湧別漁業協同組合のあゆみ



ほたて操業歴史


                                                                   

1907年(明治40年)
 
2月湧別漁業組合結成。 組合員20数名。 
初代組合長宮崎覚馬氏。漁業権の管理が任務。

1910年(明治43年)
 
4月漁業法の大幅改正で、漁業権の管理の外に共同の施設の運営も出来るようになった。

1912年(明治45年
 こ
の頃は殆どが
仕込み制度で、ニシンやさけ、ほたて、なまこ、おひょう、たらばがになどが獲れたが、皆海産商に買い叩かれた。

1914年(大正3年)
 
専業の漁家24戸、兼業34戸、製造20戸で、漁船は川崎船82,磯舟10、三平船6などで、生産額は
 さけ75トン1万円(`当たり13銭強)、ほたて貝柱4,5d4千8百円(`当たり1円6銭位)など1万7千円。

1916年(大正5年)
 
動力船第1号が導入される。おひょう釣りに使用。

1917年(大正6年)
 
4月17日中
番屋に播磨栄之助氏信部内より湖内の天然かき採取を目的に永住。

1919年(大正8年)
 
11月23日三里番屋に
岡島水主蔵氏斜里町より永住

1923年(大正12年)
 
開盛にさけ人工ふ化場(民営)新設。川口で親魚捕獲始まる。

1927年(昭和2年)
 
世界的経済恐慌で、魚価低落し、漁家戸数は190戸となったが、生産額は33万円と激減。

1928年(昭和3年)
 
4月1日湧別尋常小附属中番屋特別教習所開設。生徒数21名。登栄床小中学校の基礎となる。

1929年(昭和4年)
 
4月21日登栄床の住民の悲願として大正13年頃よりサロマ湖の最狭部の砂丘を掘削し続けてきたが
 何れも失敗(この間司法の介入もあった)
 
昭和3年より村営事業として1,200円で水路が完成。
 
暴風雨と融雪の増水のため一挙に約180bもの湖口となり歴史的湖口開削となった。

1935年(昭和10年)
 3月漁業法の改正により無限責任湧別漁業協同組合として新発足。出資1口30円
 組合員73名。現在の漁協の基礎となった。
 12月24日曙町に事務所落成。木造モルタル造り、2階建て、246平方b、建築費3,500円。以来45年間親しまれる。

1936年(昭和11年)
 
ほたて貝採苗事業が本格的に実施され、総事業費1,094円(組合全職員の給料1,800円の頃)。
 以来今日まで変転を続けながら基礎を築く。

1937年(昭和12年)
 
湧別川口の船入澗設置を陳情。流砂による閉塞ひどく漁民が出動して修理に当たる。
 海軍省にほたて漁民が寄付して軍機を作る。

1938年(昭和13年)
 
第3次漁業法改正で、貯金の受け入れも出来る事になり経済団体の機能が整った。

1941年(昭和16年)
 
第2次世界大戦始まる。ほたて貝柱輸出凍結で減船割り当てとなり4人共同で1隻を操業。
 4月にまるじゅう市場を買収 (木造トタンぶき172平方b550円) 現高須スタンド跡にあった。

1942年(昭和17年)

 
5月26日湧別海岸に漂着した2個の機雷を爆破するため遠軽警察署は、近隣の警防団にも見学させることに
 したが、移動中に突然爆発し、死者106名、負傷者130名という大惨事となった。


1943年(昭和18年)

 
戦時下の統制経済により、漁業資材や食料の入手困難。ほたて稚貝当年貝で9,700万粒放流。
 紋別、沙留、雄武へも引き渡す。

1044年(昭和19年)
 
4月8日戦時体制により、水産業団体法ができ漁業会組織となり。
 
初代会長森垣幸一氏は村長と兼務で行政庁の任命制となった。
 益々資材不足となり、ロープ原料の大麻1,15f耕作。貝柱加工用の木炭製造のため炭焼きも行う。 
 にしん大漁3千石。
 
