志撫子郷土史
風雪の歩み
志撫子部落開基70周年
志撫子小学校開校60周年
(〜昭和48年現在)
年号 | 西 暦 | 関連事項 | 湧別町主要事項 | 志撫子主要事項 |
明・30 | 1897 | ・北海道庁設置・全道十八ヶ庁 をおく |
・湧別町役場おかれる ・小池中吉湧別村戸長に任命さる ・湧別小学校創立 |
畑田春松氏テイネイより通い船 にて通い漁を始める |
明・31 | 1898 | 全道的に大水害がある。 | ・湧別・紋別間道路開通 ・北湧小学校創立 |
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明・32 | 1899 | 小樽、網走間定期航路開始 | ・定期航路の寄港地となる | 尾張蔵之助氏通い漁を始める |
明・33 | 1900 | ・芭露原野計呂地原野区画 | ・畑田春松氏漁業権を得、志撫子 に定着する。 |
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明・34 | 1901 | 第1回道会議員選挙 紋別高野留五郎当選 |
・芭露、計呂地・床丹原野貸付告示 ・網走警察署湧別分署設置 |
尾張蔵之助氏・尾張蔵吉氏・深沢 蔵吉氏定住 |
明・35 | 1902 | ・網走産牛馬組合設立 ・第1回衆議院選挙 |
・芭露簡易教育所設置 ・7号線、計呂地道路開削(網走道路) ・冷害凶作 |
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明・36 | 1903 | ・湧別屯田兵村解体 | ||
明・37 | 1904 | ・日露戦争起こる | ・芭露原野道路14号開さく | |
明・38 | 1905 | ・日露戦争終わる | ・産牛馬組合湧別支部創立 ・道庁種馬出張交配はじまる |
・野崎勇吉氏定住 |
明・39 | 1906 | ・2級町村制施行議員定数12名 | ・桑田万次郎氏定住 | |
明・40 | 1907 | ・北見農業試験場設置 ・義務教育6年間となる(従 来4年) |
・計呂地簡易教育所設置 ・床丹駅設置 ・湧別漁業組合設立 ・芭露原野道路14〜19号開さく |
・水島徳太郎氏・水島熊八氏 ・水島徳一氏定住 |
明・41 | 1908 | 北見農事試験場水稲栽培試験 | ・芭露簡易教育所尋常小学校に昇格 ・上芭露簡易教育所及び川西分教場 設置 ・計呂地道路11号まで開さく ・北湧小学校焼失 |
・木戸福二郎氏定住 ・尾張兵助氏定住 |
明・42 | 1909 | ・生野教授場開設 ・北兵村(上湧別)3区大火 |
・今井清三氏定住 | |
明・43 | 1910 | 上湧別村ができる (湧別より分村) |
・6号線以南を上湧別村・以北を 下湧別村と改称 ・芭露原野道路(16〜23号)開削 ・東分教場開設、床丹特別教授場 開設 ・下湧別消防組公設となる |
・大山火あり(近江宅付近) ・高橋徳治郎氏店舗開設 |
明・44 | 1911 | 陸別〜野付牛(北見)鉄道開通 (網走線) |
・芭露巡査駐在所設置 | ・静岡団体13戸入植(第1次) ・愛知団体5戸入植(第2次) ・はじめて薄荷栽培される (今井八五郎氏) |
明・45 | 1912 | ・天皇御崩御8月1日より 大正と改元 ・野付牛(北見)〜網走鉄道開通 ・野付牛〜留辺蘂 |
志撫子川沿原野貸付告示 | ・志撫子川沿道路開削 (1里20丁) ・深沢武康氏店舗開設 ・中野川栄吉氏定住 |
大・2 | 1913 | ・大凶作(霜害、暴風雨害) | ・上芭露教育所、尋常小学校に昇格 ・芭露東の沢、特別教授場設置 ・湧別が13部に分かれる |
・行政区を12部と呼称 |
大・3 | 1914 | ・第1次世界大戦 ・湧別軽便鉄道(留辺蘂〜 生田原)開通 |
信夫内、志撫子特別教授場開設 | ・湖畔尾張蔵之助氏所有建物を 利用し志撫子特別教授場とする ・10月、大正天皇即位御大典 記念祝賀会 ・深沢近則氏定住 |
大・4 | 1915 | ・湧別軽便鉄道 (生田原〜 開成)開成 |
