愛のふる郷  川西年表

昭和の小漁師
湧別町史
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編集後記


年号 西暦 川西の出来事 湧別町の出来事 社会の出来事
明治22 1889 湧別原野殖民地に選定される。 大日本帝国憲法発布。
23 1890 教育勅語発布された。
24 1891 湧別原野区割測量実施。 中央道路(上川ー網走間)開通。
25 1892 湧別原野の貸付出願始まる。 湧別街道(野上ー湧別間)開通。 網走紋別間電信開通。
27 1894 河井豊吉。泰泉寺広馬等、川西に入植する。 (川西の開基) 岩内より13戸入植。遠峰栄次郎が商業を始める。湧別駅逓所開設。
礼文島、高知県、徳島、其の他各県からの来住者が増加する。
日清戦争起こる。


日清戦争終結する。
28 1895 西沢収柵外14名が川西に入植する。
29 1896 富山の家庭配置薬巡回始まる。 湧別原野貸与告示さる。湧別神社創建。
永山より薄
荷の種根西1線で試作する。
第7師団(札幌)設置。
30 1897 自給食糧として、馬鈴薯・裸麦・大麦、が作られる。 湧別戸長役場設置。湧別小学校設立。
湧別屯田兵200戸入植。
北海道庁設置。全道に18支庁を置く。
31 1898 大水害
川西原野に平均1mの冠水。
湧別ー紋別間の道路開通。
湧別屯田兵199戸入植。
徴兵令全道に実施。
全道的大水害被害甚大であった。
32 1899 湧別橋(木橋)完成。 湧別定期航路の寄港地となる。
湧別橋(木橋)完成。
小樽ー網走間定期航路開始。
農会法公布。北海道拓殖銀行設立。
33 1900 野津牧場開設。川西移住者63名記録。 湧別村農会結成。バロー。計呂地原野区
劃る。
遠軽尋常小学校設置。
34 1901 水害あり。
小川清一郎鶏を飼育する。
バロー。計呂地床丹原野貸与告示
網走警察署湧別分署設置。
北海タイムス創刊。簡易教育規定きまる。
第7師団司令部を札幌から旭川に移す。
35 1902 冷害凶作。川西青年会結成(16名)
菜種成金者、現れる。
農耕馬として5〜6頭飼育する。
バロー簡易教育所設置。
7号線。計呂地道路開削。
北海道初の衆議院議員選挙挙行される。
網走畜牛馬組合設立。
36 1903 馬頭観世音建立。 湧別屯田兵村解体一般行政区域に編入 国定教科書定まる。
37 1904 衛生組合結成。 バロー原野道路14号開削。 日露戦争起こる。
38 1905 網走産牛馬組合湧別支部創立。
道庁種畜場種馬出張交配はじまる。
日露戦争終わる。
39 1906 入植者約50戸となる。薄荷作付のはじめ大霜害あり。
第1回村会議員選挙2名当選
二級町村制施行。湧別村役場設置。
湧別漁業組合設立。開盛橋流失渡船となる。 戸沢栄吉基線で市乳販売す。
北見農業試験場設置。
40 1907 小谷幸十郎肉牛2−3頭飼育始める 義務教育6年に延長す。
41 1908 川西特別教授所開設。共同作業で校舎建築(38.5坪)
生徒数42名。川崎訓導
バロー簡易教育所尋常小学校に昇格。
信部内原野区割り。
北見農事試験場水稲栽培試験を行う。
42 1909 帝国在郷軍人会下湧別分会結成川西からも役員が出る。 信部内。バロー原野告示。
北兵村3区大火。四号線に郵便局開局。
43 1910 山西三次が基線に娯楽として湧別座を建てる。 6号線以南を上湧別村に分轄し以北を下湧別村と改称する。
消防組合公設。 下湧別村農会設立する。
上湧別村設立。
第1期北海道拓殖計画実施。
44 1911 湧別尋常高等小学校川西分教場となる。 バロー巡査駐在員設置。
バロー原野(東・西バロー) 増区劃割りシブシ川沿原野貸与告示。
