町民芝居ゆうべつ 第9作
脚 本 | ||
![]() 第九回公演 作・石渡輝道 ゆうべつ物語第九話 大正生まれの女(ひと)「はる」と故郷へ帰れなかった兵士 (一幕八場 一一〇分) |
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音楽入る スタッフ、キャストの紹介(五分) ナレーション この物語は、大正に生まれ、昭和、そして平成の世を合せて八十余年を生きた、ひとりの女「はる」の生涯を紹介しながら、東京で生まれ、東京で育った、ひとりの男……即ち、夫「稔」。この夫「稔」は、終戦を北海道で迎え「いつかは故郷 東京へ」とかなわなかった夢を追いながら、この北の大地に生きたひとりの男の生涯を見ながら「夫婦とは何なのか」「家族とは」「故郷とは何なのか」を考えて見ることにしました。 ごゆっくりと、最後までご観賞ください。
幕上る |
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第一場 |
(十分) 語りギター |
(平成六年「はる」八十歳の田舎者が、都会に出るまでの回想と結婚、出産、戦争を思い出して語る) スポット下手のギターリストに徐々に入る。 舞台スポット上手「はる」に入る。 音楽消える。 はる、タバコ一服してから語りだす。 回想① はる 私の名は、「はる」と云います。今、八十歳……半年前に夫の「稔」は、天国に行ってしまいました。 ひょっとしたら天国でないのかもしれませんけれど? 私は、ここオホーツクの小さな村で生まれたのは、大正二年です。 ……「はる」と云う名を付けたのは父で、「春」と云う季節が父は一番好きだったからだそうです。 ……その思いは、私も同じです。 オホーツクの冬は長い……十一月になると雪が降り出し、そこからが長―い……寒くて……寒くて ……暗いさみしい冬が続くんですからね。 でも、四月になると雪は溶けだし、一変して、ねこやなぎが芽をふき、蕗のとうが出る、同時に 福寿草が咲く、少し間を於いて、さくら、つつじが一斉に咲きだす。 春が駆け足で、この北の大地にやってくる。 これが「春」と云う季節が、好きだと云う理由なんですよ。 そしてもう一つ、私が一番好きなのは、さくらの花と、そして、その散る風景です。 私は、何時しか、そのさくらの花の散る美しい風景の様に……そんな人生を送りたいと思っている のですが、はたしてどうなりますことやら…… さて「私」は、昭和五年十五歳の春に、遠い親戚を頼りに、家出をするように、東京に出たのです。 (汽笛がなり、汽車の走る音が入る) このオホーツクの小さな村の田舎者が、大都会の東京ですから、驚いたなんちゅうもんでは、 ありませんでしたね。 一番驚いたのは、人が多いことでした。それも男はみんな美男子で、田舎では見たこともない、 いい男ばかりでした。 親戚の家は、東京の下町で、浅草に近い所で食堂をしていました。朝早くから、掃除、仕込み、 サラ洗い、終わるのは夜の九時過ぎでした。 それから風呂に入って寝るのが、毎日の日課でした。 大変だったけれど、今更故郷に帰るわけにもいきません。 家出同然で、東京に来たんですからね。 そして五~六年が経った頃には、やっと近所の男「稔」を見つけ恋愛をしていました。 そして昭和十二年結婚することになってしまいました。今考えると、東京の男なら、 誰でも良かったのかもしれません。それは、東京の男と結婚するのが、夢だったからです。 こんなこと云ったら稔さんに失礼ですよね。 ただ、この結ばれるまでの話ををすると、少々時間がかかるのと、少しテレるので、ここでは話しません。 みなさんの想像におまかせします。 さーて、新婚生活とは、こんなに楽しいものかと思えるほど、毎日が楽しかったですよ…… これはのろけですけどね。 ……楽しいことは、長くは続くものではありませんね。 結婚してから、四カ月程たったある日の朝、夫に赤紙、即ち「召集令状」が来たのです。 その時、私たち二人は、ただただ、呆然としました。 出征の前夜は、悲しくて一睡も寝られませんでした。 ただ抱き合っていました。……あっという間に、朝が来ました。 この夜の時間は、数分間、いや数十秒でしかなかった様に感じたぐらいです。 朝、そっと夫の耳元で「子どもが出来たの」と、伝えたのです。 (スクリーンに出征の風景が出る¦¦¦シルエットか、映像で)三十秒 昭和十三年秋、夫は出征中でしたが、長男「明」が元気に生まれました。 その日から、一生懸命子育てをしました。夫に元気な子どもの顔を見せてやるために。 昭和十四年二月に、夫は復員をしてきました。 またやっと、親子水入らずの生活に戻ったのです。 その年の暮れには、次男が誕生し、今まで以上に楽しい生活を送ったのでした。 しかし、やっぱり楽しいことは長くは続きませんでした。 昭和十九年、夫の二度目の出征でした。 夫は南方方面に行ったとのことでしたが、残った私たちの三人の、母と子の生活は、大変でした。 昭和二十年に入り東京も毎日の空襲、食料不足、泣き叫ぶ子どもの声、 だんだん近くなる爆弾の地響き、それは生きた心地はしませんでした。 (スクリーンに空襲の風景が出る¦¦シルエットか、映像で)三十秒 昭和二十年三月、食べ物も満足に無い毎日、空襲の悲惨、防空壕の中での生活を逃れる ために、子どもたちを連れて、実家の北海道に疎開をする決心をして、上野駅から汽車に 乗ったのでした。 家出同然から十五年目、初めての実家への里帰りでした。 (汽車が鳴り、汽車の走る音が入る) その途中は大変でしたが、やっとの思いで、北海道に着きました。北海道 は、戦争が嘘みたいでした。空襲は無く、食べ物は腹一杯食べることが出来ました。 でも、それはイモかカボチャ、麦のご飯でしたが、それでも東京に居たときから見れば、 子どもたちには本当に良かったと思いました。 だって。お腹一杯に食べることができたからなんです。 そして……その年の昭和二十年八月……戦争が終わったのでした。 (スクリーンに終戦の放送が入る)三十秒 夫はその時、北方警備のため、終戦は、私の実家の近くの網走にいました から、直ぐに私の小さな村に帰ってきたのでした。そしてそこでの生活が始 まるのですが、夫、稔は東京へ帰ることを考えていたのでした。 しかし、まだ東京は荒れ果てているために、とりあえずここで働く所を捜 しながら、居候をすることにしたのです。 そんな折、夫婦で働く場所が見つかるのでした。 音楽入り、照明消える |
