第9編 教  育

昭和の小漁師top
百年史top

第1章 教育勅語時代の教育
第2章 民主教育への転換 
第3章 学校教育の進展  
第4章 社会教育の進展  



第4章 社会教育の進展  
(1)生涯教育の展開 
(2)文化財と学術資料

(1)生涯教育の展開
社会教育委員  昭和21年5月に文部次官通達に基づく道庁教育民生部長通達では、社会教育を振起し、再建日本の根幹たる責任ある真の自由人を完成するためには、末端組織を強化することが先決問題として、市町村に社会教育委員設置要綱が示された。設置要綱によれば、
    図書館・博物館・諸学校その他教育機関の職員、市町村吏員、市町村会議員、学務委員、宗教家、文化・芸術・体育団体の関係者その他適当と思われる者の中から、町村でも三名程度選出し、なるべく民間人を入れること‐‐‐
  が指示され、本町でも同年6月30日に、道庁から阿部文男、坂上堅正、稲熊ナヲが村社全教育委員に任命されたが、活動領域は明らかでない。
   昭和24年に学制改革と併行して、社会教育の振興を目的とする[社会教育法」が制定されて、社会教育の将来が明確になり、同26年の同法改正により、町村条例による社会教育委員の設置をみるにいたった。本町では昭和26年6月27日付で「社会教育委員設置条例」示施行され、15名の委員(任期2年)が委嘱された。委員の構成は学校長ヽ社会教育団体代表者ヽ学識経験者が当てられヽ現在は20名になっている。社全教育委員の職務はヽ法第17条に定められた、
  一、社会教育に関する諸計画を立案すること
  一、会議を開き教育委員会の諮問に応じ、これに対し意見を述べること。
に準拠しているが、社会教育は明確な基準や条件を持つ学校教育とは異なり、同じ町内とはいっても、
 (1) 年齢的に層の上下に差異があること。
 (2) 地域的に生活条件に差異があること。
 (3) 経済的に参加条件に差異があること。
 (4) 職業的に環境条件に差異があること。
など、難しい調整要素をかかえている。

社会教育目標  社会教育の領域は際限なく広く、教育の総合性を補完するものとして、極めて重要な意義をもち、生涯教育の観点にたった展開が重視されている。本町では、
  郷土文化の創造をめざし、明るく豊かな住みよい町づくりの推進に寄与する有為な人づくり。
を基調として、
 一、個人の価値を認め、お互いの地位を尊重し、親愛の心と、強い責任をもちお互いに協力し、明るい町建設につとめる「民主的」な人。
 二、常時家庭や社会生活を合理的に営む創意と工夫により、計画的に生産を高め、生活向上をはかる「科学的」な人。
 三、社会連帯性の認識を深め、広い視野による時代感覚と、協調的建設意欲をもって、新しい町づくりの実現につとめる「意欲的」「実践的」な人。
 四、自然や芸術の美について関心を高め、健全な趣味を日常生活の中にとり入れ、豊かな教養と情操をもち、生活を深めて行く「文化的」な人。

を重点目標に掲げ、組織的、地域的、全町的な住民運動として社公教育活動に取り組んでいる。

公民館  昭和21年に文部省から社会教育施設としての「公民館設置要綱」が示され、同年8月さらに北海道庁が公報4072号で、市町村長に「公民館設置とその運営」について呼びかけたことから、公民館活動の重要性がクローズアップされた。同広報が掲げた公民館の意義には、
 公民館は全国の各市町村に設置せられ、此処には常時町村民が打ち集って談論し、読書し、生活上産業上の指導を受け、お互いの交友を深める場所である。それは謂はゞ郷土における公民学校、図書館、博物館、公会堂、町村民集会所、産業指導所などの機能を兼ねた文化教養の機関である。それは亦青年団、婦人会などの町村における文化団体の本部ともなり、各団体が相提携して町村振興の底力を生み出す場所でもある。この施設は上からの命令で設置されるのではなく、真に町村民の自主的な要望と協力によって設置せられ、又町村自身の創意と工夫によって維持せられてゆくことが理想である。
と謳われており、新しい時代の社会教育活動の方向を暗示するものであった。
 さらに昭和24年の「社会教育法」公布で、公民館の位置づけが明確となり、その第2条の社会教育は「主として青少年及び成人に対して行われる組織的な教育活動(体育及びレクリエーションの活動を台む)をいう」と定義づけられた教育活動の場として、公民館設置が緊要事となった。
 本町でも湧別市街の有識者の間に公民館建設の声が台頭し、建設資金の一部を地域住民の寄付によることで実現の見通しとなり、昭和27年に工費299万5,000円(うち寄付金60万円)を投じて、142、75坪の建物が完成し、同年9月14日に「下湧別村公民館」開館の運びとなった。寄付取りまとめの苦労の思い出を谷口勇(当時の漁業協同組合長)は次のように語っている。
  公民館のもつ趣旨については、新しい時代にふさわしいものとして、だれでもが認識できたものの、いざ建設となると、その必要についてはすっきりと運はなかった。当時は劇場もあったし、学校施設も開放すれば利用できるとあって、一部に反対を唱える者があり、一般の寄付募集のもくろみは頓坐せざるを得なかった。
 そこで編み出された資金造成(寄付に代るもの)の方法が、魚・・・漁協が鮭を放出して、それを一般村民に買ってもらい、その代金を積み立てて60万円を達成したものだ。いまとちがって新制中学校の建設でも寄付を伴った時代だったから・・・曲折があったのもやむを得なかった。