陸別ー野付牛(現北見)間鉄道開通。
全道的大山火事被害甚大。
45 1912 川西宮田商店前に郵便箱取り付ける。 天皇崩御大正と改元。
大正2 1913 水害あり。大凶作(霜害。雨害) 上バロー教育所尋常小学校に昇格。 7号線に国有種馬所開設。
1914 信部内特別教授所開設。
志撫子特別教授所開設。
第一次世界大戦起こる。 ルベシベ安国鉄道開通。
1915 水害あり。川西神社建立。祭日は馬頭さんと併せて月17日とする。 四号線停車場問題で紛争。 生田原ー開盛鉄道開通。
1916 12月26日高波でシブノツナイ湖口の漁家7名全滅した。
川西分教所、尋常小学校に昇格
湧別線鉄道全線開通(湧別ー北見野付牛)
緑蔭特別教授所開設。 バロー郵便局開設。
米価暴騰。 成金続出。
1917 専任校長。島村戒三郎着任。(百5名) 日本製麻株式会社湧別亜麻工場授業。 大暴風雪被害。 山火事全道に起こる。
1908 活動写真会(映画)学校で開催する。 開基50年記念式。
湧別電気会社設立。 市街。 四号線点灯
富山県に米騒動起こる。 物価3倍に騰貴。
村窮民救助規定定める。
1919 ビート試作する。 信太寿之造田計画。
湧別神社村社に指定。
吉田新三郎氏造田試作。
湧別川氾濫被害多く堤防施行計画の声起る。
1920 ビート母根栽培始まる。 バロー郵便局電信事務取扱開始。 第1回国勢調査実施。 物価漸落。
10 1921 四号線に牛乳分離所出来る。 大町桂月来湧しサロマ湖口砂州を竜宮街道と命名する。 名寄線全線開通。
11 1922 ビート栽培始まる。(製糖原料用) 水害あり 乗合バス運行。 大霜害あり。 未成年者飲酒禁止法公布。
12 1923 水害あり。 信部内特別教授場。 尋常小学校に昇格。 関東大震災起る。
13 1924 屋内運動場建築。(37坪)
小川清一郎鶏の人工育雛はじめる。(2百羽)
東分教所廃止。 メートル法実施。
14 1925 優良牛を導入貸付・伊藤・増田・黒田・小谷貸付受ける。 千葉県より補助牛20頭導入。 普通選挙法公布。 東京放送局開始。
15 1926 小学校に青年訓練所設置。 湧別警察分署。湧別警察署と改る。 天皇崩御昭和と改元。
昭和2 1927 下湧別村第一農事実行組合を設立。 部落部長を区長制とする。 第2期北海道拓殖計画実施。
北海道拓殖銀行遠軽支店開店。
1928 湧別産業組合長に小川清一郎就任。
川西第二農事実行組合分離設立。
湧別産業組合結成。
湧別消防団自動車ポンプ購入。
NHK札幌放送局開局。
第9回オリンピック大会(アムステルダム)
1929 村内区名を字名に。 ラジオ全国中継始まる。
1930 湧別消防番屋新築。
サロマ湖口を開削。
世界的経済大恐慌。 不況深刻となる。
酪農遠軽工場操業。
1931 北川宇三郎足踏式澱粉製造始む(2年で閉鎖) 
冷害大凶作。(6月29日霜降る) 大洪水あり。
湧別基地火葬炉設置。 満州事変起こる。 娘の身売り急増。
金本位制テイし管理通貨制度となる。
1932 羽田文七鶏多数羽飼育始む。 冷害凶作。 経済更生計画実施要綱成る。
大日本国防婦人会生る。
農山漁村経済攻勢計画法案なる。
石北線全通。 上海事変起る。
1933 大豊作。 羽田澱粉工場操業する。(2,3年で閉鎖) シブノツナイ道路開通。
湧別原野二号線道路開通。
国際連盟脱退。
皇太子誕生。
1934 冷害大凶作。 湧別川築堤工事開始。(第1期) 函館市の大火。 (死者2.100人)
10 1935 校舎新築。 凶作。 鈴木平吉種牡牛を係留。 西湧網線計呂地迄開通。 第4回国勢調査。 (人口6.925万人)
11 1936 川西4線牛乳分離所できる。(1年足らずで閉鎖)
小池澱粉工場操業する。