1045年(昭和20年)
 
8月15日敗戦
 混乱により資材困窮、物価高騰。 にしん不漁、さけ1,650石(10万尾)の好漁。塩不足で製塩事業始まる。

1947年(昭和22年)
 
運搬船湧興丸(30d位)168万円で建造するも、処女航海で枝幸沖座礁。
 翌23年12月12日再び秋田沖で遭難し船体放棄する。  損失183万円

1948年(昭和23年)

 
12月15日水産業協同組合法制定公布。    登栄床地区に電気がつき、ランプ生活より解放される。

1950年(昭和25年)
 
沿岸の主幹漁業であった小手繰網(小型底曳)よりの転換のため、
 大手繰網の許可を受け4隻着業したが不振。50d級船

1951年(昭和26年)

 
春ニシンの凶漁3年間続く。このため凶漁土木事業を町に要望。
 9月共同漁業権の免許受く。従来までの漁業権は国で買い上げる。海面専用漁業権20,743千円。
 海面専用漁業権3,200千円。

1952年(昭和27年)
 
サロマ湖養殖組合2月20日設立。出資金は漁業権証券をもって充てる。800万円。
 宮城県より種カキ移植2千連。 
 牡蠣養殖の始まり。
 10月22日にポリイ台風襲う。 定置網に大被害2,354万円。 世にオホーツク災害と言い。
 この時の政府融資がこれから30年間に渡り焦げ付く 

1953年(昭和28年)
 
創立3周年で優良組合員14名を表彰。水産普及員配置を町に要請。

1954(昭和29年)
 
湧別定温倉庫梶℃走{金150万円=を450万円で買収。
 ラジオ共聴施設全戸設置の第1次終了(前浜、中三里、丁寧)。 翌年に全戸完成。
 5月に暴風雨、9月に台風。 このためかき貝養殖1万連の90%流失(当時は杭立式)。

1955年(昭和30年)
 
組合長谷口勇氏8月1日辞任。佐藤富治氏二代目組合長就任

1956年(昭和31年)
 
小手繰密漁続く。取り締まりも強化。
 7月5日大相撲北の洋1行招き興業。 購買部(元釼持百貨店)を北見バスへ1,500千円で売却。
 3月18日管内漁村危機突破大会を湧別公民館で開催。
 同じく管内漁民同盟結成大会も湧別で開く。製缶工場、鉄工場を買収し
 操業を始める。組合事務所冷蔵庫へ移転。

1957年(昭和32年)
 
6月26日役員会で経営悪化のため、再建整備5ヶ年計画を決定。
 繰越欠損金と合わせ欠損金は6,408千円となる。
 8月12日湧別漁港起工式。

1958年(昭和33年)
 
数年間にわたる激しい擁立運動の末、2月21日の臨時総会で員外理事に森垣幸一氏を加え、
 4月20日理事互選で専務理事  
 に就任、組合再建へ第一歩を踏みだす。 当期末欠損金22,091千円となる。 職員を13名に整理。
 10月14日サロマ湖口で秦西丸(中村豊氏所有)が遭難。8名死亡。

1959年(昭和34年)
 
冷蔵庫を売却。 組合事務所も旧事務所へ舞い戻る。
 家族慰安映画会など盛ん。 再建のため、 ほたて貝操業5隻全船の自営。

1960年(昭和35年)
 
9月20日の再建整備組合の指定を受け、 10ヶ年計画を樹立。小手繰の密漁自主廃止決議。
 再建のためほたて貝水揚げより3割、一般水揚げより1割の負債償還実施。

1961年(昭和36年)

 
小手繰(小型底曳) 全面禁止決定。
 7月28日湧別漁青連結成され初代会長斉藤勇氏。 外海カレイ刺網試験操業成功。
 養殖かき貝から赤痢発生。

1962年(昭和37年)
 
