東芭露部落史

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湧別町百年史


 東芭露部落史を編集するにあたって、東芭露の方に郷土の記録を聞いたところでは、現在まで部落で歴史記録保存の動きはなかったという事であった。
 こちらの要望を伝えたところ、論文形式で田口正夫氏が「修士論文妙録」であります。ということであったので、Webへの掲載は可能か?との問いかけに、大丈夫でしょう町図書館へも保存していますから・・・・・
 町村合併を来期に控えて、郷土史の記録も追いつめられる感がありますが、出来るだけ努力を続けたいと思います。
                                                            2009年1月9日


修士論文妙録
      題目  北海道湧別町における生業活動と社会組織の歴史的変化
                                                      北方文化論  田口 正夫
 これまで北海道に生きる人々を対象として歴史学、農業経済学、農村社会学などの研究が行われてきた。しかし、開拓以降現在に至るまでの時間を通しての生業の歴史的変化を対象としたものは少ない。しかし、北海道に生きてきた人々の生業の歴史的変化を追うことは、彼らが如何に生きてきたのかを示すひとつの事例となるのではないだろうか。そこで本研究は、開拓から現在に至るまでの生業の歴史的変化の過程を論じることを目的とする。また、本稿では、生業活動の変化を中心に扱うものとする。本研究では、この目的を論じるために、紋別郡湧別町を対象とする。
 湧別で多数の入植者によって本格的に開拓され始めるのは、1886年(明治19)年に行われた植民地選定と、1891(明治24)年に実施された区画測設後のことである。この後、1892(明治25)年に貸下出願の募集が開始され、本格的な入植が始まった。彼らのほとんどは、原野の北部に居住し開拓していたが、畑を耕すことも困難で、既に開墾されている畑を借り受けたり、屯田兵村の家屋建設現場で出稼ぎをしたりといった状況であった。1896(明治29)年において一戸あたりの平均耕作地は約1,5haで、主な作物はソバ・豆類・麦類・トウモロコシなどであった。その後、1896(明治29)年に湧別村で始めてハッカの種根を植え付け、岡山県や山形県出身でハッカ栽培の経験を有する入植者らが栽培を始めた。しかし、1919(明治43)年4月に、湧別村は下湧別村と上湧別村に分村し、これによってハッカ作付け面積の97%が上湧別村内となった。本研究の対象地である湧別のハッカ栽培は、潮風に弱いという性質があったものの順調に生育し、入植農家の主要な収入源として耕作地は拡大していった。大正期にはハッカ単作の農家が誕生し、「芭露ハッカ」という故障も生じたほどであった。その後、第1次世界大戦期に豆類の価格高騰により一時的にハッカ栽培は減少するが、大戦の終結と共に再びハッカ栽培が始まり一時期は主食用の麦類などを除けば、総てハッカ畑となる。この時期から第2次世界大戦による作付け統制が行われるまで、湧別ではハッカ栽培が生業となり、人々は相場の変動に一喜一憂した。芭露はハッカ取引の現場として多くの人々が集まり栄えていった。
 戦後暫くの間、湧別における生業は戦前の畑作が引き続き行われた、しかし、作物の収穫は不安定、さらに1953(明治28)年から3年間連続した冷害が、酪農への転換を促すこととなった。道有牝牛貸付制度などにより牛の飼育数は増加していった。そして、1956(昭和31)年の国による集約酪農地域の指定により、酪農村へ転換していった。さらに、1967(昭和42)年に第1次農業構造改善事業、1973(昭和48)年に第2次農業構造改善事業にそれぞれ指定された。特に、後者で実施された融資事業では、バルククーラーの導入が行われた。東芭露において専業酪農を生業とする3氏の聞き取り調査によると、これら行政府の政策が本格的に始まる前から乳牛を導入し、畑作と酪農を兼業していた。そして、農業構造改善事業とともに酪農の大規模化が始まり、専業酪農家となり現在に至った。
 本研究では、開拓から現在に至る湧別の生業の歴史的変化を概観するにとどまり、なぜハッカ栽培や酪農が湧別の生業となり得たのか、特に平地の少ない東芭露で専業酪農が成立したのかについては言及することができなかった。今後は、本研究をもとにさらに詳細な歴史的変化を調査し、他地域との比較検討を行いたい。

北海道紋別郡湧別町における
生業活動と社会組織の歴史的変化

                                                                歴史地域学専攻
                                                                   05023055
                                                                田口 正夫

序章 第1節  研究目的
第2節  本論構成
第3節  研究手法
第4節  研究対象地
第5節  先行研究

第1章 湧別開拓略史

第1節  開拓政策と諸法令
第2節  湧別の開拓過程
第3節  開拓主機の状況

第2章 湧別における生業

第1節  ハッカ   第1項  ハッカとは
 第2項  国内・道内におけるハッカ栽培の経緯
 第3項  湧別におけるハッカ栽培の経緯

第2節  ハッカ以外の畑作販売作物   第1項  豆類
 第2項  麦類
 第3項  馬鈴薯
 第4項  甜菜(ビート)
 第5項  トウモロコシ・南瓜
 第6項  亜麻

第3節  酪農  第1項  戦前の湧別における酪農
 第2項  戦後の湧別のおける酪農

第3章 湧別における社会組織

第1節  農会
第2節  産業組合
第3節  農業会
第4節  農業協同組合

第4章 東芭露における生業の歴史的変化

第1節  開拓初期の状況
第2節  東芭露における離農者と営農地跡 
第3節  生業の変化  第1項 ハッカ
 第2項 酪農
終章