西湧網線(計呂地ー中佐呂間)開通。
開村40周年記念式典挙行。
日支事変勃発。
12 1937 5線に馬種付所開設。小池澱粉工場に電気導入。
伊藤澱粉工場も発動機で開業。 川西種馬所開設。
村紋章制定。 銃後後援会発足。
道路保護組合の設置。
東京オリンピック返上。
大水害あり。
13 1938 4代目校長として伊藤鶴吉着任。 消防組が警防団と改組なる。 国家総動員法公布。 中湧別に酪連工場操業。
14 1939 伊藤澱粉工場に電気導入。
川西酪農組合設立された。
中湧別に酪連工場出来る。 (馬車による共同出荷) ノモンハン事件。 パーマネント禁止。
物価統制令。 白米禁止令。 国民徴用令。
15 1940 湧別橋水害で陥落出役奉仕中岩佐宗一死亡。
部落葬を行う。 川西校に奉安殿落成。
一級町村制施行。
紀元2.600年奉祝式典(11月)
国民服制定。 大政翼賛会発会。
食料品(米・ミソ外)10品目切符制実施。
16 1941 村立川西国民学校となる。 冷害凶作。 湧別川導水堤工事着工。 町内会。 部落会結成。 太平洋戦争起る。 言論。出版。集会。結社の自由を禁ぜられる。 農漁林物価統制。
17 1942 大日本婦人会結成。 戦時活動に従事。 鉢巻。 たすき。
モンペ姿で活躍する。 小谷幸一 機雷により殉職する。
川西で初のサイロ建設(小谷幸栄)
ポント浜で機雷爆破死者112名を出す。
湧別橋架替第1期工事に着手。
北海道一二級町村制及区長制度廃止。
日ソ不可侵条約集結。 道内新聞社11社統合し北海道新聞創刊。 マニラ、シンガポール占領。
ガダルカナル作戦。 アッツ島守備隊玉砕。
18 1943 村内青年学校統合し川西分校となる。 沼岸特設警備隊発足。(国民学校本部) 家庭のボロ供出する。
19 1944 国民義勇隊編成。 産業組合農会が統合して農業会設立。 全国新聞夕刊廃止。 サイパン島玉砕。 
満17歳以上兵役編入。
沖縄に米軍上陸。 東京大空襲。
20 1945 ラジオより玉音放送終戦となる。
繊維の極端な不足に各戸緬羊の飼育をする。
終戦(8月15日)
バロー市街に電気導入。
広島、長崎に原爆投下。 ソ連対日宣戦布告。
終戦を勅語下る。 連合軍進駐。
21 1946 川西校の奉安殿とりこわす。
農地委員に本間資義選任された。
終戦と共に酪農の気運高まる。
戦後開拓者8線に入植した(8戸)
小池武男自家用車川西で初めて走る。
各校に新制中学校設置。
青年団組織の復活。
農地委員会設置。 民生委員委嘱。
日本国憲法調査さる。
新学制により湧別に中学校を設置。
天皇人間宣言。 新憲法発布。 公職追放令公布。
農地改革実施。 民生委員法公布。
北見放送局設置。 
北見バス運行。
新憲法施行。 教育基本法公布。
22 1947 新学制により村立川西小学校となる。
ブロックの牛舎。 サイロ。 初建設(羽田)
畜力による薯掘機初導入。(伊藤代助)
開村50周年記念式典。
警防団解体し消防団設置。
湧別農業協同組合設立。
労働基準法制定。 消防令公布。 地方自治法。
児童福祉法制定。 雑穀供出に強権発動。
農業協同組合法施行。 1村に4組合設立。
23 1948 青年会館新築。 (青年団の奉仕で建設)
農事組合5組合設立。
小川清一郎湧別農協長に選任された。
川西協同澱粉工場誕生す。
湧別農業共済組合設立。 南北朝鮮独立。 北海道教育委員会設置。
24 1949 名寄線旭地区に駅出来る。
川西第1農事組合、川西、川西西湧、川西中央、に4分轄
テイネー以西に開拓農協設立。
北見バス湧別ー遠軽間運行。
湧別漁業会。 湧別漁業協同組合に改組。
第1回成人式が行われる。
湯川秀樹氏にノーベル賞授与。
中華人民共和国独立。