その後、昭和28年4月には専任館長を配置し、同年8月には図書室も付設された。これが本町における最初の公民館で、昭和48年に現在の中央公民館ができるまで存続し、あとは児童館、葬儀場として利用されている。以後の公民館設置の推移は次のようである。
        区分
名称
開 設 施 設 規 模 備       考
湧別町中央公民館
芭 露 公 民 館
計呂地地区公民館
川  西  分  館
東 芭 露 分 館
志 撫 子 分 館
昭48・12
”42・11
”49・10
”49・7
”52・11
”55・10
鉄筋造二階建2,266・17?
木造平屋建    589・27?
  ”        388・80?
  ”        620・00?
  ”        540・00?
  ”        485・00?
湧別公民館新築
昭53・10畜産総合研修センター内へ
新築
旧川西小学校改修
旧東芭露小学校改修
旧志撫子小学校改修
            区分
名称
開 設 施 設 規 模 備    考
上芭露母と子と老人の家
登 栄 床 海 浜 学 校
登栄床生活改善センター
信 部 内 寿 の 家
湧別町農業研修センター
湧別町畜産研修センター
東 湧 寿 の 家
昭45・10
”51・7
”51・11
”52・9
”52・10
”53・10
”54・10
木造平屋建 385?
  ”      591?
  ”      356?
  ”      568?
  ”      349?
鉄筋二階建1,039?
木造平屋建  459?
新築
旧登栄床小学校改修
旧登栄床小学校あと
旧信部内小学校あと
新築
芭露公民館を併置
旧東湧小学校あと
ほかに、公民館の機能をもたせた社会教育類似施設として、前頁後表の施設がある。
なお、公民館の運営に関しては「公民館運営審議会」が条例によって設けられ、公民館長の諮問機関となっていて、委員は学校長、教育・学術・文化・産業・労働・社会事業団体機関の代表者、学識経験者20名(任期2年)によって構成されている。
 参考までに公民館の利用状況をまとめると、町関係、社会教育団体、社会福祉団体、産業団体の会議、懇談会、研修会、式典、展示会のほか、一般のサークル活動や冠婚葬祭にも利用されており、次の実績があがっている。
  年次
区分
昭 43 昭 45 昭 50 昭 52 昭 55
件  数
人  員
842
30,786
854
32,782
2,088
61,373
2,113
65,000
3,579
70,957

公民館付属図書室  昭和28年8月に開設された下湧別村公民館付属図書室は、乏しい町費による購入図書の不足を捕うために、有志の寄贈協力(献本運動)を求め、349冊を得て、1、500冊ぐらいでスタートしたという。
その後、毎年充実につとめ、次のように増冊をみた。
  年次
区分
昭42 昭44 昭48 昭51 昭54
湧別本室
芭露分室
4,918
5,574
128
5,620
1,221
6,439
1,221
7,159
1,221
4,918 5,702 6,841 7,660 8,380
区分
年次
総記 宗教
哲学
地理
歴史
社会
科学
自然
科学
家事
工芸
産業 芸能 語学 文学 郷土
資料
児童
読物
アメリカ文化
センター
昭42
昭44
昭48
昭51
昭54
78
98
226
251
251
112
112
166
168
169
228
233
544
547
565
1,088
1,130
1,198
1,212
1,216
176
179
380
380
381
182
189
298
330
335
172
171
221
221
222
196
216
394
402
408
69
70
86
86
88
1,798
1,967
2,725
3,119
3,589
58
64
75
75
75
761
1,273
513
844
1,056
-
-
25
25
25

なお、この間篤志家の多額の寄付による蔵書の充実があったが、これらは記念蔵書として寄贈者の姓を冠して管理ている。
 ・森垣文庫   三五四冊(昭43=故森垣幸一)
 ・国枝文庫   八四三冊(昭46=国枝与之助)
 ・西坂文庫 一、二二ー冊(昭45=西坂仁四郎)
 ・黒田文庫   二三三冊(昭54=黒田  実)
参考までに過去10年間の図書室利用状況を観ると、次のようである。
区分
年次
閲覧人員 貸出利用人員 利用者数 貸出冊数
児童生徒 一般 児童生徒 一般
昭45
昭50
昭54
856
1,815
1,238
11
653
560
867
2,468
1,798
565
1,466
857
363
530
379
928
1,996
1,236
1,795
4,464
3,034
467
2,966
1,685
 ほかに北海道立図書館移動文庫の利用も昭和35年から行われており、計呂地地区公民館と上芭露母と子と老人の家をステーションにしている。

社会教育団体  社会教育を効果的に推進するために、教育委員会では対象を層別に組織化することを推進し、戦後いち早く結成をみた組織も合めて、昭和40年代にほぼ全町的に組織化をみ、それらを「社会教育団体」に位置づけして、組織の自主性啓発とともに活動の有機的効果的な展開に資している。
区分
年次
地域子ども会 青年団体 婦人団体 文化団体 体育団体 スポーツ少年団 若妻会
団体数 人員 団体数 人員 団体数 人員 団体数 人員 団体数 人員 団体数 人員 団体数 人員
昭41
昭45
昭51
昭54
7
12
10
11
306
475
449
478
16
15
12
12
404
368
333
361
7
6
7
6
1,024
724
691
715
13
21
29
28
330
410
586
469
11
11
9
10
696
763
329
475
5
3
5
6
176
287
136
170
-
-
9
8
-
-
105
96
 上のうち、青年団体、婦人団体、文化団体、体育団体、スポーツ少年団、若妻会については、文化偏に詳述しているので参照のこと。なお、地域子ども会は項をあらためて記す。

