月の光と人魚姫 3
俊昭は久美子に全て話した。
ミオが久美子を妬み、憎んでいたこと。
それを押し隠し続けていたこと。
久美子は泣いた。
ミオに欺かれていたことも、深く恨まれていたことも、
彼女にとっては大きな衝撃だった。
悲しみに涙が止まらない。
しかし、彼女はミオを嫌いにはなれなかった。
自分と出会ってからの半年間、ミオはどれほどの葛藤に苦しんだのか。
思い返せば心当りは多い。
自分の何気ない言葉と行動がミオを追い詰め続けていたのだ。
「ごめん…ごめんね、ミオちゃん…」
独り言のような悔恨。
久美子はミオのために涙を流し続けた。
しかし彼女は気づいていない。その涙すら勝者の特権であることに。
相手を哀れんで泣くことは、絶対優位ならではの余裕なのだ。
「ミオは…近いうちに処分する」
俊昭が抑揚の無い声で告げる。
「…うん」消極的な同意。
二人とももはや解決策など無いことは理解している。
だが、どうしても気持ちの整理が付かない。
近いうちに――
今はそんな曖昧な約束で互いを誤魔化すしかなかった。
翌朝、俊昭はミオの様子を見に向かった。
ドアを開けたところで動きが止まる。
部屋の中の様子が一変していた。
繭だ。
ケージごとミオを包み込んだ大きな繭。
なんだこれは。 繭だ。
なぜ繭が。 ミオが作った。
なぜミオが。 真の愛情を受けて育った実装石は…
そんなわけがあるか!
実装石に詳しい俊昭は実装石の繭の噂話くらいは知っている。
しかし、そんな都市伝説のようなものを、彼はまったく信じていなかった。
だがその現物が今、彼の目の前にある。
落ち着け。考えろ。何をどうするか。
実装石の繭は不確定要素の塊だ。
何が出てくるかわかったものじゃない。
真の愛情を受けて育った実装石は、その本来あるべき姿に変わるという。
しかし、久美子を深く憎んでいたミオがそう変わるはずはない。
繭から出て来るモノの多くは、わけのわからないモノだという。
いや、元が優しい性格のミオなら、そう危険なモノにはならないかもしれない。
考えがまとまらない。不安と好奇心。
そもそも彼が知っているのは曖昧な噂話だけ。
実装石が繭を作った実例など一つも聞いたことは無い。
ここでいくら考えたところで無駄だな。
俊昭は思考を切り替えた。
万一に備え対策は取っておこう。
ミオの処分はしばらく保留だ。
繭から出てきた時、ひょっとしたら…、もしかしたら…、
久美子への憎悪がなくなっているかも知れない。
また家族として暮らしていけるミオに、変わってくれているかもしれない。
俊昭は繭の件を久美子に話した。
不安な表情の久美子に、一時的に実家に戻ることも提案したが、
それは聞き入れられなかった。
対策として護身用スタンガンを持つことと、
各部屋のドアを鍵付きのノブに交換することに決めた。
微妙な緊張感の漂う生活の中、3週間ほどが過ぎた。
繭の大きさは日々大きくなっていった。
最初はケージを包むほどだったのが、今ではベッドほどのサイズがある。
近づけばかすかな脈動も感じられた。
俊昭も徐々に不安が大きく膨らんできていた。
少なくともこの中にいるモノは、人間くらいの大きさはある。
もしも、自分たちに危害を加える意図を持ったモノが出てきたら。
恐ろしい想像が現実味を帯び始めていた。
明日は休日だ。繭を処分しよう。
自分の好奇心が家族の危険に繋がる可能性だってあるのだ。
自分はともかく、久美子や腹の子供は絶対に危険に晒せない。
その日の深夜、俊昭と久美子は大きな物音に目を覚ました。
「今、何か音がしたよね…」不安げな顔の久美子。
俊昭にも聞こえていた。重いものが倒れたような音。
「何かあったらすぐに警察に連絡しろ」
久美子に携帯電話を握らせた。
スタンガンと実装コロリを用意するとドアの鍵を開ける。
廊下の様子を確認。異常は無いようだ。
