From 2006-08-30(水)
To 2006-09-21(木)
誰もが使えるものというと、あなたは何を思い浮かべるでしょう?数回にわたり、「誰もが使えるもの」に対する概略を紹介し、使い勝手の考察のお役に立てればと思います。
日本が高齢化社会に向けた世界共通の指針として提案し、ISO/IECで発行された高齢者及び障碍のある人々のニーズに対応した規格作成配慮指針である「ガイド71」。その作成にも参画した共用品推進機構によれば、共用品とは福祉機器と一般商品のクロスした用品で、詳しく話せば、福祉機器としか使われない「専用福祉用具」と高齢者や障碍者が使いにくい「健常者専用品」を除くものが、共用品とされています。
判りやすく具体的な例を紹介すると「シャンプー容器の側面にあるギザギザ」などは、シャンプー中、目を開けられなくても、シャンプーとリンスの区別をつけられるちょっとした工夫ですし、紙幣、プリペイドカード、牛乳パック、家庭用ラップなどでの切り込み形状による種類の区別なども、触って判る便利なものであり、視覚に障碍ある方への配慮でもあるもの。自販機やATM、エレベーターなど子供の背の高さ、車椅子など高さで利用できない状況を解消する工夫や上肢が使えない状態でも排便を利用できる温水洗浄便座。プッシュホン電話のボタン中心にある「5」のボタンの上にある突起。段差解消のスロープなど、あらゆる商品開発で共用品の理念は活用されています。
ISO/IEC ガイド71(JIS Z 8071)では、高齢者、障碍者に配慮した製品の作成指針として、7つのマトリックスを示し、人の能力と配慮すべき要素の相関関係を、人と物の関係として判りやすくチェックできるものになってます。
人の能力では、感覚/身体/認知、それにヨーロッパでも大きな問題となっているアレルギーを加え、大別され、更には「感覚能力」は、視覚/聴覚/触覚/味覚、嗅覚/平衡感覚、「身体能力」は、(手の動きの)自由さ/操作/動作/筋力/発声、「認知能力」は、知的能力、記憶/言語、読み書き、「アレルギー」は、接触、食物、気道と、それぞれが欠ける、劣る障碍による不便さを検証材料として提起されます。
その上、解説の中に「加齢の影響」という項目も設けて、「高齢社会」でも利用できる事を念頭に置き、出来なくなる人の能力をも視野に入れられています。
配慮すべき要素では、情報/包装/素材/取り付け/ユーザーインタフェース/保守/(建物等)構築環境と整理され、それぞれに人の能力に対する配慮の関わりが示され、各製品の高齢者、障碍者への配慮指針を作る上でのガイドラインとなっています。
例えば、「情報能力」の表示、注意表示、警告における考慮ポイントでは、「色とコントラスト」の配慮は「視覚」、「知的能力と記憶」で役立つだとか、「位置とレイアウト」の配慮は大半の能力不足に役立つなど、チェックすべきポイントを把握しやすい内容になっています。
共用品推進機構のサイトでは、それぞれの能力の障碍がある事で起こる日常の不便さをも紹介されており、特定の情報しか持ち得ないもの、例えば、電話のベルのように「音のみの情報」だとか、案内板などの「文字のみの情報」だとか、高さ、段差により利用できないなど、高齢者や子供をも含めた環境の障碍を持つ人達の不便さで、何が障碍になっているのかが紹介しており、それを解決する手だてとして、「判りやすい」「使いやすい」設計が紹介されています。
これからの高齢化社会では福祉用具と一般用具の棲み分けに加え、共用できるものは共用するという考えは、提供する側にとっても管理・運営面で、利用する側にとっても操作性の共有などの面で、コスト・パフォーマンス的によいと云う提言もされています。
日本は一時期のビデオデッキのように商品の付加価値で競い合うデファクト標準を得意とした市場ですが、少子高齢の時代になると利用者のリスク感覚がシビアになりますし、提供する企業側にも生産性や長期的安定供給など、リスクが大きくなるため、世界規格となるISO、IECの規格に沿った製品の提供というデジュール標準が注目されています。
