愛のふる郷  第10章  教    育

昭和の小漁師
湧別町史
川西郷土史top

小学校教育  青年教育  協力団体


第1節 小学校教育
一、小学校の沿革  川西小学校の通学区域は、湧別川以西、西8線までの間(大正3年以
降)であって、移住者の来住以前は樹木密生して、昼なお暗い状態であっ
たが、明治29年、高知県人・愛媛県人十数名が入地、29年以降は四
国・九州・本州、または北海道に入地はしたものの開墾の完成に見込みが
立たぬ者の入植など、続々と入地を見てようやく地域的にも開墾に意欲
を注ぐ人達が多かったので、川西地帯は入植者の定着する者が多い地域
であった。
 明治40年に60戸に達し、43年の分村後の部長制では、部長が3人
置かれたほど発展を見ている。
 従って住民の教育への関心も高く、低学年児童の遠距離通学緩和のた
め学校設立の気運が高まり、明治41年、伊藤馬吉による400坪の学校
敷地の提供寄附により、共同事業で38・5坪の校舎を建築し、学校開設
を村当局に要請するところとなった。
 これによって明治41年12月1日、湧別小学校付属川西特別教授所
の設立が決まり、本校から後藤徳三郎先生が派遣され、同月8日開校式、
尋常科3年までの児童42名を収容、16日授業開始を見た。 大正4年
4月から4学年も収容され、児童数65名に増加、翌5年11月4日尋常小
学校に昇格、大正6年4月1日、児童数105名で2学級編成となった。
 教室不足は、部の寄附で26・5坪が増築された。 同年7月緑蔭教授
所、9月4日信部内特別教授所をそれぞれ所属校とし、大正13年、部落
寄附で37坪の屋内運動場も付設、複式校として施設も一段と充実を
見た。

 大正15年7月、青年訓練所の併置に続いて、昭和10年代、時は国
を挙げての非常時とあって、青年学校制度に変わり戦時下の 「青年教育」
の場にも供されたのである。
 その後の増改築などを挙げれば、戦後になっては昭和28年、屋内運
動場を改築。 これは60坪のものを上芭露校から移築した。 昭和32年
に3学級編成となり、児童数も104名となる。 手狭になったために同
36年、特別教室を増築、26・75坪を建てた。
 ここに学級編成の過程をみると、次のようになる。
 (ア) 大正3年まで、尋常科3学年以下をもって1学級を編成、4年生
     以上は湧別小学校に通学した。
 (イ) 大正4・5年度 4学年までを収容、大正6年度から3学級
 (ウ) 昭和32年から 3学級編成となる


二、学校年表
明治41年12月 1日   湧別尋常高等小学校川西特別教授所設置(尋
  常科3年生まで
明治41年12月 8日   開校式を行う。 児童数42名
明治41年12月16日   授業開始
明治44年 7月 7日   湧別尋常高等小学校川西分教場となる
大正4・5年   尋常科4年生までを収容す
大正 5年11月 4月   川西尋常小学校に昇格(湧別小学校校長兼任)
大正 6年 4月24日   教室を増築(26・5坪)、児童数105名
  で2学級編成
大正 6年 7月   緑蔭特別教授所が本校所属、専任校長配置
大正 8年 2月   便所新築
大正 8年 9月   学校敷地3反歩を三木弥太郎より購入する
大正 9年 4月 1日   信部内特別教授所、当校の所属となる
大正13年   部落の寄附で屋内運動場新築、落成(37坪)
昭和 2年   物置を修理して裁縫室とする
昭和10年10月   校舎を増築す。 旧井戸を模様替して裁縫室と
  し井戸小屋を教員住宅、物置とする
昭和13年 3月31日   島村校長退職、伊藤鶴吉校長が着任
昭和15年   御真影奉安殿新築。 天皇・皇后両陛下の御真
  影を奉載する
昭和16年 4月 1日   学制改革により下湧別村立川西国民学校と改
  称
昭和21年 1月15日   御真影を返還し奉安殿はその後取り壊す
昭和22年 4月 1日   学制改革により下湧別村立川西小学校と改称
昭和23年   水呑場ポンプ打ち込む
昭和25年   校舎屋根トタン葺となる
昭和26年11月13日   物置及び石炭小屋をブロックにて建築す
昭和28年   屋内運動場60坪、付属児童玄関4坪新築
  この敷地90坪は伊藤代助・黒田真次郎から
  購入する
昭和28年11月 1日   町政施行により湧別町立川西小学校と改称
昭和31年   水呑場及び便所屋根をトタン葺とした
昭和32年 4月11日   1,2教室から8坪を割いて職員室とし、12坪
  の職員室を教室とし3教室とした。 3学級
  編成104名
昭和33年   流し場手洗い設備、校舎屋根塗装
昭和33年11月16日   開校50周年記念式典挙行。 校章及び校歌制
  定
昭和34年   自転車置場を建設
昭和36年12月 5日   特別校舎を新設(26・75坪)
昭和37年 2月 5日   ピアノ購入する
昭和37年   動力ポンプ取付する
昭和38年11月10日   水呑場6坪新設。テレビ、ブランコを購入する
昭和39年10月16日   学校及び職員住宅全部に水道完備
昭和39年   全児童の歯磨き用具入れ等を作り衛生管理に
  当たる
昭和40年12月21日   便所改築移転
昭和42年 9月20日   校舎改築。 物置、石炭小屋付設
昭和42年 9月21日   新校舎に移転する
昭和43年 3月31日   児童玄関の改修。 児童用下駄箱出来る
昭和43年 5月19日   グランド整備
昭和43年 8月10日   校長住宅完成
昭和44年 9月13日   グランド排水土管入れ
昭和45年 7月 8日   校舎内電話設置
昭和45年 2月25日   自動電話になる
昭和46年 4月   3学級編成認可
昭和46年 6月 1日   花壇増設
昭和46年 8月16日   屋内体育館の壁板張り替え
昭和46年12月   スケートリンク用水道施設完了
昭和47年 5月 1日   名目統合により湧別小学校川西分教場と改称
昭和47年12月29日   屋内体育館の壁板張り替え
昭和48年 3月22日   卒修業式、廃校式
  明治41年湧別尋常小学校川西特別教授所設
  置以来、762名の卒業生を送り出した川西小
  学校の歴史に終止符が打たれた。

三、川西小学校開校50周年事業  考案者 木村清一 (遠軽中学校
教諭)

 (イ)
 学校創立50周年記念の一環とし
て制定。 当校下の特産物である
麦・いも・クローバーなどを巧みに
配したものである。

 (ロ)
 郷土の特産物を図案化し、色彩は
清純な理想を象徴。 全体の形は
柔らかい感じで、愛されていく児童期
を北海道の素朴な感じで川西を描く。



 川西小学校校歌
 校歌制定の期日  小学校33年11月16日
 校歌制定の動機  創立50周年記念事業の一環として制定した。
 校歌制定の経過
  作詞  辰田保徳 (当時の校長)
  作曲  遠軽町立南小学校・柏倉義夫
  昭和33年11月16日、学校創立50周年記念式典に発表、制定を見る
一、 遠山の雪  日ましに細り
   畑の麦の芽  青々のびる
   みんなものびる  川西の子だ
   心合わせて  いそしもう
二、 オホーツクの海  氷流れて
   寒さきびしい  真冬が来ても
   みんな元気な  川西の子だ
   強いからだに  きたえよう
三、 父母が学んだ  この学校へ
   たゆまず通う  わたくしたちは
   みんな仲良し  川西の子だ
四、 わたくしたちが  卒業しても
   弟妹が  また来て学ぶ
   みんな兄弟  川西の子だ
   よい学校に  そだてよう


歴代  氏 名  就任年月日 退任年月日  備   考 
後藤徳次郎 明41.12.1 明42.3.31 準教員講習所入所のため退職
岡島梅之助  42.4.1 44.3.31 尋正講習受講のため退職
初代 島村戒三郎 大6 昭13.3.31 依頼退職
伊藤 鶴吉 昭13.4.20 19.5.31 芭露国民学校
塚本 政善  19.5.31 21.4.30
小松 孝寿  21.4.30 31.3.31 依頼退職
辰田 保恵  31.4.1 35.4.1 古梅小中学校へ
星   幸男  35.4.1 42.3.31 依頼退職(勧しょう)
岩渕 一男  42.4.1 47.3.31 美幌町立報徳小学校へ
西山日出男  27.5.1 48.3.31 湧別小学校長(統合により)
 (注)川添健次郎・梅江田金は湧別小学校校長で、明治41年川西特別
    教授所及び川西分教場、川西尋常小学校に昇格まで校長を兼任し
    た。 後藤徳三郎(代用教員)・岡島梅之助(準訓導)は明治41
    年から明治44年まで実質教壇に立つ。

