主要漁業の概要

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漁業診断と営漁改善
1、さけ定置網漁業


1、 さけ定置漁業

昭和27年
@ 昭和24年12月新漁業法が公布され、
旧漁業権が消滅され新しく定置漁業権が設定された。下湧さけ定第1号〜第28号まで申請し、免許を受けた漁業期間は9月1日から11月30日まで、漁場の位置は漁場の属する海区調整委員会備付の漁場図である。
この免許期間は5ヶ年である。


A 鮭定置漁業の第1年目に漁期も終わりに近い10月23日にオホーツク海をおそった大暴風波のため、一夜にして全統流失という被害を受け殆ど全滅になった。
 この台風をポリ台風と名付けられ、政府より災害資金が融資された。


昭和31年
@ 免許期間が2ヶ年延長された。 その理由は不明である。

昭和34年
   鮭定置第2次切り替えが実施され、免許期間昭和34年1月1日〜昭和38年12月31日で操業内容は不明である。

昭和39年
   鮭定置第3次切り替えが実施され、免許期間昭和39年1月1日〜昭和43年12月31日の免許である。

イ) この漁業の時期は7月20日から12月15日までであるが、制限及び条件は9月16日に投網し、12月5日までに楊網しなければならない。 さけ、ますの人工ふ化事業に協力しなければならない。

ロ) 鮭定置漁業を組合員の強い要望により、大定置1ヶ統、小定置1ヶ統を組合自営として免許を受けた。

ハ) この年に第2次オホーツク海暴風波により、鮭定置9ヶ統の漁網類を流失し
た。

昭和43年
   自営として免許を受けたが、漁獲不振により欠損金が多くなり自営を廃止した。

昭和44年
   鮭定置第4次切り替えで免許期間は昭和44年6月10日より昭和48年12月31日までの5ヶ年で条件及び制限は次の通りである。

イ) 網の規模は3階網以下でなければならない。

ロ) 9月1日以降に投網し11月26日以降に漁獲してはならない。

ハ) さけ・ます資源の維持及び管理を強化するため、人工ふ化事業(海産卵の造成も含む) に積極的に協力しなければならない。
 
   以上の通り、大定置3ヶ統、小定置4ヶ統合計7ヶ統の免許を受けた


昭和49年
@ 鮭定置第5時切り替えで免許期間は昭和49年1月1日から昭和53年12月31日までの5ヶ年で条件及び制限は次の通りである。

イ) 施設する身網の数は3個以下でなければならない。

ロ) 7月15日から9月15日までの間は、網を施設してはならない。

ハ) さけ・ますのふ化事業に協力しなければならない。

   以上の通り、大定置3ヶ統、小定置4ヶ統の合計7ヶ統の免許を受けた。


昭和50年
   サロマ湖及び芭露川に遡上するさけの親魚を道の許可を受け採捕して採卵し、以後毎年放流し平成元年度で中止した。

昭和51年
   さけ、ますの増殖のため、稚魚放流壮行式を催し以後毎年実施し現在に至っている。

昭和53年
   さけ、ますの稚魚飼育向上のため養魚地に上屋を町等の補助を受け建設した。
この建設の構造は鉄骨造り平屋849,81立方メートル。

昭和54年
@ 鮭定置第6次切り替えで免許期間は昭和54年3月15日から昭和58年12月31日までの5ヶ年で条件及び制限は次の通りである。

イ) 敷設する身網の数は3個以下でなければならない。
ロ) 7月15日から9月15日までの間は垣網を敷設してはならない。
ハ) 7月15日から9月15日までの間及び11月28日から12月12日までの間においては漁獲してはならない。

   以上の通り、大定置3ヶ統、小定置4ヶ統の合計7ヶ統の免許を受けた。

A 山村地域農林漁業特別対策事業で養魚地792u上屋1棟1,131,65uを国、町の補助金をもって建設した。

B さけ定置網漁業の漁具改良試験事業を実施し、この事業は土俵よりアンカー建にするもので、これによりさけ低地切り替え時に用意に場所が移動できホタテの漁場とする目的であ
る。

昭和59年
@ 第7次定置漁業切り替えに伴う当組合の審議委員が設置され、道の基本方針に基づき経営改善策および着業者の新規参入等を中心に協議された。

A 鮭定置第7次切り替えが実施され、昭和59年3月15日から昭和63年12月31日の免許期間5ヶ年でこの制限及び条件は次の通り。
イ) 敷設する身網の数は3個以下でなければならない。
ロ) 8月1日から9月13日までの間は垣網を敷設してはならない。
ハ) 12月1日から1215日までの間及び11月28日から12月12日までの間においては漁獲してはならない。
二) さけ再生産用親魚に不足が生じる恐れがある時は、知事は当該親魚の確保の為必要な処置を指示することがある。