・10月1日神社落成遷宮式 ・運動会神社境内にて開催 ・志撫子川木材流送はじまる |
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大・5 | 1916 | ・湧別線鉄道全通 | ・緑陰特別教授場開設 ・川西分教場尋常小学校に昇格 ・芭露郵便局開設 |
・4月25日・志撫子特別教授場 移転(現在地) ・7月6日青年団結成 ・浅井由松氏店舗開設(この頃) ・学校にオルガン寄贈(部落より) 校舎新築記念として ・マルわ造材作業開始(2年間) |
大・6 | 1917 | ・大暴風雨雷害あり ・山火蠕動に起る |
計呂地教育所尋常小学校に昇格 | ・岡田良平先生急性肺炎で死去 |
大・7 | 1918 | ・富山県に米騒動起る ・物価3倍にもなる ・流行性感冒猛威をふるう |
・芭露東の沢教授場尋常小学校に昇格 ・湧別電気会社設立・湧別市街4号線 に点燈 ・上芭露巡査駐在所設置 |
・社名淵団体5戸入植 ・星野農場入植する(6戸) |
大・8 | 1919 | ・紺菜試作さる | ・はじめて造田試作さる ・湧別川氾濫 |
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大・9 | 1920 | ・深沢近則氏湖畔で、雨宮清重氏 学校前で店舗開設 ・志撫子特別教授場尋常小学校 に昇格 ・青年会館出来る ・10月2日・神社境内にて運動会開催 (学校グランド狭少のため) |
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大・10 | 1921 | 名寄線全通 | 上芭露郵便局設置 ・湧別郵便局電話交換事務取扱開始 ・大町桂月来村する |
・10月13日歩兵第27・8聯隊 大行軍で志撫子にくる(民宿する) |
大・11 | 1922 | 皇太子御来遊 | ・客用自動車はじめて運行 ・大霜害・水害あり |
・6月24日大霜害あり 大凶作となる ・学校物置・井戸小屋・住宅建築 |
大・12 | 1923 | 関東大震災 | ・信夫内特別教授場尋常小学校に昇格 ・水害(9月26日) |
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大・13 | 1924 | ・東分教場廃止 | ・大山火あり 図子甚助宅、岩間宅、赤間万平宅 全焼 |
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大・14 | 1925 | 東京放送局(ラジオ)放送 開始 |
・芭露西の沢特別教授場尋常小学校に昇格 ・上芭露小学校に高等科併置 |
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大・15 | 1926 | 天皇崩御 昭和と改元 | ・各小学校に青年訓練所併置 | ・学校映画会でカーバイト爆発し けが人を出す |
昭・2 | 1927 | ・部落部長を区長と改める | ||
昭・3 | 1928 | NHK札幌放送局 放送開始 | ・中番屋特別教授場設置 ・村会議員定数24名となる ・湧別消防団自動車ポンプ購入 |
・11月20日 多田直光氏道庁 長官より表彰さる (御真影奉安所建築費高額寄附) |
昭・4 | 1929 | 紋別町 大火 | ・サロマ湖口を開削 ・芭露、計呂地小学校に高等科を併置 ・村立女子裁縫学校開校 |
・紋別町大火に火災見舞金おくる ・多田直光氏町議初当選(8期32年) ・行政区「12部」より「志撫子区」と改称 |
昭・5 | 1930 | 世界的経済大恐慌、不況深刻 となる | ・志撫子、床丹間道路開通 ・東の沢尋常小学校東芭露尋常小学校 と改称 ・計呂地郵便局設置 |
・志撫子神社改築さる ・鳥居落成 ・御真影奉迎 |
昭・6 | 1931 | ・満州事変起る ・冷害、大凶作 |
