1983年6月「養護学校はあかんねん!」(1979年長征社制作)、「ユリ子からの手紙」(1981年今村プロ制作)を単独自主上映しました。
身体の不自由な人も健康な人と一緒に学び、働く事で自立していかなければと思い立った札幌の青年が、障碍者の抱える様々な問題を訴えようとたったひとりで映画の上映会にこぎ着けました。
この人は札幌白石区に住む亀井貴也さんです。
生まれた時から右手と言葉に軽い障碍があり、自分の体験を元に障碍者が抱える様々な問題を多くの人に知って貰いたいと、映画会を計画しました。
映画の選択から会場探し、前売り券の発行などひとりで準備を進め、ようやく上映にこぎ着けました。
宣伝カーからのアピールと共に・・・
「養護学校はあかんねん! 79-1-26〜31 文部省糾弾連続闘争より」
義務化廃止!義務化廃止!
「・・・都民の皆さん・・・私達は、今年の四月から実施されようとしている養護学校の義務化に対して、全国の闘う仲間の皆さんと共に、反対運動を繰り広げております・・・」
字幕「養護学校義務化阻止闘争の一週間を追った記録映画」
今までの可哀想だとか、障碍者の感覚っていうか、そういうふうなのを改めて貰いたいなっていう気持ちと、それから、障碍者に対してはもっとどんどんどんどん活発に活動していけっていう風な事を言いたくて、そして、そういう風にしていく事が、札幌を障碍者も暮らせる街にしていく運動なんじゃないのかなって事で。
字幕「札大卒業後、職がなく、施設入所、勧められる・・・失うもの多いと入所を拒み、シナリオ作家、目指す」
試写を見る人々。
映画は地下鉄銀座駅。
改札口が狭いため、内と外で二人ずつ、計四名の介護者が、車椅子の障碍者を一人一人椅子ごと持ち上げて通す。改札口の真上に表示板が迫っていて、車椅子の人達は通り越す時に、頭を大きく後ろに反らさなければならない。同じように四人がかりで階段を下り、ホームにたどり着く。
字幕「『ユリ子からの手紙』身障者の自立描く今村プロ作品」
障碍者ではあるけれども、自分達の出来るところまでをみんなに見て欲しいと。そして、それを認めて欲しいと、是非判って欲しいという事で一番かっこうの映画なんじゃないのかと。
凄く自分では理解しているつもりでも、自分がどれだけ力になっていけるかと考えたら、難しいなぁと思いますけれども。
養護学校義務化阻止全国総決起集会の壇上、全障連(全国障害者解放運動連絡会議)の八木下浩一さんの話。
「すべての皆さん。私達ととも、31日まで、座り込み闘争を、闘い抜こうではありませんか。」
参加者達の顔。
字幕「映画会-6月2、3日午後6時30分 教育文化会館」
亀井さんは誰かが何かをしてくれるのを待つのではなく、自分達の声はまず自分達で訴えていかなければならない、僕は自由に歩けるのだから、障碍者の声を届ける橋渡しのような役割をしていきたい。この映画会はその第一歩ですと語って下さいました。
映画会は今夜と明日、札幌の教育文化会館で開かれます。
私は札幌に住む一障碍者です。札幌市は福祉都市であり、多くの福祉対策を行っていますが、それでもまだ障碍者福祉には大きな問題点が残されています。
今回上映するに作品には、障碍者におけるコロニー(施設)問題が取り上げられています。
今の日本では、障碍者はコロニーでの生活を余儀なくされており、その理由は、コロニーの大半が過疎化した村落に建てられ、障碍児を持つ親は、子供の「自立」の名の下に、コロニーへ入所させられ、国が障碍児を育てるというのだが、この件により、家庭が崩壊させられ例は数多い。それ故に、障害児は帰る家なく、コロニーで生活せざるおえなくなる。
養護学校の義務化は、「障碍者=コロニー」の国の思想の押しつけであり、コロニー内で問題となっている障碍者に対する介護の人手不足、それによる障碍者への事務的管理、障碍者の個性の喪失、社会に対する隔離をなおも推し進めるものであり、それまでコロニーに属さなかった障碍者をも、コロニーという社会から隔絶された世界に押しやる思想である。
健常者の中には、障碍者を知らず、街で見かけると好奇な目で見る人がいる。しかし、私はその人を批判出来ない。それ以上に批判せねばならないのは、同じ国民の中から障碍者をコロニーに隔離し、健常者に障碍者への対し方を知らせなかった国の思想である。 私自身、国の定めた身障者手帳を受けずに、健常者の中で大学まで進み、就職活動でやむを得ず身障者手帳を受け、多くの手当とともに、就職先がなく、砂川の身障者のための職業訓練校への入所を職業安定所で勧められた。
その時、何故自分の住む札幌(五大都市の一都市)にそのような施設がないのか疑問に思い、市に問うと、そのような施設を作る予定はないとの返事だった。
私の働くための訓練施設は札幌にないのである。今まで健常者の人々と築いた生活を無にして、砂川のコロニーに入るしかないのである。
私は拒んだ。
コロニーに入る事で得る面より、失う面が多いように思えたからである。
たとえ、コロニーに入ったとて、障碍者の就職の現状は、雇用者と労働者の間の板挟みにされ、コロニーに戻るか、街中をさすらうかしかないのだから。
今回上映する二作品は、この日本の現実です。『養護学校はあかんねん』で叫ぶ障碍者達の声を聴いて下さい。『ユリ子からの手紙』で生き抜こうとするユリ子の姿を観て下さい。
民間のチャリティで設備の整えられていくコロニーに、障碍者が入れられる事がよいかどうか考えて下さい。
私はこう望みます。
チャリティに参加するなら、あなたの住む街札幌市が、障碍者も暮らせる街にする事を考えて下さい。
コロニーに入らなかった私は二年を経た今も無職です。独力で社会参加を目指しています。この上映会もそのひとつとして企画しました。