   以上の通り、大定置3ヶ統、小定置4ヶ統の合計7ヶ統の免許を受けた。


昭和60年
   
岩手県で試験を実施し成功したきっかけに、サロマ湖でもさけ海中飼育試験事業を4月下旬より5月下旬まで中番屋沖で1,000万尾を飼育し、その約95%を放流し現在に至っている。

昭和61年
   
さけ定置水揚げ不振により、経営が悪化しさけ定置経営対策委員会を設置し、5名の委員を選任し、さけ代表者会議,免許者会議、理事会と協議を重ね今後の定置漁業権の切り替え及び経営改善を図るため、さけ定置漁業の経営改善対策方針が別紙の通り決定された。

昭和62年〜昭和63年
   経営改善内容に基づき実施した結果、昭和61年の数量481,5t、金額193,907千円に対し62年は数量385t、金額339,337千円の水揚げがあり、好成績ををおさめた。

平成元年
@ 芭露川等でのさけ稚魚の放流が中止に伴い、サロマ湖での海中飼育に使用する親魚確保のため、サロマ湖三単協で湖内定置承認者の協力を求め、必要尾数を確保する事になった。

A 第8次切り替えが実施され、免許期間は平成元年5月15日から平成5年12月31日までの5ヶ年で、その条件及び制限は次の通りである。
イ) 敷設する、身網の数は3個以下でなければならない。
ロ) 8月1日から9月7日までの間は垣網を敷設してはならない。
ハ) 11月26日から12月15日までの間及び11月28日から12月12日までの間においては漁獲してはならない。
二) さけ再生産用親魚に不足が生じる恐れがある時は、知事は当該親魚の確保のため必要な処置を指示することがある。

   以上の通り、大定置3ヶ統、小定置4ヶ統の合計7ヶ統の免許を受けた。

さけ定置漁業の経営改善方針 

目    的  
 湧別漁協におけるさけ定置網漁業は、定置漁業権の切り替え時毎に減統、協業化、沖だしなど諸々の改善を図ってきたところであるが、近時の大量生産及び輸入水産物の増加による魚価の暴落により、深刻な経営危機を招くに至り、ここに抜本的な改善対策を定めるものである

対    象
 さけ定置漁業の免許者

改 善 対 策
 
(1) 現在の大定置3ヶ統及び小定置3ヶ統の共同体は、さらに共同をして各1経営体とする。
経営統数は大定置経営体2ヶ統以内、小定置経営体2ヶ統以内とする。
決定した場合は直ちに組合の報告するものとする。
但し、従事者の数は、従来の1ヶ統経営時の従事者数を上回らないものとする。

 (2) 各定置に付随して設定しているます定置網漁業6ヶ統は、1共同体3ヶ統を経営するものとする。
 (3) 各共同体の所有している資材、漁船、装備施設等は、有効に活用して経費の節減につとめるものとする。
 (4) 漁業に従事するものは、経営者の従事を第一義とするが、雇用する場合は、地元労務者を優先する事。

負債整理対策

 (1) 概貸出金は、各共同体の持分に応じて個人に配当し、個人がそれぞれ償還するものとする。
個人の償還金は、ほたて配当金を財源とする。
 (2) 個人に配分された債務の償還の円滑化と金利負担の軽減を図るため、借り受け資格を充たすものについては、漁業経営維持安定資金の貸付を行う。
 (3) 維持安定資金の貸付対象とならないものについては、負債整理資金(組合ブローバー資金)等で負債整理を行う。
 (4) 本年度の事業欠損による負債(切りかえ資金を除く) については、各共同体で自賄いするものとするが、自賄いイするものとするが、自賄いの不可能なものについては短期貸付を、行う。
 (5) 61年度の切揚資金については、各共同体で自賄いするものとする。
 (6) さけ定置の共同体を脱退するものについても、維持安定資金及び負債整理資金を貸付るものとする。
 (7) 各個人に配分した負債については、旧共同体の構成員による連帯保証とする。

その他
     
 (1) 本改善対策を変更する場合は、理事会の議決を経るものとする。
 (2) 方針設定年月日    昭和61年11月29日
 

 

2、鱒小型定置及び鰯・鱒・鰊小型定置漁業

昭和26年
 昭和26年12月に新漁業法が公布され、旧漁業権が消滅され新たに共同漁業権、区画漁業権が設定され当組合は無事漁業権を9月1日に取得した。
 その中の共同漁業権第2種 「さば小型定置漁業」 の対象魚種は、さば、ちか、うぐいで漁業の時期は4月1日から12月31日の内容である。