青少年問題協議会と
青少年センター
 青少年の指導育成と保護矯正のため相互の連絡を密にすることを目的として、昭和39年3月23日に条例による「湧別町青少年問題協議会」が発足した。組織は、
  町議会議員           2名以内
  関係行政機関の委員職員  3名以内
  学識経験者          27名以内
の32名以内で構成されていて、条例制定の背景には、
  高度径済或長の渦の中で、社会悪的な非行が青少年の間にひろがるという事態が、全国的に憂慮されるようになり、いっぽうでは学校教育と家庭教育の間のひずみが問題となり、過保護による精神的な虚弱階層のまん延に警鐘が鳴らされていた。
という社会事情があったから、たぶんに福祉的な要素(問題)もかかえる機関となった。
 昭和33年2月1日には、青少年センター開設要綱による「湧別町青少年センター」が、公民館内に設置され、問題青少年の早期発見と非行防止、および青少年の育成活動促進に資することになった。その後、昭和44年4月1日からは、教育委員会の「湧別町青少年センター設置運営規則」によって運営されている。なお、昭和56年6月1日現在の運営委員会委員兼青少年補導員は30名が委嘱されている。

よい子の誓い  湧別町地域子ども会育成協議会と町教育委員会は、昭和44年に「湧別町よい子の誓い」を制定して、地域に子どもの健全育成を呼びかけるとともに、子どもたちの心がけの目安とした。
 よい子の誓いは立看板にして、主として市街地など町内9ヵ所に設置され、不良化防止を町ぐるみで推進する意欲の象徴でもある。

     湧別町よい子の誓い
  一、私たちは常にほほえみをたたえ、明るい気持ちで人に接します。
  一、私たちは物をむだにせず、時間を守り、特に公共物を犬切にします。
  一、私たちは、どんなことにもくじけない強い意志をもって生活します。


地域子ども会  同じ地域の子供たちが、家庭の枠や年齢をこえて連帯し、集団の中で社会性と人格を高めようと発足したのが「地域子ども会」で、地域単位の奉仕活動や体育行事、近隣地域同士の体育行事やレクリエーション活
動さらには全町規模の体育行事やリーダーの交流が行われている。過疎現象などで変遷があったが、14団体507名をかぞえた昭和46年がもっとも多い年であった。その年の組織状況は次のようであった。

 港町子ども会24名、曙町子ども会14名、緑町子ども会29名、栄町第一子ども会12名、栄町第二子ども会22名、栄町第三子ども会20名、錦町子ども会29名、東子ども会22名、川西ひまわり子ども会48名、信部内子ども会56名、東湧子ども会92名、登栄床子ども会85名、東芭露山びこ子ども会32名、計呂地若さぎ子ども会22名

これらの子ども会は、地位喜寿民の熱心な後援と、教育委員会や社会福祉協議会の指導助言によって地域に根ざし,昭和44年5月1日には「地域子ども会育成協議会」(各子ども会地域3名の育成会代表で構成)が結成されて、全町的な調和も図られている。
成人式 戦後のGHQの改革政策の一環に、国民儀礼を伴う「祝祭日」の廃止があった。四大節をはじめ神嘗祭、神武天皇祭、大正天皇祭など、天皇中心の帝国主義的な祝祭日(明治6年制定の法による)のいっさいが廃止され、新しい時代にふさわしく、
  自由と平和を求めてやまない日本国民は、美しい風習を育てつつよりよき社会、より豊かな生活を築きあげるため、ここに国民こぞって祝い感謝し、また記念する日を定め「国民の祝日」と名づける。
を目的(第1条)とした「国民の祝日に関する法律」が、昭和23年7月に施行され、現行の祝日の典範となった。
 新しく定められた祝日には「憲法記念日」「こどもの日」「勤労感謝の日」などとともに、1月15日が「成人の日」と定められ、未来を担う青年を祝福する日となった。
  本町では昭和23年12月24日の村議会で成人式の実施を決定し、翌24年1月15日に町が主催して第1回の成人式が挙行された。昭和28年までは各区ごとに実情にそった方法で、成人者を集めて祝福と激励の式を行っていたが、同29年からは、全町の成人者が中央公民館で一堂に会するように改められて、現在にいたっている。
  式の次第は、年とともに主催者の膳立てしたものから成人者自身が自主的に企画し参加する方向に変わり、演劇や意見発表、記念講演および撮影、祝賀会などが組まれている。

青年学級  昭和28年8月14日公布の「青年学級振興法」は、勤労青年を対象として、実生活に必要な知識技能の習得と一般的教養の向上を目的としたもので、地域青年の申請で開設されるものであった。
  本町でも昭和28年に「青年学級設置規則」を設定し、地区青年を対象に、各学校を会場として開設をみた。当時の青年学級の概要は、
   開設条件 同一地区内に住む15名以上の勤労青年の連帯による開設申請による。
   学級開設 主に冬を利用し年間200時間以上の授業を行う。
   教授時数 一般教養科目100時間、職業(家庭)科100時間、ほかに体育およびレクリェーション。
 というもので、10年を経た昭和38年の開設状況は次のとおりであった。
   計呂地49名、志撫子16名、東芭露25名、西芭露15名、東湧21名、川西19名、登栄床24名の計7学級169名
 しかし、高等学校進学率の上昇と過疎現象のため、昭和41年をもって青年学級は解消された。

