湧別町川西開基百年記念誌 愛の故郷
郷土史発刊に当たって
百年記念実行委員会会長
川西自治会長 佐久間 善男
私たちの郷土川西が、平成5年に輝かしい、開基百年を迎えるにあたりその足跡を後世に伝えるべく、川西の区史が編集される事は、誠に意義深く、皆様と共に喜びに耐えないところであります。
明治維新で徳川幕府3百年の政治が解体され、新政府は蝦夷開拓に力を入れ、未開の地に大いなる夢と希望をもって、北の大地に開拓民を送り込みました。
この地にはじめて人煙を見たのは、明治27年のことです。当地に泰泉寺広馬等の高知県人が集団で入植したのを初めとして、大自然の原野に鍬を入れた年が、川西の開基となったのであります。
当地入植時は、けもの道と称される、形だけのふみ分け道があった程度で、大木がうっ蒼と繁り、熊笹が人の丈ほども伸び、湿地はあちこちに存在して道をふさぎ、ここを通るには木を伐って丸太を並べるなどして、難儀をしながら荷物を背負いようやく目的地に着くという状態でした。
本州とは全く打って変わった四季であり特に冬の寒さは暖国の四国から来た入植者には、最も過酷な生活で、家族共々故郷を偲んで涙したということです。オホーツク海の流氷の来る北の大地は、こうした苦労の連続により、先人が培った川西でした。
それにしても川西の地は湧別川の流域で地味が肥え、山地の入植者とは異なった農産物の収量を誇り、冷害に見舞われながらも畑作地帯として一応安定の地でした。一方、原始河川の湧別川は、一度洪水が襲うと自由自在に猛威をふるい、切角の楽しみな収穫物が一挙に流されるという惨事も開拓以来数度に及びました。更には、湧別川への唯一の橋も木橋の頃は再三流され、架橋される期間、地域の住民、通学の生徒達の不便は、筆舌に尽し難いものがあったのです。
こうした中で地域の入植者は次第に数を増し、当初の高知県主体の団体も何時しか全国的な寄り合いの人達の楽土と化して行きました。これは川西が入植後いち早く青年団の結成、活動に力を注ぎ、常に部の和合を図る先輩の広い心と、我の実践に外ならず、現在に和の風潮が基本として残っていることは心強い限りです。
百年の間にはいまわしい「15年戦争」といわれる時期もあり、これ又夫の出征と銃後の辛酸を嘗めることの不幸も本史の別項で述べる通りですが、湧別川護岸については戦時といいながら続けられ、昭和15年待望の築堤が完成し、洪水に対しても枕を高くして休むことができるようになりました。戦後の農政、馬産改良などもありましたが、終戦後の産業を検討する中で寒地農業をして最適の「酪農」が取り入れられ、ようやく安定の途が開けたのです。入植以来1世紀、厳しい風雪に耐え、開拓に尊い血と汗を流された先輩諸公の尊い魂は居間私たちが踏みしめている大地に生き生きと活き続けているのです。
いま開基百年の節目に生れ合わせた私達が、この尊い歴史を誇り、遺産として受け継ぎ、21世紀に向かって安らぎのある豊かな郷土を築き、永遠の希望に輝く郷土を子々孫々に引き継ぐ自覚を新たに、力強く羽ばたく時にあたり、百年史が先人の労を偲び、その実績を讃えると共に愛郷心を誓い、未来へ前進する糧として広く有縁の方々に愛読されることを期待します。
本史を発刊するにあたり、誌史編集委員ならびに、編集・校正・写真・挿画等協力された皆様並びに資料提供の御協力に対し衷心から感謝の意を表して発刊のことばといたします。