昭和32年
 雑魚小型定置漁業の共同漁業権を取得する。 漁業権の内容は次の通りであった、又、新規着業者に対し着業資金50,000円、資材枠50,000円の貸付が行われた。
 統数は17ヶ統で操業期間4月1日より7月31日まで、8月1日から9月15日まで操業方法は漁具2ヶ統以内で従事者10人以内、許可期間は3ヶ年で承認された。
 漁業料は1級50,000円、2級30,000円、3級20,000円、4級10,000円であった。

昭和34年
 昭和32年と内容は同じであるが操業方法の中の従事者は18名以内に変更となり承認された。

昭和38年
 共同漁業権の第2次切り替えが行われ、昭和38年9月1日から昭和48年8月1日までの10ヶ年の免許を取得した。
この内容は漁業の時期3月1日から12月31日まで、沖だし距離浜なり1,500km以内とし、統数17ヶ統以内の建込位置、沖だし距離及び操業期間等はこの組合で作成した 「雑魚小型定置漁業漁場図」 による。 尚、この切り替え昭和26年に取得した。 さば定置漁業権は廃止された。


昭和39年
 雑漁小型定置網漁業の漁場切り替えで昭和39年より41年までの3ヶ年で、承認数16ヶ統、操業期間及び沖だし距離は4月1日から7月31日までの場合800間、8月1日から9月15日までは400間とした。

昭和42年
 雑漁小型定置漁業の切り替えで、承認数は13ヶ統として、承認機関は3ヶ年(42年〜44年) とする。 操業期間、沖だし距離、枠幅を次の通り設定された。
 期 間 自4月1日〜至8月31日  自9月1日〜至9月1日〜9月15日
 沖だし 1,500m以内         750m以内
 枠 幅 154,7m            154,7m


昭和45年
 雑魚小型定置漁業の漁場切り替えで承認数11ヶ統と承認期間を3ヶ年 (45年〜47年12月)、操業期間を4月1日から8月20日まで、沖だし1,500m、枠幅154,7mとする。 夏大謀は3ヶ統承認し、海岸より400間開け、操業期間は4月1日から8月20日と決定された。
 7月、雑魚小型定置漁業権には主たる漁獲物の名称(ます、ほっけ、こうなご、にしん) を附して設定する。

昭和48年
 共同漁業権第3次切り替えが行われ、昭和48年9月1日から昭和58年8月31日までの10ヶ年免許を取得した。 この切り替えで従前の雑魚小型定置漁業の名称をます小型定置網漁業、又、にしん・ます小型定置網漁業それぞれの漁業権が設定された。 操業できる期間は3月1日から9月30日まで、制限事項は操業隻数、17ヶ統いない年て、それぞれの建込位置、沖だし距離及び操業期間等は組合が作成した、「にしん、ます」、「ます」小型定置漁業漁場図による結果、14ヶ統で承認期間を3ヶ年(48年〜50年)とし、沖出750m(500間)、枠幅154,7m、期間は4月1日〜8月20日とする。(沿岸400間あけること)

昭和51年
 「にしん、ます」 「ます」小型定置網漁業の漁場切替の結果、「ます小型定置」は沖出し53mで3月1日から9月30日までとし、承認数は13ヶ統、「にしん、ます小型定置」は4月1日から8月20日までとし、承認期間は51年〜53年の3ヶ年とした。 沖出しは1,500m以内、岡側600m以内は網を敷設してはならない。 承認数は3ヶ統とし、合わせて16ヶ統を承認した。

昭和52年
 所得均等のため、ます定置、さけ定置業者の対する共同漁業権の承認が制限された。

昭和54年
 同上切替により「ます小型定置漁業」13ヶ統、「にしん、ます小型定置」7ヶ統を承認する。 承認期間は3ヶ年(54年〜56年) とし、ます定置の沖出しは530m以内とし、経営体は共同経営とし3名以上の申し込みとする。 「にしん、ます小型定置」の沖出しは大定置に附属するものは1,750m以内、小定置に附属するものは免定の沖出距離以内とする。 岡はそれぞれ600m空ける。

昭和57年
 切替により、57年〜59年の3ヶ年承認期間で「ます小型定置」 の統数は13ヶ統と沖出し距離600m以内は3月1日より9月30日まで、経営体は共同経営とし3名以上とする。 「にしん、ます小型定置」は7ヶ統以内とし、沖出し距離は大定置に附属するものは1,750m以内で4月1日から9月16日まで、小定置に附属するものは免定の沖出し距離以内とする。岡側は600m以内は網を敷設してはならない。

