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Peaceful Days -2

Peaceful Days -2

「月乃ってどこの小学校だったの?」
 突然話しかけられて、京はビクリと肩を竦めた。
「そんなにビックリするなよ。な、どこ? いつも一人でいるけどなんで? 他に知っているやついねぇの?」
 矢継ぎ早に質問され、京はどこから答えていいものか解らず、口をハクハクとさせた。
「テレビなに好き? 好きなアイドルは? 俺はさ、りぼんのコハクちゃんが好きー。あの子可愛いよねー。りぼんガールズの中ではダントツだとおもわね? 新曲もサイコー。あ、昨日のGG観た?」
「GG……?」
「ガールズ・ガーデンだよ! しらねーの?」
「あ……」
 それは観た。観るようにしたというのが正解だが。コクリと頷くと、目の前の少年はパァっと顔を輝かせる。
「え? 観た? やっぱあの番組はチェックだよな! 昨日もサイコー面白かったし。やっぱアヤカちゃんとコハクちゃんが揃うと、もうドキドキっていうか、すっげー迷うー!!」
 迷う? 迷うってなにを? 早口でまくし立てられる言葉を懸命に拾い、京の頭がフル回転する。
「な、な、お前はどっちイイ?」
「どっち……って」
 コハクちゃんはやらねーぞと、なにやら勝手に盛り上がる少年に、背中をバンバンと叩かれながら、京はただひたすら「迷うってなんだろう」と考えるだけで精一杯だった。

 その少年は小園淳一と言った。人懐っこい性格で、京から見てもクラスの中では目立った存在のようだ。背丈はクラスでも中間くらい。くせっ毛らしい髪はフワフワと揺れる程度に切られていて、時折どうみても寝癖らしき跳ねもあったりする。外で遊ぶのが好きな彼の鼻の上には、そばかすが浮いていた。日本人にしては茶色い瞳がクルクルと動き、小動物のようなイメージがある。
 この活発この上ない少年が、何故かここ数日、京に頻繁に話しかけてくる。喋りは速いが、相手が一人ならばなんとか会話についてゆけるので、自然と一緒に居る事が多くなっていた。 
「なぁなぁ、月乃ってミサキちゃんにちょっと似てないか?」
「……?」
 誰だそれは? と、聞き返すタイミングを案の定逃した京は、機関銃のように喋る小園の話を、いつものごとく黙って聞いているしかない。
 どうやら彼ご執心のアイドル”りぼんガールズ”のメンバーの一人に、京が似ていると言っているらしい。どんな顔をしていたか思い出そうとしてみたが、人の顔をおぼえるのが極端に苦手な京には、同じ髪の色、同じような化粧、同じ衣装を着た女の子たちに並ばれると、本気で誰が誰だか解らない。
 りぼんガールズは今絶好調のアイドルグループだという事は、テレビで覚えた。15人の少女たちが、歌とダンスで画面いっぱいに動き回っているのは、番組だけではなくCMにまで登場するほどの人気ぶりだったからだ。
「似てるって! チョーそっくり!」
「そうかな……」
 あまりにしきりに『似ている』を連呼されるので、京は自分に似た少女など居ただろうかと、首をかしげた。
 いや、絶対似てる! と連呼する小園の叫びにつられ、彼の友人たちがなんだなんだと周囲に集まってきた。流れ的に話題が「ミサキ」という子に京が似ているかどうかになるのは当然で、人気グループに関する話は盛り上がった。なにやら大賑わいの中心に無理矢理据えられ、京は本気で困ってしまう。
 何を言っているのか、早口すぎて解らない。一人一人ならまだ聞き取れても、五人十人となると、本当にもう訳が解らないのだ。
「なぁなぁ、なんで月乃っていっつも黙ってるんだ? なんか喋れば?」
 集まってきた内の一人がそんな事を言った。そうすると、続けるように何人かが同じような質問をし、その場に集まったクラスメイトたちは、自然と京を取り囲む形になってしまう。
「…………」
 どこを見てよいのか解らなくなり、俯く。こんな状態は一番苦手だった。
 背中にジワリと嫌な汗が浮かんでくる。
「りぼんの中で、誰が好き?」
「好きな芸能人いねぇの?」
「歌はどれ好き? 最近CD買った?」
 大量の質問に対する答えはひとつも無い。京はもうどうしてよいのか解らなくなってしまい、完全に俯いてしまった。
「…………ぁ……」
――こんな時に。
 すーっと血が引いてゆく感覚。まずい。そう思ったときだった。
「おーい。月乃君、ちょっといいか?」
 よく通る声が、教室に響いた。
 名前を呼ばれた事による条件反射で顔を上げると、クラス委員がドアのところで手を挙げているのが見えた。
「先生が呼んでいる」
 おいでおいでというように手のひらが動く。それがまるで救いの手のようで、ほっとしたのか、指先に血が戻ってくる。
「ごめん、ちょっと……いってくる」
 なんとかそれだけを言い、京は騒がしい一角から立ち上がった。
「ちぇ、つまんねぇの」
 逃げるように後にした集団から聞こえた、誰かの言葉。
 京はまったくそのとおりだと、人知れぬ溜め息を吐いた。