歴代  氏 名  就任年月日 退任年月日  備   考  
代用
教員
後藤徳三郎 明41.12.1 明42.3.31 準教員講習所入所のため退職
準訓導 岡島梅之助 42.4.1 44.3.31 尋正講習受講のため退職
代用
教員
島村戒三郎 44.4.1 大 13.3.31 依頼退職
島村 芳野 大3.12 昭3.2 退職
準訓導 渡辺 秋雄 6.3.31 大7.3.31 尋正講習受講のため退職
片岡 亀子 7.4.10 8.4.7 湧別所学校に転出
準訓導 岳上 徳市 大8.4.15 昭12.3.31 滝ノ上村滝西小学校へ転出
岳上 ゆみ 昭3.2.10 4.4.30 退職
代用
教員
島村 芳野 4.5.5 13.3.31 退職
関根 正利 12.3.31 14.3.31 退職
伊藤てるゑ 13.5.31 19.5.31 退職
松尾  猛 14.3.31 14.6.30 退職
川畑 栄枝 14.7.10 15.9.27 退職
沢田 竜英 15.10.31 17.4.30 退職
準訓導 高木 豊子 17.5.15 20.5.31 退職
塚本 ジン 19.7.31 21.4.30 退職
助教 鈴木 政雄 20.6.15 20.12.31 退職
村井 せつ 21.4.15 21.12.31 退職
小松 ムツ 21.4.30 31.3.31 退職
北本 和夫 22.1.15 26.4.30 退職
教諭 浅井 幸子 24.4.15 26.1.31 退職
講師 浅井 澄子 26.4.1 32.10.31 退職
助教諭 藤原 祐見 26.5.1 30.3.31 上湧別小学校へ転出
和田  誠 30.4.1 34.3.31 丸瀬布小学校へ転出
教諭 辰田 節子 31.5.1 35.3.31 退職
助教諭 野津 寿雄 31.4.1 40.3.31 佐呂間町立栄小学校へ転出
海老名由善 33.1.16 38.3.31 東芭露中学校へ転出
教諭 中の喜代寿 34.4.1 35.3.31 滝上町立雄相小学校へ転出
助教諭 田中 早苗 35.4.1 35.4.1 上湧別町立富美小学校へ転出
教諭 星  タケヨ 35.5.1 42.3.31 依頼退職
技講 佐々木正子 38.4.1 44.10.15 新採用退職
教諭 鶴間 雅樹 40.4.1 44.3.31 白老町立萩野小学校へ転出
桐沢 良市 44.4.1 44.3.31 湧別小学校へ転出
岩渕 歌子 42.4.1 45.3.31 美幌町立報徳小学校へ転出
技講 今   正 44.10.16 47.3.31 新採用積丹町入船小学校へ転出
教諭 葛木登茂子 45.4.1 47.3.31  48年統合により
 湧別小学校へ
豊村  修 45.4.1
鈴木 鉄也 47.4.1
山内 秀治 47.5.1
 昭和33年11月16日、開校50周年記念祝典を挙行、地域住民と
卒業生によって、教材・教具等の寄附、その他記念事業が行われた。

(イ) 記念事業
 祝典挙行、校歌、校章制定、儀式幕、紅白幕、学芸会幕(婦人会・協
明会・青年団・商店の寄附)、テント(4枚うち2枚は亜麻工場寄附)、
テープレコーダー、ゴールハイ、平均台、暗幕、歴代校長写真、郷土史
作製、特別教室建築資金10間年、校地拡張3万円、教育功労者に感
謝状記念品贈呈、他に校具等9点
(ロ) 教育功労者氏名
後藤徳三郎  岡島梅之助  島村戒三郎  伊藤 鶴吉  塚本 政喜
小松 孝寿 岳上 徳市 浅井 幸子     (以上教職員)
野津幾太郎 本宮徳太郎 伊藤 代助 伊藤 馬吉 西沢 収柵
小玉 九助 黒田 捨市 小川清一郎 出口助次郎 滝本助次郎
友澤 喜作 小池 武男 黒田真次郎 山下 音市 宮本 正則
小谷幸十郎 本間 資義 (以上地域)   
(ハ) 功労者(川西小学校功労者、教育委員会調査資料より))
後藤徳三郎
  本校創立当時教授所時代、代用教員として勤務、資性温厚誠実をこ
 めて草分け時代の青少年・川西開拓者のよき指導者として尊敬せらる。
島村戒三郎
  偉大なる教育者。豪放磊落。地域を家族的にまとめ敬愛されていた。
 20数年間育英事業に翁足跡を残された。今日、川西の有意な人材
 は皆、彼の薫陶を受けた者である。
本宮徳太郎
  当時草分け時代の村議であり、また区の部長として活躍、徳に学校
 建築には献身的な労を積まれ、川西小学校の今日あるものを築かれた
 その功に対しては長く感謝されている。
伊藤 馬吉
  川西特別教授所創立当時、学校敷地を寄附された。(400坪)
伊藤 代助
  村議として、また学務委員として長くその任に在り、長年に亘り学校
 後援会長となり学校教育に尽粋せられた。なお戦後の混乱期にあっ
 ても初代のPTA会長として、よくその職責を果たされた。
出口助次郎
  学校建築、施設整備などに区の部長として特段の努力、絶大であっ
 た。
小池 武男
  施設整備等に意を用い、時にふれ折りにふれて、多額の寄附をされ、
 父兄から感謝されている。
友澤 喜作
  村会議員、学務委員として学校建築、施設整備等に尽粋せられ、特
 に戦後は教育委員、民生委員として直接教育行政に携わり、陰に陽に
 本校の力となった事は地域住民の常に感謝するところである。
小川清一郎
  村会議員、学務委員、民生委員、区長等、若い時代から多くの公職
 を兼ね、東奔西走。特に学校問題については熱心に力を尽くされ、そ
 の功績は万人の永く認むるところである。

 
四、国民学校  昭和16年3月1日 「国民学校令」 が公布された。
 4月1日から小学校は、 「国民学校」 に衣がえをして体制を立て直し、
新たな気持ちで発足するということで、戦争たけなわとなったこの頃、
小学校の教育の向上等というものではなく、子供にも臨戦体制の意気込
みを示すための精神昂揚の一手段と見てよい。
 下湧別村では、各小学校に初等科(旧尋常科)、高等科とあったが、
川西だけでは国民学校も初等科のみで高等科は湧別国民学校に通った。こ
うした学校の初等教育まで大改革はしたものの、小学校16年12月、第
2次世界大戦に突入し、世界の戦場が泥沼化する中において、国民学校
も高等科はそれぞれ勉強どころではなく、下湧別村でも援農に、また飛
行機燃料に使うべく山奥に20日も野宿しながら松葉採取に徴用され
て、戦争に協力させられたのであった。
 国民学校は初等科6年、高等科2年で、義務教育とする。 正し高等科
は小学校19年からとする。 ということであったが、国民学校の歩みは当
初の考え通りにならず、戦禍の洗礼でその実効なく終戦を迎えた。 した
がって高等科の義務教育も実現を見ないまま戦後の占領政策の6・3・3
制に移行することになるのである。

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     100年語り草
            (その31)・・・
     御真影と勅語
   勅語・詔書
 終戦まで天皇は現人神として侵すべからず方であった。 勅
語・詔書は天皇が発せられて各学校に御下賜になった。 初日等に
奉読するときは、全員頭を下げて有難く承った。
詔勅名 発布年 詔勅名 川西小に御
下賜年月日
教育に関する勅語 大7.12.22 教育に関する御沙汰書 昭4.6.9
精神作興に関する勅語 大13.3.11 教育者に賜わりたる勅語 昭17.1.18
戌申勅語 昭3.3.11 国際連盟脱退に関する勅書 昭8.3.30
 以上は川西小学校に御下賜になり御真影に安置された日で
ある。
 天皇・皇后両陛下の御真影は昭和15年10月29日御下賜、
昭和21年1月15日奉還。明治23年に、 「教育に関する勅語
」が発布され、以後勅語が教育の中心であり、「克く忠に克く
考に」 に始まり、「一旦緩急あれば義勇公に奉じ」と、何はと
もあれ修身の時間には永い勅語を暗誦させられた思いでは
戦前・戦中の生徒の頭から消えることはあるまい。 「御真影」
については校地の一隅に奉安殿があり、通るときは必ず脱帽・
最敬礼を行った。 昭和21年、一切取り壊された。
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五、学校林  昭和30年、湧別町教育委員会が主体となって、町内全校一同一歩調で
学校林事業を提唱した。 植林関係の町条例を記しておく。
 学校植林地造成条例
 一条 本町は学校児童生徒の愛林思想の涵養を図り、併而学校教育費用の
     培養に資する為学校植林地を造成す。
 二条 植林地は町有地をもってこれに充つ。 町有地に適地を得ざる場合は
     公有地又は私有地の借上げをなす事を得。
 三条 植林事業に必要なる作業は、教育委員会の責任に於て計画樹立し、
     学校長と緊密なる連絡を保ち、学校生徒をこれに当てるものとする。
 四条 造林事業に要する費用は、補助金・寄附金その他をもってこれに充
     つ。
 五条 学校林の主伐による収益分収歩合は、町2分、教育委員会8分とし
     伐採期の処分材積(金額)によるものとする。
 六条 学校植林造成期間樹種により60ヶ年の範囲に於て当事者協議して
     これを定むるものとする。
 七条 学校林造成にあたって町及教育委員会両当事者間に於て別記様式の
     契約書を締結するものとする。
 八条 教育委員会は学校植林に必要な学校林台帳及び植栽図面を備えなけ
     ればならない。
 これを受けて川西小学校においてもPTAと協議し、学校林造成条例に
に基づき植林を実施する。

