◆to Peaceful Days TOP
◆to MoonlightPalace
Peaceful Days -10

Peaceful Days -10

 残暑も影を潜めたのか、夕方には涼しい風を感じるようになり、徐々に過ごしやすくなってきていた。
 京達が通う学校では、世間一般で言う学園祭に当たる祭行事の準備が始まっており、放課後になると、どこか浮かれたような、楽しげな空気が漂ってくる。
 伝統的なお決まり参加が割り振られているのは二年生からで、京たち一年生は、特にクラス単位で活動する事は無い。学年に関係なく、有志が集まって何かする事は大歓迎されるが、それ以外の生徒は、単純に上級生たちの使いっ走りをするようだ。
 多くは上下関係がはっきりしている、クラブ活動に所属している生徒たちがメインになり、祭りを盛り上げてゆく。委員長体質の勝也も、ここぞとばかりにあちこちに引っ張り出され、なかなか忙しそうだった。
 反対にクラブ活動も何もしていない京は、楽しそうに準備をしている多くの生徒たちから完全に乗り遅れ、少し離れた所からぼんやりと眺めているという情けない状況だ。
 まめな勝也は、暇そうにしている京にも、何か参加させようと考えてくれているようだが、出来る事はまず無いので、本気だろうかと首を傾げてしまう。勿論手伝える事があれば、断る気はないし、役に立てるものならたってみたいとも思うが、既にほとんどの役どころが決まって動き出している流れに、入る隙は無さそうだ。
 今日は学校の帰りに、母の病院へ行こうと考えていた。学園祭の準備を手伝っていたら、こんな身勝手もし難いので、これはこれで良い様な気もする。
 近くに居たクラスメイトに軽く挨拶をして、学校の外へと出ると、冷たい風が一瞬頬をかすめた。制服に溜め込んだ温もりが、一瞬で吹き飛ばされ、ヒヤリとした冷たさが身体を包む。
 こんな時は、風邪を引きやすいので、家で大人しくしていたほうが良い事は京にも解っている。だが、今朝雪塚から聞いた話を直接母に確かめたくて、いてもたっても居られなかったのだ。
 多少の不調の誤魔化しは慣れている。だから大丈夫。微かに疼く不安を押し隠すように、そう自分に言い聞かせ、京は病院への道を急いだ。


 小高い丘の上にある、清和台総合病院。ここは京の母親の病気をずっと診ていてくれている、主治医が居る病院だ。京もあの事故からしばらく、入院していた事がある。
 主治医の清田は五十代の穏やかな感じの人で、母の病の治療に関しては、日本で三本の指に入るという専門の医師だ。京の両親もこの主治医には全幅の信頼を寄せていて、難しいと言われていた今回の手術の執刀も、清田が担当してくれるというので踏み切った。
 外来用の玄関から少し離れた、入院患者専用の入り口から入り、母親の病室へと向う。女性病棟らしい淡い桜色のドアをノックをすると、柔らかな声が返ってくる。そしてそのドアを開けてくれたのは父親だった。
「お、来たのか」
 嬉しそうな父親の顔に、京はコクリと頷いた。
「お母さん退院できそうだって、雪さんから聞いたから」
「そうなの」
 嬉しそうな母親の顔が、本当なのだと教えてくれる。よかった、と肩の力が抜けた。
「こら、まだ本当の退院じゃないんだから、無理はだめだぞ?」
「もう……解っているわよ」
「ならいいが」
 息子を前にして、心配する父親の声がどこまでも甘く、なんだか当てられてしまいそうで、こちらが照れくさい。けれど、今気になる事を言わなかっただろうか。
「……完全な退院じゃない?」
「そうだ」
 ゆっくりと息を吸い込みながら、父親が低く答えた。まるで自分に言い聞かせるような慎重な響きに、得もいえぬ不安が押し寄せてくる。
「……え?」