  「大丈夫だった?」
 教室を出て職員室へと向かう廊下の途中、耳元に囁くような声がした。
「え……?」
 見上げるほど背の高い同級生が、微かに笑う。
 彼を、こんなに近くで見たのは初めてだった。整った印象的な容貌は、とても自分と同じ年には見えない。
「先生呼んでるってのはウソ。なんかヤバイなと思ったから声かけてみた。余計な事だったらごめん」
「……ううん、ありがとう」
 助かったと、自分にしては素直に礼が出て、ようやくほっと力が抜けた。
「あいつらも悪気はないから。月乃の事が気になって仕方ないんだよ」
 声変わりのとっくに済んだ低い声。とても中一とは思えない長身の彼は、京に「無理しないようにね」と優しい言葉をひとつ残し、廊下の向こうへ消えていった。
 彼の名は三池勝也。飛びぬけて成績優秀らしく、教師達の期待は傍目から見ていても明らかだ。あれだけ様々な人達から注目されても惑わされること無く、自分をしっかり保てる強さはどこから来るのだろうか。
 京は羨ましさを感じながら、ガラスに映る、小さな子供のような自分の姿をじっと見つめた。

 適当に時間をつぶし教室に戻ると、小園が駆け寄ってきた。
「なんだった? センセに叱られたりとかってんじゃないよな?」
 彼なりに心配してくれているのだと解って、少し嬉しかった。
「大丈夫」
「そか」
 よかった。と小園が屈託無く笑う。
 本来ならここで気の効いたことのひとつでも言い、会話が続くものなのだろうが、京はその言葉が思いつかない。どうしようかと考えているうち、なんとなく微妙な間が空いてしまい、また困った。
「じゅーん!」
 小園を呼ぶ声が別の場所へ移動した、さっきの集団から聞こえた。
「あ、わりぃ、今行く!」
 京に向かって拝むように右手を立てた小園は、そのまま友人たちの元へと戻っていった。
 なんとなく追うようにその集団へ視線を移すと、小園以外の数人が、京を見て何か囁いている。気にならないといえば嘘になるが、だからといって何が出来るわけでもない。すんなり馴染めない自分の性格を少し恨みながら、京は次の授業の準備を始めた。
 中学一年の英語の教科書は、京にとっては簡単というよりは単調過ぎて、この文のどこから「問題」を作るのかと疑問になるほどだったが、それはそれで構わなかった。読み疲れてしまう国語の教科書に比べたら、こちらの単語を見ているほうが正直楽なのだ。
 とりとめも無く、ページをぱらぱらと捲っているうちに、授業開始のベルが鳴った。
「Hi everybody!」
 初回の授業から”えぶり”と、こっそりあだ名を付けられた英語教諭の佐々木が、颯爽と現れる。この教師は、ランダムに指名した生徒に、教科書の朗読をさせるのが好きで、授業はまずそこから始まる。読めない単語や躓きがあると、居残りで単語の書き取りをさせるので、当然人気があるとは言えない。
 今日も不運なクラスメイト達が次々と当てられ、そうでない生徒たちも、次は我が身かと必死で教科書を目で追っている。
 この朗読に、何故か京は指名された事が無い。既に京以外は全員当てられていて、二度三度と読まされている者も少なくないというのに。
 しかし、このまま当てられなかったところで、こちらに責は無い。ただ、時折佐々木から感じる妙な視線が気になったが、相手にされていないのは京のほうなので、無理に自分から関わる必要も感じられなかった。
――なんか色々難しい。
 発音もセンテンスも滅茶苦茶な読み上げが、教室に響いている。
 実際には単語ひとつで終らせてしまうような会話文を、律儀にかしこまった言い方にわざわざ直して記載されているページを目で追いながら、そういえばしばらく海に行っていないな……と、京はボンヤリと考えていた。


 波音を録音したCDが、部屋に流れている。帰国する前に、近くの海で録った音だ。
 京が世話になっていたアメリカの家族の家は、西海岸にある。丘の上の街だが、ケーブルカーを使えば海はそれほど遠くない。
 帰りたいかといえば、否だ。あの街に帰りたいわけではないのだから。
 京が還りたいのは海。
 あの静かな夜の海。
「潜りたいな……」
 装備はある。短い時間の素潜りでも構わない。しかし、日本という国は、とりわけ京の住んでいる所は、ダイビングをするには、あまりにも向かない所だった。
 動きやすいように、ダイバーズショップでも探してみようかと考えながら、静かに繰り返される海の音に耳を澄ました。

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