年度 32年 33年 合計
樹種 トド松 トド松
面積 2町歩 1町2反2畝 2町2反2畝
本数 6.000本 3.600本 9.600本
道補助金
町補助金
105.244
15.194

計 120.438
火災保険
手数料
苗   木
2.59
3.157
52.000


計 57.716
残金 62.722
   学校林労力奉仕
昭和33年4月25日   補 植   300本   出役  15人
7月26日   下草刈り    出役 74人
9月26日   補 植  250本  出役 18人
34年7月28日   下草刈り 70人
35年7月30日 71人
7月30日 71人
36年7月22日 40人
37年7月26日 35人
38年7月28日 47人
39年8月 6日 63人
40年6月21日 54人
41年6月25日 52人
42年7月26日  つる切除伐  35人
43年5月19日 12人
計 586人
  学校林監視人として緑蔭の梶清次郎を委嘱する。

第2節 青年教育  
一、青年訓練所  大正15年9月 「青年訓練所令」 によって 「青少年の心身を鍛練して
国民たるの資質を向上せしむる」 を目的として、16歳〜20歳までの
小学校課程を修了した男子を対象に、徴兵検査までの期間中が軍事教練
を施すために設置されたもので、村長が設置者になる小学校に設置され、
小学校長が 「主事」 に任命され、4ヶ年の課程が課せられた。
 下湧別村では、湧別・川西・芭露・上芭露・計呂地の5小学校に併置
された。 履修の内容は次の4課で、年に各課とも200時間、4年間で
800時間の義務が課せられた。 その内容は、
(1) 修身公民課〜道徳の趣旨、公民としての心得
(2) 普 通 学 科〜普通文の講義・作文・筆算数学・地理・歴史の大要
(3) 職   業   科〜農村においては農業
(4) 教   練   科〜体操及び軍事教練
 こうして軍隊の予備校的な色彩が大正から昭和にかけて益々強くな
り、その存在も満州・上海事変などを契機として益々重大性を帯びて来
た。
 男子青年にはこうした時代に合った訓練機関が活動しているのに、女
子の方はこれに類したものがなかったので、昭和3年10月に 「女子実
業補修学校」 の法制化があって、本校でも「村立女子裁縫専修学校」の
設置が決まり、昭和4年1月から、湧別の学校に設置されて開校したの
である。 女子のこうした学校も、青年団の裁縫塾に押され、あまり効果
はなかった。

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     100年語り草
            (その三二)・・・青年団体
     10人抜きの武勇伝
 藤崎豊次さん幼くして野津三段の剣道指南を受け近隣町村でも剣道で
花をあげていた。 軍隊でもそれが大変よかった。 特に二段の玉木軍曹
と懇意になり、鴻之舞の剣道指南に迎えられた玉木さんに招かれて鴻之
舞の武徳殿の落成記念剣道大会に出場した。 当時鴻之舞は金山景気
で活気に溢れていて、この大会にも全道的な選手が多く出場していた。 
藤崎さんは、実力、二、三段級であったがまだ段位はとっていなかったが
玉木審判長が藤崎さんの腕前を剣士はじめ監修に紹介したので了解を得
て出場できた。 下湧別からも野津竜三九・尾崎宏一の両氏が出場した。
 最初の岩佐二段との第一戦はお面一本で勝負が決まった。 そのあと
引きつづき三人なぎ倒したのでこの辺でやめようかと思ったが観衆が承知
せずそのまま継続して九人抜きを実現十人目のとき剣が袴に引っかかっ
たのを審判に見られて相打ちの判定が出た。 十人の中には、五段・六段
の有段者も入っていたのでこれだけやれば充分とばかりやめたが準優勝
の七人抜きの人を上廻ったので堂々の優勝をかちとり面目をほどこした。
賞状とメダルそれに賞金15円(当時白米2俵位)をいただいた。 その後も
玉木さんとの親しい交友が続いたのである。

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二、青年学校  青年訓練所が青年教育の名目をつけた軍事教練の場であったわけだ
が昭和に入り、いよいよ満州・上海と大陸の風雲ただならぬ情勢となっっ
て、更に徹底した青年教育の必要だと軍部からも叫ばれるようになり、
昭和10年4月に旧令を廃して 「青年学校令」 が公布になった。
 これによって男女共に規定の年数を規定の時間必修の義務が課せられ
た。 町では男女統合して 「湧別青年学校」 とし、芭露・上芭露・東芭露・
西芭露・志撫子・計呂地・床丹と共に川西は農業青年学校に改組したの
である。 また登栄床は水産青年学校となった。
 訓練所が青年学校に改組されるに伴って、教練資材として青年団長か
ら村に寄附採納の記録があるので、参考までに記しておく。
 
(寄附採納願)
一金 四百弐拾壱圓也 但し青年学校用、教練用資材其他別紙目録
 右本村川西農業青年学校備品として寄附致度候家採納被下此段及御願也
  昭和13年11月3日  川西青年団長  小谷幸一郎
下湧別村長  森垣 幸一殿


三、川西農業青年学校の沿革
大正15年7月 1日  川西青年訓練所として川西小学校内に設置さ
る。
昭和10年 川西農業青年学校(義務制)となる。
昭和18年 村内青年学校統合により、湧別第一青年学校川
西分校となる。
昭和22年3月31日 廃止
     教育の概況
 青年訓練所時代は、これを出た者は現役を短縮されるという特典が与
えられているところに魅力があったが、入学は義務づけられてはいな
かった。 しかし、我が国の満州政策が着々と進行するに及んで、青
年訓練所の価値が大きく認められ、青年学校として義務制が敷かれ、軍
事訓練を施すことの目的と共に純真なる青年に愛国心を植えつけ、質実
剛健の気風を養う上にも大きな効果を上げた。
 誤った戦争であったし、窮極においてみじめな敗戦であったけれども、
当時の青少年の気風が大いに振作された事は特記されて良いと思う。
    農業青年学校と指導者
 当時、小学校長は兼任の主事であり、教員は学科指導員であったが、
教練の指導者は次の方々である。
 友澤 喜作  大正10年〜14年
 浅井 原作  昭和 8年〜 9年
 増田 熊雄  昭和10年〜14年
 小川 清巳  昭和15年〜18年
 また、野津不二三も初期の学科指導員として青少年の指導に大きな足
跡を残したのであった。 終戦後、青年学校の諸記録は殆んど焼却された
ため、今その全貌を知る事の出来ないのは残念であるが、戦時中指導に
当たった小川清巳に当時の状況を2,3書いてもらったので、掲載して
参考に供したい。

 私が指導員を拝命したのが、召集解除で帰って1ヶ月後の昭和15年3
月31日で、年手当36円を給与された。 当時、支那事変はいよいよ長
期戦を呈し、挙国一致が叫ばれ、大政翼賛会が発足するといった緊張した
時期であったので、軍隊における基礎教育の時間を省く意味からも、教練
科は非常に重要視されていたし、生徒も非常な緊張をもって教練を受けて
いた。 特に農村という実状と、地理的条件を考慮して、学科は冬期に重点
を置き、夏は主として訓練に重点を置く方針を取り、特に川西では主事と
指導員の話し合いで毎週一回、午後6時半から9時までを訓練時間と定め、
一定の指示標準に達すべく努力すると共に、村としては定められた出席時
間に達しない者に対し、一定時期に集合教育を課して訓練を施す等、とに
かく青年学校教育には非常に力を入れられたものであった。 私は昭和18
年5月20日に応召のため退職した。