第二場 | (三十分) | 舞台①¦一 自宅の居間 (昭和二十一年春、両親は子どもを説得し、出働きに出ることになる) 照明入り、音楽消える はる、タバコを一服してから、話し出す はる なー、仁、半年ぐらいだから我慢できるよね。 稔 明は、兄きなんだからそれくらいは、やっていけるよな。 二年生なんだから。 明 一緒に行ったら駄目なのか、いくら兄きでも、二人だけでいるのは、さみしいな。 はる そりゃー学校が近くにあるんだったら、連れていく、でも二里も三里もあるっていうから、無理ださ。 それも、山の中だからね、道が悪いんだって云っているし。 稔 仕事場は山ん中だから、まだまだ、道なんか整備されていないんだ、仕方がないって。 明 そう言ったて、よその叔母さんに預けられるんでしょ。いやだな。 はる そりゃ、私とは違うさ。でも、私よりは、うるさくないよ。福田の叔母さんは。 稔 何、お前も知ってる福田の叔母ちゃんだ。何も心配ないって。 明 叔母ちゃんのことで心配なんかしてないって。一番心配なのは、仁のことだって。 こんなに小さいのに一人ぼっちになるんだよ。 はる 何を、子供の様なことをいっている、もうお前は二年生にもなっているんだよ。 稔 かあさんよ、明は子供だよ、まだ二年生なんだからな。 でも、二年生だったら、我慢しないとな。 見れ、仁は何も云わないぞ。 明 仁は、さみしいの当たり前ださ。 父ちゃん、兵隊から帰って来たの、十二月だったよね、あれから4カ月ぐらいしか 一緒に生活してないんだもん、直ぐ離れるんだもん、さみしく無いわけないしょ。 はる そりゃそうだ。でもな、じいちゃんや、ばあちゃん達ばかりに、いつまでも世話に なって居られないことぐらい、明だって分かるな。 仕事しないと、食べていけないんだから。そうだろう。 稔 本当だな……仁は何も云わんな……やっぱりさみしいよな……一年生だもな。 仁 うん…―― 間 ――…さみしくなんかないよ…… だって、空襲の時だって、兄ちゃんと一緒だったから、何もさみしくなかった。 でもね……この仕事終わったら、今度はいつまでも一緒に居られるんでしょう…… それなら、それくらいの我慢できなかったら、一年生じゃないよね。 はる 本当だな、兄きの明よりしっかりしてるって。 稔 ごめんな、二人を置いて行く仕事しか見つからないんでな。 明 仁がそう云うなら、俺もいいよ。なー仁、頑張ろうよな。 仁 あたりまえだって、父ちゃんや母ちゃんが頑張っているのに、 子どもの僕達が頑張らないで、どうするのさ――兄ちゃん。 そこに小沢社長と寮母福田が下手より入って来る 小沢 どうだい、子どもたちには、分かってもらえたかい。 可哀想だけど、仕方がないさ。 学校までは遠いし、今は別海の山の奥の方のそんな現場しかなくてな、悪いけど行ってくれないか。 稔 いや、私たちの方から、お願いしたんですから、仕方がないんです。 たかが、半年ぐらいですから、この二人は我慢してくれますよ。 福田 二年生と、一年生じゃ可哀想だよね。 でも、今はこの仕事しかないって云うんだから、しょうがないね。 小沢 戦争が終わった直ぐなんで、これといった仕事は、まだまだないのでな。 はる 仕方がないんです。食べていかなければいけないんですから。 お父さんは「東京に行けばどうにかなる」て云うんですけど、焼け野原 の東京に行ったって、何も無いぐらい、一番知ってるのは、私なんです…… その焼け野原から逃げて来たんですからね。 小沢 何、長く行ってれと云うことでないんだから、半年だ。 福田 この辺じゃ仕事はないんですからね。 小沢 少しそこで我慢して働けば、金にはなるって。 子どもは、この福田の母さんにまかせておけって。 心配ない。 福田 そう云われると、少し心配になって来た。 でも、だてに年を取ってる分けじゃないからね。 まかせておきなさいよ。 小沢 この母さんにまかせておきな。 うまいもの食べさせてくれるから。 福田 なあ、明くんに、仁くん。頑張れるよね。 稔 よろしくお願いします。わがまま云うと思いますが、どしどし叱ってや ってください。 はる いろいろお世話になります。本当に感謝してます。 明 俺ば心配しないでよ、ただ、仁がね。 仁 心配しなくていよ、僕と兄ちゃん頑張るから、父ちゃんたちも頑張って、 山の奥に行くんだから、僕達より大変なんだから、体に気をつけなきゃい けないよ。 小沢 参ったね、老いては子に従いか……は、は、は。 福田 よく出来た子ども達だよね。叔母さんも頑張るからね。 一緒に頑張ろう。 はる お願いします。 稔 よろしくお願いします。 小沢 こちらこそな、たのむよ。次の仕事は近間でやれるような仕事探しておくから。 福田 そうしてくださいね社長さん。子どもたちがかわいそうですよ。 小沢 じゃ、たのんだよ。一週間後の朝早くたつから。 福田 おじゃましましたね。明ちゃん、仁ちゃん、よろしくね。頑張ろう。 小沢社長と福田寮母が下手に出て行く、みんなで見送る 音楽入り、照明消える
