錦町開基百年記念史 百年の星霜
年号 | 西暦年号 | 錦町の出来事 | 町と社会の出来事 |
明15年 | 1881 | 半沢真吉湧別町に移住し、5番地で農耕を始める。長沢久助、徳 沢正輝も移住 |
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22年 | 1889 | 湧別原野殖民地に選定される。大日本帝国憲法発布 | |
24年 | 1891 | 区画測量で四号線は、57区画に分けられる | 湧別原野区画測量実施。中央道路(上川ー網走間)開通 |
25年 | 1892 | 基線道路(遠軽野上ー湧別間)6里20町開削 | 紋別網走間電信が開通 |
26年 | 1893 | 7月17日新潟の人竹内文吉が基線20番地に入地 | ドイツのディーゼルがエンジンを発明 |
27年 | 1894 | 4月28日土井菊太郎岩内より西一線に入地 「宮は明治27年の創始で、神社はウルワッカの河畔にあ った」(大正5・11・5 北海タイムスの記事で横沢金次郎 談) |
日清戦争起こる |
28年 | 1895 | 横沢金次郎等24戸と渡辺精司ほか45戸が四号線に入地 7月に紋別の報恩寺の説教所が、錦研修センターの付近に開設。 島根県出身の中川太悟が四号線に来て布教を始める 9月に西本願寺の僧侶鑓水冬堅が四号線で私塾を開き、児童12 名を集め教える |
日清戦争終わる レントゲンがX線を発見 |
29年 | 1896 | 湧別神社創建 第1回国際オリンピックがアテネで開催 |
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30年 | 1897 | 湧別原野道路開削、西4線4号ー東10線サロマ湖畔まで1里32 町57間 夏に伊藤紋蔵が四号線の角に雑貨店を開業、また遠藤旅館も開業、 商店の第一号 湧別小学校が開校したが、校舎がないため9月6日に基線18番 地の有地護一の民家を借りて授業を行う |
湧別戸長役場開庁 湧別小学校開校 金本位制の確立 尾崎紅葉「金色夜叉」を発表 |
31年 | 1898 | 四号線ー紋別間道路開通 9月6日ー7日にかけて豪雨により、 湧別川の増水は4・6メートルに及び、四号線市街も約1メートル 冠水して全て没した |
全道的に豪雨で水害が各地で発生 日本で映画が初めて制作された。徳富廬花が「不如帰」を発表 キューリ夫妻がラジウムを発見 |
32年 | 1899 | 湧別川の湧別橋が完成したが、明治44年、大正10年、昭和14 年と流失が相次ぐ 9月23日に横沢金次郎が自宅で青年塾を開いた |
中学校、高等学校、実業学校、私立学校公布命令 |
34年 | 1901 | 片岡順三郎が天理教教会を富井建設の作業所付近に開設 キリスト教湧別聖公会講義所が三号線に出来、山中良吉牧師が 伝道 |
阿部磯雄、幸徳秋水ら社会民主党を結成したが即日禁止(日本で 初めての社会主義政党) |
35年 | 1902 | 冷害凶作 本道で初めての衆議院選挙が執行される | |
36年 | 1903 | 伊藤紋蔵酒造工場創設 五号線で太田某が馬橇製造 38年より佐藤弥助が引き継ぐ |
幸徳秋水ら平民党を設立「平民新聞」を発行 ライト兄弟ハツの直線飛行に成功 |
37年 | 1904 | 4月に三号線でマッチ軸木製造の森製作所が操業。39年に乾燥 室から出火、43年に閉鎖 11月13日湧別山広福寺の本堂が落慶開山 |
日露戦争起こる |
38年 | 1905 | 「湧別山広福寺」の寺号承認 初代住職須磨見道就任 | 旅順開城、奉天を占領 日本海海戦 夏目漱石が「我が輩は猫である」を発表 |
39年 | 1906 | 3月に飯豊獣医が来町し営業を始める 真言宗湧別教会(弘法大師堂を旧共済組合診療所前に鈴木きよが 開設) |
二級町村制施行 村役場設置 島崎藤村「破戒」夏目漱石「坊ちゃん」を発表 ロシアより樺太の北緯50度以南を受領 |
40年 | 1907 | 二号線道路が東三線まで開削 五号線道路もこの頃基線から東六 線まで開設された 広福寺の本堂落成 |
義務教育が6年となる |