カレイ刺網本格化3人共同で1隻、54隻の着業。 副業にしいたけ栽培導入、99人で2万本。
 漁業労務者に失業保険適用され14事業所150人が適用受く。
 ほたて貝の密漁で2名、 組合の秩序を乱し、 信用を失墜したとして理事1名に脱退を勧告し脱退する。

1963年(昭和38年)

 
5月19日
創立15周年記念式典と森垣幸一氏顕彰像除幕式を行う。
 英領改善への取り組み始まる。 
 指導連より集中指導組合の指定を受ける。

1964年(昭和39年)

 
組合の再建達成
 2月27日知事より表彰を受ける。
 営漁計画書全戸提出。
 組勘制度、 伝票会計始まる。 7月に購買店舗開設。
 定置漁業の自営始める。
 
1965年(昭和40年
 
ほたて稚貝の建苗育成技術が成功し、 ほたて貝養殖始まる。 
 漁連整促達成記念映画「炎は消えず」ロケ三里浜で行う。

1966年(昭和41年)
 
6月10日漁業無線局開局。 27KHZ1W27,931メガサイクル。
 ほっき動力巻き試験、 すけそう刺網試験行う。 家計簿記帳共励会で14名表彰。
 ほたて貝採苗にハイゼックスフイルムを使用。 湧別町漁民大会を開催し、懸案問題について態度を表明。

1967年(昭和42年)
 
定置自営不漁により欠損。 のり養殖が成功し、 20万枚収穫。 
 底建網技術の導入図る。 ほたて貝採苗ネトロン網による試験。

1968年(昭和43年)
 
森垣組合長死亡3月8日。 組合葬を挙行。 湧別救難所が8月15日に設立され所員83名。
 さけ定置自営本年度かぎりで廃止を決議(12月14日総会)。
 水協法改正により組合員200名以下のため総代会制度を本年度限りで廃止。

1969年(昭和44年)
 
組合員共済制度を制定(年金、一時金の支給)。
 全漁連より婦人部表彰を受ける。
 底建網の特採試験6隻で実施、成績良好。
 構造改善事業で市場を設置。 13,760千円。 
 11月3日
組合創立20周年記念式を行う。 生産物の漁連への全共販を実施。

1970年(昭和45年)
 
営漁改善目標を設定し生産向上を主力に置く。
 8月14日
壮年クラブ設立総会

1972年(昭和47年)
 
ほたて貝増殖計画に基づき、稚貝採苗1人35万粒義務でスタートし採苗が始まる。
 シブノツナイ沼に紋別漁協と共同で内水面漁業権を設定。 しじみ稚貝を以後毎年放流。

1973年(昭和48年)
 
第1回漁民運動会6月10日開催。
 登栄床漁港起工式7月17日(昭和55年で完成)。 サロマ湖第2糊口開削起工。
 8月13日三里浜でNHK「ふるさとの歌まつり」開催。
 登栄床地区に動力電気導入。48戸427KW、11,000千円。
 ほたて稚貝大量放流第1年目としてB海区に1億7百万粒を放流。
 本年度後半より石油不足によるオイルショックとなり、関連物資は品不足から異常高騰。

1974年(昭和49年)
 
1月10日より
湖内に流氷群侵入、養殖施設に大被害。 
 
災害はほたて貝824台、107,500千粒、586,000千円に及んだ
 
山村振興対策で水産加工場を登栄床に設置。142,701千円。
 中番屋に養殖作業基地(突堤)を設置。30,688千円。

1975年(昭和50年)
 
サロマ湖内の養殖許容量調査始まる。

1976年(昭和51年)
 
ほたて貝増殖計画による第1年目の漁獲。
 目標8,000dとしたが、密殖等の故か死貝多く6,232dとなる。
 1人権配当550万円となり、
黄金時代を迎える。 青色申告の普及を行う。

1077年(昭和52年)
 
ホッカイエビの増殖試験成功。 30dトラックスケールを市場横に漁連と共有で設置。

1978年(昭和53年)
 
