ごあいさつ ごあいさつ
   

北海道農民管弦楽団 代表  牧野 時夫


 本日は、大変お寒い中を、北海道農民管弦楽団の演奏会のために足をお運び下さいまして、誠にありがとうございます。このオーケストラは、全道各地の音楽を愛好する農家を中心に、農業試験場の研究員や、農政に携わる人、農協職員、農学関係の教職員や学生など、農業を支える多くのメンバーが集い、農閑期だけに活動するという、とても特殊な、おそらく世界でも唯一のオーケストラです。
 1995年1月の札幌芸術の森での旗揚げ公演以来、道内各地をまわり演奏会を開いて来ましたが、13年目の今回、北見での初めての公演にあたり、北見出身のチェリスト福村忠雄さんによる、30数年ぶり初の帰郷公演を兼ねるという、すばらしい機会にも恵まれました。また、この度の公演開催にあたりましては、地元で地道な活動を続けておられる北見室内管弦楽団の多大なるご協力もいただき、さらに、後援を頂きました関係者各位にも、大変お世話になりましたことを、この場を借りて厚く御礼申しあげます。
 さて、現代日本においては、農業という、人間にとって最も基本的な生命と健康を支える営みが、あまりにもないがしろにされています。経済とか効率が優先されるあまり、多くの人の食糧を、一握りの農家が大規模に生産にして支えなければならなくなっています。しかし、一昔前までは、大半の人が農民=百姓だったのです。かつて農民は、大自然と神の前に従順になり、大地にしっかりと立ち、泥にまみれ汗を流して労働し、実りの時には感謝をもって収穫したのです。そして収穫を皆で分かち合い、喜びを表わすために歌を歌い、楽器を奏で、踊りを踊ったのです。そのような人間の生き方の原点を現代に蘇えさせることが、このオーケストラの目標です。春から秋まで、大地と格闘して生きる農民の魂を、少しでも皆様にお伝えすることができれば幸いです。

曲目解説

1.ドヴォルジャーク(1841-1904)/スラヴ舞曲集より
当時のヨーロッパでは、家庭で楽しむためのピアノ連弾用の楽譜需要が多かった。ドヴォルジャークが無名な頃、すでに大作曲家として名をなしていたブラームスは、楽譜出版社ジムロックから依頼され、ピアノ連弾用の「ハンガリー舞曲集」を作曲し好評を得、さらにそのうちの何曲かは作曲者の手で管弦楽用にも編曲され人気を博していた。ジムロック社は、売れ行きが好調だった「ハンガリー舞曲集 」に気をよくし1878年、ブラームスの推薦で当時新進作曲家に過ぎなかったドヴォルジャークに「スラヴ舞曲集」の作曲を依頼した。これが大成功を収め、ジムロック社が大いに潤っただけでなく、ドヴォルジャークの名声も一気に高まり、国民楽派のリーダーとして揺ぎ無い地位を築くことになった。第1集(作品46)が好評だったので、1886年には第2集(作品72)も出版され、それぞれ8曲ずつの計16曲全曲が、作曲者自身の手で同時にオーケストラ用にも編曲されている。
 「ハンガリー舞曲」の方は、ドイツ正統派の作曲家ブラームスが異国情緒溢れる舞曲としてジプシー風の音楽を書いたものであるが、大半の旋律がオリジナルではなく、既存の民謡を編曲したものだった。一方「スラヴ舞曲」は、ドヴォルジャークが小さい頃から身近に接していた民俗音楽=農民の素朴な踊りのスタイルで書かれたが、彼は既存の民謡をそのまま編曲することは決してせず、旋律はすべてオリジナルであった。ドヴォルジャークのメロディーメーカーとしての才能は、ブラームスの到底及ぶところではなく、ブラームスもそのことは十分認めていたようである。