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昭・7 | 1932 | ・上海事変起る ・石北線全通 ・冷害凶作 |
・遅霜あり(6月29日) ・大洪水 |
・3月校舎増築に部落より150円寄附 ・冷害対策救農工事(道路砂利しき) |
昭・8 | 1933 | ・国際連盟脱退 | ・シブノツナイ道路開通 ・湧別原野2号線開削 |
・11月19日鉄道測量隊入地 ・12月教員住宅便所増築職員室改修 |
昭・9 | 1934 | ・冷害凶作 | ・4月25日軍治思想普及浪曲会 ・8月8日鉄道起工祝賀会 ・10月18日出動軍人家族慰問 ・多田直光氏鉄道問題で出旭す |
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昭・10 | 1935 | ・西網線計呂地まで開通 ・凶作 |
・青年訓練所 青年学校と改称 | ・3月校舎改築に部落より389円寄附 ・10月20日鉄道計呂地まで完成、 祝賀会を開催 ・6月28日火防宣伝浪曲会 |
昭・11 | 1936 | ・6月19日皆既日蝕 ・陸軍特別大演習天皇御来道 ・西網線計呂地・佐呂間線開通 |
・中番屋特別教授場登栄床小学校に 昇格 ・芭露郵便局電話交換事務取扱開始 |
・凶作救済事業として志撫子奥道路工事 ・学校付近、長谷川氏宅附近河川工事 |
昭・12 | 1937 | ・日華事変起る | ・開村40周年記念式挙行 ・霜湧別村紋章きまる ・小池武男動力電気を川西に導入 (最初) |
・この頃より出征軍人が多くなる ・出征軍人家族慰問はじまる ・軍用えんばくの供出始まる ・7月学校裏築堤工事 ・7月火防宣伝浪曲会 ・馬検所建設、志撫子橋請負完成 ・9月21日図子義明氏戦死 (支那) |
昭・13 | 1938 | ・10月経済厚生講演会 ・青年学校査閲はじまる ・湖岸ふみきり請負完成 |
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昭・14 | 1939 | ・消防組警防団となる(村内3分団) | ・神社拝殿建立 ・3月主婦会講演会 ・馬検所増築学校井戸請負工事 ・この年から出征軍人に慰問状、 慰問袋おくりはじめる |
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昭・15 | 1940 | ・米の切符制実施 ・皆既触 |
・1級町村制施行 | ・4月、深沢近則氏町議に当選 (11年間) ・10月24日福永秋雄氏戦死(北支) ・掲示場建替 ・学校前オンコ植え ・道路保護志撫子支部北見道路愛護 共励会3位入賞 |
昭・16 | 1941 | ・太平洋戦争起る | ・国民学校と改称 ・町内会、部落会結成される ・芭露、上芭露に託児所開所 |
・忠魂碑建立 ・紀元2600年記念式典挙行 ・国民青年代表として市川光し東京へ ・剣道用具購入費90円を学校に送る ・国民徴用はじまる ・多田直光氏トラクタ導入(最初) |
昭・17 | 1942 | ・北海道新聞創刊 ・遠軽に保健所設置 ・大日本婦人会結成さる |
・下湧別森林組合設立 ・緑陰特別教授場国民学校昇格 ・5月26日漂着機雷爆破災害者 108名を出す |
・8月森谷茂雄氏戦死(ガダルカナル) ・9月13日森谷正男氏戦死(ガダルカナル) ・湧別村民運動会に参加 ・機雷爆破事件で笹本正雄、村上由歳の 両氏死亡 |
昭・18 | 1943 | ・皆既日蝕 | ・区長制度廃止 ・志撫子国民学校に高等科併置 |
・区長改め連合会長となる ・倶知安町大火見舞として1戸30銭を送る ・山形県村上農学校生徒援農にくる (14名) ・飛行機献納金として623円寄附 |
昭・19 | 1944 | ・都市疎開はじまる ・バス運行中止 |
・湧別農業会設立 ・登栄床、信部内国民学校に高等科併置 |
・7月18日 森谷幸雄氏戦死(サイパン) ・6月1日 畑田修氏戦死(中部太平洋) ・8月2日 中山安雄氏戦死 (テニアン島) ・8月30日 深沢円蔵氏戦死 (ニューギニア島) ・11月 あかつき部隊千島よりくる ・7月 ソレンより木材5000石 (いかだ)入る ・静岡より援農隊入る |
