ごあいさつ
 本日は、大変お寒い中を、北海道農民管弦楽団の演奏会のために足をお運び下さいまして、誠にありがとうございます。このオーケストラは、全道各地の音楽を愛好する農家を中心に、農業試験場の研究員や、農政に携わる人、農協職員、農学関係の教職員や学生など、農業を支える多くのメンバーが集い、農閑期だけに活動するという、とても特殊な、おそらく世界でも唯一のオーケストラです。
 1995年1月の札幌芸術の森での旗揚げ公演以来、毎年公演地を変えて演奏会を開いて来ましたが、道東での演奏会は、8回目の今回が初めてとなります。できる限り多くの農家の方々に、我々の音楽を聴いてもらいたいので、かねてから道東でも演奏会を開きたいと考えて来ましたが、このような立派なホールの存在を知り、近隣の農家や農協の協力を得て、また帯広交響楽団を始めとして地元の演奏者の参加もあり、今回の公演が実現する運びとなりました。また、共催、後援、協力などの形でお力添え頂きました地元関係各位にも、大変お世話になりましたことを、この場を借りて厚く御礼申しあげます。
 さて、現代日本においては、農業という、人間にとって最も基本的な生命と健康を支える営みが、あまりにもないがしろにされています。経済とか効率が優先されるあまり、農業は非常にゆがんだ形でしか存在できない状況です。しかし、農業がダメになれば、どんなに経済が豊かになっても、人は生きて行くことができません。お金さえ出せば、食べ物なんて手に入るという考え方は、浅はかであるばかりでなく、飢えに苦しむ人々に対して罪深いことです。このようなゆがんだ社会は、決して永くは続きません。
 音楽に関しても、西欧で18世紀に完成した姿のまま変わっていないオーケストラというものは、全く経済的ではなく、効率も悪いものです。ですから、現在コマーシャルなどで流れているオーケストラ曲は、ほとんどがシンセサイザーで演奏されたニセモノなのです。しかし、ニセモノは所詮ニセモノです。本物の生の音楽が与える感動を、人々に伝えることは、決してできないのです。我々は、大地を耕す農業を行いながら、人の心を耕す音楽をしたいと考えています。音楽の持つ力によって、豊かな心で農業に励むことができるし、反対に、大地の恵みの中からは、すばらしい音楽のインスピレーションが生まれて来るのです。そんな大地の匂いのする音楽の響きが、少しでも本日の演奏の中から感じていただけることを願っています。

組曲「アルルの女」 ジョルジュ・ビゼー 1872
 ビゼーは、『アルルの女』と並ぶ不朽の名作オペラ『カルメン』を残して、わずか37歳でこの世を去った。彼がもう少し長生きしていたら、19世紀フランスの音楽はもっと豊かで輝かしいものになったに違いない。20世紀にはドビュッシー、ラヴェルといった天才がフランス音楽を開花させ、ドイツ音楽とはまた違った明るい色彩的な世界が広がることになるが、ビゼーの音楽にも、その和声やオーケストレーションの中に、フランス独特の世界が、すでに十分に現われている。
 『アルルの女』は、ドーデーの同名戯曲のための劇音楽として全27曲が作曲されたが、劇の方は大して評判にならなかった。しかし、ビゼーは音楽には自信があったので、その中から4曲を選んで組曲にし(第1組曲)、彼の死後、まだまだ優れた曲が残っているのを惜しんだ彼の親友ギローが、残りの音楽から3曲と、別のオペラ『美しきペルトの娘』の中からメヌエットを選んで第2組曲を作り、現在どちらも頻繁に演奏されている。特に第2組曲のメヌエットはフルートの独奏曲として有名になり、逆に『アルルの女』の上演時に演奏されるようにもなった。今回は、それぞれの組曲から3曲ずつを選んでいる。
 この物語の舞台は南フランス・アルル地方の純農村で、今回演奏する中にもパストラール(牧歌または田園曲)があるし、他の曲にも農民の踊りや、いかにも庶民的なフレーズがたくさん現れる。農民オケの本領発揮と行きたい所だが、日本人(道産子)の表現するものだから、もちろんフランス人自身が演奏する音楽とは、自ずから違ったものになるだろう。でも、それはそれで、悪いことではない。向こうのオケの演奏を真似してみたところで意味はない。ただ、あまり泥臭くなく、フランスのエスプリも少しは表現してみたい。
 戯曲のあらすじは、次のようなもの。村の農家の跡取り息子フレデリが、アルルの町で会った一人の女に夢中になり、結婚しようとまで思いつめるが、彼の周囲は女の過去が不純であると言って反対し、彼を慕う幼馴染で純情な娘ビベットと結婚させようとする。何とか彼はアルルの女を諦めてビベットと婚約することになったが、その祝いの席で、彼は農家の使用人がアルルの女と駆落ちするという話を聞いて心を乱し、ついに穀物倉の窓から中庭に身を躍らせ自殺してしまうという悲劇物語。しかし、この劇の舞台に、アルルの女は一度も登場しない。
 音楽の方では、クラシックのオーケストラでは珍しくサクソフォンが用いられたり(この曲の他にもフランスの作曲家がまれに使うくらい)、プロヴァンス太鼓という南フランス独特の打楽器が使われたりして、南フランスの田園の情景を醸し出すのに効果を発揮している。北海道でも、例えば富良野の丘の風景や、私の住んでいる余市のワインブドウの丘陵などは、南フランスの農村の風景に非常によく似ているので、そんなイメージを思い浮かべながら聴いてみて下さい。