 
四、川西青年学級  川西青年学級は、昭和25年から川西青年会館及び川西小学校におい
て開設されている。 青年学級は勤労青年に対し、実際生活に必要な職業
や家事に対する知識及び技能を習得させ、一般的な教養を向上させる事
目的としたもので、町教育委員会によって開設され、小学校長が主事
に、教員及び公民館長・農業改良普及所員等を講師として、年間120
時間、6単位の学習を行っており、学級生30名程度を収容しているが、
地域的な事情によって学級生の希望する講座を開く事が出来なかった
り、修了しても特別の資格等が与えられないために、生徒の学習意欲は
必ずしも高いとはいえなかった。
 また、青年学級を運営するために運営委員会もあった。 委員は区の元
老、公職者、学識経験者、各団体長、学級生代表等から出ていた。


第3節 協力団体      topへ
一、保護者会  明治43年当時川西では、7月17日を馬頭観世音の祭り日とし、こ
の日は農民の慰安休日として川西区民挙げて寄附金を出し、余興などを
行って楽しんでいた。 丁度岡島先生の時であった。 予算が5円程度余り
そうなところから、先生に相談して生徒に運動会をやらせて下さいと言
うと、先生も大変喜ばれて、俄か練習であったが、狭い校庭で何とか運
動会が出来た。 これ以来、毎年この日には運動会を行うようになり、一層
慰安日は楽しさを加えた。
 大きな学校では保護者会等が出来ていたであろうが、川西では区長が
自然的に学校の世話等を引き受けていて、従って会費などという決まっ
たものもなく、運動会だ卒業式だという時は必要な金額を各戸から集め
てまかなっていたものである。
 保護者会費として徴収する様になったのは、小学校になってからである。
保護者会がPTAとなったのは昭和22年で、この時、伊藤代助がPT
A会長、浅井周策が副会長となったが、このコンビが31年度まで続き、
32年度当初の区の総会で初めて会則が出来て、会則に従って役員を選
出し、近代的PTAに近づいた。 また、学校は区の文化センターである
から、全戸PTA会員となり、また未来の川西を背負う児童の育成に全
戸が協力する事が理想であり、この意味で川西の行き方は正しいと思わ
れる。 PTAは教育の重要性を認識し、学校によく協力している。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
     100年語り草
            (その三三)・・・婦人団体
     若妻の主張コンクール最優秀賞
            野津玲子さんの快挙
 小学校62年北見地方農協婦人部主催 「若妻の主張コンクール」 於て貴
重な体験を発表された野津玲子さんが、最優秀賞を授賞する快挙があっ
た。 他の仲間の範となり協同活動の活力となるとの理由であったが、こ
こで北見地区代表となり全道大会に出場し見事優秀賞に輝いた。 当時、
若妻の会としての川西の活動も他市町村に見られないユニークな活動が
受入れられた結果であろう。
 こうした区の皆さんが他から迎えたお嫁さん達に和やかな中に若妻の意
見も充分とり入れて、総合的な自治会の運営をしている処が昔から一歩
進んでいることなのであって、各部門で発表の場を得て、それぞれ優秀賞
に輝いているのである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

二、PTA  
  (年   度)     (会  長)     (副 会 長) 
昭和22年度〜31年度
32年度〜35年度
36年度〜39年度
40年度〜41年度
42年度〜43年度
44年度
45年度
46年度〜47年度
 伊藤 代助
 浅井 周策
 浅井 周策
 浅井 周策
 山下 良雄
 山下 良雄
 山下 良雄
 山下 良雄
 浅井 周策
 小川 清巳
 清原松太郎
 黒田  清
 友澤 市男  羽田 勝子
 友澤 市男  堀部サダ子
 友澤 市男  井上 フク
 友澤 市男  伊藤美代子
昭和48年         湧別小学校に統合す
川西小学校卒業生の消息  ○ 卒業年次順に作成
注 ○★印は不明の方です。
 大正7年3月(第1回)尋常科第6学年卒業生
      学校長 島村戒三郎
      担  任 島村戒三郎
  氏  名    改姓     現在の消息
浜田 仙作
渡辺富太郎
公文五太郎
山西 重勝
棧   信吉
田川  豊
宮田慶三郎
岳上 広治
本間 資義
山西清一郎
久川 小富
新宅 アキヨ
黒田 チヨ
小玉 トミ
本宮 千代
吉川 ジズ
野津 陸恵











片岡


本宮

吉竹




死亡

東京都渋谷区代々木
死亡
死亡

死亡
死亡
死亡
死亡
死亡

死亡
 
 大正8年3月(第2回)尋常科第6学年卒業生
      学校長 島村戒三郎
      担  任 島村戒三郎
  氏 名    改姓    現在の消息  
清原松太郎
山西 春清
片岡 幸章
島村 春男
和田 一造
宮田 花栄
宮田 キチオ
藤崎 クスエ
増田 シズエ
今井 ハツエ







滝本
三沢
死亡

死亡
死亡
死亡


東京都府中市
死亡

 大正9年3月(第3回)尋常科第6学年卒業生
     学校長 島村戒三郎
     担  任 島村戒三郎
  氏 名    改姓    現在の消息  
藤本 正之
出口 正之
吉川 清一
本間 義一
野津 殻七
橋本 清吉
簗部 ハツ
浜田 常子
山西 ヤエノ
北川 ツヤ
岳上 トシオ
本宮 フミ
小玉 トヨ






内野


松下
小畠
小池
広崎
死亡
死亡

死亡
死亡
死亡
白滝村上白滝


死亡
死亡
苫小牧市水富
死亡

 大正10年3月(第4回)尋常科第6学年卒業生
     学校長 島村戒三郎                   topへ
     担  任 島村戒三郎
  氏 名 
 改姓    現在の消息  
黒田 誠二
戸梶  勝
山崎 藤雄
藤崎 豊次
佐藤 福蔵
小笠原オハル
公文 ヨシ
滝本 いちえ
今井 美佐恵
増田 ヨシエ
尾崎 八重子
佐藤 キヨエ




海谷




佐久間
死亡
死亡
死亡
湧別町字川西
死亡
死亡

死亡
死亡
紋別市沼の上
死亡
死亡

 大正11年3月(第5回)尋常科第6学年卒業生
     学校長 島村戒三郎
     担  任 島村戒三郎
  氏 名    改姓    現在の消息  
今井  茂
山西 福吉
山西 慶吉
浅井 源作
棧    初
水谷 春治
江沢 春美
宮田 ミヨ
渡辺 秀子
浜田  幸
伊藤 てる古
八島 つるの
久米野 代
鈴木 ヨシ
死亡
死亡
死亡
紋別郡上湧別町
帯広市
紋別郡湧別町
死亡



死亡
死亡


 大正12年3月(第6回)尋常科第6学年卒業生
     学校長 島村戒三郎
     担  任 島村戒三郎
  氏 名    改姓    現在の消息  
黒田  清
山崎 政一
岳上 秀雄
小笠原広松
岩佐 宗一
片岡 福巳
吉田 麗水
橋本 トシエ
島村 安喜子
野津 八百
本間 千代
本宮 勝江
真鍋 フミコ
篠野 きく
黒田 久雄
戸梶 ツヨ子
渡辺  鴨

新宅







沢口
佐藤
藤原



福井
死亡
死亡
死亡
死亡
死亡
紋別郡上湧別町
死亡
死亡

死亡
札幌市中央区
札幌市白石区



死亡

 大正13年3月(第7回)尋常科第6学年卒業生
     学校長 島村戒三郎
     担  任 島村戒三郎
  氏 名    改姓    現在の消息  
伊藤  進
増田 熊雄
滝本  基
山崎  薫
今井 秀八
釜神 登志蔵
和田 ミツ
藤崎 シズエ
渡辺 百合子
小川 千枝
今井 ミヨ子
中野 みさ
野並 米子
佐藤 富子







絹川




中越
死亡
死亡
死亡
死亡
死亡
死亡

札幌市北区

死亡
網走市

札幌市東区
東芭露

 大正14年3月(第8回)尋常科第6学年卒業生
     学校長 島村戒三郎
     担  任 島村戒三郎
  氏 名    改姓    現在の消息  
佐々木 吉一
滝本 房光
小谷 幸一郎
小谷 幸茂
吉村  一
小笠原 治
山本 勝三郎
本間 義路
堀部 秋夫
尾崎 静子
松本 サヨ子
牧本 リソ
死亡
死亡
死亡
死亡
死亡
死亡