婦人学級  家庭婦人の視野を広め知識を啓発し、家庭生活の合理性と個人の社会性を深めることを目的に、昭和35年から「婦人学級」が開設され、成人教育の一環として、
  開設場所  学校または地域公民館(または公民館類似施設など)。
  学習内容  幼児・児童・青年の教育・社会生活・家庭生活と人間関係、衣食住と生活改善
          および家庭経済、保健衛生、趣味、文化およびレクリェーションなど。
の要領で推進、断片的な資料ではあるが、次に経過の一端をみよう。
 ■昭和38年度
  町内13学級、時期=3月に一夜講習会(1泊2日公民館)=講演・実情発表・シンポジューム・歌声・反省評価・レクリェーション
 ■昭和44年度 
学習内容 開設時間 出席人員
家庭生活に関するもの
社会生活に関するもの
生産と消費に関するもの
子供の教育に関するもの
体育レクリェーションに関するもの
趣味に関するもの
保健衛生に関するもの
259
277
126
51
141・5
137
132
914
883
429
228
596
378
734
1,123・5 4,162
 ■昭和50年代
    区分
年次
開設数 開設時間 学級生数
昭50
昭52
昭55
19
17
14
812
712
671
549
464
431
    区分
年次
開設数 開設時間 学級生数
昭50
昭52
昭55
11
11
10
122
142
126
399
328
440

家庭教育学級  昭和46年6月1日に「家庭教育学級開設運営規則」が定められ、両親または両親に変わる者を対象に、
   湧別家庭教育委学級(会場=湧別小学校)
   芭露家庭教育部(会場=芭露小学校)
の開設をみた。これは、学齢期の子供の過保護問題、非行問題、落ちこぼれ問題、テレビっ子問題など、社会的に奮起されつつあった教育問題に対処する一策としてスタートしたもので、次の陽光で開設されている。
   期   間   5月〜2月
   年間時数   20時間以上
   運営委員   教育委員会職員、PTAおよび婦人団体代表、学識経験者、学級生代表

高齢者学級  本町における「高齢者学級」の創始は、昭和47年開設の芭露老人大学で、その後、年とともに各地区に普及し、
  教養学習、趣味の向上、社会奉仕、体育レクリェーション
を通じて老人の間に親睦と生き甲斐の輪がほろがっている。高齢者学級は特に条例や規則によるものではなく、地域の老人クラブが主体となり、自主的な参加と、年1回の「高齢者学級運営協議会」による全町的な調整を基調としており、年3回の町内全学級の合同学習会もある。近年の開設状況は表のようである。
    区分
年次
開設数 開設時間 学級生数
昭50
昭52
昭55
11
11
10
122
142
126
399
328
440

生涯教育プラン  概に「地域子ども会」「成人式」「青年学級」「婦人学級」「高齢者学級」などについて述べてきたが、戦後の社会教育の著しい変容の所産として生まれたのが「生涯教育」ということばであり、「成人教育」ということばである。義務教育の年限延長を軸とした6・3・3制教育が次第に定着し、着実にその実効が普遍化してくると、社会の教育文化事情に対する住民の志向は、年齢を超越して生きがいを求め、辺地寒村にあっても教育と文化の恩恵を享受しようとするようになる。
  それに対応する社会教育の体系として、
  (1) 青少年教育の充実
  (2) 成人教育(婦人教育も含む)の拡充
  (3) 高齢者教育の助長
  (4) 社会体育の振興
  (5) 郷土文化の育成
が編成されて、魅力ある生涯教育を推進するのも、また当然の帰結である。
 本町は過去に於いて社会教育推進の実績に顕著なものありとして、昭和36年に北海道教育委員会から「北海道教育モデル町村」に指定されたという栄光に輝いている。当時(昭38)の事業計画と昭和55年の推進計画を掲げ、着実な足どりをしのぼう。
     【昭和38年度事業計画】
  区分
対象
事業名 時期 回数・日数・場所

地区子ども会
地区対抗ソフトボール
青少年センター
随時

随時




成人式
青年文化賞授賞
青年短期大学開設
管内教育キャンプ実施
青年団体指導者講習会
農村中堅青年実習生派遣
青年学級開設
全国青年大会派遣
1月
1月
1月
8月
3月
2月
年間
11月
1回1日、公民館
1回1日、公民館
12日間宿泊、公民館
3泊4日、テイネー
1泊2日、公民館
道立青年の家ほか
町内7学級、200時間
13〜17日、東京都


婦人学級開設
婦人学級一夜講習会
日本赤十字家庭看護講習会
文部省委嘱婦人学級実態調査
年間
3月
2月
2月
町内13学級
1回1泊2日、公民館
3日間、公民館
1日1回、上芭露婦人学級



公明選挙の推進
新生活運動の推進
文化祭の開催
地区学級の開設
巡回スポーツ教室
年間
年間
10月
2〜3月
7月
全町一円
全町一円
3日間1回、公民館
全町地域
1日1回、川西


地区巡回映画
巡回文庫ステーション日設置
老人ホームの開設
生活文集「ささなみ」刊行
年間
年間
年間
年間
毎月1回、各地区
毎月1回、各地区
毎月1回、各地区
毎月1回
  区分
対象
事業名 時期 回数、日数。場所
一般 埋蔵文化財発掘 10月 1回2日、川西地区
◇常時の仕事   (1)団体の情報交換  (2)講師斡旋と助言者派遣
            (3)団体事業の相談と後援 (4)団体運営の指導助言
        【昭和55年度推進計画】
         区分
実施項目
事  業  名 時 期 場     所








少年団育成 子ども会ソフトボール大会
子ども会新春カルタ大会
子ども会リーダー宿泊研修
子ども会育成指導者研究会
未組織子ども会の組織化
8月
1月
3月
3月
6月
4〜3月
湧別小学校
湧別児童館
常呂町青年の家