ですが、その規格は決定まで民主的に決められため、時間がかかりすぎるので、最近では折衷案的なフォーラム規格が出されてもいますが、次世代DVDのようになかなかうまくまとまらなく、デファクト標準になってしまう例も見受けられるようです。
欧米は、政府機関が政権交代などで大幅に変わっても安定的な福祉政策が出来るように、NPO、NGOが主導なのに対し、日本は政府自らが福祉政策を行っている点から「ガイド71」の進行役になったいきさつがあり、1994年に経済産業省、厚生労働省などが「高齢化が始まる」とされる人口比率14%を越え、「高齢化」ではなく「高齢社会」に入ってしまった危機感から提案された成果がこの「ガイド71」という経緯もあるようです。
せっかく作られた日本主導のガイドラインなので、更なる活用が望まれるところです。
この一般商品における誰もが使えるものの理念は多様なメディアに変換可能なWebサイトの設計にも応用され、アクセシビリティ(利用可能[Accessibility])として、「情報」こそが民主的であるべきで、情報を利用可能にする事が大切とするウェブコンテンツ・アクセシビリティ・ガイドラインの動きを、JANJANのサイトでの実例を挙げながら、次回以降は紹介したいと思います。
前回の「少子高齢社会にふさわしい製品とは」で説明しましたが、障害に対する認識が日本と海外とではかなり異なっているように感じられます。
日本はどちらかというと「障害を持つ者」という個人を対象とした価値があるのに対し、海外は「誰もが持ち得るもの」という社会を対象とした価値なのでしょう。
それは妊婦を一時的にせよ、障害者と捉えたり、アトピーなどのアレルギーは、日本では持病的な扱いなのに対し、ヨーロッパではアレルギーが最大の障害問題として取り組まれているという話からも、その感覚の違いが判るでしょう。
そのような背景は、障害者運動にも顕著に見受けられ、日本では社会運動までにならずに障害者運動が孤立したのに対し、欧米では人権運動と歩調を合わせ、社会参加の自立を確立させ、障害を持っても暮らせる社会環境を作るという意識があるからでしょう。
主だったものとしては、イギリスのDPIの「妨げになっているのは車椅子ではなく、段差の方にある」などとし、本人の障害(Impairment)を問題にする前に社会の障害(Disability)を取り除けとする運動を展開し、アメリカではベトナム戦争以降の戦傷者の処遇、戦死による労働人口の減少などの社会的背景からか、それまで保護の対象であった障害者の労働市場参加が推し進められ、リハビリテーション法508条が施行され、アクセシブルな情報の保障が法律で義務づけられるようになってきました。
また、イギリスでは1990年代、ピーター・タウンゼントによる貧困研究がなされ、社会的な損失を招く実証研究がなされたのも、社会の障害(Disability)を洗い出す動きに影響を与えたのでしょう。
パソコン機器が普及し始め、パソコン同士の情報交換の手段として、アメリカ軍のインターネット網が開放され、インターネット空間のコミニケーションは始まりました。
このインターネット網は日本の中央集中の情報網とは違い、蜘蛛の巣状に通信網が張り巡らされ、一部で通信不可の状態になっても、他の回線を迂回し、通信を維持するという仕組みを取っており、非常時でも連絡取り合えるというアクセシビリティ(利用可能[Accessibility])を持ち得ています。
このような環境を構築する際、問題となったのが、パソコン同士の情報交換する上で異なる環境でも利用可能な共通の文書形式のあり方でした。様々な議論がなされ、SGMLというプログラム言語を簡略化したHTML(HyperText Markup Language)という文書形式が採用されました。
「テキストを越えたテキストのために、文書に目印を付ける方法を定めた文法上の約束」と題されるこのプログラムは、世界中のあらゆる文献を連想の鎖でつながりは、図書館型の文献整理ではなく、尻取りのような関連づけで、文書同士を繋いでいき、人間の頭と同じように論理形成していく壮大な仮想図書館を思い描かれ、文書をコンピュータにもうまく分析できる形にするための印付けの方法として、マークアップ言語が生み出され、その標準化を行う組織W3C(World Wide Web Consotium)が作られました。
