From 2006-05-22(月)
To 2006-07-19(水)
「昨年ストックウェル地下鉄駅でテロリストと誤認され射殺されたブラジル人、ジャン・シャルル・デメネセスに捧げます」
去る4月9日、40年前、母国から国外退去命令によりロンドンに亡命したカエターノ・ヴェローゾはこう語り、自分を迎え入れてくれたロンドンへの満たされぬラブソング、「ロンドン、ロンドン」を歌い始めた。
昨年のフランスに続き、来月までイギリス・ロンドンのパービカン文化センターにて開催されているブラジル・トロピカリア展の様子とその元になったブラジル・トロピカリア・ムーブメントがなんであったのかを特集する記事を載せた、中南米音楽から出され、CDショップなどに置かれているフリーペーパー「MPB」の一節である。
先の「禁じることを禁止する」の補足の意味も込め、トロピカリアの今日的重要性を紹介してみたい。
40年前、軍事政権下、「新しい粋」ボサ・ノーヴァにあこがれ、閉塞状況のブラジル社会にムーブメントを起こそうとした若者達が今まで口を閉ざしていた「あの当時」をその亡命の地、ロンドンで語り始めた。
ブラジル本国にはまだ弾圧した当事者達がいるし、このような催しは難しい。ビートルズ、ローリングストーンズの本拠地であり、サイケ・ムーブメントが飛び火したブラジルでの「ポップ・ミュージックには何が出来たか」「軍政時代の文化弾圧」「消費社会とアーティスト」「サイケデリック文化の見直し」「ファベーラ(スラム)文化の台頭」「文化混沌による創造性」など、あの時と現代、ブラジルとイギリスを見つめ直す事で、社会学的にかなり面白い切り口が出現したと、フリーペーパー「MPB」の記事は分析する。
ジョアン・ジルベルトとアントニオ・カルロス・ジョビン、そして、歌う外交官ヴィニシウス・ジ・モラエスが築き上げた音楽輸出大国は保守化から軍政へ向かい、若者達の文化を萎縮させる公共良俗を良しとし、「ミニスカートやエレキギターを許せばアメリカ帝国主義に侵攻される」とする良心派と「ブラジルは混血の文化であり、純粋性などどこにあるのか」とし、その混血性を模索すべきとするトロピカリア達の対立で、音楽のみならず、映画、美術など幅広い分野でトロピカリアは広がりを見せていった。
「生活こそが美術である」とするスラムを模写した美術や、ネオリアリズムから超自然に展開する「シネマ・ノーヴァ」と呼ばれる映画群、それらに刺激され、ミュージシャン達がだれ云うともなく語られ始めたトロピカリズモ(熱帯主義)。それに悪のりするジャーナリズム。
「禁ずる事を禁止する」というフランス学生デモのスローガンを面白がり、カエターノの歌に使わせ、テレビ番組でトロピカリアだからと、戦前のブラジルの代表歌手で後にアメリカに渡り、過労死したカルメン・ミランダのコミカリズムをまね、バナナをプリントした衣装を着せ、終いには国旗を侮辱するような行為まで行わされる。
単に粋な音楽をやりたい若者達はマスメディアに操られ、当局ににらまれる羽目となり、カエターノとジルベルト・ジルは投獄され、長髪は丸坊主にされ、尋問と脅迫に耐える日々を迎える。比較的自由に振る舞えたジルに対し、挑発的パフォーマンスをしていたカエターノは薄気味悪い将校に呼びつけられたり、銃口を背に無理矢理歌わされたりしたという。
仮釈放の後、次に捕まったらやばい事になると聴かされた二人は友人の手づるで亡命を決め、ロンドンに渡る。精神的苦痛がそれ程でもなかったジルベルト・ジルはボブ・マーリーのレゲエと出逢ったのに対し、カエターノは本国での過酷な投獄体験からPTSD(心的外傷後ストレス障害)に悩まされ、ジルの奥さんのブラジル食材の手料理に涙し、訪ねてくれた知人の歌に涙する。
