Peaceful Days -11
祭りまであと二日と迫れば、少々”訳有り”で集まったバンドのメンバーでも、それなりに練習に熱が入ってくる。
それぞれが学内でも注目を浴びる人物だけあって、プライドと努力は惜しまないタイプなのだろう。その証拠に、ここ数日は放課後は全員が集まり、かなり熱心な部類で練習をしている。ただ、元々弾ける幾つかのカバーを選曲しているし、曲を繰り返すことで仕上がりのグレードを上げているだけなので、他の出演者たちよりも、かなり余裕があるのも確かなのだが。
何度目かの通し演奏が終わり、ほぼ満足のいく仕上がりを誰もが感じた頃、勝也がタイミングを見計らったように、他のメンバーへとさりげなく告げた。
「今日はもうそろそろ終りにしません?」
誰とも無く見た壁掛けの時計の短針は、そろそろ7の位置を指そうとしている。
いつもなら、あと一時間は練習をするのだが、京を除く全てのメンバーは承知したように頷いた。
「そうだね。今日はこのくらいにしておくか」
「うん、月乃くん少し辛そうだし」
「……え」
大丈夫という意味で、京は慌てて首を振ったが、いつの間にか隣に立っていた勝也に、「いいから」というように止められてしまう。
「先輩もこう言ってくれてるから、今日は帰ろ」
手際よく京の上着を持って来られ、成り行きで受け取ってしまう。
「特別に今日の片付けはやっておいてやるよ」
「後輩思いの僕たちって、なんて優しいんだろうねー」
「でも……」
手伝う、と床を這うコードを手に取る京を制して、三年生の一人がニッコリと笑う。
「本番頑張ってもらうから、今日は無理しないで休んだほうがいい」
「……」
体調を気遣う言葉に、思わず動きが止まってしまう。誰にも言わずにいたが、朝から微熱が出ていて、少し身体が辛かった事を気付かれてしまったのだろう。京は申し訳なくて俯いてしまった。
「ごめんなさい」
こういう時、弱い自分が不甲斐なくて、京はどうしようもない気分になる。
「あぁ……月乃くん、違うから。そんな顔しないで」
顔、と言われて、咄嗟に持っていたコートで、俯いた顔を更に覆い隠してしまう。これ以上情けない顔を見られたくなかった。
「か……かわいいなぁ」
「うんうん」
勝也にヨシヨシと宥められるように肩を優しく叩かれ、戸惑う。
次々にかけられる言葉が、マイナスをイメージするものではなくて、更に困惑してしまった。
「…………」
「気にしないで。嬉しいだけだから」
クスクスと笑う上級生たちに悪意は感じなかったが、だからといってどう対応すればよいのか解らず、京は困ったまま勝也に助けを求めた。
ニッコリと微笑まれ、大丈夫と頷かれる。
「あんまりからかわないでくださいねー」
「からかってなんかいないよ」
「うんうん」
穏やかな笑い声が室内に響き、勝也がすべて解った顔で帰宅の挨拶を口にした。
「行こう、京」
当然のように鞄を持っていかれてしまい、どうしようかと前後を振り返りながら悩む。
「大丈夫だから、気にしないで」
普段あまり愛想の良くない二年の先輩までにも、微笑みとともに言われてしまい、京は少し悩んだ末に、すみませんと頭をさげた。
「京くん、また明日ねー」
「明日ー」
それぞれに手を挙げてヒラヒラと別れの挨拶をくれた上級生たちに、京も同じように手を振って応える。
「また……」
もう一度小さく頭を下げ、先を行った勝也を追うようにしてドアを潜った。
京達を見送った後、残された上級生たちは練習を再開するわけでもなく、かといって帰る気にもなれないのか、のんびりと会話を楽しんでいた。
男子校という男ばかりの閉ざされた空間の中で、可愛い子や綺麗な容姿を持つ人物に人気が出るのは仕方の無い事で、特に無垢で幼い一年生に目が行ってしまうのは、どうにも止められないものらしい。
特に「何か」を期待する訳ではないのだが、男という生き物の大半は、常に弱いものを守りたく、且つ良い所を見せたいという本能が働くもので、少しでも好みの可愛い子が居れば、チヤホヤしてしまうものなのだ。
大体しばらくすれば、入学時には小さく愛らしかった子も成長して男臭くなり、儚き夢はたちまち打ち破られてしまうのだが、たまに愛らしいまま数年を過ごす生徒もいる。こういった場合、不幸な事に、シャレであるべき倒錯の甘やかしを、変に勘違いする者も少なくなく、今ここに集まっている彼らは、総じてその手に関わる人物たちを苦手としていた。
そんな中、京は特別ともいえる、独特の雰囲気を持つ少年だった。
いつまでも小柄で、二次性長期の気配さえ見せない少女のような容貌は、男子校の制服のお陰で辛うじて男と周知させるもので、私服でも着られた日には、恐らくどちらか悩むものも多いだろう。そのくせ妙に大人びた空気を纏い、人を寄せ付けようとしない。なのに不思議と彼自身は傲慢ではなく、ほんの時折、取り残された迷子のような寂しさを漂わせるのが、たまらないらしい。
放っておけないのに、近寄れない。
その矛盾する雰囲気が、京が周囲に与える印象だった。