環境に依存しない形で抽象的に示す方法として、マークアップ言語を定めていったものも、まだ共通フォーマットが決まらなかった画像をどう扱うかの議論になった時、HTMLを表示させるブラウザを提供する会社が勝手に拡張のマークアップを組み込んだ事に端を発し、それ以降、マイクロソフトのInternet ExplorerとNetscape Communicatorとの間でブラウザ戦争が始まり、本来の環境が異なるパソコン同士の共通の情報交換という約束事が、ブラウザ依存の状況となりつつあった時、マークアップを管理するW3Cはマークアップの整理を行い、その下部組織WAIに「どんな環境、どんな境遇にあっても情報が伝わるページ作り」として「ウェブアクセシビリティ・ガイドライン」を作らせ、発表に至りました。
また、ページデザイナーの中からもブラウザ戦争のお陰で、様々なブラウザで表示確認しなければならないという困難さから、Web標準化を求める動きが現れ、ブラウザ会社の重い腰を持ち上げ、W3Cの規格に沿った表示をするブラウザ開発が行われるようになりました。
それまでほとんど定義付けのみだったマークアップを体系化したものが、HTML4.1で、見出し、段落、リスト、表など構造を現すものとフォントや太字、斜体などデザインを示すものの区別を明確にし、デザインのみのマークアップを将来的な保障をしない「非推奨」にして、マークアップの純粋に構造を示す役目を強化させました。
本来、マークアップ言語は日常使われている文書の構造をコンピューターでも使えるように設計されたもので、文書の構造は見出し、段落、リストで成り立っており、それぞれがブロックを形作るものとし、ブロックレベルを定義し、そのブロックレベルの中に入るリンクや文字の強調などをインラインレベルとして、それぞれの親子関係として成り立ち、それに沿う事で判りやすい文書となる。HTML4.1で取り組まれた「情報が伝わるページ作り」とは日常使われている文書を如何に活かすかだったのでしょう。
マークアップによるデザインを「非推奨」とする代わりに出されたのが、CSSというスタイルシートの技術の導入で、HTMLは情報を、CSSはデザインを管理させる事が望ましいとし、それの技術の応用はXML技術へと発展していきます。
CSSの仕様を注意深く見ていくと判ると思いますが、ページデザインを考える時、何がデザインで、何が情報なのかがよく考えられており、例えば、英文の大文字、小文字を管理するプロパティもあったりし、情報とデザインの境を柔軟に処理できる仕様が考えられています。
情報とデザインの分離、情報の整理は、昨今よく云われるWeb2.0の情報再活用にも役立ち、カスタマイズCSSを指定する事で、特定のマークアップの拾い出しするなんて云う事も出来、ただ読むだけのページではなく、多様に活用できるページの実現を容易にさせる研究の成果と云えるでしょう。
JANJANトップページを正しいマークアップがなされているかThe W3C Markup Validation Serviceで検証すると、様々なエラーが報告されます。ほとんどのエラーは最初になされている文書のバージョン宣言とは違うXHTML用の記述がなされているミスマッチによるものなのですが、これらのエラーをブラウザが補正するものだと、補正のために余計なメモリーを消費されますし、ページプレビューに時間がかかったりします。また、エラーをそのまま表示するブラウザでは、デザインが崩れたりします。
正しいマークアップとはプログラムで動いているコンピューターにとっては大切な事であるからエラーチェックが重要となってきます。
このような正しいマークアップがなされているかチェックするツールで、日本語でもエラーを解説もしてくれるAnother HTML-lint gatewayもありますし、こちらはマークアップの他、アクセシビリティでチェック可能な要点をも指摘してくれます。