本国では妹マリア・ベターニャが「ボサ・ノーヴァ・ギターはやめて、エレキで歌うのよ。今はボサ・ノーヴァ・ギターで兄さんの詞を歌うのは限界なのよ。」と兄の帰国を願うべく、コンサートを繰り広げ、同胞ガル・コスタはカエターノから送られてくる詞を歌い続ける。「ロンドン、ロンドン」。イギリスの寒空とブラジルの炎天の間を歌は未確認飛行物体のようなレコードとなり、行き交う。
そんなある日、ジョアン・ジルベルトからカエターノに1本の国際電話。
「カエッタス、すぐブラジルに帰っておいで」
ジョアン・ジルベルトが当局と掛け合い、音楽番組を作る名目でカエターノの一時帰国は叶えられるが、その放映をカエターノは観る事を許されず、またロンドンへ。番組はコマーシャルでずたずたに切り裂かれた物が流され、そのテープは未だ行方不明。
帰国の糸口を見いだせた二人の帰国により、トロピカリア・ムーブメントは終息に向かい、軍政が終わる1980年代中盤までトロピカリア達の内向の時代が始まる。
「昨年ストックウェル地下鉄駅でテロリストと誤認され射殺されたブラジル人、ジャン・シャルル・デメネセスに捧げます」
異境の地に住む同国人の死への抗議を歌うトロピカリア。それは助けられた恩を知る者の歌であり、口先だけの「国家」「民族」にこだわる人達への抗議でもあるのだろう。
ユートピアノ、あり得ない世界。それがあり得た時代が日本にあった。
佐々木昭一郎。映像の詩人と呼ばれた元NHKのプロデューサー。1971年から1995年にかけて作られた作品群がCS放送の日本映画専門チャンネルで一挙放送されている。
ドラマでもなく、ドキュメンタリーでもない、フィルムの真実を重ね合わせた映像の虚構から綺麗に飾られた現実の中にある生々しさが浮かび上がる。
ラジオ時代に知り合った寺山修司からの影響かも知れないし、寺山に影響を与えたのかも知れない、その独自の話法が観た者の脳裏にこびりつく。
僕の佐々木昭一郎ドラマの体験は『四季 ユートピアノ』から。
中尾幸世の素人ぽさで綴られる映像詩は物語を辿りつつ、語る事よりその背景を丹念に描くうちに物語られる不思議な世界。
1970年代の安定成長に入った時代の日本の原風景を映し出したつげ義春原作『紅い花』他の初期作品群。
1980年代、音にこだわり、世界各地の音を拾い集める《川》シリーズ。
そして、1980年代中盤から1990年代にかけ、《戦争の記憶》を追い求めた作品群。
声高なテーマは底流に潜み、人の息づかいがどうさざ波になるか見つめるような映像詩。
そんな佐々木昭一郎の美学も国際的な評価とともに支えたのは、当時のNHKのプロデューサー達であり、娯楽一辺倒ではない、その必要性を上司に説得し、夜8時台のゴールデンタイム、放映された。
現在のNHKの状況を佐々木昭一郎氏は外から見つめ、落胆の声を発しているらしいと読売新聞ウェブサイトでも紹介されている。
視聴率優先、物言えぬプロデューサー、撮り方、演技はうまくとも、演出の顔が見えない。冒険してみようと云う体制が生まれにくい環境、自分の立場への保身。
国際的に評価高い佐々木昭一郎作品もなかなか見られるチャンスない昨今、一挙放送はやはりありがたい。
今、佐々木昭一郎氏は良質な作品を生み出しているインターネットドラマにユートピアノを見いだそうとしているようで、その意義はテレビの出現で廃れた映画と同じく、公共放送の意味がないと先の記事で仰っていると伝えている。
ユートピアノの連鎖で歴史は作られる。
いつでも夢を。
佐々木昭一郎作品との再会が叶い、観た当時の、そして、今現在のユートピアノを探る時が始まる。
「豊かじゃなかったけど夢があった」というキャッチフレーズの映画『ALWAYS 三丁目の夕日』。駅の雑踏シーンのこれでもかというCGに、エキストラのなり手いなくCGにしたの?と冷やかしたくなったり、ドラマの深みのなさに、憤りより寂しさを感じもしたのだけれど、それでもなお、DVD発売の今、この映画の語るべきところにこだわりを感じ、こんな文章を書いたりする。