死亡
死亡
死亡

死亡

 大正15年3月(第9回)尋常科第6学年卒業生
     学校長 島村戒三郎                    topへ
     担  任 島村戒三郎
  氏 名    改姓    現在の消息  
鈴木 勝見
小玉 壮康
山崎 政徳
今井 興人
中内  繁
本宮 福寿
真鍋 ヨシ
原田 フミ子
小川 寿美
宮本 利恵子
藤崎 ユリ
早坂 きく子
岩佐 房恵
公文カミヨシ
岳上 シヅ





佐藤

岳上
松浦
福田
本堂
谷津


和田
死亡
死亡
死亡


旭川市
函館市
湧別町
死亡
死亡
千葉県山武郡
北見市屯田
死亡

上湧別町

 昭和2年3月(第10回)尋常科第6学年卒業生
     学校長 島村戒三郎
     担  任 島村戒三郎
  氏 名    改姓    現在の消息  
藤本 清治
尾崎 勢一
伊藤  晃
滝本 房光
真鍋 米蔵
今井  定
堀部 春美
出口 利雄
吉野 トキ
久平 はな
和田 ウメ
本間 トクエ
小谷 米子
増田 スエ子
戸梶 ミツ子
高桑 フミ
水谷 スエ子








伊藤


小谷

井上

渡辺
石本
死亡
死亡
死亡
死亡
死亡
東大阪市森河内
湧別町
死亡
亀田郡大野町
死亡

死亡
死亡
死亡
死亡
東京都
湧別町

 昭和3年3月(第11回)尋常科第6学年卒業生
     学校長 島村戒三郎
     担  任 島村戒三郎
  氏 名    改姓    現在の消息  
野津 竜三九
浅井 健治
岩佐 清市
吉村  実
山本 昌勝
小川 美津子
黒田 花江
増田 マスミ
山崎 久子
吉村 タケ
斉藤 かつよ





石川



臼井
北川
死亡
千葉県園生町
紋別市大山町
湧別町
死亡
美幌町
湧別町
死亡
死亡
湧別町
死亡

 昭和4年3月(第12回)尋常科第6学年卒業生
     学校長 島村戒三郎
     担  任 島村戒三郎
  氏 名    改姓    現在の消息  
鈴木 正雄
小川 清巳
尾崎 貞一
吉野 吉三
久平 市太郎
谷岡 寅市
谷岡 末隆
菅野 朝江
宮本 恵美子
桟   千代子
松本 美津子
石川 ふじ
古川 はまえ
小川 紀美子
堀川 リヨウ
吉田 トキ
増田 サダ
滝本 梅子
小笠原 フジ







渡辺
高桑


山田
岩田
青山


釜神
紋別市大山町
湧別町
死亡
死亡
死亡
死亡

福島県安達郡
湧別町
死亡

留辺蘂町
死亡
紋別郡遠軽町
死亡
死亡
湧別町
死亡
死亡

 昭和5年3月(第13回)尋常科第6学年卒業生
     学校長 島村戒三郎
     担  任 島村戒三郎
  氏 名    改姓    現在の消息  
伊藤 誠司
本宮  正
佐々木利安
山崎 敏男
小谷 芳昌
真鍋俵次郎
山本 五郎
原田 藤子
水谷 アキ
小玉  光
岳上 さとの
堀部 さだ







小川
鹿野
尾張
森田
丹羽
死亡
札幌市北区
死亡
湧別町
死亡

北見市屯田
湧別町
湧別町上湧別
美唄市
死亡
網走郡美幌町

 昭和6年3月(第14回)尋常科第6学年卒業生
     学校長 島村戒三郎                  topへ
     担  任 島村戒三郎
  氏 名    改姓    現在の消息  
和田 栄蔵
山崎 久道
鈴木 繁之
吉村 正義
岩佐 貞義
鈴木 スエノ
古川 かなえ
新宅 ヒサエ
小川 秋子
滝本 さよこ
今井 敏子
島村 芳子
窪内 スス子
加藤 ユキ







浅倉
山川
吉田
高橋


吉本
死亡
死亡
湧別町
深川
湧別町
旭川
死亡
湧別町
遠軽町
札幌市
網走市
死亡

湧別町

 
昭和7年3月(第15回)尋常科第6学年卒業生
     学校長 島村戒三郎
     担  任 島村戒三郎
  氏 名    改姓    現在の消息  
宮本 正好
堀川 普源
湊   明
本宮 哲夫
大柳 武徳
掛橋 雅幸
石川藤一郎
吉田  勉
増田 春吉
本間 武吉
小笠原ウメノ
尾崎 美代
菅野 リエ
窪岡 春江
真鍋 キノ
藤本 キヨコ
黒田 藤江












遠藤


川村
死亡
死亡
死亡
湧別町
死亡
湧別町
死亡
札幌市西区
東京都
湧別町
死亡
死亡
常呂郡訓子府町


深川市
死亡

 昭和8年3月(第16回)尋常科第6学年卒業生
     学校長 島村戒三郎
     担  任 島村戒三郎
  氏 名    改姓    現在の消息  
小玉 正平
小川 清春
山下 良雄
篠野  昇
谷岡文太郎
伊藤 房江
小谷 茂子
佐藤 茂子
井上 静子
友澤千代子
岩佐 光子





高桑


布川
鈴木
板東
死亡
死亡
湧別町

大阪府
北見市泉町
死亡
紋別市
横浜市泉区
遠軽町
湧別町

 
昭和9年3月(第17回)尋常科第6学年卒業生
     学校長 島村戒三郎
     担  任 島村戒三郎
  氏 名    改姓    現在の消息  
宮本 弘光
小川 浅雄
山崎 貞一
吉田 隆春
尾崎 正一
増田 正雄
今井 勝美
本間 資雄
片岡 詮人
山下 義一
湊    憲
堀川 泰子
石川 けさよ
佐藤 みさを
山本 松代
早坂 みつ










小田

桜田
伊藤

大島
死亡
死亡

湧別町
死亡
死亡
網走市
留辺蘂町
大阪市大正区
死亡
札幌市北区
紋別市沼の上
死亡
常呂郡佐呂間町

死亡

 昭和10年3月(第18回)尋常科第6学年卒業生
          学校長 島村戒三郎
     担  任 島村戒三郎
  氏 名    改姓    現在の消息  
羽田   宏
佐々木 正
大野 勝治
菅井 正三郎
江澤 隆吉
佐藤 春之
岩間 金兵衛
伊藤 貞子
友澤 徳子
菅野 ミツエ
井上 清子
大柳 キヨ子
古川 阿さよ
吉田 安子
小川 幸子
掛橋 静子
黒田 照子
藤本 フジ子
大水 ハツエ







山崎
田島
内匠
早川
三浦

島田
鬼田



福地
湧別町
湧別町
死亡
湧別町
湧別町

北見市北進町
旭川市川端町
湧別町上湧別
湧別町上湧別
湧別町
石狩郡石狩町

ブラジル
遠軽町
紋別市大山町
北見市高砂町
死亡
音更町

 昭和11年3月(第19回)尋常科第6学年卒業生
          学校長 島村戒三郎                       topへ
     担  任 島村戒三郎
  氏 名    改姓    現在の消息  
佐藤 弘一
井上 万太郎
堀部 孝三
山下 正雄
吉村 春夫
堀川 肇子
井上 美江子
山本 竹子
滝本 サトエ
山崎 国子





小川
小石川

菅原
旭川市
死亡
湧別町
死亡
湧別町信部内
札幌市北区
死亡

札幌市西区
札幌市

 昭和12年3月(第20回)尋常科第6学年卒業生
          学校長 島村戒三郎
     担  任 島村戒三郎
  氏 名    改姓    現在の消息  
伊藤  務
掛橋  博
今井 富雄
本間 喜八
松岡 トキ子
本宮 ユキ
佐藤 シナ
小谷 シズエ
藤崎 みさ子
加藤 キヌ子
菅井 しみ
古川 キワノ




福井

横尾


川村
上松
湧別町川西
死亡
東大阪市
湧別町
湧別町上湧別
三笠市堺町
湧別町上湧別
死亡
死亡
紋別市上渚滑
湧別町上湧別

 昭和13年3月(第21回)尋常科第6学年卒業生
          学校長 島村戒三郎
     担  任 島村戒三郎
  氏 名    改姓    現在の消息  
宮本 尚明
友澤 市男
滝本 広見
井上  廣
湊    巌
本間 義秋
大野 修治
吉村 隆男
片岡 一夫
大水 一男
小川 房子
吉田 美津子
菅野 キサ
山下 みさを
黒田 はる江
篠野 キヨエ