 聞き返した声が震えていた。
 一度聞いただけでは覚えられないような長い病名。手術の事例が非常に少なく、完治の可能性が極端に低い難病と言われる病。
「大丈夫。治るから」
 母の白い顔が微笑む。
「負けていられないもの」
 ね、と京の手を取り、しっかりと握られる。
「でも……退院って」
 そう聞いたのに。
「今夜、都も一緒にと思ったが、今……、話そうか」
 近衛は、京を沙耶のベッドの端に座らせ、自分は傍にあったパイプ椅子へと腰を降ろした。京の手は沙耶に握られたままだ。
 父親の口から、母親の詳しい病状や、これからのこと。そして再発の危険性。それぞれが、慎重に言葉を選んで語られてゆく。
「母さんの病気の第一人者と言われている医者が、今、……アメリカに居て、清田先生から、直接紹介してもらえる事になった」
 その言葉の意味は、深く考えるまでも無い。
「私は、出来るだけのことをしたい。少しでも良い治療を受けさせようと思っている……。母さんも、治る可能性が増える事に期待しているし、今後、その方向で動こうと思う」
 想像したとおりの言葉を告げられ、京はコクリと頷いた。
――でも、でも……。そうしたら。
「こんな、私たちの都合で京たちを振り回すのは、……本当に申し訳ないと思っている」
 父、近衛の言葉が図りかね、取り残されるような不安が胸を締め付ける。
 またバラバラに暮らすのだろうか。また離れ離れになるのだろうか。また一人に……なるのだろうか。
「京も、一緒に行ってくれるか?」
「え……?」
 驚いて母の顔を見ると、微笑んでくれた。父も頷いてくれる。
 母親の優しい温もりと、父親の大きな手から伝わる安心感。
 断る理由など、ある訳が無かった。

   授業を終えた京は、帰り支度をしながら、姉の都と父との三人で話をした昨夜の事を思い出していた。
 母親の退院は、もうすぐ可能だということ。ただそれは、完治としての退院ではなく、次の手術の為の準備期間であることは、忘れてはならいと念を押された。
 これから数ヶ月を準備に費やし、冬になる前に渡米する。
 現在大学院へ行っている姉は、休学して向こうの大学へと入りなおすつもりらしい。気になる研究があったので、渡りに船だったと喜んでいるのが流石だ。
 当然、京も転校という事になる。この場合、書類が通れば、日本に戻る前の学歴のまま、ハイスクールへ編入という形が自然だった。父親だけは、完全にアメリカへ移る事が仕事上無理なので、必要に応じて行き来をする事になる。
――またアメリカへ行くのか。
 ぼんやりとその状況を想像して、ぽっかりと幼馴染のジェームスの顔が浮かんだ。
 思わずフルフルと頭を振って、太陽の下で厭味なほど快活、且つ爽やかに微笑む彼のイメージを追い払う。
「どうした?」
 はっとして振り向くと、見上げるほど背の高い友人が視野に入った。
「あ……」
「どうした?」
「……ううん」
 突然、彼とも離れてしまうのだと気付く。
 折角仲良くなれたのに。そう思わないわけではないが、不思議と寂しい感情が沸いて来なかった。勝也とは既に、時間や距離などがあまり関係ないくらい、身近なものになっているからかもしれない。
 極端に急ぐ話題でもない。この話は今度、勝也が家に遊びに来た時にでも話せばいい。だから今はなんでもないと、そう答えた。
「ほんとに?」
 疑うような顔で見つめられたが、少し微笑んで、大丈夫と頷いた。
「そうか」
「うん」
 珍しく京が笑った事に安心したのか、勝也も精悍な顔を綻ばせる。
「……あ、そうそう。京ってピアノ弾けたよな?」
「?」
 突然の話題にどう応えてよいか解らず、京は首を傾げた。
 確かにそれなりに弾く事は出来る。勝也にも何度か戯れ程度に聴かせた事があるが、今されている質問の意味と、どう繋がるのかが解らない。
