雑な飼い方 


玄関のチャイムが鳴ると、友人が大荷物を持って立っていた。
「実装石を預かってくれって?」
「頼むよ。1ヶ月だけ。頼む!」

友人からの頼みは出張中のペットの実装石の世話だった。
期間はほぼ1ヶ月。
ペットホテルなどに預けるほどの予算は無い。
他の友人達には既に断られてしまった。
最後のツテでこの大雑把な性格の男に頼んでみたのだ。
「別に預かるのは構わんけど、俺、実装石なんて飼ったことないぞ」
「大体のことはメモに書いてあるからさ。簡単だよ」

友人は適当なことを言う。
男はこの友人がいいかげんな奴だということは、よく理解している。
悪い奴ではないが、物事を話半分に聞いておいたほうがよい人間だ。
しかし、いいかげんと大雑把で、お互い気が合うのも確かだ。
「わかったよ。でも俺は素人だからな。失敗しても文句言うなよ」
「大丈夫だって。実装石は丈夫だからめったなことじゃ死なないよ」

ケージの中からデスデス騒がしい鳴き声が聞こえる。
あまり、躾は行き届いてないようだ。

友人は男に荷物を押し付けると、さっさと行ってしまった。
こうして実装石は男に預けられることになった。




まずメモを読む。
餌やトイレについて基本的なことが書いてある。
「ふーん、怪我してもすぐ再生するのか」
そんなに丁寧に扱わなくても大丈夫なんだな。
男はすっかり安心した。

「デスー!デスデスー!」
ケージをガンガン叩いて実装石が暴れる。
「うるせーな。なんだよ」
実装石を出してやる。
糞でパンツをこんもりさせた実装石が這い出してきた。
「デス!デスデスデス!」
「何言ってんのかわかんねーよ」
「デスデスデスデス!」

そういや"リンガル"とかいうモノ渡されたっけ。
早速使ってみるか。
(ウンコしたから服を取り替えたいデス)
(服はキレイな服じゃないとダメデス)
(美味しいご飯が食べたいから用意して欲しいデス)
(ワタシを大事に可愛がらないと許さないデス)

なんだこりゃ。
ずいぶん注文の多い奴だな。
男はリンガルを放り出した。
リンガルは愛護派仕様だったが安物だった。
安物ゆえに実装石の要求を割と正確に伝えているのだが、
それが良い結果につながるとは限らない。

相変わらずデスデスうるさい実装石を冷めた目で見る。
「お前、居候の身だってわかってねーだろ」
「デスデスデスゥ!」
「うるせーっての」蹴り。
「デグッ」実装石が転がっていった。腹を抱えて呻いている。
「なに、痛がってんだよ。すぐ再生するくせに」
再生しようが不死身だろうが、痛いモノは痛いのだが、
この大雑把男はそこまで考えていない。

大荷物を解き水槽を出す。
適当に古新聞を千切って入れた。トイレと餌箱も入れる。
そこに転がって泣き喚いている実装石を放り込んだ。
うるさいので3発ほど殴っておく。
「ほれ、家用意してやったぞ」
「デスデスデスゥー!」
実装石は新居に不満があるようだ。
「だから、うるせーっての」水槽の上から殴る。
「デスッ!」

この家に来て一時間も経たないうちに、実装石の頭はコブだらけだ。
水槽の隅でうずくまる実装石。
すっかりふてくされモードだ。

なんて酷いニンゲンデス。
許せないデス。
でも今のうちだけデス。
前のニンゲンみたく、すぐにワタシにメロメロデス。
ワタシはかわいそうデス。
ほらニンゲン、ワタシは今かわいそうデス。
早くかわいそうなワタシに優しくするデス。

ふてくされながらも実装石は、チラチラと男の様子を盗み見ている。
しかし男はゲームに夢中になっていて、実装石の方などまったく見ようとしない。

チラチラ。
無視。
チラチラ。
無視。
チラ…
無視。
じー…。
無視。
じー。
無視。
じとー。
無視。

「デス――――ッ!!!」
実装石が切れた。
「うるせぇええええええええ!!!!」
カウンターで返ってくる実装石が聞いたことのないような大音量の怒鳴り声。
「デェ…」恐怖に固まる実装石。目が潤んできた。
パンツの中にも追加の糞が出荷されている。

