![]() |
![]() |
|
![]()
着慣れない服が自分の身に及ぼす息苦しさを、一人になってから不意に感じた。堅苦しさの代表のように存在する襟に指をかけ、緩めようとして止める。 ![]() 新学期が始まり、一週間が過ぎようとしていた。 「お友達は出来た?」 沙耶の言葉に、京は何かを考えるように少し上を向き、ちょっとだけ首を傾げた。 「あら」 決して社交的ではない息子の性格を知っている沙耶は、急がなくても大丈夫よと、コツンと額を付き合せ、そっと抱きしめてやる。 中学に上がった子供へのスキンシップにしては過剰とも思うが、京が置かれた境遇は特殊過ぎて、彼の心の傷を思えば、触れる事による親の愛情は必須だった。 しかも沙耶には、二度目の手術が控えている事情があった。離れる物理的距離は今までとは比べ物にならないほど近いが、入院となれば、また京に寂しい時間を過ごさせてしまう事になる。 ――ごめんね、ありがとう。 沙耶は自分の為に戻ってきてくれた息子に、心の中でそっと告げた。 「……Watch television」 しばらく抱きしめられるがままになっていた京が、突然ポツリと言った。まだ頭の中が英語なのか、油断している家の中では、日本語よりも英語が出ることが多い。 「あら珍しい」 コンピューターと海ばかりが好きで、あまりテレビ等の娯楽的なものに興味を示さなかった息子が、日本に来て、正確には中学に行くようになってから、良くバラエティなどのテレビ番組を観るようになった。 面白いかと聞けば、よく解らないという返事をするので、どうやら今の日本では、どんなものが流行っているのか、懸命に覚えようとしているようにも見える。 「がんばれー」 リモコンを操り、目的の番組を探している小さな背中に声援をコッソリ送る。 真面目で不器用なのは父親譲りか。それでも懸命に現状へ馴染もうとする努力が微笑ましい。 頑張る息子と、頼りになるしっかり者の娘。そして長い出張からようやく帰宅する夫の為に、今夜は特別に美味しい食事を作ろうと、沙耶は張り切って食材を手にした。 リビングのほうから、楽しげではあるが、あまり上手いとは言えない女の子たちの歌声が、リズムに乗って聞こえてくる。ワンコーラス途切れることなく聞こえてくる所を見ると、京のお目当ての番組が見つかったらしい。沙耶はフフ……っと微笑を浮かべた。 両親が一番に心配していた事は、京の体力的な問題だった。事故による肉体的な後遺症や、精神の傷をそのまま表した様に成長が遅い小さな身体は、事実を知るだけに痛々しく、保護者として居た堪れない気持ちにさせられる。 アメリカに居た頃の京には、それらの問題を常に身近にいて上手くカバーしてくれる、ジェームスという頼もしい存在が居てくれたお陰で、極端な心配は無かったのだが、日本ではそうもいかない。慣れない環境で、友人の一人も居ない孤独な状態から始めなくてはならないという、非常に難しい現実が待っていた。 しかし、実際に通学を始めて一番困ったのは、意外にも『言葉』の問題だった。 京にとって日本語という言語は、歳相応に読み書きでき、解らない訳でも話せない訳でもない。しかし、通りの良いゆっくりとした喋り方をする父親と、穏やかな母親の言葉に聞き慣れた日本語は、同年代の少年少女が口にする、独特な流行語と早口のスラングが耳慣れなく、且つ意味が解らないものが多過ぎたのだ。 かなりの注意を持ってヒアリングをしても、彼らの話す大概の言葉が、己の知るはずの言語とは似て非なるものに響き、意味を記憶と照合しているうちに話題はどんどんと先へと流れていってしまう。 テレビなどを見て、意味や語感を掴もうと努力はしていようだが、普段から極端と言って良いほど口数の少ない京には、何かの問いかけに対しどのような『日本語』で返せば良いのか、咄嗟に繋げる事は非常に難しい。ボキャブラリーの不足を最大の原因とし、ノリの良い返事をする事は不可能に近かった。 それほどまでに月乃京という少年の頭が、英語に染まってしまっているという事になるのだが、相手に言葉の不便を無言でアピールできる、肝心の見た目というものが、どうしようもなかった。黒髪と黒い瞳は肌の白さをもってしても、日本人である事に疑いようもなく、事実京の国籍は日本である。これがせめて青い目や金色の髪ならば、多少相手もそれなりの気構えで接してくれていただろうが、それも無理な相談だった。 クラスメイトが次々に新しい友人やグループを作ってゆく中、京はひっそりと孤立してゆく。京自身も、この状態は好ましくない。なんとかしなければいけないと、頭では解ってるようだが、特に寂しいとも感じないし、独りのほうが楽だという気持ちがどうしても強く、積極的になれない。 仲の良い友人達の死を間近にし、自らも酷い怪我を負い生死の境をさまよった。優しかった大人の、暴力的な豹変を目の当たりにした京には、既に他人との接触を拒むような厚い壁が心を頑なに覆ってしまっていたのだ。 |
|
|
![]() |
|
![]() |