第1番 プレスト ハ長調 4分の3拍子 ボヘミアの舞曲「フリアント」。最初のフレーズは、2小節で3拍と割り切れず、2分の3拍子にしか聴こえない。途中から普通の4分の3拍子になるので、リズムの交替が面白い特徴のある舞曲。
第3番 ポコ・アレグロ 変イ長調 4分の2拍子 最初の旋律は、東ボヘミアの「マテニーク」という民謡と思われるが、「ポルカ」に近い。途中からテンポの速い活気のある主題が表れるが、これはボヘミアで最もポピュラーな踊りの曲「スコチナー」。
第10番(第2集第2番)アレグレット・グラツィオーソ 変ホ短調 4分の3拍子 ショパンのピアノ曲でも有名な、憂いを帯びたポーランドの踊り「マズルカ」。舞曲というには余りにもロマンチックで、この曲だけでもよく演奏される。
第8番 プレスト ト短調 4分の3拍子 第1集の最後を飾るにふさわしく、華麗でしかも力強い名曲。第1番と同じ典型的な「フリアント」のリズム。ロンド形式で主題と交互に表れるモチーフは、いずれもロンド主題から派生したもの。

2.ドヴォルジャーク/チェロ協奏曲
 クラシックファンの間では、通称「ドボコン」と呼ばれる。一般にチェロ協奏曲は、ヴァイオリンやピアノに比べてレパートリーが少なく演奏機会も多くはないが、ドヴォルジャークの場合、ピアノ協奏曲もヴァイオリン協奏曲もあるのに、「ドボコン」と言えば、このチェロ協奏曲のことを指す。それほど、この曲は魅力に富み、あらゆるコンチェルトの中でも傑出した珠玉の1曲に数えられる。
ドヴォルジャークは1892年51歳の時、ニューヨークのナショナル音楽院の院長としてアメリカに招かれた。院長の任期が残っていたにも関わらず故郷ボヘミアに戻るまでの3年足らずの間に、交響曲第9番「新世界より」や弦楽四重奏曲「アメリカ」など代表作の数々が作曲され、まさに円熟の時を迎えていたこの時期にこの協奏曲も作られた。チェロの独奏は、技巧的にも見せ場たっぷりだが、決して技巧だけに走らず、人間の声に最も近い音域と表現力を持つ楽器と言われる特性を見事に生かしている。一方、管弦楽も単なる伴奏にとどまることなく、雄大かつ密度の濃い内容で書き込まれており、交響曲並の充実感がある。そして何よりの魅力は、ボヘミア民謡や黒人霊歌風の郷愁に満ちた旋律が曲全体に散りばめられ、管楽器にも「おいしい」旋律がいっぱいあるところだ。古典派協奏曲のスタイルを厳守しながらも、ロマン的な叙情性と素朴な懐かしさを併せ持ち、ドラマチックな構成で聴くものを飽きさせない、傑作中の傑作と言える。チェロ協奏曲を作曲しなかったブラームスが晩年この曲を聴き、「こんなチェロ協奏曲が人間の手で書けるということを、どうして気づかなかったのだろう。もし気がついていたら、とっくに私自身が書いていただろう」と悔しがったという逸話が残っている。
 作曲のきっかけは同郷のチェロ奏者、ハヌシュ・ヴィハンからの依頼である。1895年8月にドヴォルジャークのピアノ伴奏で試奏したヴィハンは、ソロパートが難し過ぎると修正を提案したがドヴォルジャークは納得せず、カデンツァを入れようと言う提案には激怒。ついには世界初演をヴィハンではなくレオ・スターンに任せるといった一幕もあった。それだけ、彼自身この曲に対する思い入れが強かったのである。その思いとは、一つは故郷ボヘミアに対する思いであるが、もう一つは彼の初恋の人でもあり誠実な支援者でもあったヨゼファ・カウニッツ伯爵夫人に対する思いであった。
チェロ協奏曲を書き始めていた1894年冬、ドヴォルジャークは故郷に対する思いがつのり、大都会ニューヨークでの多忙な生活に耐え難いものを感じるようになっていく。そして故郷で病床に伏しているカウニッツ夫人に思いを馳せながら彼はこの曲を書いた。そして1895年4月、音楽学校との契約がまだ残っていたにもかかわらず、音楽院長の職を辞してアメリカを離れ、念願の故郷ボヘミアに戻ったのである。ところが喜びも束の間、カウニッツ伯爵夫人が、亡くなる。彼は、一度は完成していたチェロ協奏曲を再び取り上げ、第3楽章のコーダに筆を加え、1895年6月11日、現在の形に仕上げた。