落合
藤本
本多
岡本
柳原
 林
湧別町川西
湧別町川西
死亡
湧別町川西
生田原町
死亡
湧別町上湧別
佐呂間町
湧別町川西
湧別町川西
遠軽町
札幌市南区
湧別町上湧別
湧別町錦
札幌市東区
阿寒郡阿寒町

 昭和14年3月(第22回)尋常科第6学年卒業生
     学校長 伊藤 鶴吉
     担  任 伊藤 鶴吉
  氏 名    改姓    現在の消息  
加藤 長作
小谷 幸徳
大柳 勇一
早坂 一男
掛橋  忠
佐藤 清松
原田 タエ子
鈴木 八重子
石川 ハルヨ






帯刀

山上
湧別町川西
札幌市西区
石狩町
旭川市
死亡
湧別町川西
湧別町上湧別
死亡
空知郡南栄町

 昭和15年3月(第23回)尋常科第6学年卒業生
     学校長 伊藤 鶴吉
     担  任 伊藤 鶴
  氏 名    改姓    現在の消息  
山下 忠幸
滝本 重利
井上 重雄
古川 栄晴
菅井 昭雄
江澤 誠人
井藤 吉信
小川  上
掛橋 孝雄
吉村  広
今井 スエ子
友澤 喜代子
小谷 トミヨ
吉田 カネ子










桶川
 林
若狭
奥村
死亡
札幌市西区
常呂郡佐呂間町

札幌市北区
興部町
湧別町
網走市
大阪府大東市
青森県陸奥
苫小牧市桜木町
紋別市南が丘
湧別町
紋別市中渚滑

 昭和16年3月(第24回)尋常科第6学年卒業生
      学校長 伊藤 鶴吉
     担  任 伊藤 鶴               topへ
  氏 名    改姓    現在の消息  
今井 義雄
浅井 一郎
早坂 照雄
菅野 季雄
片岡  勲
大水 勝見
加藤 時義
小池 和子
小玉 タマ
清原 恵美子
石川 秋子
小川 テイ子
鈴木 トシ子
堀部 春子







矢野
浪岡
須藤
本間


河原
死亡
網走市南
遠軽町
湧別町川西
札幌市豊平区
死亡
紋別市中渚滑
湧別町上湧別
紋別市
亀田郡大野町
湧別町錦

死亡
紋別郡興部町

 昭和17年3月(第1回)国民学校初等科第6学年卒業生
     学校長 伊藤 鶴吉
     担  任 伊藤 鶴吉   (通算25回)
  氏 名    改姓    現在の消息  
の津 一夫
水谷 吉男
掛橋 幸博
菅井 忠雄
藤本 政司
伊藤 喜久子
小谷 幸子
打越 ヨシ子
黒田 常子
井藤 春江





伊藤
大柳

佐藤
佐藤
死亡
湧別町川西
紋別市緑町
湧別町東
湧別町上湧別
空知郡南幌町
石狩町

湧別町川西
滝ノ上町

 昭和18年3月(第2回)国民学校初等科第6学年卒業生
     学校長 伊藤 鶴吉
     担  任 伊藤 鶴吉   (通算第26回)
  氏 名    改姓    現在の消息  
伊藤 貞夫
小池 寿治
片岡 五利
友澤  勝
山下 友幸
滝本 正市
今井 勇吾
清原 邦男
藤本 正吉
滝元  勲
小川 直子
浅井 喜代子
水谷 寿美子
黒田 君枝
石川 梅代
鈴木 チエ子










大水
松本
楠瀬
清野
斉藤
金子
札幌市南区
湧別町上湧別
死亡
死亡
湧別町川西
札幌市西区
網走市
湧別町川西
湧別町上湧別
旭川市東旭川
湧別町川西
唐津市
湧別町錦
遠軽町
留辺蘂町
湧別町緑町

 昭和19年3月(第3回)国民学校初等科第6学年卒業生
     学校長 伊藤 鶴吉
     担  任 伊藤 鶴吉   (通算27回)
  氏 名    改姓    現在の消息  
原田 繁雄
大水 幸雄
藤崎 栄一
井藤 春夫
吉田 美恵
本間 英子
掛橋 梅子
藤本 信子




 佃
 澤
和田
畠山
湧別町川西
北見市
湧別町川西
死亡
苫小牧市有珠の沢
札幌市南区
紋別市真砂町
旭川市永山

 昭和20年3月(第4回)国民学校初等科第6学年卒業生
     学校長 塚本 政喜
     担  任 塚本 政喜   (通算28回)
  氏 名    改姓    現在の消息  
黒田市郎右門
鈴木 正義
野津 寿雄
小池  実
水谷 富美子
早坂 ヒロ子
山下 敏子
藤本 ヤス
福地 哲子
滝元 信子




阿部
杉本
海鳴
秋田
坂口
 塘
北見市花園町
死亡
遠軽町
遠軽町
紋別市南が丘
北見市
湧別町栄町
紋別市潮見町
遠軽町南町
遠軽町

 昭和21年3月(第5回)国民学校初等科第6学年卒業生
     学校長 塚本 政喜
     担  任 塚本 政喜   (通算29回)
  氏 名    改姓    現在の消息  
海谷 幸充
伊藤 達男
井上 義広
浅井 常雄
石川 藤四郎
佐藤 新吾
滝本 源造
清原 美年子
大水 セツ子
掛橋 良子
滝元 成子







成田
石田
橋上
湧別町川西
東京都八王子市
生田原町
網走市南八条
静内町
札幌市中央区
紋別市南が丘
亀田郡七飯町
湧別町上湧別
紋別市大山町
静岡県

 昭和22年3月(第6回)国民学校初等科第6学年卒業生
     学校長 小松 孝寿
     担  任 小松 孝寿   (通算30回)    topへ
  氏 名    改姓    現在の消息  
黒田 誠吾
新宅 信美
桟   徳男
岳上 博司
本間 勝義
岩佐 隆男
小川 冴子
藤本 ノリ子
北本 真紀子
藤崎 洋子
井藤 スエノ






 泉
三上
古都
村上
湧別町川西
湧別町上湧別
帯広市公園東町
湧別町川西
湧別町川西
死亡
網走市駒場
釧路市鶴ヶ岱
和歌山県日高郡
釧路市暁町
函館市森町

 昭和23年3月(第1回)小学校第6学年卒業生
     学校長 小松 孝寿
     担  任 小松 孝寿   (通算31回)
  氏 名    改姓    現在の消息  
早坂 千歳
清原 拓明
水谷  清
江澤  顕
黒田  勇
佐藤 正夫
浅井 利恵子
浅井 美子
小松 寿子
山下 秀子
吉田 富美
鈴木 テル子
掛橋 慶子
谷岡 君子
藤本 チエ子
海谷 長巧






菅原
古川
菅原
須藤
岡本
塩田
和田
小西
金子
湧別町緑町
埼玉県富美市
湧別町錦
湧別町上湧別
旭川市新富町
湧別町川西
北見市上常呂
北見市北央町
室蘭市宮ノ森
旭川市末広町
苫小牧市花園
旭川市永山町
紋別市幸町
上川郡上川町
旭川市永山町
死亡

 昭和24年3月(第2回)小学校第6学年卒業生
     学校長 小松 孝寿
     担  任 小松 孝寿   (通算32回)
  氏 名    改姓    現在の消息  
岳上 広光
新宅  誠
福地 日出男
駒形 忠浩
大水 憲治
山崎 俊久
海谷 市司
近藤 淑子
今井 綾子
増田 邦子
藤崎 洋子
片岡 貞子
絹川 令子
藤本 令子
山岸 ミヨ子
藤崎 美和子
井上 寿子
桟   美恵子







佐々木
森谷
野村
村上
丹羽

水橋

瀬川
田村
室蘭市白鳥台
紋別郡興部町
札幌市

置戸町

湧別町上湧別
湧別町錦
網走市南
湧別町芭露
釧路市暁町
旭川市豊岡
札幌市
紋別市落石町

紋別市
釧路市鳥取

 昭和25年3月(第3回)小学校第6学年卒業生
     学校長 小松 孝寿
     担  任 北本 和夫   (通算33回)
  氏 名    改姓    現在の消息  
鈴木 信義
黒田 勝男
関口 孝義
山下 勤市
水谷  鎮
釜神 悦夫
前川 邦子
本間 照子
小谷 好子
滝本 和子
野津 信子
鈴木 勝子







田中
田丸
佐藤
中原
宍戸
湧別町川西
湧別町川西
岩手県盛岡市
北見市常盤町
湧別町錦
湧別町川西
死亡
札幌市豊平区
美幌町
白老郡白老町
留辺蘂町
旭川市東光