水槽のガラスに張り付いて涙を流す実装石を見て、男は思い出した。
「悪い、餌欲しいんだったよな。忘れてた」
「デスデスデス♪」
餌と聞いて実装石は途端に喜びだした。

そうデス。
ご飯を寄こせばいいんデス
美味しいモノを用意するデス。
そしたらさっきの乱暴も特別に許してやるデス。

男は荷物から「お徳用実装フード5キロ入り」を取り出した。
袋を開けると水槽の上で逆さにする。
「デデェエエエ!」
実装石の頭上から実装フードの滝が降り注ぐ。
抗議しようと開いた口にも実装フードがなだれ込んだ。
文字通り口を塞がれた実装石は実装フードに埋もれていく。

別に男は意地悪でこんな行動をとったわけではない。
自分の雑な性格では、今後の餌やりを忘れる可能性が高い。
というか絶対に忘れる確信があった。
純粋な親切心からの行動だったが、皮肉にもそれが今、
実装石を瀕死の事態へ追い込んでいた。

「おい、どこいった?」
「デギュゥゥゥ…」
餌の層の下から実装石のうめき声が聞こえた。
男は水槽内に腕を突っ込み実装石を引きずり出す。
「デッ…デフォッデフォッ」ムセている実装石。
キッと男に向き直ると大声で騒ぎ出した。
「デスデスデスデスデスー!」
「うるせーっての」実装石の頭に鉄拳を落とす。
「それだけあれば当分食うに困らんだろ」
男はまたすぐにゲームを再開しだした。

この餌はマズいから嫌いデス。
いや、そういう問題じゃないデス。
みんな餌で埋まってしまったデス。
寝るところも、トイレも埋まってしまったデス。
ワタシはウンコの付いた餌なんて食べられないデス。
早くどうにかするデス。

「デスデスゥ!」
さすがに飼い実装石だけあって、ある程度の衛生観念は持っているらしい。
譲れない一線なのか、しつこく鳴いて抗議を続ける。
しかし男は振り向きもしない。
実装石も疲れてきた。
一休みしようと腰を下ろした。

ぶちょ。

ぱんぱんに盛り上がったパンツから、圧迫されて糞があふれ出した。
周囲の餌が糞汁にみるみる汚染されて行く。
「デ!デスー!」
恐れていた事態の発生に実装石は慌てた。
「デスー!デスデスー!」
水槽のガラスを必死に叩いて男を呼ぼうとする。
「なんだよ」
面倒臭そうに男が振り向く。
「デスデスゥー」
実装石はパンツを脱いで糞を見せる。換えのパンツと糞の始末を要求しているのだ。
「きたねえモン見せるな」
男は不機嫌につぶやき、またゲームを始める。
「デスゥデスゥ!」
実装石は泣きながらパンツを振り回す。待遇改善を諦めるつもりは無かった。
男がまた振り向いた。
ここぞとばかりに実装石も大きな声で騒ぐ。
「パンツに糞付いてたって死にゃしねーよ。気にすんな」

なんて奴デス!
最低最悪のニンゲンデス!
もう絶対に許さないデス!
そんなゲームなんて邪魔してやるデス!