昭和58年
 共同漁業権の第4次切替に伴い、昭和58年9月1日から平成5年までの10ヶ年免許された。
又、漁業料はいわし、ます、にしん小型定置は1ヶ統当たり、沖出し500m以上60,000円、1,000m以上40,000円、1,000m以下30,000円、ます小型定置は1ヶ統当たり60,000円である。

昭和60年
 漁場切替が行われ承認期間を60年〜62年の3ヶ年とする。 ます小型定置12ヶ統、にしん・ます・いわし小型定置6ヶ統を承認し次の操業条件とした。
1) 経営体は共同経営とし3名以上とする。
2) 沖出し距離はます小型定置にあっては大定置に附属するものは渚より、350m以内、さけ小型定置網に附属するものは沖出し距離以内とする。岡の空間は免許条件と同じにする。
3) 稚魚河川放流期間中の網目の大きさは、14節以上の大きい目合いとする。
4) 各定置設定場所が海況変化により建込み出来ない時は、隣網漁場との協議の上組合の承認を得て位置の移動は認める。
5) 操業できる期間
    ます定置専業者 7月1日より9月25日まで
    さけ低地参加者 7月1日より9月10日まで
    いわし・ます・にしん小型定置 4月1日より7月31日まで


昭和63年
 承認期間を63年から平成2年度の3ヶ年とする、ます小型定置12ヶ統、にしん・ます・いわし小型定置6ヶ統を承認し次の条件とする。
1) 経営体は共同経営とし3名以上とする。 
2) 沖出し距離はます小型定置網にあっては、渚より500m以内、但し3号、4号は渚より400m以内とする。 いわし・ます・にしん小型定置は、さけ大定置に附属するものについては渚より2,350m以内、岡側は昭和63年に当たっては700m以内、平成元年以降は免許条件の距離とし、網を敷設してはならない。 さけ小定置に附属するものは沖出し距離以内とする。岡の空間は免許条件と同じとする。
3) 条件
 イ) ます小型定置
   ます定置専業者 7月1日より9月25日まで
   さけ定置参加者 7月10日より9月10日まで
 ロ) いわし・ます・にしん小型定置 4月1日より7月31日まで
 (但し、ます定置専業者にあっては4月1日より6月30日までとする。)




3、 底建漁業

昭和32年
 道南の砂原町から、雄武町沢木地区に導入された。

昭和43年
 新規漁業開発のため、雄武漁協組合員平沼氏を講師に招き漁法の講習会を開催した。

昭和44・45年
 海面底建漁業の企業化を図るため、8隻の特別採捕許可にて、3,000m以上の沖合いで試験操業を行った。

昭和46・47年
 海面底建漁業の企業化を図るため、8隻の特別採捕申請し17,500mまで沖合いでの試験操業を行った。

昭和48
 共同漁業権の第3次切替にて 「雑魚底建網漁業」 を取得する。 免許期間昭和48年9月1日〜昭和58年8月31日までの期間である。
ア 身網の大きさは、37m以下でなければならない。
イ 身網は、水面から水深の3分の2以下の敷設しなければならない。
ウ 敷設する漁具の数は、85ヶ統を超えてはならない。

昭和58年
 共同漁業権の第4次切替にて、漁業の名称を 「ほっけ・かれい・いか底建網漁業」 に変更し、昭和58年9月1日〜平成6年8月31日までの免許期間で更新した。 20トン未満で、身網の大きさは37m以内で網は海面から3分の2以下に敷設しなければならない。 120ヶ統を超えてはならない。

昭和62年
 ホタテ貝の操業沖合4,5マイル以浅と改定され、操業禁止海域が拡大された。

いか・ほっけ・かれい底建漁業の行使方法(網海共第12号第2種)

年      度              昭和60年度〜平成2年度
漁      船   20トン未満
漁      具   身網の大きさ37m以内
乗組員の制限   制限なし
操業の制限 1、 着業統数  120ヶ統以内
2、 単独経営は2ヶ統、2人共同4ヶ統以内、3人共同6ヶ統以内
   4人以上7ヶ統以内とする。但し、組合員となった翌年より満
   5年以下の組合員は共同者数には含めない。
3、 ほたて操業開始日より11月10日まで操業禁止、但し9月中旬
   以降1部制限し操業を認めることもある。
4、 ほたて操業終了後操業は認める。
5、 部会で定めた標識,操業方法を厳守する事。
6、 その他、制限を定める時、又は1部解除する場合、理事が別に
   定める。
7、 帆立資源調査海域は、組合が指示した日から調査終了まで操業
   禁止。