 昭和26年3月(第4回)小学校第6学年卒業生
     学校長 小松 孝寿
     担  任 小松 孝寿   (通算34回)
  氏 名    改姓    現在の消息  
江澤 良一
小池 義昭
増田 重吾
清原 幹夫
藤崎 健二
井上 義光
藤本 弘子
小松 キミエ
浅井 和子
掛橋 栄子
本間 秀子
新宅 昌子
吉本 和子
桟  八重子
桟  昭博






福田
水谷
高橋
安部
遠藤
太田
滝田
紋別市南が丘
北見市常盤町
湧別町緑町
札幌市中央区
札幌市北区
東京都中野区
札幌市北区
札幌市中央区
滝川市東町
札幌市東区
雄武町
札幌市北三条
死亡
死亡

 昭和27年3月(第5回)小学校第6学年卒業生
     学校長 小松 孝寿
     担  任 小松 孝寿   (通算35回)
  氏 名    改姓    現在の消息  
前川 佑一
近藤 直義
吉田 光雄
佐藤   克
水谷  泉
中尾 保江
岳上 美栄子
今井 慶子
大水 日出子
黒田 俊子
小松 ヨシエ
野津 秀子
片岡 房子
滝元 孝子





奥村
原谷
高橋
山崎
森谷

松尾
黒田
関戸

札幌市厚別中央
紋別市北浜
死亡
湧別町緑町
紋別市緑町
北見市北進町
網走市南八条
東京都府中市
面別史南が丘
神奈川県相模原市
余市町
旭川新富町
愛別町

 昭和28年3月(第6回)小学校第6学年卒業生
      学校長  小松 孝寿          topへ
      担  任  小松 孝寿   (通算36回)
  氏 名    改姓    現在の消息  
岩渕   信
井藤 幸一
野津 悦雄
浅井 正美
小池 祥吾
堀部 辰則
藤本 武則
早坂 幹夫
新宅 賢三
小川 昌子
黒田 美智子
岩佐 一恵
露木 芳美
岳上 和子
本間 登美子









伊藤
加藤
根本

小川
佐藤
死亡
紋別郡滝ノ上町
埼玉県桶川市

札幌市中央区
湧別町川西
湧別町上湧別
遠軽町
遠軽町
死亡
石狩郡石狩町
千歳市
空知郡奈井江町
千葉県船橋市
登別市

 昭和29年3月(第7回)小学校第6学年卒業生
      学校長 小松 孝寿
      担  任 小松 孝寿   (通算37回)
  氏 名    改姓    現在の消息  
吉本 正弘
藤本 芳蔵
藤崎 幸雄
佐藤 玄徳
中尾 庄一
黒田 紀臣
小谷 喜一郎
藤崎 泰三
小松 和嘉
浅井 幸一
小笠原 愛子
釜神 玲子
水谷 栄美子
掛橋 幸子
増田 文子
小川 久子
清原 紀美子
本宮 厚子
臼井 良子











井上
奥山

小畠
近藤
後藤
菅野
湧別町川西
紋別市落石町
遠軽町
旭川市豊岡
湧別町川西
湧別町川西
湧別町川西
札幌市北区
福島県双葉郡
埼玉県大宮市
東京都
北見市
生田原町
札幌市東区
湧別町上湧別
札幌市厚別
湧別町東
滝川市泉町

 昭和30年3月(第8回)小学校第6学年卒業生
      学校長 小松 孝寿
      担  任 浅井 澄子   (通算38回)
  氏 名    改姓    現在の消息  
本間 勇次
福地 幸男
浅井 博之
工藤 信雄
岳上 安雄
桟   智恵子
堀部 民子
佐藤 寿江
釜神 昌子
小笠原美智子
中尾 幸子
佐々木 正子





内山
角谷
郡山
秋田

鈴木
野坂
東京都北区
札幌市白石区
大阪府富田林市
北見市若葉町
北見市常盤町
大阪府寝屋川市
北見市双葉町
愛知県瀬戸市
生田原町
東京都世田谷区
札幌市厚別区
小樽市松ヶ枝

 昭和31年3月(第9回)小学校第6学年卒業生
     学校長 小松 孝寿
     担  任 和田   誠   (通算39回)
  氏 名    改姓    現在の消息  
近藤 恒義
湊    護
増田 尚弘
小川 征一
藤崎 照彦
本間 義麿
黒田   勝
新宅 紀明
藤本 勝子
滝元 正子
松田 幸子
黒田 繁子
吉本 幸子
吉田 ヒデ子
岩佐   貞
藤本 竹子
堀部 高子
駒形 裕子
佐藤 和恵
水谷 勝子








高谷
花本

槌賀
大野
山口
西村
熊野
村上

嘉多山
河合
湧別町川西
名古屋市天白区
旭川市
湧別町川西
大阪府三島軍島本町
湧別町川西
横浜市緑区
網走市緑町
湧別町上湧別
旭川市
札幌市
遠軽町
東京都江戸川区
紋別市潮見町
湧別町上湧別
死亡
興部町
遠軽町
旭川市豊岡
湧別町上湧別

 昭和32年3月(第10回)小学校第6学年卒業生
     学校長 辰田 保徳
     担  任 辰田 保徳   (通算40回)
  氏 名    改姓    現在の消息  
本宮 正明
工藤 修二
掛橋  攻
大水  勇
小池 睦男
小笠原勝義
藤崎 捷士
佐々木信子
浅井 園江
浅井 静子
鈴木 敏子







橋本
鈴木
桶作
小椋
湧別町川西

大阪府大東市
遠軽町
苫小牧市
湧別町上湧別
札幌市白石区
千葉県松戸市
滝川市江部乙
稚内市中央
湧別町川西

 昭和33年3月(第11回)小学校第6学年卒業生
     学校長 辰田 保徳
     担  任 和田  誠   (通算41回)
  氏 名    改姓    現在の消息  
滝元  清
本間 信好
藤本 徳男
黒田 忠雄
掛橋 雅子
岳上 さと子
工藤 シズ子
桟   好恵




加藤
加藤
内山
旭川市東光
千葉県長生郡
紋別市上渚滑
湧別町上湧別
札幌市白石区
神奈川県厚木市
札幌市白石区

 昭和34年3月(第12回)小学校第6学年卒業生
     学校長 辰田 保徳          topへ
     担  任 和田  誠   (通算42回)
  氏 名    改姓    現在の消息  
伊藤 弘幸
藤崎 善二
吉田 泰男
駒形 淳一
鈴木 正弘
岩佐 美恵子
黒田 文子
堀部 弘子
小川 真知子
中尾 愛子
山下 澄子
浅井 喜美子
小玉 雅江
露木 和子






佐藤
平間
山下
早川
矢崎
唐川
矢島
札幌市西区
大阪府天王寺
旭川市
湧別町上湧別
紋別市大山町
死亡
旭川市旭町
横浜市港北区
横浜市南区
白滝村
東京都日野市
湧別町緑町
東京都豊島区

 昭和35年3月(第13回)小学校第6学年卒業生
     学校長 辰田 保徳
     担  任 野中 喜代寿  (通算43回)
  氏 名    改姓    現在の消息  
若狭 秀雄
滝元  薫
辰田  収
大水 日出男
本間 勇吉
近藤 隆義
新宅 義弘
黒田 信一
山下 幸一
山下 哲夫
佐々木 厚子
辻   博子
本宮 友子
中尾 洋子
藤崎 美智子
岩佐 セツ子












川原
中村
柿沼
紋別市大山町
旭川市永山町

江別市
興部町
北見市美山町
湧別町上湧別

留辺蘂町
湧別町川西
パリ在住
一宮市
札幌市北区
神奈川県平塚市
札幌市南区
湧別町上湧別

 昭和36年3月(第14回)小学校第6学年卒業生
     学校長 星   幸男
     担  任 田中 早苗   (通算44回)
  氏 名    改姓    現在の消息  
今井 重利
岩佐 健一
小玉 昭二
水谷  洋
清原 雄介
釜神 誠司
工藤  薫
山西  順
浅井 幸男
駒形  光
本間 重光
羽田  剛
若狭 紀雄
江澤 文雄
岳上 佳典
掛橋 妙子
野津 美都子
伊藤 淑子
佐々木良子
小川 まり子
藤本 京子
岳上 友子
今井 美恵子
佐々木 律子















松坂

村田
吉田
上野
橋本
松尾
富田
埼玉県三郷市
湧別町錦
湧別町川西
湧別町錦
埼玉県北葛飾郡
北見市
湧別町錦
札幌市
埼玉県
紋別市大山町
札幌市中央区
湧別町川西
札幌市西区
埼玉県狭山市

