遺伝子操作と世界支配

     何やら恐ろしげなタイトルを掲げたが、遺伝的操作とは、農業の世界では太古より行なわれていたことで、よい形質のものを選択したり、人工的に交配したりして、人間はさまざまな作物や家畜を生み出してきた。それを、人間に当てはめようとしたのがナチスの優生政策であって、障害者やユダヤ人をガス室で抹殺して、血統の優れたドイツ人の帝国を作ろうとした。最近、あの福祉国家のスウェーデンで同じようなことが、障害者の断種というような方法で行なわれていたことが明るみに出て、テレビで報道されていた。
 私がこれから述べようとしていることは、このような古典的手法による遺伝的操作のこではない。従来のような生殖という手段による遺伝子の自然的な交雑ではなく、遺伝子=DNAそのものを人工的に直接操作することにより、自然界では起こりえなかった生命を誕生させる技術についてである。ほんの20年前ほど前でさえSF小説の世界でしか起こりえなかったことが、急速に現実化している。私が北海道大学の農学部で、植物の組織培養などを学んでいた時には、植物細胞には全能性があると教えられ、試験管の培地に植物ホルモンを上手く組み合わせれば、植物の細胞1個から完全な植物個体を再生させることができることを学んだ。しかし、これは植物だけで、動物の場合には生殖細胞以外から個体を再生することは無理だと思われていた。しかし、97年にイギリスで体細胞からのクローン羊「ドリー」が誕生し、細胞1個から個体を再生することは、動物でも可能なことが証明された。その後、日本でも牛などで次々と成功しているから、もちろん人間でもその気になれば、すぐにも可能な段階まで研究は進んでいる。ただ、まだ問題は色々あって体細胞クローンは寿命が短い。つまり、生まれた時から親と同じ余命しか残っていないということなどがある。しかし、これもいずれ解決される問題かもしれない。今年から、日本でも脳死者からの臓器移植が行なわれるようになってきたが、遺伝子の異なる臓器を移植すれば必ず拒否反応が起こるので、自分の体細胞から特定の臓器だけを再生させるというようなことが、将来きっと可能になるような気がする。現在は、ブタに人間の遺伝子を組み込んでブタに人間移植用の臓器を作らせるという研究が、イギリスなどで進んでいるようだ。何だか気味の悪い話である。脳死の問題も、生命倫理の問題として議論されているようだが、私には何千万円という高額な費用を払える人だけが、移植手術で生き延びられるということに一番の問題があると思う。その技術が妥当なものかどうかは、その技術の目的が、誰のためのものかを考えれば、自ずから見えてくるのである。
 前置きが長くなったが、ここからが本題である。遺伝子組換え作物の話である。96年に初めてアメリカで、トウモロコシ、ダイズ、ナタネにおいて除草剤耐性や殺虫毒素を持った細菌の遺伝子を組み込まれた作物が1〜3%ほど作付され、あれよあれよといううちに、昨年はいずれもほぼ5割が組換え品種となり、今年は大半が組換え品種になっていると思われる。ということは、そのいずれも90〜99%をアメリカなどからの輸入にたよっている日本では、味噌も醤油も豆腐も納豆も植物油も、輸入穀物で肥育されている国産の牛肉も豚肉も鶏肉も牛乳も鶏卵も、ほとんど遺伝子組換え食品になってしまったということである。実質的同等性という訳のわからぬごまかしで厚生省に安全宣言をされ輸入が認められたが(エイズでは謝罪した、あの管氏の時だ)、正確な安全性など何十年先の日本人がどのような健康状態になっているかを確かめるまでわからないのだ。かつて、何の疑問もなく毛シラミを殺すために進駐軍にDDTを頭から真っ白になるまでぶっかけられた日本人は、その後アメリカで、その強い発ガン性などの毒性と容易に分解されない性質が明らかになって使用が禁止されて30年以上たった現在も、その血液中からは世界中で最も高い濃度のDDTを検出されるのである。厚生省の安全宣言など、全くナンセンスである。
   遺伝子組換え作物が、仮に食品として安全だとしても、では何のためにそれは必要なのか。それを開発したのは、農薬会社である。化学農薬は、人体への安全性、そして環境中の残留などに問題が多く、より安全なものを開発するにしても、莫大な費用がかかるようになってきている。その点、遺伝子組換えの方は、実は安上がりなのである。それに、除草剤耐性を持った作物ならば、自社の除草剤とセットで販売できるメリットもある。作物の種子とは、本来再生産するためのものである。農家がコシヒカリの籾を来年のために少しとっておけば、来年またコシヒカリを作ることができる。ところが、トウモロコシは違う。少しとっておいて来年まいてみても、今年とはまるっきり違う貧弱なものしかできない。