魚の気持ち・後編



1996年7月28日武利川上流。
ホテルで札幌から車で向かったJ氏、ハニー、妻と落ち会い 、いざ下ちゃんの結婚式へ。ここで下ちゃんの紹介をしておかなければならないだろう。彼には、特技がある。どこでも寝れるという特技だ。何だそれぐらいと思われた方も多いと思われるが、彼の場合半端でない。J氏が下ちゃんの運転する車に乗っていたときのことだ。すでに眠そうな下ちゃんをみてJ氏は、いやな予感がしたという。さっきまで話していた下ちゃんが急に無口になった。J氏は、もしやと思った。だが、まさかとも思っていた。でも下ちゃんの目は確かに開いているようだ。むこうから対向車のトラックがやってきた。・・・・なんだかおかしい。J氏はだんだん右に寄っていく車に気がついた。と思った瞬間さらに右へ。J氏はハンドルを持ち、左へ切った。我に返った下ちゃんが反射的にハンドルを右へ切ったためさらにトラックへと向かってしまった。驚いたのは、トラックの方だ。・・・これを修羅場というのだろう。だが、事故は免れたそうだ。その日以来、下ちゃんの車に乗るときみんなのテンションは高くなっている。やけに饒舌なのだ。会話がとぎれることをおそれているのだ。
そんな下ちゃん。まさかとはみんな思っていたが、結婚式でもしっかり寝ていました。恐るべし、下ちゃん。
結婚式も終わり、いよいよといきたいところだが、まだ、もう一つのハードルを越えていなかった。結局、交渉の末、妻を北見観光に連れていくことを条件にその後の釣りキチ3人組の釣り旅行を許された。J氏とハニーは、先に湧別川水系へと向かい、夜に紋別コムケ国際キャンプ場で落ち会うこととなった。
ホテルでもらったパンフレットを片手にまずはハッカ記念館へ向かった。以前ハッカ工場だったところを記念館に作り直したそうだ。記念館の周りには、たくさんのハーブが植えられており、とてもきれいだ。中に入ると館長さんが出迎えてハッカの話を楽しくはなしてくる。むかしは、農家でハッカをたくさん栽培していたそうだが、戦後人工的に作り出されるようになってから単価が下がり作る人が少なくなっていったそうである。
その後博物館や科学館などをまわり、バスターミナルへ。まだ、不満そうな妻を見送り、いそいそとキャンプ場へと向かった。
でもまだ、陽は落ちていない。武利川で小1時間ほど釣ってからキャンプ場へいこう。・・・これが間違いの始まりだった。

武利川についたのは、4時だった。ちょうどいい時間だ。今回もルアー(スピーナー)で釣り始めた。ポイントと思われるところでほいほい魚がでてきた。連れたのは全部イワナだった。1時間ほど釣り登り、ミノーに変え、戻りながらルアーを流した。今思えば素直に竿を納めておけばよかった。
釣り下る途中、ルアーが木に引っかかってしまった。近くまで行きルアーに手を伸ばした時、木からルアーがはずれ、親指に針が。・・・しまった。糸にテンションがかかったままはずそうとしたのが失敗だった。みるとカエシまで中に入ってしまっている。引っ張ろうとするほど細胞にからみついていった。魚は、いつもこんな痛い思いをしているのだろうか。引き抜くことをあきらめ、貫通させることにした。一人川の流れに立ちすくみ、大声を上げていた。人が見ていたらなんと思ったであろうか。何とか貫通させ車まで戻った。ウェーダーやベストを脱ぐのがこれまた大変であった。ルアーのもう一カ所の針が服に引っかかり、そのたびに激痛が走るのだ。
さて、これからが困った。どうしよう。
それでは、もんだいです。

このあと私はどうしたでしょう。
1,救急車を呼んだ。
2,ヒッチハイクして病院まで連れていってもらった。
3,何とか車を運転してペンチを買いに行った。
4,アクセサリーとして今でも指ピアスと称し、刺したままである。




Sample image

武利川のイワナ


Go backGo homenext