白滝村
網走市駒場
白老町虎杖浜
札幌市北区
札幌市東区
上川郡風連町
札幌市豊平区
札幌市北区
札幌市

 昭和37年3月(第15回)小学校第6学年卒業生
     学校長 星   幸男
     担  任 田中 早苗   (通算45回)
  氏 名    改姓    現在の消息  
藤崎  薫
掛橋  茂
新宅  隆
宮本  悟
黒田 勝美
岩佐 健治
掛橋 俊子
辻   晴代
堀部 栄利子
伊藤 款子
佐々木 直子
山下 由美子






田嶋
松岡
出口

北条
大阪府大阪市
札幌市豊平区
小樽市祝津
千葉県松戸市
旭川市東旭川
湧別町錦
宮城県石巻
一宮市
湧別町上湧別

紋別市大山町
奈井江町

 昭和38年3月(第16回)小学校第6学年卒業生
     学校長 星   幸男
     担  任 野津 寿雄   (通算46回)
  氏 名    改姓    現在の消息  
山崎 啓一
釜神 健治
佐藤 繁春
藤崎 勇吉
掛橋 憲一
菅井 正博
湊   徳明
小川 康二
佐久間政寿
小玉 良一
友澤 勇司
伊藤 修子
野津 由美子
佐々木 智子
江澤 順子
橋本 恵子
小川 浜子
原田えり子





白田





佐藤

柳田
丹羽
太田
兼田
大久保
湧別町錦
札幌市西区
湧別町川西
常呂郡佐呂間町
湧別町川西
湧別町信部内
札幌市豊平区
千葉県八千代市
湧別町川西
湧別町上湧別
湧別町川西
札幌市豊平区
死亡
東京都
札幌市東区
札幌市西区
網走市
旭川市春光町

 昭和39年3月(第17回)小学校第6学年卒業生
     学校長 星   幸男
     担  任 野津 寿雄  (通算47回)
  氏 名    改姓    現在の消息  
鈴木 幸雄
江澤 尚宣
渡辺 義直
堀部 俊男
井藤 吉春
宮本 敬二
岩佐 武志
江澤 俊広
若狭 順子
今井 律子
岩佐 賀代子
掛橋 洋子
釜神 良子
片岡 早苗
大水 啓子
伊藤 和子
佐々木 悦子
掛橋 典子
新宅 秀子








山口
中安
平間
工藤
横尾
日高
山下
国枝
小野
斉藤
渡辺
湧別町上湧別
半田市向山町
湧別町上湧別
広島市安佐南区
滝ノ上町
埼玉県和光市
湧別町川西
湧別町川西
湧別町曙町
札幌市豊平区
湧別町上湧別
札幌市白石区
札幌市白石区
遠軽町
紋別市緑町
佐呂間町
埼玉県所沢市
白滝村
札幌市豊平区

 昭和40年3月(第18回)尋常科第6学年卒業生
     学校長 星   幸男               topへ
     担  任 野津 寿雄   (通算48回)
  氏 名    改姓    現在の消息  
加藤  孝
近藤 博儀
大柳 順市
原田 隆志
佐藤 義信
友澤 雅晴
小川 裕子
佐久間 雅恵
滝元 玲子
菅井 カツ子
佐々木 裕子
伊藤 依子
藤崎 千賀子






三品
後藤
吉見
杉山
深沢
渡辺
北野
遠軽町
新潟県新井市
石狩町花川
湧別町川西
湧別町川西
横浜市磯子区
湧別町上湧別
岐阜県岐阜市
札幌市白石区
群馬県高崎市
東京都
石狩郡石狩町
札幌市北区

 昭和41年3月(第19回)小学校第6学年卒業生
     学校長 星   幸男
        担  任 鶴間 雅樹   (通算50回)
  氏 名    改姓    現在の消息  
羽田  信
渡辺  守
掛橋 悟司
片岡 和悟
大柳 幸司
菅井 正寿
佐々木 由子
湊   洋子
大水 久美子
佐藤 せつ子
伊藤 紀子







安藤
鹿間
根符
松井
東京都足立区
北見市高栄
滝川市旭町
旭川市新富
札幌市白石区
湧別町川西
死亡
湧別町上湧別
旭川市神楽岡
湧別町栄町
遠軽町

 昭和42年3月(第20回)小学校第6学年卒業生
     学校長 星   幸男
     担  任 鶴間 雅樹   (通算50回)
  氏 名    改姓    現在の消息  
佐藤 宏行
新宅  治
菅野  明
宮本 章三
野津 幸枝
原田 由理子
堀部 恵子
滝元 由利子
今井 喜惠子




鈴木
河端
上野
波方
川崎市幸区
札幌市平岸
札幌市豊平区
奈良県生駒市
北見市緑町
神奈川県川崎市
札幌市手稲区
札幌市西区
札幌市豊平区

 昭和43年3月(第21回)小学校第6学年卒業生
     学校長 岩渕 一男
     担  任 田中 早苗   (通算51回)
  氏 名    改姓    現在の消息  
藤本 里司
伊藤  斉
佐藤 孝司
片岡 一彦
加藤 まゆみ
友澤 美恵子
羽田 説子
湊   敬子
佐久間 直子
駒形 ルリ
大水 静子




高橋
田畑
山本
高野
佐々木
大岩
小川
札幌市南郷
湧別町川西
神奈川県秦野市
湧別町上湧別
湧別町上湧別
留萌市東雲町
札幌市西区
湧別町東
札幌市北区
遠軽町
北見市若葉

 昭和45年3月(第23回)小学校第6学年卒業生
     学校長 岩渕 一男
     担  任 桐沢 良一   (通算53回)
  氏 名    改姓    現在の消息  
大水 昇一
井上 寿之
高桑  誠
山下 美智子
野津 玲子
片岡 美代



細田

上田
湧別町上湧別
苫小牧市緑町
遠軽町大通
湧別町福島
湧別町川西
湧別町上芭露

 昭和46年3月(第24回)小学校第6学年卒業生
     学校長 岩渕 一男             topへ
     担  任 今    正   (通算52回)
  氏 名    改姓    現在の消息  
佐藤 義男
友澤 隆志
山下 音人
堀部 祥二
近藤 重子
黒田 明子
水谷 佑子




吉田

堀部
神奈川県秦野市
湧別町栄町
湧別町川西
小樽市緑
遠軽町
札幌市
湧別町登栄床

 昭和47年3月(第25回)小学校第6学年卒業生
     学校長 岩渕 一男
     担  任 今    正   (通算53回)
  氏 名    改姓    現在の消息  
近藤 拓治
藤崎 一彦
高久 一美
加藤 あけみ
井上 久美子
野津 美枝子


一色
大沢
ク戸
北川
湧別町川西
湧別町川西
遠軽町南町
旭川市錦町
石狩郡石狩町
湧別町錦

 昭和48年3月(第26回)小学校第6学年卒業生
     学校長 西山 日出男
     担  任 鈴木 哲也   (通算54回)
  氏 名    改姓    現在の消息  
黒田 直浩
伊藤  直
佐藤 繁利
佐藤 敏春
山下 幸夫
伊藤 康弘
友澤 厚夫
水谷  智
清原 久美子
豊村 曉美








松下
湧別町川西
札幌市豊平区
湧別町川西
旭川市末広
遠軽町
湧別町川西
湧別町川西
湧別町川西
湧別町港町
遠軽町西町

 昭和48年3月小学校第5学年修業生
     担  任 鈴木 哲也
  氏 名    改姓    現在の消息  
高久 輝喜
大水 徳明
本間 ひとみ
湧別町川西
湧別町上湧別
湧別町川西

 昭和48年3月小学校第4学年修業生
     担  任 山内 秀治
  氏 名    改姓    現在の消息  
豊村  洋
藤崎 滝二
水谷  毅
黒田 美智恵
佐藤 真智子



篠原
北澤
網走市台町
湧別町上湧別
湧別町上湧別
北見市旭町
様似郡様似町

 昭和48年3月小学校第3学年修業生
     担  任 山内 秀治
  氏 名    改姓    現在の消息  
井上 奈保子
本間 百合子
札幌市東区
北見市大通

 昭和48年3月小学校第2学年修業生
     担  任 葛木 登茂子
  氏 名    改姓    現在の消息  
岳上  薫
清原  満
佐藤  浩
近藤  稔
藤崎 栄三
黒田 かすみ
湧別町川西
札幌市厚別区
湧別町川西
札幌市白石区
北見市北央町
札幌市白石区

 昭和48年3月小学校第1学年修業生
     担  任 葛木 登茂子
  氏 名    改姓    現在の消息  
小谷 直弘
鈴木 雅之
黒田 こずえ


柴田
湧別町川西
紋別市南が丘
湧別町港町

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