愛のふる郷   第4編   あの人この家

昭和の小漁師
湧別町史
川西郷土史top

平成5年頃の在住家


本宮家 出身地    新潟県
川西入植   明治27年
初代      本宮徳太郎
二代       正
三代      正明

井上家 出身地    山形県村山市大字山之内
川西入植   大正4年
初代      井上 廣作
二代          廣
 昔は大雨が降ると湧別川が増水し、たびたび橋が流失、復旧にもかなりの日数がかかり、名寄線の鉄橋を渡ったり、現在の一号橋附近にあった渡船等を利用した。 昭和31年大望の湧別大橋が完成した時は本当にうれしくて今でも思い出の一つとして心に残って居ります。

高桑家 出身地    湧別町錦町
川西入植   昭和27年 高桑国光から分家
初代      高桑  武
 昭和24年シベリアから復員、28年現錦町から現在地(川西)に分家。 昭和39年迄畑作経営、この間川西の方々には大変お世話になり、有り難く思っています。 昭和40年網走開発建設部遠軽出張所に就職、昭和60年に満63歳にて退職、現在にいたる。

友澤家
(直樹)
出身地    湧別町字川西
川西入植   昭和32年 友澤喜作から分家
初代      友澤  勝
二代         直樹
 川西に嫁いで37年、途中に主人を亡くすと云う、最大の試練に逢いましたが皆様方の暖かい御指導、御協力のお陰で無事に過ごさせて、いただき感謝しております。 これからも主人の子供の頃からの夢である酪農の将来に希望を持って微力ながら努力していきたいと思います  (春子)

小谷家 出身地    高知県安芸郡井口村467
川西入植   明治28年
初代      小谷幸一郎
二代         幸栄
三代         幸一
四代         喜一郎
 人は勿論、牛も家族同様に、事故のない様、家畜の管理に、はげんで来ました。 その甲斐あって計画以上に乳量が伸びた。 昭和53年より、57年迄の5年間、乳量西の横綱の名誉をいただき、わすれがたい人生の思い出となりました。  (美知子)

水谷家 出身地    愛知県
川西入植   大正9年
初代      水谷吉次郎
二代         鈔太
三代         吉男
四代         智
 厳しい風雪に耐えつつ、大森林を切り拓き、現在の基礎を築き、偉大なる遺産を私達に引き継いでくれた先人に対し、感謝すると共に、開基百年の記念すべき、平成5年を節目とし、さらに川西の発展を願い乍ら頑張りたいと思います。  (智)

江澤家 出身地    高知県土佐
川西入植   明治28年
初代      江澤 良馬
二代          四ツ男
三代          隆吉
四代          俊弘
 昭和17年迄は家族と共に食糧増産に励んだ、18年1月満州関東軍に入隊軍務に服す、19年1月九州の都城に転属、20年都城にて終戦。 同年8月復員、戦後の生活物資の不足、すべて物資の購入は切符制で非常に苦労した。 当時の苦労を思うと現在は幸せな生活である。  (隆吉)

佐々木家 出身地    湧別町字川西
川西入植   昭和24年  佐々木梅吉より分家
初代      佐々木 正
 昭和22年3月結婚、24年秋分家して以来、46年間すべて体を使っての手作業だったが、トラックが入りトラクター乗用車が、我が家に入った時は本当にうれしかった。 これもみな幾多苦難の道を乗り越えて築いてくれた先代の方々のおかげと深く感謝して居ります。  (キクヨ)

友澤家
(市男)
出身地    山口県大島郡居室西方村
川西入植   明治28年
初代      友澤 乙吉
二代          喜作
三代          市男
 祖父(乙吉)渡道時信部内湖口にて 「渡し守り」 妻テツ川西5線5号南角地で農業、明治30年現在地に入植、昭和16年離家から失火住宅馬屋全焼川西の方々に大変お世話になった御恩は忘れる事は出来ません。 戦中戦後の物資の不足貧困時代を過し、22年酪農を取り入れ今日に至る。  (市男)

