こぼれ話

1984年4月
南国のテニスは危険・・・ワイキキ、ハワイ

 ハワイはテニス天国とも言われている。確かにオアフ島ではあちこちに無料のコートがある。ワイキキ
ビーチより歩いて15分程の公園(ダイヤモンドヘッドの麓)内には、9面もの全天候型コートがある。入
り口にある黒板に希望の時間と名前をかいておけば、無料で使用できる(原則は1時間単位でキープ。
実際のプレーは15分程度前に終わるのがエチケットらしい)。

 初めての時、日中は殆ど空いていることを聞いていたので、日中にプレーした。
・・・・・が、日中の気温はとんでもなく高く、10分程で脱水となりダウン。
 ボクだってまんざら馬鹿ではない(と思っていた)。次に行った時は、早朝6時に出かけて行った。
・・・・・が、やはり、バカだった。朝も気温は高い。しかも朝食も摂らずにプレーしたので、すぐに低血糖
プラス脱水となった。小銭のなかったボクには、コートの脇にあるコインしか使えないコーラの赤い自動
販売機はただの赤い鉄箱でしかなかったのだ。

1984年4月
日本語を話す?税関係員・・・ホノルル国際空港

 1984年、ホノルルの税関は混雑などなく、並ぶ間もなくボク達の順番となった。税関なんて始めての
経験でもあり、緊張しながらパスポートを提示した。
     
税関の人(税);"Ohayougozaimasu"    
      ボク; "Good Morning" 
     (税);"Honey Moon desuka?" 
      ボク; "Yes、Yes"
     (税);"Kankou desuka?" 
      ボク; "Yes、Yes"     
      (税);"Hai iidesuyo"    
     ボク; "Thank you、 Thank you"   

  ざっとこんなやりとりだった。ボクには“まるで日本語”に聞こえ、自分の語学力もまんざらでは
ないとひそかに微笑んでいた。 税関通過後に、隣の妻が一言 “日本語で質問したね”。
 これ以後、日本語で挨拶されたことはあるが、質問された経験はない。
ボクは今でも英語だったと信じているのだが・・・




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