開基70周年記念   「思い出の虹     
湧別町西芭露

序 章

昭和の小漁師top
西芭露top


 分 岐 点
                               佐 藤 信 雄 
 三叉路があるここを分岐点と呼んでいる

 この部落が拓けはじめた往時から

 幾千、幾万、或いは幾十万の人が

 ここを通り過ぎたかも知れない

 ある人は喜びに胸をおどらせ

 ある人は悲しみを秘め

 ある人は平凡に

 ある人は徒歩で

 ある人は馬車や馬橇で

 ある時は夏の炎天の日

 ある時は肌も凍る吹雪の日

 それ等はみんな夢のようです

 この分岐点で出征兵士を送り

 転任の先生を送り また迎え

 その人々の中には二度と会うことの

 出来ない人々がたくさん居るのです

 一人は大和田先生であったり

 一人は石塚重太郎君であったりする


 いろいろな時世を越えて

 車は走る 人は往く

 遠くこの地を去られた人々も

 宿命の三叉路

 山青く 水清い この郷の

 分岐点を思い出してくれるでしょう

 序にかえて
                                             記念誌「思い出の虹」編集責任者  佐 藤 信 雄

  開拓創始時代、粗衣粗食に耐えて、原始の森を一鍬、一鍬拓いた父母や祖父母の労苦を追想する時、其の頃の誰もが想像
しなかったであろうこんな奥地に、電灯電話の架設、ラジオ、テレビの普及、自動車の走る舗装道路など、夢のような世界が現在
の私達の環境であります。
 今既に過去の人となられた創業の人々の霊にご報告致し、心よりご冥福をお祈りする次第です。
 開拓以来七十年、人類の英知は夢幻に拡げられ、月世界への到達により、月は神話の幕を閉じ、津軽海峡の海底トンネル、瀬
戸内海の架橋も近い将来の課題となったのです。
 この華やかな時代に於いても、千年の昔、唐の長安に於いて、故郷春日の里三笠の山に出た月を偲んで、不帰の客となった仲
麻呂の郷愁が、「ふるさとは遠きにありて思うもの」という今の人々の心と相通ずるとすれば、今私達の心のふるさと、遠い創始時
代の環境や、苦渋な生活を偲ぶことも、未来に発展を期して強く生き抜く現在の人々にとって、無意味なものでないと信ずるもの
です。
 私達が行きの広野に道を失った時、進んでいく方向を見出すため考えることは、後をふり返り、出発点と現在位置の点を結んだ
延長上に進むべき道が展けると考える刻、過ぎ去った過去の歴史は死んだ無意味なものでなく、過去・現在・未来と関連性がある
ものと確信するものであります。
 この意味におきまして、開基七十周年の記念すべき時に、過去の思い出や、出来事を掘り起こして、この一巻の発刊となった次
第です。
 開拓以来この部落に居住し多年、町議、部落役員、農協役員等の要職を歴任された功労者茶山秀吉氏の記録、記憶、その他の
方々の供述尽力、郷土研究に情熱を燃やし、教鞭をとっておられる池田恒夫先生をはじめ諸先生のお骨折り、部落の皆さんのご協
力に、衷心より感謝する次第であります。

西芭露開拓七十周年を迎えて
                                                          西芭露部落区長 長 屋 政 二  

 西芭露開拓七十周年を迎うるに当り、私の記憶の中から其の苦難の一端を偲びたいと思います。
 大正七年三月、私は父母に伴われて岐阜県より当部落の奥地に入植いたしました。明治四十二年、高橋秀太郎氏外六人の最
初の入植者に遅れること九年、開拓の第一期が終わりに近い頃でありました。
 父母は傾斜面の多い新地に、小作として開拓の斧をふるうこととなりましたが、先に入植した方々の援助で、昼なお暗い大木の
茂る笹やぶを刈り分け、手掘りの三尺柾で屋根を覆い、側を囲った。いわゆる着手小屋に一家六人が旅装を解いたのでした。この
とき子供心に感じた不安と安堵の交錯した感情は今も心に残っております。
 通学にも夏は和服に紐帯をしめ、椙皮やすげで作った草履をはき、冬はつまごにもんぺといった出で立ち、芋や南瓜の弁当を腰
に、一里余りのせまい藪の中の刈り分け道を歩いたものでした。
 星移り時は流れて、既に創始時代の人々は亡く、その意志は二代、三代の人々に引き継がれ今日に至りましたが、あの原始の
西芭露の地に、電灯がともり、電話がひかれ、テレビが普及し、営農には大型機械が導入されて、着々と成果を誇る現在でありま
す。
 私どもは、粗衣粗食に耐え、幾多の艱難辛苦の鍬をふるって、今日の明るい平和な郷土西芭露の基を築いた先駆者の創業に、
衷心感謝を捧げる次第でございます。
 此の度、開拓七十周年を記念してその歴史を一巻の誌に書きとどめることは、誠に意義深いことであり、関係各位のお骨折りに
感謝申し上げます。
 戦後三十数年、多くの仲間の離農された時代もありますが、今は少数ながら堅実で落ち着いた部落づくりがなされております。
今後も幾多の曲折した時代が訪れることと思いますが、そのとき我々の指標としてこの記念誌が、価値あるものとして生きてくる
ものと信じます。
 我が郷土、西芭露部落の益々の発展を祈念致しご挨拶をします。