昭・20 | 1945 | ・広島長崎に原爆投下 ・ソレン対日宣戦布告 ・ポツダム宣言受諾 ・8月15日終戦 ・選挙法改正 ・凶作 |
・東芭露国民学校に高等科併置 ・芭露市街に点燈 |
・7月25日 雨宮清光氏戦死(沖縄) ・5月4日 今井秀作氏戦死(沖縄) ・4月3日 大石国蔵氏戦死(沖縄) ・5月10日 鏡五郎氏戦死(沖縄) ・3月17日 多田勤信氏戦死(レイテ) ・8月10日 宮内重雄氏戦死(満州) ・6月21日 山根吉春氏戦死(稚内) ・網走中学校生徒援農に入る ・10月20日 湧別警防団芭露分団団員に 多田直孝他2名発令 |
昭・21 | 1946 | ・新憲法発布 ・新円切替預金封鎖を行う ・北見放送局設置 ・北見バス運行開始 ・凶作 |
・青年団組織の復活 ・芭露東部部落に電気点灯 ・農地委員がおかれる ・西芭露国民学校に高等科併置 ・民生委員がおかれる |
・製塩業さかんに行われる |
昭・22 | 1947 | ・新憲法施行 ・教育基本法公布 ・労働基準法制定 ・地方自治法施行 ・児童福祉法制定 ・国民学校が小学校と改まる |
・湧別に中学校をおく ・芭露、上芭露、計呂地、東芭露に 中学校を併置 ・西芭露小学校に上芭露中学校の 分校を併置 ・村長、村会議員公選 ・開村50周年記念式典挙行 ・上芭露、東芭露、西芭露、計呂地 登栄床に電気点灯 ・警防団にかわって消防団設置 |
・志撫子小学校に計呂地中学校の 分校を併置する ・12月25日 電灯がつく |
昭23 | 1948 | ・新戸籍法実施 ・北海道教育委員会設立 ・農業協同組合法実施 ・漢字の簡素化決定 |
・東湧小学校新設 ・芭露、湧別、上芭露、計呂地に 農業協同組合誕生 |
・深沢勤則氏澱粉工場設置操業開始 |
昭・24 | 1949 | ・成人式行われる ・湯川秀樹ノーベル物理学賞 を受ける |
・計呂地郵便局電話事務開始 ・北見バス、湧別、北見間運行開始 ・中湧別、東芭露バス運行 |
・計呂地医院設置協力のため各戸 2名の出役 ・先生の生活補助として1戸当たり玄麦1貫 600匁を公定価格にて出す、先生1戸に 薪3敷提供 ・志撫子道路を共励会に出陳する (道路工事総出動3日間) ・志撫子川切替工事 |
昭25 | 1950 | ・NHKテレビ実験放送 ・朝鮮動乱起こる ・千円札発行 |
・床丹部落、佐呂間村に編入 ・登栄床に郵便局設置 ・かき養殖事業開始 ・中湧別、東芭露間バス運行町営となる ・遠軽、上芭露間 北見バス運行 |
・計呂地病院落成式 ・道路共励会出陳管内2位となり賞金 7,000円を受領 ・中学校教室落成式 ・湖岸に警鐘台建立 |
昭・26 | 1951 | ・講和条約調印 ・日米安全保障条約調印 ・東京札幌航空路再開 ・中湧別、紋別間バス運行 |
・東芭露簡易郵便局開局 ・農業委員会発足 ・芭露農協、上芭露農協と合併 ・サロマ湖畔観光地8箇所に命名 ・交通安全協会発足 |
・6月 下湧別連合PTA本校を視察 ・7月 長谷川善蔵氏(防火組合長)を 部落で表彰する ・7月 志撫子道路愛護組合網走支庁 より表彰を受ける(管内2位) ・12月 屋内運動場(80坪)落成式 ・部落に青年部、婦人部をおく |
昭・27 | 1952 | ・十勝大地震起こる | ・由別町公民館設立 ・定時制高等学校設立 ・観光協会発足 ・中湧別若佐間町営バス運行 ・教育委員選挙、委員会発足 |
・火葬炉設置 ・大沢重太郎氏小学校へ3万円寄附 ・9月 神社怪談(コンクリート)完成 ・祭典、浪曲、万才の会開催 |
昭・28 | 1953 | ・湧別高等学校を中湧別に設立 ・湧網線全通 ・大凶作 |
・湧別村より湧別町に昇格 ・計呂地農協、芭露農協と合併 |
・町制施行体育大会に参加 ・6月 校庭に暗渠を掘る ・8月16日 馬頭尊祭典、小屋落成式 ・10月 学校新小屋建設 ・10月 学校便所、湯のみ場完成 |
