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Peaceful Days -3

Peaceful Days -3

「これこれ」
 小園が京の目の前に、何かの雑誌を広げて見せた。ぴっ!と元気よく、人差し指がページの一部を示している。
 この子がなんだっけ、としばらく考えた。見た事があるような無いような、曖昧な記憶を手繰り寄せてみる。小園に指差された少女の隣に立つ、数人の女の子たちが皆同じ格好をしているので、この本が芸能誌で、彼女たちが”りぼんガールズ”のメンバーだとようやく解った。
「やっぱ 似てるって! 特にこの角度っ。一番月乃に似てる写真持ってきたんだぜ?」
 な? と駄目押しされ、もうひとつ思い出した。ミサキは自分に似ていると言われた女の子だ。
「え……?」
 どう見ても似ていない。第一髪の長さが違うし、彼女の色は明るい色に染められている。
「目が一番似てるなっ」
 何故か嬉しそうな小園に、京は小さく首を振ってやめてくれと言った。
「なんでよ? ミサキちゃんチョー人気あるんだぞ?」
 喜ばないのは変だと言わんばかりに小園が口を尖らすが、それが自分と何の関係があるのだろうか。
「なになに?」
「お、りぼんだ!」
「ユリカちゃん可愛い〜」
「ミサキちゃんだー」
「な、な、月乃ってミサキちゃんに似てるよな!」
「あ! それ俺も思ってた!」
 続々と集まってきたクラスメイトが、口々に似てる似ていないと盛り上がり始める。
「月乃のほうが可愛いとか言ったりして?」
「うわうわーそれ言っちゃうワケ?」
「そりゃねーよ。ミサキちゃんはミサキちゃんだよ」
「月乃、スカートはいてみろよ」
「化粧とかしちゃったりして?」
「ひゃー、似合いそう!」
 次々に大声で笑われ、流石にむっとした。
「……俺、男だよ」
 相槌以外の返事をはじめて聞いたクラスメイトたちは、少し驚いたような顔をした。
「すげー!喋った! しかも怒ってるっ!」
 驚きとも喜びともいえない、あさってな感想があちこちで上がる。
「ほら、こうしたらもっと……」
 グラビアのミサキが、髪を少し結い上げているのを見た一人の少年が、あまり考えもなしに、掬う様に京の髪を掴んだ。
「……!」
 突然触れられる事に慣れていない京は、大袈裟なくらい身体を引いてしまう。逃げる身体を引き戻そうと思ったのか、それとも単純に放せなかっただけなのか解らないが、髪を掴んだ少年に引きずられるような形で、バランスを崩した京は椅子から落ちてしまった。
「ごめん! 大丈夫か?」
 慌てた様子に、取り合えず平気だと頷くと、覗き込んできた少年の顔が何故か赤くなる。それよりも、はやく上から退いて欲しいと思っていると、突然腕を掴まれ、力強い何かにひょいと助け上げられた。
「昼休み、もうすぐ終るよ」
 静かで落ち着いた声が、頭の上から降ってくる。三池勝也だ。
 また助けられてしまった。そう気がついて礼を言おうと思った時にはもう、彼は自分の席に戻ってしまっていた。 