42年 | 1909 | この年の四号線の戸数は、百12戸 信太牧場が四号線に搾乳所を設置して生乳販売を試みた。43年に 戸沢栄吉が無償で譲り受け、牛乳店を開業 11月3日に四号線に「北斗青年会」創立 |
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43年 | 1910 | 6月に行われた上湧別分村後の村会議員選挙で、四号線より横沢 金次郎、国枝善吉が当選 山西三次が、四号線市街に「中央座」を建てる。大正5年に浜市街 に移転 6月四号線に郵便局が開設、大正9年10月中湧別に移転 |
上湧別分村 幸徳秋水ら逮捕される(大逆事件) 日韓併合、朝鮮総督府を設置 |
44年 | 1911 | 四号線に自警消防組が発足 | 平塚雷鳥ら「青鞜社」を創立 西田幾太郎「善の研究」を刊行 アムンゼン南極に到達 |
45年 大正元年 |
1911 | 四号線由便曲で電信業務開始 窪内長太郎が、四号線で馬橇製作 所を設置 大正3年に弟源吉が継承 12月に伊藤馬吉が四号線で精米所を創業 |
明治天皇没 大正天皇践祚 石川啄木没 白瀬大尉南極大陸に上陸 清朝滅亡 豪華客船タイタニック号氷山に衝突して沈没 |
2年 | 1913 | 4月に四号線の自警消防組が、下湧別消防組第二部となり、常設 となった。昭和8年に第一部に合併 善光寺さんと慕われた松尾富士太郎70で死去 |
大凶作(霜害、暴風雨のため) 中華民国承認 孫文日本に亡命 |
3年 | 1914 | 「瑠璃山法明寺」の寺号承認 中川太悟が初代住職 | 第一次世界大戦起こる パナマ運河開通 |
4年 | 1915 | 六号線に農林省政局十勝種馬湧別種付け所が開設される 四号線停車場問題起こる |
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5年 | 1916 | 11月21日湧別ー遠軽間の鉄道開通、湧別線という 停車場は浜市街に出来る 法明寺の本堂落成 基線4号の岩佐豊治が水稲を試作 |
物価高騰 成金続出 |
6年 | 1917 | 日本製麻(株)湧別工場創業始める 山火事全道各地で発生 | |
7年 | 1918 | 新聞記事に四号線の繁栄振りが紹介される 三号線に山田増太郎が「湧別電気(株)」を設立し、湧別市街、四号 線に電気を送る 13年に閉鎖 |
米価高騰し、各地で米騒動起こる 物価3倍に騰貴 日本シベリ アに出兵宣言 原敬内閣(政党内閣)成立 大学令、高等学校令公布 |
9年 | 1920 | 石原与七が五号線に馬車製造の鉄工場を開業 地域の行政区画割りの変更により、現在の錦町の区域が定まる |
株式大暴落により、戦後恐慌が到来 日本初のメーデーが上野公園で行われた 第1回国勢調査で日本の人口が7.699万人と分かる |
10年 | 1921 | 五号線で横沢金次郎が短角牛を飼育 四号線に牛乳分離所が出来る 名寄線開通せるも湧別経由せず中湧別に分岐駅が出来る |
大町桂月来遊 原敬首相が東京駅で刺殺される 上海で中国共産党結成 |
11年 | 1922 | 下湧別ー上湧別間の乗り合いバスが運行を始める 四号線にも停 留所ができる |
湧別町に大霜害と水害が発生 日本農民組合、日本共産党が結成される |
12年 | 1923 | 開村20周年記念式典 関東大震災発生 | |
15年 | 1926 | 湧別町で最初の集乳所を湧別畜産組合が四号線に設置 土井重喜が道庁より貸付牛の枠を貰ってきて配布 |
湧別警察分署より、湧別警察署となる 大正天皇没 昭和天皇践祚 |
昭和2年 | 1927 | 区長制度を施行 金融恐慌起こる 芥川龍之介自殺 | |
4年 | 1929 | 農協の前身である「有限責任湧別信用販売購買利用組合」が若杉 宅付近で発足 地域の呼び名が数字の区名から字名となり四号線区となる |
4月にサロマ湖口が開削 小林多喜二「蟹工船」を発表 日本共産党の一斉検挙 ニューヨークカビ閾値場大暴落 世界的金融恐慌となる |
5年 | 1930 | 五号線に遠軽営林署の苗畑が設置された | ロンドン軍縮会議 浜口雄幸首相が東京駅で狙撃される |