昭・29 | 1954 | ・天皇皇后御来道 ・9月15日 台風15号襲来 ・冷害大凶作 |
・芭露に診療所建設 ・遺族会できる ・芭露に季節保育園できる ・上芭露、東芭露間電話架設 ・計呂地小学校改築落成 |
・救農土木工事(道路拡張工事) ・神社屋根トタンはり ・農民運動会 ・台風15号による被害甚大 |
昭・30 | 1955 | ・町長選挙 ・湧別季節保育園開園 ・9月 芭露川氾濫 |
・町民運動会に参加 ・火葬場トタンふきなおし |
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昭・31 | 1956 | ・湧別高等学校道立移管 ・NHKテレビ(札幌)放送開始 |
・学校住宅建築 ・馬頭尊 楼植樹 ・志撫子川切り替工事 |
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昭・32 | 1957 | ・北見芝浦てん菜工場設置操業 | ・湧別大橋竣工 ・部落駐在員の名称を区長と改める ・皆既60周年記念式典挙行 |
・10月18日 志撫子停留所建設 ・学校林地ごしらえ ・学校林にから松を植樹(第1次) |
昭・33 | 1958 | ・皇太子御来道 | ・計呂地水道完成 | ・10月2日 公民館ができる ・6月10日 桜ヶ岡会館補修 ・10月18日 公衆電話深沢近則氏宅架設 ・学校植林作業(第2次) |
昭・34 | 1959 | ・メートル法 実施 ・・参院選挙 |
・湧別乳牛2,000頭 祝賀会 | ・学校林植林作業(第3次完成) ・7月5日 町民運動会に計呂地と 合同で参加優勝する ・9月15日 町内部落対抗角力大会 に出場 ・11月21日 学校水道工事 |
昭・35 | 1960 | ・湧別中学校 改築落成 ・芭露、計呂地保育園舎落成 ・湧別青年センター発足 |
・小児マヒ流行 2人死亡する ・7月3日 町民運動会に出場優勝 (計呂地と合同) ・7月23日 計呂地消防車入魂式 ・8月 小児マヒ予防全戸消毒 ・11月21日 衛生映画開催 |
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昭・36 | 1961 | ・網走、北見テレビ放送開始 | ・計呂地保育園開園 | ・4月27日 衛生部長佐藤勝治を部落 で表彰する ・11月 藤田光則氏音楽堂を小学校 に建築寄贈 |
昭・37 | 1962 | ・湧別小学校にプール設置 ・信夫内中学校湧別中学校に統合 ・芭露橋完成 |
・3月23日 氏子総代図子甚助、橋本仁 助、熊谷広の3氏を部落で 表彰する ・12月2日 開基開校50周年記念式典 挙行 ・8月16日 記念3地区(計呂地、若里、 志撫子)ソフトボール大会 ・10月3日 記念自衛隊音楽演奏会 ・10月1日 子どもすもう大会 上川舞踊団来演 |
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昭・38 | 1963 | ・知事、市町村長、道議、町議 選挙 ・7月31日 皆既日蝕 |
・芭露中学校湖陵中学校と命名 ・町長選挙 |
・神社氏子総代を区長が兼ねることになる ・神社、社殿土台修理・桑田多一郎氏 町議当選(連続8年) ・9月 町内角力大会に出場 ・11月 計呂地消防ポンプ入魂式 |
昭・39 | 1964 | ・東京オリンピック開催 ・東海道新幹線開通 |
・上芭露、志撫子間連絡道路自衛隊 工事で完成 |
・3月22日 志撫子中学校閉校式 ・4月1日 志撫子中学校湖陵中学校に 統合 ・7月17日 乗降場に便所設置 ・8月16日 盆踊り大会(浜、学校) ・8月26日 農協店舗事務所落成式 ・8月18日 無医部落無料診療 ・湖岸児童夜回りを部落で表彰する ・ホイルトラクター導入(多田直孝) |
昭・40 | 1965 | ・日韓条約がむすばれる ・朝永振一郎ノーベル物理賞 を受く |
・計呂地中学校湖陵中学校に統合 ・湖陵中学校 校舎落成 ・湧別町史発行 |