 増改築を繰り返した古い校舎は、誰にも忘れられた小さな空間を上手に作り出すようだ。
 京が偶然見つけた小さな空き地もそのひとつで、煩い教室からコッソリ隠れられる、安全な避難所になっている。
 アイドルグループの一人に似ていると噂になってしまった京は、休み時間の度に無駄な注目を浴びてしまい、とても居心地が悪い。
 こんな事は嬉しくないし、大袈裟に騒ぎ立てるのはやめて欲しいと小園たちに言ってはみたが、上手く伝わらず、相手にしてもらえなかった。
 クラスメイトに騒ぎ立てられるだけでも勘弁してほしいのに、最近は同学年はおろか上級生まで顔を覗かせるようになってしまい、自分ではもう手のつけようが無い所まで来てしまった。
 授業の間の短い休みは我慢するしかないが、ここ数日の昼休みには、こっそりこの場所へ逃げ込んでいる。
 若草をそよがせる初夏の穏やかな風。
 草の上に腰を下ろし、安堵の息を吐いた。
 ここには煩わしい音がひとつも無い。
『静か……』
 極上の隠れ家である草の上に、コロンと横になる。
――ずっと見つからなければ良いな……ここ。
 そよそよと気持ちのいい風を頬に感じ目を瞑る。風の音は、どこも一緒だと、そんな事を考えた。
 しばらくすると、少し離れたところから、にゃーと声がした。
 声の主は大きなトラ猫。この空き地を見つけた時には既に居たので、ここは彼の縄張りなのだろう。
 人が入ってきたら嫌がるかな? と思ったが、目が合っても特に威嚇も逃げもされなかった。どうやら許しを貰えたらしい。
 野良らしく、体格の割には肉が薄くて身体のあちこちに傷があるが、毛並みは立派で薄汚れたところが無い。もしかしたらこの辺のボスなのかもしれないと、最初見たときに思った。
『おいで』
 声をかけると素直に寄ってくる。
 伸ばした指先に頭を摺り寄せ、甘えるようにゴロゴロと喉を鳴らした。ふと見ると、かさぶたになりたての傷が、耳の後ろに出来ている。
『また傷増えてないか?』
 野良猫は、身体を起こした京の膝に乗りながら、聞くなよとでも言うように、金色の瞳を眇める。
 ゆったりと身を預けてくる程よい重さに、自然と頬が緩んだ。天気が良くて機嫌がいいのか、猫は、長くて綺麗な尻尾の先だけをぽんぽんと地面に打ち付けている。
 しばらく黙って猫を撫でていた京が、ポツリと言った。
『明日、……母さんの入院なんだ』
 気遣うようにトラネコがナーと鳴く。仔猫とは違う低くて太い声だが、とても静かで優しかった。
 この手術が失敗してしまったら。そう思うと、先のことを考えるのが怖い。
『俺が考えても仕方ないんだけどさ……』
 ね、と猫の顔を見ると、トラ縞のかたまりがするりと膝から降り、身体を摺り寄せてくる。暖かい温もり。元気をだせと聞こえるような猫の鳴き声が、何度か優しく響いた。

「おい、大丈夫か?」
「……?」
 揺り起こされて、はっと気がつく。見回すと、周囲はすでに夕方だった。
 自分が午後の授業をすっぽかしてしまった事に気付いた京は、どうしようと真っ青になる。Jesusと呟いたところでどうにもならず、草むらに座ったまま呆然としていると、過ぎた事は仕方ないよと慰めの言葉を貰った。
「……I don't believe ……」
 あはは、と楽しそうに笑われ、困ったまま見上げると、隣いい? と聞かれた。
 彼独特のものだろうか。強引さの無い、自然な空気に惹きこまれる様に、自然と頷いていた。まだ寝ぼけているだけなのかもしれないが、近くにいても緊張しない相手は初めてだった。
 昼間の穏やかな空気を少し残して、淡いオレンジの夕日が空を染めている。
「ここ、気持ちいなー。こんないい場所だったんだな」
 秘密の隠れ家は今日で終わりかと、軽い喪失感を感じながら、京はうんと頷いた。
 ふと思い出す。そういえば、助けてもらった礼を言ってない。
「三池……くん」
「勝也でいいよ」
 かしこまらなくていいよと、穏やかな声が聞こえる。
「……勝也」
「そう。俺も京って呼ぶから」
 いいよなと言われ、うんと答えた。
「何度も、……助けてくれてありがとう」
 男らしい顔が綺麗な笑みを作る。見ている者に安心を与えるような暖かい表情。
 純粋に、いいな……と思った。
「なぁ、聞いてもいいか?」
 突然の質問にちょっと戸惑う。
「……な…に?」
「京ってあんまり喋らないよな。もしかして、日本語苦手?」
「……ぁ」
 アメリカにいたことを隠してはいないが、自分からは特に言ってない。学校では日本語を使うよう特に気をつけていたのに、こんな風にあっけなくバレてしまうなんて、何かいけない事を、見つけられてしまったような気分だ。
 そんなに自分は変だっただろうかと、思わず縋るように勝也の顔を見つめてしまった。
「あぁ、大丈夫大丈夫、責めてないからそんな顔しないで」
 気にするなと、三池は少し慌てたように手を動かした。
「そんな気がしただけだよ」
「別に、……日本語が嫌だとか、そういう訳では……ない……よ」
 けれど、英語のほうが楽だというのは事実だ。そういえば、さっき起き抜けに口から出たのは英語だった。
「……」
 なんかもう自分の間抜けさが嫌になってきた。きっとこれがクラスに馴染めない最大の理由。彼らが使う早口の日本語を聞きとり、同じように喋る事が出来たら、どこかの女の子に似ているなんて、からかわれなくて済んだかもしれない。
『京はおとなしそうだもんな』
 綺麗な英語が三池の口から聞こえ、少なからず驚いた。
「え……?」
『困った事があったら言って。英語のほうが伝えやすかったらそうしてもらってもいい。この通り、ちょっとは解るしね』
 ちょっと、というのは謙遜だろう。英語の授業でも聞かない、流暢な発音が耳を擽る。
『力になるよ』
 母国で聞く異国の言葉が、優しく心に響いた。