やはり、繭のある部屋か。
ドアに耳を当て様子を伺う。微かに湿った音が聞こえた。
――いる。
繭から孵ったのだ。
音を立てないよう、ゆっくり鍵を開けた。
隙間から中を覗くが、暗くてよく見えない。
明かりのスイッチに手を伸ばす。
スイッチを入れた瞬間「ですっ?!」と声が上がった。
俊昭はスタンガンを構え部屋に入った。
繭は破れて萎んでいた。
中から溢れたらしい粘液が床を汚している。
そして、萎んだ繭の傍らに"それ"は座り込んでいた。
いや、"それ"と呼ぶのは正しくない。
腰まで届く長い亜麻色の髪。
こちらに背を向けているので顔は見えないが、身体の輪郭は人間の女性のそれだ。
彼女は座り込んだまま、光が眩しいのか目を擦っている。
「ミオ…?」
「ですぅ?」
彼女が振り向いた。
人間の顔。いや、微妙に異なっている。
輪郭は人間。鼻は小さめだ。
口は実装石の頃の名残だろうか、口の両端がやや下がっている。
開いたままなのも同様の理由だろう。
目は大きい。ぱっちりとした瞳。だが白目が無い。
動物のような白目の無い赤と緑の瞳。
耳は実装石特有の大きくとがった耳だ。形状はネコ耳に近い。
パーツそれぞれは人間以外のものもあるが、その容貌自体は可愛らしいものだ。
いや、この表現も正しくは無い。
ルックスの可愛らしさは相当なものだ。
異常なほどの端正な顔立ち。
どこか作り物めいた異形の美少女。
「ですぅ…」
彼女は目を擦りながら俊昭を見つめる。
徐々に口元が綻んできた。
「ですぅ♪」
歓喜の声を上げ、満面の笑顔へと表情が変わっていく。
「ですっですっですぅ♪」
よたよたと立ち上がろうとした。
孵ったばかりでうまく力が入らないらしく、
足元もおぼつかないが、なんとか成功した。
「ですですぅ♪」
俊昭の方へ両手を伸ばしながら、よろよろと近づいてくる。
立ち上がった彼女を見て、また俊昭は驚いた。
彼女の背丈は140センチに足りないくらいだろうか。
子供くらいの身長だ。
しかし、そのプロポーションは子供とはかけ離れていた。
緑の服と涎掛けを押し上げる胸のふくらみは、
アニメかゲームのキャラクターのように大きく張り出している。
服は明らかに丈が足りていないうえ、布地が胸に引っ張られ臍から下が隠れていない。
しかも下着を着けていなかった。
十分過ぎるほどに成熟した肉付きの、腰周りを覆うものは何も無い。
歩き方が少々ぎこちないのは、内股すぎるせいだろうか。
どうも骨格が強いX脚型になっているらしい。
そのせいか歩くたびにやたらと腰を振る形になる。
さすがにこれでは目のやり場に困る。
そんな俊昭の戸惑いにお構い無しに、彼女が距離を詰めてきた。
「ですぅですぅ♪」
「お前…ミオなのか?」
「でっすぅ♪」
俊昭につかまり何度も頷くミオ。
反則じみたプロポーションに目を奪われ気づかなかったが、
ミオには左腕の肘から先が無かった。
左腕はミオにとって嫌な記憶が多い箇所だ。
再生しなかったのはそのせいだろうか。
ミオの変化は俊昭を大いに狼狽させていた。
コイツはなんて代物に変わりやがったんだ。
俺の嗜好をことごとく狙い撃ちしてきやがる――
と、そこまで考えて俊昭はふと思い当たった。
「ミオ…お前、俺のエロ本こっそり読んでただろ」
「で!」満面の笑みが凍りつく。
「ですですですです!」
顔を真っ赤にしながら、ぶんぶん首を振り否定するミオ。
嘘がバレバレのミオの仕種に、噴き出しそうになる俊昭。
しかし、同時になんともいえない居たたまれなさが湧いてきた。
ミオは俊昭の秘蔵本を元に、彼の好みの姿へ肉体を変貌させた。
自分の性的嗜好を暴露され、眼前に突き付けられるような居心地の悪さ。
後ろめたい秘密を覗き見されていたような不快感。
ミオに無邪気な顔で見つめられる分、自分の欲望を醜く思えてならない。
