の林の間から、見ることが出来ました。 小学3年生の15人の子供達にリフトから降りて整列した時に、その光景を見るように進めてひとしきり大地と山々の関係と大地と海の関係と山と海の共存とを少ない時間ですが教えてあげることが出来たのは、やはりこういう時間を与えてくれた。環境に感謝をせずにはおられないでしょう。
 昨日からの腰の痛みとはいえ、少し無茶をしているのは感じていますが、もった性分というところでしょうか?
大雪の災害の爪痕も、道ばたに壁のように名残を残すだけとなり、歴史の思い出となることでしょうが?危機管理ということの重要性を小さな町の小さな人間(自らも含んで)に知らせたことが、死傷者を出さずに済んだことと併せて大自然に感謝ですね。
 護衛艦「ゆうべつ」後援会の会議です。三役の人が集まって、総会の準備やら役員改選の人選やらで進み、イラクの話に当然の事ながら行き着くわけです。 しなくてもよい経験ならば,しない方がよいことはいうまでもありません。しかし、家族を守るということは地域を守るということにつながり、地域を守ることは国のありようとは無関係では済まないことはいうまでもないことでしょう。 幾多あまたのかけがいのない人々の犠牲から成り立っている今のこの国の現状を鑑みると、何かが起こることに対しての準備が必要でしょうし、危機意識も必要になることは疑いのない事実です。 戦争に反対をすることはこの国に住む人の総てが同一の想いでしょう。 しかし、反対反対といって未来永劫平和が続くと思うこと自体が平常な神経とは感じられないと思うのは自分だけでしょうか? 我が子を想う親心と同じに、地域の子供やお年寄りを守ってゆかなければなりません。 これは自治体にまかせているから、自らは関係ないとか、動ける人だけ動けばいいとか、そんなことをしている暇がないとかという問題とは思わないでしょう。誰かがやらなければ自らやらなければならない。自身の身を挺してでも守る価値のあるものとは何でしょうか? 何事も延長線上に国があるものです。 
 今日のスキー授業で自分の前に立っている15人の子供達は、自分の子供と同一線上に可愛いし、守ってやりたい個性でもあるし、希望でもあります。
この子供達の未来に自分たちの責任があります。
 痛い腰をかばいながら、ちょっと暗めの話題でした。 


○  競技スキーの指導者から相談を受けました。 何故、隣の町と自分たちの住む町の少年団に対する施策が違うのかと・・・・。これには困りました。
何故困ったかというと、自分もかねてはそういう疑問を持った時期がありまして、地域の先人なり同輩なり、行政に相談や懇親を持ったところ、過去に例がないというのです。 これには驚きました・・・・!! 例がないのなら作ればいい・・・そう思いませんか?新しいことをはじめる時には先例はないに等しいと思いませんか? 一人で出来ないことなら二人、二人で出来ないことなら三人・・・そういう時間と、労力と、知恵があれば何事も叶うと、思いませんか?
 若い人には経験がないのですから、誰かが手助けをしなければ頓挫するか、放棄することになるでしょう。 地域の力を得るのには地域の若いパワーを集める。行政の力を得るには、若い行政マンの力と知恵を得る。 あとは、どれだけの共感者が得られるかということなのではないでしょうか?
 隣の町の制度にしても、指導者の協力にしても、自分の町にないからといって嘆くよりも、隣の町の指導者なり行政が行ってきた歴史と、努力と、奉仕の精神を自身たちも見習い、それを先例とすることで自身たちの向かう目標となるのではないかと、助言をして別れましたが・・・・心配です。
 何処の町にも、バカと呼ばれるような人がいて何かが作られてきたのではないのでしょうか?
根気と、我慢と、謙虚さが秘訣かな?


○  流氷初日です。 朝の光の中から水平線に白い帯状のように漂っているのがみえます。
気温や風に、毎日変化する海の表情が、ふと、音のない世界になります。 流氷が遙かなはるかな旅を終え、海岸線に姿を現す一時・・・
 しばらくの間、オホーツク沿岸とオホーツク海が眠りにつく短い季節の中の時間の営み・・・
人の心にも、このような一時の休憩があっても、よいと思えるような、海からの風・・・・疲れ切った心の中に流氷の白さが染み入るように、入って行く。
優しさ故に、人は憎しみ、人は妬み、人は苦しみを抱えて行きます。
白い世界の中に、小さな小さな色があります。 大気中のちりやほこりやetc・・・それらが、流氷の白さに彩りを与えてみえます。
人の心の引き出しの数々の色のように・・・


○  一ひねり、二ひねり・・・人を動かす時の案件
毎日の労苦の中にも、嬉しさが数多く噴出するもの、今日の智也の遠軽地区ソフトテニスでは、総当たりからトーナメントを勝ち残り優勝に輝いた。春には、苫小牧での全道大会に出場となる。・・・これも一つの案件・・・  
 毎日の報道をみていると、もう過度期を過ぎていることが幾度も感じられる。 表面のことばかりを報道し、色々な方々が評論を繰り延べる姿が延々と続く・・・物事には必ず表裏があり、表を知ることで裏を推理しつつ脳裡でのシミュレーションとなって、あるていどの事象の予測がつけられると思うのだが?
 戦争を美化することも、賛美することもあってはならないものということは、全地球に住むものにとって当たり前のことなのだと思う。 しかし、なぜ争いや憎しみ合いが生まれたり、永劫と思えるほどに続くのか? 人は優しい生き物である。 優しさがあるから、憎み合い、啀み合い、が、・・・・かなしい・・・
 人の心の中も、歴史の流れも同じように自分は思う
大河は蕩々と流れます、みな大河の悠久の流れしかみようとしない、大河は初めから大河なのではなく、いくつもの支流があり、源流があると・・・・
歴史にも、表面に浮き出たものを捉えて評価を下したくなるものでしょうが、大河の流れのように歴史にも支流のような人の営みが複雑に絡み合って事象と浮かび上がるものだと思います。 歴史の源流とは、人種であり、民族であり、宗教であり、家族であり、部族であり、国などが営みの支流と絡むことで歴史となって表面に浮き出たもの。
 イラクの事柄も、戦争反対と念仏のように唱えるのではなく、戦争は誰しも反対であるからは、回避することの是非や、犠牲を出すことなくどう最大限の貢献となるかを考え行動することが肝要となり、5年後、10年後、50年後、100年後を見据えて行くことが求められることでしょう。
 避難をすることは簡単なことです。
 清廉潔白が一番よいことだとも思います。
しかし、みずからの手を汚すことなく、みずから行動することなく、傍観者的に綺麗事ばかりを言い金銭にたより言葉だけで生きてゆけるほど社会は甘くないはずだとも自分は思いますが・・・
 色々な苦難や困難をくぐり抜けて、自らの家族を守り、自らの国を守り、共存する社会を守り、ともに汗を流し、血を流してこそ、友は開襟を見せるものと自分は思います。
 自衛隊の方々や、関係する方々に敬意を表すとともに、自身が今できることを小さい事柄でも、身の回りに貢献して行くことが今求められていることと思います。
 
町青少年健全育成町民会議の事務局候補を決める時間的余裕が少なくなってきました。
 前事務局の方(町議)議会議長になり、合併委員会の役員となってしまったために、町民会議の事務局は務まらないということで、自分に辞表を提出されたため、町民会議の事務局は、議長が町民の中から選出することが規約上にあるため・・・・
いざ、候補者となると、帯に短し、なんとやらで・・・・