JANJANの記事にて最後に掲載した画像はアクセシビリティ・チェックのひとつ、Web Accessibility Toolbarにて、JANJANトップページの見出し設定されているもののみを表示させたもので、見出しのレベル・ナンバーがレベル4、レベル5しか使われておらず、見出しとしてではなく、デザイン本位でマークアップが使われているようで、今ひとつ正しいマークアップ付けを心がけて貰いたいと思うのですよね。
環境を問わない文書形式でのアクセシビリティ(利用可能[Accessibility])議論は様々な表示ユニットが現れてきた現在、「ウェブアクセシビリティ・ガイドライン」も如何にアクセシビリティを保障するか、議論がなされていますが、次回は環境を問わない文書形式HTMLをベースにした「ウェブアクセシビリティ・ガイドライン」の話をしたいと思ってます。
1999年にウェブコンテンツ・アクセシビリティ・ガイドライン 1.0 (WCAG 1.0)が勧告として出され、2004年にJIS X8341-3「高齢者・障害者等配慮設計指針 - 情報通信における機器、ソフトウェア及びサービス - 第3部 : ウェブコンテンツ」がまとめられて、やっとWebにおけるHTML文書のアクセシビリティがまとまったのも束の間、Webの進化は著しく、ウェブコンテンツ・アクセシビリティ・ガイドライン 2.0 (WCAG 2.0)のラストコール・ワーキングドラフトが今年の4月に出され、近々勧告となるという。
WCAG 2.0のラストコール・ワーキングドラフトを読む限りでは、様々な様式の複合ユニット化していくウェブコンテンツのアクセシビリティの確保を保つための提言として、4つのポイントが示されている。
「認識」「操作」「理解」「耐久」という基本を踏み外すなとする新しいガイドラインは、今あるWCAG 1.0を整理し直し、HTML文書以外の表示ユニットでも言えるアクセシビリティの基本を提示するものになっているようだが、主にHTML文書のアクセシビリティを言及した概要をここではご説明したい。
その前に障害を持つ方達がどのようにしてウェブサイトを利用しているかをまずは説明しましょう。
パソコンを使うにはハードの電源を入れ、OS(オペレーティング・システム)を起動させ、アプリケーションが使える状態にしますが、OSは単純に云えば、利用者とアプリケーションの仲介役として存在し、利用者がマウスやキーボードで指令を出すとそれをアプリケーションに伝え、初めて命令結果が出てきます。
視覚障害の方などが使われる音声読み上げソフトはこの仲介するOSから利用者とアプリケーションのやりとりを盗み読み、音声に変える仕組みで動いているらしく、例えばキーボードを打ち、変換キーを押すと変換ソフトが変換候補を出しますが、その情報を音声化して、利用者に伝え、変換を確定する操作を利用者がするといった手順が踏まれます。
インターネットのページなどを開いた場合は、そのページのソースを音声読み上げソフトが読みとり、テキスト箇所を拾い、利用者に伝えます。
IBMホームページ・リーダーなどは音声読み上げとテキスト表示、ビジュアル表示を兼ね備え、弱視の方も使える配慮がなされています。
また、ウェブページでお話しすれば、「Backspace」で前のページに戻れたり、「ALT+左右の矢印キー」でページの履歴を辿れますし、「F5」はページ更新、「Tab」はリンク箇所やフォームの入力箇所の移動が出来るなど、キーボードによる操作が可能でもあり、多様な操作性が確保されているから、パソコンはどんな状態にある人でも理論的には利用可能な機械であるとされる由縁です。
キーボード操作が困難な障害を持たれた方達はテンキー位の大きさの簡易のキーボードで操作したり、目の動きやわずかに動く指先で伝達装置を通し、カーソル操作で、パソコンを使われているそうですし、パソコンによるデジタル芸術を作られている方もたくさんいます。
また、色覚や弱視など個々のニーズに合わせ、ページを自分の見やすい状態に変えられる「わざ」が使えるように、Internet Explorer他ブラウザにもユーザー補助の機能が備えられていたり、カスタマイズツールなどが提供されています。