港、芭露、西芭露
青年団育成 青少年文化賞授与式
優良勤労青少年顕彰
成 人 祭
青年団体交流キャンプ
勤労青年のつどい
青年団体リーダー研修会
11月
7月
1月
7月
2月
4〜3月
役場
網走支庁
中央公民館
紋別市コムケ湖
中央公民館
地区、管内、道内
青少年の健全育成 チビッ子文化教室
海浜学校開放
愛のあいさつ運動
春、夏、冬休み街頭補導
広域列車添乗補導
キャンプ場巡回補導
シンナー事故防止運動
7〜8月
7〜8月
4〜3月
休み中
7〜3月
7〜8月
4〜3月
湧別、芭露児童館
登栄床海浜学校
町内一円
町内、中湧別、遠軽
湧別、中湧別、計呂地
サロマ湖キャンプ場
町内






成人教育の充実 成人講座 12〜3月 中央公民館
婦人教育の充実 婦人学級開設
くらしの講座
若妻グループ交歓の集い
婦人団体役員研修会
婦人団体リーダー研修会
4〜3月
1月
2月
3月
4〜3月
町内
登栄床生活改善センター
中央公民館
中央公民館
地区、管内、道内
高齢者教育の充実 高齢者学級開設
高齢者学級合同学習会
高齢者運動会
5〜2月
5,8,10月
10月
町内
中央公民館
総合体育館
家庭教育の充実 町連合PTA研究大会
OTA指導者研修会
家庭教育学級開設
幼児期相談事業
幼児を育てる親のつどい
11月
4〜3月
4〜3月
4〜3月
9月
畜産研修センター
地区、管内、道内
各小中学校
町内
佐呂間町、白滝村



芸術文化活動の促進 町民総合文化祭
遠軽地区移動文化展
管内郷土芸術祭参加
文化団体発表会援助
遠紋ブロックカメラクラブ交流会
巡回国際児童画展
巡回小劇場(人形劇)
写真道展移動展
湧別音頭、湧別小唄の普及
「さろま湖太鼓」保存会育成
11月
11〜12月
4〜3月
4〜3月
6月
6月
7〜8月
6月
4〜3月
4〜3月
中央公民館
中央公民館
網走支庁管内
町内
中央公民館
中央公民館
中央公民館
中央公民館
町内
町内
文化財保護と教育的利用 遺跡確認と分布調査
遺跡、名木、記念木巡回調査
明治〜昭和初期写真収集
石器、土器、展示資料整備
6〜9月
5月
4〜3月
4〜3月
東、川西、芭露,計呂地
町内
町内
郷土館



スポーツ行事 町民体力テスト、スポーツテスト
町民体育祭
町民歩こう会
町民ハイキングの集い
町民なわとびチャンピオン大会
スポーツ教室開設
町民体育大会
町内対抗ソフトボール大会
町内職場対抗バレーボール大会
町内職場対抗バスケットボール大会
町民スケート記録会
遠軽地区水泳大会参加
遠軽地区バトミントン大会参加
道民スポーツ大会参加
4〜3月
9〜11月
5〜10月
6,9月
9,3月
4〜3月
8,3月
6〜9月
5〜10月
6〜11月
1月
8月
11月
6〜10月
スポーツセンター


シブノツナイ遺跡、サンゴ岬
スポーツセンターほか
スポーツセンターほか
湧別小学校、スポーツセンター
運動広場
総合体育館
総合体育館
町営リンク
遠軽町
遠軽町

組織の充実 体育指導委員活動の充実と研修会
指導者養成講習会
体協の充実促進
スポーツ少年団の育成

4〜3月
4〜3月
4〜3月

総合体育館


施設の充実 現有施設の整備点検
町営プールの建設促進




施設整備と管理の充実 志撫子分館改築工事
公衆電話設置
管内公民館職員委員研修会参加
北海道公民館大会参加
管内社会教育ボランティア研修会

4月
6月
8月
10月
志撫子
7分館
斜里町ウトロ
留辺蘂町
公民館事業の充実促進 公民館講座(絵画)
公民館講座(手芸)
成人講座(4コース)
婦人学級(16学級)
高齢者学級(13学級)
高齢者学級合同学習会
チビッ子文化教室
管内子供読書活動リーダー研修会
図書館開放
移動文庫の利用
各種資料展示活用
子供映画劇場
視聴覚ライブラリー活用
ビデオ放送の利用
8ミリ自作映画作成
移動公民館開設
地区運動会の協力
4〜3月
4〜3月
12〜3月
4〜3月
4〜3月
5,8,10月
7〜8月

7月
4〜3月
4〜3月
4〜3月
7〜8月
4〜3月
4〜3月
4〜3月
4〜3月
5〜7月
中央公民館
畜産研修センター
中央公民館
町内
町内
中央公民館
湧別、芭露児童館
中央公民館
湧別、芭露、上芭露、計呂地
上芭露、計呂地
湧別、芭露
地区分館
地区分館
地区分館
地区分館

川西、東芭露、信部内、東
新生活運動 新生活実践要項の啓発
新生活運動啓発資料配付
新生活運動推進協議会援助
管内住民運動推進研究集会参加
4〜3月
4〜3月
4〜3月
2月
町内
町内
町内
留辺蘂町
上のうち、郷土文化および社会体育については、文化編参照のこと。

昭和の小漁師top 百年史top (1)

