樋口対山は名古屋の人。初め“鈴木孝道”といい、名古屋で西園流尺八を
修め、後京都に出て、樋口家の養子となり、樋口対山を名乗る。
http://www.fuwaiin.com/…/hougaku/H19/19.9.16…/meianji-17.jpg
これは珍しい貴重な写真。京都明暗寺最後の看手「自笑昨非」の写真とか。
「明暗昨非」は長州の出身。幕末、禁門の変で長州の士を匿ったかどで幕府に
捕らえられる。明治になって開放されたものの、明治4年「普化宗」が廃止され、
寺の本尊「虚竹の像」他什物を東福寺内の塔中「善慧院」に預けて出奔する。
その後、日蓮宗系の本門法華宗に改宗し熱心な信徒となったとか。
昨非が出奔した理由は、明治になって胡乱な虚無僧輩が明暗寺に逗留、酒食
や金品をねだり、寺にあった尺八や什物を勝手に持ち出して売り払うなど、乱暴
狼藉に閉口したためとか。明治以降は尺八界とは絶縁していたはずだが、この
写真はいつ頃撮られたものだろうか。
明治21年、東福寺の本堂が全焼し、尺八愛好家たちの発案で、「東福寺の
復興に浄財を集める」という趣意で「明暗教会」が設立された。そして樋口対山
が代表となり、「明暗流」を復活することとなる。
つまり、現在の明暗流は、樋口対山が再興したもので、その菩提寺が建仁寺。
対山の墓もあるのかも。 京都に虚無僧に行った時、建仁寺にお参りし、周辺を
周った。樋口対山の菩提寺とは知らず。これも呼ばれたのかもしれない。