(兄弟が、親なし子、都会っ子で、いじめにあう 途中で弟が腹痛を起こし大騒ぎとなる) 照明入り、音楽消える 元 やーい親なしっ子。 強 都会っ子、いつも二人でないと、歩けないんだべ。 安 お前らの父ちゃん、母ちゃん何処に居るのよ。 お金無いもんだから、子どもおいて、何処かに逃げて行ったんだって、 みんな云ってるぞ。 元 なー何か云えよ。いつも二人で何してんのよ。 少しぐらい勉強できたって、そんな青白い顔してたら、気持ちが悪い。 強 何、元ちゃんよ。少しばかりじゃないって、俺らと比べようがないぐら いこの兄弟は出来るって。なー安ちゃん。 安 本当ださ。俺らと比べようがないぐらい勉強できるって。 元 何か云えよ。親なしっ子。 強 皮の靴履いてよ。 安 そうよ。俺たちなんか、ぞうりか、ゲタだ。 元 ゲタならまだいい方だ。いつもゾウリよ。 皮靴でも履かなきゃ、頭良くならないかな。 強 そうよ、勉強のときは、いらんことまで云うくせに。 安 俺が答えようと思った時、先に手上げてよ。 元 何、安ちゃんよ、お前が答えるってかい。何時も寝ているくせにさ。 強 そうよな、何時も寝ているよな、安ちゃんは。 安 仕方がないんだ、学校に来る前に、朝早くおきて父ちゃん達と畑で草取りしてから、 学校に来るんだもんな。 元 何、お前、畑仕事手伝ってるのか。 強 へー、元ちゃん、知らなかったんだ、俺も安ちゃんも家に居る時は、何 時も父ちゃん達の仕事ば手伝ってる。 安 そうださ、元ちゃん所ぐらいだって、元ちゃんの家は、金持ちだからね。 元 そうでもないって、でも、食べるものぐらいは倉庫に積んであるって。 だけど、この明や、仁のとこみたいに、食べるものが無いから、ここに 逃げて来たんだべさ。 強 俺も聞いていた。東京から逃げて来たってな。 安 それでも、逃げて来れたから、いかったんだべさ。 そのまま東京にいたら、もう死んでここにはいないって。 明 黙ってたら、勝手なことばかり云って、いつも弟ばかりいじめて、文句 があるなら、僕に云って下さい。 元 へー……僕だってよ、僕って誰よ。僕って。 おい、強ちゃんよ、僕なんていう人いるか。この辺に。 強 ここには、俺とか、お前とか云うのはいるけど、僕なんて云うやつはい ないね。何処の人間よ。僕って。 安 そうだって、そんなの、ここにはいないって。僕なんて云う子どもはよ ……なーそうだべ、元ちゃん。僕なんていう生き物いるかよ。 そこに担任の高井先生が上手より入ってくる 高井 何してんの。まだ家には帰っていないのね。 何、遊んでるの。 元 あれ、先生、俺たち……今帰るところだ。 強 そうだよ。今帰るとこだ……いじめてなんか、いないって。 元 何、強ちゃん、何云うのよ。 強 そうだって、いじめてなんかいません。 高井 やっぱり、いじめていたのね。どうしようもない子ども達ね。 何、云われたの、明ちゃん……仁ちゃん。 元 帰るから、先生さようなら。 強 俺も帰る。じゃ、先生さようなら。 安 おいまってや、おいてくなって……先生さようなら。 元、強、安、この場から走り去る 高井 そうだね。逃げるんだ、道草しないで帰るのよ。 ……何、云われたの?東京っ子。都会子って。 そんなこと何よ。気にすることじゃないでしょう。 明 そんなことばかりじゃないんだ。仁に、親無し子なんて云うんだもん だから。 高井 そんなこと云ったのかい。悪い生徒だね。担任の先生の顔が見たいもん だね。……あれ、それ私だね。……ごめんね、明日学校に行ったら、よく 云っておくからね。ごめんね。 仁くん、明くんなんか親無しっ子じゃないしょ。今は、働きに行ってる んだら、ここに居ないのは当たり前だよ。 仁 何云われたって、大丈夫だよ。父ちゃんたち、もう2カ月ぐらいで帰っ てくるんだもん。 それに、僕達は、戦争してた東京から来たんだから。 ……たくさんの人が死んだ東京から。 僕や、明兄ちゃん、母ちゃんは今、元気で生きている。 それに、うちの父ちゃんなんかは、元気に帰って来たもんね。 高井 そうだよね。一生懸命お国のために働いてきたんだしね。 今の職場は、秋になったら帰ってくるんだから、我慢出来るよね。 仁 先生、だいじょうぶだって、心配しないで。 何時も僕達は、母ちゃんと、明兄ちゃんとで頑張ってきたもん。 それに、父ちゃんも去年の十二月に来たしさ。 明 仁は大丈夫だ、先生……俺よりずうっと大人なんだ。 高井 そうだね、仁くんは、偉いよね。 あれ、仁くん、顔色が悪い。どうかしたの。 どれ、熱でもあるの。 明 どうした、腹でも痛いのか、どれ、ここか。 高井 どうしたの。何か悪いものでも食べたの。 仁 昨日から、何回も便所に行くんだ。お腹も、ちょっと痛いし、下ってる んだ。 明 何して早く云わないのよ、我慢してたって、治らないぞ。 高井 どれ、どの辺が、ここ、ここ。 こんなことしてるより、早く病院に行きましょう。 早く、早く。 仁を抱えるように、高井先生と、明が下手舞台に入る 音楽入り、照明消える 舞台①¦三 自宅の居間の仏壇の前で (次男 仁は当時の流行病(はやりやまい)で亡くなる 遠方にいるために親達は死に目にも会えず後悔する 照明入り、音楽消える はる、タバコ一服してから話し出す はる 仁、ごめんな、居てやれなくて。 稔 明、おまえが居て、どうして分からんかったのよ。 悪くなるまで分からんかったんか。 明 うん、分からなかったんだ。急にお腹が痛いって、云い出すもんだから。 直ぐに病院に連れて行ったんだけど。 高井 そばに私がいたのに、本当にすみませんでした。 