北海道に原子力は要らない!
〜生命の敵であり、差別の構造で維持されている原子力からの一刻も早い脱却を〜

 
 農林水産業や観光が主要産業である北海道で、原発や放射性廃棄物の処理施設があるということ自体、たとえ事故が起きなくとも、イメージだけでも大きなマイナスである。もし万が一、福島のような大事故が起ころうものなら、立ち直ることができないのはもちろん、日本の食糧基地がやられてしまうのだから日本全体が壊滅的なことになる。そして、泊原発の近くには、大きな活断層がいくつもあって、大地震や大津波の危険が、福島と同じようにある。それなのに、まだ泊原発は動いていて、幌延の深地層研究施設は、高レベル放射性廃棄物の処理施設としての可能性を残したままである。福島の原発事故で安全神話が崩壊したというのに、なぜ多くの人は、このような状態が続いていることを、容認できるのであろうか。私には、理解ができない。
 もし泊原発が止まれば、電気が足りなくなり、本州と違って冬に電力消費がピークになる北海道で、厳冬期に停電でも起これば大変なことになるという話もある。しかし、本当にそうなのか。もちろん停電は困るが、それならば停電を防ぐために節電すればいいではないか。とりあえず火力発電で賄うしかないから、電気代も高くなるかもしれないが、それでも原発は止めて欲しい。止めるべきではないのか。
 自然に恵まれ食糧も十分に自給できる北海道は、率先して永続的で等身大の社会・文化を築くことが可能である。日本海側は風に恵まれ、太平洋側は太陽に恵まれ、北海道中に火山や温泉がたくさんあるから地熱も十分にある。ぐるりと海に囲まれているのだから波力だって利用すればすごいエネルギーになるし、内陸にはどこだって水力発電をやれる。大きなダムなんか作らなくてもマイクロ水力をやればいいのだ。酪農が盛んだからバイオマス発電も期待できる。今すぐこれら自然エネルギーで電力をすべて賄うことは無理だとしても、将来的には再生可能なエネルギーだけで全てを賄うことも十分にできるはずだ。自然エネルギーの技術が普及するまでは、サハリンから天然ガスを持ってくればいい。天然ガスは石油や石炭に比べれば公害が少ないし、炭酸ガス排出量も少ない。苫小牧でも天然ガスは採れているのだ。北電が今まで天然ガスによる発電をやって来なかったのは、国の原子力政策に乗せられたせいだろう。
 とにかく北海道は、自然の恵みを豊かに生かした地域として、世界にアピールできる恵まれた大地なのだ。そのためには、原子力はあってはならない。絶対に放棄しなければならないのである。
 原発は、もともと非常に危険なものだと分かっているのだ。だからこそ、電力を使う都会から遠く離れた人口も少ない過疎の貧しい地域に建設される。そして、事故がなくとも定期点検の度に必要となる被爆労働は、1時間で1年分の許容量を浴びるような命を削る作業なので、電力会社の社員がやらず、下請け孫受けの日雇い労働者を金でかき集めて押し付けてきた。絶対安全などということは、あり得ない。許容できる範囲のコストで安全対策はやるが、それ以上は実現不可能だ。ある程度の危険は織り込み済みということで、それを弱い立場の者に金の力で押し付けて来ただけのことである。
 そうやって大量の電気を享受してきているのは、安全な場所にいる都市の住民や大企業である。地方への差別、不安定就労者への差別、そういうものによって初めて、原子力発電所というものが維持されているのだ。それだけではない。核燃料の元となるウランは、オーストラリアの原住民が住んでいるような場所から採掘し、放射性廃棄物の捨て場は、この日本に適地などあろうはずもなく、何万年も地殻変動がない安定した土地を求め、発展途上国のモンゴルの奥地のようなところが狙われている。幾重もの差別の構造で、誰もがいやがるものを、金の力で何とかしようとしているのだ。
 しかし、放射能汚染の問題は、もはや差別の問題を超えて、地球レベルの環境問題でもあり、すべての生命、未来の生命に対する脅威である。何十万年も強力な放射能を発し続ける人類が作り出した最強の毒物プルトニウムのようなものを、これ以上この地上に作りだすことは許されない。そのためには、一刻も早く世界中の原子力を止め、原子力研究は放射性廃棄物の処理技術にこそ力を注ぐべきだろう。

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