実装石は力いっぱいガラスを叩いた。喉が枯れるほど大声で鳴き続けた。
しかし男はヘッドホンをつけると、それきり実装石に何の関心も示さなかった。




そんな調子で毎日が過ぎた。
実装石が何をしても男はマイペースを崩さない。
元々、男は実装石にまったく関心が無かった。
死にさえしなければ、あとはどうでもいいのだ。

餌は初日にどっさり与えたし、後で聞いたところ実装石は、
自分の糞も平気で食べるそうだ。
なんだ。飼いやすい生き物じゃないか――
男はますます実装石に注意を払わなくなった。


酷いデス。
このニンゲンはどうしてワタシを可愛がらないデス。
ワタシが可愛くないなんておかしいデス。
ここから早く出して欲しいデス。
元の家に帰りたいデス。
前のドレイのニンゲンに会いたいデス。

実装石は騒ぐことはほとんどなくなっていた。
騒いでも殴られるか、無視されるだけだとなんとか理解したらしい。
男は初日以来、一度もリンガルを使用していない。
意志の疎通をはかる気がない相手に何を訴えても無駄なのだ。

辛いデス。
身体がうまく動かないデス。
喉がカラカラデス。
みんなあのニンゲンのせいデス。
絶対に許さないデス。
やっつけてやるデス。

実装石の具合が悪いのは脱水症状だ。
ここに来てから水を与えられていないのだ。
当然、男は忘れているだけで悪意はまったく無い。
実装石は自分の糞の水分を啜りながら耐えていた。




放置状態が続いた水槽内が汚れてきた。
見るからに汚らしく臭い水槽を、そのままにしておくのも気分が悪い。
男は消臭剤を手に水槽の蓋を開けた。濃縮した臭気があふれ出す。
「ぶぇっ、臭すぎだなこりゃー」
久しぶりの外気に実装石が騒ぎ出す。
「デスデスデスデスー!」
ふらつきながらも、ありったけの力でここから出せと訴えた。
しかし男には伝わるはずもない。
「うわ、ウンコまみれだな。お前臭すぎ」
至近距離から実装石の顔面に消臭スプレーを浴びせる。
「デデスゥ!」
顔にかかった液体が目に染みる。口に入ると苦い味がした。
しかし水分だ。
実装石はスプレーに向かって大きく口を開けた。
身体にかかった分も夢中で舐め取った。
男も面白がってスプレーを浴びせ続けていたが、
水滴を啜る実装石を見てようやく気づく。
「そういや、お前に水やってなかったな…」
皿に水を注いで水槽内に置いた。
実装石は皿に飛びつき、貪るように水を飲んでいく。
水を飲み干したところで男に向き直った。
「デス!デスデスデスデェース!」
今までの不満をぶちまけるように喚き散らす。
実際、不満を言っているのだが男にはわからない。
「何言ってんのかわかんねーよ」
顔面にスプレーでお返し。
「デェェッス!」
実装石が糞を拾った。男めがけて投げつける。
男のシャツに命中した。

「デププププププ」
ざまあみろデス。
お前はこれからワタシのドレイデス。
ドレイ2号にしてやるから感謝するデス。
ワタシのために死ぬまで尽くすことに決まったデス。
さあ、ワタシをたくさん可愛がるデス。


「てめぇ…いい気になってんじゃねえぞ」
実装石はおめでたい妄想に浸リ過ぎて、男の形相が変わったことに気づかない。
男が水槽から離れていった。

「デスデスデスー!」
ニンゲンどこに行くデス!
ワタシの世話をするデス!
早く可愛がれデス!
舞い上がった実装石がまた騒ぎ出す。


男が戻ってきた。手には竹製の30センチ物差し。
「殺すまではいかなくても、手前までは見せてやるからな」
「デププププ…プッ?!」
戻ってきた男を見て実装石が嘲笑うが、その途中で引っ叩かれた。
男が物差しをしならせる。
「おまえ、居候のクセに立場がわかってねえな」物差しが唸る。
「デピャッ?!」
「他人様の家でデカイ顔すんな」また物差しが唸る。
「デチィッ!」
「おまえなんざ、食って寝て糞たれるだけの役立たずじゃねえか」
「デチャァア!」
物差しがうなるたびに実装石の顔にミミズ腫れが増えていく。
実装石は頭を抱えてうずくまった。
今度は背中と尻に集中攻撃だ。
実装石の悲鳴が徐々に力ない泣き声に変わっていった。
「デスゥ…デスゥン…」
「なんだお前、なに泣いてんだよ」物差しが止まる。
「デス…?」
「泣くくらいなら最初からケンカ売るなや!」
再び物差しが飛んできた。過去最大級の猛攻撃だ。
「デッデデデデデェデッデッデデデデェ〜」
実装石は泣きながら蹲ることしかできない。