明ちゃんと病院に連れていったんですけど。 稔 何か悪い物でも食べたんじゃないのか。 お前たちは食いしんぼうだからな。 明 何も特別な物は食べていないって。 俺と同じものを食べてるから、俺はその夜、少し腹下ったぐらいで、 何でもなかったんだ。 はる そうださ、食べるったって、今は食べる物がたくさんありゃしないん だから。 でも、ここ何日も暑かったからな、水たくさん飲んだんじゃないかな。 この子は小さい時から、お腹が丈夫じゃなかったもんね。 あんたは、あまり知らないけれど、東京から疎開して来た時も、冬な のに、お腹壊して大変だったんだ。 稔 そうだったのか、それは知らんかった。 子どものことはあまりわからないもんな。 高井 私がいながら、すいません。 もう少し早く気がつけば、良かったんでしょうに。すいません。 はる いや、先生のせいじゃないですよ。誰のせいでもないですよ。私たち が悪いんです。こんな小さい子どもば置いて、出稼ぎに行くもんだから、 あまりにも遠いとこまで行くもんだから。 そこに近所の人、和ちゃん、勝さんの二人が入って 来る 和 今ちは……帰って来たね。この度は大変だったね。 勝 今日は……おそかったね……大変だったね。 和 ……本当に、死に目に会えなくてね。この度は大変だった。 はる いや、……今回は、いろいろお世話になりました。 和 いや、何もだ、それよっか、あんた、仁ちゃんが具合悪くなったとき直ぐ来れんかったんかい。 電報はいったんだろう。 勝 明くん、いろいろやってたよ。 はる 電報もらって、直ぐに発ったんだけど、山の中だからね、町まで出て、 汽車に乗って来たんだけど……死に目に間に合わなかった。それが一番 可哀想で。 和 そうださな、看病したかったさ……。仁ちゃんは来るのまってたさ。 勝 しょうがないって、その分明ちゃんや、高井先生、それに福田の母さんが寝ないでがんばっていたよ。 和 そうだよね、明ちゃんも、高井先生も、でも一番可哀想なのが、福田 の母さんださ。「私が変な物、食べさせたんだ」ってな。 勝 そうだな、「何か変な物でも、食べさせたんじゃないか」って、泣いていた。 和 そうだ、福田の母さん、まいってたな。 自分の責任だってさ。仁ちゃんのそばから離れなかったよ。 稔 さっきまでいてくれました。 福田さんが悪いんじゃないですからって、云いました。 本当にお世話になりました。早く来れなくて、すみません。 和 流行病だから、仕方がないって思うしかないさ。この近所の村でも何 人か死んだってよ。それも子どもだって。 勝 和さん、ひとのことだから、簡単にそんなこと、云えるけど、はるさ んは、大変なんだよ。 和 そうださ、誰だって子どもに先立たれることは、悲しいさ。 だけどな、はるさん、明くんのことを考えてみれ、あんたたちが悲し めば、悲しむだけ、明くんの心に重くのしかかるんじゃないのかね。 勝 云えば、云うだけ明くんの心が重くなるって。 和 はるさん、悲しいと思うけど、ここは明くんのことを一番に考えてやらなくちゃだめでないかな¦¦。 はる そうですね、すいませんね……明、お前のせいじゃ無いんだからな… …絶対に、明。 和 一番悪いのは病気だ、何でこんなに可愛い子どもに、かからなきゃ、 いけないのさ。 勝 本当にさ、それも頭のいい、仁くんに。 家(うち)の悪たれ坊主には、病気なんか一度だってかかりゃしないの さ。 和 うちの坊主も同じだ。風邪ひとつかかりやしないって。 はる みなさんには、ご心配をおかけして、本当にすみません。 仁には、可愛そうだったけど、その分これから、じゃんじゃん産んで、 がんばるから。それにこのお腹にも一人いるんだからね……。 それを聞いた夫 稔をはじめ、その場にいるみんながお腹の子どもの話を聞きびっくりする 稔 本当かよ、出来ているのかよ。 照明消える、音楽入り(歌手歌いだす)、「はる」にスポット入る (曲¦悲しき口笛)二番まで スポット消える、音楽入る |
第三場 | (五分) 語り、ギター |
(子どもの死後、親子で暮らせる方法を家族で考えるのである) はる 仁を亡くしたことは、生涯私を後悔させたんでんです。 家族とは……「親子が一緒に暮らすこと」だと思いました。この次男仁 は、私とは七年間生活しましたが、父との生活を実体験したのは、四年間 ほどでしかなかったのです。 あの苦しい空襲での生活、この七歳の仁には、何が楽しくて、生まれて きたかを考えた時に、悲しみが込み上げて仕方がないのです。幼い兄弟が、 他人に預けられての毎日、学校は楽しかったとは思いますが、帰っても家には 親がいないのですから、さみしかったと思います。 兄弟二人は、寮母によくしてもらったと云っていました。 食事の準備、後片付けは手伝ったようですから、さぞ良い子にしていたのでしょう。 一つも泣き言をいった手紙は来ませんでしたから……。― 間 ― 私は、一代決心をしました。少々の蓄えと借金で、親子が一緒に暮らしの出来る仕事 をと……自分で仕事を始めることにしようと、夫に頼み込んだんです。 しかし、夫は何時もの通り「いつかは、……いつかは東京に帰る」ことを考えていた ようですから。なかなか直ぐには賛成してはくれませんでした。 私の親や、兄弟からも説得を頼んだのです。少し時間はかかりましたが、やっとの思い で夫は重い腰を上げたんです。 そして親、兄弟からも協力してもらって、小さな木工場を始めたのです。 動力は、自動車のエンジンでした。 何故かというと、夫は兵隊時代、自動車部隊ですから、操作、修理はお手の物だからです。 この頃は、家の立て替え、改修などから、結構仕事はあったんですよね。 従業員も、戦地から帰還してきた人たちを使い、順調に営業をしました。 そして、十年が過ぎ、長男明が大学に行く年になった。 そして仁が亡くなった年に生れた三男の浩も立派に育った昭和三十二年のことです。 音楽入り、照明消える |