25 1950 湧別農協有線放送施設川西に設置。 床丹部落佐呂間村に編入。
四号線に共済の家畜診療所できる。
湧別市街側溝工事着手。
中湧別酪連工場が雪印中湧別工場となる。
朝鮮動乱起る。 警察予備隊設置。
北海道開発法施行。
千円札発行。
26 1951 馬頭観世音碑を5線種付所内に移転。
牛の人工授精本格的にはじまる。
電牧器初導入(宮本尚明)
交通安全協会発足。
湧別農民同盟結成(委員長佐藤源治)
農地委員会解散。 農業委員会発足。
湧別酪農組合設立(組合長三沢信美)
紋別ー中湧別間に北紋バス運行。
講和条約調印。 マッカーサー免。
日米安保条約調印。 5百円札発行。
東京ー札幌航空路再会。
公営住宅法公布。
27 1952 婦人会結成。 湧別公民館設立。 湧別定時制高校設立。
湧別観光協会発足。 信部内地区電化。
第1期道総合開発計画策定。
十勝沖地震。 琉球政府発足。
28 1953 集乳合戦はじまる。 (昭和30年まで)
青年による自主消防団結成。
アスパラ栽培はじまる。
町立川西小学校となる。 屋内運動場建設。
町政施行湧別町と呼称。 湧網線全開通。
湧別高校を中湧別に設立。
NHK紅白歌合戦初公開放送。
国連総会朝鮮休戦決議。
29 1954 衛生組合再発足。
冷害大凶作。 4線に火の見及消防番屋造る。
湧別市街に公衆浴場設置。
遺族会生まれる。 湧別町文化協会設立。
酪農振興法公布。 1円以下廃止。
台風15号襲来被害甚大。 自衛隊法成立。
30 1955 川西乳牛経済検定組合設立。(組合長小川清巳)
協明会結成。(25〜50歳迄青壮年)
アスパラ耕作組合設立(組合長宮本正則)
乳質改善共励会全道大会で2位に入賞。
農協トラックで牛乳集荷始まる。
戦後最大の豪雨となる。
バロー川氾濫する。
第1回原水禁世界大会開かる。 (広島)
保守合同自由民主党発足。
31 1956 冷害凶作。 内地府県より救農物資受ける。
畜力モーア初導入(友沢・黒田共同)
ミルカー初導入(宮本尚明)
高度集約酪農地区指定される。
新農山漁村指定町村となる。
日ソ共同宣言。 神武景気。
教育委員会公選制廃止。
32 1957 山本ブロック砂採取はじめる。
トラクター初購入(伊藤誠司他共同)
学校林植樹(約3町2反を2ヶ年間)
湧別大橋竣工(現在)
開基60周年記念式典。
日本国連に加盟。
南極観測隊オグル島に上陸。 (昭和基地)
アメリカ。 ソ連人工衛星打ち上げに成功。
33 1958 ビート中間受入土地制となる。(本間資義畑)
小学校開校50周年記念式典。
団体営暗渠排水事業開始。(3ヶ年実施)
農村公衆電話伊藤誠司宅に設置。
バロー川堤防工事に着手。 1万円札発行。 関門トンネル開通。
東京タワー完工。
34 1959 若妻会結成。
団体営砂客土事業始まる。(3ヶ年計画)
畜力レーキ初導入(友沢市男)
川西農家で乗用車初導入(伊藤誠司)
湧別町乳牛2千頭達成祝賀会。 国民年金法制定。 (メートル法統一実施)
ソ連宇宙ロケット月面到着。
35 1960 ウオータカップ牧草サイレージ奨励される。
緑友乳牛経済検定組合設立。
共同澱粉工場・小池澱粉工場閉鎖。
湧別中学校改築落成。 全道に小児マヒ流行。 ダッコチャンブーム。
精神薄弱者福祉法公布。
36 1961 川西種馬所閉鎖。
農協婦人部川西支部結成。
特別校舎増設。
畜力テッター(牧草反転機)初導入(宮本尚明)
湧別町商工会設立。 農業基本法制定。 スポーツ振興法公布。
本道初のジーゼル特急「おおぞら」運転。
人工衛星ボストーク1号打上げ(ガガリー)
37 1962 小学校にピアノ購入する。
農協・ホル協の委託を受けてA検定開始。
湧別酪農組合乳牛1.000頭達成祝賀会開催。