けれども、提供されるページにはレイアウトにこだわりすぎて、利用者が例えば文字を大きくすると枠組みの中で変に大きな文字となり、かえって読みにくい状態にしてしまう場合や提供したレイアウトを崩せないように文字の大きさを変えられないようにしたり、文字情報を画像化してしまうページも見受けられます。
アクセシビリティ・ガイドラインはこのような提供側に対する情報のあり方を示し、表現(デザイン)が情報の邪魔にならないようにする指針であり、そうする事がバリアを取り除くバリアフリー・ツールの邪魔にもならないとするガイドであって、バリアフリー・ツールそのものではないのです。
以上で述べたように、ブラウザ表示にしても、バリアフリー・ツールにしても、ページのソースが重要であり、プログラム実行と同じく、ソース順にテキスト情報を示していきます。
JANJANのトップページの場合、レイアウトのための枠組みで形作られており、文字の拡大などが枠に阻まれたりするため、余り好ましくはないのですが、まずは枠組みを度外視して、見ていくと、左端の縦列、真ん中の各記事紹介、「最近1週間の「TOPニュース」一覧へ」の手前で、右端の縦列に移り、「最近1週間の「TOPニュース」一覧へ」以降の記載がソースとなってますから、音声読み上げソフトではそのように読み上げられます。
一番メインである各記事紹介に辿り着くまでに、いろんな情報を聴かされる事が判るはずです。この場合、スキップ用のページの中を飛ぶリンクを用意し、サイトコンテンツのナビゲーションを読み飛ばせれば、わずらわしさも構造上は減りますが、音声読み上げソフト側にもページの中を飛ぶリンクが対応していない場合も有り、ちょっとやっかいな状況なのですが、前回お話しした見出しをうまく設定していると、音声読み上げソフトの見出し読みが活用でき、ちょうど、晴眼者が新聞を読む時、見出しを拾い読みするように、読み上げソフトは読んでくれます。
ページの構成を把握し、グループ分けして、それを視覚のみではなく、操作でも行き来できる形が望まれているのでしょう。
また、もう一つ気になる箇所として、画像の代替表現の役目を果たすalt属性が、写真などでは設定されていませんが、代替表現が空であってもいいですからalt属性をつけた方がいいでしょう。ただし、「ザ・選挙」の右三角の画像のalt属性が「ボタン」となっているのは、音声読み上げソフトでいちいち「ボタン」と読み上げますし、「ボタン」として機能していない以上、空のalt属性にした方がいいでしょう。
alt属性はその画像が使えない状態で、文章内で支障きたさない代替表現であって、画像の説明ではなく、画像の説明ならばtitle属性がその役目を担っています。
各ガイドラインのアクセシビリティ・チェック項目は、WCAG 1.0では「14の指針」が示されてますし、JIS X8341-3では「規格及び仕様」、「構造及び表示スタイル」、「操作及び入力」、「非テキスト情報」、「色及び形」、「文字」、「音」、「速度」、「言語」の個別要件があげられています。
事細かなチェック項目ですが、何が情報であるかを整理し、提示する事が、アクセシビリティ(利用可能[Accessibility])の大切さという知識を得るには一読をお勧めします。
また、記事を書く場合の気配りの参考としても、慣用句や専門用語、HTMLなどの省略語、難字など出来る限り多くの人が理解可能なように判る工夫をする事や、文字だけの情報にせず、画像を活用した絵本のような表現などをする事により、学習障害など文字情報を受け取る事が出来ない人達にとっても有効であり、逆の画像ばかりに頼って、文字情報を与えないがために起こる誤解などにも注意を払う事を指摘しています。
JANJANのようにプログラマー、デザイナー、編集部、市民記者と様々な人が関わる場のアクセシビリティはお互いにどう活かしあえるかが大切であると共に、このサイトがどのように活用されたいかといった事を念頭に置く事が、アクセシビリティに繋がるのかも知れません。
不特定多数に向けた公共の情報を目指すサイトのガイドラインは、記載だけでもこのような事細かな指摘がなされますが、アルファベット圏ではなく、漢字圏に属する日本には日本語のアクセシビリティというのもあります。次回はJIS X8341-3で出された日本語のアクセシビリティを紹介できればと思います。