第四場 | (十五分) | 昭和三十年 家族で夕食時 舞台② 家族での夕食時居間 (長男が大学に進学の時期になった時、私のお乳に「ガン」が発覚、そのことで長男は進学をためらったのでした 家族は強く長男に進学をするように勧めたのでした 照明入り、音楽消える はる、タバコを一服してから話し出す はる ほれ、お茶。こぼすなよ。熱いよ。 明 あーどうも、……どうするかな。 はる どうすかって、何よ。大学に行くことか。まだ、おまえの考えが決まってないのか。 男だろ、男だったら早く腹決めなきゃいかんて。 浩 何、兄ちゃん決めたじゃないのかい、大学行きたいって云っていただろうさ。 自信なくなってきたんだ。そんなに悩んだら合格なんかしないぞ。 明 まあーな。まだ最終決定していないんだ。 だって大学なんて必要ないんじゃないかって、この頃思うんだ。 こんな田舎で工場経営する者に大学なんて必要ないんじゃないかなってさ。 浩 そんなことないって、大学だもん、高校と違うって。 専門の勉強するんだもん。高校とは全然違うって。 明 そりゃー違うさ、でも高校だってみんなが行くわけでもなかったのに、 大学なんて、俺のクラスで三.四人だそ。 それに、俺はここで親父の跡継ぐんだったら、大学なんて行くよっか実際 の仕事をする方がいいんじゃないかって思って。 行ったって意味ないんじゃないかな。 浩 何、今更云うのさ、この間なんか「これからは、学問の時代だ」なんて、 意気上がってたのにさ。何ん何のよ、あの決心は。 家の仕事継ぐからこそ、大学に行かなきゃいけないっていってたのに。 明 そうよなー、始めはそう思った。 親父が、木の払い下げのことで、営林署に行ったら、課長や、局長に、 それも若造に達に、みんな大学卒業して、三、四年しか経っていない奴らにさあー ……二十六~七のあんちゃんだぞ。¦¦¦ 間 ¦¦¦ だけどなー……一番気にしてるのは……おふくろの…「ガン」のことだ。 浩 何……おふくろ、「ガン」だって、何ガンよ。 稔 乳ガンだ。 浩 何で俺に教えてくれないのよ。俺だっておふくろの子どもだぞ。 明 何、さっき、おふくろから聞いたばかりだ。 俺だってビックリしてるところださ。 稔 そうださ。俺だってさっき聞いたとこよ。 ……でも、たいしたことないんだって。 はる そうだよ。医者がたいしたことないって云ってたさ。 浩 何がたいしたことないって。 「ガン」だぞ。「ガン」。 明 そりゃー「ガン」だ。だけど「ガン」にもいろいろあるんだろうさー。 なー。そうなんだよな。 はる あーそうだ。なーに、左のお乳を切っちゃうだけだ。 手術も二、三時間で済むんだって。 今更お乳なんて必要ないんだからさー。 明 何時、何で分かったのよ。「ガン」だってさ。 浩 そうださ。いつよ。どうして分かったのよ。 はる この間、父さんと遠軽に行った時、どうもおかしいもんだから、病院に行ったんだ。 検査をしてもらった。 そして昨日病院で、その結果の説明があったんだ。 何時話すって思っていたんだ。それが今日よ。 話では、初期のガンだって云うから、取ってしまえば、心配はないって云ってるから ……「心配ないって」 浩 そんなこと云ったって、ガンだぞ。 もう子ども生むことないんだろうから一つぐらいお乳無くたっていいと思うけど。 でも「ガン」は「ガン」だ。 明 うん、そうなんだ。だから、考えてるんだ。 手術すれば、簡単に仕事には戻れない。 はる 何、二、三カ月だ。直ぐに仕事に戻れるさ。心配するな。 それよっか、さっきの話の営林署のことよ。 浩 何が営林署よ。そんなことより、おふくろの病気のことば、心配すれや。 明 それはそうだ。だから俺は、大学に行くのを止めようと思ってるんだ。 稔 そうよな、止めるか。 浩 そうよな。どうすれば一番いいのかな。おれには分からん。 少し間があき、シーンとなる はる 何を今更云ってるんだよ、お前は大学に行かなくてはだめだ。 さっきから話ている、木材払い下げの営林署のこと、あんな若造に何で頭を下げ なきゃいかん。業界の連中はみんな話してるくせに、誰も止めることをしないで、 ペコペコ米つきバッタのように頭下げてる……。「木材払い下げてください」って。 相手がお役人様だからかい。さからっちゃいけないってかい。 だからこそ、役人様よりも、勉強してさー、あっちの方から頭下げてこさせるぐら いになってごらんよ。 私の事、心配してくれるのは嬉しいけど、それよりか、大学に行ってくれる方が、 よっぽどうれしいね。こんな田舎から大学にだよ。 私は勉強のことはわからないけど、子どもがやりたいということは、やらせてやるのが親だと思うだよ。 四年間頑張って勉強してきてくれないか。 お前を大学に入れるのが、私の夢なんだからさ。 それに父さんの夢でもあるんだ。ねー父さん。 稔 そうだな、おれも子どもを大学に入れるのが、夢だった。 俺の時代は戦争で大学に行けなかったからな。それになー敗戦から十年経った。 東京をじっくり見て、知ってくるだけでも、いい勉強だし、 俺にはその東京の話を聞かせてくれるだけでも、嬉しいぞ。 東京の旬を持って来てくれよ。東京のな。 浩 そうだよ、兄ちゃん。 親父だって、おふくろだって、兄ちゃんの大学行くのが夢なんださ、親父が行けなかった大学にさ。 明 うれしい、みんなにそう云われたら。でも母ちゃんの「ガン」のことは心配だ。 はる 心配するな。今でも母さんの生き方見てればわかるだろう。 心配するな。 浩 そんなこと云ってたって、合格出来るのか、兄ちゃんよ。 明 そうよな、……本当だ。合格出来るのかなー。 みんなで笑う (汽笛が鳴り、汽車の走る音が入る) 音楽入る、照明消える。歌手にスポット入る (曲¦港町十三番地)二番まで 音楽入り、スポット消える |