生産、背面施設の新設が相次いで行われた。
 第2ゆうべつ丸建造 14,97d 34,075千円   錦に養魚池上屋設置16,760千円
 丁寧に導船物揚、船捲場施設を71,107千円で設置
 遭難慰霊碑を建設し、7月22日に除幕式を行う。  陸上レーダー施設を設置。 
 サロマ湖養殖規制決まり、湧別は10,920千粒(2年目の保有量)湖内全体で5千万粒とした。

1979年(昭和54年)
 
第2次オイルショックにより油不足と高値到来。 屋外油タンク100KL漁連と共有で設置。
 組合事務所55年度建設に向け、
 建設委設け、設計を検討。
 10月8日
元組合長佐藤富治氏死去。 町議長歴任で町葬。
 登栄床地区に上水道通水。 湧別漁港の狭隘化に拡張期成会設け、積極的に連動。
 8月6日鈴木善幸氏(後に首相)町村参議が来町陳情。

1980年(昭和55年)
 
組合創立30周年式典
 組合事務所落成式、 11月30日に挙行。
 登栄床港完成10月31日完成式行う。 
 道漁連250億円の大型欠損金表面化す。 漁村広場、排水処理施設、志撫子の船揚場など設置。
 ほたて貝資源増大対策として57年の放流より組合員1人100万粒の義務放流を決定。
 新事務所へ11月23日移転

1981年(昭和56年)

 
登栄床寿の家完成。 志撫子養殖保管施設完成。 オホーツク産ほたて貝より貝毒発生。 第7回漁民大運動会
 集中豪雨で湧別川氾濫、8月。  青年部ほたて盆踊り大会。
 外海ほたて貝1万トン突破

1982年(昭和57年)
 
湧別漁港第2種昇格2月。 芭露漁港第1種に指定。 湧別漁港起工式、芭露漁港新規指定祝賀会7月。
 湧別町開基100年記念式典9月。 芭露漁港新規指定告示10月。 第8回漁民大運動会。
 ほたて権利者1人100万粒の義務。 船舶測度法改正施行。

1983年(昭和58年)
 
前組合長高須実氏死去により組合、町議会の合同葬儀執行2月。
 湧別漁港工事安全祈願祭5月
 第7次定置漁業権切替に伴う審議委員会。
 第1回全国漁協大会にて農林水産大臣賞、全漁連会長賞受賞。
 
遠峰進一組合長北海道指導漁業協同組合連合会監事就任。 第9回漁民大運動会。
 沿岸漁場保全事業としてサロマ湖岸の枯れアマモの除去の実施。

1984年(昭和59年)

 
志撫子海岸道路完成祝賀会。 登栄床地区交通事故絶滅総決起大会3月。 指導連経営診断。
 海上自衛隊護衛艦ゆうべつ来航。 芭露漁港起工式7月。 豊かな海づくり大会三町実行委員会設立。
 登栄床漁港に鉄骨造り30トン型自動計量施設完成。 中番屋沖でさけの海中飼育試験実施。
 サロマ湖ほたて貝、かき貝許容量設定。

1985年(昭和60年)
 
組合員総合健康診断。 中番屋会館落成式8月。 冷蔵施設地鎮祭8月。 
 第5回豊かな海つくり大会を登栄床漁港で9月9日開催。 さけ大漁88,474尾漁獲。

1986年(昭和61年)

 家計簿記帳会 4会場2月。 登栄床漁港上屋完成(第3期山村地域農林漁業特別対策事業)。
 サロマ湖の防氷提工事が道営工事として始まる。
 サロマ湖の結氷が遅いため
流氷の侵入が続く。

1987年(昭和62年)
 
ほたて貝養殖部会20周年記念式典1月。 組合員巡回総合検診、104名受診。
 ゆうべつ丸新造船祝い(第3、5,8) 志撫子作業準備休養施設完成10月。 登栄床養殖用作業施設完成11月。
 サロマ湖漁港が第4種漁港に指定。 登栄床漁港の副埠頭が着工。
 サロマ湖灯台が浸食により危険となったので防護ブロック投入。
 芭露地区で殻付きかき貝の「ふるさと小包」実施。