普通に日本語を使う環境にいる私達の見落としがちな日本語のアクセシビリティ(利用可能[Accessibility])という問題は、他の国では使われていないから関係ないだろうではなく、音声読み上げソフトを利用する視覚障害者のみならず、日本語の語感を研究される海外の学者たちやビジネスマンにとっても大切な問題です。
JISのウェブアクセシビティの規格である「JIS X8341-3」はこの日本語環境における問題点を整理するという観点から、日本語の事を知りたい海外からも注目集めた規格でした。
国際規格としてもうすぐ勧告されるウェブコンテンツ・アクセシビリティ・ガイドライン 2.0 (WCAG 2.0)のラストコール・ワーキングドラフトでも、この規格を参考に取り込まれたものは多く、まずはどんなところに日本語環境における問題があるのか、提示したいと思います。
ひらがな、カタカナ、漢字以外にも記号やアルファベットなど入り交じった日本語環境における問題の多くはその読みの難しさです。
例えば、「見た」「三田」などの読みが同じで、字面が見えない音声読み上げだけで判断しなければならない環境では区別できないものや、「国立市」と「国立図書館」のように、前後に続く言葉で読みが変わるもの、「ー」 (長音)、「―」 (全角ダッシュ)、「−」 (全角マイナス)など見た目が似ていても、音声読み上げでは区別され、違う読み上げになるものなど、それぞれ、英語においても類似の、読みが同じで違う意味や、「0」 (zero) と「O」 (o)、「1」 (one) と「l」 (l)などのように見た目が似ている例などがあり、判別可能な方法をページ提供元が何らかの形で提供すると、ガイドラインに示されました。
また、技術面での話になりますが、字画が多く、文字サイズをコントロールしなくては読みにくい文字、例えば、「聾」などは、大きく表示するなどの見やすくする配慮を指摘されていますし、縦書きという日本語独自の表示方法のウェブでの再現は、ページソースで一文字ずつ改行しての表示だと、音声ソフトは一字一字の繋がりが判らず、区切られた文字としてしか認識しないという問題が起こるので、スタイルシートなどのデザイン技術を利用し、表示させるなどの情報と表現の分離に心がけるというのもあげられています。
このような日本語の問題は利用者が使うブラウザや音声ソフトなど、いわゆるユーザーエージェントの問題、Windows、Mac、UNIXなどのコンピューターのOSの問題なども絡み、かなり難しくもあるのですが、最低限、文字化けを引き起こすような半角カタカナや丸つき数字などの機種依存の文字は使わないとか、ローマ数字など特殊文字はHTMLで定義されているキーワードを使うなどの配慮、使われている文字コードをページソースの始めに宣言するメタ情報の記述など、配慮がまずは大切となってくるでしょう。
読み上げに関しては、「9/6」 などの簡略化された日付表記を「きゅう、ぶんの、ろく」などと読み上げ、日付としてちゃんと読まないとか、全角の記号(○、△、◇、※)など、単なるマークとして使われているものも、音声ソフトではいちいち読み上げてしまうという問題もありますし、英数字の場合、半角、全角で読み方が変わるものもありますので、日付表記や全角の記号、英数字の使い方などは使う際は注意払うべき事柄でしょう。
このような文書の中に混ざり込む見た目引きつける様々なデザイン化された文字列が、本来の読みとして「美しい日本語」の邪魔をしているケースが多く存在し、読んで判る文書のバリアになっている事が、多々指摘されています。
日本の視覚障害者用ウェブ利用ソフトの機能調査として、音声ソフトの実態調査なども行われておりますので、日本語の何が問題なのか知る参考になるかとも思います。
このように「日本語を読む」難しさの他に、日本語が世界中のコンピューターで使える国際的な統一規格として、文字コードの問題があります。次回はこの文字コードにより、本来の「日本語」の危機についてまとめます。
パソコンを使っていて、例えば人名などの少し難しい漢字が変換できなく困った事はありませんか?