遠軽信用金庫湧別支店開業。
湧別河口漁港第2次工事完成。
十勝岳大爆発。 キューバ危機。
国産第1号原子炉に「原始の火」ともる。
38 1963 川西全戸が電化される。 (テレビ等)
乳牛飼育5百頭達成祝賀会開催す。
地域団体加入組合電話を設置。 交換所置く。
川西農事組合・第1農事組合に併合する。
青年団演劇の部で全国大会に出場する。
四号線にかおる保育所設立。
バロー湖陵中学校新築。(バロー中学)
交通安産推進委員会を設く。
老人福祉法公布。
青函トンネル調査抗着工。
ケネディ米大統領暗殺される。
39 1964 老人クラブ菊花会結成(会員33名)
農協川西牧野開設。
トラックを農家で初導入。(鈴木正雄)
東地区水田全面廃耕する。
農業、林業構造改善事業指定される。
東京オリンピック開催。 女子バレーボールで金メダル取る。
新潟地震起こる。
40 1965 生乳の出荷スト行う(乳価値上要求)
川西ひまわり子供会結成する。
北見畜産まつりで羽田組合長外生産者10名表彰を受ける。
ビート、ビニールハウスでペーパーポットに依る育苗始る。
スイートコーン出廻る。
優良種牡牛増殖事業で川西9頭貸付受ける。
日本繊維工業湧別工場閉鎖する。
北見管内乳牛5万頭達成北見畜産まつり。
漁業構造改善事業指定。
優良種牝牛増殖事業始む。
米国、北ベトナム爆撃開始。
青函トンネル調査海底に到達。
41 1966 湧別町乳牛5.000頭達成記念大会で表彰者
川西では黒田清・宮本尚明の2名。
サロマ湖灯台竣工。
乳牛5千頭達成記念式典。
ソ連ルナ1号。 米国サーバイヤー1号月面に軟着陸に成功する。
42 1967 校舎改築。 物置、石炭小屋附設。 新校舎に移転する。
大柳勇市大規模鶏舎建て多数羽飼育始む。
(3,4年で廃止)
デントコーン一代雑種普及される。
開基85年開町70年記念式典。
湧別公民館増改築する。
建国記念日スタート。 公害基本法公布。
日本の人口1億人突破。 道章。 道旗制定。
43 1968 青年会館腐朽し川西会館建設する。
ミルカー川西全戸に普及手しぼりから解放。
四号線ー沼ノ上間舗装される。
友沢市男酪農青年研究連盟全国大会で実績発表(優秀賞獲得)
校長住宅新築。
両湧別学校給食組合設立給食センター建設。
商工会館建設。
湧別市街歩道完成。
道庁新庁舎落成。 北海道百年記念式典及大博覧会。
日本初の心臓移植手術する。
3億円現金強奪事件。 郵便番号制度なる。
44 1969 子供会育成会結成。
第4・第3農事組合併合。
住民結核検診始まる。
牛の流行性感冒大発生。
全道乳牛共進会で小川清巳(1位)黒田清(2位に入賞す)
サロマ湖道路道に昇格。
沼ノ上地区(大谷地)国営明渠完成。
米国アポロ11号で人間初の月面上陸。
ソ連金星56号金星に到着。
いざなぎ景気。
45 1970 全道共進会で山下良雄(2位に入賞)
エビスカボチャ現れる。
トラクター次々導入された。
過疎地域堤定される。
湧別中学校屋内運動場改築。
北海道百年記念塔竣工。 米の生産調整始め。
赤軍派ハイジャック事件(よど号)
大阪で万国博覧会開かれる。
46 1971 酪農組合農協に合併する。(酪農組合解散)
原田繁雄酪農青年研究連盟全国大会で(優良賞)を受けた。
信部内と共にダイヤル式地域集団自動電話に移行する。
遠軽地区消防組合発足。
大町桂月の詩碑を竜宮台に建立。
青函トンネル本工事着工。
網走。 上川。 十勝管内異常低温で大被害。
北海道開拓記念館開館。
47 1972 農業機械技術者協議会結成(会長宮本尚明)
川西神社を元神、湧別神社に合祀する。
湧別小学校に名目統合し川西分教所と改称される。
農地集団化交換分合事業実施完了(委員長山下良雄)