4、毛がに篭漁業


昭和24年
 毛がに篭漁業は共同漁業権で、湧別町、常呂町、佐呂間村が共同で申請し知事より免許を受け、操業内容は漁船1隻に付き従事者5人以内、籠の網目は3寸目以上で操業隻数は15隻から25隻で操業していた。 輸出缶詰原料又は道内外に煮がにとして出荷されていた。

昭和28年
 網走水試は、殆ど研究されていなかったオホーツク海の毛がに資源について、その分析、回遊、年令、成長など生態全般にわたっての調査を開始し、昭和31年に発表した。 網走水試、土門外4名の調査員であった。

昭和29年
 昭和25年には生鮮魚貝の全面統制解除により、市場事業が開始される。

昭和30年
 近年にない豊漁となり、缶詰工場も原料が飽和状態となり、価格も下がり、当組合出荷部が中心となり、販売を行った。

昭和31年
 着業時に流氷の来襲により、操業は例年になく遅れ概に盛漁期が去り不漁であった。 漁獲不振であったこの年の操業内容は漁船1隻につき従業員5人以内とし、、籠の網目は3寸5分未満と師,22隻で操業した。

昭和32年
 32年から36年まで漁獲不振であった。 この年の制限事項は漁船1隻に付き籠1,000籠以内、従事者5人以内、籠3寸5分未満で18隻あったが36年には、14隻まで減少した。

昭和37年
 あまりの漁獲不振により、組合理事会で着業者数を前年度の2分の1以下に厳選する事を決定した。

昭和38年
 企業採算を割ったため、籠数の増加、操業期間の延長によりかろうじて操業を続け、こうした処置はむしろ乱獲を助長する結果となり、漁獲量が低減するに至ったため自主規制の気運が高まり、操業隻数の半減、操業期間の短縮等の漁業調整規則を改定し、従来雌がにと甲長7cm以下の雄がにに関する採捕禁止の規定のうち、雄がにの甲長8cmに引き上げられた。 この年は7隻承認され6隻が2人共同、1隻が3人共同で操業された。

昭和39年
 道は毛がに資源の減少が著しい事からオホーツク海北見海域毛がに籠試験操業許可取扱要領を発表し、3ヶ年間禁漁を考えたが経済的影響が大きいという事から、試験船操業の規制借置を実施し、当組合は3隻に減船した。又、操業海域を現在の東部、中部、西部の3地区に分けられそれぞれの関係する地域の漁業者が操業する事になった。
 許可の対象者は従来かに籠漁業の共同漁業権行使承認を受け、実績者が2名以上の共同経営体である事、使用漁船は総トン数10トン未満、操業期間は4月1日〜6月30日、水揚げ港の指定、使用籠数700ヶ以内、軟甲がにの採捕禁止などの制限条件が付けられ、当組合は1経営体5人で3経営体15人で操業を行った。 この年は共同漁業権の切替年度であり許可漁業にする事に決定した。


昭和40年
 試験操業のみを認めていたがこれを廃止して、オホーツク海全域の毛がに籠漁業を知事許可として、 「昭和45年以降のオホーツク海海域における毛がに籠漁業の許可等に関する取扱方針」 が発表され、この内容は使用漁船10トン未満、操業海域、中部海域、操業期間4月1日から8月31日までの3ヶ月以内とされ、その他の制限条件は従来どうりであった。 当組合は3隻で1経営体5人で3経営体15人で操業を行った。

昭和42年
 道の許可方針で海域別に定められた使用漁船の規模が一律20トン未満に改められて、敷設する籠の数も700個より1,000個に引き上げられた。

昭和43年
 新たに漁獲許容量制度(ノルマ)を導入して、毎年の漁獲量を網走、稚内両水試の資源評価に基づいて許容量を決定する事になった。 取扱方針では操業期間が「4月1日から5ヶ月を超えない期間」とされ操業期間の弾力的運用可能となり,漁獲量が許容量に達した段階で操業が停止されるほか、休漁期間の設定も適時行われることになった、又、制限条件については、従来1,000個とされていた籠数1,500個に引き上げられた。 又、漁獲物は所属組合の指定する荷さばき場の計量を受けとることが義務づけられている。

昭和44年
 湧別漁協毛がに部会が発足した。 北海道海面漁業調整規則改正により操業期間が毎年許可の月からヶ月を越さない期間となった。

昭和46年
 漁業共済が認められ3経営体それぞれ加入した。

昭和50年
 毛がに漁業の発展のため、オホーツク海毛がに漁業協議会が発足した。

昭和59年
 毛がにの漁業管理により資源の合理的な利用を図るため、昭和59年より3ヶ年計画で水産庁より北海道が委託を受け、沿岸域漁業管理適性化方式開発調査が実施された。