黒田家
(紀臣)
出身地    岐阜県木巣郡川崎森村森
川西入植   明治33年
初代      黒田 捨市
二代         甚三郎
三代          辰夫
四代          紀臣
 我が家の文明開化、昭和23年始めて電灯がついた、60ワットの透明ガラスの裸電球で昼間の様な明るさに子供心に感動したのを思い出す。 それ迄は居間に石油ランプが一個有るだけで寝室もトイレも真暗な生活、テレビで世界中の出来事を見れるなど創造も出来なかった事です。  (紀臣)

菅井家 出身地    山形県西村山郡西五百川村
川西入植   明治43年渡道 昭和43年川西入植
初代      菅井藤次郎
二代         兵太
三代         正三郎
四代         正寿
 昭和8年に緑蔭から川西に移り住み、現在に至る。 昭和17年に、飛行兵として召集され終戦迄軍務、21年4月に帰宅その時に雪解水の雑炊で湧別橋が落ちていて通れず、鉄橋を渡り、何時間もかかって帰宅した事が思い出される。
 (正三郎)

釜神家 出身地    山形県北村山村郡山の内
川西入植   明治33年
初代      釜神 祐三
二代          祐次郎
三代          登志蔵
四代          悦夫
 農業を営む様になって37年になりますがその間、創造もしない変わり方、農耕には馬からトラクター、道路は砂利道から舗装に変わる。 しばれる冬の時期海岸より、砂を馬橇で運搬畑に客土の思い出、青年団活動の思い出、居間頭の中に浮かびます。  (悦夫)

鈴木家
(信義)
出身地    湧別町字川西
川西入植   昭和15年  鈴木兵吉より分家
初代      鈴木  清
二代         信義
 父は昭和13年7月16日中国江南省無錫にて戦死(軍隊)母が子供を相手に現在地で農業、私達は子供でしたので母親は大変な苦労をして戦中戦後を過ごして来たと思う。 晩年は好きな魚釣りを毎日の様に湧別港で釣りをしていたので岸壁の母と新聞に出る程で、思い出の多い母でした。  (信義)

中原家 出身地    鳥取県
川西入植   昭和42年
初代      中原 伝蔵
二代          英雄
三代          英二
 昭和42〜43年頃に川西に牛舎を建てるまでは、湧別市街からの通い作で、1号橋も木橋のため何度も大水で流され畑に通うのに本当に苦労しました。 今は立派な橋も出来、又市街も近くなり便利になって、ありがたいと思っています。
  (英二)

佐藤家
(春之)
出身地    湧別町字川西
川西入植   昭和25年
初代      佐藤 春之
二代          繁春
 生田原の山、丸瀬布の山、バローの山と、あちこちの木材運搬の仕事をしながら馬と共に40年を過す、(冬期間)あの頃の寒さは今の寒さよりきびしかった様に思う。 身につける被服も現在とは違い粗末な物であったから、辛い事が多かったが今は懐かしく思う。  (春之)

佐々木家
(京子)
出身地    福島県
川西入植   大正2年
初代      佐々木梅吉
二代          吉一
 子供達は皆大学を出て、それぞれ、就職、結婚と幸せに暮らしている。 私は寒い冬期間だけ、暖かい本州で過し、春には川西に戻り、川西の老人会の方々と、ゲートボールや、野菜、花壇づくり等、たのしい毎日を過しています。 
 (京子)

中尾家 出身地    奈良県吉野郡字小村
川西入植   昭和22年
初代      中尾熊之助
二代         正平
三代         庄一
 昭和42年頃近所の子ども任が、いなくなって皆んなで捜していたら、裸馬にのって、湧別の市街まで行っていたんです。 今の車社会では、信じられない、のどかな時代を思い出します。  (庄一)