これをF1(レーシングカーじゃありませんよ。日本語では雑種第1代)と言う。現在、日本で栽培されている新しい品種の野菜も、ほとんど種苗会社の開発したF1になっている。F1は、トウモロコシで2つの品種を交配すると、その子の代だけ立派なものが取れて、孫の代になるとまた小さくなってしまうという現象の発見から生まれた技術で、種苗会社がその父株と母株を秘密に保持することで、種子を独占して販売し、利益を生むことができるのである。企業ならば、独占してもうけようとするのは当然のことで、除草剤耐性をもった遺伝子も、開発したメーカーは勝手にコピーされないようにと考えるわけである。ところが何と、除草剤ラウンドアップに耐性を持つ遺伝子組換えトウモロコシを開発したモンサント社は、さらにその遺伝子を独占するために、新たなる遺伝子組換えを行なった。それがターミネーター品種であり、98年にアメリカで特許を取った。ターミネーターとは日本でも公開された映画で知っている人もいると思うが、最終兵器のことである。一体どんな品種かというと、そのトウモロコシの実から種を取ってまくと、発芽した途端、枯れて死んでしまうのである。つまり種子が自殺するのだ。イギリスのゼネカ社でもラット(ドブネズミ)の遺伝子を作物に組み込んで同じようなものを作り、これについてはヴァーミネーター品種と呼ばれている。
 遺伝子組換えの一番の問題点は、それが環境中に放出されたら、永久に回収不能なことである。その意味においては、プルトニウムやダイオキシンより危険と言ってもいいくらいである。1975年にアメリカで遺伝子=DNAの組換え技術の研究が始まった時、研究者であったポール=バーグ博士らは、その危険性にいち早く気付き、今後50年間はこの技術を実際に使用するのは自粛すべきだという宣言を出した。ところが、大腸菌などに他の生物の遺伝子を組み込んで、色々な物質をタンク内で生産することなどから実用化され、現在のように大手を振って環境中に組換え遺伝子が放出される時代を迎えてしまった。病原性大腸菌O−157も、赤痢菌の毒素遺伝子が何らかの原因で組み込まれたものであることは間違いない。除草剤耐性遺伝子も、もうすでに作物と近縁の雑草に自然界で移動してしまったことが確認されている。除草剤耐性を獲得した雑草が、すでに現れているのである。恐ろしいのは、ターミネーター遺伝子つまり自殺遺伝子が、天然の植物に移行することである。
 雑草とは、決して単に作物の敵ではない。有機農業をしていればよくわかる。それは、有機質として最高の肥料になるし、化学肥料では決して不可能な土壌の物理性を高める効果に優れる。害虫や病気の巣になるといって、除草剤を使うことを指導機関では勧めるけれど、実際には天敵の住み処になっている場合の方が多い。害虫にとって作物よりおいしい雑草もあり、その場合には作物につく害虫密度は下がる。だから、無農薬で作物を栽培する場合、絶対に雑草は欠かせない。私は経験上、そう断言して良いと思っている。
 画一的な品種に独占されることの危険も大きなものだ。緑の革命の失敗がそうであった。第3世界を飢餓から救うという謳い文句で導入された多収品種、実際にはそれは化学肥料と農薬を多用する必要のある品種(正確には高反応品種というべき)だったのであるが、それは第3世界にあった多様な品種を駆逐し、肥料や農薬への依存を深めた農民は一層貧しくなり、先進国の農薬会社や化学肥料会社は潤い、南北格差はますます高まったのである。そして、多収品種やF1品種が占有した頃に、その品種が特異的に弱い病気が蔓延し、壊滅的な凶作と飢餓を招くという愚かなことが、起きたのである。
 遺伝子組換え品種は、決して消費者が求めているものではない。日持ちのするトマトなんていうものも実用化されているが、室内に1か月おいても腐らないようなトマトが人間の食べものであるはずはなく、ただ世界に輸出してもうけようというアグリビジネスだけが、それを欲しているのである。私も、やみくもに科学技術を否定するつもりはない。本当に危険がなく、環境に有害ではなく、農家にも消費者にも利益をもたらす遺伝子組換え作物ができるのであれば、それは受け入れてよいと思う。もちろん、もしそんなものがあればの話であるが。ただし、原子力の平和利用というものが、現状では廃棄物の問題や発電所内部の労働者被爆の問題などを考えた時にありえないように、遺伝子組換えの危険性はそれを行なうどんなメリットによっても打ち消せないように思う。自然交配と、有機農業で十分ではないか。だからこそ今、遺伝子組換えを拒否するためには、日本において有機農業における自給体制を確立するしかないのである。


>>>> えこふぁーむ・にゅーす見出し一覧