「生徒会と学祭実行委員会関係で、バンドする事になったんだよ」
「バ……、バンド?」
 そう。と、勝也があまり乗り気ではないような風で、肩を竦める。
「ドラムとギター、ベースは居るんだけど、キーボードが見つからなくてさ」
「はぁ」
「京にやってほしいんだけど」
「は?」
 もう一度言う? そう言われて、京は慌てて首をふった。
「バンド……って、キーボードなんて居なくてもいい様な……。それに、この学校だったら探せばそれなりに居そうだけど……?」
 一応手伝える事があれば……とは考えていたが、あまり目立つような事はしたくないと、そう言う意味をこめて言ってみたが、勝也がそれを知らない訳がない。ましてや、京が嫌がることを、無理に押し付けることも無いだろう。という事は、なにか彼なりの理由があるのかもしれない。
「うん。だから京に声かけてみた」
「……俺、生徒会とか全然関係ないのに?」
 当然の質問を返してみる。
「主催って事で、体裁が整えばいいんだよ。それに、メンバー的に訳アリばっか集めるから、あんまり無差別に声もかけられないし、基本的に上手い奴じゃないとダメ」
 何気に気合を入れている所を見ると、勝也はこの「バンド」に対して、結構真剣に取り組んでいるらしい。最初乗り気に見えなかったのは別の意味があるのだろうか。
「ワケアリってなんだ……?」
「あー。まぁ見れば解るよ」
「……?」
「今度、メンバーに会わせるから、それで決めてもらってもいいし」
 京の性格を知っている言葉に、思わず苦笑が漏れた。
 ピアノは小学校に上がる前から習っていたが、自分では趣味の手慰み程度で、それほど上手とは思っていない。それでも良いのか? と聞くと、初見でそれなりに弾けるくせにと笑われた。
「やってくれる気になった?」
 普段世話にばかりなっている勝也の、少しでも役に立てるなら。そう思って頷いた。
「ありがとう」
 ぽんぽんといつものように頭を撫でられ、なんだかいつもより照れくさい。
「勝也のパートは?」
「…………あー」
「?」
 珍しく歯切れの悪い勝也に、京は首を傾げた。
「ギーターと」
「と?」
「……………………ボーカル」
「うわ」
 似合う、と京は笑った。その他のメンバーの名前を聞くと、京でも学内で名前を聞いた事があるような”有名人”ばかりで、勝也が不足パートを迂闊に誘えないと言った意味が解ったような気がした。
「おっと、時間ない。また詳しい話はあとでするよ。明日の放課後、空けといて。メンバーと顔合わせだから」
「うん」
「じゃな!」
 ばたばたと、忙しそうに走り去ってゆく広い背中を見送りながら、京は改めて自分の身に起きた珍しい事態を、他人事のように受け止めていた。


 祭りの準備へ向けて忙しく動き廻る勝也と、なかなかまとまった時間が取れない京は、個人的な話をする機会が持てないまま、時間だけが足早に過ぎていった。
 京が加わる事になった「バンド」は、一年が勝也と京の二人。二年生が一人と、三年生が二人。どういった関係で集まったのか、はっきりした事は解らない。だが全員、京でも名前を聞いた事があるような、割と有名な人物である事は確かだ。
 知らない人を避ける傾向にあり、更に他人の顔をおぼえるのが不得手な京だったが、いい感じに個性的な彼らは見た目どおり気さくで、ぎこちなくしか接する事の出来ない京に対しても、鷹揚に接してくれた。
 何より、思ったよりも練習時間は少ない事にほっとした。その割りに元々上手いメンバーが集まっているのか、端で聴いていても危なげはなく、それなりにまとまりがあるのが面白い。
 ドラム、ベース、キーボード、そしてツインギターの五人構成。ギターの一人が勝也で、ボーカルを兼ねている。