第五場 | (三十分) | 「はる」は語りから始まり、後半役者として出演する (この芝居の最後の場面に入る。昭和から平成を語る) 「はる」にスポット入り、音楽消える はる、タバコ一服してから語り出す 回想③平成六年 はる おかげさんで、私の「乳ガン」は、左のお乳を全部切ったことで、再発は無く、 今もこのように元気に生きています。 長男明は、卒業して北海道の帰って来ましたが、八年程は夫と工場を経営していましたが、 三十歳の時、勤め人となり、他の仕事をすることになったのです。 それに私達は長男もいないことと、年齢的にも無理が出来ない歳にもなり、工場を廃業しました。 長男が近くにいてくれたので心配はしませんでした。 そんな或る日、長男 明が来て夫 稔に、墓を建てる話をしたのですが 、夫稔は賛成しなかったのです。八十を過ぎていたのにね。 ―― 間 ―― それはまだ、故郷東京へ帰る願望が有ったんでしょうね。 それから二年ほど経った頃、長男がまた、墓を建てる話を夫にしたんですよ。 そうすると、あまり良い返事では無かったけれど、 「そうだな、死んだお前の弟も居るんだから、墓を建てて入れてやらなきゃ可哀想だな」 とだけ云って、この話は終わったんですよね。 長男明は、反対しない父の言葉にすぐに墓を建てましたね。 それを見て夫は、一言もいわなかったのですよ……。 その後夫は、血圧で入退院を繰り返していましたが、ある寒い日に熱をだし、 肺炎を起こし、寝たきりになったんです。 そんなある日のことでした……。 あ~ちょうど、その時、長男 明夫婦と三男の浩夫婦が子どもつれで見に来て時でした。 ―― 間 ―― そうですね……死ぬ三日前でしたかね。 音楽入り、スポット消える 舞台③平成六年 自宅の一室 (毎日夫の看病をする そして夫の死の三日前夫ははっきりとした口調で語りだしたのである それは、時々故郷東京弁で話すのでした いうまでもなく、ふるさと東京に帰りたかったことを知り、この地 に留めた夫への「すまなさ」を感じた「はる」である) 照明入り、音楽消える はる、タバコ一服してから話し出す はる これ、みんな聞きなさい、お父さんが、 ―― 間 ―― おじいちゃんが何か云ってるよ。 ……お父さん……何が云いたいの、みんな聞いてるよ。 孫たちの、梢も、雪も、千代も、ここで聞いているよ。 夫稔、ポツポツと語りだす 稔 本当はな、東京に帰りたかった。 ¦¦¦ 間 ¦¦¦ ……でもな……ここで、みんなに囲まれて、助けられて、ここまで生き て来た。それはうれしいことだ。俺は二回戦争に行って、たくさんの戦 を亡くした。俺の近所の多くの友達もいた。俺の見ている前で、そいつら 死んでいった。 『両親の名前を呼ぶ者もいたし、妻や子どもの名前を呼んで死んでいっ 者もたくさんいた……。』 俺は、そいつらのためにも、生きて、それに生きている姿を親達にも見 せてやりたくて必死でここまで生きてきた。 明 そうだったんだ。俺が墓建てるか、って云った時、直ぐに許可が出なかったよな。 東京に帰りたかったんだ。 浩 そうなんだ。親父、金無いから返事しなかったんだと思った。 墓建てるったら何百万もかかるからな。 苗 私は、お金では無いと思いましたよ。 いつも、東京の話ばっかりしてたものね。 薫 私は、まだまだ、元気なのに、必要無いって云ったんじゃないかと、思っていました。 お兄さんが墓建てる話してた頃は、まだまだお父さん元気だったもの。 明 おふくろとは、よく話していたんだ、きっと親父は東京に帰りたがって るってな。その理由ははっきり分からんかったけどな。 浩 兄の金で建てるって云ってたのに、変だなーって思ってたけどさ。 お金の問題じゃなかったんだ。 苗 私もお父さんは、東京に帰りたいのだと思っていました。 だって言葉だって時には東京弁が入って話すから、わからない時、あったもの。 薫 何して、そんなに生まれ故郷に、帰りたいのでしょうね。 戦友のことや親たちのことばかりじゃないんでないかしらね。 もう、ここで生活して五十年も経つんでしょう。 東京の両親だって、もう亡くなって何十年もたったんでしょう。 明 俺だって東京で生まれたけど、そんなに東京が恋しいと思ったことない な。四十何年も前だったから、当たり前か。 苗 あんたは、子どもの時と、大学の四年間ぐらいだからね。 東京で生まれたっていったって、道産子みたいなもんですよね。 湧別高校を卒業したんですからね。 浩 俺は道産子だけど、ふるさとなんて特別考えたことないね。 生れたとか、育ったところとか、どうでもいいな――。 薫 私もだわ。でも、私の親達はいつも生まれたところのことを云っている。 農家やめて札幌に出ているからね。 梢 そうだよ、札幌のじいちゃんやばあちゃんは、いつも生まれたところが一番いいって云っているよ。 雪 別海の山の中がさー牧草と牛しかいない所ででさ。 千代 なんにもないよ。本当に何にもないところだよ。 人間より牛の数の方が多いんだもん。 明 あれ、雪のじいちゃん達、別海の山の中か、そうだったよな。 離農してもう何十年も経つな。 薫 はい、大変だったみたいですよ。道も悪いし、気候も良くないって。 冬はあまり寒くはなりませんけど、夏も暑くはならないんですからね。 明 その別海に、終戦後すぐ、この親父とおふくろが出稼ぎに行ってたんだ。 