湧別町総合開発計画策定。
統合湧別小学校新築着工。
開拓農協解散し湧別畜産農協設立。
札幌冬季オリンピック開催。
沖縄の日本復帰実現。 児童手当給付法施行。
連合赤軍浅間山荘事件。
48 1973 川西小学校を湧別に統合小学校64年の歴史を閉じる。
第1回川西大運動会開催。
井上宏ホルスタイン牡仔牛飼育をはじめる。
スクールバス運行。 統合小学校開校。
中央公民館落成。 「湧別音頭」制定。
サロマ湖内に流氷入り被害出る。(カキ、ホタテ)
石油危機で物価狂乱。 第4次中東戦争。
田中内閣列島改造論発表。
ロッキード事件。 田中首相辞任する。
49 1974 バルククーラー全戸導入。 タンクローリー集荷始まる。
湧別麦生産組合設立(組合長佐々木吉一)
優良種牝牛導入開始川西輸入牛9頭導入。
川西中央機械利用組合設立(組合長原田繁雄)
パイプラインミルカー初導入(友沢)
町営バス(湧別ー登栄床)運行。 物価狂乱加速する。(前月比20・4%)
50 1975 学校林町に売却する。
乳牛全道共進会に本間義麿3位入賞。
川西地区総合土地改良促進期成会設立。
バンクリーナー・初導入(伊藤務)
老人(75歳以上)バス利用料無料化。
武道館及郷土館新築落成。
新幹線博多まで開通。 沖縄海洋博覧会。
米ソ宇宙船ドッキングに成功。
51 1976 営農用水施設事業始まる。
ビート受入土場1線に変りトラック出荷に変わる。
4線より湧別大橋まで歩道できる。
町体育館落成。 湧別大橋歩道完成。
スクールバスの一般乗合の混乗許可。
湧別常設保育所竣工。
道庁爆破事件。 道内交通事故死日本一。
鹿児島で5ツ児誕生。
ソ連のミグ戦闘機函館に強行着陸。
52 1977 農業研修センター落成。(東地区)
町民運動広場造完了。
有珠山大噴火。 道東北に大寒波。
米ソが2百カイリ水域実施。
53 1978 湧別町乳牛1万頭達成記念に中原英二表彰される。
川西地区営農用水利用組合設立。
役場新庁舎落成。 乳牛1万頭。
肉用牛3千頭達成記念。
日中平和友好条約調印。
初の国産衛星ひまわり打上に成功。
54 1979 農事組合第5と第2が併合する。
農協ヘルパー制度開始安心して家を空ける事が出来る様になる。
湧別町森林組合経営破綻。
かおる保育所竣工。 町葬祭場完成。
秋鮭空前の大豊漁。 ソ連アフガンに進攻。
朴大統領暗殺。 東京で先進国首脳会議。
55 1980 営農用水施設工事完了。 (水問題解決)
馬の姿川西から消える。
生乳の生産調整始まる。
乳牛経済検定組合(川西・西湧)解散。
バロー小学校統合校舎落成。
湧協新事務所及び漁村広場完成。
北海道鉄道百年。 衆参議員同日選挙。
空知川原で5百万年前の大化石発見。
56 1981 農事組合併合(中央と西湧) 川西第1農事組合となる。
共済組合湧別家畜診療所閉鎖。
町乳牛検定組合設立(事務所芭露)
森林組合発足。 町営プール完成。
湧別川氾濫する。
低温と豪雨で本道被害。
モスクワオリンピック(日米欧ボイコット)
57 1982 町開基百年行事参加、(マラソン大会2位) 開基百年記念式典。 町民憲章制定。
町民憩いの広場記念像建立。
日航機墜落(5百余名死亡)
ホテルニュージャパンの火災。
58 1983 羽田宏湧別町長になる。(1期)
伊藤誠司議会議長となる。
湧別町百年史発刊。
市街地区に老人寿の家落成。
清水清一町長急死。
大韓航空機墜落事件。 中川代議士急死。
ラングンで韓国要人爆死。
ロスアンゼルオリンピック大会。
59 1984 川西開基90周年記念自治会運動会。
農業機械技術者協議会解散。
ビート出荷業者トラックによる。 畑から直送となる。
国鉄民営化問題具体化する。
渚滑線相生線廃止。
