海を物凄い者たちが泳いで行く。 「ぱうわッ!」 「ぱッうわッ!」 「ぱッうッわッ!」 「ぱぁッうッわぁぁッ!」 おじいさんを先頭に、四人は疲れも知らず、バタフライで顔をあげるたびに叫んでいる。アニキたちから受け継いだ熱いたぎりは消えることがない。 三日三晩泳ぎ続け、おじいさんたちは島にたどり着いた。 「ウキッ! おじいさん、ここが鬼が島ですかい」 「いや、鬼が島は異空のはざまにある。ここはまだ現世じゃからな」 「猿太郎はアニキになっても猿知恵だわん」 「やかましい。キィッ!」 「これ、喧嘩をするでない」 おじいさんに諌められ、猿太郎と犬太郎は仲直りの抱擁を交わした。 「おじいさん、さすがにお腹がお空きでしょう。我々で、何か食料を探してきます」 雉太郎は涼やかな目でおじいさんを見た。おじいさんはすこしドキドキしながら威厳をもって答えた。 「うむ。何か食えるものがあればいいがの。わしはこの辺をぶらぶらしておる」 「なに。だいじょうぶだわん。おじいさんの匂いはわしら忘れん」 「そうか。アニキになったとはいえ、おまえたちはもともと野生のものじゃったな」 「ウキャ! すぐにうまいもの捜してくる」 猿太郎は親指を立てて胸に当て、ニカッと白い歯を見せて笑った。 三人が姿を消すと、おじいさんは浜を歩き出した。小道を見つけると、おじいさんは目を細めた。 「人がいるようじゃの」 しばらく歩いて行くと、おじいさんは木陰で苦しんでいる娘と出会った。身なりから、近在の金持ちの子供だとおじいさんは思った。 「どうしたんだね」 「持病の癪が」 娘はかぼそい声でうめいた。色が白いためか、唇の赤が際立っている。まだ十を超えたばかりの少女だが、潤んだ黒い瞳が妙に艶かしい。そよぐ風に長いまつげが揺れている。 おじいさんは相手に聞こえないように、「honmono」と唱えた。 黒髪の上に角が見えた。 「家はどこかね。おぶってあげよう」 少女は腰をかがめたおじいさんの背に乗った。柔らかなぬめりを帯びた手がおじいさんの首筋にあたる。 「ありがとう」 「なに、たいしたことじゃない。家はどこかね」 「この道を海の方に」 おじいさんは歩き出した。 しばらく行くと、少女が何かつぶやきだした。しだいに少女の重みが増していく。おじいさんはわざと苦しげな素振りをした。足が大地にめり込みだす。それでも、おじいさんは少女を背負い続け、逆に小柄なわりに肉付きのいい尻を両手でしっかりとつかんだ。 「おじいさんおじいさんおじいさんおじいさん…… じじいッ!」 可憐な少女の声ではない、猛悪なしゃがれ声がおじいさんを呼んだ。小さい手が大人顔負けの力で、お爺さんの首を締める。 「moeru!」 おじいさんがささやくと、体から炎が吹き出した。背の少女は紅蓮の炎にあぶられ、絶叫した。おじいさんの頭をなぐりつけるが、おじいさんの手は尻に食い込んで離れない。 「離せぇぇ! じじぃぃぃッ!」 おじいさんが振り落とすと、鬼娘は一回転して大地に降り立った。体は今や巨大化している。美しい着物は燃え落ちていたが、その身にはやけどの痕はない。おじいさんの着物も燃え落ちていたが、低級魔法「hurugi」で替えは出せるので困らなかった。 二人は裸でにらみ合った。鬼娘がどす黒い長い舌で唇を舐めた。 「じじいと思ってあなどったわ。その首、ねじ切ってやる」 「わしも舐められたもんじゃな。鬼どもの尖兵がこんな小娘とは」 「言うな」 鬼娘が吼えた。きれいに結った髪はざんばら髪になり、目は釣り上がって、白目を剥き出しにしている。血を吸ったような唇の赤は変わりがないが、唸る口元に白い牙が見え隠れしている。 「ふ、ふ」 おじいさんは笑った。脳裏に、父王と共に鬼を屠った若き日々が浮かんだ。今や老いさらばえていた肉体は霊験あらたかなアニキたちの息吹で甦っている。 「馬鹿め。わが剣で突き殺してくれるわ」 腰から年に似合わぬ巨大なものが隆起しだした。 鬼娘がおじいさんに飛びかかった。柔らかだった手はいまや節くれだち、爪は鋼の色を見せている。右手がおじいさんの胸に叩きつけられた。 「刀をもへし折るだろうがよ。我がアニキの肉体には効かぬわ」 おじいさんは鬼娘を抱きかかえ、その耳元で嘲るようにささやいた。 「おのれ。じじぃ!」 鬼娘はくやしそうに喚いた。必死に体を離そうとしている。 「そうはいかぬよ。今度はわしの番じゃ。くらえ! 我が剛剣を!!」 おじいさんは鬼娘の体に自分の肉体を密着させた。 「ぎゃああああぁぁぁッ!」 鬼娘は苦痛に体をそらせた。爪がおじいさんの胸の肉をすだれ状に切り裂く。おじいさんにはその痛みすら心地よく感じられた。そのまま奇怪な腰付きで歩き出す。 「地獄で語るがいい。ウィザード一族の秘術、恐怖の剣の舞を」 鬼娘は激痛に耐えかねて、おじいさんの顔を殴った。が、おじいさんは瞬き一つしない。奇怪な腰付きを早め、死を司る北斗七星を渡る歩法で、繰り返し道を歩む。影だけを見れば、稚拙な踊りに見えた。ゆっくりとおじいさんの息が荒くなる。 「う、う、うぉぉぉッ!」 雄たけびをあげ、お爺さんが腰を突き出した。鬼娘の体が硬直した瞬間、頭が吹き飛んだ。おじいさんは荒い息を吐きながら、しばらくして痙攣する死体を投げ捨てた。 腰に手を当て息を整える。息を吸うたびに分厚い胸板が盛り上がった。 息が静まったおじいさんが死体に歩み寄る。太い腿が動くと、憎々しげに死体を蹴飛ばした。落ちつつある太陽が、血に染まった下半身だけではなく、鍛え上げられた筋肉質の上半身を真っ赤に染め上げる。 「ふは…… ふはははは! 鬼どもめ、待っているがいい。男も女も我が剛剣で一人残らず屠ってくれるわ」 腕を組み、火照った筋肉を風で冷やしながら、周囲が闇に染まるまで、おじいさんは哄笑していた。
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