彼はミオの変化を喜びながら、同時に忌々しくも感じていた。
「ミオ、久美子を呼んでくるからな」
ここからが本番だ。
ミオは恐れていたような危険な怪物にはならなかったが、
久美子への敵意が残っていれば、やはり同居は不可能だ。
ミオはきょとんとした顔で俊昭を見ている。
久美子のことを覚えていないのか。それならば好都合だ。
あとは久美子がこの姿のミオを受け入れてくれるかどうか。
「ここで待ってろよ」
俊昭は久美子のところへ戻っていく。
ドアを出たところでため息がでた。
突然部屋に現れ、同居することになった謎の美少女。
恋愛ゲームの主人公のような、両親が海外出張中の高校生でも無ければ、
こんな状況は活用のしようがない。
ましてや俊昭は妻帯者。頭痛の種以外の何者でもない。
「どうだったの?」
久美子は俊昭が部屋を出るときと同じ姿勢のまま、
不安な表情で携帯電話を握り締めていた。
「大丈夫だ。危険はもう無さそうだ」
「ミオちゃんどうなったの?」
「女の子の姿になってた」
「え?」
「なんかエッチな感じの女の子」前もって予防線を張る。
あの姿は女性から見て楽しいものじゃあるまい。
「なにそれ?」
「まあ、見てもらえばわかるよ」
久美子をミオの居る部屋の前に連れて行く。
「中にいるよ。まだわからないことも多いから、刺激しないでくれ」
「うん」おそるおそる久美子が、ドアの隙間から中をを覗き込んだ。
部屋の中ではミオがぺたんと床に座っていた。いわゆる女の子座りだ。
「ええっ?!」
久美子が驚きの声を上げる。
しかし、その顔にほんの一瞬だけ嫌悪感が浮かんだのを、俊昭は見逃さなかった。
無理も無い。ミオの姿は男の劣情を煽るためだけに特化したような姿だ。
「なんなの、あの格好?」
「俺が知るかよ」俊昭はしらを切る。
「まあ、ヤバイ怪物じゃなくてよかったじゃないか」
「なんか、俊昭が嬉しそうに見えるんだけど」責めるような目と言葉。
「絡むなよ。それよりミオはお前のこと覚えてないみたいなんだ」
「そうなの?」
「今度はもしかしたら、仲良くできるかもしれない」
「…うん、注意して接するようにはするけど…」
その時、ドアが開いてミオが顔を出した。
外の話し声が気になったのだろう。
「おう、ミオ」
「ミオちゃ…」
再会の挨拶とはならなかった。
「でっ!でじゃぁあああああ!」
ミオが久美子を見るなり怒声を上げた。
目を吊り上げ、歯を剥きだして久美子を威嚇する。
「でぎぃぎぃぃぃいいいい!」
ぎこちない歩きで久美子に掴みかかろうとした。
「ちょっと!やだ!やめて!」久美子が怯えて後ずさった。
「ミオ!止めろ!」
俊昭がミオを羽交い絞めにする。
「でっでぇぇえええ!でじゃぁああ!」
ミオは怯まない。久美子に飛び掛ろうともがき続けた。
「いいかげんにしろ!」
俊昭はミオの身体を持ち上げると床に投げ落とす。
手加減はしたが、受身の取り方も知らないミオにはかなり効いたようだ。
「でっです、ですぅ…」
顔をしかめて泣きだした。
小柄なミオの力はそう強くはない。
押さえつけるのも難しくは無かった。
しかし、実装石の頃とは段違いの体力だ。
俊昭は恐怖を感じた。
人間並みの体力と、問答無用で襲い掛かるほどの憎悪。
今のミオには5本の指もある。凶器を使うことも簡単だ。
家族にとっての危険は以前とは比べ物にならない。
倒れているミオを引っ張って立たせる。
手をつかまれたミオが喜んだ。
「ですですぅ♪」
しかし俊昭はそのまま、ミオを元の部屋に放り込み鍵をかける。
「ですぅーですぅー」
ドアを叩きながらミオは泣き声をあげ続けた。
「久美子、大丈夫か」
俊昭はキッチンまで逃げていた久美子に声をかけた。
「うん、別に叩かれたりしたわけじゃないから…」
会話が続かない。