しかたないと思われているこの問題には、コンピューターで使う文字コードというそれぞれの文字に割り振られた規則の中で、元々その国で体系化され、整理されたものが使われなく、英語圏で、英語圏以外の文字の整理が行われた結果だという話を少し詳しく紹介したいと思います。
コンピューターは主にアメリカで発達したため、アルファベットや数字などの1バイトしか使われないASCII(American Standard Code for Information Interchange)による発達がなされ、英語圏以外の言語をマルチバイトで使えるよう改良されてきました。
単純に云えば、キー入力の際、半角/全角ボタンで、半角にした際の幅の狭い英数字や記号がASCIIにあたり、英語圏で使われる文字はこの半角1バイトで用が足りるのですが、漢字圏の中にある日本語や、アラビア語、ロシア語、それにフランス語、スペイン語、ポルトガル語、ドイツ語など、アルファベット表記では収まりきらない文字は、日本語で言えば全角の2バイトを使うマルチバイト文字と云われます。ファイル保存で、例えば、半角一文字のテキストを保存するとそのファイルは1バイト、全角一文字のテキストを保存するとそのファイルは2バイトになります。
このようにASCIIだけで用が足りるアメリカとは違い、私たちは日本語を扱わなくてはならないため、かつての日本はコンピューター技術開発の際、日本語の文字コード化を積極的に取り組みましたが、民間主導だったためか、JISコード、シフトJISコード、EUCコードなど複数の文字コードが作られる結果ともなりました。
この体系化は、読み、部位など日本語の伝統に沿った整理法が用いられ、その技術は同じ漢字圏である中国、韓国、北朝鮮、台湾などでも手本として活用され、自国言語の整理が行われてきました。
コンピューターの世界普及に伴い、言語の国際化も議論され始め、国際標準化機構(ISO)が全世界の主要な文字を含んだ単一の文字集合UCS (Universal multi-octet coded Character Set)を1993年に制定され、ISO 10646と呼ばれるもので、それまであった各国の国内規格との互換を考慮したものとして作られました。
一方、国際市場を重視し始めたアメリカの有力コンピュータ企業は、同様の目的で、従来方式とは全く異なるUnicode(Ver.1.0)という文字集合を策定したため、国際標準一本化のため、ISOは当初の案を変更して新しい標準を制定する事になりました。
その際、漢字圏である中国語、日本語、韓国語(頭文字を取ってCJKと称される)の漢字2万文字がUnicodeにより、各国で用いられている漢字コードから重複するものや意味、構造が同じものを統合し、整理されましたが、従来のJISコードとの変換ルールが存在しないとか、ソート時に従来の文字コードで想定されていたソートが保証されないなど、問題が多く、漢字文化の危機と捉えられ、議論された事もあります。
言語の整理に関し、地域や国などでしっかり区分された情報を持たない欠点を持つUnicodeの尻ぬぐいを、インターネットの共有ファイルであるHTMLの規格として、「言語情報を明記すべき」とする事で、責任を押しつけられたとする意見もあります。
検索サイトなどで、日本語検索をした際に、判断基準の文字コードに地域や国などの情報がないため、ロシア語ページがヒットするなどおかしな事が起こり、本来、文字コードからどの言語で書かれているかがわかるということの技術的なメリットが、Unicodeという悪い設計のために、世界中のコンピューターが余計な検索結果をヒットさせ、無駄にエネルギーを消費しているとする見方もあります。
更には日本語が持つ多様な漢字文化が、コンピューターでは「葛飾」「鴎外」など簡略化された文字しか現されなかったり、難字とされる人名漢字などが文字コードから除外されてしまっている事から、簡略化された文字が正しい文字になりつつあるという「日本語の危機」もあるのです。
「Unicodeに代わるより良い提案を世界に出した日本人が一人でもいるだろうか?」1997年、丸山学芸図書から出版された『いま日本語が危ない-文字コードの誤った国際化』の著者、太田昌孝さんが語られたように、ここでも「美しい日本」を顧みずアメリカの合理的な文化論に流された日本人の姿が見えるのかも知れません。