その時に俺のすぐ下の弟、仁が死んでよ。 苗 そうでしたね。この父さんからも、よくその時の話を聞かされましたね。 はる その話は思い出したくないね。私達夫婦が一番後悔していることなんだ さ。 梢 お父さんに、お兄さんがいたんだ。私、はじめて聞いた。 仁さんって云うんだ。 雪 そうなんだ。生きていれば、私達のいとこがいたんだよね。 千代 お父さん達は、男ばかり三人兄弟なんだね。私の家は女ばかり三人だね。 明 俺もその話聞くと、昔を思い出すから、あんまり話したくないな。 あの時は、悲しいことと、俺がそばに居て何んにも出来なかったことが思い出されてな。 苗 そうですよね。弟を亡くしたんですからね。それも苦労を共にしてきた 弟をね。 浩 たまに聞いていたけど、その時代が親父達の一番大変な時だったんだろうな。 戦争が終ったすぐだったからな。仕事なんて簡単にはなかったさ。 食べるものも大変な時代だったからな。 薫 そうですよね。お父さん達があの別海まで行って、それも山奥まで行って仕事して いたんですからね。いくら仕事だからといっても別海の山奥ですよ。 梢 今の別海と違い、大木が繁っていたんだってさー。 でも、どんな、山奥でも自分のふるさとは一番いいところだと思っているんだよね。 札幌のじいちゃんやばあちゃんはね。 雪 私なんか、どこがふるさとだって関係ないんだけど。 歳をとらないと、ふるさとなんて思い出さないもんじゃないの。 千代 そうかな、私は姉ちゃんと違う。 私は札幌で生まれ育ったんだから札幌は一番いいと思う。 どこに行っても、札幌の駅に着いた時はホッとするもん。 明 そうだなー親父なんかしょっちゅう、東京に行っていた。 兄弟達が東京にいたからな。北海道には身内はひとりもいなかったからな。 でも、だんだん東京に行きたいなんて口にしなくなったよな。 お兄さんが亡くなったりしたからかもな。 苗 そうね。旅費だすからって云っても、行きたそうでもなかったよね。 お兄さんに会いたかったんじゃない。 お父さん、北海道には兄弟も、いとこも親戚は一人もいなかったからね。 浩 いや、おふくろに気兼ねしてきたんじゃないかな。 この親父はおふくろの云うことはだいたい聞いていたからな。 おふくろの尻にしかれてたからな。 薫 そうよね、お母さんの云うことはよく聞いていましたもんね。 お父さん、お母さんを愛してたんでしょうね。 梢 でも、じいちゃん、よくおばあちゃんを怒っていたよね。 雪 そうだけど、すぐ笑って話してたしょ。 たぶん、じいちゃん、ばあちゃんを愛してたんだよ。絶対に愛してたさ。 ねー、じいちゃん。ばあちゃん。 稔 あー、水くれ。 はる はい、まさか末期の水じゃないよね。 梢 婆ちゃん、末期の水って何。 薫 何云うの。梢さん。そんなこと聞くもんじゃないよ。 はる あーそれはな、もう息を引き取る最後の時に飲む水のことを云うんだよ。 雪 爺ちゃん、死ぬの。こんなに元気なのに。 水のんだら、死んでしまうの。 千代 元気だもん。まだまだ死なないよね。ねーじいちゃん。 ほれ、こんなに元気だよ、ほれ。 稔 まーこれが最後の水じゃないって。 もう少し、生かしておいてくれや。 今思うと……ただ、……妻や子どもを食わせてきただけの人生だったと思うな ……ただそれだけだ。 ¦¦¦ 間 ¦¦¦ 『たまには、町のためだといって、出しゃばったこともあった。それが良かったか、 悪かったかは、いや、良いことを云ったのか、ろくでも無い事を云っていたのかは、 周りの人が決めることで、俺には分からん、人生って、そんなものなのかもしれないね。 ただ、がむしゃらに良かれと思って、やって来たことは確かだ』 人間なんか百年も二百年も生きていられるもんじゃない。 所詮、七十年か八十年だ。 何もしなくても七十年、八十年は経ってしまう。 それなら、好きなことを思い切って一生懸命やることしかない。 ¦¦¦ 間 ¦¦¦ でもそれが一番難しいことなのかもしれないな……。 梢 爺ちゃんは、思ってた事をやって生きてきたからいいと思う。 だって、人って、自分の好きなことややりたいことをやっている人少ないよ。 雪 そうだね。でも食べて生きていかなければ、いけないんだから、仕方ないのかもしれないね。 仕事しないとお金もらえないもん。 千代 私は爺ちゃんみたいに好きな事やって一生生きて行きたいな。 でも今、何が好きなのかが、わからないな。 稔 それでいいんだ。いつかわかる。 そのために今、勉強しているんだからな。 ただ、爺ちゃんはなー。 何て云ったって、何時もこの「はる」の喜ぶ顔が見たくて、いろんなことやっていたのに、 過ぎないのかもしれないんだ……は、は、は。 俺はしあわせだ。こうやって、みんなの顔を見ながら死んで行ける。 音楽入り、照明消える。はると稔のみにスポットが照らす 音楽消える 稔 俺は、世界で一番幸せな生き方をしてきたのかもしれない。 俺の歩いて来た、これまでの道は『お前の道に、俺の道が重なり合って出来た道だよな ……俺達夫婦には一本の道しかないんだよ。それも細くて長い道しかな』 ………でも………東京には帰りたかったな。 『それが自分の生れた故郷だから』 ―― 間 ―― ありがとうな、「はる」……。 はる あんた、今更何云うのさ、今生の別れみたいなこと云わんでや。 は、は、は…。 あんたの道と私の道は、あんたの云う通り一本なんだよ。 二人で六十年程かけてゆっくりと歩いて来た道なんだよ。それが夫婦というもんださ。 ………ねー。 音楽入り、「はる」にスポットが入る はる こうして、夫「稔」はその三日後に息を引き取ったのでした。 音楽入る ―― 間 ―― はる 八十五歳の生涯でした。 