もうミオと暮らしていくことが不可能なのは明らかだった。
俊昭も久美子も口にはしないがはっきりと認識した。
「ダメだったな…」
「……」
重苦しい空気。時折ミオの泣き声が響く。
事情の理解できていない幼子のような泣き声が、二人の胸に刺さってくる。
「あのね、俊昭…」
久美子は言葉を続けられなかった。俊昭の顔を見てしまったから。
彼の顔は穏やかだった。不自然なほどに。
久美子はこの顔を知っていた。
以前、仕事で大失敗をしてしまった後、彼はこんな穏やかな表情をしていた。
これは、彼が何かを諦めた時の顔。
希望を捨てた時の精一杯の頑張り。
だったら、もう自分には何も言うことはできない。
彼を手伝い、支えることしかできない。
俊昭が口を開いた。
「久美子、悪いけど今日からしばらく実家の方に行っててくれないか」
「しばらくってどのくらい?」
「…3日くらいかな」
「うん。わかった」
「ごめんな。嫁さん追い返して他の女と二人きりなんて、無茶な話だと思う」
「いいの。気にしないで」
――あなたが私のことを思っての提案なのはわかってるから。
言外にそう呟く。
人間並みの脅威となったミオの危険から遠ざけるため。
そして、これから起こることを久美子に見せないため。
「すぐのほうがいいよね」
「ああ、そうしてくれると助かる」
ミオの部屋のドアの前にソファを移動しバリケードを作った。
これでミオが勝手に出歩くことはできない。
その間、久美子は身の回りの必要な荷物をまとめた。
「じゃあ、送っていこう」
車の中では二人とも黙りがちだった。
「本当にごめんな」俊昭の何度目かの謝罪の言葉。
「ううん、いいから」
久美子は運転席の俊昭の横顔を見た。
暗い車内でも穏やかな表情なのが分かった。
「無理しないでね…」うまい言葉が出てこない。
本当は謝るべきなのはこっちかもしれないのに。
これから俊昭はミオを処分するのだろう。
一番辛いのは彼だ。
今の彼は限界ぎりぎりまで自分を追い込んでいる。
俊昭が自分の感情にロックをかけているのが、久美子にはわかる。
こんな状態の俊昭を一人にするなんて。
しかし、これから起こることにきっと自分は耐えられない。
その場に居ることができそうにない。
自分は俊昭の負担にしかならない。
だから、こうして逃がしてもらっている。
あなたはこの苦しい出来事を、私の知らないうちに、
私の分も背負って、一人で終わらせるつもりなんだね。
ありがとう。
ごめんなさい。
実家に着くと久美子の両親が驚いていた。
深夜に突然嫁に出した娘が帰って来れば、不安にもなるだろう。
しかし、事情をかいつまんで話すとすんなり納得してくれた。
俊昭は挨拶もそこそこに、すぐにまた帰って行く。
久美子は車のテールライトが見えなくなるまで見送っていた。
「ほら久美子、早く家に入んなさい」母親が声をかける。
振り向くと、両親が玄関先から心配そうに久美子を見ていた。
家族の存在に気持ちが落ち着く。
だが、俊昭は一人で深夜にこれから辛い時間の待つ家に戻っていった。
久美子の両目から涙が溢れた。
俊昭が帰宅するとミオはまだ泣いていた。
ドアは開けられていたが、バリケードに阻まれて出られないようだ。
「ですですですぅー!」
照明がついて俊昭の帰宅がわかったのだろう。ミオの声が大きくなった。
バリケードを退かしてやると、ミオが転がり出てきた。
「でぇすぅ〜…」
情けない声を出して俊昭を見あげる。
涙の跡のついた顔。鼻水まで垂らしている。美少女顔が台無しだ。
いや、よく見ればミオは身体のあちこちに粘液がついている。
繭から出てきたばかりだから当然だ。
部屋の中も粘液で随分汚れている。
「ミオ、まず風呂入って来い」
「ですぅ」
素直に従うミオ。自分用のタオルを持ってバスルームに向かった。
「でっすー!」
バスルームからミオの驚愕の声。
