湧別町 年   表

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年 号 西 暦 社会のできごと 湧別町のできごと
貞享 2 1685 松前藩宗谷場所開設
天明 5 1785 佐藤玄六郎従者1人を伴いオホツク沿岸知床迄踏査
検分課「蝦夷拾遣」に「ユウベツ川」のこと見ゆ
寛政10 1798 幕府勘定吟味後三橋成方の属僚斜里までの北見沿岸を調査す、随員谷口青山高島から斜里までの沿岸風景23図を描く
谷口青山「ユウベツ」写生図を描く、これにより場所内の地域戸数初めて明らかとなる
享和 元 1801 磯谷則吉が宗谷・斜里間踏査
6月9日磯谷則吉「ユウベツ」に泊る
弘化 3 1846 松浦武四郎宗谷より知床岬の間を往復(再航蝦夷日誌を著す)
ユウベツ状況も記述さる
安政 4 1857 老中堀田正篤の臣窪田与蔵宗谷より北海岸を視察(協和私役を著す)
窪田与蔵8月6日「ユウベツ」に宿泊
慶応 3 1867 徳川慶喜大政奉還
明治 元 1868 明治と改元、江戸を東京と改める
5箇条の御誓文発布
明治 2 1869 開拓使設置
蝦夷を改めて北海道とし11国86郡名を定む
漁場請負制の廃止
明治 4 1871 廃藩置県実施
藤野伊兵衛紋別場所の漁場持ちとなる
北見4郡根室管下編入
明治 5 1872 北見4郡の村名を定む
紋別・常呂・両郡の境界定む
網走管内斜里・網走・紋別に戸長をおく
太陽暦採用(12月3日を6年1月1日とす)
学制発布
ユウベツ村と名付けられ、紋別戸長管下に置かれる


明治 6 1873 根室支庁網走出張所設置
アイヌに苗字使用許可
明治 7 1874 屯田兵例則設く
総代副総代制に変る
明治 8 1875 村名を漢字に定む 村名「湧別」と漢字に改む
明治 9 1876 天塩国苫前から紋別網走を経て根室に至る郵便路線開通
北海道大・小区制を定む
紋別郵便取扱所開設
明治12 1879 管内総代・副総代の名称を廃す
明治13 1880 札幌間鉄道開通(本道最初) 旧土人宮川房治湧別川で鮭漁業権を得漁業を始む
紋別戸長役場開設
明治15 1882 開拓使を廃し函館・札幌・根室の3県を置く 半沢真吉移住農耕始めて起る(開基)
長沢伊助・徳弘正輝来住
明治16 1883 紋別郡一円を管内とする紋別巡査派出所の設置 和田麟吉来住
湧別駅逓設置・和田麟吉取扱人となる
明治17 1884
明治19 1886 3県1局を廃し北海道庁を置く
明治20 1887 小学校規則及び小学簡易科教則其他学事に関する諸規則を発布
行政と警察制度一本化さる(網走警察署紋別分署設置)
明治22 1889 大日本帝国憲法発布
上川・網走間の道路開さく
湧別原野植民地に選定さる
明治23 1890 教育勅語渙発
明治24 1891 中央道路(上川・網走間)開通 湧別原野区劃測量実施
明治25 1892 網走紋別間電信開通 湧別街道(野上・湧別間)開通、野上・丸瀬布・白滝に駅逓設置
湧別郵便引継所開設
湧別原野の貸付出願始まる
明治27 1894 日清戦争起る 岩内より13戸入植
遠峰栄次郎商業を始める
明治28 1895 日清戦争終結 礼文島・高知・徳島其他各県から来住増加
明治29 1896 第7師団(札幌)設置 湧別原野貸付告示さる
湧別郵便局に電信事務取扱う
永山より薄荷の種根を移入し西1線に試作
湧別屯田兵村工事始まる
湧別神社創建
明治30 1897 北海道庁設置
郡役所を廃し全道に18支庁をおく
紋別外9ヶ村戸長役場から分離湧別戸長役場設置告示
小池忠吉湧別戸長に任命、役場開庁
湧別屯田4・5中隊に200戸入植
学田農場開設
湧別小学校創立
明治31 1898 徴兵令全道実施
全道的大水害被害甚大
湧別屯田4・5中隊199戸入植
湧別紋別間の道路開通
北湧小学校創立