6年 | 1931 | 山田商店向かいの空き家から出火し6戸が全焼 | 湧別の墓地に火葬炉が出来る 冷害凶作 満州事変起こる |
7年 | 1932 | 6月29日遅霜来襲 大洪水 全国的に冷害 石北線開通 |
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8年 | 1933 | 湧別原野の二号線道路開通(東3線より以東へ)) | 大豊作 日本国際連盟脱退 ナチス党党首にヒトラー就任 |
9年 | 1934 | 4月に湧別乗合自動車合資会社ができ、湧別ー上湧別間1日6往 復の運行を始める |
多年の念願であった湧別川の改修工事が始まる 再び冷害凶作 |
10年 | 1935 | 湧別警察署廃止 凶作 | |
11年 | 1936 | 四号線出身の谷虎五郎が道議会議員に当選 | 2・26事件で斉藤、高橋の両大臣射殺される |
12年 | 1937 | 下湧別澱粉製造組合が発足し、現中川組のところで操業を始める 後に「湧別中央澱粉組合」と改称 |
盧構橋事件発生(日中戦争始まり) 日独伊三国防共協定締結 |
13年 | 1938 | 国家総動員法発令 | |
14年 | 1939 | 米の配給統制法施行 ノモンハン事件起こる(日ソ両軍の衝突) ドイツ、ポーランドに侵入(第二次世界大戦の始まり) |
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15年 | 1940 | 大政翼賛会発足 日独伊三国軍事同盟成立 | |
16年 | 1941 | 8月に馬車組合が、馬頭碑を法明寺の境内に設置 | 12月8日日本は米穀に対し宣戦を布告 町内会、部落会結成 冷害凶作 |
17年 | 1942 | 湧別大橋の架橋に着手したが戦争のため中断 開戦により対空監視硝産業組合事務所屋上に設置、硝長は内匠 清次 |
5月26日ポント浜で機雷爆破作業中に大惨事発生 日本軍マニラ、シンガポール、ラングーン、コレヒドール占領 米軍機日本本土空襲 ミッドウェー海戦で日本軍惨敗 |
18年 | 1943 | 未生御流(師範惣滑谷武)を開設、50年に閉止 | 町内会、部落会再編 それに伴い区長制度廃止 山本五十六連合艦隊司令長官戦死、アッツ島守備隊全滅 学徒兵入隊 |
19年 | 1944 | 国枝善吾保護司に任命され41年まで勤める | 産業組合、農会統合して下湧別農業会設立 サイパン守備隊全滅 学童疎開始まる 神風特攻隊出撃 B29の本土空襲激化 東条内閣辞職 |
20年 | 1945 | 高木義宗三号線で鉄工場開業 | B29東京大空襲 硫黄島全滅 広島、長崎に原爆投下 8月15日終戦 ドイツ無条件降伏 |
21年 | 1946 | 初代民生委員に国枝善吉が就任 | 湧別自治青年連盟結成 民生児童委員制度発足 第一次農地解放 憲法発布 全国的に主食の遅、欠配が起こる 軍国主義者の公職追放 |
22年 | 1947 | 戦後の村会議公選で鍵谷薫が当選 | 新学制により湧別中学校設置 開村50周年式典 村長、村議会公選 新憲法施行 古橋広之進水泳の世界記録を樹立 |
23年 | 1948 | 6月に農協法施行により下湧別農業協同組合が設立 鍵谷薫五号線で鉛材工場開業 |
北海道教育委員会発足 2月に帝銀事件発生 |
24年 | 1949 | 3月に湧別中学校が現在地に新築移転 8月に湧別家畜市場が北 見馬匹組合より湧別、上湧別の両農協に払い下げられた 5月8日より北見バス(株)が湧別ー遠軽間1日3往復を運行 |
4月に為替のレートが1ドル360円となる 湯川秀樹がノー ベル物理学賞を受賞 北海道に小児マヒが流行 下山、三鷹、松川事件が発生 中華人民共和国が成立宣言 |
25年 | 1950 | 四号線に共済組合の直営家畜診療所設置 | NHKがテレビの実験放送開始 朝鮮動乱起こる 公職選挙法公布 |
26年 | 1951 | 山本清ブロック製作所を開業 | 講和条約調印 日米安保調印 |
27年 | 1952 | 上湧別高等学校の定時制分校が湧別中学校に開設 | 湧別公民館を湧別神社横に設置 住民登録法実施 十勝沖地震 教育委員会設置 |