「ですですぅ♪でっす〜ん♪」
続いてご機嫌なはしゃぐ声。自分の姿が映る鏡を見たのだろう。
事実、脱衣所ではミオの一人ヌードショーが開催中だった。
「ですですぅ♪」
鏡を見ながらポーズをとるミオ。
ずっと憧れていた人間の姿になった自分。それも理想通りの姿だ。
ご主人様の本に出ていた、ご主人様の好きなタイプの女性の姿。
これで条件は対等。いや、あの女よりも自分の方がはるかに有利だ。
今度はこちらがご主人様を取り返す番。
「でっすー」
ミオは意気揚々と浴室に入っていく。
浴槽にお湯が溜まったところでざぶりと浸かった。
以前は背が届かないので一人では入れなかったのだ。
そう、一人では入れなかったが、ご主人様と一緒のときは二人で入って、
歌を歌って楽しかった。
――そうだ。ご主人様も一緒に入ってもらおう。
「ですー!ですですでーす!」
脱衣所に顔を出して、ミオは俊昭を呼んでいた。
俊昭はミオを閉じ込めていた部屋のドアを見ていた。
中から鍵が開けられていた。
理由は簡単だ。俊昭が部屋の中に鍵を置き忘れていたからだ。
しかし、ミオが鍵の使い方を理解し、実際に開けてみせた事実は驚異だった。
知能も上がっているのか。
もはや能力は人間と遜色ないのか。
もう、戻れない。
ミオ。
お前はなんてバカな奴だ。
実装石のままだったら、無力な実装石のままだったら、
不自由ながらも飼い続けることができたかもしれない。
俺たちも自分を誤魔化しながら、
お前の処分を先延ばし続けることができたかもしれない。
でも、もうだめだ。
お前は実装石の領域を踏み越えて来てしまった。
誤魔化せない存在になってしまった。
もう、実装石には戻れない。
もう、お前の居場所は無くなってしまったんだ。
バカだ。
本当にバカな奴だ。
ミオ。
バスルームでミオがやたらと騒いでいる。
気楽なものだ。事態がまるで分かっていないだから。
そもそも今は深夜だ。近所迷惑というものを考えてほしい。
俊昭はバスルームに向かう。
脱衣所から上半身を覗かせてミオが騒いでいた。
俊昭を見るとはしゃいで飛び跳ねる。
「ですですでーすぅ♪」
胸が揺れている。ものすごい揺れようだ。
とんでもない大きさのものが、とんでもない動きをしている。
近づいた俊昭の腕をミオが掴んだ。
「ですですぅ♪」ぐいぐい引っ張る。
一緒に入ろうということか。無邪気な様子にまたため息が出る。
身体は完全に成熟しているが中身は以前のまま。
ほとんど子供と変わらない。
俊昭はミオの身体をしげしげ見つめた。
この上なく肉感的だが、ちっとも性欲に結びついてこない。
俊昭にとってミオは、身体だけが間違って成長してしまった幼い娘だった。
見た目が変わっても、自分が育てたミオでしかなかった。
「俺はもう風呂に入ったんだが」
「ですぅ…」
途端にしゅんとなるミオ。
浴室に戻っていく間もこちらをチラチラ振り返る。
「いいから早く入れ」
「ですぅ」
ミオが風呂から上がってきた。
しかし全裸のままだ。自分のタオルを巻こうとしているが、
それは実装石の頃に使っていたもので、今のミオには小さすぎる。
「ですぅ〜」
困った顔で俊昭を上目遣いで見つめる。
緑の服は汚れているので、今のミオには着るものが無い。
「ちょっと待ってろ」
俊昭は久美子のタンスを見に行った。ミオも後を付いてくる。
まずは適当な下着を取り出した。
「これでも穿いてろ」ミオに手渡す。
さらに上着を見繕っていると、背後で情けない声が聞こえた。
「で、ですぅ…」
振り向くとミオが下着相手に悪戦苦闘していた。
下着は横に伸びきり、尻肉に食い込んでいる。
どちらかといえば細身の久美子の服では、ミオのサイズに合わないのだ。
それでも必死に穿こうと努力を続けるミオ。
彼女にとってご主人様の命令は絶対だ。
「あー…、やっぱりいいよ。無理するなミオ」
