こぼれ話

1991年1月
左折は注意・・・ドール・パビリオン、オアフ島・ハワイ

 ドール・パイナップル・パビリオンはオアフ島の中央部、一面パイナップル畑の中に建っています。こ
のパビリオンのある道路(カメハメハハイウェイ)はノースショアへの通り道で、位置的にもドライブの途
中で休憩するには最高の場所です。しかしこの道はハイウェイの名があるように片道1車線の道路にも
かかわらず、交通量が非常に多いのです。ボク達が駐車場においた車に乗ろうとした時に、駐車場を
出てハイウェイへ左折して出た車がありました(ハワイは右側通行なので、左折は対向車線を横切るこ
とになります)。左方からの観光バスがパビリオンへ入ろうと徐行したので、その車はバスの前を一気に
出ていったのですが、バスを追い越そうとした車と出会い頭に衝突してしまったのです。大音響の割に
は、幸い接触事故のみで済みましたが、やっぱり事故はイヤですね。用心、用心。

1991年1月
給油(その1)、給油にはデポジットが必要・・・ワイメア、ハワイ島・ハワイ

 レンタカーを借りて始めての給油。ハワイでは日本のようなサービス(full serviceと書いてある)は珍し
く、ほとんどはセルフ。給油ホースのレバーを握ればガソリンが出てくるだろうと単純に思っていた。とこ
ろが、いざ給油となると、レバーを握ろうが、振ろうが滴さえも出てこない。隣で給油していた現地のに
いちゃんが、見かねて「先に払え」と窓口を指さした。はたと気づく、そうですよ、デポジットが必要なんで
す。当たり前といえば当たり前のことだ。
 忠告通りセブンイレブンを小さくしたような窓口に向かったが、デポジットと言われてもいくら入るのか
検討もつかず(だいたい1ガロンの単位もよく分かってなかった)。もう一度先ほどのにいちゃんにボク
の車にはガソリンが幾らくらい入るか聞くと、空に近いのなら20ガロンくらいだろうと教えてくれた。1ガ
ロン$1位だったのでとりあえず$20を窓口のおばちゃんに渡した。今度はレバーを握るとスムーズに
ガソリンが出て、12ガロン程で満タンとなり自動停止した。先ほどの窓口に戻る。おばちゃんはもう釣り
銭を用意して、「はいよっ」て感じで渡してくれた。なーんだ簡単ジャン!
 ところで、ホテルのデポジットもそうだが給油でもクレジットカードは便利でスピィーディー。入れる燃料
の量はいくらであれ、とにかくクレジットカードを窓口に渡すとすぐに給油が始められ、終わったらまた窓
口へ行けばよい。そこではすでにレシートが用意されいてサインすれば終了。蛇足ながらカードとレシー
トは忘れずに受け取ろう。

1989年8月
免税品

 女性の海外旅行の目的は今でも買い物が主流であろう。アメリカでもヨーロッパでも大きな通りに面し
て、ルイ・ヴィトンをはじめとしてグッチ、シャネル、エルメス、コーチ、等々(あとはわからない)の店が軒
を連ね、ほとんどは日本人女性を相手に商売をしている。若い女性が(もちろん若いとは言えない人
も)、10万円以上のバックを平気で買いあさる(ボクにはそう見える)。
 ウチの妻も例外ではなかった。そんな店に入ったものなら、目はギンギラギン。言葉もなくじーと商品
棚を物色している。何とかなるべく安いものを気に入ってくれ・・・・・ボクは、ただただ神に祈るしかな
い。 周囲を見回すと、新婚らしきカップルも多い。昔は旦那は荷物持ちになることが多かったように思
うが、最近は分担(自分で買った物は自分で)の夫婦も増えているようだ。それはさておき、旦那の重要
な役割がもう一つ、相談役。 「ネエー、折角だから、もう来られないかもしれないから、いいでしょう」っ
てな感じ。旅行の開放感に包まれ、買い物付き合いも飽きてきた旦那にとっては、結局、OKを出さざる
を得ないのである。 (ちなみに、我が家もこの手であった。)    
 免税品は、やはりオリジナルの国で購入するのが一番失敗が少ない。海外での買い物で得したと思う
ものは今ではほとんど無くなってしまった。出発前の成田や関西、もしくは帰りの飛行機の中の方が安
いこともある(もちろん品目は限られているが)。といっても、なかなか妻にはわかってもらえない。どうも
“NARITA”や“KANSAI”の文字が入った包装紙では納得できないらしい?