開基七十周年・開校六十六周年を迎えて
                                                           西芭露小学校長 高 橋 哲

  錦繍の秋、西芭露部落開基七十周年、並びに本校創立六十六周年を迎え、茲に関係者の御尽力により記念誌「思い出
の虹」の上梓に至りましたこと、まことに欣びに堪えません。
 未開の土地に鍬をふるい、学校を建設して、その理想郷を夢見た先人の粒々辛苦は筆舌の能するところではありません。
われわれが教授する今日の繁栄は、まさにこれら草創の苦闘と、幾星霜、たゆみなく受け継がれた開拓の情熱に負うものでありま
す。
 私は、縁あって本校に職を奉ずる幸運を得ましたが、その沿革をたどり、最も感銘深いことは、入植間もない大正二年、未だ食住
のままならぬ時期に、いちはやく指定の教育に思いを致し、「西ノ沢特別教授場」を創設、開拓の礎を固められたの挙であります。
 まこと、拓地殖産と教育は開拓の悲願であります。
 爾来、時世の変遷や教育制度の改革により、本校の組織編成は幾度か改められ、数度におよぶ校舎の移転改築という難事業を
経て今日に至りましたが、六十六年の歳月にわたり、生々発展しつづけた進取の校風と勤勉の伝統とは、実にこの開拓の原点に
由来するものであります。
 今、豊かに恵まれた自然と、ゆきとどいた環境の中で、のびのびと学習にいそしむ児等の姿は、往時を偲ぶとき隔世の思いであり
ますが、本校を今日あらしめた先人の御労苦と、歴代の教職員のご努力に、深い経緯と感謝の念を覚えずにはおれません。
 かって、ハッカ王国を謳った当地も、近年、社会情勢の推移により離農者相次ぎ、農業機構の改善等、郷土発展の方向は必ずし
も予測を許しませんが、教育の今日的課題は、変容すつづける社会にあって、自ら未来を切り拓いていくたくましい人間を育成する
ことであります。
 「温故知新」私どもはこれを契機として一層の精進を期し、本校の限りなき発展と郷土の躍進を祈念する次第であります。

記念誌発刊に寄せて
                                                      西芭露小学校PTA会長  伊 藤  剛  

 わが郷土、西芭露に最初の鍬が入れられてから七十年、「西の沢特別教授場」として学校が開設されてから六十六年、皆さまと
共に、今日の繁栄を慶祝できますことはこのうえない喜びでございます。
 熊笹や灌水が行くてを阻み、桂や楡の巨木が空を覆う原生の地に、想像を絶する困難と戦い、昼夜をわかたず新天地開拓に身
を挺され、また教育こそ開拓の砦と、困苦欠乏の中で学校を建てられた先人の夕紀と英知に、私どもは頭の垂れる思いがいたし
ます。
 この度、こうした先人の御労苦と、これを受け継がれた先輩の方々の開拓の記録を、末永く残し後世に伝えようと記念誌が発刊
されますことは、まことに意義深いことと存じます。
 幸いにも、開拓当初より活躍された古老の幾人かが現存されて、その昔語りをお聞きすることが出来ますが、淡々と語られるお話
のふしぶしに、一貫して胸を打たれることは、厳しい「開拓者魂」と溢れる「郷土愛」でございます。
 ひと口に七十年と言い、六十六年と申しますが、有意転変、まさに敷設の歴史と言わねばなりません。打ち続いた冷害凶作の幾
歳、また暗雲の大戦下、そして戦後の混迷の時代と、どんなにか御苦労の多かったことか・・・。
 そんな時、私どもの先輩は学校に集まり、互いの知恵を出し合い、扶け合い、励まし合ったと聞きます。学校は部落の中心として
心のよりどころでありました。それだけに学校に寄せる期待も大きく、こと教育については何よりも優先するというならわしでした。
昭和三十年、部落の走力を上げての現校舎の移転新築は、近隣に聞こえた壮挙として記憶に新しいことでございます。
 歴代の校長先生をはじめ諸先生方もまた、部落と一体となり児童生徒の教育にとどまらず、婦人会、青年会等社会教育の分野に
も献身的な情熱を傾けていただきました。
 今私どもは父祖の築いた豊饒の沃野にその意志を継いでおりますが、これを契機に、更に相携えて郷土の発展と、次代をになう
子どもたちの教育に万全の努力を重ねる所存でございます。
 最後になりましたが、記念誌発刊にあたり、日夜資料集めに奔走されたり編集にあたられた各位に深甚な謝意を表します。