(2)文化財と学術資料
日蝕観察  明治29年(1896)に枝幸で皆既日蝕が見られてから40年、昭和11年(1936)6月19日は再び稚内から根室にかけて、帯状に皆既日蝕が現れることになった。この日の皆既帯は、
    地中海〜ギリシャ〜黒海〜中国東北部〜沿海州〜北海道〜太平洋
というコースをたどるものであったが、これら通過地帯のうち北海追加観測の最適地とされ、わけても網走支庁管内は好条件に恵まれた観測地と予想されたため、国内はもとよりイギリス、アメリカ、中国、インド、オーストラリア、チェコスロバキヤ、ポ士フンドなとがら、170余名の学者や技術陣が来遊して、まさに「世紀の観測」と呼ぶにふさわしい布陣となった。
 網走支庁管内で観測基地が設営されたのは、本町をはじめ雄武、紋別、遠軽、女満別、網走、小清水、上斜里(現清里)、斜里の各町村で、本町には、広島文理大学の一行が布陣した。本町における日蝕観測の概要は、
  日蝕時間 午後二時○九分○五秒〜四時二六分○八秒(二時間一七分二六秒間)
  うち皆既 午後三時二〇分○六和〜三時二二分○五和(一分五二和間)
  観測位置 旧役場庁舎裏
  観測内容 クロモスフェーヤの分光学的研究
  観測隊員 正本修教授班二三名


で、当時の新聞は次のように報じている。
  大町桂月が北国的な風光を限りなく愛し湖畔にたたずんで酒をくみ去り得なかったといふ有名な猿間湖畔の下湧別村には広島文理大学正本修氏以下二十三名が大挙して観測に押寄せる。昨年鉄道が開通した許り(注=西湧網綿)の僻村ではあるが風光明眉なのとアイスの穴居跡が無数にあって遠来の学者学生達に飽くことを知らせない考古学的名所だ。

また、北海道庁では地元住民に対して、次のような通達をして協力を呼びかけた。
    日食観測に於ける注意事項
  ……内外の学者其の他多数の人々が遙々本道に参りまして……此の日蝕観測は学術上極めて重要な事業であるのみならず、僅か二分足らずの短い時間の内に之を行わなければならないものでありますから、地元住民其の他観測地に参集した人々は次の事柄に充分御注意の上……観測事業を完全に遂行し得る様御協力を願ひます。
   一、皆既日蝕地点では約二分間は満月の夜の暗さになりますが、戸外の灯火(電灯、ランプ、ローソク、提灯等)は絶対に点火せぬこと、又写真のフラッシユ、自動車のヘットライトも同様点火せぬこと。
   二、観測機械の据付場所や、観測して居る所に接近して観測の妨げをせぬこと、特に日食の当日は観測して居る箇所から約一町半以内に近寄らぬこと。
   三、日食の当日は観測場所の近傍(約十町以内)で天空に煙の漂ふ様な焚火をせぬこと。
   四、日食の当日特に日食中は観測場所の近傍で無線電信受信の妨害になる様な高音を発しないこと。
   五、其の他……

ところが、本町では不運にも、日蝕の当日に亜麻工場に火災が発生し、関係者をヒヤリとさせる一幕があった。この火事について近藤常晴は次のように回想している。
  焚火もまかりならぬという時の出火だったから驚いた。しかも住宅二棟(長屋五戸)、倉庫二棟、工場、休憩所、乾燥原料を全焼するという大火事になったから・・・
  出火の原因は子供が物置で、日蝕を見るためにガラスをすすで曇らせていた火が燃え移ったということであったが、いじらしい子供心が火災につながったわけだ。あとで聞いたところによると、火の粉は三里まで飛び火したということだった。
  事務所、製品倉庫、一部住宅が難をまぬがれたが、その後、この工場は戦後の昭和三〇年代にも工場のみが焼けたことがある。

なお、余聞になるが、国鉄では暗さに対する安全運行の対策を実施したことが、次のように新聞に報道された。
    列車は夜間運転
       皆既地各駅に通達

  札幌鉄選局野付牛運輸事務所では日食時の列車運転に間し研究の結果、一切夜間方式と決定し、信号ポイント標識は点灯、旗信号は信号灯に変更の旨通運した。管内では……名寄線、西湧網線……で合計十五本が夜間方式になるが、おそらく国鉄姶まって以来の珍取扱であらう。

埋蔵文化財包蔵地  先史編で記述したように、本町は全上が包蔵治といっていいほど埋蔵文化財包誠治が多く、住
居跡、土器や石器などの出上品のいずれもが考古学上貴重な資料であって、現在確認されて、調査済ないし調査中あ
るいは未調査の包蔵治(遺跡)は、次の二三ヵ所をかぞえている。
      区分
遺跡名
種目 所在地 標柱設置
シブノツナイ遺跡跡
シブノツナイ竪穴住居跡
川西オホーツク遺跡
川  西  遺  跡
登 栄 床 遺 跡
登 栄 床 二 遺 跡
登 栄 床 三 遺 跡
登 栄 床 四 遺 跡
東 二 線 遺 跡
湧 別 市 川 造 跡
ポ  ン  沼 遺 跡
丁 寧 竪 穴 群
福 島 団 休 遺 跡
福鳥団休二遺跡
福島団休三遺跡
福島団体回遺跡
福島団休五遺跡
円  山  遺  跡
BR〜01 遺 跡
BR〜02(2軒橋)遺跡
BR〜03遺跡
BR〜04遺跡
BR〜05遺跡
芭露遺跡
キナウシ遺跡
集落跡
  ”
  ”
  ”
遺物包合地
  ”
  ”
  ”
  ”
  ”
  ”
集落跡
遺物包合地
集落跡
遺物包合地
  ”
  ”
  ”
住居跡
遺物包合地
  ”
  ”
  ”
  ”
  ”
信部内36
信部内4045
川西516
川西604
登栄床国有林112林班
   ”
   ”
   ”
東124
東290〜1
東682地先
東1281
福島380
福島412
福島
535
福島446
福島446
計呂地国有林111号班
   ”     277
芭露1866
芭露206
芭露872
芭露752
芭露1387〜1
芭露1953
昭47・6・12
昭42・8・31
昭47・6・12
   ”
   ”



