第3の経済

     経済方面に暗い私であるが、エコロジーもエコだけれど、エコノミーもエコなわけで、今月はちょっと経済の話をしたい。自動車メーカーがエコロジーを宣伝文句にしなければならなくなってきた時代であり、今までのような市場原理というものだけでは経済活動が続かなくなってきているということでもあるのだろう。市場原理に基づく資本主義経済が限界に来ているということであるが、資本主義よりも先に崩壊してしまった国家計画に基づく社会主義経済というものが、それに置き換わるということもあり得ないし、必然的に第3の経済原理というものが求められることになる。
 これについて中国の癘(れい)以寧教授は、市場による調節、政府による調節に対して、習慣と道義による調節というものが、経済社会の運営と資源の配分に対して非常に大きな意義を持っていると述べている。これこそ、第3の経済にとって必要な原理ということになるだろう。でも私は、それだけでも不十分であり、もう一つエコロジカルな視点による調節ということが必要だと思うのであるが、それはさておいて話を進めよう。
 ここでいう習慣とは、生産と分配の方法に対する集団の共同認識であって、共同認識は道義により支えられると言う。これはまだ市場経済が未発達で、国家が形成される以前において調節機能を果たしてきたものであるが、歴史的にみて市場や政府が発達しても、消え去ったわけではない。特に農村社会において、それは強く残っており、経済効率は低いものであるが、市場や政府のコントロールがきかなくなり都市が崩壊するような大動乱の時代においても、安定していると述べている。日本でも、農業基本法により国家と市場の両方の力でつぶされかかった非効率的な小農が、それでもしぶとく生き残ったのは、先祖伝来の土地を守らねばならないという習慣と道義の力が強く働いたためであったと言えるだろう。それがなかったら、日本の農業はもっと早く崩壊していたに違いない。市場原理の求める選択的規模拡大路線とは限度のない競争であって、アメリカの大規模企業的農業と同じ路線で戦って生き残るなんてことができるはずがない。農家だって、馬鹿ではないのだ。金や権力だけで、すべての物事を動かすことなど、できはしないのである。
 経済大国と言われて久しい日本もがたつき始めているし、ここ数年急成長を遂げてきたアジア各国の通貨がこの半年ほどで暴落し、いずれの国でも経済危機に陥りインドネシアなどでは暴動が起きたり大変なことになっている。一握りのマネーころがし連中と、世界を支配する通貨ドルによって、アジアの経済が蹂躙されたというという一面はあるにせよ、それだけの問題じゃないだろう。21世紀はアジアの世紀などという楽観論(?)がもてはやされたりもしたが、都市への一極集中という形でのいびつな経済発展は、いずれバブルがはじけ、バベルの塔が崩れるように破綻することが、自明なことであったと思える。
 癘教授は、習慣と道義による調節が果たしている役割は非常に大きく、市場経済が公平で秩序ある姿で機能し、また企業の健全な運営、公益事業の発展、住民の共済と相互扶助、そして環境と資源を保全し持続的な発展を実現するという点などにおいて重要であると述べている。それを経済の柱として機能させる社会を、どうやって実現させるかであろう。


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