 特に口止めはしなかったが、あの空地が他の生徒に知られる事は無かった。
 勝也が秘密にしてくれている。そう思うと嬉しい。
 勝也とはあの空き地で度々会うようになった。他愛のない話をすることもあるが、ただ黙っている時も多い。特に気を使わなくていい相手は初めてで、そういう意味で最初は戸惑ったが、居心地がいいので思ったよりもすぐ慣れた。
 教室でも少し話をするようになった。趣味がかぶる部分があり、口下手な京にしては珍しく話が続く。話を合わせてくれているのもあるのだろうが、微妙な部分で英語が通じるというのがありがたかった。
 でも、友達とは違う。
 多分勝也は自分に”気をつけている”。そんな気がする。クラス委員だから、何か担任から聞いているのかもしれない。
 なんとなくそれが面白くない自分に気付く。
――変なの……。
 誰にも期待しない。友人など欲しいとも思わなかったのに。
――だけど……。
 あの真っ直ぐで強い瞳は憧れる。
「佐々木先生、失礼します」
 授業の途中、突然担任が顔を出した。
「……月乃、至急職員室に来なさい」
 すぅっと体温が下がる。母に何かあったのだ。この手の直感は外れてほしい時ほど的中する。
 何事かとざわめく教室を後にし、京は職員室へと走った。
 電話から聞こえてきた父親の声は、意外なほど落ち着いていたが、それだけに伝えられた内容は覚悟の要るものだった。
 受話器を置いて、思わず目を閉じた。
「月乃……」
「……早退、したいのですが」
 心配そうな顔をする担任へ簡単な事情を説明し、京は病院へと向かった。

 集中治療室の前に、一足先に駆けつけていた姉が立っていた。
 普段から気丈な彼女も、顔色を失っている。
「父さんが中にいるから」
 囁くような小さい声に導かれ、病室に入った。
 ピ……ピ……、と規則的な電子音が聞こえる。傍に寄ると、沢山の管に繋がれた母の姿があった。
 看護師が二人、常に動き回りながら様々な薬を注入したり、細々と器具を操作している。
 ベッドに横たわる母の、血の気の失せた紙のように白い肌が、薄暗い部屋の中で浮かび上がっている。それがなんだか夢の中の出来事のようで、妙に現実味が無い。
「……沙耶」
 父親の呼びかけ。握り締める手。
 手術は成功だったのに。
 このまま一度も目を開けず、母の時間は終ってしまうのだろうか。
 どうしたらいい……?
 何をすれば、また微笑んでくれるだろうか。どうすれば、再び名前を呼んでくれるだろう。どうすれば……、どうすればいいのか解らない。
 必死に考えて考えて、そして何も出来ない自分に気がつく。
 それを何度も何度も繰り返し、その度に己の無力さに絶望した。
「大丈夫。きっと大丈夫……」
 隣で小さく呟く、姉の祈りのような声が聞こえてくる。
 京も、同じ願いを心の中で何度も繰り返した。

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