民衆的舞踊組曲 牧野 時夫 1994
 これは当初、余市室内楽協会のために作曲したものだったが、初演は2000年1月、この北海道農民管弦楽団による余市演奏会で、今回は再演。ヴァイオリン独奏付きの弦楽5部合奏で、全4楽章からなる合奏協奏曲風の作品。西欧古典の作品だけではどうしても表現しきれない日本的なもの、北海道的なもの、さらにほんの少しだけ現代的なものを表現するために、そして何よりも自分のアイデンティティーを示す手段として、私は作曲をするのだが、特にこの曲で表現したかったのは、普遍的なもの、つまり民族や時代を超えて大切にしなければならないものである。それを民衆という言葉で表した。
 第1楽章は、賛美歌コラール風の序奏と、様々なモチーフが主題と交互に現れるヴィヴァルディ風の楽曲。第2楽章は、アイヌのウポポ(座り唄)風の主題の反復に、近代的な印象派風の色付け。第3楽章は、北海道とは日本列島の両端に位置しながら、共通した歴史や文化の側面を持つ沖縄の独特の音階を用いて、西欧舞曲風のスタイルで書いた。途中で一拍ずれて演奏するパターンは、日本ではアイヌ音楽独特のもの。琉球音階が日本の都節の音階に変化したりと、ちょっと遊んでみた。第4楽章は、田舎節という、民謡で一般的に使われる音階からなる旋律だが、実在の民謡というわけではなく、田植え唄とか米搗き唄とか、今では廃れてしまった集団で労働しながら歌うタイプの民謡を強く意識して創作したもの。第3楽章までのモチーフも次々に現われながら、最速のテンポで終結する。

交響曲 第1番 ジャン・シベリウス 1899
 シベリウスは、この曲の前に「クレルヴォ交響曲」(内容的には交響詩)という作品を書いて世間に認められ、何とフィンランド国家から終生年金をもらえる身分となり、作曲に専念できるようになった。そして生まれた最初の大作が、33才で作曲されたこの曲である。彼は作曲家としては珍しく92歳まで長生きしたが、58歳で交響曲第7番を完成した後、もう大きな作品を残すことはなかった。そういえば、道東出身で日本を代表する作曲家、伊福部昭(ゴジラで有名な!)も、もう90歳近くなるが、まだ精力的に作品を書いている。しかし管弦楽の名作は、ほとんど若い時の作品である。
 森と湖の国フィンランドの自然と風土、それは北海道のそれにとてもよく似ている。そして、フィンランドの国民的作曲家であるシベリウスの音楽は、本当に、北国の森と湖が目に浮かんでくるような音楽である。だから、北海道ではシベリウスがよく演奏される。音で風景を表わすことができるなんて、本当に不思議だが、この音楽を聴いて常夏の島のイメージを思い浮かべる人はいないだろう。北海道に住む人ならば、きっとフィンランドではなく、北海道の景色が目に浮かんで来るに違いない。我等が北海道農民管弦楽団は、大地に根差した音楽を目指しているから、このシベリウスの音楽は実にぴったりと来る。しかし、この曲は演奏するのが、なかなか容易ではないのである。
 この曲には、美しく親しみやすいメロディーがたくさん出てくる。このメロディーを担当するパートは、気持ちをこめて演奏すれば済む。でも、そのメロディーを支える伴奏は、実に複雑で難解なことをやっているのである。恐ろしく速いシンコペーション、とっても細かい半音階やトリルなど、楽譜の通りに演奏するのは、不可能ではないかと思われるようなところがたくさんある。しかし、この伴奏がなかったら、この北国の景色は決して浮かび上がってこない。シベリウス独特の幻想的な世界は、哀愁を帯びたメロディーだけでなく、この伴奏にも秘密があるようだ。オーケストラの編成も、この時代としては決して大きなものではないのに、とてもスケールの大きな表現力を持っている。また、この曲では交響曲としては珍しくハープが入っているが、その効果もまたすばらしい。
 この曲は、フィンランドの独立を願って作曲された有名な『フィンランディア』と同年の作品である。当時、大国ロシアの支配下にあった重苦しい雰囲気と、しかしそれをはねのけようとする民族的な高揚が、長くて暗い北欧の厳しい冬と、それを終わらせる春の大地の息吹にダブって感じられる。冬の農閑期に集中して演奏活動をしているこのオーケストラにとっても、真にふさわしい曲であろう。

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