下半分の東京タワー、それは高度成長という頑張れば良くなるというシンボル。その東京タワーが見える街は今の都会化された東京ではない庶民の顔が息づく街。
募集していた就職志望者が自動車整備などやった事はなく、自転車整備が出来る女の子。今なら門前払いで終わる話がこの物語の始まりで、捨て子同然の子供を押しつけ合うのも、やはり今なら警察に預けて終わりにしてしまいそうな、今の社会では成立しそうにないお話の数々。
「ノスタルジア」で観れば納得するのだろうが、僕のように古い日本映画を好む向きにはそのドラマの底上げが気にくわない。
しかし、今日というフィルターを通し、観ると、ご近所や親戚との物の分け合いが活発なこの映画は「お金至上主義」の現在、見失われた「夢」に出逢えもする。
今が「お金至上主義」一辺倒なのか、昭和30年代は「お金至上主義」がなかったのか、よく考えれば、そうでもなく、自分の身近なご近所や親戚などを見回すと今も物の分け合いが盛んだし、仕事で付き合いある若者達なんかも物の分け合いなどで繋がっている。昭和30年代はというと、僕はまだ幼かったが、それほど「優しい時代」ではなかったような気もする。
先日、政令指定都市少子化トップの札幌と少子化がまだ深刻な数値になっていない福岡を比べるニュースをしていたのだけど、札幌は核家族化の上に共稼ぎ、更には景気低迷と少子化の要因が重なっているの対し、福岡は三世代家族が多かったり、景気が比較的よかったりしていて、ある意味ゆとり持てる環境が残っているとの報告。
おそらく、よく云われる社会保障は、誰でも出来る仕事が数多くあり、その稼ぎで食べていける状況があり、ご近所づきあいも活発で物の分け合いがなされていれば、それ程必要ない物なのじゃないだろうか?
現に日本は1973年だかが社会保障元年で、それ以前は近所や職場でお互い助け合う仕組みが作られており、企業も職場の仲間意識を高め、生産性を上げる事に重点を置いていたのだろうし。
そのような社会の中の自然治癒的な役割の大切さ、生産性重視が人間社会を破壊する警告、それらが映画『ALWAYS 三丁目の夕日』の制作意図にあったのだろうし、それはJANJAN過去記事『ALWAYS 三丁目の夕日 舞台挨拶を拝見』を読めば判る。
現代社会は生産性重視、流行重視により、機械的な社会保障を必要とする不自然な状態。不自然であるがために制度として馴染むものを作る事も出来ず、「格差社会やむなし」という発言も飛び出すのだろう。
「時間泥棒は幸せ泥棒」ミッシェル・エンデ「モモ」より
「お金」の功罪を説き続けたミッシェル・エンデは「お金」を得るための「時間」の浪費が「幸福の時間」を奪うとし、人が作り出し、今では教会に変わり、街のど真ん中に居座る銀行を皮肉り、「おぉ、金よ、我を救い賜え」と語ったりもした。
映画『ALWAYS 三丁目の夕日』はあの当時の貧しさが描かれていないためか、ユートピア的なものになってしまっているが、お金より大切なゆとりを得るため、生き、それでもなおかつ、札束に殴られ続けた時代であり、親たちと共に子供も「夢」を見続けた時代。
娯楽過多の反面、過重労働につく人達も増え、寝場所のコンビニ化を必要とする今日、都会と田舎の地域格差はなくなり、田舎の都市型犯罪も多発する。
映画『ALWAYS 三丁目の夕日』は豊かになった今、虚弱となり、失われた「夢」をひたむきだったあの頃に探し出そうとする今日の寂しさ、弱さを描いた映画なのだろうなぁと思ったりもする。
おとぎ話の結末の残酷さ同様、映画『ALWAYS 三丁目の夕日』は「ノスタルジア」に繰るんだ現代の忘れ物を如何に取り戻すかという問いが隠されているのかも知れない。
「いつでも夢を」それは今に叶わぬ夢。
JANJAN市民記者ボーナス制度で得た図書カードにて、60年代ブラジルのトロピカリア・ムーブメントをドキュメントしたカルロス・カラード著作『トロピカリア』を購入し、読みふけるこの頃。