昭47・6・12
   ”
   ”
   ”
   ”





昭50・5・1

昭49・5・17



昭47・6・12
    ”
 これら遺跡については、随時計画的に調査を行って、調査の済んだところは出土品を整理して郷土舘に収試練列したり、集落跡などは復元施工を計画するなど、保存に努力を重ねている。

北海道指定文化財  全道的な視野から歴史的に、あるいは科学的に学術資料として価値ある有形、無形の文化財を保護し、保存して後世に伝えるために、北海道が指定する条例があるが、本町内では2件が指定を受けている。
 「アッケシ草」(別名サンゴ草)の群落は、9〜10月のころ鶴沼からサンゴ岬にかけた一帯数fに赤いサンゴの色に似た色彩で茂り、その周辺も含め10余fに分布するもので、厚岸の群落とともに全国的に知られている。
 また、信部内の「竪穴住居跡」は、昭和38年の調査により、515個にもおよぶ竪穴群集落跡が確認されたもので、


種   別 名   称 所在地 規 模 指定年月日
有形文化財 天然記念物 サロマ湖畔鶴沼のアッケシ草群落 東丁寧 13・9f 昭32・1・29
史   跡 シブノツナイ竪穴住居跡 信部内4045 2・0f 昭42・3・17


擦文文化期の遺跡としては、その規模のうえで北海道内でも著明な存在価値を持つものである。

北海道指定自然保護地区 高度経済成長政策による社会の流動は、一面に過疎をもたらしたが、他の一面で投機的地域開発の傾向をのぞかせ、それはやがて「日本列島改造論」(田中角栄内閣時代)によって異常にあおられ、乱開発の様相もみられるようになった。
 そのころ識者の中から、乱開発の様相を憂い「人と自然の調和」 「自然の保護」を叫ぶ声があがり、北海道でも自然保護をより強力に推進することになり、「北海道自然保護指定地区」の制度適用が活発化し、本町でも上表の2ヵ所が指定された。
緑町の指定は市街地化区域に緑地を保全しようというもので、湧別神社境内がその中核となっており、シブノツナイの指定は、湖の景観に併せて竪穴群住居跡一帯におよぶ樹林地を保全しようというもので、人工的な他目的利用(虫喰い状態的開発)を抑止するものである。
種  別 区  域 指定年月日
環境緑地保護地区
自然環境保護地区
緑町1・03f
シブノツナイ湖と周辺
昭49・3・30
   ”

町指定の名木と記念木  町内には由緒、由来ある巨樹、老木、奇木が少くないところから、本町の開拓の歴史とともに幾星霜を風雪に耐えて逞ましく成長し、住民に親しまれてきたそれらの樹木を名木、記念木として保護し、永く後世に保存しようという要望にこたえ、昭和49年に「湧別町名木、記念本保存要綱」の制定をみ、同年10月に選定委員会が発足した。
 委員会では、広く町民から対象樹木の候補を募集し、26ヵ所の調査を行い、その結果、次の7ヵ所の樹木または樹木群が指定対象として推せん(答申)され、町の指定するところとなった。
@ 湧別神社境内群生林(広葉樹天然林)
  エゾイタヤ、エゾノコリンゴ、コブシ、ヤチダモなど樹齢600〜1、300年以上で、神社創建(明27)当時の
天然林として、湧別原野開拓の歴史を映している。
A 旧湧別小学校校庭群生林(広葉樹天然林)
  ドロノキ、イタヤ、ヤチダモなど樹齢200年以上の自然林の名ごりが、開校(明30)当時のたたずまいをしのばせている。
B 浩明寺境内ハリギリ群生地                ハンノキなど樹齢200年以上のハリギリ属樹木が群生しており、開拓の往時を映している。法用寺では建立
  (大3)当時から「栗林万生爪楽園」と名づけている。
C 旧川西神社境内のニレ(あかだも)
  樹齢400年以上のニレは、川西開拓のシンボルとして、入植当時(明27)の苦労を物語っている。


D 旧登栄床小学校校庭のアカマツ
  樹齢80年以上のアカマツは、昭和11年ころ初代校長川上益夫が植樹したもので、蛍雪の歴史を映している。
E 芭露神社境内のオンコ
  樹齢800年以上のイチイ(オンコ)で、明治33年に越智修が故母堂数代が愛育した老松を、「数代の松」と命名して寄進したもので、芭露開拓の歴史がにじんでいる。
F 芭露小学校校庭のニレ(あかだも)
  樹齢400年以上のニレは、入植当時(明28)そのままの自然木で、地域と学校の推移を映している。