1988年9月
クレジット・カード

 日本でもかなり普及してきたが、海外ではクレジットカードは必携。小さな店でも、また少額でも喜んで
扱ってくれるし、ときに身分証明書にもなるのだから日本人には驚きだ。当初はトラベラーズチェックを
持ち歩いたが、不正使用(お姉さんのを使ったなど、)が多いとかで、使用時に身分証明にうるさくて、
場合によっては、パスポートが必要なこともあった。その点、カードは両替の必要もなく、特に2、3カ国
を周遊する場合は、ちょっとした小銭を両替するだけでいい。
 VISA、MASTER、AMEX、DINNERS、JCBなどの国際カードはほとんど通用する。ただ国産カード
の代表であるJCBは若干弱く、東南アジアでは手数料上乗せ、ヨーロッパ、オーストラリアなどではかな
り大きな店でないと使えない。店の入り口ドアにJCBのシールが貼ってあるにもかかわらず、いざカード
を提示すると、額にしわ寄せて「他にカードはないか」と断られることが多い。現地にJCBラウンジがあ
る観光名所では、レストランやオプショナル・ツアーの予約等、日本語で応対してくれるなどの特典も多
いが、使用できる場所が限定しているのは困りもの。もう少しがんばって欲しいね、JCBさん。

1988年8月
2度と受けたくないサービス・・・航空機トラブル、ハワイ

 1週間の楽しい思い出を持ってホノルルを飛び立った。離陸後4時間くらいで、昼食のサービスが始ま
った。食事も半ばとなった時に、突然大きな音がして機体が急降下。テーブルのコーヒーが散らばる。
幸いけが人などは出なかったが、どう考えても尋常ではない。まもなく機長からのアナウンス、どうも機
体トラブルでホノルルへ引き返すという。はぁ?ホノルル?、あと2時間もすれば成田に着くじゃないか。
とボクのみならず乗客の大半を占めている日本人は思ったはず。が、この飛行機はユナイテッド・エア
ー。やっぱりアメリカに戻る方が都合がいいらしい。その後Uターン(離着陸以外のターンは初めての経
験)し高度を下げたままホノルルに向かった。2時間ほどすると窓の外にはアメリカ空軍の戦闘機(たぶ
ん)が2機ぴったりとくっついてきた。こりゃ本物かも。海に降りてもボクは泳げないし、まずダメだろう
な・・・もし生きていたら持ち出せるものはフィルムくらいか、と考え手荷物から数本のフィルムをポケット
に入れた。あと1時間ほどで着陸するとのアナウンスの後、両翼より水蒸気が吹き出す。周りの乗客の
話では燃料を捨てているとのことだが、真相は不明。ただ単なる水でないことはあきらかだ。いよいよ
着陸体勢となる、乗務員から緊急時の体勢を指示される。実際にこの体勢をとるのも初めての経験
だ。こうなるともうどうにでもなれの心境。で、思いの外衝撃も少なく無事に着陸。とりあえず何事もなく
着陸できたことで、満席の乗客から拍手・・・
 再度ホノルルを飛び立ち、成田に着いたのは予定より12時間遅れ。この日に千歳に戻る予定のボク
達も最終便が出た後だ。UAのカウンターで、翌日の始発便の切符を手渡され、この夜の宿泊先である
ホテルへバスで案内される。真夜中というのにステーキディナー付き。せっかくのごちそうだが緊張した
旅の疲れと、明日からの仕事のことで胃袋まで血がまわらない。翌日の始発便はビジネスクラス、朝食
(サンドイッチ)付。どこまでもサービスが行き届いていた・・・でも、このようなサービスは2度と受けたく
ないと思っている。




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