明治32 1899 小樽網走間定期航路開始
農会法公布
北海道拓殖銀行設立
湧別定期航路の寄港地となる
湧別橋寛政
明治33 1900 芭露原野、計呂地原野区割
湧別村農会結成
遠軽尋常小学校設置
明治34 1901 北海タイムス創刊
簡易教育規定定まる
第7師団司令部を札幌から旭川に移す
湧別港北海道補助定期航路寄港地に指定
芭露・計呂地・床丹原野貸付告示
網走警察署湧別分署設置
明治35 1902 北海道2級町村制公布
北海道土功組合法公布
網走産牛馬組合法設立
北海道最初の衆議院議員選挙執行さる
芭露簡易教育所設置
イクタラ原野貸付告示
7号線・計呂地間道路開さく(網走道路)
冷害凶作
明治36 1903 国定教科書定まる 湧別屯田兵村解体一般行政区域に編入さる
明治37 1904 日露戦争起る
旧根室県下に衆議院議員選挙初めて執行さる
サナブチ・白滝原野告示
芭露原野道路14号開さく
明治38 1905 日露戦争終る
網走外3郡牛馬組合結成さる
網走外3群産牛馬組合湧別支部創立
道庁種畜場種馬出張所交配はじまる
明治39 1906 2級町村制施行
明治40 1907 北見農業試験場設置
義務教育6年に延長す
計呂地簡易教育所設置
床丹駅逓設置
湧別漁業組合設立
芭露原野道路(自14号至19号)開さく
開盛橋流失渡船となる
イクタラ元ぁ湧別町2号線道路開さく
南兵村3区施設消防器具購入
明治41 1908 北見農事試験場水稲栽培試験を行う 芭露簡易教育所尋常小学校に昇格
上芭露教育所設置
川西分教場設置
計呂地道路開さく(11号まで)
信部内原野区割
北湧校消失
明治42 1909 シブノツナイ原野及芭露(東・西)原野告示
フミ原野貸付告示
サナブチ原野道路開さく
生野教授場開設
北兵村3区大火
明治43 1910 上湧別村創立
第1期北海道拓殖計画実施
6号線以南を上湧別村に分割し以北を下湧別村と改称
芭露原野の増割
芭露原野道路(自16号至23号)開さく
東分教場開設
床丹特別教授場開設
下湧別消防組公設となる
明治44 1911 全道的大山火被害甚大
陸別〜野付牛間鉄道開通
芭露原野(東・西芭露)増区割
芭露巡査駐在所設置
明治45 1912 天皇崩御御大正と改元
野付牛〜網走間鉄道開通
野付牛〜るべしべ間鉄道開通
シブシ川沿道道路開さく
シブシ川沿原野貸付告示
大正 2 1913 大凶作(霜害、暴風雨害のため) 上芭露教育所尋常小学校に昇格
芭露東ノ沢特別教授場、芭露西ノ沢特別教授場設置
霜湧別消防組第2部(4号線)公設となる
国有種馬種付所を7号線に設置
大正 3 1914 第1次世界大戦起る
湧別軽便鉄道ルベシベ・生田原開通
ケロチ原野増区割
信部内特別教授場、志撫子特別教授場開設
大正 4 1915 湧別軽便鉄道生田原・開盛開通 ケロチ・床丹原野増頒告示
大正 5 1916 馬匹去勢法実施
湧別線鉄道全通
米価暴騰、成金続出
緑陰特別教授場開設
川西分教尋常小学校に昇格
芭露郵便局開設
大正 6 1917 方面委員制度定まる
大暴風雪害
山火事全道に起る
計呂地教育所尋常小学校に昇格
湧別亜麻工場設立
大正 7 1918 富山県に米騒動起る
物価3倍に騰貴
開通50週年記念式
村窮民救助規定を定む
方面委員任命さる
芭露東ノ沢教授場尋常小学校に昇格
湧別電気会社設立、湧別市街4号線に点灯
上芭露巡査駐在所設置
大正 8 1919 網走営林署遠軽分署設立
甜菜試作さる
佐藤弥助・吉田新三郎造田試作
信太寿之造田計画
湧別川氾濫被害多し堤防施行計画の声起る
霜湧別組消防第1部にガソリンポンプ備付く
大正 9 1920 第1回国勢調査実施
時の記念日制定
国際連盟成立
物価漸落
芭露郵便局電信事務取扱開始
村区域12部に変更
志撫子特別教授場尋常小学校に昇格
大正10 1921 名寄線全通 上芭露郵便局設置