カエターノ・ヴェローゾ、ジルベルト・ジル、マリア・ベターニャ、ガル・コスタ等が結びつく糸のように巡り会い、成長する話の中に必ず現れるのが、ボサ・ノーヴァの生みの親、ジョアン・ジルベルトの話。
その彼等がジョアン・ジルベルトと会える日の記述。部屋に籠もると一週間は出てこないのが当たり前の変わり者で有名なジョアン・ジルベルトは一同の想いを尻目にそっけなくまた部屋に戻るが、その後、幾度か機会ある毎に、その助言は彼等の心の支えとなる。
調子っぱずれの意味の「デサフィナード」通り、ジョアン・ジルベルトのやるボサ・ノーヴァは歌と演奏が全くあっていない変な曲であり、ブラジルではそれ程人気にもならず、どちらかというと知識人に好まれ、アメリカの音楽チャートを塗り替える輸出音楽として、有名になり、ジョアン・ジルベルト自身も居をアメリカに移していたが、その曲をラジオで聴き、育った少年たちはボサ・ノーヴァが古典的なサンバ・カンソーン(歌謡サンバ)をアメリカのジャズに近づけたフィーリングで歌ったものと捉え、大方の見解であったアメリカン・ジャズのコピーに異論を唱えていた。
現にジョアン・ジルベルトのやるボサ・ノーヴァ曲の多くはブラジルの古典的な曲のカバーであり、よほどのマニアでなければ知らないような粋なサンバ曲をやっていたりする。
マッチ箱を指ではじき、パーカッション代わりにしたシロ・モンテイロの粋さをジョアン・ジルベルトはギターで再現したりしているし、元々、音楽がやくざ者の粋さから始まったように、軟派な曲調がボサ・ノーヴァの魅力でもあった。
トロピカリア運動が佳境を迎えた時、ジルベルト・ジルはボサ・ノーヴァのように当時流行っていたビートルズのロックのスタイルを借り、保守化したMPB(エミ・ペ・ベ・ムズィカ・ポプラール・ブラジレイラ : ブラジルポピュラー音楽)の変革を唱えはじめる。
時はアメリカのリモコンによる軍事クーデター直後。
流れ込むアメリカン・カルチャーの消化の仕方からブラジルらしいものへの探求へとさかのぼる思考は、大学を拠点に他の芸術でも活発化し、ダイナミックなブラジル回顧運動に発展する。
「『主体』(人間)と『客体』(アート)の最も密接な関係は『使用する事』に他ならない」
ホジェリオ・ドゥアルチ
伝統芸術の衰退を予見する文化運動はマス・カルチャー(大衆文化)を取り込み、如何に「商品」の価値を身につけるか、論じられ、貧民街のモーホー(裏山)の居住地をアート化した芸術が生まれ、サイケデリックにまで発展する。
ジョアン・ジルベルトのやる調子っぱずれのボサ・ノーヴァはそのうちに秘められたブラジルの誇りを引き出す結果となった。
ジョアン・ジルベルト達の青春を記し、名著として名高いルイ カストロ著作『ボサノヴァの歴史』が読みたいけど、値段が高い。(笑)
1990年代、ジョアン・ジルベルトのEMIに録音された初期音源がCD化されたのだが、LP2枚半を1枚のCDに押し込めるため、曲間を縮め、更にはバラバラの曲順で収録したものは、ジョアン・ジルベルトの許可も得ずに発売したため、法王の怒りに触れ、裁判沙汰となり、発禁となる。
ジョアン・ジルベルト側もオリジナル発売当時の制作者無視の著作権をも訴訟対象とし、争い、裁判は長期化しそうで、2003年の日本来日の際、オリジナルの形でCD化の話もあったのだけど、裁判中という事でお流れになった。
この発禁CDが今ではネットオークションで一万円を超すレア盤扱いとなっているからか、韓国のEMIがこのCDをこの春、再販。一月もしないうちに発売中止になるという騒動になっている。
最新ニュースでは裁判でも、問題のCDは全世界的に回収が義務づけられているという話なのに、世界のEMIは地球の裏側で何をやっているのだろうか?
ジョアン・ジルベルトのやる調子っぱずれのボサ・ノーヴァが企業の欲まみれを引き出す結果となったのだろうか?
