武器を捨て、鍬を取れ!

    第二次世界大戦の敗戦国日本は、戦勝国アメリカ合衆国に頭が上がらない。今なお米軍基地が日本中にたくさんあり、日本の民間機は日本の空を自由に飛ぶことさえできずに、米軍機の飛ばない、ごくわずかな隙間をぬって飛んでいる。農民の反対を押し切り、多くの血を流してまで国際空港を成田に造ったのも、あそこが米軍機の邪魔にならない場所だったからに過ぎない。敗戦後54年が過ぎたというのに、今年成立した日米防衛協力指針(ガイドライン)法では、日本はアメリカの戦争行為に、有無を言わせず協力しなければならなくなった。民間港や民間空港まで、米軍の使用が優先されるような、とんでもない法律である。アメリカは日本に戦力、交戦権の放棄をうたった世界でも類を見ない憲法を与えたが、その後、共産圏との対立が深まると自衛隊という名の軍隊を作らせ、米国製の高額な兵器をどんどん購入させて世界第2位の軍事費を支出させるまでに育て、在日米軍のためにも「思いやり予算」などというその名も恥ずかしい支出を強い、果ては憲法を全く無視したガイドライン法を作らせた。全くやりたい放題である。そのアメリカと運命共同体である自民党政権が、自自公連立政権という翼賛体制で、組織犯罪法、盗聴法、住民基本台帳法、国歌国旗法など、個人の権利よりも国家の安全を優先する国家主義的法律を矢継ぎ早に成立させてしまった。一体何をたくらんでいるのか、想像するだけでも恐ろしい。オウム真理教は、都合よく利用されているだけである。マスコミも、墓穴を掘るような愚かな報道は慎むべきである。報道は権力に立ち向かうべきであって、それに利用されたらおしまいだ。一体、今は戦前なのか?
 アメリカは戦争したがっている。何しろ戦争ほどもうかる商売はない。破壊した後は、復興のために必ず物が売れるし、世界の兵器の半分以上を作るアメリカの軍需産業は、戦争さえ起きれば、とにかく大喜びである。1950年の南北朝鮮戦争の時には、日本も朝鮮戦争特需というおこぼれを預かって戦後復興を成し遂げた。コソボ紛争でも、アメリカは不必要な破壊的空爆を繰り返し、復興援助という名の下での特需を手に入れた。彼らは、戦争で命を失う人間の痛みや悲しみなどは考えない。それが差別というものだ。自分と同じ血の通う人間がいると思ったら、空から爆弾など落とせるはずはない。戦争とは、差別の究極の姿に過ぎない。差別がある限り、真の平和は訪れない。日本にも、戦争したがっている連中が大勢いるようだ。生命よりも、金もうけの方が好きという連中である。
 聖書にあるように、剣を取るものは皆、剣で滅びるのである。剣を鋤に打ち変え、大地を耕して生きなければならない。国を守るために武装することは、もはやナンセンスである。少なくとも武力によって日本が米国に勝つことは絶対にありえない。では、北朝鮮とだったら勝ち目があるとでも言うのか。日本に50基もある原発のどこかにテポドン一発打ち込まれれば一巻の終わりである。勝ちも負けもない。何のための武装なのか。武装によって得をするのは、軍需産業と大資本だけである。大地に生きる人間にとっては、これっぽっちの得もない。国家を守るために国民が死ぬのなら、国家なんていらない。
 話は少しそれるようだが、減反政策というものは、米の過剰生産を回避して農家の所得を保障し、日本の主食である米の自給を確保するための政策だったように思われているが、大きな間違いである。何より、コメが余っていると言うのは詭弁である。米国産余剰小麦(MSA)を輸入するために、日本では1954年から食糧自給政策を放棄し、特に学校給食を利用してコメの消費を減少させたのである。当時国民1人当たり年間120kg食べていたのが、現在では70kg以下に減少し、それもレストランでの食べ残しや、コンビニの賞味期限切れ弁当など、相当な割合で捨てられる分も含めてのことだ。昔ながらに食べたら田んぼは全く足りない。日本の食糧自給率は世界最低である。アメリカの51番目の州と考えれば、それほど不思議はないのだが、これではとても独立国とは言えない。日米安保を破棄し、自衛隊を解体し、天皇制を廃止して、農に基づく国作りをすべきだろう。


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