湧別郵便局電話交換事務取扱開始
大町佳月来遊、オホツク海とサロマ湖が挟む砂州を竜宮街道と命名
大正11 1922 未成年者飲酒禁止法公布 客用自動車運行
大霜害
水害に見舞わる
上芭露に国有種馬種付所開設
大正12 1923 関東大震災起る 信部内特別教授場尋常小学校に昇格す
床丹特別教授場尋常小学校に昇格
水害に見舞わる
大正13 1924 メートル法実施 東分教場廃止
大正14 1925 普通選挙法公布
東京放送局放送開始
芭露西ノ沢特別教授場尋常小学校に昇格
千葉県より補助牛20頭導入
大正15 1926 天皇崩御昭和と改元
糸屋銀行休業
各小学校に青年訓練所併置
湧別警察分署、湧別警察署と改まる
昭和 2 1927 第2期北海道拓殖計画実施
北海道拓殖銀行遠軽支店開店
部長を口調と改む
昭和 3 1928  NHK札幌放送局開局 中番屋特別教授場設置
湧別消防団自動車ポンプ購入
計呂地産業組合及び湧別産業組合結成さる
昭和 4 1929 村内区名を字名に改む
サロマ湖口を開さく
村立女子裁縫専修学校開校す
昭和 5 1930 酪農遠軽工場操業
世界的経済大恐慌、不況深刻となる
東ノ沢尋常小学校東芭露尋常小学校と改称
湧別消防番屋新築
昭和 6 1931 満州事変起る
金本位制停止管理通貨制度となる
冷害大凶作
湧別墓地火葬炉設置
上芭露に消防組第3部設置
昭和 7 1932 農山漁村経済史正計画法案なる
上海事変起る
石北線全通
幹線湧別灌漑溝完成
大日本帝国防婦人会生る
冷害凶作
経済攻勢計画実施要項成る
遅霜(6月29日)大洪水あり
昭和 8 1933 国際連盟脱退 シブノツナイ道路開通
湧別原野2号線道路開さく
4号線消防組廃止、2部制となる
昭和 9 1934 冷害凶作 湧別川築堤工事開始(第1期)
昭和10 1935 西湧網線計呂地まで開通
凶作
上芭露郵便局電信事務取扱開始
湧別警察署廃止、警部補派出所となる
湧別・芭露産業組合合併
青年訓練所・青年学校に改組さる
昭和11 1936 皆既日蝕
陸軍特別大演習天皇御来道
西湧網線(計呂地ー中佐呂間)開通
中番屋特別教授場登栄床尋常小学校に改称昇格
芭露郵便局電話交換事務取扱開始
昭和12 1937 日華事変起る
保健所法公布
母子保護法公布
開村40周年記念式典挙行
霜湧別村紋章きまる
芭露消防組設置3部制となる
昭和14 1939 国家総動員法公布
酪連中湧別工場操業
消防組警防団に改組村内3分団設置
昭和15 1940 米の切符制実施
紀元2600年祭
1級町村制施行
昭和16 1941 太平洋戦争(大東亜戦争)起る
国民学校令公布
言論出版集会結社の自由を禁ぜられる
冷害凶作
各小学校国民学校と改称
町内会部落会結成さる
湧別川導水提工事着工
芭露・上芭露に託児所開設
芭露・上芭露に火葬炉設置
昭和17 1942 道内日刊新聞11社統合して北海道新聞創刊
北海道遠軽保健所設置
婦人団体統合大日本婦人会結成さる
下湧別健康保険会結成
下湧別村森林組合設立
漁業法の改正により湧別漁業会に改組
緑陰特別教授場国民学校昇格
漂着機雷爆破災害者108名を出す
湧別本橋架替第1期工事に着手

昭和18 1943 北海道1・2級町村制廃止 区長制度廃止
昭和19 1944 全国新聞夕刊廃止 産業組合農会統合して下湧別村農業会設立
昭和20 1945 広島・長崎に原爆投下、ソ連対日宣戦布告
終戦勅語下る、連合軍進駐
選挙法改正(婦人参政権を認む)
凶作
芭露市街に点灯
昭和21 1946 天皇人間宣言
新憲法発布
農地改革実施
公職追放令公布
自作農創設特別借置法農地調整法公布
金融緊急借置新円切替預金封鎖を行う
民生委員法公布
北見放送局設置
北見バス運行
芭露・東に電気点灯
農地委員会設置
民生委員委嘱
青年団組織の復活(自治青年連盟生まる)