著作権切れの日本近代古典文学をウェブ閲覧可能とする労力を払われている青空文庫が「正しい字とは何か」で書かれているように、戦後の字体簡略化が、その後の文字コード化での漢字文化の認識の揺れとなり、更には国際化で、使える文字の制限によるその再現の困難さの中で、電子テキスト作成が行われている実情が語られています。
世界で最も難しく、それゆえ最も表現豊かな言語、日本語をどれほど使いこなせているか、「言葉の乱れ」と問題視する大人達が「美しい日本語」を大切にしているのかという問題なのでしょう。
「誰もが使えるもの」まとめとして、次回は人にとっての情報の大切さを紹介したいと思います。
情報にまつわる最も古い話は多分、旧約聖書の「バベルの塔」の話でしょう。
人々が天にも届くバベルの塔を作ろうと、知恵を持ち寄り、神に近づこうとした時、神の怒りに触れ、人々は互いにコミュニケーションが取れないように、言葉を通じなくされた。
今風に云えば、「共謀罪」であり、それが多言語の始まりであった。
言葉の隔離操作は、その後、日本で云えば、たびたび行われた鎖国文化による「日本語」の発達、幕藩制による地域間競争でのお国訛りによる言葉の暗号化など、言葉、すなわち、情報として、利用された歴史がある。
フェデリコ・フェリーニ監督の『ジンジャーとフレッド』で語られるタップダンスの歴史は、言葉というコミュニケーションを禁じられた黒人奴隷同士が、身体を使い、コミュニケーションを計った事が始まりとし、大航海時代以降の近代史では、労働力として使われる者たちが生み出す文化が、情報となり、商品にもなってきた。
子供達が大人の陰口を言う時、気付かれないようにあだ名を付け、会話する事が、「文化」であり、「情報」であり、それに共感持つ事が、「流行」なのだろう。
「情報」の歴史をおさらいすると、それは「文化」とはなんなのかという問いに繋がりと思うし、そういった「情報」は個人個人が選べなければ、共感を呼ぶ「文化」になり得ない事にもなる。
「日本語」は感情表現の音である「あ」「い」「う」「え」「お」の母音と、言葉の意味を表す子音から成り立っているとする「コトノハ」は、心の響きである「言葉」の美しさを追求した言語であり、「日本」という温暖な地域ゆえに、生み出された言葉の音感が、北の国に行けば、「ズゥズゥ弁」と云われる寒い環境で出来るだけ口を開かなくても通じる言葉を生み出し、南の国に行けば、おおらかにのんびりした言葉を生み出した。
自然の中で、自分たちのコミュニケーションを如何に有効に活用するかから、自然発生的に編み出された「情報」は、アメリカ文化という生活環境が異なる異文化によって、自分たちの自然までも見失わせかねなくなっている。
グローバル化が叫ばれる今日、ブラジルやインドネシアなどでは自国の文化保護に関する動きが活発になっていると聴かれるのも、おそらく、その土地に根付いた「文化」「情報」を守る事で、自分たちが生きる自然を守る「文化」になるという考えからだろうし、「お国自慢」がグローバル化で生き残れる商品価値にもなりうると云う自覚だろう。
「誰もが使えるもの」とは人々が互いの差異性を理解し、関心を持たせるシステム構築であり、「人への関心」の大切さの証なのだろう。
それは大航海時代、故郷を棄てて、異国を旅しなければならなかった船員たちと、異国へ連れ去られ、奴隷として生きた貧しい人々が、「望郷」という共通の「情報」から音楽という「文化」を生み出していったシステム構築と同じなのかもしれない。
「情報」を制御するデザインという「表現」のあり方を提示したウェブアクセシビティは、カスタマイズ可能な伝達手段としてあるウェブページのあり方を模索したものであり、表示をカスタマイズ出来る機能を使えない状態にするウェブデザインのまずさが問題であるのだろうし、それはマスメディアが提供し続けた一方的な「情報」の後追いでしかないのだろうし、せっかくのインターネットという環境を活かし切れなければ、尻つぼみしていく「文化」しか生まれないという事なのだろう。
著作権論議で、ディズニーがミッキーマウスの著作権が切れる事から始まる著作権改訂の70年に引き伸ばしは、50年間、ミッキーマウス以上のキャラクターを生み出せなかったディズニーの問題でもあるだろうし、新しい文化を押しつぶし続けた「著作権社会」の問題なのだろう。
視覚障害の方々が活用されている音声読み上げシステムの問題として、二次利用に関する著作権問題があり、それが利用側のカスタマイズを妨げる結果ともなっている。
「パブリック・ドメイン(公共利用)」の重要性が軽視されがちな日本において、「誰もが使えるもの」は日本文化の存続の大きな課題になる予感がする。