BC級戦犯の冤罪告発『壁あつき部屋』(1956年作品)、五味川純平の小説の映画化『人間の條件』(1959年-1961年作品)、封建社会の矛盾を描いた『切腹』(1962年作品)、そして、膨大なフィルムを整理した『東京裁判』(1983年作品)と時代に巻き込まれた者たちの悲劇を一貫して描き続けた小林正樹監督の没後10年という事で、衛星劇場と日本映画専門チャンネルの共同企画で、今ではDVD化もされておらず、なかなか観られない小林正樹監督の作品群が一挙放映されている。
遠藤周作の原作『どっこいショ』を映画化した『日本の青春』(1968年作品)はそんな小林正樹監督の戦中派のぼやきを映し出した一編。
「どっこいショ」と通勤電車に揺られ、どこか疲れ切り、怒る事すら忘れたようなさえない中年男というシリアスな役を演じるのは、当時コメディアンとして売り出していた藤田まことで、役者開眼した作品とも言われている。
家に帰れば、妻に愚痴を聞かされ、子供達にも相手にされないようなそんなしがない男も、戦時中、友と「戦争に駆り立てる国家ってなんなんだ」と激論交わし、友が招集されると徴兵から逃げる事ばかり考えていた。
初恋の人にそんな胸の内を語りながらも、逃げ切れず、戦地では捕虜の自白強要を上官から命じられても、殴る事も出来ず、逆に上官よりこっぴどく殴られ、耳が聞こえなくなる。
何とか生き延び、戦後を生き抜いた男は、さえないながらも、会社を経営し、妻子を養う身。そんなある日、息子が自分を殴った上官の娘と付き合っている事を知る。
「君のお父さんは殴らなかったんじゃない。殴れなかったんだ。」
時代の流れに器用に身を転じて生きてきた上官は息子に父の弱さを罵倒するように語る。
父をけなされた息子は父の誠実さが弱さなのかと問い詰めるけれど、元上官に食いつく事もせず、再会した初恋の人に何も出来ない父に、どこかで弱さと感じてしまう。
「強さ」を安定志向に求め、自衛隊に志願しようかどうしようか迷う息子と反対する恋人。
父達の青春と息子の青春が交差し、生きる上での「どっこいショ」が浮かび上がる。
一国の首相が「靖国、何回行こうが個人の自由」とのたまうご時世。「殴らなかったんじゃない。殴れなかったんだ。」と無力の民をあざ笑うセリフに重ね合わせてしまうのですが、弱虫でしょうか?
ある新聞の最近のコラムで、ノンフィクション作家・柳田邦男氏が「壊れゆく子育ての基盤」と題して、島根県・隠岐島での産婦人科医ゼロの実態から、本土での出産者に対して補助費支給という異常な対応を取り上げ、「安心して子供を産み育てられる」ための基盤までも壊れ始めた、と記していた。
その背景としては晩婚化による高齢出産の増加、それに伴う異常分娩、障害児出産の増加なども絡み、全診療科の中でも医療ミスを提訴されるケースが最も多く、若い医師達に産婦人科医志望が極端に少ないなどの問題点を実数や事例で示し、紹介されており、更にはその慢性的医師不足から本来常勤医2名以上必要なところを1人でこなしたりしているのが実情であり、その全国の産婦人科医の4分の1が60歳以上で、10年先を考えると慄然とする実態であると述べている。
安心して子を産めない地域は若者に見捨てられ、荒廃する。国は言葉では郷土愛を謳うけれど、未来を担ういのちの誕生を、本気で大事に考えているのか。国、自治体、医療界、医学教育界が挙げて取り組まなければ、手遅れになる。と締めくくっている。
JANJANコロシアムでも『少子化対策を論じませんか?』にて、助産婦制の活用など回避策が提案されたりしたのだけれども、そこでも書かせて頂いた僕自身の出生時の話を紹介させて頂きます。
母は戦後の復興時、家計を助けるため、札幌に働きに出、仕送りし続ける生活で、僕を身ごもったのはもう30歳を過ぎた頃。いわゆる高齢出産で、その上、多少ごたごたがあり、精神的にも不安定な状態で、実家に戻り、僕を産みました。
産まれる際、近所の助産婦さんが取り上げようとしたところ、胎内でへその緒が首に絡まり、このままでは産道で窒息死する状態、鉗子により無理矢理引っ張り出され、へその緒が首を絞め、気絶状態で産まれ、首の後ろには鉗子によるかぎ裂きの傷がえぐれ、応急処置をし、意識を取り戻させ、一命を取り留めたそうです。