昭和22 1947 新憲法施行
教育基本法公布
労働基準法制定
消防令公布
地方自治法施行
児童福祉法制定
北海道庁を廃止し北海道となる
雑穀強出に強権発動
新学制により湧別に中学校を設置する
芭露・上芭露・計呂地・東芭露の東小学校に中学校を併置す
登栄床・信部内小学校に湧別中学校の分校を併置す
西芭露小学校に上芭露中学校の、志撫子小学校に計呂地中学校の、分校を併置す
村議会議員・村長公選
開村50周年記念式典
上芭露・東芭露・西芭露・計呂地・登栄床に点灯
警防団解体消防団設置
芭露消防番屋新築自動車ポンプ購入
第1回共同募金行う
昭和23 1948 新戸籍法実施
国民の祝日に関する法律公布
北海道教育委員会設置
農業協同組合法実施
東湧小学校新設
上芭露郵便局電話交換事務開始
芭露・上芭露・計呂地に村役場出張所を設置
芭露・湧別・上芭露・計呂地農業協同組合生る
昭和24 1949 成人祭行わる
身体障害者福祉法公布
キテイ台風本道上陸
登栄床・信部内・西芭露・志撫子・各中学校の分校を独立、中学校として小学校と併置す
計呂地郵便局電話事務開始
湧別漁業会・湧別漁業協同組合に改称
北見バス湧別・遠軽間を運行
芭露農協ラジオ共同聴取施設を行う
村政広報発刊
昭和25 1950 満年齢実施
NHKテレビ実験放送
道開発庁発足
朝鮮動乱起る
税制改正により平衡交付金交付
千円札発行
北海道開発法公布
北見バス登栄床線開通
床丹畜佐呂間に編入
湧別市街側溝工事着手
湧別船溜築設完成
登栄床簡易郵便局開局
防犯協会、湧別・芭露・上芭露支部設置
牡蛎養殖事業開始
上芭露消防装備ポンプ車
湧別消防団タンク車購入
中湧別・東芭露間バス運行町営となる
遠軽上芭露間北見バス運行
昭和26 1951 講和条約調印
日米安全保障条約調印
東京・札幌航空路再開
児童憲章定まる
北海道開発局発足
社会福祉事業法制定
網走社会福祉事務所遠軽出張所設置
公営住宅法公布
東芭露簡易郵便局開局
農地委員会解散農業委員会発足
芭露農協上芭露農協と合併
中湧別紋別間北紋バス開通
佐呂間湖畔観光協会発足
芭露消防番屋にサイレン設置
昭和27 1952 第1期北海道総合開発計画策定
住民登録法実施
十勝沖地震
北海道放送開局放送
教育委員会設置さる
北洋漁業再開
湧別公民館設立
湧別定時制高等学校設立
湧別観光協会発足
信部内地区電化
教育委員選挙・委員会発足
湧別河口第1種漁港として農林省の指定をうく
湧別農協ラジオ共同視聴施設行う
中湧別・若佐間(計呂地経由)町営バス運行開始
昭和28 1953 民生委員法改正
組合立湧別高等学校を中湧別に設立
湧網線全通
大凶作
町制施行・湧別町と呼称
計呂地農協、芭露農協と合併
湧別小唄創作
上芭露消防番屋にサイレン設置
昭和29 1954 札幌で国民体育大会
酪農振興法公布
台風15号襲来、被害甚大
冷害大凶作
1円以下廃止
自衛隊法成立
国保芭露診療所建設
遺族会生まる
湧別市街に公衆浴場設置
芭露季節保育開設
上芭露・東芭露間電話架設
昭和30 1955 西カムチャッカ漁場へ戦後初の出漁
湧別季節保育所開設
芭露川氾濫
昭和31 1956 湧別高等学校道立移管
札幌NHKテレビ放送開始
新農山漁村指定町村となる
隔離病舎芭露国保診療所に附設
高度集約酪農地区として指定さる
昭和32 1957 北見芝浦甜菜工場設置操業
ソ連人工衛星打上に成功
湧別町名誉町民条例公布(大口定名町長第1号に推さる)
登栄床船付場完成
湧別河口漁港工事着手
湧別大橋竣功
地区駐在員の名称を区長と改む
上芭露季節保育所開設
開基60周年記念式典
昭和33 1958 1万円札発行
アメリカ人工衛星打上に成功
芭露川堤防工事に着手
昭和34 1859 国民年金法制定
メートル法統一実施
ソ連宇宙ロケット月面到着