28年 | 1953 | 湧別大橋の永久橋の工事始まる 土井重喜湧別農協の組合長に就任、 1期で退任 町制施行に伴い部落総会で四号線部落を錦町と改称すること に決定 法明寺の境内に勤労奉仕や篤志寄付でブロック造りの会館を新築 |
町制施行で湧別町となる 湧別高校中湧別に設置 大凶作 アスパラガスの栽培が始まる 2月にNHKテレビの本放送開始 10月に湧網線開通 |
29年 | 1954 | 6月より農協が製パン事業を始める | 湧別市街に公衆浴場開設 台風15号来襲 洞爺丸転覆 冷害凶作 |
31年 | 1956 | 11月に湧別大橋完成 延長383・6メートル、幅員6メートル、 工事費1億3千3百40万円 |
12月日本の国連加盟が決定 |
32年 | 1957 | 鍵谷薫湧別農協の組合長に就任、1期で退任 | 駐在員を区長に改称 町開基60周年記念式典 ソ連人工衛星スプートニック1号打ち上げ成功 |
33年 | 1958 | バキュウムカーによるし尿の汲み取りが始まる | 関門国道開通 |
34年 | 1959 | 四号線に名寄線の簡易乗車場設置 | 湧別町乳牛2千頭達成記念式典 メートル法施行 国民年金法施行 伊勢湾台風 |
35年 | 1960 | 湧別中学校全面改築完成 | 6月に安保闘争で樺美智子さん死亡 浅沼社会党委員長刺殺される |
36年 | 1961 | 現238号線が国道に昇格 スノー食品が三号線で操業を始める |
湧別町商工会設立 4月にNHK北見放送でテレビ放送開始 小児マヒ流行 |
37年 | 1962 | 湧別農協の事務所、店舗、スタンド落成 | 信金湧別支店営業開始 十勝岳大爆発 |
38年 | 1963 | 広福寺が、かおる保育園を季節保育所として境内に開設、54年 からは町営として現在地に新築し開所 土井産業(株)が三号線に砂利プラントを建設 湧別農協が錦町簡易郵便局を開設 |
11月ケネディー米大統領が暗殺 |
39年 | 1964 | 農協購買店舗改装、資材店舗開店 | 東地区で水田廃耕 10月東海道新幹線開業 東京オリンピック 開催 8月にベトナム戦争始まる |
40年 | 1965 | 2級国道が238号線となる | 3月ソ連初の宇宙遊泳に成功 |
41年 | 1966 | 農協車両整備工場が開設 7月湧別澱粉工場閉鎖 かおる保育所が通年開所となる |
6月湧別町乳牛5千頭、乳量1万トン達成記念大会 |
42年 | 1967 | 12月に長の条例改正で、四号線部落から錦町区に正式に決定 | 6月湧別町開基85周年記念式典 日本の人口が1億人を突破 |
43年 | 1968 | 8月に湧別農協創立20周年記念式典 6月家畜市場で湧別町第1回ホルスタイン共進会開催 3月1日字名番地改正で字錦となる。それまでは基線、原野、西 一線と呼ばれていた |
湧別商工会館完成 9月に北海道百年記念式典 道庁新庁舎完成 5月十勝沖に地震発生 12月に3億円事件起こる |
44年 | 1969 | 牛の流行性感冒発生 | 7月米のアポロ1号で人間が月面着陸 |
45年 | 1970 | 湧別中学校の屋内運動場改築 6月家畜市場改築 係留施設設置 湧別種馬所閉鎖 錦町寿会(老人会)発足し湧別市街より独立した |
赤軍派による「よど号」ハイジャック事件 大阪万博開催 |
46年 | 1971 | 札幌地下鉄開業 網走、上川、十勝異常低温で凶作 | |
47年 | 1972 | 統合小学校の新築工事着工 | 湧別局内の電話自動化 札幌オリンピック開催 |
48年 | 1973 | 湧別小学校校舎と屋内運動場完成 スクールバス運行始める 3月北糖(株)湧別原料事務所閉鎖 |
湧別中央公民館落成 石油危機で物価高騰 |
49年 | 1974 | 田中首相が金脈問題で辞任 | |
50年 | 1975 | 70歳以上の老人バス賃無料に ベトナム戦争終わる | |
51年 | 1976 | 湧別大橋に歩道が完成 林業研修センター「しらかば」が完成 |
湧別町総合体育館が完成 ロッキード事件発生 道庁爆破事件起こる |
52年 | 1977 | 有珠山噴火 米ソが2百海里実施 | |