ガンジー首相暗殺される。
60 1985 老人寿の家新築落成。
ビート計画生産となる。
道営草地整備事業完成。
ビート一貫した機械化作業となる。
豊かな海づくり全国大会。(登栄床にて)
皇太子・皇太子妃来町。(豊かな海づくり)
湧網線廃止。
青函トンネル開通。
科学万博開かれる。
イラン、イラク戦争激化。
国鉄民営化しJRとなる。
61 1986 ビート糖分取引となる。
羽田宏町長当選(2期目)
道営整備事業完成祝賀会。
瀬戸大橋開通。
62 1987 国道川西3線に道路情報板出来る。 青函トンネル開業。
63 1988 国営直轄明渠排水事業完成(着工から9年)
馬頭観世音4線神社あとに移設する。
吉本正弘乳牛体格検査で川西最高得点89点牛出る。
名寄線廃止となる。 泊原発営業開始。
昭和天皇崩御1月8日より年号平成と改元。
平成元年 1989 中央公民館川西分館新築落成。
川西土地改良工事落成。 水道組合10周年記念。
祝賀会開催される。
乳牛全道共進会で羽田剛1位獲得する。
ドイツ東西ベルリン壁くずれる。

米ソ冷戦弱まる。 天安門事件起こる。
1990 湧別町麦生産組合設立(前の組合は解散新たな広域組合に加入) 1号橋永久橋完成。
遠軽地区農業共済組合設立。(7ヶ町村)
消費税導入する。
イラク、クウェート侵攻する。
1991 羽田宏町長3選する。(3期目)
雹害(6月2日)甚大なる被害(秋蒔小麦全滅)
乳牛の値下がる。
上バロー小学校閉校する。 ソ連人工衛星に日本人初の搭乗。 (秋山報道員)
国連、多国籍軍イラクを攻撃。(湾岸戦争)
ソ連解体共和国となる。
1992 春から天候不順・台風大雨で水害となり農作物不良の年。
20回記念自治会大運動会。
町の振興資金でグランドを整備する。
町開基百十年記念マラソンソフトボール。
雨害。 大洪水あり。(バロー)
バルセロナオリンピック大会。
PKO法成立。
アメリカ宇宙飛行士に毛利衛初搭乗。 1週間宇宙遊泳を体験する。
1993 開基百年記念行事行う。
記念碑建立。 記念誌発行。 祝賀会式典。
カンボジアの選挙が行われた。
総選挙自民党過半数を割る。
非自民党政権誕生。

編集後記                             topへ戻る

 平成2年3月9日の自治会定期総会に於て、開基百年記念事業が決定され、準備委員会が発足し種々検討されて、7月13日に臨時総会で記念事業として、記念碑建立、記念誌発行、式典、祝賀会等の日程が平成5年9月12日と決定され、実行委員会を組織し郷土史を発行する事になり、思案するひまもない中に編集委員会が構成され、委員長を仰せつかっていました。
 私達の現在は歴史の大きな流れの中のひとこまに過ぎない。 遠く百年の昔、うっそうたる原始林に開拓の一鍬が下され、川西が現在の楽土となるまでの歴史はそのまま北海道開拓に通じる。
 幾百年もの原始の林に立ち向かった父祖の姿を想像する時、今にしては思いも及ばぬ開拓の苦難、厳しい気象条件での生活に、望郷の思いに星空を仰いで故郷を恋しく思ったと「小川清一郎翁」の手記にありました。
 私共9名が思いも掛けぬ編さんの大役を仰せつかり、発刊をしなければと決断をしたが、素人ばかりの集まりとて事の重大さに困惑した。