しかし、その出産時のトラブルにより、脳性麻痺となり、レントゲンを撮ると左の脳の一部が壊死しており、生まれつきの脳梗塞のような状態で、幸い、軽い障害で済みましたが、利き手麻痺という何かと不自由な思いで今日までやって来ました。
一般の住宅で産まれたため、応急処置に限度あり、息を吹き返すためのお湯と水、交互につける。足首を掴み、体を振り回すなどショック処方が繰り返されたとも聴かされますし、首のかぎ裂きの応急処置も大変だったらしいです。
病院での出産時のトラブルは、主に医師や看護婦の慣れや機器に対する認識不足から来るもので、その最たるものとしては未熟児網膜症があるでしょうが、大切なのは人が産まれる尊さであり、緊急に対する備えで、我が子を産める環境が整っているかでしょう。
以上のような経験から言えば、残念ながら助産師に頼る環境は核家族の今日では生か死かになりかねないと思いますし、医師という最先端の医療技術者制度を作り上げたのに、何故、また助産師を活用しなければならないのか理解に苦しむ。
医師による出産援助の体制を全国規模で確立すべきで、柳田邦男氏の指摘の如く、未来を担ういのちの誕生の保障が郷土愛になっていくと思う。
自分の誕生秘話を聴かされ続け、今まで生きてこられた者のささやかな提言。
北海道新聞に、小樽の老舗ゴム長靴メーカーのミツウマの再チャレンジの事業事例が紹介されていた。
札幌で再チャレンジを推進している安倍晋三官房長官も参加された、政府主催の「再チャレンジタウンミーティング」にての話。
リストラという大きな犠牲があり、生き残った苦難の道標を紹介し、また転ぶかも知れない再チャレンジの不安をも打ち明けたけれども、短時間であったがため、理解されたかどうか不安であるし、どんなに条件の良い支援策であっても断られる公算が大きいという、実感わかぬ再挑戦の掛け声への疑心暗鬼という記事。
格差社会の問題点は独立行政法人国立印刷局の「平成17年版労働経済白書のあらまし」や厚生労働省の「平成17年版 労働経済の分析 人口減少社会における労働政策の課題」などに詳しく述べられており、格差社会がどのように推移してきたかは知る事が出来る。
ここでは筆者が今まで目にした新聞などのコラムの話や上の資料などから少子高齢と格差社会の関連を整理してみたい。
「平成17年版労働経済白書のあらまし」によるとリストラなどでの失業は一段落したとしつつも、パート雇用が伸びているだけの雇用実態や女子の雇用に比べ、男子の雇用の低迷、雇用形態から来る賃金、労働時間の問題。更には物価、勤労家庭の家計を楽観的に捉えようとしてはいるが、その実、その背景を突き詰めていないように思われる。
パート雇用という不安定な立場を余儀なくする事は、企業にとっても人材育成面でプラスなのか考えさせられるし、勤労者側にすれば「今を生きる」事に必死であるだろうし、「落ちこぼれ」たくない心理だって働いているだろう。
否が応でも自分を殺す生き方が求められ、超過勤務をもこなす状況下、近年増えた「インターネットカフェ」や「カプセルホテル」など安価で得られる「寝場所のコンビニ化」なる現象もこのような生活環境からニーズとして生まれたのだろう。
貯蓄面での格差として、40代、50代の一定の蓄えを持つ世代に比べ、本来ならば家庭を持ち、子育てに励む20代、30代に低所得が多いらしく、就職の際の「即戦力」という限られた職域が求められるがゆえ、そこに入り込めない人達のフリーター化、安価労賃を求める企業が所帯持てない若者を作り上げ、満たされない想いを多様にある娯楽に興じさせているのじゃないだろうか。
携帯文化はメールアドレスの交換で人と繋がっているという安堵感とメールのやりとりがとぎれた時のドライに振る舞おうとする気持ちが、さまよえる魂のよりどころとして、携帯という「もの」に求めているとする若者分析があったけれども、正社員を必要としない、出来ない会社に振り回される勤労者達もおそらくさまよえる人間なのだろう。
少子化の中、シングルマザーなる結婚せずに子育てする未婚の母達も頼れない父(男達)よりも子供によりどころを求める姿なのかも知れない。
そのシングルマザーの元、育った子供達が所得格差により、教育格差を味わわされているという報道をも目にした。
生活のためには仕事がある都会、しかし、都会では自然を知る事すら、お金のかかる事。ゆとりとお金がない生活環境で、自然体験から学ぶカリキュラムは敷居の高いものとなる。