「京君はいいね。厭味が無い」
普段あまりこの手の話をしない、三年の一人がポツリと言った。
「俺もあの子は可愛いと思うね」
一際華やかな容姿を持つ、もう嵯峨という三年も同意する。
「最近、特にいいよね」
「あの懐かない感じが、ちょっとずつ慣れてくる快感っていうのか」
「うんうん」
「最後のみた? バイバイだって」
「か〜わいねぇ」
クスクスと笑う声が重なった。
「勝也は役得だな。ずっと一緒なんだろ?」
「まぁな。でも俺らも役得だってさ。皆に羨ましがられちゃったよ。……最高だね」
「そりゃそうだ」
人見知りの激しい不器用な下級生を見守る、優しく楽しげな声が、音楽準備室を満たした。
すっかり暗くなってしまった帰り道だが、通学路になっているので外灯は多い。
車の往来も途絶えた静かなアスファルトの道路に、二人分の足音が微かに響いた。
「勝也」
チリン……とベルを鳴らして、自転車が通り過ぎてゆく。後ろからも誰かの話声が聞こえてきて、きっかけは霧散してしまった。
「ん? なんだ、やっぱり具合悪いか?」
「ううん……違う」
「どしたー?」
優しい瞳を向けられた京は、少しの間、勝也の顔を見つめていたが、小さく息を吐いて、なんでもないと首を振った。
声をかけてはみたものの、なんとなく気がそがれてしまい、アメリカ行きの話をする気になれなくなってしまったのだ。
「このお祭りが終ったら……」
話す。そういう意味で答えると、「そうか」とだけ返事が返ってきた。
いつものように頭を撫でられる。
焦らなくて良い。そう言ってくれる無言の優しさが伝わってくる。
勝也のこういうところが、京はとても好きだと思った。
祭の初日は、秋晴れの晴天。
これから二日間の日程で、京たちの通う学園最大の祭りが始まる。
「これここの、音楽準備室の鍵。人数分あるけど、祭りが終ったら職員室に全部返却することが決まってるから、なくさないようにな」
朝一番、勝也に教室で呼び止められて渡されたのは、なんの変哲もない銀色の鍵。だがこれは、京の安全を確保してくれる場所だ。
「そんな心配そうな顔するなよ」
「う……ん」
そうはいっても少し難しいと、まるで怖いものをみるように、京はぎこちなく視線を窓の外へと向けた。
「うはぁ……、もうあんなに人いるのか」
あたま一つ以上小さな京の肩越しに窓を見やった勝也が、呆れたような溜め息を吐く。
「……うん」
時間になれば、門の外に既に並んでいるあの大勢の人達が校内に押し寄せてくると思うと、正直気鬱だった。
勝也にもそんな京の不安は伝わっているのだろう。大きな手が背中を支えてくれる。
「多分最初だけだよ、あんな大勢が一気に駆け込んでくるの」
「……ん」
「少し落ち着くまで、一緒にいてやるから」
「……ありがと」
ただでさえ京はとても小さく、そして細い。杞憂かもしれないが、暴走する集団に囲まれてしまったらと思うと、多少の覚悟はしておいて間違いは無いだろう。
「なるべく傍に居るようにするから」
いつものように頭をぽんぽんと撫でられ、京は小さく頷いた。
「控え室に、飲み物と食べ物、それなりに置いておいたけど、特別に何か欲しいものあるか?」
「……」
髪が左右に揺れる。
何を用意されても、身体が受け付けてくれそうに無かった。
「水を沢山、ペットボトルで用意してあるから」
京を良く解ってくれている勝也の言葉に、ようやく白い頬に笑みが淡く浮かぶ。
お礼を言った丁度その時、頭上で大きな花火の音が響き渡り、祭り開始のアナウンスが重なった。
「よーし、始まったな」
眼下では、教師たちの手で、ゆっくりと門が開かれてゆくのが見える。
まず先頭になって小走りに中へと入ってくるのは、京や勝也と同じ年頃の少女たちだ。なにが嬉しいのか、キャァキャァと歓声を上げるだけでなく、ぴょんぴょん跳ねている子もいる。その後、他校の生徒や父兄たちがぞろぞろと続き、普段静かな敷地内は一気ににぎやかになってゆく。
「もう少ししたら、ぐるっと一回りする?」
「……うん」
大騒ぎがあまり好きではない京だが、目的のあるこういった祭り特有の浮き立つ気持ちが、まったく解らない訳ではない。この日のために、学内全体が準備し、皆が頑張ってきたのだ。水を差すつもりなど毛頭無かった。
「途中ちょっと手伝いがあるから離れるけど、その時一人だったら、あの部屋に行ってろよ」
京は勝也の広い背中に守られるようにして、賑わう教室を出た。
廊下は既にお祭りの高揚感に満ち溢れている。
京たちのクラスは学年の控え室になっているので、催し物などはしていないのだが、他の教室は模擬店や出し物の飾り付けで華やかだ。
一つ一つ覗き、観て廻る。商業施設と比べれば悲しいほどお粗末な世界だが、それぞれが真剣に作り上げた手作りの成果と思えば、素晴らしく見えてくるのが面白かった。
盛り上がる祭を楽しみながら、時折控え室やあの空き地で休憩を取り、京は無事祭りの一日目を終えた。
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