 幾度となく会合を重ね、一世紀に余る先人の労苦と貴重な業績を正しく後世に伝える為、どんな内容にしたら良いのか、記念誌と言う冊子のどの様にして作製したら良いか。 委員全員で考えた結果、指導して頂ける人が居ないのでは手順も、資料集めも出来ない。 さて指導をお願いするには此の人にと言う事になり、現在は町役場を退職され遠軽町在住の木下正徳氏に白羽の矢を立てた。 木下さんは町に在職当時に湧別町百年史の編さんにあたり、事務局員として多くの委員さんをまとめて編さんに当られ、立派な町史を発刊して居ます。 退職後も株式会社西村組の社誌を編集し発刊され、最近では錦町の土井重喜氏の伝記を執筆、発刊されている事を聞き、早速高桑氏と遠軽の自宅に訪問して、川西自治会の開基百年事業として記念誌の発刊の話をして内容についても欲張った事、現代的に歴史の積み上げだけでなく、郷土の歴史と共に文学的な内容を持ち、堅苦しくない記念誌にしたい、と話しをしましたところ、再三辞退されましたが最終的に承諾頂き委員全員で喜びの気運が盛り上がり、最大の努力を誓い合った。
 目次の組立方、年表の作成方法、資料の収集等について何回も会合を持ったものの、具体的な進展のないまま、あせりに似た思いに悩まされている中に農繁期に入ってしまいました。 もう1,2年早くこと仕事を手掛けていたらという思いにかられ、仕事の難しさがしみじみと痛感され 「どうしてこんな難事業を容易に引き受けてしまったのか」 と悔やまれたのも此の頃だった。
 数ヶ月を経た時に、木下さんが記念誌編集企画書(平成3年2月から5年8日迄)の詳細にわたる企画書を作成して下さった。
 第一に発行の趣旨。 第二に企画として編さん委員会の設置。 委員が担当すべき分野。 第三に史誌発刊基本構想(発行部数、予算、進行予定表等)。 第四に記念誌製作予定表。 第五に執筆要領。 第六に準備すべき資料。 第七に頁数割付の頁数の概算。 第八に仮目次。 第九は製本仕様の概要。 以上の様な企画書をいただき以来、古老を訪ねての取材。役場、教育委員会、農協、普及所等の協力を得て資料集めに専念した。
 委員会を三部門にし(行政、産業経済、社会文化教育)部門3名ずつで編成して、それぞれ資料の整理、執筆等の作業に没頭した。 特に社会文化教育部会長高桑武さん、産業経済部長の宮本尚明さんにはご指導を下さる木下さんとの執筆についての打合せ等、御苦労を掛けました。
 又ここでも日頃の勉強不足が露呈して私の力不足、筆力不足をいやと言う程、感じさせられる始末だった。
 古い時代の事を正しく後世に伝える事のむずかしさを、思い知らされる事になりました。
 農作業の合間に印刷会社と打合せに走ったり、そんな日々が夢中の中に流れて、どうにか脱稿出来る見通しがついて見ると私は、委員長というだけで本当に委員の方々は大変だったと思います。
 こうした中に現在東京在住で、川西で生まれ小学校6年卒業された宮田慶三郎氏に(郷土の思い出)について原稿を依頼し、私が上京した折にお逢い致し、記念事業の計画をお話をしたところ、大変喜ばれて記念誌発刊は大変な事業であり、お金もかかると言われて二度も高額な寄附を寄せられた。 私共は此の貴重な厚意に感謝し、実行委員とも協議して本書発刊の資として使わせて頂き感謝の意を表したいと思います。
 最後になりましたが、多忙な家業の中、編集に御協力下さった委員の方々並びに数多くの貴重な資料、写真等を提供して下さった方々に心から御礼申し上げると共に、執筆作業中編さん委員一同全くの素人、前途暗たんたる中に、鋭意一年余の長きに亘り専門的立場から木下さんには校正、校閲、補作の全般に亘ってアイデアを加えた編集をされ、多大な協力を頂きようやく稿を終える事が出来、更に高桑氏の写真提供・小川征和氏の挿し絵に協力等、あらためて深くお礼を申し上げる次第です。
 今滋に稿を終るに当り時間的制約があったとは申せ、期待に副いえなかったと思いますが、今日の繁栄の礎となられた先人の偉業を讃え、川西一世紀の節目として、今後の発展の上に大きな契機となります様、心から祈念して編集後記とします。
 
 平成5年4月                   編集委員長  高 久  喜三郎