安藤昌益とアナキズム

    今を遡ること2世紀以上昔の封建時代の日本に、このような卓抜した思想があったことは、全く驚くべきことだ。明治30年代、当時一高校長であった狩野亨吉によって昌益の稿本「自然真営道」全百一巻が再発見されるまで、彼は全く忘れられた存在であった。その後、東大図書館に保管されていたのだが、関東大震災で多くの貴重な書物と共に焼失し、館外に貸し出されていて焼失を免れた16巻と、その後に発見されたいくつかの文献だけが現在にまで彼の思想を伝えている。その内容は、ラジカルさにおいて、当時としてはおろか、現代においても彼を超える思想家は他に見出せないと言えるほどのものである。
 昌益の思想は、一言で言えば百姓の思想、つまり被抑圧者の哲学である。支配者による搾取こそが、諸悪の根源であるとし、上下関係を撤廃し、差別のない自然に合致する社会になれば、罪もなく、争いもなく、悩みもなく、病になることさえなくなると説く。まさに、アナキズムの思想家なのである。また、そのような社会には、武装も必要ないものとする絶対平和主義者でもある。彼は、貴も賤も、偽りのものであると喝破し、農民こそ真の生き方として、武、工、商という生き方を否定する。当然のことながら貴の最上階にある天皇(天子)の権威などは認めず、皇国史観のような虚偽に惑わされることがない。女性蔑視を誤りとして男女平等を説き、あらゆる宗教、学問を徹底的に批判する。また医者として、当時の誤った医術を批判し、病気の原因の多くは社会の歪みにあるとして、精神病に対しても全く偏見のない姿勢で、治療法について論じている。とても江戸時代に生きていたとは思えないほど、科学的進歩的なのである。
 彼の農本共産主義ともアナキズムともいえる思想の真髄は、その稿本「自然真営道」の真道哲論巻における「私法盗乱ノ世ニ在ナガラ自然活真ノ世ニ契(かな)フ論」という項において論じらている。「自然世」つまり現在で言う原始共産社会を理想としながらも、理想社会実現に至るプロセスとして、「邑政」という村落(邑)単位の自治コミューンにより、実質的に搾取も差別もない社会を築くことを提言しているのである。
 この「契フ論」においては、上下関係を直ちに撤廃できないのであれば、まず最高統括者自らが耕作し、耕作を怠る者がいれば、強制してでも耕作させるということを、その政治上の任務とするべきだと述べている。たとえ耕作を強制したとしても、米一粒たりとも収奪することがなければ、民衆は反抗心を抱くこともなく平和になるというわけである。また、その耕作は自給を旨とし、自らが食するのに必要以上の耕作をすることは、罪悪として戒めている。さらに、美食美衣の禁止、菜食主義、禁酒禁煙と、相当に禁欲的な倫理を説くが、これは彼の医学的な見地にもよっている。また、一夫一婦制にかなり固執していて、側室を多数おくような支配者を批判するのはもちろんだが、密通した者は一族で秘密裏に私刑にして殺してしまえなどと、かなり過激なことも言っている。しかし、彼の言いたいことは、お上による賞罰制度の否定なのであり、殺すと言っても、自ら耕す以外により食うことを禁ずるという方法で飢えを覚えさせる方法を推薦し、反省し労働するようになれば許すようにとも述べている。
 彼の言っていることは、すべての人が直耕、つまり自給的農耕労働に携わることによってのみ、差別のない理想の社会が実現するということである。そして彼は、貨幣経済や租税制度が、民衆からの搾取収奪のシステムであることを指摘している。貨幣というものにより、利己的な風潮が広がり、朝鮮侵略や、琉球支配のようなことが起きると、外交姿勢についての批判も行っている。彼はアイヌの反乱に対しても、それを正当なものであると認めていて、この時代にこれだけのことを言えたということはすごいことである。また、租税により搾取を行う支配者が、ぜいたくや浪費をするだけでなく蓄財するのは、民衆の反乱を抑えるのに用いるためであることも見抜いている。現代においても、まだほとんどの人がそのことを見抜けずに、軍事費を税金からとられるままで平気なのに、彼はどのようにしてそれほどラジカルな思想を生み出したのだろうか。
 彼は、あらゆる宗教を詳細に批判しているが、その姿勢は一様ではない。上下関係を重んじる孔子の儒教については徹底的な否定をするが、老荘の道教に関しては社会から遊離した隠遁ぶりを批判して否定はするものの、その権力を認めない姿勢には一定の評価を下している。仏教や神道に関しては、その本質に対してというよりも、僧侶や神官のあり方に関して徹底的に批判し、聖人は不耕貪食の最たるものとして、やり玉に挙げられている。彼は宗教を否定しながらも、一方でその権力へ対峙する姿勢や、仏教の死生観、神道本来の自然を崇拝する観念などは、自らの思想に取り込んで行ったと言えるだろう。
 また、彼の批判ぶりは宗教、学問にとどまらず、芸事、書物、文字にまで及ぶ。楽器などは、無用の長物のように語っているが、これもよく読めば、完全否定ではない。「夫レ音楽ヲ聴クニハ人情相和シ直耕シテ天道ニ入ルモノニ非ザレバ反リテ性情蕩ケテ脆くクナリ遊楽戯婬ノ意起ルモノナリ」と述べているのである。つまり、直耕をそっちのけでやる芸事を否定しているのであり、自給農耕を基本とした上での芸術まで否定しているとは言えない。あくまでも、農を基本に据えなければならないという主張なのである。
 彼はまた、優れたエコロジストでもあった。自然を破壊し健康を害する公害(鉱害)に反対し、乱開発に反対し、植林のすすめを説き、適地適作を薦める、有機農業の推進論者であったとも言える。このような思想家が日本にいたということは、全く不思議なようにも思えるが、とても勇気付けられることでもある。彼の哲学は現在においてなお、色あせるどころか、ますます輝きを増している。今こそ彼の思想を、真の意味で蘇らせることが求められているのではないだろうか。

参考文献
 安藤昌益と自然真営道  渡辺大涛 1970 勁草書房(復刻 原著1930 木星社書院)
 安藤昌益  安永寿延 1976 平凡社
 追跡 安藤昌益  川原衛門 1979 図書出版会
 安藤昌益全集 全21巻   1982〜84 農山漁村文化協会


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