 どうやら彼らの会話を聞いていると、無理矢理勝也に押し付けたという感じだった。
「どうして?」
 そう聞くと、勝也が肩を竦める。
「さぁ、一番年下だから……かな」
 窓際でギターのチューニングをしていた、三年の一人がクスクスと笑いだす。
「……?」
「お祭りだからなー。舞台に上がっている間は、色々安全なんだよ」
「??」
「解んない?」
 本当に解らなかったので、素直に「うん」と頷く。
「いい意味でも悪い意味でも、ここに居るやつらは目立つんだよね。本人の意思関係なく」
「嵯峨チャンなんて、もうモテモテで……」
「やめろよ……」
 本気で嫌がっている風の三年生の一人が、頭を抱えるように項垂れる。
 どうやら彼は、本命の彼女が居るにも拘らず、他校生の少女たちから熱烈なアピールを浴びせかけられている存在らしい。
「隠れていると、余計エスカレートするからなぁ……」
「完全に隠れられるわけじゃないしね」
「”鬼ごっこ”状態とか最悪」
 あぁ……と、昨年のことを思い出したらしい上級生が顔を曇らせる。彼は去年、言葉では言えない様な目に遭ったようだ。
「そう。だから、参加することが公表できて、且つ適当に”顔見せ”が解ってる状態じゃなくちゃダメなんだよ」
 そのための舞台なのかと驚く。
「なんか……すごい」
 唖然としたように京が目を見張ると、他のメンバーたちがクスクスと笑う。
 何が可笑しいのかと勝也を見ると、「本人自覚ないし」と笑われる。
「京も安全だよ。後夜祭まで大義名分付きで控え室確保したから。そこ、お祭り開催中は関係者以外立ち入り禁止」
「あ……」
 解った? と悪戯っぽく微笑まれる。
「普段はなんとかなるけど、祭りの最中はね。……特に後夜祭は、結構皆箍外れてヤバイって聞いたし」
 あの更衣室での出来事のような事が起きないように。仮に何かが起きても、安全に逃げこめる場所を作ってくれたのだと解った。
「もう解ったと思うけど、ここのメンバーも、理由はそれぞれ違うけど、煩わしいのから逃げたい奴ばっか」
「そうでもなきゃ、目立つ役どころを俺に押し付けたりしないで、他のとこみたいに全員ボーカルやりたがるって」
 もう二組いるバンドたちの事を指して勝也が笑うと、他のメンバーも同じように笑った。
「学園祭って……そんなに危ない……の?」
 その手の祭りは経験がない。人が沢山来るという話は聞いていた。だが、身の危険まで想定するなど、考えても居なかった。
 大丈夫。と大きな手に頭を撫でられる。
「脅してごめん。なんというか、そうだなー……大体は、普段は入って来れない女の子たちが、キャーキャー騒ぐ程度だよ」
 耳に馴染まない黄色い声を思い出し、京は微かに身震いする。
「でもさ、……安全に越した事はないし、もし俺の見てないところで何かあったら、本気で嫌だから」
「……ごめん」
 役に立つつもりで居て、結局はお荷物だった事に気付かされる。
「あ、もしかして、また迷惑かけたとか思ってる?」
 図星を指されて、京は困ったように下を向いた。
「それは違う、信じてよ。キーボードが見つからなかったのも本当だし、京をこのバンドに入れたかったのも、メンバー全員の希望だからさ」
「……?」
 訝しげに勝也を見ると、ニヤリと笑われる。
「京を連れて来れるかもって言った時の、先輩たちの喜んだ顔。そりゃもー傑作だったぜ?」
「……??」
「勝也、よくやった!! って思わず褒めちゃったよ」
 褒めるなんて意地でもしたくなかったのになーと、メンバー唯一の二年生が悔しそうな顔をする。
「そうそう」
「な? 京が入ってくれて、みんな大喜び」
 喜ぶ理由が解らず、京は困ったまま首を傾げた。

BACK | NEXT