第1楽章  アレグロ ロ短調 4分の4拍子 古典的な協奏曲にならい、最初は管弦楽により主題が提示される。暗く呟くようなスラブ的な第1主題がクラリネットで提示され、管弦楽で劇的に盛り上がる。一転、ホルンが歌う第2主題は、ボヘミアへの郷愁を感じさせる名旋律。長いオーケストラ提示部を終え、独奏チェロが決然と登場。管弦楽との対話を絡めつつ曲は進行し、以下も典型的な古典派協奏曲に則ったソナタ形式を守る。再現部では長調に転調した第1主題が力強く現れ、雄大な響きの中閉じられる。
第2楽章  アダージョ・マ・ノン・トロッポ ト長調 4分の3拍子 感傷と叙情にあふれた三部形式の緩徐楽章。主部は牧歌的な主題がフルートで演奏されてから、独奏チェロに引き継がれる。オーケストラが威圧的に爆発する中間部では、管楽器と絡みつつチェロが表情深い歌を奏で、消えそうになる瞬間突然激しい総奏が襲う。そして独奏チェロにより自作の歌曲『私にかまわないで』に基づく旋律があらわれる。これはカウニッツ伯爵夫人が生前好んだ旋律だったという。その後最初の主題がホルンに戻り、チェロ独奏の短いカデンツァ風の一節をはさんで静かに終わる。
第3楽章  アレグロ・モデラート ロ短調 4分の2拍子 変則的なロンド形式。低音弦のきざみの中、最初ホルンにより提示される勇壮なロンド主題をチェロ独奏が受け継ぎ、この主題を中心に多彩なエピソードが描かれる。主題が3度目に登場した後、チェロが歌う憧れを込めたメロディーが特に印象的。後半のヴァイオリンソロとチェロとの二重奏は、ドヴォルザークとカウニッツ夫人の初恋の日々を思わせる。カウニッツ伯爵夫人の訃報を聴いて書き足されたコーダは、第1楽章と第2楽章を回想しながら、「思い出」の中で静かに祈るようなチェロ独奏のモノローグで消え入るように終わり、その最後の小節をオーケストラが引き継ぎ、悲しみを振り切り未来を見つめるかのような管弦楽の力強い響きの中に曲を閉じる。

3.チャイコフスキー/交響曲第1番「冬の日の幻想」
農民オケがチャイコフスキーを取り上げるのは、3年前に函館で演奏した交響曲第6番「悲愴」以来である。函館でチャイコフスキーを選んだのは、ロシアとのつながりの深い街という理由であったが、今回は題名からもお分かりいただけるように、冬の道東のイメージにぴったりした曲というわけで選曲した。
この曲は、1866年3月から6月にかけてチャイコフスキー が26歳の時に作曲した最初の交響曲で、40歳代になって初めて交響曲を発表したブラームスはもとより、ベートーヴェンやシューマンも交響曲を書いたのは30歳代になってからだから、彼は比較的早い時期に絶対音楽の大作に取り組んだと言える。内容も4番以降のような独創的でドラマチックなスケールの大きさはまだまだと言えるが、ベートーヴェンなど古典派の交響曲をよく研究していることが伺えるし、後期にはない若々さもみなぎり、素朴な旋律にもあふれ、ロシア的な情緒や魅力に満ちた佳作と言えるだろう。チャイコフスキーの交響曲は、番号付きのものが6曲、第4番と第5番の間に作曲された大作の『マンフレッド』交響曲を含めると7曲あるが、演奏機会が多いのは第4〜6番の3曲である。第1番は、初期の3曲の中では、親しみやすい曲想と魅力的な旋律で比較的よく知られている方だが、後期の交響曲の高い人気の陰に隠れている感があるので、もっと演奏されてもよい曲の一つだろう。
1866年1月にチャイコフスキーは、恩師アントン・ルービンシュタインの弟ニコライ・ルービンシュタイン が設立したモスクワ音楽院の講師として招かれ、サンクトペテルブルグ からモスクワに出る。9月の開校までの間、貧しかったチャイコフスキーはニコライ邸に居候し、ニコライに勧められて交響曲を作曲した。交響曲が仕上がると、チャイコフスキーはサンクトペテルブルグのアントン・ルービンシュタインにも楽譜を見せて意見を乞うたが酷評され、楽譜に手を加えて再び見せたが、反応は依然として厳しかった。2年後の1868年2月15日に、ニコライ・ルービンシュタインの指揮によりモスクワで全曲が初演されたが、大成功を収め評判も良く、曲はニコライ・ルービンシュタインに献呈された。チャイコフスキーは1874年にこの曲を改訂し、今日ではこの稿が演奏される。標題の「冬の日の幻想」は、『マンフレッド』を除いて、作曲者自身が交響曲に標題を付けた唯一の例で、第1楽章と第2楽章にも表題が付けられている。