湧別町乳牛2,000頭祝賀会
湧別町史編纂着手
昭和35 1960 精神薄弱者福祉法公布
全道に小児マヒ流行
湧別中学校改築落成
芭露・計呂地保育所建築
湧別町青少年センター発足
昭和36 1961 本道初のジーゼル特急「おおぞら」運転
「農業基本法」制定
「スポーツ振興法」公布
計呂地保育所開所
湧別町商工会設立
昭和37 1962 十勝岳大爆発
湧別小学校にプール設置
遠軽信用金庫湧別支店開業
芭露橋架替落成
湧別河口漁港第2次工事完成
昭和38 1963 青函トンネル調査抗着工
第2期北海道総合開発計画策定
4号線かおる保育所設立
東保育所設立
芭露中学校独立して湖陵中学校と命名
湖陵中学校新築第1期工事落成
大口丑松顕彰碑建立
交通安全推進委員会を設く
志撫子中学校湖陵中学校に統合
昭和39 1964 道鳥に「タンチョウヅル」指定
東京オリンピック開催
東海道新幹線営業開始
林業基本法成立
冷害凶作
計呂地中学校を湖陵中学校に統合
農業構造改善事業指定(予備指定)
林業構造改善事業指定
上芭露〜志撫子連絡道路自衛隊工事で完成
東地区水田廃耕
昭和40 1965 夕張北炭爆発(死者62名)
登栄床中学校を湧別中学校に統合
網走開発建設部湧別農業開発事業所設置
湖陵中学校落成
「湧別町史」発刊
日本繊維工業湧別工場閉鎖
漁業構造改善事業指定
昭和41 1966 道木に「エゾマツ」指定
メートル法完全実施
東芭露中学校を湖陵中学校に統合
計呂地母と子の家落成
サロマ湖灯台竣工
乳牛5,000頭達成記念式典
計呂地直轄明渠排水事業完成
東芭露〜西芭露連絡道路自衛隊工事で完成
昭和42 1967 道章および道旗制定
「建国記念日」スタート
日本の人口1億人突破
公害基本法公布
ソ連金星4号が金星に軟着陸
開基85年開町70年記念式典
東地区農村集団電話開通
川西小学校改築
湧別公民館増改築および芭露分館建設
消防団芭露分団車庫建設
林業構造改善事業完了
昭和43 1968 北海道新庁舎落成
北海道100年記念式典
北海道100年記念大博覧会(札幌)
日本初の心臓移植手術(札幌医大)
小笠原諸島返還実現
3億円現金強奪事件
郵便番号制度スタート
農業構造改善事業指定
商工会館建設
湧別市街歩道完成
両湧別学校給食組合設立および同給食センター建設
上芭露・西芭露中学校を湖陵中学校に統合
昭和44 1969 北海道牛馬籍条例廃止
忠類村でナウマン象化石発見
全道暴風雪に見舞われる
アメリカのアポロ11号で人間が初の月着陸
東芭露・志撫子小学校改築
計呂地・登栄床の消防車庫建設
登栄床地区漁村電話開通
計呂地水道・東湧地区営農用水施設完成
湧別停車場〜サロマ湖線道道に昇格
沼ノ上地区国営明渠排水事業完成
昭和45 1970 北海道100年記念塔竣工
「オジロワシ」と「オオワシ」を国の天然記念物に指定
日本万国博覧会(大阪)
赤軍派によるハイジャック事件(よど号)
米の生産調整スタート
過疎地域対策緊急借置法成立
道内交通事故死日本一
過疎地域対策緊急借置法による過疎地域指定
遠紋地区広域市町村圏指定
遠軽町ほか3町村伝染病隔離病舎組合に加入
芭露簡易水道完成
上芭露母と子の家落成
湧別中学校屋内運動場改築
町営バス(湧別〜東芭露)運行開始
計呂地停車場〜計呂地線道道に昇格
昭和46 1971 北海道交通事故非常事態宣言
北海道開拓記念館開館
青函トンネル本工事着工
第3期北海道総合開発計画策定
札幌に地下高速電車開通
網走、上川、十勝館内異常低温で冷害凶作
道内交通事故死日本一
大町佳月の詩碑を竜宮台に建立
湖陵中学校に町営プール竣工
遠軽地区消防組合発足
昭和47 1972 札幌冬季オリンピック開催
札幌が政令指定都市となる
道内交通事故死日本一
沖縄の日本復帰実現
連合赤軍浅間山荘事件
児童手当給付法施行
