ごあいさつ ごあいさつ
  本日はお寒い中を、私たち両オーケストラのジョイントコンサートにお越しくださり、ありがとうございます。北海道農民管弦楽団(農民オケ)は、全道各地の農家を中心に、農協職員、農業試験場の研究員、農政に携わる人、農学関係の学生や教職員などから構成され、冬の農閑期だけに活動するという、大変ユニークなオーケストラです。1995年1月以来、札幌で2回、美唄、当麻、江別、余市、千歳、幕別と、全道各地で公演して来ました。今回、小樽のオーケストラや合唱団の皆様と共にベートーヴェンの「第九」を演奏できますことを、大変うれしく思います。この曲において、芸術を一部の特権階級のものでなく民衆のものにしようとしたベートーヴェンの意図は、農民オケの設立趣意と全く合い通じるものです。生のオーケストラの音楽は、私たちに感動や勇気を与えてくれるすばらしいものですが、都会だけでなく、農村でもこのようなすばらしい音楽を体験できるように、また農民自らが演奏する歓びを味わえるようになることを目的として、このオーケストラは誕生したからです。
 今回もまた、農民オケのプログラムとして私の新作を演奏いたしますが、単に西欧の古典音楽を演奏するだけでなく、現代の北海道に生きる農民としてしか表現できないものを、オーケストラという手段によって皆様にお伝えできればと願ってのことです。それでは最後まで、ゆっくりとお楽しみ下さい。

牧野 時夫   トットモシリ狂詩曲(2002)
  狂詩曲(ラプソディー)とは、形式にとらわれない自由奔放な楽曲で、そういう意味では幻想曲(ファンタジア)とも似ているが、より叙事的で、民族的な要素の強い曲につけられる題名である。有名なところでは、リストの「ハンガリア狂詩曲集」や、ガーシュインの「ラプソディ・イン・ブルー」などがあるが、イギリスのロック・グループ「クィーン」に「ボヘミアン・ラプソディー」という、ロックとしては異例の長大かつ複雑な曲がある。1975年の曲で、私は当時も今も、あまりロック音楽には興味がなく、というよりは、どちらかといえば嫌っていた方であるが、当時中学生であった私はたまたまFMでこの曲を聴いて気に入り、カセットにダビングして時々聴いていた。イギリスでは20世紀を代表する名曲というアンケートでこの曲が第1位となり、第2位にジョン・レノンの「イマジン」が選ばれたということだ。19世紀を代表する名曲といったら、ベートーヴェンの「第九」ということになるのに違いない。20世紀のクラシック音楽は少し混沌としていたから、ストラヴィンスキーの「春の祭典」あたりが最もインパクトがあったのだろうが、万人に受け入れられる名曲かどうかとなると、かなり疑わしい。21世紀には、果たしてどんな音楽が生まれるのだろうか。
 前置きが長くなったが、トットモシリとは、アイヌ語で「母なる大地」という意味である。北海道の農民にとって、豊かな恵みをもたらしてくれるこの大地に感謝をこめての命名であり、北海道開拓=アイヌモシリ侵略という負の歴史も忘れてはならないという意志の表明でもある。楽器編成は、もちろん演奏する農民管弦楽団のメンバーを考えてのもので、特に4本のフルートが絡み合うところが一番の聴きどころ。ジャズやロックのリズムも取り入れ、普段クラシックばかりやっている身には結構難しいのだが、本番ではうまく乗り切れますかどうか。

ルードヴィヒ・ファン・ベートーヴェン  交響曲第9番 ニ短調 「合唱付」 作品125(1824)
 音楽史上、最大にして最高傑作の一つであり、世に山ほどある解説に、私が改めて付け足すようなことはないが、シラーの「歓喜へ」の詩に共感して人類愛に目覚めたベートーヴェンがこのような大曲を生み出したのは、まさに自らの個人的な苦悩を通じてである。音楽家としては致命的なことに、耳が聴こえなくなったことや、自らは家庭の幸福に恵まれず、後見人として愛情を注いできた甥が自殺未遂を計ったことなどを経て、このような「苦悩から歓喜へ」という主題をもったすばらしい曲が生み出された。大事なことは、ただ歓喜なのではなく、苦悩を通じての歓喜ということである。
 日本ではなぜか「第九」が年末行事と化していて、プロのオーケストラにとっては、とても有難い収入源となっているのであるが、世界中のものが何でも手に入るようなこの飽食日本において、この曲は本当に理解されているのだろうか。クリスマスの本当の意味は知らずに、プレゼントをもらったりケーキを食べたりする行事にしてしまっている日本人のことだから、「第九」も単なる行事にしてしまっているのではないだろうか。そうではなく、「第九」の真の意味を理解してもらいたいと思う。
 第4楽章の途中で合唱が出てくるまで、この曲は本当に長い。しかし、この長さは歓喜を迎えるのに必要な長さなのである。我々も、たった1回の演奏会のために、この1年何十回もの練習を積んできた。やればやるほど奥が深いのが分かる。しかし、この練習の苦悩がなければ、もちろん良い演奏など生まれるはずがない。私は果樹農家であるけれども、おいしい果物を収穫するためには、何年もかけて樹を育て、肥料をやり、虫をとり、余分な葉や実を間引くなど、愛情をかけて十分な手入れをしなければならない。それを消費者は、お金を払って簡単に手に入れ食べる。もちろん、お金を稼ぐために苦労はしているだろう。しかし、その果物が成るまでに、どれだけの手がかかっているかを知る人は少ない。もし、その苦労を知っていれば、食べた時の味わいは一段と違うはずである。
 「第九」のオーケストラは、基本的に2管編成(木管のフルート、オーボエ、クラリネット、ファゴットが各2本ずつ)で書かれていて、それまでのシンフォニーと大して違うところはないが、大合唱団に負けないように今回は、ベートーヴェンが指揮をした初演と同じく倍管(木管各4<本)にして、弦楽器も合わせると100名以上での演奏となる。第4楽章の途中から、それまでのシンフォニーにはなかった超低音のコントラファゴットと超高音のピッコロ、打楽器のシンバルやトライアングルも加わり合唱と独唱を盛り上げるあたり、色彩的なオーケストラの醍醐味も存分に味わっていただけたら幸いである。

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