 第1楽章  「冬の旅の思い出」 アレグロ・トランクィロ ト短調 4分の2拍子 ソナタ形式。ヴァイオリンの弱いトレモロに乗ってフルートとファゴットが民謡風な第1主題を出す。第2主題はクラリネットで明るく出るが、やはり民謡風である。
第2楽章  「荒野の土地、霧の土地」 アダージョ・カンタービレ・マ・ノン・トロッポ、変ホ長調 4分の4拍子  序奏、コーダ付きのロンド形式、1866年にチャイコフスキーが訪れたラドカ湖の印象ともいわれる。序奏は弱音器を付けたヴァイオリンの柔らかく物語るような旋律。哀調を帯びた主要主題は、はじめにオーボエ、2回目にチェロ、3回目はホルンでそれぞれ歌われる。最後にヴァイオリンの序奏の旋律が還ってきて締めくくる。
第3楽章 スケルツォ   アレグロ・スケルツァンド・ジョコーソ ハ短調  8分の3拍子  三部形式 。木管の短い前奏につづいて、4部に分割されたヴァイオリンが軽快な主要主題を出す。この主題は1865年にチャイコフスキーが作曲したピアノソナタ(作品80)の素材を用いている。主部は夢幻的な雰囲気をもつ。中間部は、チャイコフスキーお得意のワルツ 。再現部では、今度は木管で主題が奏される。コーダでは、中間部のワルツが短調に転じ、チェロとヴィオラが独奏でカデンツァ 風に奏して歯切れよく終わる。
第4楽章 アンダンテ・ルグーブレ ト短調 4分の4拍子 〜 アレグロ・マエストーソ ト長調 2分の2拍子  序奏付きのソナタ形式。序奏では、ファゴットが暗い動機を断片的に出し、これをヴァイオリンが受け取って、哀愁を湛えた旋律を歌う。これは、南ロシア・カザン地方の民謡「咲け、小さな花」に基づいており、この楽章で大きな役割を果たす。この動機を繰り返しながらト長調に転じて速度を上げていく。主部にはいると、第1主題が金管を伴って快活で華やかに出される。第2主題は序奏主題を行進曲調にしたもので、ヴィオラとファゴットによる。展開部ではまず序奏主題が現れ、次に第1主題の動機を対位法的に扱う。再現部では、第2主題のときに速度が落ち、序奏の再現となる。ここから次第に高揚していき、序奏主題が全管弦楽で高らかに奏される。コーダは長大で、圧倒的な頂点を形作る。