・10月1日 神社鳥居建立 ・5月27日 無医地区無料巡回診療 ・この頃、野村一美・後藤義雄氏アスパラ の栽培をはじめる |
昭・41 | 1966 | ・ソビエト、アメリカ月ロケットと 打ち上げる ・祝日法改正により敬老の日、 体育の日、建国記念日が 加えられる |
・登栄床中学校湖陵中学校に統合 ・乳牛5000頭達成記念式挙行 ・サロマ湖燈台竣工 ・計呂地、母と子の家完成 ・東芭露、西芭露連絡道路自衛隊 工事で完成 |
・ほたての養殖はじまる ・3月 学校水道工事 ・8月 町有林下草刈請負作業 ・10月 祭典、青年婦人演芸会 ・12月 学校住宅明渠排水工事 |
昭・42 | 1967 | ・メキシコオリンピック開催 | ・東芭露中学校湖陵中学校に統合 ・町長、町議選挙 ・開基85周年開町70周年記念 式典挙行 ・公民館分館芭露に完成 ・芭露消防団車庫建設 |
・5月 学校水道工事 ・12月 草野橋補修工事 ・青年団演劇、町代表となる |
昭・43 | 1968 | ・川端康成ノーベル文学賞を 受ける ・小笠原諸島アメリカより返還 される |
・学校給食センター建設(中湧別) ・養殖保管作業施設建設 |
・12月 学校水道工事 ・11月3日 多田直光氏自治功労者として 国より表彰を受ける |
昭・44 | 1969 | ・衆議院選挙 ・アポロ11号、月面着陸 (人類最初) ・学生運動激しくなる |
・上芭露、西芭露中学校湖陵中学校に 統合 ・計呂地水道完成 ・志撫子、東芭露小学校 校舎改築落成 |
・5月15日 老人倶楽部結成式 (長寿クラブ) ・10月30日 校門新設、オンコ移動移植 ・11月6日 新校舎落成祝賀会、 ・職員住宅2戸建築 ・12月10日 職員住宅車庫建設 ・11月 バックネット新設 |
昭・45 | 1970 | ・町営バス運行開始 ・上芭露、母と子の家落成 ・湧別湧別中学校屋体改築落成 |
・3月11日 道路愛護組合管内で表彰 される ・8月15日 忠魂碑再建、除幕、入魂式 ・5月 公民館、改修工事 ・6月7日 共同出役により学校花だん (校舎南側)砂場設置 ・10月1日 祭典ソフト大会 ・10月6日 町内連P研修会、本校にて 開催さる(120名参加) |
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昭・46 | 1971 | ・ミュヘンオリンピック開催 ・知事、道義選挙 ・参議院選挙 |
・町議選行われる | ・3月 農集電話架設 ・10月1日 祭典ソフト大会 ・11月1日 志撫子川氾濫、橋梁殆ど 流失 ・11月20日〜12月1日、冷害救農土木工 事(志撫子川維持補習事業) ・12月 スケートリンクはじめて校庭に 特設する |
昭・47 | 1972 | ・沖縄返還さる ・札幌冬季オリンピック (2月3日〜) ・アサマ山荘事件(3月2日) ・ハイジャック事件(11月6日) ・公害増大しはじめる ・田中内閣誕生 |
・国道238号線、志撫子、計呂地間 改良工事着工 ・志撫子橋完成 ・志撫子浜道路完成 ・旱ばつ |
・5月 農漁家林払い下げ ・4月 桟橋新設 ・6月 畑総砂あげ場(湖岸)完成 ・10月 町道志撫子道路拡巾工事 (1Km) ・12月1日 暴風雨襲来、漁業関係の 被害甚大 ・12月 学校水道(60万円)完成 ・11月 テレビ共同受信施設設置 ・8月 桜ヶ岡整備事業 ・12月 志撫子川あきあじ上る ・12月 学校林間伐作業 |
昭・48 | 1973 | ・根室沖地震起る(6月17日) ・物価暴落 |
・信夫内、登栄床、東湧、川西の各 小学校、湧別小学校に統合 ・湧別公民館半焼 ・湧別統合小学校舎完成 ・国道238号線志撫子、芭露間改良工事 着工 |
・6月25日 60周年記念運動会開催 ・8月15日 部落開基70周年記念式 挙行、記念誌発行、祝賀会開催 ・6月10日 桜ヶ岡公園に花だん設置 ・9月 町道志撫子道路拡巾工事 (志露峠入口まで) |
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