伊藤家
(千代子)
出身地    愛媛県新居浜
川西入植   明治38年
初代      伊藤 儀作
二代          代助
三代          誠司
 昭和17年に伊藤に嫁いで52年になります。 嫁ぐ時湧別橋が流失していた為、氷橋を馬橇で渡った怖ろしい思い出や、主人の召集令状・・・子ども達も就職結婚し、一息する間も無く主人に先立たれたが、皆さんの暖かい心に支えられ元気で暮らしています。 有難うございます。  (千代子)

本間家
(勝義)
出身地    新潟県
川西入植   明治43年
初代      本間 儀作
二代          儀七
三代          資義
四代          勝義
 ビートを間引きしていた頃の事ですが、間引きをしていると決まって居眠りが出て、立てるべき苗をよく削り取ったもので、今日こそはと思って畑に行くのですが、やはり何時間もしないうちに又居眠りが始まり、気がついたらお昼近くになっていた事もありました。  (シズエ)

黒田家
(誠吾)
出身地    岐阜県木巣郡船木村
川西入植   明治33年
初代      黒田真次郎
二代          誠二
三代          誠吾
 祖父母、父母にいつも感謝している。 国道238号線の便利な處、田舎と言っても、子供時代には小学校は近いし、店もあり、バス停あり、本当に恵まれた場所である。 農家を継いだ私は川西の一等地で有難いと思っています。 これからは皆さんにお世話になります宜しく。  (誠吾)
小玉家 出身地    山形県
川西入植   明治30年
初代      小玉 九助
二代          壯康
三代          昭二
 子供の頃通った道路は、でこぼこのバラスが、ごろごろしていて道路の淵は、イタドリやヨシ等がうっそうと、茂っていたが、今は行く所すべてアスファルトになり、あの頃の風景が本当になつかしい。  (昭二)

原田家 出身地    岡山県川上郡日里村大字明治
川西入植   明治30年
初代      原田 キヌ
二代          浅一
三代          繁雄
四代          隆志
 祖母は代官の娘として生れ、岡山県より当地に移住、其の後16歳の時父が渡道、一家は未開の地を開墾辛苦の末当家の基礎を築く、明治45年雑貨店及び居酒屋、大正6年沼の上に呉服、雑貨等の支店を出す。 小学校16年大東亜戦争、酒、タバコ統制で廃業、酪農専業で現在に至る。  (繁雄)

菅野家 出身地    福島県
川西入植   大正3年
初代      菅野 一二
二代          季雄
 ふと振り返ってみると、もう60歳も中ば、夢も希望も薄らぎかけた今日、考えさせられる事は、長いようで短かった人生でも、男3人の孫がすくすくと育ってくれている事は、一番うれしい、こうした事も皆様のお蔭と心から感謝しています。
 (キヨ)

小川家 出身地    愛知県春日井郡東春日井
川西入植   明治32年
初代      小川清三郎
二代         清一郎
三代         清巳
四代         征一
 明治32年清一郎両親弟妹6名にて現在地に入植、結婚後3男2女をもうけ、次男清巳農業をつぎ、2男3女をもうけて、長男征一後をつぎ、3男をもうけ酪農経営を行い現在に至る。  (清巳)

岳上家 出身地    高知県高岡郡川内村波川
川西入植   明治29年2月29日
初代      岳上 元次
二代          広治
三代          博司
 私は三代目です。 耕地の3分の1は低地で、雪解水や、大雨が降ると作物が水につかり、水の上に出た燕麦の穂を水鳥の群れがついばむのを見て、非常に悲しい思いをしたが、川西地区の総合土地改良によって水引も良くなり、大型機械が入れる様に成って本当にらくになった。  (博司)

岩佐家 出身地    高知県
川西入植   明治37年
初代      岩佐 良馬
二代          幸吉
三代          貞義
四代          武志
 祖父の入植した時は湧別浜には港も無く「ハシケ」で上陸、見渡す限り「ヤチダモ」林であったと聞いている。 私が川西牧場で10年間牧夫を引き受けて牛・馬約4千頭の世話をしたが、5頭しか死亡事故が無く、病気は早期発見が一番良いと思います。 皆さんお世話になりました。  (貞義)