出演者

チェロ: 福村 忠雄


北見市出身 東小学校在学中 NHK児童合唱団に入団、東陵中学校器楽クラブでチェロを始め、北斗高校では放送局、合唱部で活動する。チェロを札幌で上原与四朗氏に師事し桐朋学園大学オーケストラ研究生になる。 チェロを青木十良、室内楽を黒沼俊夫、岩崎淑、G.シェベック、D.ハルマンの各氏に師事。在学時より新星日本交響楽団に入団し活動を始める。アフィニス セミナーではシカゴ交響楽団メンバーと共演する等、室内楽の分野でも演奏活動を行っている。リベロ弦楽四重奏団主宰、東京フィルハーモニー交響楽団員

指揮:  牧野 時夫

 1962年大阪府生まれ、山梨県で少年時代を過ごす。4歳よりヴァイオリン、ピアノを習う。北海道大学農学部卒業、同大学院修士課程修了(果樹蔬菜園芸 学)。北海道大学交響楽団、 北海道交響楽団、山梨交響楽団でコンサートマスター、岡山交響楽団でアシスタント・コンサートマスターを務める。
 本州のワイン会社にてブドウの栽培・育種の研究後、1992年余市町に有機農園「えこふぁーむ」開設し、ブドウを中心に数百種類の果樹・野菜を無農薬栽培。1994年日本有機農業研究会の仲間と共に、北海道農民管弦楽団を設立、同代表・指揮者、作・編曲も行う。同楽団は2000年第6回ホクレン夢大賞受賞。余市室内楽協会代表・コンサートマスターとして、また小樽室内管弦楽団との共演等、道内各地で年間20回以上の演奏活動を行っている。
 日本有機農業研究会、北海道有機農業研究会、しりべしなんでも百姓くらぶ会員、道農業担い手センター就農アドバイザー。

第1ヴァイオリン

♪野村 聡 (千歳)
薄井 美帆(帯広)
小野 美子(東神楽)
栗嶋 和巳(札幌)
橋田 栄 (札幌)
  牧野 愛花(余市)
牧野 智香(余市)
松原 寿晴(札幌)
村松由美子(札幌)
荒木 園子(東京)

第2ヴァイオリン

♪山本 芳幸(札幌)
 浅野 真希(札幌)
 石川 真滋(池田)
榎本 貴子(北見)
久保田 睦(札幌)
 嶋田 覚子(真狩)
 高橋 幸治(当別)
中岡 亮子(余市)
廣田 洋子(帯広)
牧野 大志(余市)
山本 智美(札幌)

ヴィオラ

♪清水 友紀子(札幌)
有坂 昌明(北見)
板谷 知子(余市)
清水 三佐子(小樽)
城  幹昌(網走)
菅井 琢哉(帯広)
常住 裕一(北見)
花本 威士(札幌)
吉田 達之(旭川)

チェロ

♪石埜 正穂(札幌)
有坂 郁子(北見)
伊藤 泰広(津別)
工藤 澄子(札幌)
平山 朋子(札幌)
村上 朋広(札幌)
吉田 幸司(札幌)

コントラバス

♪嶋田 宏 (余市)
半田 健 (釧路)
永峯 豊 (恵庭)

フルート

♪福士 江里(札幌)
今西 俊輔(札幌)
岡本 麻由子(札幌)

オーボエ

♪菊池 真哉(沼田)
桜庭 基人(札幌)
玉田 由紀(札幌)

クラリネット

♪稲川 裕 (南幌)
伊藤 章博(留萌)
河西 真人(札幌)

ファゴット

♪皆木 友和(北広島)
 高嶋 孝寛(余市)

ホルン

♪藤田 勉(中富良野)
 大宅 俊一(北見)
助乗 慎一(北見)
奈良 匡己(網走)
巻口 公治(網走)
皆木 真利子(北広島)

トランペット

♪佐藤 導謙(下川)
河合 拓男(芽室)
多田 信人(旭川)

トロンボーン

♪鎌田 利郎(夕張)
 川辺 英行(旭川)
奈良 正浩(岩内)

テューバ

♪乙部 裕一(長沼)

パーカッション

♪溝延 学 (岩見沢)
大山 雅世(札幌)
廣瀬 篤 (苫小牧)

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