「ですぅ」
いそいそとミオは下着を脱ぐ。なんだか元気が無い。
こんな些細なことでも、ミオは俊昭に申し訳なさを感じてしまうのだ。
――やはり、久美子を実家に帰しておいてよかったな。
俊昭は手元のブラジャーを見て思った。
当初の予定とは別の意味で安堵していた。
結局、ミオには久美子の服ではサイズがまるで合わないことが判明した。
そういうわけで、現在ミオは俊昭のトレーナーを来ていた。
ミオは小柄なので、男性用のトレーナーが膝近くまで届く。
その分、袖は大幅に余っているが。
そして現在、そのミオは俊昭の隣で寝息を立てている。
頬を突付いてみた。起きる様子はない。ミオは熟睡していた。
俊昭は足音を忍ばせて自室に向かう。
戻ってきた彼の手には、偽石センサーと大型のアイスピックが握られていた。
ミオの服を捲り上げる。起こさないよう手つきは慎重だ。
偽石センサーを当てる。
ゆっくり反応を探っていく。
胸、腹、腰。反応がない。
続いて頭。ここにも反応がない。
実装石はたいてい頭部か胴体に偽石を持つ。
しかし、ごく稀に四肢に偽石を持つ個体も存在する。
ミオもそうかもしれない。
肩から腕、腿からつま先へ偽石センサーを当てていく。
反応はなかった。
そんなハズはない。
偽石の無い実装石など存在できない。
しかし、ミオはもう実装石ではないのではないか。
そんなハズはない。
いや、そうでなくては困るのだ。
俊昭は偽石を発見した後、体表からアイスピックで偽石を破壊するつもりだった。
ミオが眠っているうちに偽石を一瞬で破壊する。
考えうる限り、苦痛が最も少ない処理方法だ。
しかし、もうこの方法は不可能なのがはっきりした。
残された方法は通常の殺害方法。
人間を殺すのと同じやり方だ。
どうする。
俺にやれるのか。
俺しかやれないのだ。
俺がやるしかないのだ。
どんな方法がある?
映画や本で見た殺人場面を思い出す。凄惨な光景ばかりだ。
その凄惨な行為をミオにしなければならないのか。
「でしゅぅぅ…♪」
ミオが寝返りをうった。だらしない笑いを浮かべ涎を垂らしていた。
腹を出しているミオの服を直してやる。
…もう、考えたくない。
俊昭は眠ることにした。
翌朝、俊昭が目を覚ますとミオが顔を覗き込んでいた。
「ですぅ」
ペコリと頭をさげる。朝の挨拶だ。
ミオのいつもの習慣だが、姿が変わっていると違和感がある。
――腹が減ったんだな。
ミオは俊昭より早く起きた時は、よくこうして傍で起きるのを待っていた。
突付いて起こしたりはしない。
こうして我慢強く彼が目覚めるまで待ち続けるのだ。
たまに二度寝していたこともあるが。
「腹減ったのか?」
「ですぅ♪」
何度もミオは頷いた。
食事の用意のためにキッチンへ向かった。
ミオが後を付いて来る。
「ですっですです♪」
料理中もじっと見つめてくる。
「ミオ、なんかやりずらいんだが…」
「ですぅ?」
「向こうで待ってろ」
「ですぅ?」
「あっち行ってろっての!」
「ですっ!」
ミオが内股でちょこちょこ小走りに逃げていった。
しかし、居間まで戻るとまた俊昭を見つめている。
――なんなんだ、いったい。
ミオは俊昭によく懐いていたが、ここまでベッタリでは無かった。
久美子がいないからか?
俊昭にはミオの変化が大きすぎて戸惑うことばかりだった。
結局、おとなしかったのは食事中くらいで、
ミオは俊昭に付き纏いっぱなしだった。
移動するたびに後をちょこちょことついてくる。
トイレに入る時でさえその調子だった。
「ついて来るな!」
「ですぅ…」
強い口調にミオが萎れた表情に変わる。
俊昭はトイレに入った。
ドアの外から足音が聞こえる。
ミオは歩くのが苦手らしく、忍び足ができない。
そこにいるのはバレバレなのに、ドアの前で息を潜めていた。
バン!