第2次林業構造改善事業指定
山村振興法による振興山村地区指定
湧別町総合開発計画策定
統合湧別小学校新築工事
川西、登栄床、東湧、信部内小学校を湧別小学校に統合
道森連カラマツ利用センター落成
円山、登栄床地区湖畔が自然休養林指定
湧別局区域内電話自動化
ん駅民間委託および計呂地駅手荷物と貨物取扱廃止
町営バス(芭露〜計呂地)運行開始
昭和48 1973  石油危機で物価狂乱
東京で金大中事件発生
道内交通事故死日本一(4年連続)
統合湧別小学校校舎、屋内運動場竣工
スクールバス(登栄床線、川西信部内線、東湧福島線)運行開始
「湧別音頭」制定
中央公民館落成
信部内、東湧寿の家竣工
第2次農業構造改善事業指定
NHK「ふるさとの歌まつり」開催(三里)
昭和49 1974 都市対抗野球で大昭和製紙北海道が優勝
北海道神宮火災
田中角栄が金脈問題で首相辞任
登栄床地区に3相動力電気導入
町営バス(湧別〜登栄床)運行開始
上芭露警察官駐在所廃止
農業振興地域の整備に関する法律により地域指定
北海道自然保護条例による保護地区指定(シブノツナイ沼、湧別神社樹林地)
昭和50 1975 北海道警察本部爆破事件
北炭幌内炭坑(三笠)ガス爆発
道内交通事故死日本一
沖縄海洋博覧会
米ソ宇宙船ドッキングに成功
芭露地区・東地区に3相動力電気導入
武道館および郷土館新築落成
国道238号線町内全区間舗装および道道
湧別停車場〜サロマ湖線改良舗装完成
老人(70歳以上)のバス利用料金無料化
東簡易郵便局廃止
芭露テレビ中継局開局
昭和51 1976 道庁爆破事件
アメリカのバイキングが火星軟着陸
ロッキード疑獄事件発生
道内交通事故死日本一(連続)
スクールバスの一般乗客の相乗り許可
芭露局区内電話自動化
湧別大橋補導橋完成
湧別常設保育所竣工
生活改善センターおよび林業研修センター竣巧
町総合体育館落成
芭露簡易水道拡張および計呂地簡易水道増補改良工事完成
昭和52 1977 有珠山大噴火
道立近代美術館オープン
道東北に大寒波
米ソが200カイリ水域実施
東芭露小学校を芭露小学校に統合
芭露診療所改築落成
農業研修センター落成
町民運動広場造成完了
昭和53 1978 新北海道総合開発計画策定
札幌営林局が北海道営林局、道内4営林局が営林支局となる
日中友好条約調印
役場新庁舎落成
乳牛10,000頭・肉用牛3,000頭達成記念式畜産總合研修センター落成(芭露)
芭露保育所落成
上芭露・計呂地局電話自動化
町民運動広場テニスコート完成
昭和54 1979 道漁連がカラ取引で莫大な欠損
秋鮭空前の豊漁(道内1,893万尾)
西湧地区(川西)営農用水施設および登栄床地区飲糧用施設完了
かおる保育所竣工
湧別町葬斎場完成
湧別町森林組合経営破綻
水産種苗併給施設完成(錦町)
昭和55 1980 空知川で500万年前の大化石発見
北海道鉄道100年
衆議院と参議院の同日選挙
遠距離通話の深夜割引スタート
志撫子小学校を芭露小学校に統合
統合芭露小学校校舎落成
登栄床保育所竣工
登栄床漁港整備完成
漁協新事務所および漁村広場完成
昭和56 1981 秋鮭空前の豊漁(道内2,092万尾)
低温と8月豪雨で本道大被害
国鉄石勝線開業
北炭夕張新鉱で大惨事
アメリカの宇宙連絡船「コロンビア」が飛行に成功
湧別町営プール完成
湧別森林組合発足
昭和57 1982 連日の大惨事(ホテル=ニュージャパン火災、日航機墜落) 農業共済組合家畜診療センター落成
開基100年記念式典
町民憲章制定
町花および町木制定
「湧別百年史」発刊
町民憩いの広場完成
開基100年記念像建立
湧別漁港第2種漁港に昇格
芭露漁港第2種漁港に指定された
湧別老人の家落成

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