清原家 出身地    熊本県
川西入植  
初代      清原市太郎
二代         松太郎
三代         邦男
 昭和60年3月13日、私共の不注意による出火に際し、皆様には大変ご迷惑をおかけ致しました。 又多大のお見舞いや、温かい励ましのお言葉を戴き、且後片付け迄して戴いた事等、あの御恩は一生忘れる事は出来ません。 有難う御座いました。  (邦男)

大水家 出身地    青森県
川西入植   昭和9年4月
初代      大水民之助
二代         一男
 私達結婚して、40年余になりました。 2男、3女に恵まれ、両親に大変お世話になりました。 お陰様で大ぜいの孫達にも恵まれ、今ではかわるがわる顔を見せに来てくれるのが、唯一の楽しみです。  (直子)

片岡家 出身地    高知県高岡郡黒岩村四ツ口
川西入植   明治
初代      片岡 邦茂
二代          一夫
 昭和26年社名淵の山の中から、嫁いで来ました。 川西は畑が平らで山が遠いので驚きました。 私の父の話では父が9歳頃、新潟県より川西6線に親に連れられ入地、其の後社名淵に移転、私の結婚式に父は川西も随分開けたものだと驚いていた事を思い出します。  (千代)

本間家
(義麿)
出身地    湧別町字川西
川西入植   昭和15年  本間資義から分家
初代      本間 義路
二代          義麿
 昭和37年、二代目として農業を始めたが、当時の酪農は、平屋で馬作業が主流、キング式牛舎でトラクター作業をと夢見たものであった。 先輩達のお蔭でそれが現実のものとなり、川西に生まれて感謝している。  (義麿)

山下家
(音人)
出身地    愛媛県
川西入植   大正3年
初代      山下 音市
二代          友幸
三代          音人
 私が小さい頃、父母が一生懸命に植えた山林が、平地林開発により、耕地整備事業によりあの湿地帯が、緑豊かな牧草地に変わり、トラクターが走っている。 私も今は若い者達に経営をまかせて、孫達の成長を楽しみ乍ら、老後を暮らしたいと思います。  (友幸)

宮本家 出身地    高知県
川西入植   明治30年
初代      宮本 円治
二代          正則
三代          尚明
 物心がついた、昭和の初めから、昭和30年頃まで、お米のご飯が最高のご馳走だった。 なんとか、お米のご飯が食べれる生活がしたいと思ったものだ。 (畑作地帯であり、生活もあまり楽ではなかった為)
  (尚明)

黒田家
(勝雄)
出身地    湧別町字川西
川西入植   昭和13年  黒田眞次郎から分家
初代      黒田  清
二代         勝雄
 此の地域は、芋、ビート、亜麻、麦類頭の畑作農業で川西に、2軒の澱粉工場があり、すべてが馬による重労働であった。 今ではすべてが機械化され、経営は酪農が主体となり、この30〜40年間の変化、発展に驚きを感じている。
  (勝雄)

鈴木家
(繁之)
出身地    三重県桑名郡在吉村字蓮花寺
川西入植   大正2年
初代      鈴木初次郎
二代          繁之
三代          博
 昭和48年から川西の人となりました。 丁度馬から機械化農業の転換期でした。 川西にはまだ10台前後のトラクターしか導入されていなかったと思います。 先祖が開いた肥沃な大地を、大切にしたいと思います。  (博)

佐藤家
(義信)
出身地    湧別町字川西
川西入植   昭和30年  佐藤繁三郎から分家
初代      佐藤 清松
二代          義信
 私の父が現在の地に分家したのは、昭和20年でした。 当時現在の一号線はもとより、五線道路も道が悪く、夏の大雨特に春の雪解水には、両親は苦労をした様です。 家の前の低い所は、川の様になり、学校に通うにも、イカダで渡った思い出が忘れられない。 今は舗装で有難い。  (義信)

近藤家 出身地    小樽
川西入植   昭和32年  近藤一男から分家
初代      近藤  博
 入植地は泥炭地のため、湿地で作物も育たず、暗渠排水施行により、牧草など、生産可能となり、定住出来る様になりました。 地域の様子も変わり、作業も馬から機械に変わり、昔の思い出が多い今日このごろです。  (博)