1989年(昭和63年)
 
4月に
サロマ湖に流氷が侵入被害軽佻。 オフトーク通信開始式典8月。
 ゆうべつ丸新造祝い(第15,18)。 水難救済会20周年式典。 中番屋の導船物揚場、延長115b、幅15b増設。
 カナダケベック州へ2週間、町浅野、漁組大友、西村組加納技術派遣。 

1989年(平成元年)
 
第40回通常総会2月。 4月に
サロマ湖に流氷が侵入、被害軽佻。 湧別漁港漁船上架施設完成安全祈願祭。
 (60トン型リフト式巻き上げ施設)。 水中探査機器導入(沿岸漁業生産増大特別対策事業)。
 丁寧導船物揚げ場、拡幅。物揚げ岸壁(第三期山振)。 サロマ湖の養殖施設の再配分を実施。
 
外海ほたて貝2万トン突破。

1990年(平成2年)
 
サロマ湖漁港、国の直営工事として着工。 3月にサロマ湖に流氷が侵入、被害なし。 
 市場新築落成式(中核流通施設整備事業)。 トラックスケール新築(湧別漁港新港)。
 
遠峰進一組合長北海道指導漁業協同組合連合会会長就任、黄受褒章受章。
 ほたて漁場底質改良事業(貝殻散布)。 
組合員によるサロマ湖での釣り船、渡し船を禁止
 
1991年(平成3年)
 
遠峰進一組合長黄綬褒章記念祝賀会1月。 3月サロマ湖に流氷が侵入。
 地方卸売り市場、トラックスケール、リフト式上架施設修祓式、及び落成祝賀会。 ほたて漁場底質改良事業(貝殻散布)。
 水温自動観測施設整備事業。 新沿岸漁業構造改善事業(製氷貯氷施設) 新設。

1992年(平成4年)

 
台風10号、17号直撃、市場等進水し被害。 山村地域新農林漁業特別対策事業、 中番屋物揚場道路整備。

1993年(平成5年)

 
サロマ湖に流氷が大量に侵入被害は僅少。 
 砕氷船「みちしお8号」完成し登栄床漁港に常駐。 青年部創立50周年記念式典3月。ほたて漁場底質改良事業(貝殻散布)
 外海ほたて3万トン突破。 

1994年(平成6年)

 
ほたて漁場底質改良事業(貝殻散布)。  丁寧導船物揚場施設整備事業(航路浚渫)。
 ほたて漁場効率試験装置設置事業(桁網)。
 漁業共済推進に当たり農林水産大臣賞受賞。

1995年(平成7年)

 
水産廃棄物等処理施設完成(沿岸漁業活性化構造改善事業)。
 漁場監視船、第2ゆうべつ丸竣工(沿岸漁業活性化構造改善事業)。
 増養殖指導管理船進水(湧別町単独補助事業)。 志撫子地区波除提完成(船揚場整備事業。


1998年(平成8年)

 
湧別漁港にて
第1回みなと祭り開催。 登栄床地区排水処理施設完成。
 ほたて貝柱保管施設(沿岸漁業活性化構造改善事業、水産物鮮度保持施設。
 漁具保全施設(中山間集落機能強化等促進事業)、竣工落成式。

1997年(平成9年)

 
登栄床開基80年記念式典。 登栄床漁業集落配水施設供用開始。 
 外海ほたて漁業(湧別海区)総合調査結果報告会、湧別町文化センター。
 TAC制度導入される。

1998年(平成10年)

 台風5号、7号による市場進水、外海ほたて貝に被害発生。
 遠峰進一組合長北海道指導漁業協同組合連合会会長退任。
 地域資源循環活用施設14トン型アルミ船題、8ゆうべつ丸竣工(山村振興等農林漁業等特別対策事業)。

1999年(平成11年)

 初代組合長谷口 勇氏逝去1月
 創立50周年記念式典、祝賀会挙行3月
 
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