2003-03-04(火)
サイトリニューアルにあわせ、久々書き込み。MLからの転用だけど。。。
今のマスコミニュース。
事件、事故が起こるたびに「社会的問題」を追求せずに「個人的問題」に帰結させているように感じます。
韓国の地下鉄火災報道が偉いのは「社会的問題」をも追求したところにあるのじゃないかな。
これもまた「障害学」と捉えているのですがね。
> 日本は「社会」に帰属する意識が強いため、
> 個々人自由であるという思想が定着し得ない。
先に話した施設にいる女性障碍者の子宮摘出問題が好例です。
「優生保護法」を作るにあたり、障碍者自身からも公聴会が開かれ、「子宮摘出して貰った方が自立しやすい」との意見が出たそうで、その背後には自立したならば、月々の介護で迷惑かけるのではないかという当人の思惑から出た発言だったらしい。
そのおかれている環境を配慮せずに法案可決したものが「優生保護法」。
「迷惑かける」=悪い事、この構図がこの問題の原点です。
だから、それ以前に「青い芝」が「迷惑かける」行動をしようとした行動。
公共バスの前で車椅子を投げ捨て、寝転がる交通妨害
イギリスで障碍者給付削減に対し、首相が住む街に赤ペンキをぶちまけ、ゲートに自分たちの身体を縛り付ける抗議。
これらの運動もあり得たわけで、そのやり方云々ではなく、「迷惑かける」事が悪い事なのかを構図として見極めるべき。
社会が特定の人々に「迷惑かける」のがよい事なのか
特定の人々が社会に「迷惑かける」のが悪い事なのか
アクセシブルが誰が誰に対し、アクセシブルであるべきなのか。
「障害学」「女性学」「セクシャリティ学」「民族学」問題はすべて共通しているのがわかると思います。