平成18年3月16日の第164回国会 財政金融委員会でも取り上げられた東京大学社会情報研究所の橋元良明氏のチームによる「対人信頼感の比較」という日本、韓国、フィンランドの学生比較調査。与謝野馨、谷垣禎一というお歴々が「にわかには信じられない」という日本の学生の「対人信頼感」の不信感の高さ。
自力推進で推し進め続けた小泉改革の結果が、信頼感の欠如であり、再チャレンジというけれどというリアクションを生みだしたとするのはやぶさかな考えだろうか。
各項目「そう思う」と「ややそう思う」の合計値の比較。
人間の歴史はその大半が飢え・飢餓との戦いであるという文献を目にした事がある。飢え・飢餓を乗り切る術として、精神文化が発達し、人々は助け合い、物を大切にするという事を身につけたのだそうだ。
物質文化で物があふれ、豊かになった今日、精神文化はすっかり影を潜め、代わりに人工的になんでも作り出せる時代になってきた。
数週間前、地元の北海道放送の夕方のニュース番組「Hana*テレビ」で「食品添加物」について、特集組まれ、「食品添加物の現場」、「味のマジック」、「子供達の味覚、健康への影響」、「不必要な強調表示」などが4回連続で流されていた。それを踏まえ、ちょっと今日の食文化の問題点をまとめてみようと思う。
番組は、現在の食文化は食品添加物なしでは食生活は成り立たなくなっているといわれ、その使用に際して、個々の添加物においてその使用分量などきめ細かく決められてはいるのだけれども、更なる実態を『食品の裏側』の著者、安部司氏の話と、安全の範疇での使われ方とする食品添加物の協会の方、双方の意見を聞きながら、ショッキングな話の紹介で進められていき、自然の食材の色、形が消費者が判らなくなっていると指摘する声もあると締めくくられていた。
「食品添加物の現場」の見栄え作りや「味のマジック」の話などは、高価な食材に似せた味に、栄養素、カロリー加味すれば、自然の産物はいらなくなるのだろうけど、偽物を取り混み続ける身体のリアションが気になるところ。かつて、寺の僧侶の精進料理は似て非なる物を、肉魚に見せかける「もどき料理」とし、食材の味にこだわり、調味料の使用を抑えたのに比べれば、イージーにどん欲ながら、貧しさを感じてしまう。
「子供達の味覚、健康への影響」では、紹介されたペットボトル症候群の他にも、かつて適量サイズが主流だったのに、飲み残せるペットボトルの普及により、お得サイズの物持ちにこだわり、飲用する配慮がなくなってきた。更には唾液の雑菌がボトル内で繁殖し、それを再度飲用する弊害などの指摘も聴かれたりもする。
それは特集最後で放送された、漂白の必要ないもやしを「無漂白」というブランドで売る「不必要な強調表示」を信じてしまう消費者のニーズに「乗ってしまう」生産側の弱さなのかも知れないし、消費者の健康管理のルーズさなのかも知れない。
食文化の問題で記憶にあるものでは、棚上げ状態のアレルギー、アトピーとの因果関係やモーガン・スーパーロック監督のドキュメント映画『スーパー・サイズ・ミー』(2004年作品)などで描かれたファーストフードで依存症を引き起こさせる副作用なども挙げられるだろう。
飽食時代の申し子達がどこでもしゃがみ込みするのは基礎体力が作られる幼少期の過食から来る貧血、ゲーム世代の運動不足と指摘する向きもある。
食べ物が少なかった時代を知る中高年は子供時代に基礎体力が出来上がり、ある程度の飢えにも耐えられる身体になっているらしいけれども、飽食時代の20代くらいまでの裕福な家庭の子供達は少しの飢えでも耐えられないのかも知れない。
飽食とは飢えを知らぬ身体の飢えであり、米主食の日本人の体質が欧米風の食生活に変わり、更には食品添加物の洗礼を受けている。
そして、過食の先進国アメリカの実態として『スーパー・サイズ・ミー』でも描かれた医療費の軽減として、食材のあり方の見直しではなく、肥満体の健康な胃の摘出という本末転倒な経済理論も行われ始めている。
身近でアルバイトに励む大学生達は朝食代わりのファーストフードに、カップ麺とペットボトル飲料の昼飯。手軽さとともに確実に身体の何かが飢えていっているように感じるのは気にしすぎだろうか?
ここ数回にわたり、書き続けた『生きる権利』とも云える各事象を注意深く考察する必要があるのかも知れない。