平成元年
 道より沿岸、沖合漁業協同操業体制に関する指針素案が発表され、その中に規制寸法以下の毛がにが漁獲できないよう、網目選択試験及び脱出口付かに籠試験を網走水試で実施し、継続調査を行っている。



5、 かれい刺網漁業

昭和35年
 小手繰の密漁自主禁止の決議がなされ、転換漁業として、刺網漁業の試験操業が実施された。

昭和36年
 小手繰が全面禁止になり、かれい刺網漁業の試験事業が成功する。

昭和37年
 かれい刺網漁業が本格化し、動力漁船3人共同で1隻、また、無動力船2人共同1隻として54隻が着業した。

昭和42年 
 かれい刺網漁具の改良。

昭和44年
 漁具の制限として動力船1隻につき、持網1,200間(仕立上り)、無動力船1隻につき600間(仕立上り)、網目(3寸)以上30掛目とした。
 また、1経営体1隻とし,本人又は同一家族の従事を承認条件として70人の承認数であった。

昭和46年
 ほたて貝の資源保護のため、B海区の一部をかれい刺網漁業の禁止区域として設定した。

昭和48年
 ほたて貝の資源保護のため、B海区の水深20〜50mの区域を禁止区域として設定した。

昭和49年
 ほたて貝の資源保護のため、A海区の水深20〜50mの区域を禁止区域として設定した。

昭和50年
 ほたて貝の資源保護のため、C海区の水深20〜50mの区域を禁止区域として設定した。

昭和51年
 ほたて貝の資源保護のため、D海区の水深20〜50mの区域を禁止区域として設定した。 毛がに刺網漁業の試験事業を30隻以内で,操業期間,経営方法,使用する網、操業船操業区域、漁獲量(30トン以内の鮮がに)を条件に知事より許可された。

昭和53年
 資源減少により試験事業が中止になった。 ほたて貝の資源保護のため、かれい刺網漁業の操業禁止区域をA・B・C海区の水深25〜55mを設定した。

昭和58年
 承認数を70隻より50隻に減らし操業を行った。

昭和59年
 ほたて貝の資源保護及び放流貝の保護の為、湧別地先海面全海域沖出し1,25〜4,5マイルまで操業禁止場所とした。
 承認数 26号50隻以内  33号25隻以内とした。

昭和60年
 1マイルから4,5マイルの海域の操業禁止区域を拡大され、又承認数26号40隻以内に変更された。

昭和62年
 かれい刺網操業区域を湧別地先海面全海域1マイル〜5マイルまで拡大された。

平成元年
 ほたて棲息地拡大の為、操業禁止区域を1マイルから6マイルまで拡大すると共に放流貝の保護を図るため、海区毎に毎年かれい刺し網操業禁止場所を設定した。




6、ほっき貝(えぞばか貝)漁業


操業方法
 
 アンカーを投入した後、低速前進し、アンカー・桁網、次いで巻取り綱(前繰り)を繰り出す。 巻き取り綱を伸ばし終えたら、引き綱(18mmロープ15m)が張るまで船を前進させ、船が停止したらマンガン(桁)を投入し、船を後進させる。 船首側の乗組員は、ホース及び前繰りを延ばす。 船尾側の乗組員は、引き綱を船の後進に合わせて手繰り寄せ、巻取り綱をドラムに掛けた後、巻取りリールに固定させ、船を停止する。

 ドラムにて巻き取り綱を巻き、船首方向のロープ及びホースの張りを確認のうえ、ポンプのスイッチを入れポンプを作動させる。
 巻取り速度は平均1分間に6m〜7mであるが、底質によって多少の差異は生ずる。
 ポンプの圧力は4,5kg/cm〜5,5kg/cmの間である。
 巻取り綱を巻き終わったら、ポンプの作動を停止し、前繰り(桁引き綱)をドラムで巻き、ホースはホース用のドラムで巻き、マンガン(桁)を船に引き上げる。
 以下、この繰り返しである。

漁 期  4月20日〜5月20日  8月1日〜11月30日
隻 数  現在は10隻で操業して、120トンのノルマである。
屯 数  5t未満  漁船法90ps
海 区  沖出し1,500m以内。
制 限  定置より3方に150m以上離れて操業。 殻長9cm以下は採捕禁止