お祝いのことば
                                                            湧別町長 清 水 清 一

 風薫る良き日、ここに西芭露開基七十周年、開校六十六周年の記念式典を挙行されるにあたり、祝意を表する機会を得ましたこと
は、誠に光栄であり、私のもっとも喜びとするところであります。
 顧みますと、本部落は明治四十二年に開拓の鍬が下ろされてから七十年、幾多の紆余曲折を乗りこえ、巨木のうっ蒼たる北方未
開発の地をたがやし、あらゆる辛苦に耐え身を挺して厳しい大自然と戦いながら開拓者の尊い血と汗の努力は、郷土の土に中に生
き生きとして、今なお深くとけこんでおり、今日の繁栄の礎となっており、往時をしのぶとき、熊、きつねの横行する山道を通学された
ことなど、各位には想いで、懐かしさ等、私共にもまだ去らぬ新しい現実でもあります。
 西芭露部落の建設のために全生命を託された先駆者、又、へき地において教育振興のためにご努力を賜った教育者各位の偉大
な業績に経緯と感謝を申し上げる次第であります。
 西芭露部落は、先駆者により将来に希望を託して部落造りがなされ、築かれてきた荒野も子孫へと愛念が受け継がれ、今や、明る
く住みよい理想郷を目指し、豊土として七十年の流れの歴史が刻まれ、薄荷の香が匂うふるさととして繁栄し、今日が築かれている
わけであります。七十年の栄ある歴史と先駆者の偉業に対して、深く肝銘し、感激を新たにし、尚一層の努力、精進を心から願うもの
であります。
 また、西芭露校は、入植者自らの力で校舎を建設し、大正二年上芭露尋常小学校所属西の沢特別教授場として発足、昭和三十年
に現在の校舎が近代的内容を取り入れて建設され、教育施設の充実したなかで活気の満ちた教育がなされ、今日の西芭露校の歴
史と伝統が造りあげられました。この六十六年間に母校を巣立った同窓生並びに卒業生諸君が、母校の教えをまもり、各分野におい
て夫々覚ましい活躍をなし、本校の名声をあげており、更に次代を担う有能な子弟も続々巣立って各界に大きく活躍される様期待を
もたれ、ご奮闘されておりまして、誠に心強く喜ばしく、このことは諸先生方の教育に対する情熱の結果でありまして、各位の御尽力
に衷心より敬意を表する次第であります。本校の六十六年の歴史、これは非常に貴重なものであります。この歴史を更に意義あるも
のとし、子供たちが未来に向かって明るく、たくましく成長することを願ってやみません。同窓生の皆さんも、在校生の諸君も、また、
本校に職を奉ずる職員各位におかれましても、益々の自重自愛、研鑽を積まれ、各々の職分に全力をつくされ、創造性豊かな人間
づくりの場に西芭露小学校が発展しますことを心から念願するものであります。
 最後に本部落のますますの隆盛と、校下の一層の発展を祈念し、お祝いのことばといたします。


開校六十六周年に寄せて
                                               湧別町教育委員会教育長 蔦 保 太 毅

 人間の精神には欲するだけひとは書き込み、彫り込むことができる。そこには終末を示す限界はないと人間能力の無限の可能性 
がある。
 人間は、歴史の巨大な流れの一こまとして現在生きている。過去の歴史を知ることは、現在を創造することであり、同時に未来に
何を為すべくかを解くことになる。
 西芭露小学校には、六十六年の歴史がある。これは、町の教育史でもあり、多くの波乱に富む複雑な曲折を経てきた時期でもあ
る。歴史は事実の堆積として存在するのであるが、人々の記憶は時の経過とともに、次第にうすれ、あいまいになっているのが現
実である。従って、学校設置の意義を考え、発展の源泉、足跡、数多くの卒業生、関係者の思い出などを活字にしておくことは、今後
を受け継がれる方々の大きな責務であり、最も意義深いものであります。
 西芭露小学校は、今を去る六十六年前、教育は地域開発の鍵として設置されました。この先人の偉大なる卓見、洞察に深甚なる
敬意を表するとともに、激動する教育に対し常に変わらぬ情熱を燃やし続けた関係各位に心から感謝の意を表する次第であります。
 六十六年の歳月は、何時かは短い一時期に過ぎませんが、現実としてみると、決して短いものではなかったはずであります。六十
六年間いつ知れず育まれた伝統は、後から来るものと誓約し指導され、歴史や伝統が後に続くものを教えている。
 六十六年の伝統は偉大なものであります。
 今日の教育を考えるとき、社会の多様化、複雑化の中でまず考えなければならないのは、心豊かな人間性の向上ということであり
ましょう。科学技術の発達も、福祉も、文化も、これがなければ基盤を失い、その経成果を期待することは不可能であります。
、これは日常生活の中で、なかんずく教育の場において、一番大切なものとして自覚してゆかなければなりません。
 このため、自然と調和する生活また、共存の精神、歴史的文化価値について、理解、感受性を養い、創造的意欲を高めなければな
りません。従って、開拓時代の真摯、創造的不屈の精神をもっている西芭露でありますので、古き良きものに新しいものを積み重ね
ることにより真の教育があると思われます。
 この誌に六十六年の歴史が刻まれ、更に新しい光り輝く歴史が書き加えられることを期待するものであります。