野鳥の保護  本町には大小の湖沼と湿地があって、水禽や渉禽に接することが多く、また水辺の林地には珍しい野鳥が生息しており、それらの中には法によって保護(狩猟制限)されているものもあるが、町民の「愛鳥精神」の結果、かつての大自然の中のたたずまいの面影を絶やすことなく、人と野鳥(自然)の調和を現在も映している。そうした経過は湖沼名や地名にも映し出されている。
  「さぎ沼」 春秋にマガモ、サギなどの水禽が水面をうめるほどに群来して棲息し、
        ときにナベヅルも飛来して翼を休める。
  「鶴 沼」 ときとしてナベヅルが飛来して翼を休める。
  「千鳥ケ浜」 浜千鳥がさざ波とたわむれるところで、湖辺の林にはカラフトスズメ、
          シマアジ、エゾアカゲラなどが棲息している。
 また、愛鳥心のはとばしりは、学校教育の場にもあらわれていて、かつて計呂地小中学校では学校周辺の樹林に「小鳥の村」を設け、昭和36年10月18日に開村し、各級表彰を受け、同43年にはNHKテレビの取材が行われローカル番組で放映されたという記録がある。
無形文化財の創造  本町の歴史は永いが、その間創造され定着して、現在に伝承された郷土芸能や郷土民芸あるいは郷土芸術といった無形文化財的なものがなく、人文的な空白を感じていた。強いて、それらしいものを抽出するならば、町制施行(昭28)を記念した「湧別小唄」(昭28制定)と、開基90年開町75年(昭47)を記念した「湧別音頭」(昭48制定)がある。

〔湧別小唄〕

              飯田広太郎 作詞
              太野 恒一 作曲
              西崎  緑 振付
一、風はみどりに土さえにおう
    歌も明かるいトラクター
  広い牧場に夢みる牛を
    丘のサイロがチョイトのぞきこむ
    −−−−−−−−−−− −
  ホンニ湧別よいところ
  ソレよいところ(以下囃子同じ)
二、粋な円山 サロマの潮に
    かきや帆立が背のびすりゃ
  赤い浜なす 紫あやめ
    色をきそってチョイト水かがみ
三、鮭のオホーツク竜宮台に
    波もどんと来る太漁船
  踊るあの娘に薄荷の香り
   とけて嬉しいチョイト秋まつり
四、山じゃ伐木 馬橇の鈴よ
   まちじゃ工場の汽笛が鳴る
  雪はちらちらネオンもゆれて
   つもる想いにチョイト誰を待つ

〔湧別音頭〕
     湧別町郷土芸能調査研究会 合作詞
     八 洲 秀 章  捕作並びに作曲
  11
一、ハア サア コラサノエイ
  南風吹き流水が出てきや ソレ
   毛がに持ってくる 春の味
  ヤレサ ドントキタ キタコラサ
  ソレサ湧別 ソレサ湧別 春の味
               (以下囃子同じ)
二、広い牧場に草はむ牛が
    殖えて数増す乳の町 乳の町
三、サロマ湖畔に夕日が映えて
    誰れを待つやら桜岡 桜岡
目、カムチヤ。力嵐だ高波しぶく
    なぎりゃ大漁の鮭躍る 鮭躍る
五、伸びる丹ソ松 白樺林
    想い出します木遣唄 木遣唄
六、男波オホーツクこがれるはずよ
    女波円山ちょいと招く ちょいと招く
七、燃える思いを紅染めて
    サンゴ岬は君を待つ 君を待つ
八、香るハマナスあやめも咲いて
    かきも帆立もよく育つ よく育つ
九、あの娘年ごろ色香も見ごろ
    恋の逢瀬は竜宮舎 竜官舎
十、心あわせて手に手を組んで
    めざす理想の夢の町

 しかし、雨曲が町民の老若男女を問わず、日常あるいは折にふれて愛唱され、興を感じて踊りの輪が作られるにはいたっていない。
 そうした現実の中で湧別町文化協会などが中心となって、鋭意検討の結果、その熱意がようやくみのって、町内の一部有志による「さろま湖太鼓」(文化編参照のこと)の創設をみるにいたり、郷土芸能としての町指定と、その保存伝承に期待が寄せられるまでに成長した。
 町では、これら無形文化財をより積極的に保存伝承するために、開基百年の記念事業として、次の措置を講じている。

  @ 「さろま湖太鼓」をヽ充実をまって近い将来に町の郷土芸能に指定
  A 「湧別音頭」「湧切小唄」のレコード製作、および、それの百年記念「千人踊り」の創作

郷土館  町内の各遺跡からの出土品や、開拓の歴史を物語る生活用品、生産器具、古文書、その後の時代の変遷を伝える写真、器物、文書記録、模型などを、収集陳列して保存することにより、町民の町の歴史に対する認識を深めるとともに、郷土受か啓培されることを目的とした「郷土館」=一部鉄筋木造平屋建382平方bが、昭和50年11月30日に落成した。
 篤志家の寄贈や開拓記念物等資料調査協力員(15名)の収集努力で開館にこぎつけたのは、昭和51年3月10日のことで、児童生徒の学習教材として、郷土史研究に興味を持つ人々の資料として、また一般町民の認識を深める参考資料として、その存在価値は年とともに評価が高まり、本町の歴史が古いこともあって、町外からの来館者も多い。
 昭和57年に町の開基百年を迎えるにあたって、より郷土館の価値と機能を高めるため、4、000余万円を投じて内部大改造が行われ、併せて展示資料も整備され、町の歴史にふさわしいものとなった。

コーナー別  「湧別の自然」「湧別の夜明け」「母村湧別」「北の海を拓く(漁業)」「北の大地を拓く(林業)」「原野から緑野へ(農業)」「発展した湧別(商工業)」「湧別物語」「開拓のくらし」「湧別の未来」

収蔵資料数  約2,100点
開館日は毎週火曜日〜日曜日(午後1時〜5時)月曜日祝日は休館
ほかに蒸気機関車(交通運輸編参照)

昭和の小漁師top 百年史top (1)