何を信じるべきか

     先日北海道でも、JRトンネル内でコンクリート落下事故が発生し、貨物列車が脱線して大事故寸前でした。点検により安全とされた矢先のことです。極めつけは、東海村のウラン臨界事故に、H2ロケット打上げ失敗事故。日本ではそんなことはあり得ないと言っていたことが、次々に起こり、もはや日本はテクノロジー分野でも相当に危ない国になってきました。経済優先で安全性がないがしろにされたことや、何か大事なことを忘れてしまったことが原因のような気もしますが、技術への過信が招いた必然とも言えるでしょう。この分では、2000年(コンピュータ誤作動)問題は必ずや起きそうです。それが、コンピュター開発当初から計画されていたシオニストの陰謀だという右翼の論調は論外としても、ユーゴ空爆が旧型コンピュータ兵器在庫一掃を第一の目的としていたという話には真実味があります。コンピュータに依存した社会がどれほど危険かを知るためには、2000年問題は起きた方がよいのかもしれません。テレビゲームや携帯電話のようなブラックボックスを当たり前のように操り、その便利さに麻痺してしまっている子どもたちが大人になることに非常な危惧を覚えます。日本人は生存(サバイバル)能力を急速に失いつつあります。食糧やエネルギーその他資源の外国依存度も、非常時の安全保障という観点から度を超えています。世界人口の50分の1の日本が、世界の2割近い天然資源を消費しており、世界の森林面積が急激に減っている一番の責任も、日本にあります。石油も天然ガスも、ウランさえこのままでは数十年で枯渇してしまうわけで、次世代にも引き継ぐことが不可能なこのような浪費が、これ以上許されるはずもありません。主婦が洗剤やトイレットペーパーの買占めに走ったオイルショックよりも、はるかに大きなショックが今の日本人には必要かもしれません。しかしながら、2000年問題では核の暴走(原発のメルトダウン、あるいは核ミサイル誤発射)だけは避けなければなりません。核戦争で、アジアが標的になる可能性には極めて高いものがあります。それを望む勢力があるかどうかは別としても、世界が破滅する危険も十分にあります。立ち直れないショックになることだけは、回避しなければなりません。人類以外の生命にとっても、重大な危機であるからです。
 ところで、日本における原発とロケット開発は、軍需産業が表を歩けない日本資本にとっては最大のうま味のある儲け話であると同時に、核武装発言で首が飛んだ防衛政務次官によりそのような陰謀があらわになりかけましたが、究極にはやはり軍事目的なのです。電力不足を補うとか、気象衛星を打上げるという平和目的は、表向きの隠れみのに過ぎないと言ってよいでしょう。核燃サイクル完成による超危険物質プルトニウムの製造によって、世界は日本が核武装したも同然と見なすでしょう。それを望むタカ派政治家が自民・自由党には少なからずいるようです。
 ガイドライン法案や、オウムに名を借りた治安立法など、法的な戦争の準備も次々に進められています。戦争をたくらむ妖怪どもが日本の政界に巣食っているのです。戦争によって得をすることができる連中が世界中で政治をコントロールしているのであり、我々民衆は誰がそうなのかを見抜いて彼らを追放し、戦争の起きない=武器のない世界を目指さなければなりません。戦争を民衆の側から鼓舞しようとするゴーマニズムの小林よしのりのような危険人物にも、これ以上大きな口をたたかせないようにしなければならないでしょう。何で正しい歴史認識が自虐史観なのだ。いいかげんにせえよー!
 現代の日本人は、知らず知らずに多くの危険にもさらされています。農薬や添加物など食品中に含まれる危険な化学物質はもちろん、プラスチック焼却により発生するダイオキシン、高圧線や携帯電話アンテナからの電磁波など、ヨーロッパでは10年以上前から危険性が指摘されていたことの対策が今なお何一つされていません。これを許しているのは誰でしょうか。ドイツでは10年間にわたり生後4か月以上の乳児に対して母乳を授乳することを禁止してまで国民をダイオキシンの汚染から守り、ゴミ処理対策によりダイオキシン濃度が下がった最近になってやっと母乳を解禁しました。その間に日本は、世界最悪のダイオキシン汚染国になりました。AIDSウイルスによる汚染が分かっていた血液製剤や、最近ではヤコブ病の汚染が分かっていたヒト硬膜(欧米では10年以上前に使用をやめていたのに、日本では製造中止になって初めて輸入を禁じた)の薬害により、医療により救われるはずだった人々が不治の病で次々と亡くなっています。これは、危険性を知りながら、それを隠した厚生省キャリアの、国民の生命に対する明かな犯罪行為(大量殺人)であり、全く許し難いことです。今この日本で、国が安全だと宣言したことを信じるのは、どこかのインチキ宗教のグル(教祖)の言葉を信じるのと、全く同じレベルなのです。現在の日本人の多くは、経済至上主義や科学万能主義という宗教にマインド・コントロールされています。学歴、権威、ブランドといったものに滅法弱く、本当の価値を見極める力を失ってしまっています。かつての、大本営発表を信じ、神風を信じた日本人から、今の日本人は少しも賢くなっていません。
 では、我々は何を正しいと見極め、何を信じればいいのでしょう。その答えは、自然の中にあり、自然界の一員としての自分の心の中にもある、普遍的な原理です。それを昔の人は神と言い、仏と言ったのです。その本質は、キリスト教で言えば愛、仏教で言えば慈悲でしょう。それを超える原理はありません。愛を基準とすれば、自ずから何を正しいとするかは明らかとなります。経済効率などが判断の基準となるようでは、正義が実現されるはずはありません。今、この危機の時代にこそ、愛の心、慈悲の心をもって、世界に平和をもたらそうではありませんか。 


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