吉本家 出身地
川西入植   昭和16年
初代      吉本 清治
二代          正弘
 若い頃には友達と乳牛改良同志会をつくり、目標8.000kgの80点に向かって頑張った。 良い牛をつくるにどうしたら良いかと勉強したものです。 昭和63年に体格審査で夢の89点をとり、牛群平均約83・4点と全道で5位となり嬉しかった。 これも友達のお蔭と感謝している。  (正弘)

加藤家 出身地    宮城県
川西入植   昭和3年
初代      加藤長四郎
二代         長作
 森林と雑草に覆われ、且つ荒れ果てた土地に入り、細い木の根は、スコップで切り、太い根は、マサカリや鋸で切り抜根した。 湿地は暗渠排水や客土をしたり、何とか広々とした土地になったら、もう終農、何と侘びしいものやら・・・
  (長作)

藤崎家 出身地    高知県
川西入植   明治43年
初代      藤崎 梅次
二代          豊次
三代          栄一
四代          一彦
 私が2歳の時父に連れられ、興部から川西に入植。 其の後後を継ぎ、農業を続けたが畑の方は家族に任せて、私は種馬の扱い、又川西牧野の管理人シブノツナイ湖の漁業監視等につき川西の方々には大変お世話になりました。 今は息子の嫁孫の嫁の世話になり、毎日「ヒコ」達とたのしく過ごしています。  (豊次)

藤本家 出身地    高知県
川西入植   昭和33年
初代      藤本 政吉
二代          清三
三代          敏明
 私が嫁に来て、27年も過ぎました。 振り返って見れば実に月日の過ぎるのは早いものです。 毎日可愛い乳牛、育成牛合せて、32頭を事故の無い様頑張っています。 川西の皆さんは良い人ばかりで有難いと思います。 今後も宜しく、ご指導下さい。  (邦子)

佐藤家
(正夫)
出身地    三重県桑名郡在吉村字張真
川西入植   大正2年
初代      佐藤捨次郎
二代         繁三郎
三代         正夫
 昭和25年頃から33年頃まで秋の取り入れが終わると、一年間焚く薪を集めるため沼の上の住友鉱山附近の山の中に、三角小屋を建て小屋に泊まって薪を切り、薪切りが終ると自宅まで薪運搬、朝早く家を出るので人馬共に寒さのため苦労が多かった。 思い出の一つであろう。  (正夫)

山下家
(哲夫)
出身地    湧別町字川西
川西入植   昭和28年  山下音市より分家
初代      山下 良雄
二代          哲夫
 開基百年記念おめでとうございます。 一番の思い出は昭和47年の第一回目の運動会でした。 (廃校後)毎年続いて楽しいですね。 いろいろな我が家の生活が、語り草の様に去った感じがします。 川西の皆さんに感謝の気持ちで一杯です。  (光子)

堀部家
(辰則)
出身地    岐阜県
川西入植   大正6年
初代      堀部 太市
二代          秋夫
三代          辰則
 25年位前迄は人と馬の作業が基本でした。 近年は農作業も機械化され、随分楽になった。 開拓にたずさわった今は亡き父母や叔父さん達本当に御苦労様でした。 私達家族は20世紀に向かって頑張る覚悟です。
  (辰則)

堀部家
(孝三)
出身地    湧別町字川西
川西入植   昭和28年  堀部秋夫より分家
初代      堀部 孝三
 昭和28年11月3日、本家堀部秋夫より現在地に分家、畑作酪農を経営、昭和63年末に、酪農をやめる。 先人が百年の風雪にめげず、今日の基礎を築いた。 大いなる労苦に対し、あらためて感謝致します。  (孝三)