その他
 以前のツメ式マンガンに比べて現在の噴流式は、マンガン(桁)を引くとき非常に抵抗がなく、そのため壊れ貝が以前の5分の一〜10分の一と少なく、又、道具(ロープ、ワイヤー)類の耐久性も、格段に伸びた、又、若齢貝が年々増えているようでもある。

道具の改良
  昭和57年までは動力巻きで、前後2台の桁網(マンガン)を使用していたが、道東(別海、釧路)地方で噴流式の桁網を使用して効果を挙げているとの事で、ホッキ着業者より当地方にも導入の要望があったが噴流による海底噴射で定置網への汚泥の付着が懸念され、保留されていたが昭和57年に噴流式の漁具を使用して試験を行った所、影響のないことが確認され、昭和58年よりノルマ制導入を条件として認められ現在に至っている。

資源調査
 資源調査事業は昭和58年より実施し、この資源調査結果に基づき翌年の漁獲量を規制している。
 昭和58年の規制量42トン (実績25,7トン)
 昭和59年の規制量28トン (実績27,8トン)
 昭和59年の規制量30トン (実績30,0トン)
 昭和60年の規制量40トン (実績39,9トン)
 昭和61年の規制量50トン (実績50,0トン)
 昭和62年の規制量50トン (実績50,1トン)
 昭和63年の規制量50トン (実績50,1トン)
 平成元年の規制量50トン (実績50,1トン)
 平成2年の規制量50トン  (実績50,1トン)


稚貝放流
 昭和40年に室蘭より100kg購入し、サロマ湖内登栄床旧小学校前に放流
 昭和42年に野付より100kg購入し、サロマ湖内登栄床旧称学校前に放流
 昭和46年に野付及び室蘭より904kg購入し、オホーツク海ホント沖に放流
   事業費  1,184千円    町補助金  320千円
 昭和49年に上磯より1,000kg購入し、4月14日放流
   事業費  767千円
 昭和50年に上磯より1,459kg購入し、3月下旬放流
   事業費  954千円     町補助金  440千円
 昭和51年に豊富より1,810kg購入し、8月中旬放流
   事業費  1,489千円    町補助金  433千円
 昭和57年にサロマ湖内でホッキ採苗確保のため、採苗試験事業を実施
   事業費  245千円
 昭和58年も前年に続き採苗試験を実施
   事業費  382千円
 昭和61年に石狩より稚貝5,000トンを購入し放流、放流海面を禁漁区とした。
   事業費  10,388千円   町補助金  5千円
 昭和62年に石狩より稚貝15トンを購入し放流した、放流海面を禁漁区とした。
   事業費  21,288千円   町補助金  10,000千円


ほっき貝漁業について
 本町における外海のホッキ貝資源については、昭和の初期に漁獲した事があり棲息しているのではないかという古老の話から昭和39年に調査事業を実施した。 調査船は山田実氏の動力船(D3馬力) を借り上げ町水産普及員の浅野氏(当時) と組合指導係の富永氏(当時)が調査員となり、手巻きマンガンを使い故清宮茂雄氏(かっての操業経験者) の指導助言を頂き実施したが漁具、漁法の不慣れ、不具合などでホッキ貝の棲息は確認できたが改良の必要性が求められた。

 昭和41年動力巻きにより操業が行われている白糠町へ実習に赴くと共に漁具一式を購入し、当時のホタテ資源調査船7,73トンD25馬力を使用して水深6〜8m一定の範囲内で20地点行い、ホッキ貝207ヶ、エゾバカ貝887ヶ、ビノス貝416ヶを漁獲した。 事業費は331千円

 昭和42年は、1,86tD5馬力の船を雇船し、企業化に向けての調査を実施した。 27日間の調査で、120回の操業を行いホッキ貝は、1,450ヶを漁獲し、企業化に向けて前進した。 事業費416千円 漁獲実績534kg

 昭和43年に前年度の調査結果に踏まえ本操業を行う事とし次の通り実施した。
  操業期間  7月16日〜12月31日  (調整規則4/15〜7/15禁漁)
  操業隻数  3隻
  漁獲実績  ホッキ貝 6,737kg