もうやめてデス。
もう許してデス。
もう逆らわないデス。
ごめんなさいデス。
ごめんなさいデス。
だからもうやめてデス。
お願いデス。助けてくださいデス。

だが、物差しは実装石の身体を痛めつけ続ける。

苦痛で頭がいっぱいになる。
痛みで何も考えられなくなる。
どれだけ願っても望んでも、この痛みは終わらない。
自分ができること、自分が動かせることなど何も無い。
実装石は言葉ではなく身体で、嫌というほど思い知った。




その日から、実装石の水槽は押入れの中に追いやられた。
臭いし実装石は生意気だしと、男が目に付くところに置くのが嫌になったからだ。
たまに水やりと消臭スプレーをかけるくらいで、
あとは暗闇の中にずっと放置していた。

ここは暗いデス。
暗くて何も見えないデス。
こんなところは嫌デス。
餌も腐ってマズイデス。
すごく臭くて嫌な所デス。
早く出してほしいデス。
ごめんなさいデス。
ごめんなさいデス。
もう暴れたりしないデス。
ごめんなさいデス。
ごめんなさいデス。
早く家に帰してほしいデス。
早く家に帰してほしいデス。
早く前の家に帰してほしいデス。

「デス…デス…デス…」
実装石は哀願と謝罪をつぶやき続ける。
しかし、それを聞くものはどこにも存在しなかった。




男の元へ友人から電話があったのは、2週間ほどたった頃だった。
内容は出張の期間が延びたこと。戻るのは半年先だ。
もう一つは現地で新しい実装石を飼い始めたことだった。
「そういうわけだからさ、アイツ好きにしちゃっていいよ」
新しい実装石はペット用の優秀な奴らしい。
元の実装石への関心はまったく無くなってしまったようだ。
実にいいかげんな友人らしい話だ。


押入れが開く。男が顔を出した。
「デスデスデスッデス」
実装石が必死に何かを訴える。
「お前の主人から電話があってな…」

実装石は自分が捨てられたことを理解した。
もう前の家には戻れない。
いつか家に帰る時がくる。
それだけを支えにしていたのに。
「デー…」
身体に力が入らない。
考えがまとまらない。
「デー…」
虚ろな声でつぶやく。

どのくらいそうしていたのか。
実装石の頭にふと名案が浮かんだ。

今いる男をドレイにすればいいんデス。
最初は自分には既にドレイがいたから、男には優しくしてやらなかったデス。
だから男には自分の可愛らしさが理解できなかったデス。
自分が本気で媚びれば前のドレイのように、自分にメロメロになるに決まっているデス。

「デププププ」
理想的な展開を確信して実装石は笑い出す。

「デスゥ♪」
入り口から顔を出している男に向かい、可愛らしく媚びた。
だが、そこにもう男はいなかった。閉じた押入れの戸があるだけだった。
男は電話の件を話し、水を交換するとさっさと行ってしまっていたのだ。

そんなことにも気づかないほど、この実装石は愚かだった。




大雑把男は時折思い出した時だけ、実装石の世話をした。
世話といっても水と消臭スプレーだけだ。

普段生活に関わらない実装石のことは忘れがちとなり、
1週間近く存在を忘れることもたびたびだった。

ある時、3週間近く放置していたことを思い出した男が押入れを覗き込むと、
ぐずぐずに腐った実装石の死体があった。

男は最後に見た実装石の姿を思い出した。
水槽のガラスによりかかり壁に向かって「デー…」と虚ろな声で鳴いていた。

――つまらん奴だったな。

男の思ったことはそれだけだった。




後日、男はアパートの管理人から悪臭と押入れを汚した件で追い出された。







雑な飼い方2へ


戻る