羽田家 出身地    宮城県亘理村
川西入植   大正2年頃  明治10年伊達  紋別入植
初代      羽田 文七
二代          文内
三代           宏
四代          剛
 川西に生まれ育ち、農業を始め25年一人前の牛飼いになろうと妻と二人で頑張り、20年目で、ようやく全道共進会に出陣出来る牛を育てた事が、一番の思い出であります。  (剛)

伊藤家
(斉)
出身地    湧別町字川西
川西入植   昭和26年  伊藤代助から分家
初代      伊藤  務
二代           斉
 昭和26年頃は六線道路は全々なく、五線道路から斜めに畑を歩いていました。 自転車を「かついで」五線道路まで出て市街に出ました。 家は柱と梁の間が10cmもあいて、夜寝て、月や星を見ながら眠りました。 ですから吹雪の時はひどかった・・・。  (務)

野津家
(章)
出身地    鳥取県汗入郡倉谷村
川西入植   明治32年
初代      野津幾太郎
二代         不二三
三代         一夫
四代         章
 私は昭和32年に、川西に参りましたが、冬になると「ワラ」で作ったカマスを「リュック」に作り、鋸を背負い、スキーで海岸へ薪を切りに行ったものです。 お昼には、麦めしの「おにぎり」を食べた。 その味を、今でもなつかしく思い出します。  (道子)

野津家
(実)
出身地    湧別町字川西
川西入植   昭和25年  野津不二三から分家
初代      野津竜三九
二代         実
 終戦直後、こちらに嫁いで一番感じた事は、まだ電燈がついておらず、ランプでの生活でした。 昭和24年初めて電燈のついた時の感激は今でも頭から離れません。 衣、食、其の他に苦労した時を振り返り、感謝の気持ちを大事にしたいと思います。  (美和子)

高久家 出身地    湧別町字緑蔭
川西入植   昭和19年
初代      高久喜太郎
二代         喜三郎
 昭和19年に小作として此の地に入植し、20年8月15日第二次世界大戦が敗戦となり亜麻の収穫期であったが、家族の者が仕事をする気にならず、腐らした事が思い出されます。 入植時に2頭の乳牛から始めた時には輸送缶に牛乳を入れ母が背負って加藤牧場迄運んだ。 1斗(1・8kg)が1円でした。  (喜三郎)

伊藤家
(康弘)
出身地    佐呂間町
川西入植   昭和25年
初代      伊藤 英夫
二代          康弘
 昭和36年4月、露木さんの後地へ、佐呂間町より子供5人連れで御世話になりました。 当時を振り返ると、毎年草地改良、又少しずつ、土地を購入し私は日雇労働者として働いた。 敗戦国日本があの苦しい生活の中から、この様に高度成長するとは本当に結え明治のようです。  (英夫)

掛橋家 出身地    高知県高岡郡戸波村
川西入植   大正12年
初代      掛橋 清美
二代          雅幸
三代          憲一
 昭和35年頃迄は大変な激動の中で、お互いに大変な時代でありました。 然し現在は総ての面で何不自由ない生活を思う時先住の方々が御苦労されての賜と唯々感謝の気持ちで一杯です。 今後益々川西の発展を、お祈り致します。
  (雅幸)

佐久間家 出身地    丸瀬布町川向
川西入植   昭和22年4月
初代      佐久間善男
 私は昭和22年に、川西の野津牧場の落葉林に、三角小屋を建て入植し、2年目に現在地に住宅を建てました。 当時水がなく、排水の水を飲んでの開墾生活を当分続けた。 今思えばよく体をこわさず、子ども達も元気で成長してくれたと思います。  (善男)

渡辺家 出身地    福島県信夫郡大笹生字水口
川西入植   大正4年
初代      渡辺  皓
二代          勝太郎
 昭和38年6月突然、川西の区長清原松太郎さんが来て、実は今度農村電話がつくので交換業務をお願いしたいとの事、電話も使った事が無いのでと断ったが再三の申入れで引受け、20日間の講習を受ける。 素人で皆さんに御迷惑をかけました。 当時が懐かしく思い出され、ご縁の深い川西とは別れ難いものがあります。  (勝太郎)

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