 昭和44年は、7月16日から12月31日まで5隻で操業 11,147kg 2,675,733円(ホッキ貝)を漁獲した。




7、 ほたて養殖事業


昭和04年
 サロマ湖の湖口が開削され、湖内が外洋性になる。
昭和09年
 道立水産試験場の技師により、天然採苗技術が開発された。
昭和11年
 水試の指導のもと人口採苗試験が実施され、種苗技術漁具の改良研究がなされた。
昭和37年
 水産技術普及員岩岸清忠氏の指導により、佐呂間漁協青年部が研究し6月より始まり、12月の越冬設備がないため中止した。
昭和38年
 5月から2年目のホタテ貝400枚をもって延縄式で垂下育成を再び佐呂間漁協青年部が開始したのが、サロマ湖のほたて養殖の始まりである。
昭和41年〜44年
 サロマ湖第1区画漁業権を知事より免許を受ける。帆立中間育成業者代表会議が開かれた。20組で21台、104名の会員でハイゼックスフイルムを使用し採苗の分譲をした。ホタテ養殖事業を積極的に推進する為に41年442千粒,42年373千粒、43年790千粒、44年405千粒の育成試験を実施した。
昭和45年
 ホタテ養殖部会が結成される。養殖漁業の飛躍的伸長のため近代化資金の導入、部会を開催し積極的に推進した。 この年3,300千粒の育成を行った。又構造改善対策事業としてかん水蓄養施設を設置した。 水揚高は37,495s、39,926,568円であった。
昭和46年
 @ 養殖漁業の企業化にふみきり、構造改善近代化事業費77,154千円、漁業近代化資金57,535円の導入を図った。
 A サロマ湖に昭和45年に設置したホタテ蓄養殖施設が流氷の為、大部分が損害を受けこれらの修理を1,768千円で実施した。
 B ホタテ増殖漁業の振興発展のため2/8〜2/9の2日間全道ホタテ研究会を開催した。
 C 水揚高は555、281kgで101,663,960円の金額であった。

昭和47
 @ 4/8〜4/15にかけオホーツク海より流氷が流入し、養殖施設の被害が憂慮された為、自衛隊が出動し4/11,12,15の3日間爆薬を使用した。流氷の爆破作業を行い被害は軽微であった。
 A 養殖ほたての生産増加による対策として、生鮮向け加工販売を共同計算方式を行い、価格の安定維持を努めた

昭和48年
 養殖事業に従事する作業員の住宅を建設し、労働力の確保を図るため道に対し漁家団地の設置を要望し、48年度に登栄床地区に20戸の公営,道営住宅の設置が認められた。この年の水揚高は鮮貝で179,969千円、養殖貝柱で117,740千円であった
昭和49年
 1月10日より、サロマ湖に侵入した流氷群により、施設に甚大な被害を与え組合ぐるみで対策したが、被害数824台107,500千粒、586,000千円に達し対策費も5,053千円に達した。
昭和50年
 サロマ湖における養殖許容量を50年度から52年度まで調査する事になり、北大,北水研、水試の調査期間に協力致した。
昭和53年
 ホタテ養殖の水揚高は1,385tで316,875千円であった。湧別の養殖ホタテの許容量10,920千粒に決定された。
昭和54年
 サロマ湖養殖ホタテ漁業第1次許容量規制始まる。
昭和58年
 サロマ湖での養殖ホタテの大量斃死があり、水揚高855t、219,995千円で終了した。この原因調査を網走水試A依頼した。養殖ホタテ漁業第2次許容量規制。
昭和59年
 養殖ホタテ第3次許容量規制。
昭和61年
 サロマ湖の航路の見直し又ホタテ養殖施設の現状把握の為、全漁場の調査を実施した。この年の水揚高は1,103t、で278,119千円
昭和63年
 @ 62年度より実施されていたサロマ湖養殖許容量の発表があり,許容量は以前の数量と同じだが当湧別地区の専用現施設を30%移設することになった。
 A サロマ湖内に4月上旬オホーツク海の流氷が流入したが,流氷撤去作業をした結果養殖施設の被害を最小限度にとめる事ができた。
 B ホタテ養殖漁業の許容量は11,910千粒

平成元年
 @ サロマ湖内の養殖施設を新規に635台、整理142台計777台の設置健苗施設を組合員1人10本、及び要所j区ホタテの許容量に従い図面上で再配分した。
 A 4月上旬に流氷の侵入があり、流氷撤去作業、養殖施設の見回りを強化した結果、被害を防止する事ができた。


ホタテ養殖施設経費内訳

品  名 規格 数 量 価 格 金 額
ダンラインロープ
(ノ シ)
5分  100m 1kg当たり
  85,85円
8,585円
ダンラインロープ
(アンカー綱、根綱)
6分  50m×2 1kg当たり
 106,66円 
10,660円
杭鋼管 18尺  2本    6,300円 12,600円
ボンデン   竹
         旗
 2本     390円 780円
 2枚     100円 200円
浮  玉 尺2  2個    1,340円 2,680円
浮玉ー天棒 8匁 50m×2本    18,9円 189円
浮  玉  35個     740円 25,900円