石垣漁業部 カレイ |
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カレイ網導入 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
湧別漁業協同組合は、前年の漁業協同組合再建と小手繰り全面禁止により、組合員の 生活が極度に逼迫していた。 このために代替え漁業を模索していたのである。 1961年(昭和36年) 小手繰(小型底曳) 全面禁止決定。 7月28日湧別漁青連結成され初代会長斉藤勇氏。 外海カレイ刺網試験操業成功。 養殖かき貝から赤痢発生。 1962年(昭和37年) カレイ刺網本格化3人共同で1隻、54隻の着業。 副業にしいたけ栽培導入、99人で2 万本。 漁業労務者に失業保険適用され14事業所150人が適用受く。 ほたて貝の密漁で2名、組合の秩序を乱し、信用を失墜したとして理事1名に脱退を勧告 し脱退する。 |
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カレイ漁業 |
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5、 外海カレイ刺網漁業 (1) 経過と現状
平成21年度外海かれい部会操業協定 |
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カレイ網での私感 |
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自分がこの町、湧別町へ転入したのは昭和53年1月7日である。 石垣漁業は義父の代に創出した、組合員コードbP09 石垣国義 その頃湧別漁業協同組合は、ホタテ貝が太宗漁業となり組合総水揚額の大半を、定置網漁業を凌ぎ右肩上がりの形勢を示していた。 この頃から、ホタテへの依存度が上がりはじめるのである。 カレイ網着業者も多く、カレイ網専業業者、カレイ網と定置兼業者、カレイ網と毛がに兼業者、カレイ網とたこ箱兼業者、カレイ網と底建網兼業者等々、多岐に亘ってカレイ着業者はかれい部会に所属していたのである。 カレイ網は、効率性の面から見るなら非効率な漁業の範疇に入るが、必要経費が少ない、大きな金額の投資を必要としないなど、利点はあるのだが水揚げ金額は決して多くはない。 昭和50年代のカレイ刺し網は、網海共第23号、網海共第33号の権利を有しているが、網海共第33号は沖合に漁場が形成されるため、対象となる魚種は、真ガレイ・宗八・なめたカレイなどであるが、混穫として毛がに・タラバなどが網に掛かるのだが、当時は市場での出荷は出来ず、毎年交渉の結果制限はあるものの出荷が容認された事で、一躍着業隻数が増加したが、毛がに資源保全という見地から、自主的に禁漁をするという事態になったのだが、代替え漁業として毛がに篭特採事業として道から認可されたが、毛がに部会へ入る事は叶わなかった。 数年継続し特採を既存部会へと期待を抱かせたが、時の各漁協組合長と管内毛がに協議会との約定書に、取り交わされた文書があるという事で、オホーツク海北部・中部・南部の毛がに許容量の割り当てによっては、特採業者はその年度休業となるという事など、先への目標が無くなり網海共第33号は特採事業と共に、カレイ業者が放棄した経過があります。 網での混穫が行われた時期には、春から夏にかけて33号だけで「300〜600万円」の水揚げがあり、カレイ網経営に潤いをもたらした時期もあった。 現在は、ホタテ漁場と、1マイル以浅が漁場となるが、ホタテ漁場の有効利用という見知から視るなら、ホタテ部会の許可を待っての操業となるため、水揚げ金額は決して多くはない。 ホタテ稚貝の事業が技術的に進歩し、経年的にサロマ湖での作業が行われるため、カレイ網に比重をおいた操業が行われる事は、非常に難しくなっている。 石垣漁業は、カレイ網・ホッキ貝・養殖ホタテ稚貝などを行っている関係で、経年操業を行って昨年のカレイ網の水揚げは、530万円であった。 これからのカレイ刺網は、ホタテ漁場の有効利用が可能になるなら、今以上の漁獲は可能であろう。 この湧別漁業協同組合のカレイ網で、漁獲されたカレイ類はブランド化は難しい。中央などの市場で並べられるカレイ類は、沖で網から外して鮮度を保つという技法を行っているが、当地でのカレイ漁法は効率優先が図られ陸での作業となるためB品扱いとなる。 選別もcm単位で5段階に分けられ、なおかつ匹数も提示するために、難易度が増し工場での出荷に依り近づいて来ている感じがする。 が、反面にこの土地のカレイ類は、魚体が小さいけれど数量的には充分に採算が合う事も考えられる。 この事から、消費者に安く提供出来るメリットもあるという事であろう。この事に着目すれば、出荷の形態や方法によっては、可能性がない漁業ではないと思えるのだが・・・ |
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過去4ヶ年のカレイ水揚 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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かれい出荷コード | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
余白に尾数を記入して、仲買人への対応とするが、値段に帰ってくる事はない。 従って、生産者が直販をする形式に近づいています。 |