「でずっ!」
俊昭がドアを開くとミオの顔面を直撃した。
ミオが鼻を押さえて涙目になっている。
「ですぅ〜」
「バカか、お前は」
俊昭の表情が緩むと、ミオも涙目のまま笑った。
「でっす♪」
コイツはまるで仔実装の頃に戻ってるようだ。
いつも自分の後を追ってきた、甘ったれ仔実装の頃とそっくりだ。
俊昭は小さかったミオを思い出す。
――そういえばミオは、俺に置いて行かれるとものすごく泣いたっけ…。
意地悪な考えが頭をよぎった。
ミオの顔をにこやかに見つめる俊昭。
「ですぅ?」
次の瞬間、俊昭はダッシュでミオの前から走り去った。
「でてっ?!」
たちまち俊昭の姿がドアの向こうに消えた。
「でっ…でっすぅ〜!?」
ちょこちょこ小走りでミオが慌てて追う。
ミオがドアを開けると俊昭はまた逃げていく。
追う。
逃げる。
追う。
逃げる。
「ですぅーっ!ですぅーっ!」
ミオはべそをかきながら追い続ける。
ドアをくぐり、家具にぶつかり、何度も転ぶ。
しかし、それでも諦める様子はまったくない。
涙を拭き拭き、転ぶたびにすぐ起き上がり走ってくる。
あまりの必死な姿に俊昭も罪悪感が沸いてきた。
そろそろ悪ふざけも終わりにしてやろう。
ミオの手前で急に立ち止まる俊昭。
予想外の事態に慌てたミオの体勢がつんのめった。
常に内股状態のミオは踏ん張りが効かない。
そのまま俊昭の脇をすり抜け豪快に顔から転んだ。
「ですっ…ですんですん…」
突っ伏したままミオが本格的に泣き出す。
「ゴメンな、ふざけ過ぎた」
俊昭はミオを起き上がらせた。
その手を掴みミオがしがみ付いてきた。
「ですっですぅ!でぇええええーん!」
顔をぐしゃぐしゃにして激しく泣く。
「おい、ミオ…」
「でしゅっでふっ!ふぇえええええん!」
ミオがむせた。それでも泣き止まない。
身体も小刻みに震えていた。
普通ではないミオの様子に俊昭は頭を撫でてやる。
じきにミオの様子も落ち着いてきた。
「ですぅ」
「ごめんな、もう意地悪しないから放してくれ」
ミオは俊昭から離れたが、なかなか服の裾を放そうとはしなかった。
ミオにとっては俊昭が離れていくことは、もはや本能的恐怖だ。
俊昭の傍にいるためだけに肉体までをも変貌させたのに、
それでも置いて行かれる事態はミオの絶望を意味していた。
過剰なほどの甘え方も、裏返せば恐怖の表れだった。
意地悪の罪滅ぼしの意識もあって、俊昭はミオと一日中遊んでやった。
遊びといっても他愛ないものだ。
昔のようにボールを投げてやったり、絵本を読んでやったり、
ママゴトの相手を務めてやったり。
外見上は成長した女性の姿のミオ相手に、幼い遊びを続けるのは、
正直気恥ずかしさも感じたが、ミオが喜んでくれるならそれでよい。
俊昭はできるだけミオの気持ちに合わせてやりたかった。
せめて、いい思い出くらい与えてやりたい。
これで最後なのだから。
最後の思い出くらい楽しいものを。
俊昭の手が止まる。
意識したくない現実。
「ですぅ?」
ミオが無反応になった俊昭の顔を覗き込んだ。
「悪い、考え事してた」
「ですぅ」
おママゴト続行だ。
しかし、この後ノリの悪くなった俊昭は、
ミオにお父さん役からお客さん役へ格下げされてしまった。
ミオが眠りについた。
俊昭は寝顔を見つめながら思い出す。
仔実装だった頃のミオ。
いつも留守番していたミオ。
自分はよい飼い主だっただろうか。
とてもそうは思えない。
こんなに懐かれるほど可愛がった覚えも無い。
今にして思えば、随分と意地悪な扱いもした気がする。
もっと可愛がってやればよかった。
もう時間はない
ならば、最後には幸せな思い出を。
だが、もう時間はない。
いや、休みはあと1日ある。
明日はめいっぱいミオと遊ぼう。
長い自分の人生の中のたった1日。
ミオのために生きる1日があってもいい。
そう自分に約束と言い訳をしながら、俊昭は眠りについた。
第4話へ