耕すことの意味

いちばんよりよい地上の勤労は、
土地を耕したり種をまいたりすることである・・・・
耕作は万人にとって本質的な仕事である。
この労苦は人々に、何よりも多くの自由と、
何よりも多くの幸福とを与える。
   トルストイ『人生の道』岩波文庫より

 トルストイ思想の集大成である『人生の道』は、現代の人々にとっては、時代遅れの思想と映ることかもしれない。しかし当時、彼の思想は世界中で多くの人々に影響を与えた。例えば、日本では新しき村を創った武者小路実篤や、小作人に農場を解放した有島武郎などがそうであったし、南アフリカで共同農場を実践したインド解放の父ガンジーなども、その影響を受けている。

 しかし、このような思想は何もトルストイに始まったことではない。暴力や権力を嫌い、自由を追求する者は、いつの時代にも必然的に農に帰る道を選択した。アメリカでもトルストイ以前に、『森の生活』を記したソローがまさにそうであったし、さらに古くは江戸時代中期の安藤昌益が、人間直耕という言葉によって、その卓抜した思想を残している。大正時代には、キリスト教社会主義者であった石川三四郎が、土民生活という言葉によってその主張を行なったし、宮澤賢治が羅須地人協会を設立して農耕生活に入った動機も、同様のものであったといえるのではないか。

 「労働が区分されているのではなく、われわれ自身が幾十種類もの人間に区分されているのである」というラスキンの言葉をトルストイは引用し、「労働の分担と言われることは、無為徒食の弁護に過ぎない」とも述べている。つまり、農耕を中心とした自給生活こそが、搾取のない平等な社会を実現するということである。当時よりさらに分業化が進行している現代は、ますます人間疎外の甚だしい時代である。産業としての農に未来の見えない今こそ、自給的な農について見直すべきではないだろうか。

 自然卵養鶏を広めている中島正氏も、『みの虫革命』、『都市を滅ぼせ』などの著書で、より多く生産することの愚を主張している。搾取のない平和で自由な社会を築き、自然と調和した健康で幸福な生き方をもたらす自給農こそ、愛農精神の真髄ではなかろうか。

(「愛農」1998年6月号 巻頭言)  

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