53年 | 1978 | 8月湧別農協創立30周年記念式典 湧別漁協が五号線にサケマス養魚私設設置 |
町役場庁舎落成 日中友好条約調印 成田空港開港 |
54年 | 1979 | かおる保育所新築落成 漁協が2棟目のサケ養魚施設設置 | 森林組合の経営破綻 湧別斎場完成 |
55年 | 1980 | 第1回産業まつり開催 | |
56年 | 1981 | 共済組合診療所を廃して芭露に統合 町営浴場を「しらかば」に開設 広福寺の納骨堂が落成 |
8月集中豪雨 |
57年 | 1982 | 湧別町開基百年記念式典 町民憲章制定 上下水道工事着工 第1回オホーツクサイクリング実施 日航機墜落し5百余名死亡 |
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58年 | 1983 | 12月4日錦研修センター、ミニ総パ事業完成祝賀会開催 湧別川1号橋新設着工 法明寺の納骨堂が落成 |
清水町長死去による選挙で羽田宏当選 湧別百年記念史発刊 大 韓航空機撃墜事件 中川一郎代議士急死 |
59年 | 1984 | 錦農村公園完成 | NHK衛星放送開始 |
60年 | 1985 | 錦寿の家落成 五号線に東紋東部地区農業改良普及事務所が落成 |
9月9日登栄床で第5回全国豊かな海づくり大会開催 町の上下水道完成 「アイランドユー」開園 |
61年 | 1986 | (株)湧別振興公社設立 町営球場落成 | |
62年 | 1987 | 国鉄湧網線廃止 国鉄民営化 消費税法案廃案 | |
63年 | 1988 | 湧別中学校校舎落成 同屋内体育館グランドも完成 自治会の班の編制を変更14班を13班にする |
庁内行政区を廃止し、自治会を設置 青函トンネル開業 |
平成元年 | 1989 | 名寄線廃止で四号線簡易乗降場も廃止 | 1月昭和天皇崩御 年号が平成になる 特養老人ホーム「湧別オホーツク園」開園 国鉄名寄線廃止で湧別駅も廃止 道央自動車道路で吹雪により玉突き事故起きる |
2年 | 1990 | 湧別川1号橋竣工 広福寺の本堂が完成 法明寺の庫裏が落成 |
消防庁舎新築落成 東西ドイツ41年振りに統一 消費税導入実施 雲仙普賢岳噴火 |
3年 | 1991 | 「しらかば」増築 広福寺庫裏が落成 自治会だより第1号発行 |
乳牛、肉牛2万頭達成 中等湾岸戦争起こる ソ連共産党解体「ソ連邦」が崩壊 |
4年 | 1992 | 地場産品加工センターが完成 町が幹線道路に街灯を設置錦町は51基 馬頭観世音を法明寺境内より農村公園内に移設 開基百年記念史の編集委員会が発足 開基百年記念事業協賛会も発足 |
長雨と低温で被害が発生し、芭露では水害となる 町開基百十年 式典 史跡記念碑建立、錦町は「湧別電気(株)」の跡と「四号線郵 便局」の跡の2ヶ所 バルセロナオリンピック開催 宇宙衛星「エンデバー」に毛利衛搭乗 政財界の汚職発覚し「共和」「佐川」事件起こる 景気低迷で不況が 続く |
5年 | 1993 | しらかば団地の新道路着工、6年に完成 11月4日に錦町開基百年記念式典開催 記念行事としてパー クゴルフ大会 記念備品購入 史跡記念碑5ヶ所設置 2月の町内バレー、卓球大会で両種目優勝卓球は3連覇 |
川西開基百年、信部内開基80年記念式典 町の総合検診始まる 文化センター、児童館、図書館の設置決定 全国的に低温で米凶作、野菜不足 1月15日釧路沖地震発生 7月12日南西沖地震発生、奥尻島 の被害甚大 為替相場1ドル百円台に 皇太子大和田雅子さんと結婚 宮沢内閣不信任で解散、総選挙、細川内閣成立 |
6年 | 1994 | 2月町内バレー卓球大会でバレーが3連覇飾る 町が錦町に新住宅団地開発 錦研修センターの増改築完成 8月町民ソフトボール大会で年齢無制限の部優勝、年齢制限の 部準優勝 9月に河川緑地公園で親睦パークゴルフ大会開催 12月開基百年記念史「百年の星霜」発刊 |
春、米不足深刻なるも豊作で落ち着く 3月1日高齢者福祉センター(ディサービスセンターと居住施設 )落成 屋内ゲートボール場落成 8月20日河川敷緑地公園パークゴルフ場オープン 6月羽田内閣総辞職し村山、自、社、さ連立内閣成立 8月連日猛暑続く |