しばらくの間¦¦ 音楽入る、徐々に小さくなる はる、タバコ一服してから詩の朗読を始める はる 私は、八十歳になって初めて詩を作りました。恥ずかしいけれど、こ こで読んでみます。 テーブルの上の一片の紙切れを取り、読みだす はる 作・山田はる「私の一生って」 ―― 間 ―― 私の一生って、何んだったのでしょうね?……。 あー何か音が聞こえて来る。……「風の音が」……「風の声が」。 あー何か匂いがする。「風の香りが」……「風の色が」。 あー何かが、……何かが……?私に問いかけている……。 ―― 間 ―― そうだ、私は、風の様な人生だったように思える……。 強く吹いた時もあったし、弱い風の時もあった。 でも、風が吹かなかった時の方が大変だった。 ただ、いつも私の側で爽やかな風をくれたのは、夫、「稔」だった… …。 その夫には、悪い事をしたような気もする。 それは、『この地に骨を埋めさせてしまったこと』 この地を嫌って、出て行った私の故郷に、骨を埋めてしまったことだ。 今更許してほしい、とは思わないけど……夫に「ごめんなさい」と。「ありがとう」とだけ、云いたい。』 ……あ、あー……生きるって、これで良かったのだろうかね? 私の名前「はる」のような「春」で終えることが出来たのだろうか? 「はる」タバコに火をつけ、うまそうに一服する 舞台全体が桜色に染まる その時、上手に、桜色の花びらがぱらぱら、と落ちる 会場照明徐々に消え、スポット桜の花びらとタバコの煙に入る ギターで、創作曲「風だった」が流れる 中央にソロで(スポット入る)歌う 風だった 作詞 石渡輝道 作曲・補詩 仁木慶子 編曲 中野純一 あなたは、私の風だった いつもわたしに向って、吹いていたのだろうか。 頭の先から、足の先までも、強かったときもあれば、 弱かった時もある いつもわたしを夢中にさせるのは、胸の辺りに吹くときの風、 この一つの胸が、大きくふくれるような、 希望を見させてくれた時だった それは、子の姿だったり、あなたの生き方 ただ、いま過ぎ去った風に触れた時、やっぱり夫の風は、 あなたの吹いた風だった ああー……風だった 歌終わる。徐々にスポット消える(真暗) 汽笛が鳴り、汽車の音が大きく入る 幕下がる スタッフ 企画 町民芝居ゆうべつ |
音楽プラン | (音楽担当:仁木慶子) 場 面 曲 名 時 間 摘 要 スタッフ・キャスト紹介 ザ・ビートルズコンチェルト 第3楽章 五分二六秒 声・相場典子 ナレーション 幕上げ 川の流れのように(ピアノver.) 二分四秒 ナレが終わると音量UP 曲の終わりと共に幕上がり 第一場 幕上げ後 東京の屋根の下(灰田勝彦) ギタリスト 演奏 第一場 ~ 第二場 東京ブギウギ(笠置シヅ子) ギタリスト 演奏 第二場 寮母セリフ~学校帰り道 リンゴの唄(並木路子) ギタリスト 演奏 第二場 先生セリフ~仏壇前 カチューシャの唄(松井須磨子) ギタリスト 演奏 第二場 ラスト 悲しき口笛 ギタリスト&歌手 第二場 ~ 第三場 リンゴ追分(美空ひばり) ギタリスト 演奏 第三場 ~ 第四場 嵐を呼ぶ男(石原裕次郎) OR チャンチキおけさ(三波春男) ギタリスト 演奏 第四場 ラスト 港町十三番地 ギタリスト&歌手 第四場 ~ 第五場 時の過ぎゆくままに(沢田研二) ギタリスト 演奏 第五場 語り~自宅一室 時の過ぎゆくままに(沢田研二) ギタリスト 演奏 第五場 稔死ぬ前 アヴェマリア(シューベルト) ギタリスト 演奏 第五場 稔死んだ後 聖母の御子(カタロニア民謡) ギタリスト 演奏 第五場 ラスト語り前 風だった(メロディなし) ギタリスト 演奏 |
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スタッフ | 脚本、演出 石 渡 輝 道 舞台監督 坂 本 雄 仁 音楽・音響 中 野 純 一 仁 木 慶 子 伊 藤 雅 裕 舞台製作(大小道具) 洞 口 忠 雄 梅 津 茂 樹 衣装、化粧 渡 辺 明 美 相 場 典 子 増 山 澄 子 小川敬子 大 渕 美 夏 協力 入 江 ゆかり 洞 口 百合子 佐 藤 真由美 久 保 幹 江 花 本 則 子 平 架奈子 出 倉 郁 美 斉 藤 奈 美 藤 本 祐 司 蹴 揚 さゆり 野 亜早美 後 藤 純 代 後援 資料提供、協力 湧別町図書館 |
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キャスト | ナレーション(キャスティング紹介) 相 場 典 子 語りと出演者 山田はる(80歳) 佐 藤 香 ギターリスト 中 野 純 一 歌手 仁 木 慶 子 ①昭和二十一年代 はる(29歳) 佐 藤 梨 華 夫 稔(33歳) 荒 井 佳 人 その長男 明(8歳) 蹴揚菜々子(新人) 次男 仁(7歳) 野 悠 月(新人) 近所の子どもたち(10~15歳) 元ちゃん 後 藤 広 大(新人) 強ちゃん 出 倉 菫(新人) 安ちゃん 平 葉 月(新人) 高井先生(25歳) 加 藤 葉 子 小沢社長(50歳) 本 田 勝 樹 福田寮母(60歳) 松 下 章 子 近所のおじさん、おばさん(30~50歳) 和さん(35歳) 由 野 のぞみ 勝さん(50歳) 洞 口 忠 雄 はる(41歳) 花 本 早知乃 夫 稔(45歳) 深 谷 聡 長男 明(18歳) 長谷川 洋 三男 浩(12歳) 仲 崇太郎 長男 明(55歳) 茂 利 泰 史 その妻 苗(52歳) 佐々木 里 絵 三男 浩(47歳) 太田雅史(新人) その妻 薫(43歳) 仲 陽 子 梢(18歳) 久 保 さやか 雪(16歳) 斉藤麻央(新人) |